DC COMICS × SCHOOL-LIVE   作:グレイソン

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 宵闇と見紛う曇天の下を、ナイトウィングと直樹美紀の二人――即席のダイナミックデュオは進んでいる。

 モールを抜け出して、一体どれくらいの時間が経ったのだろうか。日差しでは測れなくて、体感が狂ってしまいそうだ。だが、それでも確実に前には進んでいる。振り向いて、ビルの谷間に霞んで見えるモールの外壁を見やり、美紀は思った。

 もうあんなに遠い。出る事は叶わないと思っていたあの建物を、こうして遠景から眺める事が出来るなんて。思わず感慨深くなって、溜め息が出てしまう。

 そしてそれは同時に、少なくとも暫定的な目的地には近付いていると言う事も示していた。

 二人が目指すひとまずのゴールは、最寄りの駅だった。

 提案したのはナイトウィングだ。美紀から情報をもらいつつ、地図で周辺の地理を確認し、先にモールからの脱出を果たした彼女の親友――祠堂圭の行方を推測したのだ。前を行くナイトウィングの背中を見詰め、美紀は彼の述べた理由を思い返した。

 危険の渦巻く中で当て所もなく彷徨うとは考えにくい。自宅のある住宅街や、災害時の避難先となっている母校・巡ヶ丘高校のほうを目指したと見るのが妥当だろう。その上で、方角的にも同じ向きにあり、モールから程近い大型の施設で、利用経験もある駅ならば、道中の休息や補給、はたまた襲撃に遭った際に逃げ込む場所として思い付く確率が高い。

 ゾンビ映画のセオリー的には、大型施設はモール然り、危険性が高まるものだが、しかし圭は余りその手に馴染みが無かった事を考えると、更に確率は高まるだろうと美紀は思った。

 そう、全ては可能性の話でしかないのだ。だが確証は無くとも、覗きに行かぬ理由も無いだろう。

 でもそれまでの間で、どこかにいてくれれば楽なんだけど。美紀はナイトウィングの背中から辺りへ視線を移し、思った。早く合流出来るに越した事は無い。

 商店通りの車道の真ん中を、彼女達は歩いている。道の左右には、乾いた血飛沫に染め上げられたショウウィンドウや、車が突っ込んで壁が崩れ落ちている建物が並び、辺りに渦巻く微かな焦げ臭さと真っ黒な炭の欠片達が、かつては火の手も上がっていたであろう事を物語っている。荒廃してしまった悲惨な世界を体現しているこの一帯の、どこか片隅に彼女が隠れている可能性も、当然捨てきれはしないのだ。

 だが、その一つ一つを見て回るには危険が多すぎる。そうナイトウィングが判断し、美紀も納得していた。何故なら、今も放置された車輌の脇や暗く沈んだ商店の奥から死体がムクリと起き上がり、割れたガラスやアスファルトを踏み越えてこちらに迫ろうとしているからだ。皆一様にして彼女達を睨み付けるように顔を向け、血肉がこびり付いて腐りきった色をした歯牙を剥き出しにして、今すぐにでも掴み掛からんと両手を――千切れ飛んで無くしてしまっている個体は残された片手を――突き出している。もしも一度でもその手の内に捕らわれてしまえば、死の檻から逃げ出す事はほぼ不可能となるだろう。それは、犯罪狩人・クライムファイターであるナイトウィングの戦闘力を持ってしても、変わる事はない。

 危険な連中の闊歩する建物内部をしらみつぶしに掃討して回るには、装備にも体力にも余裕が無いのだと、ナイトウィングは言っていた。クリプトン人でもアトランティス人でもメタヒューマンでもグリーン・ランタンコァの隊員でもなく、鍛えただけの単なる地球人の男性である彼には、痛みも疲れも恐れも知らない化け物どもと四六時中の戦いを繰り広げ続けられるような無尽蔵な能力など、一つも無いのだ。息を切らし、痛みを感じて動きも鈍れば、死に対して恐れを抱いて狼狽える事もある。果たさねばならない目的がある以上は、不安要素は極力避けねばならない。

