DC COMICS × SCHOOL-LIVE 作:グレイソン
「通信で呼び掛けられないの?」揺れるタホの中、後部シートの由紀が尋ねた。「ブラックライトニングのマスクも通信出来るじゃん?」
「そうだが、実はもうそろそろ充電切れ間近でね」助手席のジェファーソンは疲れた様子で、左手首の腕時計をヒラヒラと示しながら答えた。「思ったよりも消耗が激しい。私のパワーが充分に回復するまでは、使用を少し控えたいのだよ」
ブラックライトニングのスーツはメタヒューマンとしてのパワーが主たる原動力だ。それが尽きる、もしくは低下すれば、機能にも支障が出る。フォースフィールドの連続稼働や度重なる小規模の戦闘によって、ジェファーソンのパワーは著しく低下しており、今は精々で元々備わっていた拳銃弾対応程度の防弾服としてしか機能しない。大量のエネルギーを吸収するか、しばしの休息が必要だった。
「じゃあこっちの無線機は?」特小無線を示しながら胡桃が言う。「まだ電池もあるし」
「残念だが、ソイツ自体の範囲がかなり狭い。如何にバットファミリーの装備と言えど、傍受する為には拾うものが届かなくてはな」
「なるほど。じゃあやっぱ地道に近付くしかないか」彼女は頷いて無線機を見やり、ジャケットの胸ポケットに仕舞うと、それから道へと目を向けた。
慈の運転で、一行を乗せたタホは大通りを駅方面へと進んでいる。謎の爆音の正体――墜落したバットウィングから得た情報を元に、来訪者であるコウモリの弟子を探しに向かっているのだ。道幅もあって放置車両の回避には支障は無いが、生ける屍の数も多く、またフォースフィールドの加護も無いので、押し退け掻き分けて進むその歩みは実に遅い。
「せめて一キロ圏内に入れば話は別だが、向こうも移動しているかも知れないからな。確実とは言えないのが正直な所だ」
「一応、ある程度の距離になったら試してみましょう?」慈がハンドルを握りながら言う。「なるだけ急ぎますから」
「そうだな、頼むよ」窓の外を流れる死体の群れを眺め、腕時計をさすりながら、ジェファーソンは頷いた。スーツを十全に稼働させれば、ジャスティス・リーグの使う回線で呼び掛けられるだろうが、それにはまだまだ力が足りない。出来る事ならすぐにでもコンタクトをとりたいものだが、今は我慢の時なのだろう。
※
「さて、そろそろ移動手段を確保しに行かないとね」眠り続ける圭を一瞥してから窓の外を見やり、ナイトウィングが無感情な声で言う。「このままだと身動き出来ないしな」
「足手まといみたいに言わないで下さい」美紀は冷たく返した。「分かってて助けてくれたのかと思ってました」
三人は駅の近場にあるアパートの高層階に立て籠もっていた。それなりに酷い負傷をしていた圭の治療と回復を待つ為だ。先行したナイトウィングの手により、住人であったもの達は全て本来あるべき姿に戻されて処理されており、部屋の安全は確保されている。床も壁も血みどろであり、上下水道と電気が死んでいる事を除けば、割りと快適な空間だった。
「勿論、分かった上でさ。批難するつもりで言った訳じゃあないよ」ナイトウィングはサラリと返す。「でも不快だったなら謝るよ、すまない。このご時世だ、喧嘩別れにはなりたくないんでね」
「くっ……そんな風に言われたら……私も、酷い言い草でしたね。ごめんなさい」美紀もしまったと眉をひそめて答えた。「なんだか、また不安になってて……圭がこんな状態だし……」
「出来得る限りの手当はしたよ。後は、快復を信じる事しかないさ」ナイトウィングはそう言って、白いレンズの向こうから圭を見詰め、何かを続けたそうに言い淀む。全身の負傷を確認し、治療を施したのは彼だ。その時に何かがあったのだろうか? 美紀は首を傾げる。続く言葉を待つが、何も発せられる事はない。気付けば、彼はマスク越しに美紀を見詰めている。
「どうしたんです?」
「美紀、僕は……いや……」
「なんです? なんだか随分と調子がおかしくないですか?」
「……なんでもないよ」ナイトウィングは軽く笑うが、それはいつもの穏やかさや明るさの欠けたものにしか見えなかった。「いずれ……いずれは……」
そして二人は沈黙したまま、眠りの中にいる少女を見詰めた。白い肌が、時間とともに心なしか、より白さを増しているように見えた。
※
通りを進むその二台の乗用車には、それぞれ男女が四人ずつ、満員で乗り込んでいる。成人したばかりなのだろう若い彼氏彼女らは、皆が揃って鈍器や刃物と言った凶器で武装しており、辺りを見回す目には血気盛んな色をたたえている。暴徒と言うほどではないが、しかしその身に宿した暴力の気配は隠しきれていない。
「メタヒューマンのクソったれはどこにいやがる?」先頭を行く車両で運転手を務める男が言った。「オイ、なんか見つからねぇのか?」
「今ん所は特に何も」と、脇道を覗き込むようにしていた助手席の男が答えた。それから軽く後部座席を振り向いて尋ねる。「見てたのはアヤカ、お前だろ? なんか分かんねぇか?」
「そうだけど、行き先までは知らないわよ」と、アヤカと呼ばれた長い髪の女は答えた。鞘にしまったままのファイティングナイフを弄びながら、窓の外を一瞥する。「黒い外車に乗ってもっと街のほうに行ったってくらいで、どこに向かったのかなんて細かい事、分かる訳も無いわ」
「もしかしたら食いもんとか探してたのかもな」彼女の隣の男が言った。「で、取り合いになって殺したとか」
「それでウチの奴は巻き添えにってかよ」運転手の男が険しい顔で返す。「黒んぼのクソ野郎が他所様の国でふざけやがって、絶対にブチ殺してやっぞ!」
「だな、仇討ちしてやらねぇーと気がすまねぇ」助手席の男も頷く。
