DC COMICS × SCHOOL-LIVE 作:グレイソン
佐倉慈はふと一息吐いて、菜園を弄る手を止めると、屋上の柵越しに校庭を見下ろした。十月初めの風が寂しく吹き付けるそこには、多くの人影が動いているのが見えるが、そのどれもが生きている人間ではない。かつて生徒や教師だったものの群れが、折れた手足を引き摺り、内臓を溢れさせたまま、唸り、蠢き、血肉を求めてさ迷っているのだ。
奴らは生ける屍どもだ。地獄から溢れ出てきた悪鬼達で、喰らった生者を同類へと変える恐るべき力を持つ。慈はその恐ろしさを思い返しながら見詰めた。瞬く間に数を増やして生者と入れ替わり、今ではこの世界の大半を支配しているのでは無いかと錯覚してしまう。
そして一歩間違っていれば、自分もその仲間に入っていた事だろう。無惨に肉を切り裂かれ、体を食い破られて、血みどろの動く死体になって、同じくそこらを徘徊していたかも知れない。
でもそうはならなかった。あの男に助けられたからだ。
慈は思う。彼が校長で良かった、と。
彼は自分達のような弱い人々を守ろうと、自らが傷付くのも厭わず、懸命に戦い、導き、希望の光で照らしてくれる。まるでヒーローのような存在……いや、正しく、ヒーローだったのだ。
「未来はどこにある?」背後の菜園から彼の声がした。
「ここにある!」丈槍由紀が答えた。
「人生は誰のもの?」再び彼が問う。
「……私」恵飛須沢胡桃が返す。
「人生をどう生きる?」穏やかに、彼は続ける。
「何があろうとも生き延びる……!」若狭悠里が噛み締めるように呟く。
「そうだ、それでいい」彼は満足そうに言った。
あのフレーズは、彼がアメリカの高校の校長をしていた時から使っていた問い掛けだそうだ。今年の四月に、この私立巡ヶ丘学院高等学校に赴任して来てからも、集会やイベントがある度に使っていて、ほとんど名物となっていた――世界がこうして狂ってしまう前までは、だが。
慈は振り返って彼のほうを見た。三人の生徒達に混じって、初老ながらたくましい体付きをした黒人男性が、畑仕事に精を出している。不安をもたらすような曇天の下でありながら、彼と、その言葉を受けた彼女達の顔は、生き抜こうとする意思の光に満ちているように見えた。
「私達は生き延びる。自分らしく在り続ける為に。決して諦めず、生ける屍のようにはならない」
彼――ジェファーソン・ピアース校長は力強く言った。
慈は思い返した。彼に救われた日の事を。
※
その日、慈は朝からの不穏なニュースや、そこかしこを走り回る緊急車両の数に、言い知れぬ不安を抱いていた。なんでも、あちこちで傷害事件が多発しているだとか、奇妙な遺体が見付かっただとかで、このなんの変哲も無いのどかな地方都市である巡ヶ丘市に、アメリカのゴッサムシティやスターシティでよく見られるような異常犯罪者か、はたまたセントラルシティやメトロポリスに出没するメタヒューマンか異星人が流れてきたのではないかと、ローカル番組のコメンテーターは危惧していた。慈が由紀の補習終わりに、園芸部の見学として引き留めて屋上へと連れ出したのも、その影響がある。放課後になって母親から送られてきた心配のメールを開き、そこに添付されていたネットニュースの映像を見て、真っ直ぐ帰宅させては命に関わる危険に巻き込まれかねないと思ったのだ。ただ事ではない何かがこの町に起きている。漠然とした恐怖が彼女の心に生まれていた。
屋上の菜園脇で悠里と言葉を交わしていると、部活動に勤しむ生徒達の声に混じって階下から悲鳴のようなものが聞こえてきた。ついで、何度かガラスの割れる音も響く。それは紛れもなく何か事件が起きた証だった。背筋に冷たいものが流れ、心臓が早鐘を打つのを感じる。怖い。近寄りたくない。本能的にそう思う。だがそれでも、慈は教師として、生徒の安全を守る為に、何が起きているのかを確かめなくてはならなかった。
