七海の元に舞い込んだ依頼は、過去の残骸だった。

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第1話

「よかったです」

 

「……何もよくありません」

 

「俺、七海さんに憧れてたんですよ。だからこれでよかった。嬉しいです」

 

「ふざけてるんですか?」

 

「ふざけてないです。本気ですよ。

 ずっと憧れてました。七海さんに助けてもらって、七海さんの敏腕に魅了されて、人生の目標ってのをやっと見つけられたんです。なのに七海さん、会社急にやめちゃうからほんと……。色々教えて貰いたかったのに。酷いですよ……」

 

「それで、このザマですか……!!」

 

「はい、このザマです。でも、嬉しいです。このザマで、やっと七海さんに追いつけた気がします」

 

「……やはり、ふざけてますね?」

 

「いーえ、全く何もふざけてないですよ」

 

「追いつくの目標でしたから。だから、ここが俺のゴールです。人生、案外楽しいゲームでしたよ。クソゲーもやりきれば思い出にできるもんですね」

 

「貴方という人は……!」

 

 怒り心頭の七海を前に、男は、にへらと笑った。これもまたボーナスだ。七海という男の怒りを見ることができたのだから。

 深く息を吐く。痛みもまだボーナス。七海から贈られたものだから。だけど耐え難いのは確か。咳き込み、喀血。ズタボロのワイシャツが余計赤くなった。七海のものと同じブランドだ。背伸びして買った。高かった。けれどもうズタボロだ。しかし、そのほつれも破れもまた愛おしい。

 

 人生というゲームのクリアが彼には、誇らしい。最後の最後に希望通り行ったのだから尚、誇らしい。胸を張りたい気分だ。もうそんな気力は残っていないが。

 足元へ唐突と開いた大穴から逃げられず、落ちて、落ちて、その先にあった蜘蛛の糸が彼を絡め取った。とられた。しかし、それでもよかったと男は、笑う。

 短くも太く、何より人生の絶頂だったと男は、訊けば語るだろう。

 

 

 

 +++

 

 

 

 では、過去の扉を開こう。この男、平泉義光(ヒライズミヨシアキ)の失意の転落と陰鬱な悪辣を――ゲームスタート。

 

 

 

 +++

 

 

 

「は? 倒産?」

 

 >ヨシアキは、目の前が真っ暗になった! 

 

 そんな表示を彼こと平泉義光は、見た気がした。いや、実際、視界がぐらついた。暗くなった気がした。いや、気だけではない。

 最近の社内は、物理的に暗い。照明を電気代削減のために消してあるのだ。蛍光灯も外してある。周到だ。社長曰く、PCが光るから問題ないだろうと。んなわけねーだろ。そういう問題ではない。これはやばいなと愛想笑いを浮かべてた。その後、転職サイトにすぐさま登録。今は、新天地探しのまっ最中だった。

 新卒で就職に困って、ようやくこぎつけた仕事だったから限界までしがみついていた。一応、恩義みたいなものも感じていた。しかし、これは流石にまずい。

 

「え、ええ……困りましたね……。でもまあしょうがないですのよね……。ちなみにいつから……?」

 

「今日」

 

「は?! なんですそれ?! え、社長は?」

 

 上司の投げやりな言葉に、義光は、目を剥いた。急すぎる。

 

「さあね。電話でないから家の方に行ってみたら、ちょっと厄介そうなお客さんがいたよ。あれはもう駄目だね」

 

「厄介そうな……? それってどういう……?」

 

「どうでもいいよ。お前もさっさと片付けて帰れよ」

 

「え、ちょっと……!」

 

 そう言い残して、神経質な上司は、荷物片手にオフィスから逃げるように出ていった。その後に残されたのは、義光一人。

 

「なるほどね、どうりで俺以外出社してこないはずだよ」

 

 休日に間違えて出てきたのかと思って、カレンダーを睨んだのは無駄だったな。苦笑を浮かべ、美少女の笑顔とひまわりを背景にした卓上カレンダーを畳んで、カバンに入れた。

 上司に義光以外にも何人か社員がこのオフィスにはいた。オフィス限定の付き合いが多く、個人的な連絡はしない人ばかりだったからこれもある意味納得の状況だった。あるいは、彼らの間では、ある種の連絡網があったのかもしれない。だがもう義光の知るところではない。