「ホントに物資調達してたんならもっと店の多いほうに行かないと」後部座席の男が言う。「なぁ? 闇雲より当たりをつけたほうがいいだろ」
「じゃあ取り敢えずモールとかそっち方面目指すか」運転手の男はそう言ってハンドルを慣れた手付きで切った。「そのほうがモノもありそうだしな」
「そうね」とアヤカは頷きながら、薄らと口元に笑みを浮かべた。憎悪と混乱の渦巻くこの空気と、それが行き着く先を、どこか楽しみにしているような色だ。助手席の男が無線機で後続の車両と連絡をとる間、彼女は窓の外へと向いて、その笑みを悟られぬように隠した。そして、その目論見は見事に成功していた。
※
「また車の音だ」ナイトウィングは窓に寄りながら呟いた。風の音くらいしか無い静けさの中、彼方に微かなエンジン音が聞こえているのに気付いたのだ。「案外、生存者は残ってるのかな」
「でも、またあの連中みたいな奴らだったら……」美紀が険しい顔で言う。見やると、彼女の視線は動けない圭に向けられ、不安感が増している。確かに、襲われれば切り抜けるのは至難の業だろう。その怯えは理解出来た。だが、とナイトウィングは優しく答える。
「大丈夫さ。バットマンレベルの探偵でも無い限り、こんな所にいるなんて誰も想像してないだろうし、こちらから手を振らなければ見付かりはしないさ」
それから再び窓の外を見やる。
車両持ちの生存者ならば、交渉次第では移動手段の入手に繋げられる可能性もある。よしんばもし接触するに値しなくとも、脅威の度合いを見定められる。ここは探りを入れるべきだろう。だがその為には、ここで二手に別れる必要もあった。圭の状態を鑑みるに、美紀を残して行くのは非常に憚れるが、とは言え彼女も今のままではようやく再会した親友と離れるつもりはないだろう。もしそれを覆す事が出来るとしたら、無情な真実を告げるか、或いは残酷な現実が訪れるのを待つか、或いは……
どうすべきか。そう黙りこくって、彼はマスクの下で眉をひそめる。本音を言うなら美紀と別れる事でリスクを高めたくはない。だが上手く説得出来なければ、彼女は決して行動を共にはしてくれないだろう。
ひとしきり迷って、それからやおらと口を開いた。いや、なんにせよ、まずは試してみなければ。
「美紀、手伝ってほしい事があるんだが、いいか?」
「手伝うって、何をですか?」
「このエンジン音を追って、生存者を探しに行きたいんだ。その為には、目は多いほうがいい」
「生存者をですか? でも、なんでわざわざ?」
「交渉か取引が可能なようなら、移動手段の確保に協力してもらうためさ。だが不可能だと判断した場合は、敵対勢力の危険度を測るだけに留める」
「なるほど。……でも」と美紀は心配の色が浮かぶ瞳を圭へと向ける。予想通りだ、とナイトウィングは思う。
「車両さえ手に入れば、彼女を連れて移動するのも楽になるし、敵だと分かれば覚悟した上で行動出来る。だろう?」
「それはそう、ですが……」
「素早くこなして戻ってくるんだ。迷うよりも建設的だよ」
美紀はしばし黙って、迷いを露わにしながら圭とナイトウィングを見やる。酷な目には遭わせたくはなかったが、とナイトウィングは少し胸が傷んだ。これでは追い詰めているのは自分ではないか。そして己は思いやりの名の下に、辛い宣告から逃げている。これのどこがヒーローなのだろう。
やがて、美紀が小さく頷いて、それから答えた。
「分かりました。さっさと済ませましょう。それですぐにここへ帰ってくるんです。いいですね?」
「分かってる。……すまないな、相棒」力無く、彼は微笑んで頷いた。
少しの後、書き置きとデッドウェイトになり得る物資を部屋に残すと、二人はグラップネルガンを使って宙空に躍り出た。
※
荒れたコンビニ脇の駐車場にタホを停め、ジェファーソンが携行缶から給油している。近場のスタンドの災害時用発電機は盗難に遭ったのか見当たらず、そもそも地下タンクに残量が無いのか手動ポンプにも手応えがなかったので、渋々備蓄を消費しているのだ。これはまたいずれ、他のスタンドや放置車両を探って燃料を抜き取りに行かねばならないのだろう。しかし一体どれだけ残っているやら、想像もつかない。なんだか昔観たマッドマックスとか言う映画のようになってきた。荒れた世界で燃料探し、違いは死体が動くかどうかだけか。慈はそう思いながら、護衛役の胡桃と共に店舗部分から車両へと戻った。
「見てきたけど、誰も居なかったよ」胡桃が声を掛ける。「生きてるのも死んでるのもね」
「物資もろくに残ってなかったので、ここはもう漁り尽くされた後なんでしょうね」
「だね。ってか、レジと金庫すら空けられてたし。この状況でまだ金かよって」
「そうか」と、ジェファーソンが軽くなった携行缶を仕舞いながら答える。「しかし、それならむしろ目をつけられにくいとも言えるな。補給とは行かないが、小休止と行こう」
「了解」胡桃が伸びをして言った。「ちょっとは落ち着いて食事も出来そうだ。みんなブロック栄養食には飽きただろうし」
「少し休んだら、あとは駅まで?」慈は尋ねる。
「あぁ、そのつもりだ」ジェファーソンは頷いて、それから続ける。「その後はどう言う結果になろうと、学校に戻ろう。みんな疲れも溜まってきているだろうしな」
「確かに、ちょっとしんどくなってきたよね」胡桃が苦笑いを浮かべる。「それにそろそろシャワーを浴びたい」
「そうね」と頷いて、慈も苦笑した。ボディシートにも限界はある。こんな時ではあるが、若い女にはキツいものがあった。
「では、必要な物だけ降ろそうか……」
ジェファーソンが後部座席を開けて荷物を探ろうとした時、悠里と共に通りを見張っていた由紀が駆け寄ってきた。
