DC COMICS × SCHOOL-LIVE   作:グレイソン

3 / 10
3

 

 

「非常事態発生! 繰り返す、非常事態発生! これより本機は緊急着陸を試みる!」

 暗い夜の闇を裂いて、蝙蝠のような容貌をした黒い戦闘機が、煙を上げながらフラフラと飛んでいく。それは正しく墜落と言うべき光景だった。

 市街地は避けなければ。パイロットの男の頭にあるのはそれだけだ。必死に操縦桿を握りながら、ドミノマスクのレンズの下で視線を尖らせ、機体の制御を試みる。

 近くに開けた土地は――あった。都市部に作られたショッピングモール。その駐車場ならば、機を不時着させるに足りるスペースがある。それに今となっては、打ち捨てられた車両と死体はあれど、買い物客など一人も歩いていないだろう。無関係な一般市民に巻き添え被害を食らわすような心配も無い。

 彼は歯を食い縛りながら機首をそちらに向けた。機体の異常を示すコンピュータが、更にけたたましく警告音を鳴らす。高度を上げろ、エンジンが停止しかけている、爆発の危険がある、脱出しろ……。黙っていろ、と男は舌打ちをした。もうどれも聞き飽きた。少しはマシな話が欲しい。

――例えば、そう……この後の負傷率がゼロだとか、そう言うのかな。

 苛立った笑みを漏らした数秒の後、黒い戦闘機は車とアスファルトを巻き上げながら横滑りしつつ、爆煙に近い土埃の中で胴体着陸に成功していた。

「ケイヴ……ウォッチタワー……リーグでもタイタンズでも誰でもいい、救援を求む。現在位置は……正確には不明、とにかく巡ヶ丘市内のショッピングモールに居る」彼は痛みに呻くような荒い呼気のままに、マイクに向けて呼び掛けていた。「応答してくれ。こちらはナイトウィング……ディック・グレイソンだ」

 バットウィングが墜落した理由は単純だった。ナイトウィングは痛む首をほぐしながら思い返した。日本のこの地方都市、巡ヶ丘市に向けて放たれようとしていたミサイル攻撃を食い止めた結果である。

 ランダルコーポレーションが保有する民間船舶に偽装した武装タンカー、それが機密保持の為だろうか、洋上からこの街目掛けてミサイルによる爆撃を画策していたのだ。

 バットマンことブルース・ウェインの指示により、全世界規模で発生しているゾンビパンデミックの原因究明とその治療薬を求めに、ランダル本社研究所を目指していたナイトウィングは、バットケイヴに待機する執事のアルフレッド・ペニーワースとオラクルことバーバラ・ゴードンからその報せを受けると、すぐさま阻止すべく武装タンカーとの交戦に入った。

 結果として、ランダルの船に備えてあった武装を全て破壊し、ミサイル発射も未然に防ぐ事は出来たのだが、バットウィングも装甲のあちこちに機銃の掃射を受けて激しく損傷してしまい、ようやっと飛行するので精一杯となってしまったのだ。お陰で巡ヶ丘市内に到達した所で、この非合法に作られた最新鋭ステルス戦闘機は命を燃やし尽くし、まるで息絶えた鳥のように地に落ちてしまったのだった。

 いや、辿り着けただけマシだったのだろうか。ナイトウィングは皮肉げに苦笑し、溜め息を吐いた。もしもこれがもっと遠くの別の地域であったなら、一体どれだけの距離を歩かされる羽目になったか分からないのだ。今や機能を全て停止したバットウィングは、全地形対応型二輪車バットポッドの射出もままならず、物言わぬ鉄屑と化している。残された移動手段はガス圧式ワイヤーフック射出銃グラップネルガンと、己の持って生まれた肉体のみであった。

 そう、彼はまだ、任務を諦めてはいなかった。この非情の世界に終止符を打つ為に、微かな希望とすら言える可能性に掛けて、己が使命を全うしようと思っていた。

「ブルースとティムの情報を信じよう」暗く光を無くした画面――死せるバットコンピュータを指で小突いてから、自身の装備と息を整え、彼はキャノピーを無理矢理押し開けた。「なんとかして手掛かりか、薬を手に入れるんだ。そうしたら後は帰るだけ。帰りの手段は……それもなんとかしよう」

