DC COMICS × SCHOOL-LIVE   作:グレイソン

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「一雨来そうだな」ナイトウィングはドミノマスクのレンズ越しに空を見上げて呟いた。

 商店街もそろそろ終わりに近付き、ビジネスマンやバックパッカー向けに作られたであろう安宿の看板が幾つか顔を出し始めている。もう間もなく都市の中心部たる駅前と言っていい区域にまで差し掛かろうとしているのだろう。

 曇天の暗さは秒毎に増しているようだ。夜に近付いているのもあるかも知れないが、本当に雨が降るとしたら厄介だ。まだ安全な避難場所は見付かっていない。晴れていればどこぞのビルの屋上だとかで良かったものの、濡れるとなれば否応なしに屋内を選ばざるを得ない。そうなれば、接近遭遇戦の危険性が遥かに高まる。体を休めるどころの話ではないのだ。

「雨、ですか」左のやや後ろを歩く直樹美紀が呟いた。「雨は……危険です」

「あぁ、その通りだ。体温を奪われたり、周囲の音を消されて不意を突かれたりと、色々あるからね」ナイトウィングは頷いた。「逆手に取る事も出来るが、今の状況は利点よりも危険性のほうが高い」

「いえ、それもあるでしょうけど……それだけではなく……」

「うん?」美紀の言葉の先を促すように、彼女に目を向けた。

 どこか、怯えているような表情だ。

 何かあったのだろうか? 過去に、苦手意識や恐怖を抱く切っ掛けとなった出来事でも経験したのだろうか?

 少女の表情を見詰め、探ろうとしていたナイトウィングは、問い掛けるべく口を開きかけた所でハッとして、視線を通りの果てにある交差点へと移した。

 道の先、遥か遠くから何かが聞こえてくる。

「この音は……」

「車?」美紀が尋ねるように言った。

 それは紛れもなくエンジン音だった。そして、徐々にこちらへ近付いて来ている。つまり……。

「生きてる人が……!?」美紀が目を見開いて言った。「ナイトウィング、生存者ですよ!」

「美紀、そこの影に!」だがナイトウィングは美紀の言葉に答えるよりも早く、路肩に鎮座する黒焦げの車体の後ろへと彼女を押しやっていた。「早く隠れるんだ!」

 これからやって来るであろう何者かが、必ずしも友好的であったり味方であるとは限らないのだ。もしそれが暴徒で、己が欲望全てに忠実だったとしたら……真っ先に彼女が狙われる。いつの時代も何処の世界も、最初の標的はか弱く見える存在からだ。故に、まずは美紀の安全確保が第一だった。

 美紀を隠れさせる事には間に合ったが、ナイトウィングが隠れる間もなく、交差点に放置された廃車の影から音の主が姿を現した。

 血にまみれたシルバーの乗用車だ。凹みや罅だらけの車体は、多くのものを撥ね飛ばして轢き倒してきたのだと分かる。だが、それは果たして怪物だけなのだろうか? 二十年以上もクライムファイターとして戦ってきたナイトウィングの、犯罪狩りの戦士としての直感が警鐘を鳴らしている。確証は無いが、彼は不穏な気配を感じ取っていた。

「そこに居て」予備のガジェットや物資の入ったバックパックを美紀に託してそう言うと、ナイトウィングは注意を引き付けるように彼女から離れて、通りの反対側に立った。

 乗用車は様子をうかがう為か、ある程度接近した後、逡巡するように止まった。フロントガラス越しに、何人かの人影が蠢いているのが見える。その間のアイドリングの音が、まるで間合いを計る野獣の声のようにも思えた。余り友好的な気配を感じ取れないと、自分の中の何かが訴え掛けてくる。

 ナイトウィングが捜査モードを起動してスキャンを実行しようとしていると、次の瞬間、乗用車は白煙を撒き散らしながら安全性など完全に度外視した勢いで、彼に迫った。

 恐らくは獲物か敵とでも定めたのだろう。こう言う手合いの狙いとしては、まずは轢いてダメージを与え、それから完膚無きまでに痛め付ける事で屈服させ、支配した上で利用価値のある情報でも引き出すつもりか。そして最後には戯れのように殺す。ゴッサムのギャングどもと似た思考をしている。