「校長、車の音!」由紀が言い、通りを指差す。それから静かにして聞くようにと言わんばかりに口に指を当てて見せた。
確かに、どこからかエンジン音が聞こえてくる。遠くはあるが、決して微かではない所から察するに、付近の通りを走っている可能性が高い。
「どうしましょう? 車を隠しますか?」慈は尋ねる。
「まだ敵と決まった訳じゃないけど……警戒しとくべきか」胡桃が確かめるように言う。
「また襲われてる人だったらどうしよう!?」由紀は慌てた様子でジェファーソンを見ている。
「どちらも有り得るな。諸君は車で待機していろ。私が偵察に向かう。いざとなれば時間を稼ぐから、その隙に学校まで逃げるんだ」そう言うと、彼は残り僅かなエネルギーを迸らせてブラックライトニングのスーツを起動する。現状の機能としてはもう最低限のものしか使えないと聞いているが、それでも無いよりはマシと言った所なのだろう。
マスクに手をやって少し待ち、ブラックライトニングは口を開く。
「短距離の通信ならまだ出来そうだ。諸君の無線と周波数を合わせたから、何かあれば連絡する」
「分かりました」と彼女も頷き返した。「どうか、お気を付けて」
※
どこからか、微かに犬の鳴き声のような音がして、圭は目を覚ます。力の無い声だが、確かに聞こえる。
呆けるような思考の中でフラフラと立ち上がり、無意識のままに靴を履いて鍵を開け、玄関をくぐる。
知らない部屋のベッドの上にいた事も、誰のか分からない清潔な服に着替えさせられていて、全身の傷に手当てまで施されていた事も、リビングにはメモ書きと血まみれの制服とともに荷物が纏められていた事も、美紀とナイトウィングの二人がどこに行ったのかも、一瞬頭に入った後に霞のように消えていった。
フラフラと歩く近隣住民らしき人影達を遠巻きに一瞥し、それから興味を無くして、音を辿って隣の部屋に入る。鍵が開いている事も、他人の家に入る事も、何故だか気にならない。と言うか、何も感じていないかのように、全てが鈍麻になった気分だ。
ただ一つだけ、例外があるとすれば、それは食欲。餓えた狼のようにとまでは行かなくとも、とてつもなく空腹を感じている。目の前に肉があれば、それがたとえどんな状態であれ、躊躇いも無くかぶりつけられるだろう。そんな気持ちだ。
部屋の片隅で蹲っている茶色い毛玉が見える。
犬だ。弱っている犬だ。小さな日本犬。力無く声を漏らしながら、食い破られた餌の箱と歯型の付いた缶詰が散らばる中で丸まっている。最近までは食いつないでいたのだろうが、それも遂に尽きたようだ。
飼い主はどこへ行ったのだろう。一瞬薄らとそう思ってすぐ消える。何もかもどうでもよくなる。
そんな事より、とても美味しそうだ。
抱き上げながらそう思う。そしてゆっくりと顔を近寄らせ、獣の臭いに包まれて……
「……な……何を考えてるのよ……私……!?」
圭はハッとした。
今、自分はこの弱々しい存在に何をしようとしていたのだ!?
おおよそ理性ある人間のするべき行いではない!
圭は青ざめた顔を顰め、涙を浮かべながら思った。
「私はどうかしてる……! おかしくなってる……!」
働き始めた脳が様々な危険信号を出しているのを感じる。このままでは、近い内に取り返しの付かない事になってしまうだろう。その前に、理性ある人間の内に、人間としてどうにかしなければ。
圭は一度強く目を閉じると、犬を抱きかかえたままかぶりを振って、気を強く持つように歯を食いしばり、それから力を込めて目を開いた。生気の薄れゆく瞳に灯火が宿ったかのように輝きが戻る。己のやるべき事を見据えているのだ。乱雑にだが缶詰を幾つも引っ掴み、服に押し込む。それから急いで元居た部屋へと戻った。
しっかりと扉の鍵を閉め、荷物の脇に美紀とナイトウィングの残したメモを見つけると、素早くペンを走らせ、分かりうる現状を記す。それから犬に水と餌を与えて、自身は寝室に籠もった。
これでいい。これで少しは人間らしい行いが出来た。あとは二人が戻ってくるのを待つだけだ。自分の意思が消える前に……
そう思うと、途端に恐怖がぶり返してきた。ガタガタと震えながら、なんの意味もないのに、圭は布団に包まる。
「二人とも……早く……早く帰ってきて……」
その内疲れもあって、段々と意識が遠のいていく。
近隣住民だったモノ達が彼女に目もくれなかった事には、最後まで気付かないままだった。
※
「オイ止めろ!」と助手席の男が言った。
車は乱暴にブレーキを掛けて止まり、後続車も慌てた様子でそれに続く。アヤカは顔をしかめながら全身に力を込めて耐えた。
「んだよいきなり!?」運転手が声を荒らげる。
「ちょっと戻れ、今の交差点だ!」言いながら、後ろの車両にも無線機と手で合図を送る。「下がれ、交差点のとこまで戻るぞ!」
「だからなんなんだよ……!」渋々と言った感で運転手が車を転回させると、やがて交差点の半ばで意図が分かった。
「あれ見ろ、なんかいるぞ!」
「なんだあの……クソデカ野郎……? 黒人の……コスプレ野郎?」
道の端に、辺りを探るように歩く男が見える。どうやら向こうもこちら気付いているようで、警戒しているような様子が窺える。
「オイ、あれじゃねぇのかアヤカ!? お前が見たっていうメタヒューマンはさ!」助手席の男が問い掛けてきた。
「……まぁ、そうね。稲妻のメタヒューマン」アヤカは頷く。あんなに目立つ青と黄の稲妻のような装甲服だ。真夜中ならいざ知らず、日の下で見間違うはずもない。「で、どうするのかしら?」
「だったら一つだろ!」運転手の男が無線機を引ったくって怒鳴りながら車を走らせた。「見付けたぞ、ぶっ殺せ! 仇討ちだ!」