 空回りする考えを振り払うように目を閉じて、痛む体を伸ばして機外へ出る。マスクに備えられたミラーレンズの向こうで目を開いた時、ナイトウィングは早速新たな問題に直面している事に気付いた。

「そりゃあそうか……あれだけ派手に墜落したんだ、集まってもくるわな」

 機体の周囲を取り囲むようにして、ジリジリと生ける屍達が迫って来ていたのだ。

「参ったな……あんまりいい気分じゃあないんだよな、コイツらを殺し直すのってさ」

 まぁ、タロンのように不死ではないだけマシだろうか。骨を砕けば動かなくなるし、二度目の死をくれてやれば三度目の蘇りはしない。強靭な再生能力や暗殺術を駆使する知能も無い。痛みに怯まない点と大群と戦わされる点は変わらないのが厄介ではあるが、そう考えれば、秘密結社・梟の法廷が送り込む刺客と殺り合うよりは楽なのかも知れない。ナイトウィングは得物のエスクリマスティックを両手に構えながら思った。問題は、変わらない二点が大きすぎる程の脅威である所か。

 この騒がしさはなんだ? 直樹美紀の頭に沸いてくる考えはそれだった。何かが風を裂いてやって来たかと思えば、地上で轟音と共に引っくり返ったような、そんな感じがした。

 隕石か旅客機でも墜ちたか? でもそれにしては被害が少ない気もする。

 布団から飛び起きて抜け出ると、目を擦りながら、深夜の月明かりが射し込む窓へと近寄った。

 バチバチと言った電気のショートするような音に、窓の隙間から入り込んできたであろう焦げ臭い空気が漂っていて、明らかに何か大事が起こった証拠だった。

 窓を開けて覗き込む。羽をもがれたコウモリのような、小型の黒い航空機が、駐車場のあらゆる物を巻き込んで鎮座していた。一目で分かる。煙も音も、全てこれが発生源だ。

 航空機の上に誰かが立っているように見える。目を凝らすと、それは背の高い男のようだった。黒い服に青いラインのような装甲を着けているのか、その部分だけシンボルのように少し目立っていて、妙な光沢がある。彼は体が痛むのか、緩慢な動きで辺りを見回していた。

 美紀は彼に倣うように周囲を見た。すると、どうだろう。この喧しさに誘われてか、わらわらとそこかしこから生ける屍達が姿を現しているではないか。男は戦うつもりなのか身構えているが、そんな悠長にしている場合では到底無いだろう。一刻も早くその場を離れなければ、間に合わなくなる。折角出会えた生存者がむざむざ目の前で惨殺されるなんて嫌な話、堪ったもんじゃない。

 機体の上に屍食鬼がよじ登ったと同時に、男が両手に構えたスティックを振るって戦い始めた。長い手足を伸ばして鞭のように薙ぎ払い、一つ、また一つと、動く死体を叩き伏せ、地獄に突き落とすかのように機上から追い出していく。

 しかし数の暴力と言う言葉があるように、一対多数、多勢に無勢の状況では勝ち目などまるで見込めない。全方位を囲まれている中で、たった一人で奮戦しては、喰い付かれて引き裂かれるのも時間の問題だろう。

「逃げて!」気付いた時には美紀は叫んでいた。「そこの人! 早く逃げてーッ!」

 聞こえないだろうかとか、そんな不安を感じる暇は無かった。ただひたすらに声の限りに叫んだ。さっさと動けノロマ、とまで心の中では思っていた。

 深く吸い込んでしまった煙の臭いにむせ返り、美紀は僅かに目を伏せた。そして薄らと浮かんだ涙を脱ぐって再び視線をやった時、彼女は一瞬首を傾げる事となった。

 彼が振り仰ぐようにこちらを見上げている。声に気付いたのだろうか? では何故片手を掲げている? さよならや無事を示すかのように手を振る訳でもない。真っ直ぐに右手を美紀のほうへと向けているのだ。まるで拳銃でも突き付けるかのように。

