DC COMICS × SCHOOL-LIVE 作:グレイソン
学園生存者一行を乗せたシボレー・タホは、佐倉慈の操縦の元、死者の波を掻き分けながら進んでいた。立ち入るまいとしていた地獄の行進に逆らっている理由は、ブラックライトニングことジェファーソン・ピアースが乗用車の男達から聞かされた『マスクとスーツの何者かに、死者の群れの中に置き去りにされた』と言う情報を元に、手掛かりを追ったが故だ。しかし残念な事に有力な何かが見付かる訳でもなく、今では死地のど真ん中を突っ切る羽目になっている。慈の胸の内には恨みたくなる気持ちも僅かにあったが、賛同した手前、自分もまた同罪であるとも理解しているので、無理矢理奥底に押し込めていた。
横目に映る助手席のブラックライトニングは、険しい表情を浮かべている。この状況を招いた事に対してや、車体を覆うように這わせたエレクトリックフォースフィールドの制御を行っているのもあるだろうが、それだけではない。彼の中には、『マスクとスーツの何者か』の正体と目される候補がいくつかあるのだ。その誰もが古くからの顔馴染ばかりだし、仲間であり、味方でもある者達ばかりだ。気掛かりなのは、正体と目する『彼』がこの世界においてもまだ犯罪狩人・クライムファイターの矜持を抱き続けたままなのか、それとも生存者を痛め付ける悪党に堕ちてしまっているのか、その点だろう。
「校長、こう言うのもあれなんですが……」後部座席から若狭悠里が尋ねる「その『彼』が、もし味方では無かったとしたら……どうするんですか?」
「そんなはずはないと信じている」即座にブラックライトニングが首を振る。
慈も操縦に専念したい気持ちの傍らで、ブラックライトニングから聞いた情報を思い返す。件の『彼』は、かつてタイタンズのリーダーであり、アウトサイダーズの一員でもあった。そして、師の不在の間だけではあるが、一時期はジャスティス・リーガーまで担った犯罪狩りのヒーローだ。そう簡単には自警主義者・ヴィジランテとしての自分を捨てたり、正義の味方を辞めはしないし、仮に一時かなぐり捨てるにしたって何かの作戦の元でだ。決して本心からではないだろう。そうジェファーソンは言っていた。
しかし、可能性も考慮しなければならない事は、当のジェファーソンとて重々承知しているはずだ。そして悠里はそれを言っているのだ。
「だが、もしそうであったのなら……」ブラックライトニングはやおらと口を開いた。「諸君や他の生存者達に危害を加えさせない為にも、全力で戦おう。そして捕える。洗脳されているにしろ、精神的に疲弊しているにしろ、私の手で元の心を取り戻させるだけだ」
「嫌な話してる」丈槍由紀が小さな声で言ったのが聞こえた。「ヒーロー同士が戦うだなんて……そんなのおかしいよ」
「あー、えっと……え、映画とかなら燃える展開なのにな! ほらあの、アベンジャーズとかさ! シビル・ウォーめっちゃ盛り上がってたろ?」恵飛須沢胡桃が困惑を隠し切れないままに、元気付けるよう明るく振る舞う。が、由紀の声は沈んだままだ。
「映画でも嫌いだもん、そんなの」
「うッ……マジか……わりぃ」
次第に重苦しくなる空気に、慈は集中力が奪われていくような感覚になった。このままでは如何にフォースフィールドの恩恵があろうと、いずれ何処かの何かに衝突して身動きが取れなくなるやも知れない。少し苛立ちが湧いてきてしまうが、それを必死に押し込めて、慈は全員に向けて言った。
「ねぇ皆、まだ決まった訳じゃないのよ? だから今から後ろ向きになっちゃ駄目だわ」
「そうだな……その通りだ」ブラックライトニングも頷いた。「これまでの人生、悪意と戦い過ぎたからなのか、ついつい深読みし過ぎてしまう。悪い癖なのかも知れんな……」
「あと、何か考えるのであれば、今はとにかくこのトンデモない場所から無事に抜け出せるよう祈ってちょうだい……!」やっぱり抑え切れなかった苛立ちを漏らし、慈は顔に引き攣ったような笑みを貼り付けて言った。
フォースフィールドの外でバチバチとスパークを起こしながら、生ける屍達が弾かれていく。派手な音と閃光だが、間合いを離す事は出来ても、行動不能になる程のダメージには至らない。油断していれば再び詰め寄られて取り囲まれてしまう。
それにフォースフィールドを維持するジェファーソンの能力にも限界がある。彼の力はさながらバッテリーのように、一度枯渇したら再び威力を発揮するまでには充電期間が必要なのだ。それは長くて数日、短くても数時間と、この状況下で陥る訳には行かない程の隙を晒してしまう。時間が経過するだけならやおらぼんやりとやって来るであろうその限界も、フォースフィールドが物体に接触する回数が増えれば増える程、より早く、確実に迫り来る。
そろそろみっともなく悲鳴を上げたくなってきたな、と慈は思っていた。まだ死にたくない。こんな事なら学校で留守番でもしていれば良かった。生徒達も外に出さないようにして、ブラックライトニングだけを向かわせれば……いや、それだと外敵からの防衛能力が足りなくなる訳だから、どっちみち不安には変わらないか。下手をすればいつぞやの雨で襲撃を耐え切れなくて、そこらを行く腐った死体の仲間入りを果たしていたかも知れない。そうならない為についてきた訳だ。それが今やどうだ。
集中とは一体なんだったのか分からないくらいに思考を掻き乱しながら、慈はハンドルと二つのペダルに齧り付くように操作した。
「……あッ! なぁオイ、見ろ!」胡桃の声が響いた。「左だ! モールの駐車場!」