 一人、世話になった人もいたが辞めてしまった。おかげで、義光は、やる気半減だ。まあ、勝手な話だが。

 上司に習って、義光も帰り支度を始めた。長いは無用だ。上司の言ってた厄介そうなというのも気になる……。と少ない私物をカバンに入れ、恋人を諦めたくまの目立つ冴えない顔が電源を落としたPCのディスプレイに反射したその時だった。

 

「うん?」

 

 オフィスの外が騒がしくなった。足音だ。騒がしいと感じるほどだから相当な人数。嫌な予感がした。幸いIDカードがなければ入り口は開かない。

 義光は、逃げ出す算段をしてから、耳をうたがった。開いた? うっそ。顔を引き攣らせる彼の前に現れたのは、それはもう厄介そうな人達。なるほどね。義光は、上司の言葉を理解した。

 男。黒ずくめだ。派手ではない。ただ普通でなさそうな雰囲気を素人の義光でも感じ取れた。

 

「えーと、君、ここの社員だよね?」

 

「あーえっと……はい」

 

「名前は?」

 

「……平泉義光です」

 

 男たちの先頭にいる細いフレームのメガネで、痩身の男。四十代後半、オールバックは黒染めで、彼もまたスーツ姿。眼鏡の奥の目は、神経質そうな細目。だけどあの上司のような軽さのない、質量を感じさせた。言葉もまた有無を言わさない調子。

 

「オーケー。平泉クンね」

 

「えっと……貴方達は……?」

 

「君の新しい上司」

 

 適当なデスクチェアを引き寄せて、眼鏡の男は腰掛けた。周りの男たちは、距離をおいていて、義光と男の会話を見ているか奥の社長室の方へ向かっていった。

 

「……倒産するのでは?」

 

「そうだね。だけど僕が貰い受けた。前社長は、今頃ヴァカンスさ」

 

「はぁ……じゃあ、雇用は継続に……?」

 

「まぁ、そうだね」

 

 継続……いや、やめとこ。義光は、ほとんど一瞬で見切りをつけた。ろくでもなさげなこの男の下で働くのは、かなり怖い。

 

「あーでも俺、前社長の理念に共感して入ったんですよね。社長変わっちゃうなら俺も――」

 

「俺も、なんだい?」

 

 ふと、気づいた。義光の視線は、眼鏡の男、その目の中。それはなんだ? 何かがいる。何かだ。義光には、理解できない何かがそこにいる。ヌメリとうごめくもの。かさりと鳴るもの。ちらりと周囲の黒服の男たちを伺う。やはり何かいる。ああ、だめだこれ。なんだあれ。解らない。理解を超えていた。

 

「いえ」首を振り、「業務内容、変更されますか?」

 

 逃げられない。直感的に、義光は悟り、諦めた。

 

「これから君にしてもらう仕事は、」

 

 ぐわりと眼鏡の男の顎が言葉の途中で外れて――そこから先を義光は、覚えていない。

 ただ、何かが口の先、喉の闇から飛び出してきたのだけ覚えている。

 後になって、考えてみればあれは……虫だった。

 

「脳味噌に、羽の生えた六足の虫」

 

 義光が我に返ったのは、銃声が耳を打った時。疲れ果てた次の日、いつも通りの時間に目が覚めるのと同じ倦怠感。いや、それよりもう少し酷い。深く粘つき重い泥から這い上がるような感覚。

 手を伸ばしたままの体勢。目の前で、部長が銃口を向けていた。しかし、痛みはない。部長の体が横にずれて(・・・)、床に散らばった。

 

「虫に、なにかされて? 気づいたらこうなっていた?」

 

 義光は、過去を反芻して、理解に努めた。――だが。

 

「どうしてこうなる?」

 

 噎せ返る血の臭いの中、義光は、呆然とつぶやいた。

 人が死んでいる。見知った顔から見知らぬ顔が空っぽの瞳を空に投げている。動かない。熱量を宿した赤い雫は、床を濡らし、壁や天井まで届いている。散らばる凶器と満ちた狂気。広い部屋。夜となればけたたましい音楽と鮮やかな照明、人の臭いと熱気に満ちるであろうダンスフロアで、無機質に照らされた死者達は、黙して踊る。