 答えはすぐに分かった。彼は確かに銃を構えていたのだ。だがそれは弾丸を放つ普通の拳銃ではなく、フック付きケーブルを放つ特殊なガジェットだったのだ。

 窓の僅かに下の外壁部分に、展開式の鉤爪が深く食らい付いた瞬間、美紀は驚きに後退った。そして、それは正しい反応だった。モーターやリールの回転するような音が次第に近付き、やがて窓枠を乗り越えて、眼下に居た筈の男が部屋へと侵入してきたのだ。

「やぁ、驚かせてしまったかな? すまないね。でも非常事態なんだ、ちょいとばかしお邪魔させてもらうよ。僕にも避難所が必要なもんでね」

 その青い鳥のようなマークを胸に掲げた男は、白いレンズの入ったドミノマスク越しに彼女を見詰めると、息を切らしながらも優しげに微笑んだ。

「おはよう、美紀」ナイトウィングの言葉に、美紀は寝ぼけ眼を擦りながら力無く頷いて返した。

 まさかヒーローと一緒に暮らす事になろうとは。この倉庫のような部屋に閉じ籠ってからは想像だにしなかった出来事だ。

 初めての邂逅の後、美紀は彼と情報交換をした。そして彼が日本に来た理由と目的を知り、この騒動が世界規模である事と、あのジャスティスリーグの力をもってしても対応しきれていない事を知った。

 あのスーパーマンやバットマンが、それにワンダーウーマンやフラッシュ、アクアマン、グリーン・ランタンが揃っていても、太刀打ち出来ていないと言うのだ。世界最強の正義の同盟がいながら、歯が立たないでいるだなんて。

 絶望に駆られそうになった美紀だが、それでもナイトウィングの存在がある種の支えとなって踏み止まれた。彼が求めるものがランダル本社研究所にあるのなら、それを手に入れ、リーグの面々かSTARラボにでも届けられれば、事態も好転する筈だ。

 それに、彼女にとってはもう一つの点でも、彼の存在が希望をもたらしていた。

 自分より先にこの場所から脱出を試みた親友、祠堂圭の行方を追う事が出来る。自分よりも遥かに強い存在が傍に居てくれれば、危険を払いながら進む事だって不可能じゃない。自分一人では出来なかった事だって、力を合わせればこなせる筈だ。

 そして美紀は、ナイトウィングを流石ヒーローだと感じていた。見ず知らずの子供のその我儘を、彼は嫌な顔一つせずに受け入れてくれたのだから。

――助けが必要な人を助けられないのならば、なんの為に十歳の頃からロビンとしてバットマンから学んだのか、そしてどうして今尚このマスクとスーツを身に着けているのか、それが分からなくなってしまうからね。

 そう言って、ナイトウィングは笑っていた。その微笑みに、彼女は信頼や安堵と共に、好感を抱いた。決して美型だったからと言う訳ではない、と自分に言い聞かせるように思ってもいたが。

 得体の知れない存在の筈だが、彼は善人だと、美紀は確信していた。

「予定通りに行けそうかい?」

 ナイトウィングはマスクを外す事無く、部屋の片隅で壁に背を預けて座っていた。流石に正体を明かしてくれる気はないのだ。だがそのマスクが彼を守護者であると示しているように、男女が同室で生活していると言う状況でも、決して不埒な真似は一切しなかったし、年下の彼女に対しても最大限の敬意を払ってくれていた。その紳士的な姿勢にも、彼女は好意を抱けた。

「脱出の時、ですか」美紀は机の傍に纏めた荷物を見てから呟いた。

 二人は初邂逅より数日の準備期間を設けてからここを発つと言う算段を立てていた。既に予めモール内を探索し、脱出ルートと圭の足取りを探ると共に、バックパック一つ分ではあるが携行食や飲料水と言った必要な物資を揃え、物理的な問題はクリアしている。後は精神的な問題だけだ。