「ここにいて。戻ってくるまで動かないで」彼女は二人を屋上に待機させて、校舎の中へ戻った。
「何事だ?」
階段を降りきると、部屋から飛び出してきたであろうピアース校長と鉢合わせた。その顔は、普段の温厚で誠実なものとはうってかわって、ひどく険しい。鋭く細められた眼差しは、慈にはまるで、危険に対して警戒心を高めている戦士のように見えた。
「分かりません、校長。私も確かめに行こうと思っていた所で……」
慈がそう答えていると、階段の下から聞こえる喧騒がより大きく近くなった気がして、次の瞬間にはまたもや悲鳴が響いた。それと同時に、何か妙な唸り声のようなものも聞こえてくる。
「とにかく行かないと……!」
「待て、佐倉先生!」
慈はきびすを返して階段を降りようとした。だがその歩みは、踊り場を目にして止まった。
激しい水音と共に、赤い何かが壁と床一面にぶちまけられた所だった。ペンキのようにも見えるが、塗料臭さは無い。鼻につくのは……鉄錆びのような生臭さ。
あれは血だ。それも、大量の……。
視界の端、踊り場の隅のほうには男子生徒がうずくまっている。制服のシャツを真っ赤に染め上げた姿を見て、慈は一瞬、彼が怪我をして出血したからなのかと思った。だがすぐに違うと理解する。男子生徒がなんの為に屈み込んでいるのか、それに気が付いたからだ。
彼は小柄な女子生徒を押し倒して、その喉元に深々と食らい付き、肉を噛み千切っていたのだ。女子生徒は体をビクビクと痙攣させていて、その度に傷口から赤い噴水が舞い上がっている。少しすると動きが止まって、彼女が息絶えたであろう事が見てとれた。
「何……? なんなのよ、これ……!?」
慈は理解出来ない光景に狼狽えて、胸の内を吐き出すように呟いた。すると、男子生徒がその声を聞き付けてか、彼女の事を見やった。
顔半分の皮と肉が無い。眼窩から目玉が飛び出してぶら下がり、剥き出しの歯の間からは獣のような唸り声が漏れ出している。その様は、到底生きている人間とは言い難い。男子生徒――だったものと言うべきか――は立ち上がり、血にまみれた腕を伸ばして、慈を目指して向かってきた。
その背後で、今しがた力尽きた筈の女子生徒が、ムクリと起き上がろうとしている。首を不自然にだらりとさせながら、身をよじり、蠢いていて……彼女もまた、この男子生徒のようになったと言う訳か。
どこかで見たような、安っぽいホラー映画みたいな状況だ。慈は冷や汗が流れるのを感じながら思った。人を食らう怪物に噛まれて死ぬと、同じ怪物となって甦るだなんて。例え超人・メタヒューマンや異星人が存在し、夢のような力を持つスーパーヒーローやクライムファイターが街を守り、空想と言われていたマルチバースの理論が証明されているこの世界でも、こんなのは現実味が無い。だが肌に感じる空気が、これが幻覚でも妄想でもないのだと知らしめている。慈は息を呑んで後じさった。
ピアース校長が庇うようにしてその前に躍り出て、生徒だったもの達と対峙した。
「それ以上来るんじゃない!」彼はそう叫びながら、格闘技か何かの構えをとって戦闘体勢になっていた。「来るのであれば、容赦はしないぞ!」
当然、眼前の連中に、それを聞き入れる様子は無い。ピアース校長に対して次第に迫り、容赦無く掴み掛かろうとした。
「警告はしたからな……!」
ピアース校長は掴み掛かってくる腕を払い、電光石火の拳を放って殴り倒した。男子生徒だったものがもんどりうって倒れ、階段を転がり落ちる。彼は続けてやって来た女子生徒だったものに対しても同じように捌き、蹴りを浴びせ、階段の下へと突き落とした。