 なので二人は、交戦規定とまでは行かないものの、ナイトウィングがバットマン仕込みの探偵術と、ドミノマスクに内蔵されている捜査モードとやらのスキャンで、それらしき手掛かりを見付けられた場所に入る、と言った行動方針を取り決め、極力それを守るようにしていた。現に今も、辺りを見回す彼の横顔を見ると、マスクの白いレンズが薄らと青い光を帯びているのが分かった。これが捜査モードとやらの起動している証なのだろう。

「どうですか?」美紀は小声で尋ねた。「何か手掛かりは?」

「少なくとも、この周辺にはいないだろうな」ナイトウィングはエスクリマティックを掴んだ手の指先でマスクのサイドをいじりながら、静かに答えた。「時間が経って痕跡が掠れてしまっているからアレなんだけど、それらしい足跡が逃げ込んでる様子は、見える範囲には無いしね」

「そうですか……」分かってはいたが、それでも少し落胆してしまい、美紀は肩を落とす。映画やゲームでは無いのだから、そう簡単には上手くいかないものだ。

「もっとスキャンに時間を掛ければ、より正確な事も分かるけどね」ナイトウィングは瞳の光を消しながら言った。「そう許してはくれないんだろう?」

 その問い掛けは美紀へのもののようであり、そうではないようでもあった。

 ナイトウィングが無言で辺りを示すようにしたので、美紀はふと気付く。

 確かに、呻き声の数が増えている気がする。そしてそれは正しかった。

 目を醒ました死人が起き上がり、歩き出し、それが伝播して群れをなそうとしている。死んでいるくせに動いている為か、殺気だとか敵意と言った気配の類を感じさせないので、放って置くといつの間にか大軍勢と化しかねないのだ。

「行こう」ナイトウィングが優しく美紀の手を掴み、少し速度を速めて進み始めた。導かれて美紀も足を早める。

 グラップネルガンを使えば一瞬で撒けるだろう。だが、限りあるガスを無駄遣いしない為にも、歩ける所は自分の足で稼がなくてはならない。そして、今はまだ歩いていける。二人は進む事に集中した。

 時折遭遇する、徘徊する死体達の目を潜り、車両や瓦礫の物陰に潜み、止むを得ない場合においては手早く打ち倒して前進し、やがて息が切れかけた頃合いで、二人は死の群れから大きく距離を離す事に成功した。

 速度を落として歩きながら、美紀が背後を見やると、遠い彼方で豆粒のようになった生ける屍達が、通りに出たまま当て所もなくその辺りをうろついていた。全員ではないが、大半が見失ってくれたのだとすぐに分かった。それに未だ追い掛けてくる様子を見せている僅かな連中も、昨今――と言えるような世界ではなくなったから、少し前の、だろうか――の映画と違って走れはしないから、こちらが可能なだけ速度を上げればそう簡単には追い付かれる事はないだろう。疲れや痛みを知らない相手だから、油断は禁物ではあるが、一先ずは安心していいかも知れない。

「あぁ……モービルが恋しいよ。静かに走れるしキャノンもあるし、装甲だってついてる」歩みを止めぬままに遥か後方を一瞥して、ナイトウィングが冗談めかしながらもやれやれと首を振る。「囲まれるくらい、電気ショックで平気で蹴散らして行けるのにさ」

「そこら辺の車って直せないんですか?」美紀は、ガードレールをぶち破って壁に突き刺さったままの車輌を眺めて言った。車の知識はまるで無いので、どんな状態までなら直せるのかは知らないが、使えるのならそれに越した事はない。