「……行けます」確かめるように、彼女は頷いた。先延ばしにし続けていても変わらないのだ。

「分かった。じゃあ、動けるようになったら教えてくれ」ナイトウィングは優しく答え、背を向けて地図を広げた。地理的情報の再確認もだろうが、一番は、着替える必要のある美紀への配慮だろう。仕切りも何もないこの部屋では、そうしてもらわなければ正直困るのだ。何も言わずにやってくれる辺り、やっぱりいい人なんだなぁと感じながら、美紀は手早く支度を済ませた。

「お、落とさないで下さいね?」不安げに美紀が言う。

「絶対大丈夫だよ」ナイトウィングは頷き返してから、動きやすくて丈夫な服装に身を包んだ彼女の体を左腕に抱えた。

 窓から身を乗り出して、右手のグラップネルガンを壁に撃ち込む。ここから階下の駐車場へと降下して敷地を抜けるのが、脱出の第一段階だった。命懸けの探索の結果、絶えず敵の蠢き続けるモールの内部を歩くよりも、開けていて見通しのいい場所を走るほうが遥かに楽だと分かったからだ。圭と言う少女の姿や痕跡がどこにも無い辺り、彼女は余程上手く、或いは運良くやってのけたのだろうが、別の楽な手段を選べるのなら敢えて苦難を選ぶ必要も無いだろう。

「クライムファイターになってもう二十数年、こう言う経験は何度もあるからね」

「それから、その……」美紀がまだ何か言いたそうにしているが、敢えて何も聞かないようにした。大方、自らの汗の匂いだとかを嗅がないでほしいとかそう言う事だろうと察しがついたのだ。いくら体を拭いて着替えたとは言え、密着する形になって年頃の乙女としては気になってしまったのだろう。長い期間まともに入浴出来ていない環境下にあったのだから、仕方のない事なのだが。

「じゃあ、行くよ」早く終わらせてあげないとな。今だけでなく、この状況全てを。ナイトウィングはそう思い、壁を蹴った。

 浮遊感の後、風が吹き付ける感触に包まれる。いつもの感覚だ。微かに聞こえる悲鳴を抑えようとして漏れる声も、よく馴染みがある。ブルードヘイヴンやゴッサムの日常と変わらない。違う空気があるとすれば、それはそこかしこに漂う濃密な血と臓器の腐った臭いか。排気ガスやゴミの臭いとはまた違った悪臭だ。そして残酷な戦場に渦巻く暴力の臭いとも。けれどもそれが、これからの日常になりつつあるのかも知れない。ナイトウィングはマスクの下で眉をひそめた。そうさせてたまるものか。

「着いたよ。歩けるかい?」あっと言う間に彼は地上に降り立つと、声を抑えて美紀に尋ねた。

「は、はい」彼女は小さく頷いた。

「じゃあ、手筈通りに」ナイトウィングは腕の中の彼女を降ろすと、グラップネルガンを腰のバックサイドホルスターに戻し、脚のホルダーからエスクリマスティックを抜いて歩き出した。まず目指すは、バットウィングだ。

 二人は足音を殺しながら素早く接近し、屍の群れをやり過ごしてから、翼の折れた黒い機体へとよじ登った。美紀をキャノピーの後ろに立たせて周囲の監視塔になってもらい、ナイトウィングはモール内で手に入れた空のバックパックに予備のガジェットや装具を出来るだけ詰め込んでいく。特に、ウィングディングスのような単なる投擲武器ではなく、スモークペレットや昏倒ガス、グラップネルガンのタンクなど、容易に替えの効かない物を主として回収しておいた。ケイヴやバンカーに帰れず、各国のウェインテックも機能していない今では、こう言った物の補給はままならないのだ。移動式の簡易倉庫として機能するはずだったバットウィングもこのザマでは、持てるだけの物資を持ち出さなければどこかで息切れを起こしてしまう。

「これで長引いてもなんとかやれるかな」バックパックと共にユーティリティベルトのポーチへも補充しながら、彼は呟いた。「こんなに大量に持つのも久しぶりだってくらいに詰め込んだしね」

