DC COMICS × SCHOOL-LIVE   作:グレイソン

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 一夜明けて日が昇る頃には、あれだけ強かった雨足はぴたりと収まり、今は残り香のような湿気と薄暗さが辺り一帯を支配するだけとなっている。

 住宅地のあちこちにある廃墟と化した家屋の中から、寿司詰めになって暴れていたであろう死人の群れが、唸りを上げて路上へと溢れ出していく。それはまるで死の洪水か雪崩とも言える光景だ。ジェファーソン・ピアースはシボレー・タホを巧みに運転して、決して死者の行軍に立ち入らないように移動しながら、遠巻きに眺めて思った。もしも割り込んでしまおうものなら、あっと言う間に仲間入りして二度と離れる事も叶わなくなるだろう。そしていつしか先頭に立つのは自分となってしまうのだ。そんな事は避けなければ。無事に目的を果たして学園へ帰る為にも、車をなるだけ穏やかな音で走らせながら離れていく。

 ジェファーソン率いる学園生存者一行は、雨が上がる前の明け方に荷造りを済ませて恵飛須沢家を発っていた。滞在期間はたった一日にも満たない間だったが、誰もが――それこそ、本来の住人である胡桃すらもが、その時間だけで充分だと感じていた。

 別に敵性勢力からの激しい襲撃に遭ったからとか、枕が変わると眠れないとかではないが、自家発電設備も無く、持ち込んだバッテリーとブラックライトニングの能力でしか電力を賄えない上に、浄水設備も無くて水道も機能していないと言う環境は、当然ながら長く籠城するには適していない。物資調達と謎の轟音の正体を突き止めると言う目的を果たしたらさっさと学園に帰るべきだとは事前の取り決めにもあったし、それは今も満場一致で変わってはおらず、むしろ一晩の間の中途半端に不便な生活は、その思いを僅かながらに強めさせてもいた。誰も現代住宅の中で、登山用ガスコンロで火事の恐怖に怯えながら生暖かい缶詰をつついたり、空調の無い息苦しさに震えたり、わざわざ携帯トイレに排泄などしたく無い。なので、まだ朝日も顔を見せない早朝には、例え雨が上がっていなかろうと、全員がここを発つ事に対してなんの躊躇いも戸惑いも持たなくなっていた。

 回収した必要な物資を載せ、恵飛須沢夫妻が無事である事を祈りつつ記した書き置きを残し、一応しっかりと施錠をしてから、彼らは恵飛須沢家を後にした。目指すは住宅地域を抜けて、商業施設の立ち並ぶ中心街だ。

 出立前にブラックライトニングが飛行能力を使い、上空から索敵しつつルートを確認しているものの、決して完璧ではないし、一瞬目を離しただけでも状況は変わる。それが数時間とも開けば、最早周囲は未知の世界と言っても過言ではない。不意の遭遇による衝突やスリップを防ぎ、そして過度のエンジン音によって敵性勢力を引き付けるような真似を避けるべく、タホは徐行に近い状態で控え目に進んでいた。

 つい先程まで別の生存者が乗っていたのだろう乗り捨てられた車だとか、行く手を阻むようにたむろする死人の群れで、道が狭くなっていたり塞がれてしまっている箇所に出くわしては、幾度も迂回して、ようやっと住宅地を抜けると、休憩がてらに途中見掛けた災害時対応型給油所を制圧してガソリンを頂戴し、車両と携行缶に補充。再び飛行能力で先行して検索し、地図に情報を書き加えながらルートを決めて、中心街へと向かうべく商店通りへと入っていく。

 商店街はより一層の荒んだ光景が広がってこそいるが、しかし物資を調達するには丁度いい地域になる。そこかしこに生ける屍の手によるものとは思えぬ破壊の跡――暴徒となった人々の手によって略奪をされているような雰囲気も見受けられたが、それでも決して全てを持ち出されている訳では無い。そんな余裕は誰にも無いだろうし、ましてや概ねの電気設備の死んだ世界では不要品と見なされる物も増える。襲撃の手が伸びていない箇所は全くと言っていい程に無かったが、まだ利用価値のある物資も豊富に残っていると言えた。

 それはある意味好都合だ。しかし同時に、敵性勢力との接触の可能性が増える事も示している。再び略奪を行いにやって来る者や、それに引き付けられた死者の群れと不意に遭遇して襲撃され、大規模な戦闘に発展しかねない。

 危険性が高まる理由はもう一つあった。それは本来の目的の内の一つであった謎の轟音の出所に、着実に近付いている事だ。

 あの音を発するモノ自体がこちらに仇なす可能性は捨てきれないし、自分達と同じく音に引き付けられた者も少なからずいる筈だ、とジェファーソンは思った。そうなれば矢張り接敵も増える。全てが敵であるとは言えないが、友好的な存在ばかりとも決して言えないし、ましてや味方であるなどとは絶対に……。