「いや、悪党なんて皆同じか。違うのは人種と場所さねな」

 ナイトウィングは呆れるように独り言ち、それから自ら車に向かって走った。

 これで戸惑うようならまだ救いがある。だが、良心の振り切れた相手なら怯まない。むしろ加速する。そして、血まみれの車はその通りに、振り切れていた。

 跳躍だけでは回避するには足りないか。ナイトウィングはユーティリティベルトに取り付けたバックサイドホルスターからグラップネルガンを取り出し、頭上の街灯目掛けて発射した。ガジェットは必要な時に使わねば価値が無い。出し惜しみして死んでしまえば元も子もないのだから。バットクローがガチリと掴み上げたのを確認して、グリップのスイッチを押してケーブルを巻き上げる。

 身を捻って宙を舞った直後に、血まみれの乗用車はナイトウィングの足元を通過した。

 間一髪、か。街頭の上に着地しながら、背筋に冷たいものが流れるのを感じて、ナイトウィングは小さく息を吐き、同時に誤魔化すような笑みを浮かべる。余裕の無さを悟られる訳には行かない環境下で育った故の癖だ。たとえ誰一人の観客が居なくとも、危険に恐れ怯えてしまった内心を知られるような真似は許されない。

 甲高い音を立てて、車が停まる。どうやら何にもぶつける事なく無事に済んだようだ。

 チッ、とナイトウィングの口から舌打ちが漏れる。軽くダメージを食らってくれていれば、少しは楽に事を運べるのに。だが、高望みであるとも自覚していた。この手段が通じる者は、この世の底辺を煮詰めて作ったかのようなゴッサムのチンピラですらも、稀にしかいないのだから。そして少なくとも相手はそんな稀な奴らではなく、その他大勢と言う訳だ。

 ドアを開けて、三人の男達が顔を覗かせ、辺りを見回した。

「おいどこ行きやがったアイツ!?」髭面が問う。

「消えるはずがねぇ、探せ!」ニット帽が叫ぶ。

「クソが、近くにいるはずだ……!」禿頭が言う。

 捜査モードを起動してスキャンしてみると、敵勢力の構成員はどうやらこれで全員で、揃って普通の人間のようだった。メタヒューマンや異星人や魔術師ではないようだし、感染している様子も発症している様子もない。

 ならば、まだ優位は保てている。普段はこれの十倍近くの数の敵や、それすら上回る程の力を持った超人的、超自然的、もしくは宇宙的存在を相手に戦っているのだから。

「やぁ、お前さん達。誰を探してるんだい?」ナイトウィングは街灯の上から問い掛けた。「僕の知ってる人かな?」

「いたぞ!」髭面の言葉を皮切りに、男達は車輌から降りて手に得物を抜き放った。手斧、剣鉈、ネイルハンマー、どれもが既に血を吸った跡がある。生ける屍のものだけであればいいのだが。しかし、そうではないのだろう。確証は無いが、ナイトウィングの勘は再びそう警告していた。

「何? 僕を探してたのか? てっきり殺しに来たのかと思ったよ。それともアレがこの街流の挨拶かい? 日本にしちゃあ随分と物騒だな、ゴッサムっぽいぞ? ここって実は姉妹都市だったりする?」

「オイ、奴を引きずり降ろせ!」禿頭が他の二人に言った。

 何をする気なんだろう? そう思っていると、ニット帽が手斧を仕舞って、懐から回転式拳銃を取り出した。「撃ち落としてやるさ!」

 日本の警官に支給されていた奴だな。ナイトウィングはすぐさま把握した。一昔前までは使用弾薬と共に主流だったが、今ではより高火力な弾薬を使用出来るGLOCKだとかSIG等のセミオートマチック拳銃に移り変わりつつあると聞く。ボディアーマーの発達した現代においては性能が古く劣る為に、近代化の一環で廃れつつあるのだ。しかし、人を殺すには十二分の威力を持つので、地方では未だに現役の地域もある。発射される弾薬は、ナイトウィングのスーツに仕込まれたアーマーに対しても、例え貫けはしなくとも十二分に大きな衝撃を与え、肉体や骨にダメージを加えられる。甘く見るべきではなく、真っ先に無力化すべき相手だ。

「ソイツはオモチャじゃあないぞ」扱う手付きがプロフェッショナルかアマチュアか、その判断をするよりも早く、ナイトウィングはバットクローを放ってニット帽の男の腕を捕らえた。リールの巻取りに合わせて飛び出し、身を翻して蹴りを浴びせる。しなる鞭のようなジップキックによって、拳銃が落とされ地面に転がった。「没収だ」