 義光は、発狂の寸前の冷静さで、視線を走らせた。理解。理解。理解――駄目だった。人が死んで、殺していること。自分は、殺すだけで終わったことしか解らない。

 

『カサカサカサカサカサ』

 

「ひっ!」

 

『カサカサカサカサカサ』

 

「な、なんだ?! なんだよぉ!!」

 

 虫の羽音、走る音が義光に、悲鳴を零させた。駆け抜ける生理的嫌悪に、思わず耳元を払う。しかし、短い髪と耳を撫でるだけで終わる。音は止まず、続く。

 おぞけと鳥肌が義光を踊らせる。ステップ、ステップ、ステップ、ターンアンドステップ。死人は、ステップ踏まず両手両足を投げ出し、踊る。生者だけが革靴で硬い床を打ち鳴らし、叫ぶ。

 

『ぉ め でと ぅ』

 

「は、はぁ?!」

 

 羽音で声が作られた。文字通りだ 音程が外れ、不器用に形作られた奇っ怪な不協和音を義光は、聞いた。周囲を見る。死人に口なし。声は出ぬ。

 

『き みは たぇぬい た。ぉめで とう』

 

「なんの話だ! 答えろ!」

 

『おめ、で、とぅ』

 

「くそっ!! やめろ! やめろおおおお!!」

 

 話にならない。耳障りな羽音、鼻孔を侵す血臭。沢山だ。もう沢山だ。義光は、大きく口を開く。舌を噛み千切るつもりだ。何の躊躇もなく、歯がギロチンの如く落ちる……。

 

『だ、めだ』

 

なんで(ふぁんで)?!」

 

 動かない。顎がピクリとも動かない。ゆっくりと口が閉じていく。抵抗できない。

 

『はっぴー ばぁすでぇ い』

 

 喉の奥で、かさりと鳴った。義光は、確かにその音を聞いて。

 

 ――理解する。

  

「なるほど」

 

 カサカサ。頭の中で響いている。

 

「わかった」

 

 カサカサカサカサ。頭の中で響いている。

 

「わかったよ」

 

 カサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサ。

 

「はははは」

 

 カサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカ。

 

「ゲームスタート」

 

 笑う義光の瞳で、何かがうごめいた。白目を横切る何かの影。淀んで、黒黒して、ヌメリとしたそれは、どこか虫の脚に似ていた。

 

 

 

 +++

 

 

 

「大量失踪と大量殺人ですか」

 

「うん、ここ最近、頻発してるみたいでさ。それも結構大掛かりなんだよ。昨日まであった会社が急に無くなり、社員も消える。会社の夜逃げは、よくある話だけど社員全員が消えるのは目立つ。何よりそいつらが別の場所で死んでいる。互いに殺し合ってる。現場は酷かったよ」

 

 手元のiPadに浮かぶ資料。五条が言ったことが丸々載っている。銃器や刃物、そして、正体不明の凶器。

 

「その正体不明のあまりに滑らかな断面。そこに残穢があった。なるほど、理解しました」

 

 七海建人は、軽く息を吐いて、

 

「なぜ、五条さん、貴方がわざわざ伝えに?」

 

「まあまあ」

 

「あと、なぜかき氷屋なんです?」

 

「クソ暑いからしゃーないじゃん? それに、ここ来たかったし?」

 

 都内某所のかき氷屋。最近は、かき氷も色々と進化、多様化しており、こんな風に専門店でも成り立つことがある。しかし、夏休みのこの時期、女子中高生や大学生に、カップルと年齢層が若いこの店では、この二人は、目立っていた。

 まったく気にしないのが五条で、気にしはするが流せるのが大人な七海だ。

 

「最後のが本音ですよね」

 

「お、かき氷きたきた。ここの抹茶めっちゃうまいって野薔薇が言ってたんだよねー」

 

「話聞いてます?」

 

「うっま!」

 

「この人は……」

 

 抹茶クリームがこれでもかとたっぷりかかったかき氷に、唸る五条を前にした七海は瞼を引くつかせると同じく前に置かれた抹茶のかき氷。定員に会釈してからスプーンを差し込んで、一口。五条は癪だが、かき氷は実に美味い。感心するほどだった。二口。三口と食べて、

 

「なんですか」

 

「いんや、気に入ったようで何より」

 

 ニヤニヤと口を緩めた五条の視線に七海は、気づいた。四口目。

 