普通なら痛みに呻いて動けなくなる筈だ。慈は思った。だが彼らは……普通ではない。
予想通り、二人の生徒達は意に介さず、フラフラと立ち上がって、再び進撃を開始した。
いや、それだけではない。慈は気付いた。今の音に引き付けられたのだろうか、階下から別の生徒や教職員――こちらも、だったもの達と言うべき存在ばかりだ――達が姿を現しているではないか。全員が血にまみれ、四肢のどれかを欠損し、はらわたを胴から覗かせているが、気にも留めずに大口を開け、こちらに向けて手を伸ばし、迫ってきている。
ピアース校長が小さく舌打ちしたのが聞こえた。それから少し踏み込んで、他の連中に向けても長い手足を振るい、攻撃を叩き込んだ。死の軍勢を相手に立ち回り、食い止めようとしているのだろう。何体かの怪物と化したもの達が、階段を勢い良く転がり落ちていく。だが、多勢に無勢だ。余りにも数の差がある。敵は緩慢な動きながらも着実に上り詰め、押し寄せて来ていた。
慈は職員室へと目を向けた。他の教員と合流して対応しなくては。でないと、このままではどうにも不味い。
次の瞬間にはその考えも無残に打ち砕かれた。職員室の扉が勢い良く倒れて、中から刺股を抱えた男性教師と、それに掴み掛かる生徒のような群れが現れたかと思うと、短い悲鳴が響き、血飛沫が舞うのが見えたのだ。同時に、他の教員達の動揺するざわめきと悲鳴が伝わってくる。恐らくは部屋の中でも同じ光景が繰り広げられているのだろう。
慈は力無くへたり込んだ。絶望的だ。最早呆然とする他に無い。
「めぐねえ、校長、逃げろ! 屋上だ!」
突然反対側から声を掛けられて、慈はビクリと身をすくませた。見やると、教室側の階段から逃げ延びてきたであろう胡桃が、怪我人――彼女が慕う陸上部のOBの子だったか――を抱えたまま、こちらに駆け寄って来る所だった。
その遥かな後ろ、廊下の果てには、彼女らを追ってきたであろう連中がぞろぞろと続いていた。破れて血の滲んだ体操服やユニフォームを着ている辺り、それらは校庭で部活動中だった生徒達の成れの果てなのだろうと分かる。慈はそれだけの数の生徒達が襲われた事と、自分達の生命を脅かす敵となってしまった事に身震いした。
「急げ! 早くしろ!」胡桃が必死の形相で怒鳴った。慈は立ち上がりたかったが、上手く力が入らなくて、よろけてしまう。
「あの子に従うんだ、佐倉先生!」袖口を返り血で染めたピアース校長が飛び退くように下がってきて、促しながら慈を抱え上げた。無理矢理立ち上がらされると、階段を登るように背中を押される。慈はもつれる足を懸命に動かして従った。
硬く重い扉を押し開けて、転がり込むように屋上に出る。
「めぐねえ!?」
「佐倉先生!?」
校庭を見下ろしていた由紀と悠里が、青ざめた顔で振り返り、彼女を見詰めた。慈は二人のほうへとよろよろと歩み寄り、そして思わず嘔吐しかけて、膝をつく。
「何が起きてるの!? ねぇ、なんなのあれ!?」
「先生、一体どうなってるんですか……!?」
二人が掴み掛からんばかりに問い掛けてくる。だが何も答えてやる事が出来ない。そんな余裕は微塵も無かった。混乱する頭を鎮める事が出来ずに狂ってしまいそうだった。死からよみがえり、人を食らって歩き回る屍――ゾンビとしか言いようの無い存在。そんなフィクションの産物のような存在が現れて、今自分達を食い殺そうと迫っているだなんて……。混沌とする思考に緊張感と恐怖が混じり、目眩がして吐き気となって溢れ出そうになる。
「皆、扉から離れていろ! 行け!」ピアース校長の声が出入口から響いてきて、慈達は反射的にそちらを見た。