「安全なら出来たかもね」ナイトウィングは苦笑混じりに答えた。「一応僕も昔はモービル作った事があるんだよ。でも結構手間が掛かったから、こんな場所じゃあね」

 それに、と彼は続ける。

「普通のだと音がね。あと、走破性と耐久性も。いや、静かなミサイル扱いされてる車もあるけど、突っ込んで自爆するなんてのは勘弁さねな」

 皮肉るような物言いに笑いどころがあるのかはよく分からなかったが、美紀も別に死にたい訳ではないので、頷いておいた。生きる為の逃避行であって、捨て鉢になって彷徨っている訳ではないのだから。

「でもそのアイデア、いい切っ掛けにはなったな」ナイトウィングは笑みを消して呟いた。「捜査モードに感知有りだ」

「何がですか?」美紀は尋ね返す。「もしかして、圭の?」

「いや、残念だけど違う。……見ろ、あの車」ナイトウィングは、向かう道の先に捨て置かれたままの乗用車を指差した。他に比べて比較的状態が綺麗で、まだ走れそうな見た目をしている。彼はその後部を示していた。「給油口がこじ開けられてる」

「え? それが一体……」美紀はそう言ってから、ハタと気付いた。「いえ、それって……『人が居た』って事ですよね?」

「或いは『居る』かだな」ナイトウィングは周辺を見回しつつ答えた。

 動く死体には知能が殆ど残されていない。原始的に掴んで振り回す事は行えても、道具の機能を使ったり、仕組みを作動させたりは出来ない。そしてそう言った考えが無いので、力づくの方法でも捻った手段は取れないのだ。

 車輌の給油口は、何かの硬く鋭い道具を無理矢理差し込まれて、梃子の原理で開けられたように歪み、傷が付いている。こんな考えに至れるのは、生きた人間に他ならない。

「生存者が居る……」

 美紀の胸に、少し嬉しい気持ちや、希望のようなものが湧いてくる気がした。

 文明が息絶えたかのように思えるこの世界でも、人間は死んでいくばかりではない。生き残って、生き続けている人だっている。例えスーパーパワーを持つメタヒューマンやエイリアンではなかったとしても、だ。ただの人間の力だって、決して弱くはないのだ。だから、きっと圭も何処かに……。

「遠くにも、同じように幾つか開けられてるのが見えるな」ナイトウィングはマスクをイジって、それから最初に示した乗用車を見詰めた。「足跡の反応は結構新しい……一、二時間程前のものか。キャップはストラップが切れた状態で、遠くに転がっている。まだ揮発の反応が見えるから全部抜き出した訳じゃあない。燃料確保の為にやって来たんだろうが、千切って捨てたのは、余程急いでいたか、慌てていたか……」

「あの歩く死体達に襲われたから、とか?」美紀は尋ねたが、内心では、大体これしか無いだろう、と思っていた。

 地球人類の生存競争と共存の相手は、動植物だけでなく、新人類であるメタヒューマンや、異星人、異次元人、異世界から来た機械生命体等と多岐にわたるが、一貫して敵として見るべきなのが、この死から目覚めた動く屍達だ。理性も知性も持たず、和解の可能性など欠片もなく、食欲かも分からぬ貪欲さでただただ人を喰い殺し回る。人類共通の害とも言えるそんな化け物ども以外に、今のこの世界で人を恐怖に陥れる存在など、すぐには思い浮かばなかった。

 だが、ナイトウィングは美紀の言葉をすぐに肯定はしなかった。ふむ、と唸ってから、彼は言った。

「確かに、今ではそれが普通の考えかも知れない。……けど、もしそれ以外の答えが正解だったとしたら」

「え?」

「危険な相手がモンスターだけとは限らないのが、今までの普通だった訳だ。言わば今の普通は、怪物の種別に新たな一つが加わっただけに過ぎない。これまでの僕らの敵である悪意を持つ者達だって、変わらずに存在している」