 着地するやいなや、肩先からのチャージで突き飛ばし、大きく怯ませる。たたらを踏んで後退る姿を見ていると、ナイトウィングは本能的に、自身の背後に危険な気配を察知した。

「この野郎!」視線を向けると、間近まで迫った髭面が、ネイルハンマーを振りかぶって叫んでいた。数秒もすればその鉄槌は頭蓋にめり込むだろう。だが、数秒もあれば受ける事が出来る。

 ナイトウィングは身を屈めつつ振り向いて、左手のエスクリマスティックで受けた。遠心力に少し圧され、肘や筋肉に痛みが走るが、頭は無事だ。防御には成功した。

 立ち上がりながら組み付き、ディスアームして地面に叩き落とし、お返しに肘を鼻っ面に突き入れる。エルボーパッド越しに、骨が歪むか折れるような気味の悪い感触が広がった。

 呻いて後退った髭面に代わるように、禿頭が剣鉈を振り回して急接近した。飛び退いてそれを間一髪で回避し、続く連撃も下がってなんとかやり過ごす。一、二、三回。斬撃を躱していなすと、相手の息が上がったのか、隙が見えた。

 今だ、とナイトウィングは右手のグラップネルガンを仕舞って新たにスティックを抜き、二刀の構えで詰め寄った。左右のコンビネーションで上体を殴打してガードを上げさせてから、空いた鳩尾に突きを射し込む。

 むせこみながら、禿頭は跪いた。その様は酷く無防備で隙だらけだが、しかし追撃するタイミングはまだだ。比較的ダメージの少なかったニット帽の男が迫っている。

 ニット帽は手斧を振り被っていた。遠心力の乗った一撃は受けて防ぐ事も出来るが、その分反動も大きい。故に、ナイトウィングは避ける選択をした。しかし、後ろではない。勇気ある一歩を踏み出し、前に避けた。

 刃の無い根元に、そして凶器ではない懐にまで飛び込める事が出来れば、負傷などしない。目論見通りに動いたナイトウィングは、腕を絡め取るようにして抱えながら身を捻り、横薙ぎに背負い投げた。そして地面に引き倒した男の肘関節に蹴りを入れて、真逆に圧し折った。耳をつんざく悲鳴が辺りに響く。

「もう大人しくしてろ、そうすればこれ以上は……」そこまで言って、ナイトウィングは横っ面を打たれるように、真横から何かに組み付かれ、もんどり打って倒れた。

「ナイトウィング!」美紀の悲鳴が聞こえる。来るな、と答えたかったが、その余裕は無い。

 身を捩って見ると、鼻血を出して前歯の折れた髭面が、レスリングじみたタックルを仕掛けて来たようだった。なんとか仰向けになると、マウントポジションを取った髭面が拳を振り被っている。エスクリマスティックは取り落としてしまったので、仕方無く乱打をグローブのプロテクターを使ってガードし、ナイトウィングは隙を見て貫手を喉元に突き入れた。

 呻き声が聞こえ、姿勢が崩れる。透かさず喉輪で首を絞め上げ、怯ませて抜け出す。

「なぁ、もうやめとけって。怪我だけじゃあ済まなくなるぞ」息も絶え絶えな髭面に向けて、ナイトウィングも荒い吐息混じりに言った。「まさか被虐願望がある訳じゃあないよな?」

「まだです! 後ろ!」

 美紀の声にハタと振り向いて、ナイトウィングは禿頭の男が繰り出す大上段からの一太刀を、両手で手首を掴むことで受け止めた。

 勢いのある一撃に膝を突いてしまい、全身が軋む。抜け出したいが、敵も力を込めてきて、片手でも離せばそのまま頭蓋に刃が叩き込まれかねない。それは、一瞬――ほんの僅かな時間の拮抗だが、ナイトウィングには長い時が過ぎているように思えた。

 そしてその短い時間もあれば、蹲っていた髭面が再び襲い掛かろうとするには充分だった。

 ナイトウィングは挟撃を受ける形になった。あと数秒も経てば、敵の連携の前にダメージを負うか、最悪殺されてしまうだろう。――それまでに打開出来なければ、だが。

 そうだ、策が尽きた訳ではないのだ。不敵に笑いながら、ナイトウィングは身を捻って、禿頭の男の力を利用して投げ飛ばそうとした。これで距離を稼いで仕切り直せられれば、こちらの優位が保てる状況まで運び直す事も出来る。