「慎重に行かねばな……」ジェファーソンはそう呟いた。敢えて脅威に向かう旅路ではあるが、その為に犠牲を払うのは彼だけではない。部下と生徒――仲間達の命も掛かっている。油断は出来ない。だがそう感じているのは決して彼だけではなく、同乗する全員が同じであるとは既に気付いている。彼女達も自然と窓の外へと視線を配り、全方位への警戒と捜索を行っているからだ。

「あぁ……去年はそこの店で忘年会して、あっちの店でクリスマスケーキを買ったんですよね……」ふと、助手席の佐倉慈が嘆くように言った。「これじゃ今年は無理ですね」

「まぁ、店員さんもいませんし、お客さんも見込めそうにないですからね」若狭悠里が答えた。「どうやら金払いの悪い人しか暖簾を潜らないみたいですし」

「確かに、誰も金銭感覚なんて残ってないわよね……こんな世の中」慈が苦笑する。

 彼女らの言う通りだ。今のこの街には資本主義社会の理を外れた者達しか残っていない。脇目に過ぎる建物の中に見える者達は、全てが生者ではなく亡者の影だ。生きている者もどこかに潜んでいるかも知れないが、漏れなく略奪者へと身をやつしている事だろう。そしてそれは自分達も同じだ。社会のシステムが全く機能していないのだから、例え良心の呵責から購買部のレジスターに手持ちの現金を詰め込んでおいたとしても、金銭に価値が無くなった今では自己満足的な逃避に過ぎない。その結果、店舗と言った形式は、最早物を収納するか並べておくだけの場所にしかなりえず、完膚無きまでに崩壊していた。

 速度を抑えているとは言え響くエンジン音に連れられて、辺りをうろつく死者の群れだけでなく、店舗内に潜む連中もこちらへと目を向けるのが見える。血肉にまみれてはらわたを溢れさせた姿で、乞うように手を突き出し、割れたショウウィンドウだとかを踏み砕きながら後を追おうとしている。速度の差があるので追い付かれはしないが、おぞましさは振り切れない。後部座席の何処かから抑え込みきれなかったであろう小さな悲鳴が聞こえてきたし、ジェファーソンも自身の顔が険しく歪んでいるのを感じた。

 やがて少し間合いが広がると、ミラーの内側で諦めたようにその場を行ったり来たりと揺れ動き出すのが分かった。

 辺り一帯にこんな連中ばかりしか見受けられないので、まるで本当に世界が破滅しきってしまったのではないかと錯覚させられてしまう。だが、まだきっと生者の力と言うのは尽きていない筈だ。復興出来る希望だって残っている。その筈なのに、何故か全てが終わってしまって、諦めるしか無いような気分にさせられる。それは文明や文化の崩壊と言う様を、改めてまざまざと見せ付けられているからなのだろう。

「なんだか……悲しいね」最後列の席に座る丈槍由紀が震えの残る声で言った。声を漏らしたのは彼女なのだろう。「こんな未来になるはずじゃなかったのに……」

「そうだな」ジェファーソンは頷いた。「誰も望んでなど無かったろう」

 どこかに責任があるとしたら、それを探し出して叩きのめさねば気が済まない。善なる者の手で裁き、然るべき処罰を与え、この世界に以前の隆盛を取り戻す為に死ぬまで働かさなければ、胸の内に渦巻く思いも晴れはしない。だが今は激怒の割合よりも、遣る瀬無い虚しさが強い。気を抜けば体の力を失ってピクリとも動かせなくなりそうなくらいに、喪失感が激しいのだ。

「正に『終末』のドライブ旅行だな」恵飛須沢胡桃が皮肉るように言った。「ホント……楽しい限りだよ」

 言い過ぎだろうと感じなくもないが、ジェファーソンは黙っていた。咎めても傷付け合うだけにしかならないからだ。そしてそれは誰もが同じ気持ちだった。皮肉げ以上に寂しい声色をした彼女に向かって、同じ声色をした連中が偉そうに何かを言っても、と思わなくもないのだろう。