「かき氷に罪はありませんから。……溶けてしまいますよ」

 

「おっと、そうだった。お、中あんことかキメキメじゃん〜〜。でさ、この案件なんだけどさ。七海に声かけたのは、理由があるんだ」

 

「? 理由ですか」

 

「うん、そう。理由。平泉義光。聞き覚えあるでしょ」

 

「……前職の後輩ですね。彼も?」

 

「行方不明者の一人……というより加担してるみたいなんだよね。窓から情報が来てる。行方不明になった後、次の現場に現れてた。今度は、殺す方になったらしい」

 

「……理由は、分かりました。相手が何かいまいち判別が付きませんがそこはおいおい。しかし、五条さん。いいんですか? 推定加害者の関係者に、任務を任せて」

 

「ん? ま、七海なら大丈夫だろうからさ」

 

「……ありがとうございます」

 

「いいよ。あっ、じゃあ、そうだ」と子供のような笑みを浮かべ「ここ七海の奢りね」

 

「撤回します。自分で払ってください」

 

「えーケチー」

 

 いい年した大人が子供みたいに口を尖らすな。と七海は、内心思った。これで近代最強なのだから手に終えない。天は二物を与えず。呪術に関しては天才だが、こういうところが全く手に負えない。

 溜息を噛み殺すように、七海は、かき氷を咀嚼した。

 

 

 

 +++

 

 

 

 >七海の所持金が少し減った!

 

 

 

 +++

 

 

 

「呪術の才能があるようには、見えませんでしたけどね」

 

 七海は、自分にしか聞こえないよう呟きながら資料に目を落とした。    

 支給されているiPadには、資料のPDFが開かれていて、事件内容、被害者、推定加害者などの情報が載っている。この資料は、伊地知作だろう。順序よく、かつ要点がうまくまとめられていた。性格が出ている。

 

 

 今回は、幾人かの呪術師の一人として、七海も担当することになっている。それほどに案件自体が大規模なのだ。

 

 平日の昼間。山手線は、実に空いていた。座席に腰掛けた七海の目的地、目的地まではいくつか乗り換えを挟むことになる。その間に資料に目を通し、頭に入れるつもりの七海は、文字の海へ瞳と一緒意識を落とした。

 

 

 

 ――いくつかの中小企業であった失踪事件が本案件の発端となる。

 当初、経営不振な企業にばかりに加え、どの企業も不透明な金の流れがあり、警察側では、過激思想に犯されたテロ集団やマフィアや暴力団といった反社会的勢力の関連と考えられていた。銃器なども発見されており信憑性がある。

 

 しかし、人間業ではない殺人方法*1から呪術高専からの調査も入り、残穢を確認。そうして、呪霊もしくは、呪術師の暗躍が可能性として上がった。

 同時に、呪術と現代科学の混合テロリスト集団という予測が浮上した。

 ただ、呪術師、及び呪詛師は、殺しに銃をもちいない。足がつくからだ。日本国の法律では、基本的に呪殺を裁けないが銃の取扱には、敏感だ。安易に手を出せば二方向から追われるようになってしまう。

 故に、前記した可能性は、非常に低い。

 

 しかし、本案件の発端から対象は、大掛かりな誘拐に残穢の消去を行っていないところから推測するに、実行する必要のない自信、もしくは、必要性を感じていない。

 国内外の主要な警戒対象には、動きが見られておらず国内で発生した新興の組織となれば早々に芽を摘み取るべきである。

 

 

 

 

「……分かっていた事ですが大きな話ですね」

 

 溜息混じりに七海は、また呟いた。目的地付近で、他の呪術師と合流しこの組織の呪詛師が隠れ蓑にしているテナントビルに踏み込む。既に偵察や呪的な防壁については把握してある。案件が一級相当だから優秀な呪術師達が集められるが……。

 

「残業になりそうだ」

 

 嫌な予感だ。七海は、外の風景に目を向けた。資料は、見終わった。丁度、件の彼のページがiPadに映し出されている。

 冴えない中肉中背の男。目下のクマが濃い。昔は、もう少しはつらつとしていたように思える。社会は、若者から溌剌さを奪う。当然の経過に、七海には見えた。

 呪術の影も形も無かったはずだ……しかし、どうだっただろう――。

 七海の思考を午後手前、車内に満ちた穏やかな空気が微睡ませた。

 

