足元をわずかに揺らす、穏やかな波。肌にあたる心地よい向かい風。そんな平穏な海の上を、彼らは悠然と進んでいく。
体温を感じさせない白や、光の届かない海底の闇のような黒で塗りつぶされた皮膚。人の姿や、形容し難い異形の姿をした者たちの大艦隊。
深海棲艦。
突如現れ、人類から海を奪った者たち。彼らは今日も、人類を海から追い出すために、目的地を目指し、海上を進んでいく。
そのさなか、静かなはずの空に、聞き覚えのある爆音が木霊する。音源が1つ、2つ、3つと数を増し、重なり合った音が徐々に空を覆い始める。
空を見上げた時、雲を突き破り、灰色や緑の鳥たちが向かってくるのが目に入る。
冷静に眺めていると、胴体下に黒い爆弾を吊り下げているのに気づく。随伴艦たちに連絡。機銃の銃身を上に向けさせる。
「……ウテ」
随伴艦や自身に備え付けられた機銃や対空砲が、一斉に火を噴く。上空に築かれた銃弾や砲弾の壁に阻まれ、向かってきた鳥たちは機体に穴が開き火がつき火災が発生。
進入コースが直線的で、重たい爆弾を抱えて動きが鈍った鳥を撃つなど、七面鳥撃ち同然。
機銃弾や対空砲弾が嵐のように舞う中に飛び込んだ鳥は、次々火を噴いて海面に落ちていく。
―――また、同じことの繰り返し……。
落ちていく鳥たちを見て、そんな感想を抱く。
―――あの時と、変わってない。
淡々と、向かってくる敵艦載機たちを撃ち落とす。
―――あの国は……。
―――やっぱり、滅ぼさなくちゃ。
その時だった。
何度も聞いた、急降下の際にたてる風切り音が耳に入る。場所は、自身の上。顔を上げると、上空から雲を突き破り、敵機が1機急降下してくる。
「……ウテ」
冷静に随伴艦たちに指示をだす。だが、弾が当たらない。角度が急すぎて、機銃や対空砲で対処できない。
「……アタレ、……アタレ!」
焦れて、自身も機銃を旋回させ、上空に弾幕を張る。降下してくる敵機の速度が一時的に落ちた。ダイブブレーキを展開し、標的へ向けて進路をとっている。
「……イマ」
減速している今の瞬間を狙い、上空に弾幕を形成させ、接近を阻む。だがその中を、敵機は速度を増して駆け抜けていく。
「マテ……。クルナ、クルンジャナイ」
機銃や対空砲を一斉に放つ。そのうちのいくつかは命中し、敵機の外板をはがし、主翼や尾翼を突き抜ける。
主翼の燃料タンクを貫通したらしく、出火し、炎が機体を覆いはじめる。
「……ナゼ」
それでも、敵機はコースを変えない。爆弾を切り離す様子もない。被弾しても、出火しても、こちらに向かって突き進んでくる。
「トマレ、クルナ……。クルナー!」
胴体下に800kg爆弾を抱えたそれは、彼女に向かって、ほうき星のような軌道を描いて、突入していった。
頭の奥底にしまい込んでいたものを見たようだった。記憶の世界から現実に引き戻されたものの、そんなものを見てしまったせいで、目覚めが悪い。
「……かく」
誰かの呼び声に、彼女は両目をあける。でもまぶたが重たいのか、目をわずかにあけただけで、動く気配を見せない。
「ず……く」
そんな彼女の都合などお構いなしに、見下ろす影は、彼女の名を呼び続ける。
「瑞鶴!返事は!?」
「……は~い」
けだるそうに返事をして、彼女は両目をはっきりと開け、自分を見下ろす人影を見つめ返す。
「どうかしたの?」
先ほどの声から一転、頭上からは心配の色を含んだ、優しげな言葉がかけられる。
「こんな時間に、こんな場所で1人」
「加賀……」
声の主、長い髪を片側で束ねたサイドテールを揺らす、青と白の和装の艦娘、空母加賀は、波止場で1人、ヒトデのように手足を投げ出し、寂しく寝そべっていた相方、空母瑞鶴を見下ろす。
彼女は上半身を起こし、視線を加賀から手に握られた紙に移す。
「ちょっと、最近不調続きで……」
瑞鶴は表情を曇らせ、夜空を見あげる。彼女の手に握られた紙には、未帰還、の赤文字が、いくつも記入されている。
それを見た加賀は、静かに言った。
「あなたはよくやっているわ」
加賀は瑞鶴の右隣に腰を下ろす。そして励ましの言葉をかけるも、彼女の表情は晴れない。
「今日、私の九九艦爆隊、みんな、帰ってこなかったんだ……」
瑞鶴は、手に握っている1枚の紙、今日の戦闘の戦果損失の報告書を見ながら言った。
急角度で敵の防空網に飛び込み、目標に爆弾を落とす艦上爆撃機は、その戦法ゆえに艦載機の中で最も損耗率が高い。
「みんな、毎日訓練して、一緒に平和な海を取り戻そうって、そう、誓ったのに……」
瑞鶴の言葉に、次第に震えが混じってくる。
戦いに犠牲はつきもの。
そういっても、彼女はそう簡単に処理できるほど、器用でも冷徹でもない。
「みんな、みんな……、帰って来なかった」
加賀は静かに彼女の肩に腕を回し、体を引き寄せる。
「加賀……」
いつもの勝気なさまは鳴りを潜め、彼女は弱音を吐き出し始める。
「妖精たちを使いつぶしてばかりの母艦に、生かされる価値が、あるのかな……」