怪我をした少年を支えた胡桃が姿を現し、続いてピアース校長が扉をくぐった。校長は扉を閉めると、そのたくましい体躯から産み出される剛力で無理矢理押さえ付けた。かつてはオリンピックの十種競技で金メダルをとり、今尚トレーニングを怠っていないと言う彼だ。その力は並の男を凌駕している。だが、それでも全く安心など出来なかった。どれだけの数が押し寄せているのだろうか。ガタガタと揺れる扉は今にも外れて倒れそうで、嵌め込まれたガラス窓は派手にひび割れて砕けようとしている。
「君達は来るな! 奥へ行け!」ピアース校長は歯を食いしばりながら慈達を一瞥すると、ようやっと言った。
「あぁ……なんてこった……」傍らにやって来た胡桃が小さく呟いた。意識を失っている様子の少年を菜園の横に下ろした彼女は、荒い吐息のままに柵を掴んで項垂れていた。その視線の先には校庭がある。慈も釣られて眼下を覗き込んだ。
そこに広がる光景は正しく地獄のようだった。逃げ惑う生徒や教職員に、校外から続々と現れる生ける屍どもが襲い掛かり、次々組み付いて、その体を貪り食っている。しばらくもすれば体をバラバラにされて死んでいた筈の人間達も起き上がり、新たな脅威の仲間入りを果たして、獲物を探しに動き出す……。これを地獄と言わずになんと言うのか。
「訳分かんねぇよ……」胡桃が震える声で呟いた。「あの変な奴らが乱入してきたと思ったら、突然襲い掛かってきて、皆に噛み付いて……止めようとした先輩まで……。畜生、一体なんなんだよ!」
胡桃は混乱と憤りをぶつけるかのように、柵を何度も殴り付け始めた。白い皮が裂け、小さな拳から血が滲み、痛々しく赤く染まる。慈は何か言わなければとは思うものの、口が言う事を聞かず、声が出なかった。
「お、落ち着いて!」
「そうよ、くるみ! やめなさい!」
気付けば、由紀と悠里がその手を掴み、暴れる体を羽交い締めるようにして止めていた。本来それを行うべきである慈は、ただ見やっているだけだ。
そうだ、しっかりしなきゃ。大人なんだから。先生なんだから。ハッとして、慈はなんとか立ち上がり、彼女らへと向き直ろうとした。彼女らを守らなくては。ここでヘタっている訳には行かない。手すりにしがみつくようにして震える足で立ち、口を開く。
だがそれを遮るかのように、ドアのほうから激しい音が響いた。ガラスが砕け、金属のねじ曲がるような音だ。
「皆下がれ!」ピアース校長がこちらへ飛び退きながら叫んだ。慈達は、庇うようにして立つ彼の体越しに、扉のほうを見た。
歪んだ扉がグラリと揺れながら勢い良く開き、砕け散った窓ガラスを踏みつけて、何体もの生ける屍達が姿を現していた。その全ての顔が、獲物を見付けたと言わんばかりにこちらを向き、一刻も早く食らい付こうと大口を開けている。
慈達は息を呑んだ。だが脅威はそれだけに留まらない。
不意に、横たえられていた怪我人の少年がふらりと立ち上がった。
「先輩……!?」胡桃が目を見開く。
目が覚めたのだろうか? ……いや、違う。慈は、そして他の誰もが悟った。少年の開いた口からは、あの怪物達のような唸り声が上がっている。肩先を噛み千切られた痕のある彼は、そのまま命を落として、生ける屍の仲間入りを果たしてしまったのだ。彼は血の気の失せた両手を伸ばして、獲物を――たまたま最も近くにいた由紀を捕らえようとした。
「う、嘘だ、先輩……こんなのって……嘘だろ!?」胡桃が狼狽えながらも由紀を押しやって庇うと、足元に置かれていたシャベルを拾い上げて、少年だったものの胴を突き飛ばした。だがよろけて二、三歩後退るだけで、彼の歩みは止まらない。
「逃げるんだ、皆!」ピアース校長が叫んだ。彼は助けに走ろうとしているが、腕を掴んでくる連中を振りほどき、殴り倒していて、まるでその余裕が無かった。