どうやらいつの間にかタホはモールの駐車場脇を通る道にまで到達していたようだ。物資調達の目的地に到着、と言いたい所だが、状況が状況だけに停まる余裕が無い。乱雑に車両が放置されたままの駐車場には、そのあちこちに通りと同じかそれ以上の食人鬼達が見える。駆け込んで事態が好転するようにはとても思えない。
「校長、あれ見て!」由紀が叫ぶ。「あれってゴッサムの……『アレ』だよね!?」
「あ、あぁ、そうだ……! 矢張りか、あれは……!」ブラックライトニングの驚いた声が車内に響いた。「あれはバットウィングだ!」
歩く死体達の向こう側に鎮座する、金属質な黒い何か。それはゴッサムを守護するケープを纏った聖騎士が駆る、鋼鉄の翼だった。
「じゃあやっぱりバットマンがここに?」悠里が尋ねた。
「いや、彼とは限らない。あれはバットファミリー全員が扱える代物だ」ブラックライトニングは首を振る。それから続けた。「搭載されているバットコンピュータにアクセス出来れば、それ自体がブラックボックスとして機能するから、誰が操縦していたか分かるはずだ。どうにかして近付けないか?」
「え!? い、いやいや、無理ですよ! 入って終わりなワケじゃないんですから!」慈は悲鳴混じりな声で言った。「あんなメチャクチャなんですよ!? そんなトコ行ったら最後……どうやって出るんですか!?」
駐車場の敷地内は、放置車両の乱雑さによってさながら迷路のようになっている。その入り組んだ隙間を埋め尽くすように、歩く死体がそこかしこをうろついている。例え強引に突入したとしても、その後抜け出せなければ終わりだ。
「え、まさか死にたいってワケじゃないですよね?」慈は非難めいた口調で言った。無いとは思うが、もしそうなら、流石にその方針には賛同出来ない。
そうこうしている内に次第に道は逸れ、バットウィングの姿も遠退いていく。
「クソッ、目前にしながらとは!」
「二人とも落ち着いて下さい」背後から悠里が諌めるように言った。「何も直接突撃しなければならないなんて決まりはないでしょう? 周辺をまわってみましょう。手薄な場所だってあるはずです」
「そうだな。こっち側にやたらと集中してるんなら、反対側は数が少ないかも知れない」胡桃も同意する。そして続けて提案した。「めぐねえ、モールの反対の入口付近にまで回り込もう」
「わ、分かったわ。よろしいですね、校長?」
「あぁ、頼む」ジェファーソンが頷いて、それから笑みを漏らした。「なんだか私よりも皆のほうが冷静で、手慣れている気がしてきたな」
「まぁなんか変に慣れてきたんだろうな、この世界に」と胡桃が笑う。
「元の世界から逸脱し始めただけみたいにも感じるけどね」悠里が皮肉っぽく返した。
※
「あぁ、クソッ! もう駄目だな、手に負えないよ!」ナイトウィングが舌打ち混じりにそう言って、エスクリマスティックを食人鬼と化した人間の眼窩に突き刺した。脳を搔き回して破壊し、それから振り向いて叫ぶ。「ロビ……いや、美紀! 一時撤退だ、グラップガンを使え!」
「はい!」直樹美紀は教わった通りに懐からグラップネルガンを取り出し、傍らに立つビルの足元まで駆け寄ると、屋上目掛けて引き金を引いた。発射された展開式の鉤爪が壁面にガチリと食い込むと、ポリマーケーブルがピンと張り詰めて巻取りの用意が整ったのを感じる。グリップに備わるスイッチを押しやって、美紀は一足先に宙に舞い上がった。
駅構内への突入に失敗した場合は、付近の建物の上まで退避する。事前の取り決め通りだ。あらかじめいくつか見繕っておいた内の一つ、背の低い雑居ビルの屋上が近付くと、衝突したり勢い余って飛び出さないように速度を緩めて壁面に足をつき、駆け上がりながら鉄柵にしがみつく。それから全身の力を使ってよじ登り、硬い床材の上に転がり込んだ。
退避には成功した。深く息を吐いて、美紀は思う。問題は、もう既に二度――今回も含めれば三度もこれを行っている事か。
一度目は偵察がてらに正面から接近した際に、あまりの数の多さに圧倒されて撤退を余儀なくされた。二度目は手薄な通用口を見付けて侵入を試みたが、生者の匂いか気配でも嗅ぎ付けたかのように内部から溢れ出して来た軍団に押し返される形で逃げる羽目となった。三度目となる今回は別の侵入口として線路伝いにホームを目指した訳だが、なんとも奇妙な事に生前の慣習の如く待機していた連中が殺到して、ほうほうの体で逃げ延びてきたのだ。
「いやホント、キッツいなコレ……見渡す限り敵だらけって、梟の法廷か影の同盟でも相手にしてる気分だよ」ナイトウィングが鉄柵を飛び越えて言った。酷く息を切らし、いつもの笑みを浮かべる余裕は欠片も残っていないようだ。重たげにバックパックを降ろして大の字に倒れ込む。「そこら中からスキャンした以上の数が来る……敵はタロンか忍者どもか? どっちも嫌いだよ」
美紀はドミノマスクの望遠機能を使って駅周辺を見渡しながらため息を吐いた。
「でも……だとしたら、一体圭はどうやって入ったんでしょう?」
「あぁいや、まぁ、入る分には簡単さ」息を整えながら、ナイトウィングが答える。「ウスノロ人食い鬼どもを躱して掻き分けて突破すればいいだけだしね、余裕さ」
「え? いや、だったら……!」美紀は振り向いてマスクを外しながら、彼の顔を見詰めた。半ば睨むような形だったかも知れない。だが、入れないから困っているのではないのか。
「でもそれじゃあ片道切符だぞ」その心に気付いたように、ナイトウィングは首を振った。「入る事しか考えずになりふり構わず、って意味さ。で、入ったら最後、二度と出られない」