「まさか、そんな……」美紀は自分が引き攣った笑みを浮かべている事に気付いた。「生きた人同士で? こんな状況なのに?」

 そんなのは信じられなかった。

 確かに、パニックを描くホラー映画にはそう言った輩が多く見られる。野盗に身を落して善なる者を傷付け生きる、怪物と変わらぬ者達が。

 だが、あれは所詮フィクションであって、この世界は現実なのだ。そんな馬鹿な連中が出るだなんて信じたくなかった。如何な悪人とは言え、共通の脅威には団結するだけの知恵や理性がある筈だ。例えその理由が善性からでなく、単なる利害の一致だけだったとしても、この危機の間は手を取り合う形にはなれる。彼女はそう思っていた。

「B級映画のチンピラじゃないんですよ……? 生きた人間なんですよ……?」

「まぁ、分からないよ」ナイトウィングは穏やかに答えた。だが、それは彼がそう努めていたのだと、美紀には分かった。ナイトウィングは同じ調子で続けた。「でも、想定はしておこう」

 彼の視線と全身から、より一層の警戒の色が醸し出されたのを、美紀は感じ取った。人々を救う守護騎士としてとはまた別に、犯罪狩りの戦士――クライムファイターとしてのナイトウィングが目を醒ましつつあるのだ。白いレンズの向こうで、より一層彼の視線が険しくなったように感じる。その目は鋭く、素早く、辺りへと走らされていた。

「悪い癖だな、なんでもかんでも悪党や犯罪に結び付けてしまうだなんて。恨むぞ、バットマン」口ではそう言うが、それが本心ではないと分かるように、口調は冗談めかされている。そこに頼り甲斐や安心感も抱けるが、同時に剣呑さを感じて怖くもなる。美紀はそう感じていた。それは彼が、闇の騎士の弟子だったからなのだろうか。恐怖を武器に、悪と戦う者達の一員だからなのだろうか。

「なるべく早くここら一帯から離れて、身を隠せる安全な場所を確保しよう」ナイトウィングが視線をこちらにくれながら言った。「出来れば、夜が来る前にね」

「はい」美紀も異論は無かった。白い瞳に向けて頷き返し、二人は再び足早に進んだ。

 

 六七年式シボレー・インパラとはいい趣味をしていたんだな、とジェファーソン・ピアースはタホの運転席から外を見ながら思った。こんな時でもなければ、今頃はオーナーの手で綺麗に洗車されていただろうに。今ではその黒く大柄な車体は、風に流されてきたであろう煤と埃と血にまみれて、汚れたままにマンションの駐車場に鎮座している。外装のどこにも傷が付いていないので壊れてはいないだろうが、至極勿体無いと言わざるを得なかった。だが、乗り手がいないのでは仕方がない。

 学校を出た彼らはタホで車中泊をしながら、都市部近郊にある商店通りのほうへと向かっている所だった。助手席に交代要員兼ナビゲーターとしての佐倉慈、後部座席中列に若狭悠里と恵飛須沢胡桃、最後列に丈槍由紀を乗せ、ジェファーソンは放置車両と瓦礫の散らばる通りを慎重に抜けていた。譲渡前に本国ウェインテックが、それもあの応用科学部門が整備を担当してくれたお陰で、かなり頑丈な性能をしているので、必要があれば放置車両や簡単な障害物程度なら押し退けて通る事も出来るのだが、それでも万が一にでも車輌が動かなくなってしまえば全員の命が危険に晒される。それは避けねばならない。故に、走行速度は平時よりも遥かに遅く、何度もリルートを繰り返しながらのゆっくりとした旅路となっていた。

「インパラだ、懐かしいな」後部座席の胡桃が言った。他の面子が体力温存に眠っている中、目を覚ましてしまって手持ち無沙汰にでもなったのだろうか。ゆっくりと進むタホに合わせてゆっくりと流れる景色を、彼女もまた眺めていたようだ。