 駆動と排気の音以外には何も聞こえない静かな車内のままに、タホは道を進んだ。

 しかし、まもなくそれが功を奏したと言うべき出来事に遭遇する。

「ねぇ……車の音、しない?」由紀が突然切り出した。

「あん? この車の音じゃないのか?」胡桃が尋ね返す。

「違うよ、他の車の音。もっと遠くて……軽い音だよ」

「まさか……」悠里が訝しげに言う。「生存者……?」

「由紀ちゃん、本当なの?」慈が振り向いて尋ねた。

「ホントだよ! だんだん近付いてきてるみたいに……大きくなってくる……!」

「校長、もっとスピード落として」慈はジェファーソンに向けて口早に言った。

「よし」ジェファーソンは頷き、速度を更に抑える。音を減らして聞き取りやすくする為だ。しかしそうしながらも、必要があればすぐに逃げ出せるように身構えておく。

「方向は分かる?」慈は問い掛けた。「大まかでいいから」

「えっと……右のほう、かな」由紀は交差点の角を示すように指差して言った。「多分この先……曲がったトコにいるかも!」

「どうします?」慈がジェファーソンに尋ねた。「接触しますか?」

「かなりリスクが高いですよ」悠里が言う。「相手は暴徒かも知れませんし」

「逃げて来てるのかも知れないよ?」由紀が返した。「追われてるのかも」

 どちらもその通りだ、とジェファーソンは思った。そして考慮する時間は実に少なく、決断を迫られている、とも。なんせもうその交差点の直前に居て、後数十秒もしない内に差し掛かってしまうのだから。逃げ隠れする暇も無く、停車して無人の振りをしてやり過ごすにも辺りをうろつく連中に取り囲まれる危険性が高い。八方塞がりのようにすら感じる。

 むぅ、と唸り、ジェファーソンは逡巡する。そして交差点を前にして一旦停止して、答えた。

「最早接触は避けられんだろう。とにかく向こうの出方を警戒しつつ、危険があれば離れる方向で行く。みんなもそのつもりでいてくれ」

「分かりました」代表するように慈が答えた。「いざとなれば運転を代わります」

「頼む」

 信号も死んでいるが故に、衝突を避けるべくタホをジリジリと前に出しながら、左右の様子を窺う。そして見付けた。由紀の言う通り、右方に接近する車両が一台――シルバーの体を血に染めた乗用車だ。

「なんてこった……なんだよありゃ……」座席から身を乗り出して覗き込んでいた胡桃が唖然と言った。他の面子も息を呑んでいたし、ジェファーソンも絶句していた。

 赤黒い色をぶち撒けて激しく凹んで割れたフロントは、一体どれだけの相手を跳ね飛ばしてきたのかと恐ろしくなる。だが車体に纏まりついているモノはそれだけではない。まるで数十年前の香港映画か何かのように、生きる屍があちらこちらにへばり付いて、車内に侵入しようと暴れているのだ。振り払おうとして、乗用車は左右に揺れながら進んでいる。

「マズい、つかまれ!」言うが早いか、ジェファーソンは素早くタホを後退させて、衝突をしないように相手の進路から離れた。食い縛るような悲鳴が車内に響く中、間もなく眼前を、その乗用車が蛇行しながら通過した。視界に映ったのはほんの僅かな時間だったが、サイドウィンドウが割れかけていて、もう余り猶予も無いように思える。放っておけば正しく走る棺桶の出来上がりだ。

 実に世紀末だとかポストアポカリプスらしいと言わんばかりの光景に、車内の誰もが動揺して、しばし身動き一つ出来なくなっていた。

「ぶ、ブラックライトニング……!」いち早く我に返った由紀が叫んだ。「助けてあげて!」

「……あぁ、そうだな!」ジェファーソンも頷き、運転席を降りた。慈が代わりにそこに着き、頷き返すと、ジェファーソンは腕時計に電気を走らせて起動し、稲妻と共にマスクとスーツを纏う。瞬く間に、彼はブラックライトニングとなった。

「あの車を追うんだ!」言いながらブラックライトニングは 車体の屋根に飛び乗った。飛行で消費するエネルギーは大きいので温存する為だ。電気を操る力を応用して、膝立ちの姿勢で車体に接地する部分を張り付ける。

「行きますよ!」慈が返し、タホは勢い良く走り出した。

 

「またエンジン音か」辺りを振り仰ぎながら、ナイトウィングが呟いた。「こんな世の中に珍しい」

「なんかドがつく田舎者になったみたいな発言ですね」直樹美紀は皮肉るように言う。「もしくは未開の土地の部族か、石器時代から来た人か」

 そう茶化しながら、装着したドミノマスクを弄り、音のするほうを見やる。教えられた通りに操作した事で機能が切り替わって、通常視界からスキャンが行われる青白い世界――捜査モードに変わる。だが距離があり過ぎるが故に対象物を検知出来ず、目に負担が掛かるだけだったので、すぐに戻す事になった。