 その時、辺りに幾つかの風切り音と衝突音と共に、炸裂音が響いた。

 もうもうと、白く濃い煙が立ち込める。視界を奪うそれに反応して、マスクのレンズが自動的に捜査モードに切り替わり、白のとばりを透かして辺りを観測出来るようになった。煙の向こう側で、男達が激しく動揺しているのが分かる。動きを止め、全身の力に隙が生じる。何はともあれ、これは仕切り直す以上に、攻めに転じる好機だろう。

 ナイトウィングは姿勢を変えて禿頭の男の腕を潜り抜けて離れ、音も無く背後に回り込んだ。それから首を抱え込むように掴んで、膝裏を蹴り込み姿勢を崩させ、勢いのままに後頭部を地面に叩き付けた。危険な技で、加減を間違えれば容易く人を殺しかねないが、弱くてもダメージにならない。訓練と長年の経験で、意識を刈り取るだけに留めておけるのだ。鈍い音と共に、軽く血を吹き出しながら、即座に禿頭の男は意識を失った。

 瞬時に、ナイトウィングはターゲットを切り替える。時間が緩慢に流れるような錯覚の中、白煙の向こうでたじろぐ髭面の男の姿が見えた。

 まるで忍び寄るおぞましい影のように、姿勢を低くしたナイトウィングは一息に詰め寄り、髭面の腹部を殴った。声にならない音を呼気と共に吐き出して、髭面は身を屈める。その喉元を右手で掴み上げ、左手で腕を抱え込み、足を払って、背中を路上へと押し付けるようにして投げ倒す。面食らって反応の無い鼻っ面に、ナイトウィングは正拳突きを見舞った。曲がった鼻と折れた歯の隙間から血を流しながら、髭面は白目を向いて昏倒した。

 同時に、足元に転がるスモークペレットから発せられていた白煙が風に薄れ、掻き消えていく。

 再び明るみになった世界の中に立っているのは、ナイトウィングただ一人だけ。恐怖を用いた制圧――フィアーマルチテイクダウンによって、僅か十秒足らずで状況は終了したのだ。

「ナイトウィング!」背と腕にバックパックを抱えた美紀が駆け寄ってきた。「無事ですか!?」

 その両手の中には、ナイトウィング用のバッタランであるウィングディングスを始めとした、消費物系ガジェットが幾つか握り締められている。恐らくピンチと見て、手当り次第に取り出しては投げ付けたのだろう。辺りを見回せば、地面の上にそれらしき物達が転がったり、突き刺さったりしていた。

 ナイトウィングはこれらの種類や用途を教えてはいない。しかしたまたま彼女が引っ掴んでブン投げた中に、発煙弾であるスモークペレットが含まれていて、落着の衝撃でスイッチが上手く作動して炸裂したのだろう。まぐれではあるが、その幸運によって、より手早く状況を片付けられた。

「無事さ。君の援護のお陰だな」辺りに転がる未起動のガジェット達と共にエスクリマスティックを回収しつつ、ナイトウィングは答えた。「たとえ我武者羅な偶然とは言え、ね」

「良かった……」

 美紀は自分の評価にまで気を配る余裕は無いのか、短く安堵しただけだった。青褪めた表情はまだ戻らない。

「それじゃ、その……この人達は?」怪訝な顔をしてナイトウィングが見やる中、彼女は再び尋ねた。「死んではない……ですよね?」

「あぁ、それも大丈夫さ」不安げな声に、ナイトウィングは納得した。生きた人間を手酷く痛め付けて乱暴にそこらへ転がす様なんて、見慣れていないのだろうから恐ろしくなるのも当然だ。ゴッサムのスラムや裏路地で育った訳ではないのだから。

「怪我で済ませといてやったよ」ナイトウィングはそう答えながら、再度捜査モードのスキャンを行った。その結果にも、負傷こそしていても、生命活動に異常は検知されていないと出ている。手加減を一切しくじってはいない証拠だ。生きる屍との戦いばかりで腕が鈍った訳では無いのだと、少し安堵した。