 

 

 +++

 

 

 

 懐かしい夢を見た――七海は、目的地付近、駅のホームに降り立って、内心呟いた。

 ルーチンワークの日々。安定の日々。死と呪が遠い頃。年若い後輩に、コーヒーを奢った日。酷く寒い日だった。

 夢の残滓を振り払うように、七海は踏み出した。

 目的のビルは、駅から遠くない。それでも入り組んだ道のりになるらしい。早めに行動したほうが良いだろう……。

  

 

 

 +++

 

 

 

 前日真夜中。都内、薄暗いオフィスビルの一室で、微かな秒針の音とこれまた小さな羽音が連動した。同時に義光は、仕事の達成感に酔いしれていた。

 今まで、感じられなかった感覚。鼻孔をくすぐる鉄臭さ。腕に残る衝撃の残滓。命を奪う手応え。

 

「……痒い」

 

 何かが這う感覚。片手で頭をボリボリと掻く。虫の這う感覚。不快だ。いつの間にかこんな感覚がするようになった。

 

「そうだな。仕方ない」

 

 誰かに答えるように一人呟く。カサカサカサカサ。彼にだけ聞こえる声が彼にやることを教えてくれる。

 誰よりも殺す。そういうゲームのやり方を声は教えてくれる。殺すことで呪いは積み重なる。彼らは増えることができるのだと。

 ――もっと集めて、もっと殺せ。

 ひたすらにそう囁いてくる。文句はない。これは楽しい。義光を虐げていたような人種や嫌いな人種を殺すと彼は、胸がすっとした。たまらなくトリガーが軽い。新しい仕事は、ゲーム感覚で楽しい。

 

「こういうゲームも楽しいもんだな」

 

 義光は、主にRPG、シュミレーションとノベルゲーがメインのゲーマーだった。

 時に勇者。時に鉄騎を駆り、時に愛を育む。そういうゲーマーだ。

 FPSとは縁遠かった。どちらかといえば馬鹿にしていた口だ。暴言と一瞬の快楽に溺れるジャンキーだと。せせら笑っていた。

 いやしかし、やってみればこれもまた気持ちいい。人の命を踏みにじり、凄惨に殺すのは楽しい。

 自然と笑みが浮かんでいた。人殺しの笑み。怖気が走る。

 ここでやるのは、殺しだけ。頭の中でそれが言うには、ここのやつらは邪魔だったらしい。何故? どうして? は知らない。どうでもいい。俺はいつもこういう仕事がしたかった。だからいい。と義光は思う。

 

「…………下手くそだな」

 

 けれど傍のデスクで開かれていたノートPCに開かれたままのパワーポイント、雑な作りの資料が彼を過去に引きずり戻す。

 

「あん時は、最悪だった」

 

 無駄で、多量の資料をひたすら作らされた記憶。苦々しく、苛立ちを彷彿させる内容。ノートPCを床に叩きつけそうになって、手を止める。

 

「……あのコーヒー美味かったな」

 

 どちらかといえばエナジードリンクばかり飲んでいる。甘いほうが良い。ブラックなんてなおさら。だけどコーヒー、嫌いだけどあの一杯だけは違った。そう思うとコーヒーとはご無沙汰だ。

 オフィスを後にして、エレベーターの到着を待ちながら眠気を噛み殺して、ホールの隅で、省エネだった自販機のボタンを押した。 

 

「にっが……」

 

 久しぶりの缶コーヒーは、酷く苦くて、不味く懐かしかった。

 

 

 

 +++

 

 

 

「虫、ですか」

 

「虫みたいっすね」

 

 夜中。路地裏。七海と猪野は、七海が割断した呪詛師の体、その断面から這い出してくるものを見て、互いに同じことを口にしていた。

 件のテナントビルへの強襲は、正面と背面から同時に行うこととなった。

 正面は、また別の呪術師達が行い、七海と猪野は、こうして裏口からとなったのだが運悪く、鉢合わせた。

 呪術師に撃たせなかったのは、行幸だろう。撃たせれば作戦も台無しだ。

 銃口とトリガーを猪野が掴み、霊亀――体に纏う事ができる呪力の水。クッションとして防御に使うのがセオリーだが今回は、撃たせないのと撃たせても銃弾を阻害するために扱った。