「慣れない内は休み休み使うんだぞ」ナイトウィングがサラリと案じるように言う。「無茶したらまた吐くからな、それ」

「分かってますよ、身に沁みてます……」美紀は出立前のホテルの部屋での失態を思い返し、情けなくなって顔をしかめた。便利な機能に酔いしれていたせいで体調を崩し、出発を遅らせる羽目になったのだ。今はもう回復しているとは言え、一時は完全に行動不能に陥るのだから、こんな安全地帯でもない場所で再び繰り返す訳には行かない。

 雨が上がった事で、二人は再び駅を目指して歩を進めている。早く美紀の親友・祠堂圭と合流する為にも、その行方を探さねばならない。残念な事に一夜の豪雨が地面に残された痕跡を尽く洗い流してしまったお陰で、今ではもう大まかに当たりをつけて行動する他無くなってしまっているのだが、それでもそこらで実際に死体を目の当たりにした訳でも無いので、まだ生きていると言う望みを捨て去るには早計だろう。故に、バットマン仕込みの推理を信じて、美紀は足を動かしている。今は、狭い車道の脇に商店の並ぶ通りで、ナイトウィングの背を追い掛けながら、衝突したまま乗り捨てられた黒焦げの車体の横をすり抜けて行く所だった。

 ホテルの一室で休めた事により、幸いにも風邪を引いたりはせずに済んでいるが、疲れが完璧に取れているとは言い難く、僅かに消えきらないものが尾を引くかのように残っている。その上で嘔吐までしているのだから、肉体的なダメージ自体は蓄積されているのかも知れない。だが人と話した事で少し心が和らいでいるので、精神的には楽になれている。美紀はそう感じていた。これで圭の手掛かりも見付かれば、もう体にのしかかる重いモノなど、欠片も感じなくなるだろう。

「また邪魔するような奴らじゃなければいいんですけどね……車」

「友好的なら嬉しいよね」ナイトウィングが苦笑いした。「いや本当、真面目にそう思うよ」

「襲われて足止め食らうとか人生に一回で充分ですよ」

「……まぁ、一度だって多過ぎるさ」遣る瀬無く呟く。「経験すべき事じゃあないよな」

 犯罪狩りのクライムファイターとしては特にそう思うのだろう。戦いとは無縁の世界を守る為の存在である彼らが、全く持って機能していないも同然なのだから。どれほど戦っても拭い去れない役立たずになったような無力感、なんてのは計り知れない。

「まぁでも、もし次があっても……また絶対に守ってくれるんでしょう?」美紀はマスクを外して、本来の目を向けて言った。気持ちを伝えるには目を隠すべきではないと思ったからだ。

 ナイトウィングはその顔を見やり、フッと口元に笑みを浮かべながら頷いた。

「勿論。その為に僕は居るからね」

「信じてますよ、ヒーロー。……それに、頼りにしてますから」

「そうだな。期待を裏切らないようにしないとな」少し明るさを取り戻したような声で、彼は答えた。「ありがとう、相棒。励ましてくれたんだろう?」

「別に、そんなんじゃありません」急に恥ずかしくなってきて、美紀は再びマスクを身に着けながら視線を逸した。「ただなんか言ったほうがいいかなって思っただけで……」

 説明すればするほど顔が熱くなってしまって、色白の肌が赤みを帯びているかもと思うと余計に気恥ずかしく感じてしまう。それを誤魔化すように、美紀はマスクを着けてフードを目深に被った。

「照れなくてもいいのに」ナイトウィングが呑気な口調で呟いたが、今度は美紀は何も返さなかった。

 気付けば、エンジン音は急速に遠退いて行って、もう耳を澄まさなければ聞こえないくらいにまでなっている。どうやら少なくとも生きた人間はこちらの邪魔者にはならないようだ。安堵して溜息を漏らす。後は、死んだ人間が立ち塞がるのをどうにかすればいい。

「っと、美紀、こっちに」突然ナイトウィングが手を引いて路地を曲がる。美紀は少し驚くも、それに従う。二人は室外機の後ろに身を潜めた。

「全く……ここはクライムアレイかよ。油断ならないな」ナイトウィングが角から覗くので、彼女も同じようにする。すると、ちょうど店先の薄暗がりからいくつもの人影が、のそりのそりと現れる所だった。全て死者の成れの果てだった。恐らくは道を行く生者の気配に連れられての事だろう。あのまま進まなくて良かった、と思わず安堵するが、お陰で再びルート変更となるのは避けられない。グラップネルガンのバットクローで飛び越えれば一瞬でも、ガスタンクに限りのあるそれをおいそれと使う訳にも行かないので、迂回路を探さねばならないだろう。