「あの、ここはあんまり長引かせてほしくないんですけど」美紀が小さく答えた。「そろそろ行けませんか?」

「ヤバそうかい?」

「はい」

 ナイトウィングはコクピット内を覗いていた顔を上げて美紀を見やり、それから彼女の視線を辿った。

「おっと、こりゃあマズいか」

 確かに、こちらに向かってくる連中が何体か見える。それに釣られてか、周囲の奴らも反応して、ゆらゆらとこちらを目指し始めている。今はまだ少しの余裕があるが、それも本当に少しの余裕しかない。連鎖反応でその内大群になるのも目に見えている。

「よし、行こう」バックパックを担ぎ、キャノピーを閉めてロックして、ナイトウィングは美紀へと手を差し伸べた。彼女も頷いてその手を取った。二人は機体を足早に降りると、迫る死者の群れから逃れるように駐車場の出口へと向かった。

 ひっくり返った車輌の陰に隠れて敵をやり過ごし、どうしても避けられない相手や不意に遭遇してしまった相手だけは、頸骨をへし折ったり、スティックを眼窩から脳に突き立てる形で静かに仕留めて、ナイトウィングは美紀を連れて確実に前進した。幸いにも、姿を隠したままで戦い、窮地を切り抜けるのには慣れている。潜入し偵察する事も、無力な存在を敵地から救出する事も、不意打ちも闇討ちも、バットファミリーには欠かせないテクニックなのだ。それを休む事無く常に発揮し続けるだけの話だ。非常に疲れる話だが、気を抜けば死ぬか、もしくは死なせるだけだ。

 息を殺して、気配を殺して、動き続ける死体を殺して、そうして高まる緊張感の中で時間の感覚が狂ってしまい、酷く長い間さまよっていたような気がし始めた頃、二人はようやく敷地を抜ける事に成功した。

「やった……!」美紀が思わずと言った感じに安堵の声を漏らした。そして慌てて口をつぐむ。仕方の無い事だが、反省の余地はあるかも知れない。

「気を抜くなよ」ナイトウィングは笑みを絶やさないままで首を振った。「まだ道路に出ただけなんだからな」

 その言葉の通りに、商店ビルの立ち並ぶその一帯には、駐車場と変わらぬ程に死体の群れが蠢いている。ただ場所が移り変わっただけでしかないのだ。

「はぐれないようにね」ナイトウィングは美紀の手を取った。多少強引だが、命を落とすよりかは増しだろう。美紀も文句は無いようで、何も言わなかった。

「じゃあ、行くよ」

 二人は闇に潜む影の存在のように、全ての気配を殺して、身を潜めて、歩を進めた。

 見付かれば命は無い、そんな恐怖が渦巻く世界に迷い込んでしまった愚かで哀れな異邦人が僕らだ、とナイトウィングは皮肉げに笑った。ちょっと前まで、世界を支配していたのは生きているこちらだったのに。

「取り戻さないとな」

「え?」

「世界をさ」

 ナイトウィングは噛み締めるように言った。たとえ今は絶望的でも、足掻かなければ。

「出来るんでしょうかね……」美紀の掠れるような小さな声に、ナイトウィングは何も答えられなかった。彼女の不安は、彼のものでもあったからだ。自信など、欠片も無い。

「この前の音、なんだったんだろうな」生徒会室の窓から外を見やりながら、恵飛須沢胡桃が呟いた。

「雷じゃなかったみたいだしね」丈槍由紀が答える。「結局雨も降らなかったし」

 そう、あの日の空に雲は無かった。ジェファーソン・ピアースは眉を顰めながら思った。そして彼もまた、窓から外を見やる。晴天とは言い難いが、曇天でもない。いつもの秋空で、寒々しい気配の中に生臭い死の臭いが漂っている。いくら気候が変わりやすいと言われる季節だとは言え、とても突然雷鳴が轟くようには思えないし、現にあの時以降、同じような現象が起きた事も無い。

「校長は爆発みたいな音だって言ってたっけ?」

「うむ……」

 胡桃の問いに、ジェファーソンは小さく頷いた。

 数日前の夜中、稲妻のように空の彼方から響く音があった。断末魔の悲鳴にも似たようなその音色には、微かな爆発も混じっているようにも思えた。クライムファイター・ブラックライトニングであるジェファーソンはその爆音を受けて、何かしらの敵襲か事故かと飛び起き、狼狽える生徒達を守る為に臨戦態勢に入ったのだが、結局それから異常が見られる事も無く、ただただ警戒の中で時が過ぎ、気が付けばあっという間に数日が経っていた。