 後は、七海だ。七海の袈裟斬りを受けた呪詛師は、即死だった。

 ……実際のところ、この男は呪詛師ではないだろう。猪野がもぎ取った拳銃が証明している。だがこうするしかなかった。しなければ駄目だった。

 

「虫を使う術式……ではなく、虫……型の呪骸を人に入れて操る術式っすか?」

 

「大凡そうでしょう。妙なデザインですがね」

 

「脳味噌に虫の足……気持ち悪い見た目っすね」

 

 動かなくなった男のスーツの胸元、袈裟と裂かれた傷口から這い出る虫を見て、げーっと顔を顰めてから猪野は、虫を蹴り、七海も同意の意を込めて、頷くと共に革靴の底で踏み潰した。嫌な音がする。呪骸が砕けて、中身をコンクリートに広げた。

 

「とりあえず中へ入りましょう。大本の術者も居るかもしれません」

 

「了解っ」

 

 裏口は、幸運にも開いていた。先程の男が開けたままなのだろう。丁度、帳が敷かれた。表がにわかに騒がしくなる。開始時刻だ。七海と猪野のアイコンタクト。敵の方も攻撃に気づいたはずだ。二人の役目は、正面の部隊に気を引かれている相手の隙きを突くこと。事前に把握している非常階段を足早に駆け上がる。

 四階建て。寂れたビルの中には、誰かが残したゴミが転がっている。元は、様々な飲食やサービス系のテナントが入っている混沌とした商業ビルだったらしい。それも今は昔のこと。まあ、見ての通りだ。

 服屋で使われていたであろうマネキンの腕に、猪野が小さく驚愕し、七海自身も薄気味悪い場所だと思いながら目標の最上階四階の扉までやってきた。会敵はなかった。正面に比べると不気味なまでに静かだった。

 

「……七海さん、どうします?」

 

 小声の猪野は、言外に伝える。罠臭い。十中八九、罠だ。と。七海も承知だ。ここまで、露骨なまでに抑えられた呪いの気配。

 

「行きますよ」

 

 しかし、踏み込む。虎穴に入らずんば虎子を得ず――七海の拳が金属の扉を吹き飛ばした。簡易の発光ライトを猪野が室内に幾本か投げ込んで、視界を確保。踏み込む。七海が勢いのまま転がり込み、霊亀を展開した猪野も続く。

 

「糸――」

 

 薄暗い室内。隅から隅、横から横。蜘蛛の巣のように糸が張り巡らされたそこは、フロアいっぱいを使った服屋だったのだろう。未だに服を着たままのマネキンが佇んでいる。そのマネキンもまた糸が絡んでいる。

 

「……奥、気をつけてください」

 

 光の届いていない、闇の濃い店の奥の方へ七海は、油断大敵と瞳を鋭く尖らせた

 

「はい」――濃密な呪いをはらんだ空気に、眉を顰めながらも猪野は、頷いた。

 

 刹那、一斉にマネキンが宙に舞い上がった。かと思えば縦横無尽と室内を走り――七海と猪野へ襲いかかる。振り上げた手足が強烈な速度で迫る。が、七海の大鉈がそのほとんどを粉砕した。

 

「流石っす!!」

 

 七海の鮮やかな手腕に、瞳を煌めかせた猪野もまた呪力を走らせた拳で対応する。七海ほどではないが彼もまた腕利きだ。マネキンを叩き落とし、時に蹴りで破壊する。俺も負けてられないなと黒いニット帽を深くかぶり。

 

獬豸(カイチ)――いけ!」

 

 彼の前に、一本の角が現出する。猪野琢真の術式、来訪瑞獣(らいほうずいじゅう)の一つ、獬豸(カイチ)は、追尾する角を呼び出すこと。見た目以上に威力があり、決して馬鹿にはできない。などと言っていればあっという間にマネキンを迎撃していく。

 

「っしゃあ! どうですか、七海さん!」

 

「次も来ますよ、猪野くん」

 

「了解!」

 

 最後のマネキンが窓から派手な音をたてて、外に消えていくと室内に、静寂が戻ってきた。張り巡らされた糸も半減している。どうやらマネキンを操っていたのは、あの糸だったらしい。

 

「はは、マジか」

 