「懐かしいって、またゲームかね?」

「いや、ドラマだよ。アメリカの」胡桃は苦笑い混じりに答えた。「兄弟が悪魔とか魔物を狩る奴」

「あぁ、アレか」

「パパ……お父さんが好きだったから、一緒に見てたんだ。将来はおんなじ車に乗りたいって言ってて、それでアタシも覚えて……」

「そうか、それはいい趣味だな」

 ジェファーソンは笑って返したが、胡桃はすぐに答えなかった。やや間を開けて、小さな声を漏らす。

「パパ、ママ……生きてるよね」

 ふと、寂しくなってしまったのだろう。きっとそれは、ここにいる誰もが同じ思いを抱いている筈だ、とジェファーソンは思った。

 由紀と悠里は以前に、自宅にまで家族の安否を確かめに行きたいと言った事がある。子供達の前では指導者として振る舞おうとしている慈も、陰では繋がらなくなった携帯電話を見詰めて、離れた地に暮らす両親の身を案じている。行方や生死を知る術を無くした今、家族の無事は心底気掛かりなのだ。ただ、それ以上に自分達の毎日を生きるのが精一杯で、誰もがそこにまで力を割けないと言う非情な現実がある。たまたま校舎から近い住宅地に住んでいた由紀と悠里の家は、ブラックライトニングの飛行能力を使えばなんとか辿り着ける距離にあっただけで、結局生死や行方自体は分からず、その後の捜索にまでは全く手が回っていない。

 胡桃もそうした事情を理解しているので、想いを胸の内に堪えて押し留めているのだ。それは傍から見ていても明白だとジェファーソンは思った。そして今、意図せずにふと漏れてしまっているのだろう。

――家族、か。

 ジェファーソンは、大丈夫だと勇気付けてやりたくなったが、言葉が出ずに、苦しげに眉をひそめた。そんな無責任な台詞を聞いたら、彼だったら胸倉を引っ掴んで張り倒してしまいかねない。何故なら、彼もまた家族の無事を知る術を無くした者だからだ。

 きっと無事だろうと信じ、意図して目を向けないようにしていたのだ。二人の娘はもう立派なヒーローになった。バットマンやスーパーマンを通じて他のチームとも関わりを持ち、経験を積み、実力を高め、フリーランドを守り抜けるだけの存在となった。だから、この災禍もきっと大丈夫だ。多くの人を助け、また助けられながら、乗り越えてくれるに違いない。

 そう思う度に、脳裏には危機に陥る姿が浮かび上がり、命を落とす最悪の未来を想像してしまう。今すぐにでも空を飛ぶか、ウォッチタワーのシステムでワープでもして、助けに行きたい。そう考えてしまうのだ。

 だが出来ない。能力的にもウォッチタワーの設備的にも不可能なのもあるが、何より彼には、今守らねばならない存在がいるのだ。放り出して行く訳にはいかない。

――すまない。

 家族に、そして背後の胡桃や、他の面々に向けてそう思い、静かにジェファーソンは堪えた。歯を食い縛り、視線を険しく尖らせながら、今やるべき事に集中するように、前を見た。

 

「で、その戦闘機ってのはどこだよ?」髭面の男は、抱えた携行缶からシルバーのハッチバックに給油しながら、仲間達に尋ねた。「マジであんのか?」

「こっちのほうに落ちたと思うんだけどよ」ニット帽を被った男が、地図を見ながら答えた。「でも、こまけぇトコまではなぁ」

「まぁいいさ、給油が済んだらそこらを周ってみりゃーよ」禿頭が目立つ別の男が、物資を積載しながら言った。「せっかく新しい足も手に入った事だしよ、使い心地を楽しまねぇとな」

「それもそうだな」髭面の男も頷いた。

 静かで暗い裏通りの一画に彼らはいる。雑居ビルの狭間の道で、晴れた日ですら影が濃くて陰気な場所だ。今はまるで夜のように沈んでいる。

 汚れと傷にまみれた乗用車の傍らに蠢いている彼らの他には、ここには誰もいない。奇跡的にも、歩く死体ですら。人喰いの怪物は皆、獲物の気配をより感じられる事が多い表通りに近付いて、うろついているか、倒れているのだ。彼らのいるような奥まった場所には、敢えて誘い込みでもしない限りは、姿を現す事は無かった。