「大丈夫さ、道はいっぱいある」その表情に気付いたのか、ナイトウィングが再び手を引き、踵を返して歩き出しながら言った。「進んでいれば辿り着けないわけもないさねな」

「進んでいれば、ですけどね」美紀は皮肉るように笑ったが、そこに本心からの否定はなかった。きっと彼ならなんとか出来るし、たとえ彼でも出来なくても、まぁなんとかしなくてはならないのだ。

 二人は路地を抜けて、一本隣の通りへと向かって行く。少し遠回りにはなるが、この道だって駅へは繋がっている。そしてどの道だって、きっと圭の元へ繋がっている。ならば、進んでいるとは言えなくもない。

「辿り着くよ……絶対に」美紀は小さく言った。

 

 人差し指と中指、この二本の指に稲妻の力を集中させ、細く絞ったビームとして放出する。それはブラックライトニングが戦いの中で会得した狙撃技術の一つだった。拳や手刀、掌からの投射と違い、必要最小限のエネルギー消費で、且つ不必要な犠牲を出さない攻撃手段。それを使って、彼は前を行く車にしがみついた死者を見事に撃ち落とした。

 屍食鬼の体がアスファルトに激突してバラバラに散らばると、ふらついていたシルバーの乗用車は突然の事に動揺した乗員の状態を表すかのように大きく曲がり、道路脇に放置されていた車両に接触。火花と甲高い音を撒き散らして停止した。

 タホは様子を窺うためにその後方十数メートル程にまで接近し、エンジンを掛けたままで停車する。

「様子を見てくる。危険だと感じたらすぐに離れろ」屋根から飛び降りながら、ブラックライトニングはハンドルを握る慈に言った。

「はい」と彼女は頷き答える。

 ブラックライトニングも軽く頷き返し、それから身構えながらゆっくりと接近した。

 ひび割れた窓から車内を窺いつつ、ドアノブに手を掛けると、中から複数の男の声で悲鳴が聞こえた。

「こ、殺さないでくれ!」

「殺す? 逆だ、私は助けたんだぞ?」言いながら、ドアを開く。「大丈夫なのか?」

 中には激しい怪我をした男達が三人、身を縮めながら乗っていた。それぞれに痛みに呻きながら、恐怖に顔を歪ませている。

「オイ、落ち着け。一体何があった?」尋ねると、運転席と助手席の二人が体をビクリと震わせて逃れようとする。後部座席にいる男は横たわったまま、身動ぎすら出来ない程に苦しんでいるみたいだ。ブラックライトニングは唸った。随分と恐ろしい目に遭って痛め付けられたらしい。まるでバットマンにでも叩きのめされたゴッサムのギャングの下っ端連中を見ているかのような気分だ。

「心配するな、私は敵じゃない。お前達の車が襲われてたから助けに来ただけだ。だから落ち着いて、何があったのか教えてくれ」

「……て、テメェみたいに変なカッコした奴に襲われて、化け物どものド真ん中に放置されたんだよ……!」助手席の男が呻くように答えた。

「何?」

「クソッ、ふざけやがってあのマスク野郎……! お陰で腕も動かねぇし、傷からも血が止まんねぇ……」

 マスクとスーツの連中など世界には山程いる。ヒーローのみならず、悪党もだ。もしもそれが後者ならば、新たな脅威と言える。

「一体どんな奴だ?」ブラックライトニングは男達を見回して尋ねた。とにかく特徴を知らねばならない。もしも覚えがある相手なら対策を練られるかも知れない。例え違っても備えておける。

「黒い服のクソ野郎だ……」運転席の男が答えた。

「いや、青い服だったろうが……」助手席の男が苛立つように首を振る。

「あぁ……? バカが、黒かったっての……」

「青だろアホが……使えねー奴……」

「やめろ! もういい」痛みと怒りの混ざった罵り合いに、ブラックライトニングは小さく溜息を吐く。「で、どんな能力だった?」

「よく分からねぇ……影みてぇに素早くて、煙みてぇなの出して殴り掛かってきたり……」

「ちげぇよ……いきなりロープみたいなの伸ばして飛び掛かってきたんだよ……」

「まるでバットマンだな……」ブラックライトニングは呟いた。決して悪党ではなくクライムファイターのヴィジランテだが、その戦う特徴から真っ先に思い付いたのは彼だった。しかしすぐさま男達によってそれは否定された。

「いや、バットマンじゃねぇ」二人が同時に答える。

「いくらなんでもあんな格好は見間違えねぇよ……なぁ?」

「おぉ……アイツぁ日本でも有名すぎるぜ……」

 だとしたら一体誰だ? 次に思い付くのは彼の一番弟子ではあるが、かつて共にチームを組んでいた仲だ。この状況で他国にまで来て通り魔紛いに生存者を襲うような男では断じてないと言い切れる。……もしもこの連中が残虐非道の悪党でもない限りは。