「それってつまり……今の圭の状況って訳ですか」
「あぁ」ナイトウィングは頷いて返した。「逃げ込むのに必死だったんだ。その先に行き場を失うなんて考えもしなかったろうな。だから突破出来たのさ」
美紀は学校で受けた防犯講習を思い出した。脅威が迫った時に生き残る人間は、戦う者でも助け合う者でもなく、ただ我武者羅に逃げる者だったと。生き延びたければ逃げろ。その思いこそが何より強く、状況を切り開く。キングオブポップだってそう歌っていた。さぁ逃げるんだ、と。結果、圭は生き延びたし、生きている。……まぁ、今の所は、と付きそうなのが虚しいが。
しかし助け出すと言うからには、当然帰り道も考えなければならない。合流してハイおしまいなどとは行かないのだ。挙げ句に圭は足だとかを怪我しているとも言っていた。行きと同じ速度で帰りも突破出来る訳もないだろうと、思考が至った。
「もう一度、今度は別の入口から行けませんかね?」
「付近のは一通りスキャンしたし、残るは反対側まで回り込まないといけない。少し距離があるし、そこからまた偵察をやり直す必要も出てくる」
「結構な手間が掛かりますよね……じゃあ、この際角度を変えてみませんか?」
「上からだね? 僕も考えたよ。けど、この周辺のビルから飛び移るには距離も高低差もあり過ぎて、グライダーかバットウィングか、最低でも大型のラインランチャーがない限りは危険過ぎる。駅舎の周りの連中を掻き分けて直接屋根に駆け上がっても、構内に飛び込めるくらいの大穴を開けるにはかなりの音が出る。それに引き付けられて地上で待ち構えられてたら、もう一巻の終わりだ」
「じゃあ反対に地下から……なんて、特に無理ですよね。この街田舎なんで地下鉄無いですし、今から掘る訳にも行きませんし」
「ジオフォースでもいたら話は別だろうけど……まぁ、もし地下鉄があったとしても、さっきの地上線の様子を見るに……ね? 分かるだろう?」
「あー……えぇ、まぁ……」どうせ常世線地の底行き特急列車の順番待ちをしている連中が、土産か駅弁代わりに肉置いてけと一斉にこちらに殺到するに違いない。残念ながら、大人しく食われてやるような趣味など欠片も無いので勘弁願いたい所だ。
「こうなったら奴らを吹き飛ばして一掃とか出来ないんですか? バット手榴弾とか、バット地雷とか、バットプラスチック爆弾とか」
「オイオイ、随分物騒な事を言うようになってきたな。……まぁ、あるにはあるけどさ」
「あるんですか」美紀自身言っといてなんだが、流石に唖然としてしまう。「いや、あるんですか!?」
「あぁ、バットウィングにミサイルと榴弾砲がね」ようやく調子を取り戻してきたのか、イタズラっぽく笑みを浮かべて言う。「しかも最大火力で撃てば戦車も軽く吹き飛ばせる代物さ。昔スーパーマンを殺した事もあるドゥームズデイって言う化け物がいるんだけど、ソイツすらも怯ませられる高威力だ。連中なんて束になっても敵わないし、あんな駅の一つや二つくらい余裕で地図から消せる。もう木っ端微塵さ」
「いや、それは流石にやり過ぎ……ってか、やっぱり無いじゃないですか!」期待させといてふざけんな、と言わんばかりにスネを蹴る。装甲の仕込まれたブーツの感触が伝わって苛立ちが募るが、それ以上やる訳にも行かない。やったら歯止めが効かなくなるだろう。「今持ってないかって事ですよ!」
「分かった分かった落ち着けって和ませようとしただけのジョークさねな。まぁ、一応あるよ。殺傷力は低いけど」
「へぇ……どんなのですか?」しょうもなければもう一発くらいはいいか、と思いながら先を促す。
「障害物除去用の爆破ジェルとかウィングディングスに仕込む爆薬とか、それなりにね」
「じゃあそれを使って、まとめて……!」
「いや、最大火力にしたって、薄い壁を破壊したり、派手な音を鳴らして驚かせるくらいの威力しかないんだ。僕らは人殺しじゃあないからね、犯罪者が巻き込まれても死なないように工夫してるんだよ。だからまぁ、連中の息の根を止めるとなると、設置する場所だの数だのの工夫が必要だし、まとめて巻き込みを狙っても、精々二、三体が関の山ってとこかな」
「はい……? そんなの、なんの役に立つってんですか……!? もっとバラバラに引き裂くくらいの威力が必要なのに………!」
「だから、僕らはテロリストじゃあないんだよ」ナイトウィングが肩をすくめる。「クライムファイターだからね。捕らえたいのさ」
ぐっ、と美紀は唸った。その通りだが、今は実に受け入れ難い言葉だ。
「って事で、敵の始末を殺し以外で考えたりもするのさ」ナイトウィングはバックパックを降ろして、いくつかのガジェットを取り出しながら言った。「派手な音で驚かせるって言ったろう?」
「だからそれがなんで……まさか」美紀は言いながら、ハタと気付く。「おびき寄せる訳ですか」
「そうだ、分かってきたじゃあないか。流石だ、ロビン」ナイトウィングは視線もくれずに笑った。どうやら呼び名を間違えたのは無意識の発言のようだ。「侵入に合わせて反対側で盛大な花火を上げてやるのさ。見物客が動いたら堂々と中に入れる。まぁ、中には周りに合わせない捻くれ者もいるだろうけど、流石にあの場の全員じゃあないだろう? なら、本隊とやり合うよりかは楽さねな」
「……分かりました。それじゃ、その手筈で行きましょう」美紀はナイトウィングに手を差し出して言った。「手伝いますから、早く仕掛けましょう? やり方とか教えて下さい」
「あぁ、勿論さ。それに今回は、君の手を存分に借りる事になりそうだからね」