※
「ナイトウィング、なんらかの通信を傍受しましたよ」ビルの屋上を歩きながら、美紀は言った。ドミノマスクの捜査モードに感知あり、と言った所だ。青白い視界の中でインジケータが反応している。だが方角はともかく詳細な距離と内容までは把握出来ていない。雑音にまみれて途切れがちだった事から、相当離れているのだろうかとボンヤリ思った。
「あぁ、聞こえてるよ。結構離れた場所で弱い通信機を使ってるのかな。聞こえにくかったけど、どうにも物騒な事を言ってるみたいだね」ナイトウィングも頷き、マスクに手をかけながら言った。彼は持ち前のスキルで彼女以上の情報を得ているようだ。「殺せ、だって? オイオイ、穏やかじゃあないな。だが、実にこのご時世らしいよ」
「それで、どうします? 接近します?」美紀は捜査モードのインジケータを見ながら尋ねたが、内心それには否定的だった。わざわざ危険に近付く必要性もないし、むしろ離れるべきだろう。そして、その気持ちは少なからず声色や顔色に出ていたようだ。ナイトウィングが振り向いて彼女を見やると、ふむと唸ってからやおらと口を開いた。
「今の通信、微かに後ろにエンジン音が聞こえたんだ」
「え?」あんな通信を聞いただけで分かるものかと否定したくなったが、ふと思い返す。彼の師匠は誰だ? 世界最高の探偵だ。つまりは正しい可能性のほうが遥かに高い。
「僕らが追っている奴かも。となると、様子を見に行って損はないだろう? まぁ、嫌かも知れないけどね」
「それは……」
「それに、連中が襲おうとしているものがまだ人だったなら、僕は見逃す訳にはいかないな」
「こんな時までクライムファイター、か……」美紀は面倒そうに言ったが、同時に、だからこそ自分達も助けてもらえたのだと言う事も理解していた。となると、自ずと道は見えてくる。「……分かりましたよ、行きましょう」
「うん」と頷いて、ナイトウィングはグラップネルガンを構えた。美紀も彼にしがみついて、二人はビルの狭間を進んだ。
※
「来る気か!?」
突っ込んでくる二台の車両を前に、ブラックライトニングは回避のすべを探す。そしてタイミングを見計らい、傍らの廃車を駆け上がって高く飛び上がった。廃車のギリギリ手前で止まった車の屋根に、ブラックライトニングの巨体がズシリと着地する。
「オイ、私はまだ人間だぞ!? そこらを歩く屍とは違う! それでも殺そうと言うのかね!?」ぞろぞろと降り立ってくる武装した男女を前に、ブラックライトニングは身構えつつ問い掛けた。
「あぁん? 何が人間だ、ふざけやがって!」先頭車両の運転手だった男が憎しみに満ち溢れた顔で答える。「化け物風情がデカい口叩くんじゃねぇよ!」
「化け物、だと?」ブラックライトニングは思わず眉をひそめる。「それはメタヒューマン差別か? それともこの私の肌を見て言っているのか?」
化け物と呼ばれる経験は数え切れない程にある。それは彼が能力に目覚める遥かな昔からの事だ。そして今だにそれを前にすると、込み上げてくる怒りを抑えきれなくなる。空になりつつある稲妻の全てがスパークして全身から迸りかねない、そんな気分だ。
「ぶち殺してやっぞこのニグ◯のクソ野郎がよぉ!」そんな侮蔑と差別の入り混じった言葉とともに、凶器を手にした若者達が取り囲む。「外人風情のゴミ侵略者が! エイリアンはこの国から失せろや!」
「そうか、やる気か。では……お前達の不幸を恨め」ブラックライトニングは格闘戦の構えをとる。そして、稲妻を纏わずとも電光石火の素早さで飛び掛かり、包囲を突破するとともに、口の端から泡を飛ばす運転手だった男の顔を真っ先に殴り倒した。「今の私には、手加減してやれるほどの余裕は無いんでな。覚悟しろよ」
※
「なんて奴……」アヤカは戦いを遠巻きに眺めながら呟いた。確実に仕留めるには、まずは相手の出方を窺う必要がある。その為に、周りの連中を囮として利用しているのだ。そして、その考えは正しかったと実感した。「速い……あれがメタヒューマンの力……? いや、違う……!」
黒人のメタヒューマンはまるで稲妻の如きスピードで多勢に無勢を渡り合っている。一撃二撃と着実にダメージを与え、優勢に立ちながらも、他からの攻撃を受けそうであれば素早く切り替えるように身を引いて、その危険性を減らす。まるで多人数との戦いが身に染み付いて慣れているように見える。彼女含め八人いた徒党は、既に半数近くが、男女の別なく手酷く叩きのめされて地に沈んでいた。誰も死んではいないが、回復までには少しばかりの時間を要する程度には痛め付けられている。この男は熟練されたファイターなのだとアヤカにも分かった。そして何より恐ろしかったのは、このメタヒューマンは得意の電撃能力を一つも見せていないのだ。つまりは、まだ本気ではないと言った所なのだろう。
「参ったわね、これは殺しにくい……」順手でナイフを構えながら、アヤカは冷や汗をかいた。「ちょっとガチでやらなきゃ、ってレベルじゃないわね」
特段武術を嗜んでいる訳でも無く、ナイフ格闘術やサバイバル技術の纏めを大学の図書室で読み、実践は不意打ちくらいでしか行った事の無い彼女だが、殺人狂として目覚めた観察眼と警戒心で、強敵の放つ重圧と言う奴を感じ取っていた。しかし同時に、その胸が高鳴るのも感じている。この男を殺せたなら、どれほど心地良いだろうか。どれだけ世界が与える自由を感じられるだろうか。その期待に心臓が跳ねるような鼓動で動く。
五人目の男がダウンした。膝を突いてうずくまり、復帰には今しばらく掛かりそうだ。
対峙するメタヒューマンは……よく見ると、どうやら少し息を切らしている?