 かつりかつり。七海と猪野の視線が切り込むと共に、静かに闇の中から現れたのは、スーツ姿の青年。中肉中背。見た限りは、ごく普通。だが顔面に、へばりついた笑みは、夏風に溶けた氷菓子のように歪。

 

「お久しぶりです、七海さん」

 

「……ええ、久しぶりです。平泉くん」

 

 見覚えのある顔の変わりようが七海には、見ていられなかった。瞳の険が増す。すると義光が歪に嗤う。七海の中の想い出に、ぴしりと亀裂が走った。

 

「はは、三徹(デスマーチ)みたいな顔してますよ。七海さん」

 

「呪術師になったのは、最近ですか」

 

「無視とか冗談きついな。呪術? 呪術、呪術……? よく分かんないですけどこれ呪術なんですね。へえ、そうなんだな。ゲームよりずっと物理的だ」

 

 そう言い、義光が七海達に見えるよう両の掌を広げてみせた。爪の合間で、何かが揺らいでいる。きっと部屋中にあった糸だ。

 

「……どうして殺しを?」

 

「楽しいからですよ」

 

 即答だった。ふざけるな。様子を見ていた猪野は、思わず叫びそうになった。だが踏み止まった。クールになれ。クールだ。呪術師の扱う呪力は、感情が元だ。だが無駄な大爆発なんて起こすべきではない。

 

「教えてくれるんです。『もっと殺して、もっと増やせ』って。いやあ、どうかと思いますよ? でも案外楽しいんですよね。困った困った。はは、ほんと困りものですよね。最初は、俺もビビりました。だけど、今までのクッソみたいな仕事と比べると百億倍楽しいんです。こりゃ法律で止められるわけですよ。殺しはあまりにも楽しい」

 

 急に饒舌になった義光は、ほとんど息づきをせずに語って、我に返ったように苦笑する。見覚えのある表情。七海は、苦虫を噛み潰したように唇を歪めた。

 

「あ、七海さんが呪術師やってるのもやっぱり」

 

 そして、

 

「殺しが楽しいからですか?」

 

 義光は、嗤って、地雷を踏み抜いた――彼の視界に、影が躍り出る。猪野だ。憤怒を湛えた瞳が義光をまっすぐに射抜く。

 

「ひひ、怒らないでよ。てか誰? そのニット帽息苦しくない?」

 

「うるせえ。二度と喋れないようにしてやる」

 

 肉と肉。骨と骨が呪力で強化され、激突する。波状した衝撃が窓ガラスを震わせた。衝撃に血飛沫が乗る――バックステップ。猪野の瞳に苦痛が宿る。

 

「すんません、七海さん。先走りました」

 

「かまいません。傷は?」

 

「いや、深くはないです。痛いですけどね」

 

 猪野は、七海に見えるよう拳を向ける。細い傷跡が幾本か均等に並んでいる。恐らく爪間から出ていた糸だ。

 

「猪野くん。援護をお願いします」

 

「……了解」

 

 異論はない。ただ先の会話を聞いて、猪野も思うところがあったからの一瞬の逡巡だった。だが当の本人がやると言っている。何より七海だ。猪野の切り替えは、早かった。

 

獬豸(カイチ)っ!」

 

 再び呼び出される獬豸(カイチ)の角。同時に七海が走る。義光との距離は、殆どない。七海ほどになれば一足でゼロになる距離だ。けれどそうは問屋がおろさない。

 一手に五、二手で十。糸が七海の道を阻むように乱舞する。指の動きに連動して、糸が蠢く。空を裂く。転がるゴミやマネキンが滑らかに切断される。

 なるほど。報告書の文面を思い出し、理解する。鋭利な刃物とはこの糸だ。ヒュンと鋭い風鳴り。呪力で強化した腕で払う。それでも微かな痛みが訴えかけてくる。

 そこへ猪野の獬豸(カイチ)が切り込んだ。糸で絡めとれず、勢いのまま一直線に義光へと向かう。だから彼も防御を取らざるを得ず――。

 

「あっ」

 

 大鉈を無慈悲に振り下ろす七海を見たのは、手遅れを悟った時。

 

「ひっ」

 

 義光の体を突き破って、鮮血と共に()が現れる。それは、七海の大鉈の剣閃と一致していた。受け止める気だ。

 

「ぎゃっ」

 