「あと……私、ロビンじゃないですよ」
「……あれ? 間違えてた?」
「はい」
「似たような色してるからかな」
美紀は自分の全身を見た。緑に赤に黄色の組み合わせは確かにと言わざるを得なかった。
※
「皆、問題無いな?」血塗れになっている観葉植物の影に隠れながら、ブラックライトニングが振り返ってボソリと尋ねると、同じく身を潜めていた慈を始めとする仲間達が頷いた。
彼らは、バットウィングの鎮座する駐車場とは反対側にある幾分か小ぢんまりとした広場に車を停めて、モールの内部に侵入していた。エントランスホールから繋がる動きを止めたエスカレーターを登り、二階の商店前の通路脇に寄り、物陰に隠れながら周囲の様子を窺っている。意外な事に静かな店内には、あまり死者がうろついている様子は見えない。だが割れたガラス戸越しに見える屋外駐車場には、バットウィングの墜落にでも引きつけられたままなのか、大量の人であった影が蠢いている。物資の確保が出来ていない状況では下手に刺激するべきではないだろう。もし何かの間違いで呼び込んでしまって、屍の波が押し寄せて追い立てられても、必要な物を調達して逃げる体勢を整えておけば得る物自体はある。この旅路がまるっきり徒労に終わったとはならないはずだ。
「随分荒れ放題だな。やっぱり皆ここに来て盗みまくったのかな」胡桃が砕け散ったジュエリー店のショウウィンドウと、横倒しになったマネキンやそこら中に転がる貴金属らしき小物を見て呟く。
「宝石でお腹膨れるわけないのに」由紀が寂しげに言った。「どこでどう使うんだろう」
「先の事を見据えているのかもね」悠里が答えた。「或いは全く見据えていないままに、欲望に忠実なのか」
皮肉る物言いに、ブラックライトニングも遣る瀬無い気持ちになった。いずれ資本主義社会の復興によって財力が必要になる時は来るだろうが、今すぐではない事は確かだ。となれば宝石や貴金属の優先度も自ずと低くなるはずだろう。しかし、そこまでの考えに至らないのが非常時の人間というものだ。それをブラックライトニングはよく知っている。悲しい事に、彼の故郷では暴動などそう珍しい事でもなかったからだ。
「せめて死人の仲間入りを果たしていない事を祈ろう」小さく嘆息しつつ、彼は地べたで寂しく煌めく宝石達から目を逸した。「たとえそれが無駄だとしても」
「今は自分達の目的を果たしましょう」慈が言う。
「そうだな」とブラックライトニングは頷いて、辺りを見回した。「どうやら今どきは紙のフロアマップなど置いていないようだな。誰か詳しい者はいるかね? 生憎と私は通販ばかりでここを利用した事が少なくてな」
「地下に食料品や医薬品、一階とここが婦人服や雑貨系、一つ上のフロアに紳士服と家電売場で、最上階には食事処と映画館があったかと」悠里が答える。「まぁ、最上階には用は無いですね」
「おぉ、さっすがりーさん。いや、よく覚えてるね」胡桃が返した。
「それだけ、よく来てたのよね、ここ。……何故だか、妹が好きだったから」
「あ……あぁ、まぁ、小さい子にとっちゃ、モールなんていい遊び場だったろうな」弱まる声色にはいたたまれなさがある。
ふと、ブラックライトニングは思い返した。校長職に着任する前だったか、確か彼女の妹は事故で……。過去形で言った裏にはそれがあるのだろう。見ると、教職員として事情を知る慈も、平静を装っていたが顔に僅かな陰りを帯びていた。きっとマスクの下の己も似たような表情になっている事だろう。ブラックライトニングは思った。
「うーん、結構離れてるね」由紀が呟いた。「一個ずつ周ってたら時間掛かりそう。大丈夫かな?」
ブラックライトニングはむぅと唸る。抜けているようで、彼女は非常に敏い。今回も由紀の言う通りだ。一箇所ずつ周っていては手間が掛かり過ぎ、襲撃の危険性が高まるのは明白である。素早く済ます為にも、本来なら二手にでも分かれて物資を掻き集めてしまいたい所ではある。しかし、無線だとかの通信手段が無い現状では余り離れ離れになる訳にもいかない。危険に対して救援に向かえないどころか、足並みを揃えられずに逸れてしまって置き去りになる可能性もあるのだ。
「すぐそこに脅威の群れがたむろしているからな……手間だろうが、今回は全員で行動すべきかも知れん」
彼女達は少しの間迷うように互いに顔を見やり、それから頷いて返した。
「では、まず上から片付けよう。まぁ、私の服くらいしか用は無いから、なるだけ手早く済ませるさ」
「あ、だったら、ちょっと家電売場にも寄ろうよ」突然由紀が切り出す。
「どうした、由紀? 何探す気だ?」胡桃が首を傾げて問い返す。
「トランシーバーとか置いてないかなって。そしたら連絡取り合えるよね?」
「確かに。やるなぁお前」
「思い付いただけだよ」
褒められてにへらと笑う由紀に頷き、ブラックライトニングは答えた。
「いいアイデアだ、その流れで動こう」
上手く行けば、今後の身動きも取りやすく出来る。ブラックライトニングを先頭に、胡桃がしんがりを務め、一行は足音と息を殺しながら静かに進み始めた。
※
『ロビンよりナイトウィングへ。リモートバッタラン、一から六番設置完了。爆破準備OKです』
「ナイトウィング、了解。作戦通り、僕の合図で起爆しろ」
『ロビン、了解。でも……あの、この名前やめませんか?』
「え、嫌なのか?」
『いや、なんかちょっとアホらし……いえ、恥ずかしいです』
「オイ今アホらしいって言ったか? ヒドいぞ僕の昔のコードネームなのに」
『言ってないです聞き違いですカッコいいカッコいい』