そろそろ、何かが変わりそうな予感がした。
※
どうにも息が続かない。疲労の溜まった体のうえ、電撃を使えないまま戦っていては、普段以上に制圧に時間と手間が掛かってしまっている。八人中五人を倒すのにこれ程までに消耗するとは。ブラックライトニングはマスクの下で眉をひそめる。顔を隠しているお陰でどうやら悟られずには振る舞えているが、それもいつまで誤魔化せるか。二台の車のバッテリーからエネルギーを吸収して補給する事も考えたが、その間は無防備な姿を曝す事になる。残りの三人がそれを黙って許してくれるはずもないだろう。どう手早く倒すかを考えつつ、些か厄介な展開になる気配を感じていた。
――攻撃的な二人の男はまだいい。その後ろのあの女、あれは怯えているのではない。まるで……見定めているのか?
ナイフを持った長い黒髪の女をちらりと見て、ブラックライトニングは警戒心を高めた。彼女は他の怒れる男女とは雰囲気が違う。その目は正しい恐れを抱き、獲物を狙うハンターのように、彼の動きを見つめている。決して手練れと言うような――それこそ、名の知れたシリアルキラーや生まれついてのサイコキラーのような――気配ではないが、しかし油断ならない何かを纏っている。妙で仕方ない。
そしてその瞬間に、彼の注意は戦いから逸れていた。
振りかぶられた木刀が勢い良く頭上に迫り、辛うじて間に合った防御の腕にぶち当たる。堅牢な装甲があると言えど、響いてくる痛みは消せない。ぐっ、と唸って、怯む。
胴を凪ぐ衝撃。金属バットが命中したのだ。よろけるがままに転がり、素早く頭を守って構えると、既に木刀が迫っていた。引っ掴んで組み付き、奪い取ろうとするが、再び金属バットが胴を打ち据える。緩んだ手から木刀が抜け出し、今度は硬い刀身が肩先に入った。幸い骨には異常はないが、動きが鈍る。
ここにきて一気にリズムが崩された。ブラックライトニングのテンポで進んでいた戦場は、今や暴漢どもの思うがままになりつつある。距離をとって仕切り直そうにも、挟み撃ちの形になって抜け出せない。その上、疲労と痛みが伸し掛かってくる。体は重くなるばかりだ。
気付けばついに防戦一方となり、攻めあぐねる中、ふと女の姿が目に入った。
殺れると踏んだのだろう、彼女はナイフを構え、恍惚とした笑みを浮かべてこちらに歩き迫ってくる。うっとりとした表情は、美しい顔立ちと相まって酷く不気味に見える。そしてこのまま行けば、彼女の考えこそが正しいと言わざるを得なくなるだろう。ブラックライトニングは冷や汗の中で舌打ちをした。だが、それで何かが変わる訳もない。
変えるには、他にきっかけが必要だ。彼はそれを見出そうと必死に探した。
※
遠くで起こる集団リンチの如き光景を目の当たりにして、由紀はどうにかならないかと懸命に考えた。急かすような発言をしてしまった手前、心配でたまらず飛び出してきたはいいものの、このままでは残虐にいたぶられるのを傍観するだけになってしまう。廃車の影に隠れて傍らに目を向け、連れ立ってきた胡桃に言う。
「くるみちゃん、どうしよう!?」
「どうしようったって……」
「あの人達追い払えない!?」
「そ、そうしたいのは山々だけど……生きた人間を殴るのなんて、あたしに出来るかどうか……自信、無いな」悔しげに顔をしかめ、恐ろしげに震える手でシャベルを掴み、胡桃は言う。
その瞬間に由紀は思い出した。胡桃が意中の男を殺した時、彼女はまだ人間を殴り倒してその首を叩き折ったと思っていた。今だにその辛い感触が胸の中に巣食っているのだろう。だから、あからさまに歩く死体であると分かる相手以外には、些か弱気な姿勢になってしまうのだ。
「なぁ、何か他の方法で助けを……」胡桃は焦りと不安を滲ませた顔を向けて言う。
しかし、何があると言うのだ。由紀は参って頭を抱える。自分が代わりに突撃した所で、なんの役にも立てないだろうし、他の面子を呼んでも、彼女らが戦える訳でもない。むしろ肉の壁にでもなれればいいほうだ。きっと足手まといにしかならないだろう。では、どうすれば……。
「呼ぶ? そうだ!」由紀はポケットから無線機を取り出した。
「何する気だよ?」胡桃が問う。
「助けを呼ぶんだよ!」
「呼ぶって、めぐねえとりーさんをか? あの二人に何が出来るよ……?」
「いいから、任せて!」由紀は言うと、PTTスイッチを握り込む形で押した。周波数がどうのとかの理屈は分からないし、近くにいるだなんて確証もない。だが、もしかしたら……そう信じて声をぶつける。「どうか、聞こえてて……! お願い、助けて……ナイトウィング!」
※
「え、今のって!?」美紀が仰天した声を漏らす。
「あぁ、聞いてたよ。雑音混じりだったが確かに……僕を呼んでたな?」ナイトウィングも頷き返した。「ロビン、捜査モードに切り替えろ。位置を特定するんだ」
「もうやってます」美紀がマスクに手を掛けながら答える。「発信源を捜索中です。けど、通信が無いとどうにも」