 七海建人の剣戟を甘く見たのが、彼の術式を計算していなかったのが敗因だ。

 ――十劃呪法(とがくじゅほう)。対象を線分した際の7:3の位置に、弱点を作る。

 一瞬だった。ものの一瞬で、足の全てが斬り落とされ、義光の頭部をかち割るように、致命の斬撃が叩き込まれた。

 

 

 

 +++

 

 

 

 時間を冒頭へ戻そう――>続きから始める

 

 

 

 +++

 

 

 

 表は、もう静かになっていた。なにせ本体の義光――その中の虫が大本だが――がこの通りなのだから。七海は、猪野に表の様子を見るよう頼んでいた。何か言いたげだったが猪野は、「了解」の一言で、七海の意図を汲んでいった。

 

「七海さん。すみません」

 

 義光は、困ったような笑みを浮かべる。ああこれは、知っている顔だ。七海は、微かな安堵が胸に広がるのを感じた。

 

「殺して、ください」

 

 仕事で困った時、いつもこんな顔だった。

 

「罪を償いたいんですけどちょっと無理っぽいです」

 

 義光の言葉が事実なのは、七海にも分かっていた。自分がやったことだ。殺すつもりで大鉈を振るった。まだ喋れているのは、彼の中にあるものがまだ生きたがっているからだろう。時折、義光の顔や服の下で、何かが蠢いているのが分かった。同時に、七海は、その服が自分のブランドと同じものだというのにも気づいた。大鉈を持つ手に自然と力が入る。

 虫は、脳を持たない。だから頭を潰されても暫く生きている。彼の中にいる虫も同じだ。そして、この虫は、通常の虫ではない。

 

「俺の中にいるやつごと殺してもらえると助かります」

 

 天を仰ぎ、深く息を吐いた七海は、首肯。

 

「すみません。ご迷惑おかけします」

 

「そういう時は――「はは、ありがとうございます、でしたね。すみません」……また謝ってますよ」

 

「癖、治らなかったんです。すみません」

 

 義光は、そう言い苦笑いして、謝った後、

 

「ほんと、ありがとうございました」

 

 そして、七海は、大鉈を振り上げて――――。

 

 

 

 +++

 

 

 

 一週間後、新宿。天気、晴れ。茹だるような熱気の満ちる都心でるが人は、多い。その人混みに、七海と猪野の姿があった。

 

「えっ!! 七海さん奢りってマジですか!!」

 

「ええ、この前の任務のちょっとした反省会も兼ねますけどね」

 

「あー……なるほど」

 

「そんなに萎縮しなくていいですよ。メインは、「肉だもんねー。さっすが七海。後輩に優しい」……はぁ」

 

 予約した店の入っているビルの前に、呼んでいない人がいる。いや、人達だ。

 

「五条さん、何故ここに?」

 

「うん? 焼き肉食いに来たんだけど?」

 

「……なるほど。分かりました。それで横の三人は?」

 

「「「焼肉奢られに来ました」」」

 

 七海の視線の先には、都立呪術高専一年生、虎杖、伏黒、釘崎の三人。声を揃えて、そう言った。

 

「なるほど」

 

 納得したように七海は、頷いて、「では、こうしましょう」と切り出す。

 

「今日は、五条さんの奢りです。存分に食べましょう」

 

「「っしゃー!!」」

 

 虎杖、釘崎がハイタッチ。伏黒も横で、軽くガッツポーズをしてる。

 

「えっ、マジ?」

 

「五条先輩、ご馳走になります」

 

「こういう時に後輩風吹かす!?」

 

 七海の思わぬ反撃に、五条は、驚愕しつつもすぐに「しゃーねえな」と笑い。

 

「よーっし! 今日は、僕の奢りね! 食えよ若人!!」

 

 ハイテンションに、店の中へと入っていった。後に、似たようなテンションの一年生三人組も続く。残ったのは、猪野と七海。猪野が苦笑いして、

 

「いいんすかね?」

 

 訊いてくるから七海は、

 

「いいんですよ。あの人は、これくらいでいい。後輩にたかられるくらいでいいんですよ」

 

 ちょっと子供っぽい笑みで、そう言った。

 

 

 

 

*1
肉体各所を鋭利な刃物、それに類するもので切断され殺害されていた。滑らかすぎる断面から一般的方法では不可能であると結論


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