「心が籠もってないぞ、それ。まぁ、恥ずかしいってのでも大概だけどな」
などと小声で通信しながら、ナイトウィングはバスターミナルと一般車乗降場にほど近い所にある、焦げ臭く燻っている放置車両の影に隠れていた。傍らに美紀の姿は無い。彼女はさながらスポッターのようにビルの屋上で待機している。
彼らは駅前周辺を捜索し、少し離れた所にある有料駐車場の片隅で、まだバッテリーが生きていて警報装置を作動させられそうな車両を見繕うと、遠隔操作式のリモートバッタランを飛ばして爆薬と警報装置をセットして陽動の仕込みを整えた所だった。
後は待機した美紀が合図とともに起爆し、死者の群れが流れきった頃合いを見計らってナイトウィングが突入。取り残されている圭を救出して戻ると言う流れになっている。
「まぁ、いいや。しっかり見張っててくれよ、ミスウォッチタワー。僕らが無事に出るには、君の情報が重要だからね」
『もう! 緊張させないで下さいよ』
アルフレッドやオラクルと言ったオペレーターによる衛星支援が無い現状は、二手に別れて監視役を設けるしか手が無い。それに、負傷者に加えて戦闘に不慣れな者を引き連れていては、満足に動けなくて守り切れない可能性も高まる。ある意味で、この分断された配置は都合が良かった。
『そっちこそ、圭の事……お願いしますね?』
「大丈夫だよ、これでも救出作戦は結構やって来てるからね。まぁ、軍とか警察式じゃあなくバット流だけど。とにかく、信じて」
『……もうずっと信じてますって』声からはふざけている様子が無い。離れているからこその本心だろう。ナイトウィングは少し嬉しくなって、やせ我慢ではない笑みをこぼした。
「それじゃあ、カウント開始だ。ゼロで起爆しろ」
『ゼロで起爆、了解です』
「スリー」
『ツー』
「ワン……ゼロ」
遠くのほうからバフッと言う小規模の爆発が響き、次いでけたたましいアラームが鳴り響いてきた。爆薬を搭載した六つのバッタランの内、一番から三番までのものが起動した証だ。そっと顔を覗かせると、巻き起こる噴煙に向けて生ける屍達の視線が集中している。やがて連中はぞろぞろとそちらのほうへ歩き出した。駅の構内からも同じようにわんさかと歩み出てくる。
――さぁて、どんなもんかな。
ナイトウィングは目立たないように身を潜め、隙を窺った。ある程度の所で見切りをつけなければ、いずれ陽動に興味をなくした奴らが帰ってきてしまう。
溢れ出てくる死者の群れを計測していた捜査モードのモニター表記が二十を越えた辺りで、その勢いは収まりを見せた。入口付近にはまだ何体かの敵影は見受けられるが、殴り倒して行けばいい程度の規模だ。
「よし、行ってくる」
『気を付けて……ナイトウィング』
美紀の声を聞きやりながら、ナイトウィングはエスクリマスティックを握り締めて駆け出し、巡ヶ丘駅の内部へと突入した。
※
ひとかたまりで行動していて正解だったと悠里は思った。閑散としているモール内部ではあったが、意外な所にまだ何体かの生ける屍達が、息を潜めるようにして留まっている。そののろい動きを掻い潜る事は容易いだろうが、闇雲に動けば次第に囲まれてお終いとなるのは目に見えている。助けようとして仲間の誰かが傷付く二次被害もだ。だからこそ、敢えてチームで動く事で、接敵を最小限にしなくてはと自らに言い聞かせられる。
ジェファーソンの服を一通り調達した後、家電売場に立ち寄り、商品棚やもう動かなくなっている従業員の遺体を物色して幾つかのトランシーバーとインカムを手に入れる事に成功した彼女らだったが、これらの出番は今すぐではないのかもしれないなと悠里は思った。そしてそうであってほしいとも願っている。
「この状況では、生存者を探すのはもう諦めるべきなのだろうな」とブラックライトニングが苦々しく言った。彼はブティックの入口付近に身を潜めて立ち、店舗内から通路側の様子を伺っている。
一行は早々に二階の婦人服売場にまで戻ってきていて、今は女性陣の必要とする衣服の調達を行っている。目的とする物もそう多くないので、同じフロアに留まり過ぎるのもあまり良くはないと判断した為だ。うろついている死体の数を考えると、一フロア分くらいなら処理しきる事は難しくはないだろうが、その騒音がどれだけを引き付けるかは分からないので、現実的には厳しい部分もある。足早に移動して正解だろう。
ブラックライトニングの周辺の床には、脳髄を焼き焦がされて動かぬ死体が何体か、悼むように布で覆われて横たえられている。この店内にたむろしていた敵を密かに無力化――サイレントテイクダウン――した証だ。かなりのエネルギーと精神力を消費したようだが、お陰でこの店舗内は安全に行動出来る。しかし、それで通路側から入店を試みるかつての客達が途絶える訳もなし。こうして監視の目を巡らせねばならない。
「バックヤードにまで入る勇気も余裕も、今はないですね」と慈が言った。大柄なバッグに必要な分の衣服を詰めて、それを背負う。恵飛須沢家で調達出来た物もあるので、ここでの荷物はそんなに多くは無いが、着実に身動きは取りづらくなっている。そしてそれは悠里を始め、他の面々も同じだ。その状態で、より狭くなるであろう空間を動き回るのは得策ではない。
「残念だがショッピングを楽しんでもらうようないとまも無さそうだな」
「これは一旦車に置きに行くべきかも知れませんね」悠里はブラックライトニングに言った。「このまま探索を続行するのは少し不安が」
「分かった。そうしよう」彼の判断は早く、頷いて返した。「皆どうだ? もう動けるのなら早めに行こう」