「僕からも呼び掛けてみるよ」ナイトウィングは己のマスクに搭載されている通信機能で周波数を確認し、返答を送ってみた。「あー……やぁ、聞こえるかい? 僕を呼んだのは君かい、お嬢さん?」
ややあって、回線に返答があった。だが少し電波が弱いのか、それとも建物に遮られているのか、上手く聞き取れない。それでも、通信が繋がった事に意味がある。
「続けて下さい」美紀が促す。
「お嬢さん、そちらの声が上手く聞こえない。もう一度頼む」
『……ラック……トニング……襲われて……お願い助け……!』
「二つほど通りを挟んだ向こうですかね」美紀が指をさして示す。「結構距離と建物がありますからね、電波が上手く届いてないのかも」
ナイトウィングも捜査モードを起動すると、反応を示すインジケータが表示された。どちらも同じ方角であり、尚且つ彼らの進路上だ。
「まさか、さっきの物騒な連中に?」
美紀の言葉に、ふむとナイトウィングは唸った。可能性は多いにある。となると急ぐべきか。まだ正確な距離が算出出来ていないが、それはここからの交信次第だろう。
「向かいながら位置を特定しよう。傍受を続けてくれ」ナイトウィングはグラップネルガンを構えて発射した。隣のビルにクローが掛かり、ケーブルが張り詰める。無言ながらしっかりと美紀がしがみつき、準備が整うと、彼らは身を投じて谷間を飛んだ。
一つ、二つ……とビルを過ぎて屋上に着陸し、駆け抜けて狭間を飛び越えると、やがて幾分か音声がクリアになる。
『は、早く来て! 助けて!』
「もうこの通りの先です!」屋上の縁を越えるように指差して、美紀が言う。
「確認した。随分近付けたようだな」ユーティリティベルトに吊るしたガジェットを確認して、続ける。「僕は襲われている人の救出にまわる。ロビン、君は通信の主と接触し、一緒に安全地帯まで後退しろ。その後、事態の詳細を聞き出してくれ。但し、僕が合流するまでに危険や不信さを感じたら、迷わず逃げていい。身の安全が最優先だ」
「りょ、了解です」
「では、行くぞ」
二人はいくつかのビルの谷間を飛び越えて渡り、屋上を走った。
やがて眼下に、荒れた通りと揉み合う数人の姿が見えてくる。
「アレは……まさか!?」その内の一人を見て、ナイトウィングは思わずたじろぐ。
「どうしたんです?」
「……いや、今は説明している場合じゃあないな」首を振り、彼は続けた。「後で話すよ。とにかく行かないとね」
「……? 分かりました」美紀は疑問符を浮かべるように見やりながらも、頷いて返す。
それから、二人はそれぞれの行動に移った。
※
「ブラックライトニングが!」由紀が悲鳴に近い声を上げる。
「えぇい、こうなったら……やるしかねぇ! 今、やるしかねぇんだ!」胡桃は震える手にシャベルを構え、廃車の陰から立ち上がる。そして、力の入らない足に喝を入れて駆け出そうとして……
「ちょ、ちょっと待って下さい! その必要はありませんよ!」突然現れた少女によって遮られた。
「なんだお前は!?」胡桃は問う。「変な仮面なんかしやがって、ナニモンだ!?」
「え? あー、私は……」
「ロビン、だよね!?」由紀が驚いた声で言った。「そのマスク、その色の服、バットマンのサイドキックの!」
「まぁ、違うんですけど……今はそれで」
「じゃあ、彼も……!?」由紀が見詰めると、ロビンと呼ばれた彼女は頷いた。
「えぇ」ロビンと呼ばれた少女は指し示す。天空からの使者の如く現れる青い翼の男を。「だから心配ありませんよ」
※
目前に迫るナイフに、何かがブチ当たった。一同が見やる中、硬い音を響かせて落ちたそれは、翼のような形をした手裏剣で、ブラックライトニングには見覚えがあった。
「もしや……!」
「僕の仲間が世話になったみたいだな!」黒い装甲服に青い翼の映える長身の男が、頭上から跳び来たる所だった。男は飛び蹴りで金属バットを握る手を蹴り飛ばすと、グラップネルガンを発射して木刀を絡め取り奪い捨てて、ブラックライトニングを庇うように立った。
「ナイトウィング!」ブラックライトニングは思わず名を叫ぶ。由紀の送ったあの通信が届いていたのか。唖然としながらそう思う。
「よぉ、どったの? センセー」ナイトウィングはおどけるように言った。「……なんてね。引退の時以来かな」
「あぁ、長い時が経ったよ。こんな形での再会すらも嬉しいくらいにな」
「そのようだ。死に別れにならなくて良かったよ」ナイトウィングはそう言うと、両手にエスクリマスティックを抜いて構える。「さて、話はここまで。今はこの場を切り抜ける時、だろう?」
眼前では徒党の内の何人かが、呻きを上げながらも立ち上がり、戦線に復帰して身構える所だ。話している余裕もあと僅かだろう。
「そうだ。だが間違えるな、相手は人間だ」ブラックライトニングは並び立ちながら、念を押すように言う。「殺しは無しだぞ」
ある意味では確認の意味を含めた言葉だった。それを受けて、ナイトウィングは仮面の向こうからまっすぐに視線を返して答える。