「矢張りあの時すぐに確認しに行くべきだったのだろうか」ジェファーソンは思わず言った。「飛べば何かしらの情報くらい掴めたろうに」

「仕方ありませんよ、皆怯えてましたから」佐倉慈がおずおずと返す。「……私もでしたけど」

 そう、流石に恐れおののく彼女らを放って置く事は出来なかったのだ。教師としてだけでなく親でもある彼にはそう思えた。守護者として、自らよりも年若い存在が震えているのを黙って見過ごす事は出来ない。そばに居る事で安心感を与えられるのならば、そうすべきだと考えたのだ。

 それに、もしも注意を引き付けておく為の策略であったのなら? ノコノコ出て行って手間取らされてしまっては、残された彼女達が危険だ。ジェファーソンのヒーローである部分はそう言っていた。不審な音をデコイとしておびき寄せるだなんて戦法は、どこの世界でも常套手段である。何もバットマンやグリーンアローの専売特許ではない。

「こうなる前なら、ネットですぐに分かるような事だったんですけどね」物資の帳簿を確認しながら、若狭悠里が言った。「今は調べようにも手段がありませんし」

「まぁそもそも回線生きてても、誰も書き込まないなら意味無いしな」胡桃が苦笑する。「こんな状況で、悠長に呟きだのなんだのとやってられる余裕のある奴なんて、そうそう居ないだろ」

「そうだな」ジェファーソンも頷いた。「私も以前はそう言ったものを頼りに情報を得ていたもんだが……まぁ使えない今となっては、中々に動き辛いものだよ」

 現状出来る事は、精々で音の方角からおおよその位置を推測し、謎の存在が居るとして危険度を地図に書き込む程度だ。飛行能力を使って学校付近の一帯で生存者を捜索して回った際に、ジェファーソンは平行して危険度マップを作成してもいた。それに情報を追記すれば丁度いいだろうと、彼は思った。

 なお、付近の住宅街で新たな生存者を発見出来なかった時点で、周辺の危険度はジェファーソンが考えていたよりも遥かに高かった。悠里や由紀に頼まれて、学校の敷地から数ブロック先の若狭家や丈槍家へと赴いた時も、幸か不幸か彼女らの家族と思しき特徴のある存在は見当たらなかったにせよ、家屋はガラスが破られ、内部には野盗の如く居座っている死者の群れがうろついていた。捜索中に激しい戦闘を繰り広げる羽目になったので、もし迂闊に彼女達を連れて屋内に踏み込んでいたなら、何が起きていたか分からなかっただろう。全身からエネルギーを発して飛ぶ都合上、抱えて連れて行く事も出来ないので、校舎に待機させておいた訳だが、それで正解だったと胸を撫で下ろしたのを覚えている。

 因みに一人暮らしの佐倉家はともかく、恵飛須沢家に関しては、位置が都市部寄りの住宅街になる為、地域が離れていてまだ確認出来ていない。だがなんの偶然か、あの時耳にした音の方角も似通っていた事を思い出すと、気軽に足を踏み入れるべきではないのかも知れないとジェファーソンは思った。敵地の上に、未知の脅威が近くに存在しているかも知れないのだ。周到に用意してから向かうべきだろう。

「もうしばらくは様子を見たほうがいいのかも知れないな」ジェファーソンは呟くように言った。「それから、どう動くかを決めよう」

「でも、もう何日も経ってるよね」指折り数えながら、由紀が言った。「様子見るって言っても、こんなに時間が空いてたら充分な気もするよ? そろそろ確認しに行ってもいいんじゃない?」

「しかし、デコイの可能性が無い訳でもないんだぞ?」ジェファーソンは渋るように答える。「自然発生的な音には感じられないとなると、人為的なものも考慮しなければならない訳だし、となると罠の可能性も含めておかねばならない。もしその通りであったなら、対策を立てておかねば、我々は……」