「これから酷く痛むだろうが、誰にでも改心する機会は与えられて然るべきだからね」

「そう、ですね……」

 安堵しつつも、素直に良かったと言うべきか迷うように美紀が頷いたのを見て、ナイトウィングはやれやれと溜め息を吐いた。味方や仲間に、もっと言うなら守るべき相手に気苦労を掛けたのは、反省すべき点なのかも知れない。完璧な勝利とは言えないか。

 

 荒れ放題で誰の姿も無いリビングに、ブラックライトニングはいた。テーブルに薄らと積もった埃を指先でなぞり、辺りを見渡す。随分と長い間、誰にも使われる事無く放置されていたようだ。一階二階共に、全ての部屋が同じように、薄く白い膜を張っていた。

 どの部屋でも血痕等は見つかっていない事から、この家では誰も襲われてはいないのだろう。室内の荒れ具合は、散乱する衣服や写真、証明書類、保存食品等の様子から、避難に必要な荷物を持ち出して逃げ出す際のパニックによるものだと分かる。そして窓ガラスや玄関の鍵に破損が見られず、貴金属類に手が着けられていない事から、家主が脱出した後は暴徒や野盗に立ち入られる事も無く、静かに時を過ごしていたと言う訳だ。

 ある意味では、彼女に残酷な世界を突き付けずに済むか、とブラックライトニングは思った。だが同時に、それは答えを得る機会を先延ばしにしてしまっただけだとも理解していた。明日や近い内にでも訪れるのか、或いは果てしなく遠い未来にまで追いやってしまったのか、今は知る由も無い。

「大丈夫だ、入っておいで」かぶりを振って思考を払い、ブラックライトニングは開け放たれたままの扉から玄関先に向けて声を掛けた。「ここは安全だ」

 廊下から歩幅の狭い編み上げブーツの足音がして、やがて緊張した面持ちでシャベルを握り締める恵飛須沢胡桃が姿を現した。

「なんだか久しぶりの景色だな……あたしの家の筈なのに」胡桃は斜に構えるような口調でそう言ったが、それは悲しみや寂しさを誤魔化しているだけだろうと、ブラックライトニングは悟った。

 彼女の言葉の通り、ここは胡桃の家――恵飛須沢家だった。

 市街中心部へと向かってリルートを繰り返していたブラックライトニング率いる学園生存者一行は、その最中に恵飛須沢家のある住宅地へと足を踏み入れていた。

 元より胡桃の両親の安否確認の為に、旅路の中で訪れる予定ではあった。だが予定では物資調達の後ではあったのだ。万が一生存を確認して合流する事になっても、増えた人数分を賄えるだけの余裕は無かったからだ。

 しかし想定外に遠回りをする羽目になり、行きの物資にも不安が出始めていたりだとか、車両にも燃料の補給を挟まなくてはならなくなっている。その上で偶然とは言え付近を通る事になったのなら、最早寄らない理由もない。諸々の補充と一夜の宿の確保も兼ねて、一行は旅程を変更し、早々に立ち寄っておく事にしたのだった。

 まず脅威の検索にブラックライトニングとなったジェファーソン・ピアースが突入し、建物内を隈無く調べ尽くす。そしてその安全如何によって、車両で待機中の他の人員が内部へと移動するかを判断する。もしも敵性勢力の脅威の度合いが手に負えないレベルであれば、ブラックライトニングが足止めをしている間に、ドライバーを担った佐倉慈の運転で速やかにその場を離脱し、事前に取り決めておいた集合地点で合流する。そう言う手筈になっていた。

 そして先程、人も屍も姿形無く安全が確保されていると判断して、ブラックライトニングは玄関前の駐車場に停めたシボレー・タホの中で身を潜めていた仲間達に呼び掛けたのだ。

「校長、あの……その……」胡桃は身悶えしかねない気持ちをやっと抑えているかのように、彼に尋ねた。「その……パパとママは……?」

「誰もいなかったよ。窓も扉もしっかり施錠されていた上に、鍵の類も見付からなかったから、どうやらご両親は慌ててこそいれど、無事に脱出を果たせたようだな。車両が駐車場に無いのも、盗まれた訳ではなく、二人が普通に乗って逃げたんだろう」

「そう、か……なんでか、そうだとは思っていたけどね」胡桃は安堵するように溜息を吐いたが、その表情には晴れやかなものは何一つなかった。「でも、どこ行ったんだよ……」

 亡くなっていなくて良かったと言うべきか、行方も生死も知れずに残念だと言うべきか。それはブラックライトニングにも分からなかった。彼はマスクの下で困りきった表情を浮かべるしかなかった。