「もう大丈夫だよ」と由紀が答え、
「こっちもだ」と胡桃が頷いた。
「では……」ブラックライトニングは入口から辺りを見回し、そっと通路へと出ていく。やがて手招きをして言った。「よし、いいぞ」
息を殺しながら、一行は後に続いた。
そのまま慎重に来た道を戻るように進んでいると、悠里はふと雑貨屋と百円ショップの並ぶ一角に目が行った。雑貨屋も百円ショップも店頭には時期物のパーティグッズ系商品が並んでいる。騒がしいアラーム系の物からケミカルライト、中には売れ残り感を醸し出す少し時期外れな花火も見える。花火自体はともかくとして、彼女は騒々しいのが余り得意ではなかったが、妹はああ言うけったいなものが好きだった。そう思い返しながら、気付いた。これを好む……と言うべきかは分からないが、少なくとも引き付けられる連中を私は、私達はよく知っているではないか。
「マズイな、ホールに何体か見えるぞ」階下を覗いたブラックライトニングが呟く。「気まぐれな連中が戻ってきているようだ」
「留まられると厄介ですね」慈が返した。「倒しきれますか?」
「可能だが、割りとエネルギーの消耗が激しい。そろそろ充電切れも見えてきたな」
「この先何が起こるか分かりませんし、何か他の方法で注意を引き付けられないか探してみましょう」
「校長、佐倉先生、少しいいですか?」悠里は二人に声を掛けた。「ちょっと思い付いた事があって」
※
「フッ」と短く息を吐いてスティックを眼窩に突き立て、ゴリゴリとした嫌な感触を味わいながら、ナイトウィングは静かに屍を死体らしく戻す。立ち塞がる相手の頭蓋や顔面や頸骨を次々叩き割って、二度と起き上がれなくさせると、バット流潜入行動術を発揮して影のように忍んで進む。
「あぁ、もっと効率良くしたいね。こんな事なら、ルーシャスにスタンバトン頼んどくべきだったな。ただ殴るより簡単だったろうに」
『誰の話ですか、それ。そんな事より、今どのくらいですか?』
「半分くらいって感じかな。まだ目的地は確認出来ないが……心配ないよ、ちゃんと進んでる」
横倒しの掲示板の影から覗き込み、ウィングディングスの代わりに砕けたガラス片を投げ付けて注意を逸らすと、素早く忍び寄ってスティックを喉元に掛けながら膝裏を蹴って引き倒し、床にぶつける勢いのままに首を折る。
その音に振り向いて近付いてきた相手にはバットクローを発射して足首を引っ張り倒して、それから高く飛び上がり、勢いと体重を乗せながらその顔面にスティックを連結したスタッフを突き入れた。
「手加減しない戦いは久し振りだけど、元は生身の人間で被害者だと思うと……やっぱり複雑だな。嫌な気分だ」
分割したスティックを投げて額の真ん中にぶつけ、敵が仰け反っている隙に、跳ね返って宙を舞うそれの回収を兼ねて接近し、喉元を掴み上げて床へと後頭部を叩き付ける。割れた頭蓋から赤黒い何かがドロリとはみ出してくるのを尻目に、疲れた息を吐いて落ちて来るスティックを逆手に掴み、トドメとして突き刺す。
「でも、やっぱりタロンとか忍者よりも遥かにマシだな。小癪な手は使ってこないしね」
『あの……いつもそうやって戦ってる時に喋ってばっかりなんですか?』
「そのほうが怖くなくなるだろう?」見えないのは分かっているが、笑みと共に答える。「余裕がない時ほど、いつものように明るく振る舞わないとね。でないと、周りが不安がる」
『それ聞かされて素直に安心出来ると思います?』
「聞かせたくらいで通用しなくなるような真似はしないのさ」
『……ったく、あぁ言えばこう言ってばかり』と呆れるような言葉の中に微かな苦笑する色を感じて、少しは気持ちも解れたのかなとナイトウィングは思った。
柱の角をスキャンして裏に元駅員らしき動く死体を確認すると、背後に回って蹴倒し、頸骨を踏み砕いて、本来あるべき姿に戻す。その後、道の果てを見やると、ようやく目的地である駅長室が目に入った。そこに件の彼女は隠れていると言う。分厚いカーテンの降ろされているヒビ割れたガラス窓に、あちこちが赤い飛沫と爪痕で飾り付けられた扉。捜査モードでスキャンすると、椅子だの机だのを積み上げて作られたバリケードの向こうに生命反応が見える。身動ぎしている辺り、まだ無事でいてくれたみたいだ。ナイトウィングは近寄り、そっと戸を叩いて声を掛けた。
「やぁ、圭。通信で話したよな? 僕はナイトウィングだ。君を助けに来た」
「えっ……!? うそ、ほんとに……」か細い声と共にガタガタと音が聞こえる。驚いたのか慌てて動いたのだろう。少しして、向こう側から小声で問い掛けられた。「あの、周りにいた奴らは……!?」
「ある程度は片付けたから、今なら大丈夫だ。バリケードどけてくれるか? 一緒にここを出よう」
「ちょ、ちょっと待ってて下さい」
ガラガラと重い物を引き摺る音がする中、ナイトウィングはマスクに手を掛けて通信回線を開いた。
「ロビン、到着したよ。彼女はまだ生きてる。今から合流する」
『了解です。でも急いで。そろそろ連中が興味をなくしそうです。何体かそっちに戻って行ってます』
「それじゃあ第二幕の始まりだな。こっちがメインステージだ、準備しろ。全員を虜にする盛大なパフォーマンスと行くぞ」
『分かりましたけど……その言い方なんなんです? 昔役者でもやってたんですか?』
「サーカスのアクロバットさ」
冗談めかした会話の裏で、ガチャリと扉の開く音がする。姿勢を向けると、かつて美紀が着ていた物と同じ制服を纏った少女が立っていた。前わけの髪の間から見える顔は可愛らしくも青白く、弱っている事を示している。手足の所々には赤黒い血に染まったガーゼや包帯があてがわれていて、特に右肩の傷は派手な出血があった事を物語っている。交換して清潔にしなければ、他の感染症などで更に衰弱に拍車が掛かりかねない。