「いや、待てよ。お前達、一つ聞かせてく……」ブラックライトニングはふと思い、尋ねようとした。しかしそれを遮ったのは突如の出来事だった。

 後部座席の男が起き上がったかと思うと、助手席の男の顔を爪を立てて鷲掴みし、運転席の男の首に深々と噛み付いた。

「何を!?」悲鳴を浴びながら、ブラックライトニングは驚いて身構える。電撃のビームの狙いを定める為に睨み付けると、理由が分かった。「コイツ……噛まれていたのか……!」

 横たわって震えていたのは恐怖や痛みだけではなかったのだ。既に体は死に向かい、徐々に徐々にと生者を食らう怪物へと作り変わっていたのだ。

 筋力のリミッターが弾け飛んで怪力と化した握力によって、助手席の男の顔の肉がゴソリと抉り取られ、引き裂かれた目玉が飛び出てぶら下がる。その傍らでは運転席の男の喉元から噴水のように散る鮮血が、コンソールやフロントガラスを赤く染め上げる。生臭さの中でぐちゃぐちゃと音を立てながら、彼らの仲間だった者がその肉を食んで唸った。

「助けてくれ」と、言葉になりきらないような微かな声が聞こえた。それがどちらのものだったのかは分からない。分かる事と言えば、命を助ける術はこの手にもこの場にも無く、最早苦痛から開放してやる事しか救いにはならないと言う事だけだ。

「待ってろ。今、楽にしてやるぞ」

 ブラックライトニングはタホのほうへ戻ると雷のフォースフィールドを張り、それから乗用車へ向けて稲妻のビームを放った。青白い閃光が瞬く間にオイルに到達し、車体は火だるまになって、やがて爆発四散した。弾け飛んで来た部品や破片がフォースフィールドに当たって跳ね返り、路面の上で甲高く鳴る。爆炎の揺らめく中には、煙と焼け焦げたゴミ以外に蠢くモノは無い。

「こ、校長、一体何が……!?」慈が驚いた表情で尋ねてくる。

 詳細は未だ判然としないながらも、この街にブラックライトニング以外に、スーツとマスクの何者かが活動をしている。そしてその戦闘力は並外れているようだ。

「後で説明しよう。だが、謎と疑問が増えるだけになるだろうな」ブラックライトニングは険しい表情をマスクで隠しながら答えた。

 

「オイオイ、マジかよ」若い男が恐れを顕にしながら言った。「アイツ、車燃やしやがったぜ……?」

「えぇ……それも人が乗ったままね」傍らに立つもう一人、長い黒髪の女性は冷たく呟く。

 二人は通りの端にある服屋の影に身を潜めて、燃え盛る車両だったものを見詰めている。彼らの拠点で不足し始めた物資の調達の為に、この周辺まで繰り出して探索をしている最中に、激しいエンジン音を耳にし、ジッと息を殺して様子を窺っていたのだ。

 電撃を操るメタヒューマンが黒いSUVに乗り込んで彼方に消えていくと、二人は辺りを警戒しながら燃え盛る乗用車へと駆け寄る。

「オイ、急げ!」

「ちょっと、どうする気なの?」

「た、助けられるなら助けるんだよ!」

「……あぁ、そう。これで助けられても迷惑なんじゃないかしらね」

 炎の中で揺らめくように蠢き焼かれる人の姿が見える。助けを求めるように手を伸ばしてくるが、あまりの高温に指先から朽ちていくかのようにドロドロに溶け出している。男のほうはそれを目にして狼狽えていたが、やがて目前で炭と化して崩れ落ちると、恐怖を丸出しにした表情で言葉を紡いだ。

「あ、あのメタ野郎、どうなってやがるんだ……! 平然と人殺しやがったぜ!? 信じらんねぇ……!」

「所詮メタヒューマンは人間じゃないのよ」風になびく長い髪をかき上げながら、女性は冷たい声で言った。「能力の無い私達を見下してる。だから別に死んでもどうにも思わないし、殺すのもどうにも思わないのよ」

「そんなのアリかよ、クソッタレの化け物め! 能力さえあればなんて……!」

「だからメトロポリスやセントラルシティではいつも事件だらけなんじゃない。あんな奴らばかりだから」

「く、クソッ、このままじゃいつ大学のみんなにも被害が出るか分かんねぇ! 早く知らせて先手を打たねぇと……」頭を抱えて、男は体を震わせる。

「どうかしらね。そこら辺の知らない人が焼かれたくらいじゃ、あの人達も……」そこまで言って、女性は何かに気付いたように顎に手をやった。ハッとして、口元をニヤリと歪ませ、それから頷く。「そうねぇ……実害があればいいのね」