 その足元には、全身傷だらけで息絶えた男性の骸が一つ、転がされている。胸から腹へと滅多刺しにされ、手足を折られ、何度も殴打されたであろう顔面は骨も肉も潰れて原型を留めていない。だが、ほんの少し前まで生きていた事を表すように、傷口からはまだとめどなく血が溢れ出ていた。空になった財布やらバックパックやらが傍らに捨て置かれ、その死体はいたぶられただけでなく、略奪を受けた被害者のものであると一目で分かる。そして、それは紛れもなく髭面の男達の犯行だった。

 彼らは、表通りで燃料を物色していたこの男性を見掛けるや否や強襲して、敢えて逃げ帰れる程度に痛め付け、車輌の場所まで追跡すると、それから無惨に殺害して物資を全て手中に収めたのだ。

 この行いにはもう慣れたものだった。今の非情の世界を生き抜く上においては、他人を食い尽くして捨てるだけの外道になったほうが都合がいいし、より馴染める。むしろ、警察や司法が機能していない上にクライムファイターやスーパーヒーローも手一杯なので止める存在もおらず、無敵感から快楽すら感じ始めているくらいだった。もしもこの先事態の解決に行き着いて、余裕を取り戻した警察やヒーロー達が一斉に鎮圧を完遂し、復興が始まれば、これはもう味わえなくなる。それが不安で堪らない。そんな恐怖を紛らわせるように、同じ生存者と見るや凄惨な暴力を以て略奪や殺戮を繰り広げる。それが彼らの、この世界での生き方であった。

「よーし、全部入った。オイどうだ、荷物のほうは?」髭面が問うと、バックドアを閉めて禿頭がサムズアップを返した。仕留めた獲物が集めていた食料や医薬品と言った類は全て積み込めたようだ。

「墜落地点は?」

「見当もつかんて。取り敢えず動くしかねぇべ」ニット帽の男が降参と言わんばかりにヒラヒラと手を振る。「ガソリン入れたし行けんだろ?」

「満タンじゃねぇけどな」

「無くなってもまたどっかで奪い盗りゃいいって」禿頭がさっさと後部座席に乗り込んだ。「次の獲物探しに行こうぜ」

 血の気の多さを表すように、赤色のこびり着いた剣鉈を腰の鞘から抜き出して撫で回し、ニヤニヤと笑う。

「ケッ、イカれ野郎がよ」髭面は苦笑したが、そのイカれ具合で略奪は成功してきたのだから、非難する気は一切無かった。

「取り敢えずモール側に行ってみるか。戦闘機が無くても、最悪そこでなんか使えるモンくらい手に入るだろ」ニット帽が地図を閉じて助手席に乗り込んだ。どうやらどいつもこいつも運転する気は無いらしい。

「ふざけんなよお前らいっつも俺にばっか運転させやがって」髭面は溜息混じりに呟いて、ふと足元に目をやってから、そそくさと運転席へと回り込む。「あー、お前らちょっと揺れんぞ」

「あん? なんで?」禿頭が怪訝な顔をした。

「すぐ分かるって」

 エンジン音の向こうに微かな唸り声が聞こえてくる。あぁ、と声を漏らし、禿頭もニット帽も理解したようだ。髭面は車を軽く後退させてから、勢いよく前進させた。グリルやバンパー辺りから響く鈍い音、何かを轢き潰す感触、水溜まりを踏んで飛沫が飛び散ったような音、そして、ミラーに映る赤い海と原型を無くした人らしき何か。

「はは、やるねぇ」

「うーわ、グッロ」

 禿頭もニット帽も笑顔で茶化していた。

「いや、好きだろお前ら」髭面も笑って答えた。「で、次はどう殺すよ?」

 


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