「仮に囮だったとしても、もう待ち伏せてる事も無いかも知れませんよ」ふと、慈が答えた。「アレだけ大きな音を立てたんですから、色んなモノを引き寄せた筈です。それなのに同じ場所に留まってるものでしょうか?」

「確かにな」胡桃が頷く。「反応するのは、下をうろついてる奴らだって同じだし」

「前の調査の結果からすると、視覚よりも嗅覚や聴覚で反応している節もありますしね」悠里が思い返すように続ける。「そうなると、そこに居た誰かさんは追われているかも」

 ふむ、とジェファーソンも頷いた。その可能性は多いにある。ゾンビ達はよくある映画のように、音や臭いを感じ取るかのように人間の存在を見付け、喰らいつこうと迫ってくる事がある。なので、巨大な音は奴らを集めるにも有効な手段だと言えた。ついつい守護者として立つ余りに、保守的な考え方に偏り過ぎていたのかも知れない。ジェファーソンはふと思った。

「ねぇ、もし罠じゃなくて事故とかだったらさ」由紀が言った。「その誰かは襲われてるかも知れないんだよね?」

「まぁ、そうなるわね」悠里が頷いた。

「じゃあ、助けに行かないとじゃない?」由紀は全員を見回して問い掛けた。「わたし達はブラックライトニングに助けてもらえたけれど、それで終わって満足してたら、ただのヤな奴だよ。助かったのなら、次は助けを求めてる誰かを助けに行かなきゃ」

「由紀ちゃん……」慈が感心するように呟く。

 ほぉ、とジェファーソンは思った。彼女には矢張りどこか素質があるようだ。力さえ備われば、そして正しく扱える心を確立出来れば、もしかしたらいずれは……。

「ただのヒーローコミック好きじゃなかったのね」

「あ、なんかヒドいよめぐねえ!」

 嬉しそうに漏らした慈の言葉にムスッとした顔で返す由紀を見やりながら、ジェファーソンは少し思案し、それから口を開いた。

「ではその二つの可能性を考慮して、偵察しに行く方向で考えようか」

「ホント? ありがと、校長!」由紀が笑顔で返した。

「とは言え、そうなると結構な範囲を調べる事になりそうですね」悠里が机の上に地図を広げながら言った。「音の方角って覚えてます?」

「都市部、繁華街のほうだったな。距離までは分からないが……」ジェファーソンは大まかに地図上の地区を示す。「この商店街の方向だろうか」

「少しは絞れたにせよ、やっぱりかなりの規模ですね。飛び続けるにも、パワーだって限界ありますし」

 そうだ、ブラックライトニングの持つメタヒューマンパワーは、老化による肉体の衰えの影響か、正しく充電切れを起こす。決して無尽蔵ではないのだ。航続距離を鑑みても、校舎から飛び立って繁華街に辿り着く頃には、もうヘトヘトになって電撃の投射など欠片しか放てないだろう。それではどうしようもない。

「途中で休息を挟む形で数日掛けて行けば、と言った所か。しかし、この案は余り得策ではないな。ここの守りが長期に渡って薄くなるのは見過ごせない」

「もし雨の日が来て、大群がなだれ込んできたら……流石にあたし一人じゃ持ち堪えらんねぇよ」胡桃が苦笑いしながらも、シャベルを握り締める。「皆総出でバリケードに張り付いて、校長も死に物狂いで戦ってようやく乗り越えられた訳だしさぁ」

「天気予報なんてのも、当然無い訳ですからね」慈が遣る瀬無く言った。「これもネット頼りでしたし」

 さて、どうするか。そう言うかのように唸り声が重なった。

「みんなで行くのはどうかな?」由紀が言った。「残ってる車を使えば、皆で移動できるよね? それに、大っきい奴ならついでに物だって乗せられるし……」

 彼女は地図の下敷きにされていた帳簿を引っ張り出して示した。いくつかの食品や日用品が不足している事が記されている。特に、女性特有の悩みである生理用品や、破損や消耗の激しい靴と衣類が目立つ。もっと言えば、成人である慈とジェファーソンの体格に合った衣類が足りていない。実の所、そろそろどうにかして調達しなけれなならない、そう話し合っていた頃合いでもあったのだ。