「え?」と男が首を傾げて女性を見やろうと振り仰いだ瞬間、その喉元をナイフが貫いていた。

 女性が男の首にナイフを突き立てたのだ。

 何を、と言う疑問が、口にすら到れず、横穴を開けた喉元から声にならない音で漏れ出てくる。死に行く最後の息吹を浴びながら、女性は喜びの感情に満ちた表情と、物足りないと飢えるような瞳で、男の困惑する眼差しを見詰め返す。

「開戦の狼煙を上げるにも、犠牲と言う名の火種が必要なのよ」彼女は引き裂くように抜き出した刃を振り被って眼窩に突き入れて、目玉ごと脳を掻き回すように深々と抉り出した。「それを担うのがあなた。光栄に思いなさい」

 男はビクビクと身を震わせていたが、やがて生命のスイッチが切れたように全ての力を無くして、ぐったりと崩れ落ちた。ナイフをズルリと引き抜き、纏わりついた血と肉と繊維質な何かを振り払い、女性はウットリと嘆息する。

「犠牲に感謝するわよ。これでもうちょっと刺戟的な戦いになるかも知れないから」

 それから渾身の力を込めて骸を抱え上げて、炎の中に放り込んだ。生臭い臭いの立ち込める中で、さっきまで命あるものだった肉体がグズグズに焼け焦げて壊れていく。それを眺めてニヤリと笑い、女性は踵を返した。

「あぁ……楽しみだわ」

 炎の中で蠢いていた人型の炭が男の骸に覆い被さって、そのまま黒い塊になって共に溶けて行った。

 

 どこかで爆発音がするのも久しぶりだ、と祠堂圭は思った。こうなって初めの頃は、人も車もよく走っていて、そして無秩序に暴れていて、ひっきりなしに破壊的な音が響いていた。

 気付けば誰もいなくなって、そんなものも聞こえてこなくなって、代わりに死体ばかりが増えていて、それでも大人しく眠っていないモンだから、そこかしこに呻き声と唸り声だけが渦を巻いている。あとたまに思い出したかのように悲鳴が渡るくらいか。

 疲れた頭でぼうっとそんな事を考えながら、彼女は駅構内にある駅長室のソファに腰掛けていた。

 ドアにデスクや棚などで作ったバリケードを設置して拠点とし、モールから持ち出したり駅内の商店を漁って入手した物資でなんとか生き長らえているが、つい何日か前に軽く足首と肩先を負傷してからは、倦怠感が酷くて動くのも億劫だ。脱出しなければならないし、助けも呼ばなければならないのだが……。

 助け……そうだ、助けだ。助けを待つ親友、美紀の為にも、立ち上がらなければならない。

 彼女は傍らにおいた無線機を手にした。いや、実際は戦争映画だとかの知識しか無いので、これが無線機らしき物だとしか分からないのだが、とにかくどこかの誰かとの通話に使えそうな物なので、切れかけていたバッテリーをコンビニから掻き集めた乾電池やUSB充電器とかでなんとか繋いで色々弄くり回して、どうにか満足に起動させておけるようにはしておいた。後はとにかく、誰かに向かって声を届けるだけだ。

 うろ覚えの映画の真似をして、圭は握り込むようにスイッチを入れた。

「あの……もしもし……誰か、聞こえますか……?」

 

 マスクの捜査モードには周囲の通信を傍受する機能も備わっている。これを使ってよくギャングや傭兵団の企みを察知し、阻止してきたものだとナイトウィングは言っていた。そしてたまには、人質や要救助者からのSOSも受け取っていた、と。

 美紀はそのハイテクガジェットのもたらす恩恵をひしひしと感じていた。なんせ、たまたま遠くから聞こえてきた爆発音に反応して捜査モードを使用していた所に、突然骨伝導スピーカーを通して謎の通信が入ったのだから。

『……れか、聞こえますか……?』無線通信特有のくぐもった感じだが、少女の声だ。年の頃は美紀とも近いくらいだろうか。雑音と違和感の中にどこか懐かしい気配もする。

「ナイトウィング……!」視界の隅に周波数や波長を示すメーターが表示される中、それを尻目に先を行く背中に呼び掛ける。

「どうした?」路地の先を警戒しつつ進んでいた彼は、どうやら気付いてはいなかったみたいで、首を傾げながら問い返す。美紀はマスクを指し示して言った。

「誰かが通信を……!」

「何……?」素早くナイトウィングもマスクのサイドに指を掛けた。やがて通信音声が再び流れ出す。

『……たし、駅長室に隠れてます……誰か……聞こえていたら返事して下さい……助けが必要なんです……』

 どうやら無線機の扱いに不慣れなのか、言葉の頭が途切れてしまっている。だが、明確に分かる。駅構内に逃げ込んだ少女らしき人物が助けを求めているのだ。

「生存者がいるんですよ!」

「あぁ、呼び掛けてみよう」美紀の言葉に頷いて、ナイトウィングは通信の終わったタイミングを見計らってサイドスイッチを押し込み、一拍置いてから口を開いた。「こちらはナイトウィング。聞こえるぞ、お嬢さん。君の通信を受け取った」