加賀は言葉を発さなかった。
空母にとって、艦載機とそれを操る妖精は、空母の持つ刃の切っ先そのもの。だからともに日々鍛えあう。
そして、空母艦娘と妖精たちは、非常に親密な仲になり、闘いの中では、艦載機の妖精たちは母である母艦を守る。
たとえ、自分たちを犠牲にしようとも。
それだけの価値は、自分にあるのか、彼女は問いかけてくる。
艦載機なき空母などに意味はない。それを瑞鶴は、誰よりも知っている。
ふと、加賀は空を見上げた。
「瑞鶴」
彼女の視線の先を追って、瑞鶴も夜空を見つめる。
2人の視線の先にあるのは、暗い夜空に、ほうきのような長い尾、光の軌跡を描きながら流れていく星。
「ほうき星。
ふと、加賀は瑞鶴にまわした手の甲に何かが落ちるのを感じた。視線を向けると、手の甲には、雨のように水滴が落ちてくる。
そしてその上に向かって視線を上げると……。
「ず、瑞鶴!?」
加賀は慌てた。彼女の目の前には、夜空を流れるほうき星を見て、涙を流す瑞鶴の姿があった。
加賀はどうしたものか、慌てふためく。
どんなに厳しい指導をしても、過酷な状況下でも、涙1つ流さなかった彼女が、夜空を流れる星を見て泣いている理由がわからない。
何より、加賀は彼女の泣き顔に弱い。おまけに理由も対処方法もわからないとなれば、慌てるのは必然。
とにかく、加賀は彼女の顔を抱いて胸の中に引き寄せ、泣き止むまで待つほかなかった。
「ごめん、加賀」
「落ち着いた?」
頭が上下したのを確認すると、加賀は彼女を開放した。
「どうしたの?」
加賀は理由を尋ねる。その昔、ほうき星は災いの前兆と考えられていたことがあったらしいが、それを瑞鶴が信じているかはわからないし、それで泣くとも思えなかった。
加賀は持っていたハンカチで彼女の涙をぬぐう。
「加賀はさ……、今の姿として目覚める前、深海棲艦だったときの記憶って、ある?」
加賀は心臓鷲掴みされたような感覚に襲われた。
彼女はかつて、艦娘として目覚めたのち、深海棲艦との戦闘で撃沈されたことがあった。
暗い海の底へ向かって沈んでいく中で意識を失い、気が付けば深海棲艦になり、かつて同胞だった艦娘たちと戦い、とある戦闘で撃沈された。
そして目が覚めたら、ある鎮守府のベッドの上にいた。
艦娘が沈んだら、深海棲艦になる。
加賀は、その一連の流れの記憶を、保持していた。
「……あるわ」
加賀は、相方の瑞鶴に隠さず話す。
「九九艦爆が降下してきて、250kg爆弾を切り離した瞬間を見たのが、最後の記憶……」
その九九艦爆が一体誰の所属だったのかは、今なっては知るすべもない。
「そっか……」
そして加賀は、彼女が次に紡ぐであろう言葉を予想した。
「……私も、あるの」
予想通りの答えに、肩を落とす。加賀はしらなかったが、そういうからには彼女も戦闘で沈み、深海棲艦となったときがあり、その時のことを覚えているのだろう。
「その当時のことを、今も、夢に見るんだ」
艦娘は、今の記憶だけでなく、鉄の船だった当時の記憶を持っている。その記憶にうなされるものは、決して少なくない。
加賀も、沈む直前の身を焼かれるような熱さの記憶が忘れられず、時折悪夢にうなされることがある。
深海棲艦になったときの、後悔や帰還の念に取りつかれていたときのことも。
「その夢を見る度、いつも思うの……」
「何を?」
加賀は先を促す。
「私を沈めたあの子が、今の私を見たら、どう思うのかなって……」
「……あの子?」
加賀は首をかしげる。
「あの子は最後、私に向かってきたの……」
彼女は夜空を、そこを流れる星を見あげる。
「あの、空を流れる、ほうき星のように……」
―――あの日、あの子は、私に向かって突入してきた。
―――夜空を流れる、ほうき星のような、軌道を描いて。
さかのぼること約2年前。
場所は、日本から離れた南方の資源地帯にある、とある泊地。
「本日の天候は快晴。遠くまでよく見通せそう」
縛った緑色のツインテールを揺らす空母瑞鶴は、照り付ける太陽の光を遮ろうと、右手を顔の前にかざす。
「ということは、それだけ警戒を厳に、ということね」
彼女の背後に、同じ和装の女性が現れる。太陽の光に照らされ、風に揺られた銀色の髪が、清い水流のようにきらめく。
気が強そうで、どこかまだあどけない瑞鶴に比べ、落ち着き払い、気高さと、どこか儚さを感じさせる艦娘。
「瑞鶴、行きましょう」
翔鶴型空母1番艦、翔鶴は、妹の瑞鶴に手を伸ばす。彼女は温かい、大好きな姉の手を握りかえす。
「うん。行こう、翔鶴姉!」
2人はお互いの手を握りながら、機関の出力を上げる。
「翔鶴型空母1番艦、翔鶴!」
「翔鶴型空母2番艦、瑞鶴!」
2人は、声をそろえて、
「「
エンジンテレグラフが甲高い音を鳴らし、海面に立つ両足が前に進み始める。そして足元にウェーキをたて、大海原へと、彼女たちは漕ぎ出していった。