「くるみちゃん、あの……」後からやってきた他の面々の内、丈槍由紀が声を掛けようとするが、彼女もまた何を言うべきかを迷っているように、言葉を詰まらせた。「えっと……」

「校長先生、置き手紙とかメッセージとかは?」若狭悠里が尋ねる。「何か残ってませんでしたか?」

「いや、見当たらなかった」ブラックライトニングは首を振った。「恐らく、そこまでの余裕は無かったのだろう。各部屋の荒れ具合からするに、当面の避難生活に必要と思われるような荷物を掻き集めるのに必死だったみたいだ」

「そうですね、文字を書いてる暇なんて無かったのかも」しんがりを務めた慈が言った。教師だけあって、彼女は車や玄関の施錠確認を担っているのだ。なので最後尾故の視野で、室内の何かに気が付いたようだ。慈は床に落ちていたメモ帳と、コードでぶら下がっていた固定電話の受話器を拾い上げた。恐らくは家を出る際にでもぶつかって、その拍子に引っ掛けて落としたのだろう。「あったら、こんな事にもなってなさそうですし」

「こう言う時って、留守番電話に入れてる可能性もありますよね?」悠里が、慈の摘み上げた受話器を見詰めて言った。「災害の時にそうする人もいるって聞いた事があって」

「確かに有り得るかも」慈も頷いた。「行き違いになった時にはうってつけだわ」

「ただ、学校と違ってここは電気がありませんから、確かめようが……」悠里が無念そうに続けた。送電網が止まって久しい。自家発電設備でも完備していなければ――それでも電力は万全とはいかないだろうが――電化製品は軒並み鉄くずと変わらなくなっている。

「まぁ、スマホの災害時緊急連絡アプリにも何も入ってなかったしさ……多分こっちも無いと思うよ」胡桃がやるせなく答えた。

 否定的な態度は、そうやって期待を消す事で自分を保っているからだろう。気が滅入り続ける中で行うにはあまり良くはない、とブラックライトニングは思った。

「だからいいさ」

「いや、よくない」彼は首を振った。「念の為確かめておこう」

 電話機の傍に行き、指先で軽く触れる。

 何をするのかと見守る面々を見渡して、彼は続けた。

「幸いにも電力源ならここに居る――私だ。試さないだけ時間とチャンスを逃すだけで勿体無いだろう?」それから、ブラックライトニングはゆっくりと電流を流し始めた。「やらないまま推測していても仕様が無いしな」

 ショートさせないように微弱な電流を調節していると、やがて画面が光り、起動した事が分かった。同時に、一堂の表情にも微かな明るさが戻るのが見える。だが、よくよく表示を見れば、時計は遥か過去を示し、着信記録の下段にある留守電記録の欄には、何も無い事を表すゼロの文字が浮かんでいるだけだった。

「うぅむ」とブラックライトニングは小さく唸るように嘆息した。

「もうずっと電気きてないから、リセットされちゃったんだ」由紀が覗き込み、無念を全身で表すように肩を落とした。「なんにも残ってないなんて……」

「なんでお前が落ち込んでんだよ」胡桃が力無く苦笑する。「あたしよりダメージ大きそうじゃねぇか」

「だって、くるみちゃんが家族に会えるかもってところだったのに、辛くないわけ……悲しくないわけ……ないじゃん」

「そうね、大事な友達の事だもの。それくらい思うわよね」悠里も頷いた。「残念だわ」

 やるせなく項垂れる二人の声を受けて、胡桃も視線を落とした。絶望には至らないが、希望も見えない。それが辛いし、悲しいのだ。

「校長……」慈が問いかけるように言うが、言葉が続かない。

 そしてブラックライトニングも、掛ける言葉を見出だせずに、ただ見やるしかなかった。

 少しの間沈黙が続き、やがて胡桃は小さく答えた。

「ありがとな、みんな」

 力の無い笑みで、空元気なのは明白だったが、必死に堪えているのもまた確かだった。それを否定する訳にいかず、ブラックライトニングはただ頷き返すしかなかった。

 