 ややあって、無線の向こうから声が聞こえてくる。

『……うじたの? や、やった……!』疲れたようでありながらも喜びを隠しきれない声に、美紀の勘のような何かが反応する。この雰囲気には、馴染み深いものがある。少女の通信は続く。『えっと、あの……ナイトウィング、さん……ですか?』

「やぁ、初めまして。君の名前は?」

『……たしは、Kです……』

「K……ケイ? それって……」ナイトウィングがスイッチを入れずに、美紀を見て問う。「確か、君の親友の名前も……」

 もしかして……いや、最早疑う余地は無い、と美紀は思う。そうであってくれと願う気持ちと混ざり合いながら、美紀は耳を澄ました。

「ケイ、念の為、君のファミリーネームも聞かせてくれないか?」

『……ドウです……シドウ、ケイ……』

「圭! やっぱり圭だ!」美紀は叫んだ。「生きてたんだね! 良かった……!」

「落ち着け美紀、それじゃあ向こうには聞こえてないぞ」ナイトウィングが苦笑いしながら言う。「スイッチを押してからだ」

「あ、そ、そうか……!」

「まぁ、ちょっと待て……。ナイトウィングより圭へ。ここに君と話したい人がいるんだ」

『……なしたい人、ですか……?』

「そうだ。そして君も話したいはずだ。今から代わるよ」それから彼はスイッチを示した。

 美紀は慌ててPTTスイッチを押し、送信した。

「圭、聞こえる!? 私だよ、直樹美紀!」

『……き? ……ホントに美紀なの……!?』

「そうだよ、圭!」

『……ールから脱出出来たんだね……!』

「色々あって、ナイトウィングと一緒に脱出してきたんだ……! それから、ずっと圭の事探してたんだよ」

 ややあって、涙声が無線越しに聞こえてきた。

『……かった……良かった、無事に……助けてもらえて……私、助けを呼ぶって言ったのに、全然駄目だったから……不安で、怖くて……』

「心配しないで、私は大丈夫だから。それより、圭のほうは?」

『……しと肩に怪我してるし、怪物だらけで駅から出られなくなってて……美紀、お願い……助けて……!』

 美紀は懇願するようにナイトウィングを見た。彼は、何を今更と言わんばかりに微笑んで返した。それから、マスクに指を掛ける。

「圭、ナイトウィングだ。大丈夫、すぐに向かうよ。僕らが助ける」

『……りがとう、ホントに……!』

「到着まではザッと……三十分も無いな。それまでは襲われないように気を付けるんだぞ。それじゃあ、通信を終了する」

「え、三十分?」通信を終えたナイトウィングに、美紀は尋ねた。「ここからどうやって……全力で走ったってもっと掛かりますよ?」

「何を言ってるんだ? 直線で行けばいいんだよ」ナイトウィングはホルスターからグラップネルガンを引き抜いて言った。「目標が定まった訳だし、急を要してるんだ。出し惜しみするタイミングじゃあないさ」

「それじゃあ、全速力で頼みます」美紀はナイトウィングにしがみつく。「遠慮は要りませんから」

「分かったよ。まぁ、吐かない程度にね」美紀をしっかりと腕に抱えると、ナイトウィングはバットクローを発射した。どこかの壁面に食らいついてケーブルが張り、そして巻取りの勢いのままに二人の体は舞い上がる。

「我慢するんでお気になさらず……ッ!」声になっているかも分からないままに美紀は言い、そして固く口を結んだ。あとは彼に委ねつつ、全力で堪えるだけだ。

 

 




 なんか全然学校で暮らしてない感じだし学園生活部でもないしなぁ、とか思っていたりいなかったり。
 まぁ身近に居るヒーローが支えになって学園生活部って言う誤魔化しが作られなくなっているとも言えるのかなぁ、とか思ったり思わなかったり。
 なので今ん所のチーム名は学園生存者一行。
 その内なんか誰かが死んで、誰もがヒッデェ精神的ダメージ負って、誤魔化しに頼る必要が出てきて、学園生活部設立ってする予定……にしたい。

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