「やめてくれぇ!」胡桃が焦りのまま、威嚇するようにがむしゃらにシャベルを振り回した。そして振り上げたそれが偶然、少年だったものの顎下から首に深く食い込んで、肉を裂いた。妙な方向に頭が捻じれ、骨の砕ける嫌な音がする。少年だったものは大の字に倒れると、何の抵抗も無いまま硬い地面に頭を打ち付けて、そのまま二度と動かなくなった。
「ち、ちがう……そんな、つもりじゃ……」胡桃は呆然としてシャベルを取り落とす。それから力無く膝から崩れ落ちた。
「ダメ、立って! 逃げないと!」悠里が慌てて彼女を抱え起こした。慈も胡桃の体を支えて運ぶ。
「向こうだ、行け! 行くんだ!」上着をボロボロにさせたピアース校長がようやく駆け寄ってきて、走るように促した。
校長をしんがりにして、彼女らはソーラーパネルのほうへと逃れた。だが、その先が行き止まりとなっている事くらい、誰もが知っている。やがて行き場を失い、背中が柵に引っ付く程に、慈達は追い詰められた。
眼前に、牙を剥き出しにした死者の群れが迫る。
由紀と悠里が悲鳴を圧し殺し、胡桃が震えながら首を振り、全てを否定しようとしている。慈はそんな子供達を抱き寄せ、身を呈して庇おうとした。教師として、せめて身を挺して生徒を守らなくては。その一心からの行いだったが、それがなんの役にも立たない事ぐらい分かっていた。
「これは不味いな……」疲れきった様子のピアース校長が、まるで盾とならんばかりに彼女らの前に立ち、呟いた。それでも、身構えて、戦う姿勢を崩さない。掴み掛かってくる相手を素早く蹴り、殴り、突き飛ばして、なんとか間合いを稼ぎ、塞き止めようとしている。しかし、このジリジリと迫ってくる死の軍勢を相手に、疲弊した彼一人では、もう数分と持たないのは明白だ。
「こ、校長……!」慈は涙を流しながら、すがるように言った。
どうすればいいのか、彼女にはもう分からない。誰か、ヒーローのような存在が助けに来てくれはしないか? 超人的な力を持って、あっと言う間に全てを覆してくれるような誰かがやって来て、全てを終わらせてはくれないか? 慈はそう強く祈りながら、生徒達を抱き締め、天を仰いだ。衛星軌道上には世界的ヒーローチームであるジャスティス・リーグの基地・ウォッチタワーがあって、いつも地球の平和を守る為に危機を監視しているのだろう? だったら誰か一人でもこの状況に気付いてくれないものか?
「誰か……助けて……ヒーロー……!」由紀が泣きじゃくりながら言った。ヒーロー好きな彼女なら尚更に、彼らが現れるのを待っている事は容易に想像がつく。この願いに誰かが応えてはくれないか?
「……やむを得んか」ピアース校長が苦々しげに呟いたのが聞こえた。慈はそちらに目を向ける。くたびれた様子の彼は素早く飛び退くと、慈達を一瞥して、溜息を吐いた。諦めたとでも言うのか? いや、違う。むしろ逆だ。慈は気付いた。その目は生きる事を、そして守る事を諦めてはいない。だが、何かを隠し続ける事に限界を感じているようだった。
ピアース校長はそれからソーラーパネルに向けて手を伸ばした。
慈は、そして少女達も、目を疑った。彼はまるでエネルギーを吸収するように、そこから稲妻を呼び出したのだ。そして全身に稲光を纏うと、迫り来る死者の群れに目掛けて両腕を突き出し、まばゆく弾ける雷を次々投射した。
「これ以上は許さん……!」
ついで、彼の大振りな腕時計が発光して、そこから徐々に服装が変わって行く。特殊なアーマーのようなスーツが全身を包み込み、彼の顔には両目を隠すレンズ入りのドミノマスクが装着された。その姿は、まるでヒーローのよう……いや、ヒーローそのものではないか。
「うそ……あれって……!?」由紀が仰天した声を上げた。何かに気付いたように、目を見開いている。