「変な名前だなって思ってたけど……」右足を庇うように歩み出て、彼女は呟いた。「あなたヒーローだったんだ」
「まぁ、知名度はバットマンに譲るよ。それより、さっさとおさらばしようか。随分具合いが悪そうだし、何より君を待ち侘びてる人もいるからね」
「う、うん……」と力無く頷き、しかめっ面で踏み出し、圭は苦悶の声を小さく漏らす。「ごめん、足が……」
「大丈夫さ」と苦笑いし、ナイトウィングは彼女を抱えた。「救出作戦なんて、大体いつもこんな感じだし」
恥じらう余裕すらない様子の圭を一瞥し、彼は駆け出した。
※
地下食品売り場から拝借した呼び込み用の機械と派手な色のケミカルライトを粘着テープで雁字搦めにされたラジコンカーが、間の抜けた音とともにゆっくりと通路の果てへと消えていく。引き付けられて後を追う歩く死体達。
「効果は抜群だな」横目に見送って、ブラックライトニングは呟く。それから彼らはそそくさとメインホールを抜けて車両へと荷物を積み込んだ。
「雑貨屋もワンダラーショップも品揃えに目を見張るものがある。つくづく日本ってのは不思議な国だと実感するよ」
「……隣の芝生はなんとやらと言うことわざがありましてね、校長」慈が苦笑いした。「こっちは倉庫みたいな会員制ストアを羨んでる訳ですよ」
「確かに」リモコンを握っていた胡桃が冗談っぽく笑った。「今となっちゃそこに銃が並んでんのも羨ましいかも」
生きる屍となった者は、光や音に反応して追跡する習性がある。それを利用した囮を使うと言う悠里の案は実に上手く行った。最初にケミカルライトだけを括り付けた一号機を使って一旦車両にまで退避し物資を積み込んだ後、腐った食品から漂う異臭に満ちた地下に降りて、売り場から必要な食料や薬と、ついでに呼び込み用の機械を回収してからは、更に誘導効果も高まり、今や連中の対処にはさほど労を払う必要もなくなっている。そしてきっと電池が切れるまでは、行き当たった先で注意を引き続けてくれる事だろう。その間にさっさとやるべき事を済まして逃げればいい。
「由紀、他の奴持ってきてくれ」胡桃が車両へと振り向いて言う。
「うん、今行く」由紀が頷いて、足元のそれを得意げに掲げて見せる。同じような仕様に改造されたラジコンカーが二台、彼女の細腕に抱えられている。「いよいよバットウィングだね」
必要な物資を確保し終えたのだ、残るは墜落したバットウィングの解析だけだ。それを安全かつ確実にこなす為にも、この誘導策は欠かせない。
「次も上手く行けばいいんですが……」悠里が呟いた。「店内と違って、駐車場はあの規模ですから、ちゃんと誘導出来るかどうか……」
「無いよりはマシであったとしても、無いよりはマシなのだ。試さない理由にはならないよ」ブラックライトニングは答える。「それにそろそろ私は充電切れだ。出来得る策があるのなら尽くさなければ」
悠里がやおらと頷き、彼もそれに返した。
準備と覚悟が整うと、一行はブラックライトニング単騎とその他の二手に分かれて行動を開始した。慈と生徒達は、二階通路に備えられた辺りを一望できる大窓の前に陣取り、デコイのラジコンカーを操作して敵の注意を逸らす。ブラックライトニングは地上階の出入り口付近にある生け垣に身を潜めながら、彼女らからの合図で移動を行う。そう言う手筈だ。
『行きますよ、校長。スイッチをお願いします』
「分かった。……よし、やれ」マスクに備えられた通信機能で、慈の持つトランシーバーと交信しながら、ブラックライトニングはラジコンカーに取り付けた装置のスイッチを入れる。ぽぽぽと間抜けな音楽を鳴らして、ラジコンカーは勢いよく走り出す。やがて、わらわらと人だったもの達の影が蠢き、一斉に彼方へと歩き始めた。
『やった、上手く行ってます! これならすぐに進めそうです!』
「あぁ、こちらも確認した。もう少し様子を見てから前進を開始する」
『分かりました、くれぐれもお気を付けて』
やがて視界内の影の数が減ってくると、ブラックライトニングは姿勢を低くし、車両の影を利用しながら、徐々に進行を開始した。
※
『ナイトウィング、今どこですか?』美紀の声が回線越しに聞こえてくる。
「ロビン、こちらは出入り口から三十m付近の角にいる。どうした、何かあったか?」
『連中の中に、元いた場所に戻ろうとしているのが何体か見えます』
「……確認した。帰巣本能でもあるのかも知れないな」角からそっと覗き込み、ナイトウィングは答える。数は十体前後。普段なら蹴散らして行けるだろうが……。「コイツは……今のままのスピードでは突破出来そうもないか……」
「え……そんな……」腕の中で圭が不安そうに顔を曇らせるのが見える。
「心配させてすまない。でも、大丈夫だ」ナイトウィングは笑みを浮かべて答えると、マスクの通信に向けて行った。「よし、もう一度花火ショーを見せてやれ。こっちが本命だ、ド派手な奴を頼む」
『分かりました、行きますよ』
少しして、再び爆発音が響く。今度は更に大きな音だ。警報も二つ重なって大きく聞こえる。設置したボムバッタランの残りを同時に起爆したのだ。これなら興味をなくした連中の気を再度引き付けるのだって充分な威力があるはずだ。見ると、構内に戻りつつあった連中がゆらゆらと踵を返して歩き始めている。目論見通り成功したのだ。これで道は、僅かにだが開けた。しかし……。