「意外と少女趣味ね」と悠里は呟いた。

「悪いかよ、可愛いのが好きで」胡桃は少しムスッとした調子で答える。 

「いいえ……可愛いわよ、そう言う所」悠里は微笑んだ。

「そ、そうか……ならいいや」茶化されると踏んでいた所に拍子抜けする台詞を掛けられて、胡桃は面食らったように狼狽えていた。

 二人は胡桃の部屋に居た。制服以外に使える衣服を探す為だった。他の面子は、それぞれ慈と由紀が胡桃の両親の部屋を見に行き、ブラックライトニングが一階で周辺を警戒しつつ、使えそうな道具や残された食料品を集めている。

「まぁでも、今欲しいのはあなたの可愛い部分じゃないわ」

 悠里が言うと、胡桃も頷いた。

「分かってるって。格好良い所だろ? それならここに……」胡桃はクローゼットに手を掛けながら続ける。「こう言うのがあるさ」

 ガラリと扉が開くと、レザーやデニムと言った頑強やジャケットやパンツが吊るされているのが飛び込んできた。ボーイッシュ、ともすればマニッシュと言いたくもなるが、しかししっかりガーリーな部分もあるので、間違い無く女性向けの服だと分かる。

「格好良いわね」

「まぁあたしの趣味ってより、パパの趣味のほうが強いんだけどさ」胡桃は気恥ずかしそうな声で言った。「自分の好きな服を着てほしかったからなんだろうな。よく買ってくれたんだよ、こう言うの」

 ライダースの袖を軽く叩く胡桃は明るい様子だったが、表情には寂しい色も見え隠れしている。それを誤魔化すように、彼女は笑って続けた。

「でもさ、お陰で使えるだろ?」

「えぇ……最高に素敵よ」悠里は生地の手触りを確かめながら、胡桃に親指を立てて返した。どうやら本皮ではないにせよ、転んだだの引っ掛けただのではそう簡単に破れそうもない。そして今はそう言う物が必要なのだ。「お父様に感謝ね」

「それからコッチには……」と、胡桃がチェストの引き出しを開けば、スポーツ系のインナーやコンプレッションウェアがオールシーズン分揃えられている。流石は運動部、と言った所か、と悠里は思った。園芸部として野外活動をしていた彼女もこの手の衣服は幾つか持っていたが、質も量も違う。

「スゴイわね。これもお父様が?」

「ううん、ママもね。陸上始めたら応援してくれてさ。なんかアタシ以上にこだわっちゃって、毎度オススメ揃えてくれたんだよね」

 そう言いながら別の引き出しを開ければ、肘膝のプロテクターの他にグローブの予備が幾つか並んでいた。胡桃が普段着用している、アームスリーブと一体になった指貫の物の色違いだ。中には冬用なのか、フルフィンガータイプも見える。

「自転車通学用に買ったサイクリング用の奴なんだけど、まぁ無いよりマシだろ」胡桃は悠里に一組差し出して言った。

「軍手で戦うよりかは遥かに役に立つわ」悠里は皮肉げに答えた。学校の備品、それも屋上のロッカーに投げ込まれているような物では到底勝れないだろう。

「運動するなら日焼けと怪我には気を付けなさいって。女の子の肌なんだからそう言う所に気を配らなきゃってさ」

 似た者夫婦と言った所なのか。悠里は何か納得出来る気がした。

「素敵なご両親ね。愛されてたのね、あなた」

「あぁ、まぁ……一人娘だからかな」胡桃はそう言って笑ってから、視線を落とした。何も言わずとも、彼女の体から寂しさや不安が薄らと醸し出されていた。

「……きっと見付かるわ。また会える」

 悠里はそれから、無責任な物言いだなと嫌な気持ちになった。答えが出ていない時間は辛いし、解決するには答えを見付け出す以外に無い。何も慰めにすらならないのだ。それは彼女自身にも当て嵌まるのだから、よく分かる。違うのは、兄弟姉妹についてだけだ。元よりいないか、もういなくなってしまったか。でも、答えは出ている。その部分では苦しみはしていない。例え、別の痛みは抱えていれど。

「防具になりそうなモンはこんなくらいかなぁ」胡桃が溜息混じりに言った。

「充分よ」と苦笑してから、悠里は首を振った。「……と言いたいけれど、何が充分なのかなんて、分からないわね。掘り出せるだけ掘り出しましょう」

「まぁ、そうだな。持ち出せるだけ持ち出そうか」

 胡桃も頷き、それから別の棚を開け、そして悠里を見やった。主に首から下、そして腹から上を、だが。

「あー……流石に下着は、アレなんだけど……」

「そこは別の所で揃えます」

 

 

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