その時、慈はふと、以前に由紀から聞かされた話を思い出した。確か昔、ジャスティス・リーグには電撃を操る黒人のメタヒューマンヒーローがいたと言う。由紀曰く、ずっと昔に引退したのか、今ではもう活動している様子も無いらしいが、その勇姿はアメリカの出版社からコミックスとなって発売されている程で、つい先月には彼女が密かに新刊を学校に持ち込んで読んでいたのを没収した覚えがある。そうだ、今の校長の姿は、あの時のコミックスに似ている……。名前はなんだっけ? そう……。
「ブラック、ライトニング……?」
慈達は呆然と、ピアース校長だった男を見詰めた。
ブラックライトニングは唸るような雄叫びを上げて、全身に纏うその稲光を更に激しく輝かせた。迸る電撃が死者の軍勢を打ち倒して焼き焦がし、次々無力化していく。
数分も経てば、目の前には正しく死屍累々の光景が広がるだけとなっていた。
「た、助かった、の……?」
静けさの中、由紀が唖然としながら呟いたのが聞こえ……それを切っ掛けに、慈と生徒達は安堵にへなへなと座り込んだ。
※
そしてそのあと、ブラックライトニングは校内に取り残された人々を助けに向かったんだっけか。慈はピアース校長を見詰めながら思い返した。結果としては、死を待つ者と既に死んだ者以外には、誰一人として残っていなくて、帰ってきた彼は酷く落ち込んでいたのを覚えている。
聞けば、長らく犯罪狩りのヒーローを引退し、普通の人間として生きてきたピアース校長は、戦いの最中においても再びメタヒューマンとしての力を使う事をためらってしまっていたのだと言う。その迷いが、救いを求める大勢をむざむざ死なせてしまったのだと、彼はうなだれながら悔いていた。
確かにあの力があれば、決して全てでは無くとも、もっと多くの人間を救う事が出来ただろう。慈もそう思った。力には責任があって、より良い方向へと使わねばならない義務がある。彼はそれに則るべきだったのかも知れない。だが、世間から奇異の目で見られがちなメタヒューマンが、平穏に暮らしたくて能力を隠す……その思いを咎める気持ちにはなれなかった。それに今は、生き残った慈や生徒達の為にと、強い罪悪感を抱えたままながら、全力を尽くして行動してくれている。物資の確保から、夜な夜な街の見回りに出て生存者の捜索をしたり、時に襲い来る脅威には真っ先に立ち向かってくれて、日々の中で苦悩を抱えた迷える者がいれば導き諭そうと寄り添ってもくれる。砕け散った日常の中でも、守護者だけでなく教師や年長者としての良き姿勢も崩さぬようにしてくれているのだ。そこに感謝と敬意こそ抱けども、どうして非難や否定をぶつけられようか。
「佐倉先生?」
ピアース校長の呼ぶ声に、慈は意識を引き戻した。彼と、彼と共に畑仕事をしていた生徒達が、不思議そうにこちらを見やっている。
「どうかしたのか?」ピアース校長は立ち上がって向き直り、案じるように尋ねた。
「いえ……」慈は首を振る。「ただ、あなたが校長でいてくれて良かったなって」
それは嘘偽りの無い、本心からの言葉だった。
「……そうか」やるせのない声とそれを隠すような笑みを浮かべ、ピアース校長は答えた。「私も、君達を守れたのがせめてもの救いだよ」
疲れた老兵のような眼差しに浮かぶ悲しい色は、手放しには喜んでいない事を示している。だがそれこそが、ピアース校長の持つ優しさと、ヒーローたりえるものを表していた。
彼のようには決してなれないだろう。自分では弱すぎて耐えきれず、押しつぶされるのが目に見えている。だがせめて、それを支えられる程の何かにはなろう。相棒(サイドキック)とまでは行かないまでも、その背を追い、躓き、転びながらも、いずれは共に生徒達や助けを求める誰かを守れるような存在になれれば……。慈は生徒達との畑仕事に戻った彼の後ろ姿を見やりながらそう思った。