「ね、ねぇ、後ろからもきてるよ……!」痛みと疲労と恐怖の相まった青ざめた顔で、圭が言う。駅や店舗の奥で突っ立っていた連中すらも、流石にこの喧騒には釣られているようだ。歩みは遅けれど、ぞろぞろと躙り寄ってくる。
「そうだね、でも立ち塞がるより追われるほうが遥かにマシさ」ナイトウィングは圭を抱きかかえると、素早く走り出した。「振り払うより振り切るほうが遥かに楽だし」
入り口前にたむろしていた連中が気配に反応してか、やおらと振り返る。姿を目視された以上、音や光を使った撹乱の効果も低下する。完全に隠れきるか、スモークなどで視界でも塞がない限りは欺き通せない。だが、引き離してしまえばその限りでもない。ナイトウィングは全力で駆け抜ける。そして美紀の待機するビルへと駆け寄り、ホルスターからグラップネルガンを抜いて構えた。
「しっかり口閉じて掴まってて」
「え? う、うん……」分からぬままにだろう、圭が力強くしがみつく。
よし、これで落ちないだろう。そう頷き、ナイトウィングは引き金を引いた。射出されたバットクローが屋上の手摺りを引っ掴み、ワイヤーの巻き上げに伴って二人の体は宙を舞う。足元に集った唸り声が遠のいていき、数秒も経つと、彼らは屋上の縁を越えて美紀の前へと降り立っていた。
「やった……やりましたよ!」美紀がマスクを外し、拳を握り締めて喜ぶ。それから、彼女は親友の元へ駆け寄った。「圭! 良かった……無事で……!」
「美紀……私……助かった……の?」呆然と、圭は彼女に抱き締められる。
「そうだよ! 助かったんだよ!」
「助かった……助かったんだ……」そう力無く繰り返し、それから気が抜けたようにへたり込んで、圭は目を閉じた。
「ちょっ、圭!? どうしたの!? しっかり!」倒れた親友に慌てふためく美紀が、不安げにナイトウィングを見やる。「ど、どうしよう……どうしたら!?」
「心配ない、疲労で意識を失っただけだよ」脈拍を測りながら、ナイトウィングは溜息を吐いて答えた。「これでようやく、一つ進めたな」
※
二つの屍が通り過ぎるのを見送ると、ブラックライトニングは抉れた地面を越えてバットウィングの機上へと駆け登った。機能停止の上にロックされているようで、キャノピーはびくともしない。仕方なく、機体に電流を流して無理矢理解除し、残されたエネルギーが更に減るのを感じながらコクピットに入り込む。
内部を見回すと、用途不明のガジェットの残りが幾つか転がっているが、あとはもぬけの殻で、誰がどうしてこれに乗ってやってきたのかは判断が付かない。灯の落ちたコンソールに電流を流し込んで、バットコンピュータを強制的に再起動させてみる。機体の損傷が激しく、修理しなければ飛行も通信もバットポッドの射出も不可能だが、情報の解析機能と記録の呼び出しくらいは可能のようだ。
幾つかのファイルを漁って、ブラックライトニングは頷いた。
「矢張りか、ディック」
『校長、何か分かりましたか?』マスクのスピーカーから慈の声が聞こえてくる。
「あぁ、一応な」応答しながら、ブラックライトニングは操作盤を弄くる。「矢張り古い友だったよ。予想通りにな」
ワイヤーフレームによるマップが映し出される。この形は、駅の付近だろうか。建物の上に光の点が二つ記されているのが見える。
二つ? ブラックライトニングは首を傾げる。最後に記録された音声から、てっきり一人で来たと思っていたが、そう言う訳ではないのか? だとすると、もう一人は誰だ? ロビン? レッドロビン? まさかバットマン自身が来るとも思えない。彼はゴッサムにご執心のはずだ。疑問を抱きながらも、マスクの録画機能でマップの位置情報を記録する。答えは直接確かめれば済む話だろう。
「あらかた情報は手に入れた。どうやら彼は連れと共に駅のほうにいるらしい。皆に伝えてくれ。寄り道をして帰ろう、と」
『分かりました』
「では、これからそちらへ戻る。車両で合流しよう」ブラックライトニングは機体から降りて、エネルギーを吸い取り、機能を停止させる事で再度ロックをかけ、気配を殺しながらもと来た道を戻り始めた。
※
熱っぽい苦しさの渦巻く暗闇の中で、圭は美紀と向き合っている。頭の中には次々と思考が浮び上がり続けている。
彼女は親友。掛け替えのない友達。大事な、大切な、重要な相手……
会いたかった。例え一時仲違いしたとしても、決して失いたくない存在だ。もう片時も離したくない。
誰かに傷付けられるくらいなら、この身の内に仕舞い込んでしまいたいくらい。
そう、一層の事、食べてしまいたいくらいに。
あの白い肌、キレイな首筋に齧り付けたら、どれだけ心地良いのだろうか。細く小振りだが柔らかな体からは、どんな味がするのだろうか。
きっと美味しいに違いない。とろけるような甘みがして、最高級のステーキ肉にすら勝るとも劣らないはずだ。
あぁ、なんだかとてもお腹が空いてきた。
あの可愛らしく美しい顔立ちを噛み砕いて、深く青い瞳を抉り出して、耳を、鼻を、舌を、引き千切りむしゃぶりつくして……
少しだけ、少しだけ……味見を……
その瞬間に圭はハッとした。
私は今何を思っていた?
何故彼女を食べたいと思った?
私はどうしてしまったのだ?
分からない。分からない……
ただ、ずっとお腹が空いていて、それなのに食事として美紀の事を思い浮かべてしまっている。
嫌だ。まるで人食いの化け物にでもなってしまったような気分だ。
そう……あの生ける屍達のように……
私は……生ける、屍……?
圭の意識は、徐々に、徐々にと、熱っぽい苦しさの中に飲み込まれつつあった。