「オイ、誰に言ってるんだい? 僕はいつでも変わらないよ」
「……信じるぞ、その言葉」頷いて、ブラックライトニングも返した。
「殺っちまえやぁッ!」徒党の内の誰かが叫び、そして一斉に詰め寄ってきた。痛みに顔をしかめ、息も絶え絶えながらも、その目に宿る狂気じみた殺意と憎悪は衰えない。
二人はあっと言う間に取り囲まれてしまった。鈍器が、刃物が、四方八方から迫る。だが彼らは、それで終わるようなクライムファイターではなかった。
「そうは行くかよ!」ナイトウィングが叫んで、ベルトから取り出した何かを地面に叩き付けた。瞬間、凄まじい爆煙が立ち込める。それに乗じて二人は気配を殺し、包囲網を抜け出した。
「な、なんだこれは!?」
「畜生、どこだ!?」
怯んだ徒党が辺りを見渡し、二人を探しているのが分かった。その背後から、ブラックライトニングは黒い影となって野獣のように躍りかかる。組み付いて、男を一人投げ飛ばす。すると、その先に待ち構えていたナイトウィングがスティックで殴り付けて、意識を刈り取った。
流れるようにナイトウィングは傍らの女の腕を殴り付けて、バールを弾き飛ばす。驚いた女を組み伏せて地面に叩き付け、これまた意識を奪った。
「いたぞ、あそこだ!」ようやく気配に気付いた一人の男が、鉄パイプを振り回してナイトウィングに襲い掛かる。だがすんでの所で、ブラックライトニングの放ったレスリング仕込みのタックルによって阻止され、そのまま地面に引き倒されて気を失った。
電撃が使えれば、と一つ息を吐くと、何かの射出音が耳を打つ。ナイトウィングが構えたグラップネルガンを放ったのだ。ぐいと引っ張ると、すぐに煙の向こうから、姿勢を崩した男が現れる。ブラックライトニングはそれに向かって飛び掛かり、足を払うと、よろめいて倒れた男の後頭部に掌底を打ち付ける。男は戦意を喪失したようで、痛みに呻いて身悶えするだけとなった。
あとは、何人だ? どれくらい残っている?
ブラックライトニングは辺りを見回して探ろうとしたが、突然、真横から風切り音がして構えを取った。何かが飛来して誰かに衝突し、呻き声がする。
「左、失礼」ナイトウィングがそう言いながら、傍らにやってくる。そして宙を舞っていたエスクリマスティックを受け止め、振るった。見ると、あの運転手だった男が腕を押さえながら蹲っている。ナイフが落ちている辺り、それを叩き落されたのだろう。どうやら戦う余力は無さそうだ。
「これで全員か?」ブラックライトニングは尋ねた。
「そのはずだ」ナイトウィングは目のレンズを青白く光らせて答える。マスクの機能で周辺をスキャンして見渡しているのだろう。「五人倒した」
「そうか……」薄れゆく煙の中でブラックライトニングも確認し、頷く。しかしすぐに違和感が襲ってきた。「いや待て、あの女は……!?」
「あの女?」
「ナイフを持った長い黒髪の……」
刹那、先程までは感じなかった強い殺気が迫るのを悟る。二人は背後を振り返りながら飛び退いた。
「チッ」と舌打ちをして、寸前にまで詰め寄ってきていた女が、悔しげに睨み付けてきた。そして全く迷いも無く間合いを離して、白煙と廃車の向こうに消える。
「彼女だ。奴だけは他と何か違う。ずっと隙を探るように見ていたんだ」
「なるほど。どうやら天性のファイターではなく、ニンジャってタイプらしいね。くのいち、って奴かな」
「気を付けろ、ただの素人と舐めて掛かるのは危険かも知れん」
「了解、センセー」
二人は背中合わせに立った。辺りを見回しながら構える。やがて、廃車の陰からボンヤリと人影が躍り出てくるのが見えた。
「じゃあこれだ!」ナイトウィングがグラップネルガンを使って足を引き倒すと、その人影は余りにも無抵抗に地面に倒れて、頭部をしたたかに打ち付けた。鈍い音が響いて、沈黙が漂う。
「やっべ、嘘だろ」慌ててナイトウィングが駆け寄り、その安否を確かめに向かった。「やり過ぎたか?」
勘違いだったか? ただの警戒し過ぎでしかなかったのだろうか? ブラックライトニングは冷や汗と共に思う。だがすぐに、その考えはひっくり返った。
「オイ、コイツは囮だ!」ナイトウィングが叫び、エスクリマスティックを人影に突き刺す。「彼女、裏をかきに来たぞ!」
「なんだと!?」言うが早いか、背後に迫った物音に身構える。
相対したそれはよろめきながらこちらに寄ってくる。まるで自分の意志とは反して、突き飛ばされたかのようだ。そしてそれは正しかった。何故ならそこにいたのは、歩く屍でしかなかったからだ。
「これが囮か!」ブラックライトニングは殴り倒しながら言い、辺りを見回した。薄らぼんやりと、いくつものシルエットが浮き上がり始めている。彼らが倒した横たわる若者達以外に、周辺から集まってきた蠢くモノ達が大勢見受けられる。そしてその間を、長い髪をなびかせた女の陰が駆け抜けては、次々こちらへと押しやってくる。