 購買の倉庫には生徒用の制服とジャージの予備、地下の備蓄には医薬品と共に少量の生理用品が見つかってはいるが、当然長期籠城を敢行するには充分ではない。衣類にしたってサイズの問題を上げれば、二メートル弱もある筋骨隆々とした男性向けの物は勿論無い。僅かに窮屈ながらジャージに身を包む事が出来る慈はともかくとしても、二つのスーツを着回し続けているジェファーソンはなんとも居心地が悪かった。

「それでパワーを温存しながら必要な物をもらっていけば、ちょうどよくない?」

「ふむ、確かに都合はいいか」

「えぇ、由紀ちゃん。いい案かも」慈が頷く。

「使える車ってどれくらいあるのかしら」悠里がふと言った。「鍵が無いと動かせない訳だし」

 校内にあった遺体はみな、グラウンドの隅に寄せて焼いてあるのだ。そこにはジェファーソンと慈以外の、襲撃から生き残れなかった教職員達も含まれている。彼らの懐からキーを引っ張り出しても、使える可能性は低いだろう。

「スクールバスでもあれば良かったのだがな、我が校にはその制度は無かったしな」

「そう言えば遠征用のバスもその都度借りてましたね」慈が思い返すように言う。「買うくらいの予算はあったと思うんですけど」

「まぁ無い物をとやかく言っても仕方無いって。となると確実なのはめぐねえと校長の奴だな」胡桃が返し、続けて尋ねる。「めぐねえのはミニだったよな? 確かBMWになってからの」

「そうよ、よく知ってるわね」慈が答える。

「ゲームに出てて、パパ……お父さんが教えてくれたんだ」

「私のは四人乗りだし、微妙な大きさだから、全員で乗るのはちょっと難しいかも」慈はチラリとジェファーソンを見てから言った。当然彼の体格を収めたら窮屈なんてものでは済まない。

「校長のは分かんないな。あの黒いデッカイ奴……」

「シボレーのタホと言う車だ」ジェファーソンは答えた。「本当は昔使っていたボルボを買い直そうと思っていたんだが、ウェイン財団の友人が引越し祝いにプレゼントしてくれてな」

「あれなら全員乗っても余裕ありそうだよな?」

「あぁ、本国ではSWATの連中が乗るくらいなんだ。問題無いさ」ジェファーソンは苦笑して続けた。「まぁただ、ちょっと道幅が狭いとな……」

「そこら辺は迂回路を探して行けばいいだろ。どうせ乗り捨てられた車だってある訳だし、一本道じゃ無理だよ」

「ふむ、あまり保守的になりすぎても仕方がないしな……。取り敢えずはその流れで行ってみるか」ジェファーソンがそう言うと、全員が同意するように頷き返した。

「物資の準備と大凡のルート選定が必要ですね」

「皆で手分けしてやりましょう」

 慈の言葉に悠里が答え、目下の行動方針は決まった。ジェファーソンは自身の知り得る情報をより正確に書き込もうとマップを見やった。

「なんだか遠足みたいだね。バス遠足のちっちゃいやつ、みたいな」由紀が無邪気な声で言った。「部活だったら……遠征、かな?」

「オイオイ気を……」気を抜きすぎるな、と言いかけて、ジェファーソンは思い止まった。こう見えて、陰鬱とする毎日に必死で耐えている子なのだ。そんな相手に対してキツく言っても、逆に追い込むだけかも知れない。明るくなって少しは気が軽くなれるのなら、もっと優しい言葉を掛けてやるべきだろう。

「いや、まぁそうだな……そこらへピクニックにでも行くと思えばいいさ」

「そっかぁ、ちょっと楽しみかも」期待に笑みを溢しながら、由紀は呟いた。

「油断は禁物ですからね、二人とも」慈が真面目な口調で言う。「遊びに行く訳じゃないんですから」

「あ、あぁ……」至極尤もなのだが、台無しになってしまったな、とジェファーソンは思った。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。