ふと見ると、一体の屍が、気絶して横たわる青年に覆い被さろうとしていた。
「仲間諸共と言う訳か!?」ブラックライトニングは素早く亡者を蹴飛ばした。「マズいぞ、彼らが!」
「分かってる!」ナイトウィングもグラップネルガンから伸ばしたバットクローを使って、地面で呻く若者に迫った亡者の頭を掴み上げ、引き離している最中だった。その背後にも陰が躙り寄っている。
「後ろだ!」
「クソッ!」ナイトウィングはバットクローを巻き取って移動する事で、間一髪離脱に成功した。躙り寄っていた影は逆手に握ったナイフを空振りし、舌打ちを漏らして逃げていく。
「あの女、お構い無しかよ!」ナイトウィングがジップキックで捻じ伏せた屍にトドメを刺しながら言う。
「どうやらそのようだ、このままでは手に負えんぞ!」ブラックライトニングは倒れていた若者の一人を引き起こして肩に担ぎ、彼らの乗ってきた車両を示した。「コイツらの車がある、そこに避難させるぞ!」
「分かった!」ナイトウィングは頷くが、足元を見て即座に離れた。その反応を見るに、どうやら手遅れだったのだろう。「次こそは……!」
ブラックライトニングはやっとの思いで、若者達の乗ってきた車に辿り着いた。そしてドアを開けようと身を捻って手を伸ばした瞬間に、体に衝撃が走って姿勢が崩れた。
「クソッ、ソイツ邪魔ね」振り返ると、すっかりと煙の晴れた世界で、髪の長い女が刃を突き立てているのがハッキリと見えた。しかし痛みはない。その刃は、どうやら担いでいた若者の体に突き刺さっているようだ。偶然にも身を捻った事で、狙いがそれたのだろう。
すぐに抜かれて、大量の血が滴り落ちた。そしてそのまま、彼女は再び構える。振り被った逆手の勢いを止めるには、既に姿勢が間に合わない。そして二撃目は間違いなくブラックライトニングの体に直撃するだろう。そうはさせてたまるか、とブラックライトニングは全力を振り絞って、一瞬だけのフォースフィールドを張った。それに弾かれて、女は大きく後退りし、険しい顔で舌打ちする。
「次は殺すわ」痛みをこらえる様に歯を食いしばり、女は言うと、辺りを見渡した。「……次は、ね」
踵を返すと、もう一台の車に飛び乗って走り去って行く。
ブラックライトニングも気付いた。このままでは退路が無くなるだろう。彼女は引き際をわきまえているのだ。
いつ転化するとも分からない死体を降ろして、それでも尚重たい体で、彼は他の若者の下へ向かおうとした。無理をして放った電撃の反動が伸し掛かっている。だが、救える命があるのなら救わねば。そう思う足取りを、疲弊した様子で走り寄ってきたナイトウィングが首を振って押し留めた。
「駄目だ、助けられなかった!」
「何? でもまだ一人くらい……!」
「もう死んでる! 全員だ!」
「……クソッ、死なせるつもりはなかったのに!」ブラックライトニングはマスクの内で顔をしかめた。
「行こう、僕らも殺られる!」ナイトウィングが押しやるようにしながら言い、それからマスクの通信機に呼び掛けた。「ロビン、今どこだ!? ……無事なんだな? ……分かった、先に行け。こちらも撤退する。後で合流しよう」
「ロビンも居るのか?」
「まぁ、新入りのね。センセーのお仲間と一緒に居る。さぁ、行くぞ」
二人は迫りくる死人の腕を振り払いながら駆け出した。
※
中々手強い相手だ、とアヤカはハンドルを握りながら思った。メタヒューマンのみならず、あの青い鳥の男も、かなりの手練れらしい。これまでのような不意打ちも、素人相手と違って一筋縄では通用しなかったし、屍の囮にもすぐに対応してきた。もしかすると連中は本場のクライムファイターかヒーローだったのかも知れない。二人の話を聞いていて思った。そうなると、今回はたまたま上手く裏をかけただけなのだろう。
これまで味わってきた無敵感や優越感と言うものが全て、連中のせいで台無しになっていくのを、彼女は感じていた。心地良さがどんどん消えていく。代わりにやってくるのは不快な怒りだけだ。
「クソッ……私の為の世界だったのに」
真に自由を謳歌できる今の世界の姿を、彼女は心底愛していた。好き勝手に嫌いなものを殺していけるし、こちらが害されそうになればより一層の殺す為の大義名分が出来る。昔のような法や倫理や道徳だとかで鬱屈した世の中よりも遥かに気楽だ。あの二人は、それを邪魔するような存在でしかない。
「どうにかして奴らを排除しないと」苛立ちをアクセルに向けながら彼女は言った。
まずはそうだな、味方を増やさないと。でなければ使える駒も減る。大学に戻ったら今回の事を全員に報告しよう。仲間たちは皆あの二人のせいで死んだ、と。残った連中にとっては証拠が無い話になるが、だからこそまた生存者且つ同胞である自分の話を信じるはずだ。そうすれば、血気盛んなガキどもである仲間たちは、再び報復の為の戦いに身を乗り出すに決まっている。アイツらを引き裂く暇を作れるくらいには陽動として役立つ事だろう。
「次こそは」とアヤカは今一度呟いた。