題名からして海外ニキですが、マジ感謝。
Memory01 二人の一幕
本来あるべき双子の月も、分厚い雲に覆われてしまえばその光が地上に注ぐことはない。
ただですら光源の少ない夜の森は、月が隠れてしまえば文字通り一寸先さえも見えない闇に覆われる。
生い茂る草木により足場も悪く、吹き抜ける冷たい夜風が緊張により噴き出た汗を舐めとり、体温が下がっていく。
それが体力を無駄に消耗させ、余計に息が乱れてしまう。
「ふぅぅぅぅ──……」
それを落ち着かせようと深く息を吐きながら身震いをしたのは、銀色の髪を揺らす武闘家だ。
森に侵入してもう一時間は経っている。おかげで目は慣れてはきた。
彼女がじっと見つめる先には、彼女の仲間である斥候──
まあ時折足を止めて待ってくれる辺り、置いていくつもりがないという、多少変わっても根っこの部分にある彼の優しさなのだろう。
そして不意に足を止めるとその場にしゃがみ、手振りで武闘家のことを呼ぶ。
それに慌てて反応して走り出そうとするが、足元の枝を踏んだ音に驚き肩を跳ねさせた。
声を出さなかっただけまだましだろうが、前でしゃがんでいたローグハンターは勢いよく振り返り、鋭く彼女のことを睨み付ける。
フードの奥で輝く蒼い瞳は「何をしている」と怒鳴らんばかりの迫力がこもっており、武闘家はぶるりと背筋を震わせた。
そして今度は音をたてないように細心の注意を払いながら彼の下を目指し、その隣にしゃがみこんだ。
その間も彼の視線が向けられており、戦々恐々といった様子だが、しゃがむ頃には正面に戻る。
二人が身を隠した茂みの向こう、更に数十メートル先には誰かが夜営しているのか、焚き火の炎が揺れている。
その炎に照らされて浮かび上がっているのは複数の人影と、彼らが夕食として捕らえてきた獣の影だ。
鼻に意識を傾ければ、僅かに肉の焼ける臭いが風にのって漂い、武闘家の空腹感に訴えかけてくる。
横で小さくあうあうと喘ぐ彼女を他所に、ローグハンターは焚き火の明かりを睨みながら口を開いた。
「もう少し近づかなければわからないが、奴等が今回の
「りょ、了解です……っ」
彼の淡々とした声での指示に、武闘家は震える拳を握りながら頷いた。
彼と一緒に依頼に出るのは何度目だろうかと自問し、それだけこなしているのに震える手をを抑えようと深呼吸を一度。
「行けるか」
そんなことをしていると、ローグハンターは得物を確かめながら問いかけた。
仕事に出る度にいつも聞かれることだが、それにすぐに答えられないのは己の未熟さ故だ。
「大丈夫です……っ!」
たっぷり数呼吸分の間を開けてから答えると、ローグハンターは一度小さく頷き、「行くぞ」と呟いて
武闘家は見よう見まねでしゃがみながらその後ろに続き、がさがさと茂みが揺れる音が森の闇から漏れる。
それは風に吹かれて出ているのか、あるいは二人が茂みを揺らして出ているのかはわからない。
それさえもわからないほどの暗闇の中を、二人の冒険者は黙々と進んでいった。
夜営地の中央。この周辺を縄張りとしている野盗たちは、自分たちでこしらえた焚き火の炎に照らされながら、軽い談笑の時間を過ごしていた。
やれ前に襲った村は大変だっただの、やれその時襲った女の泣き声といったらだの、内容はあまり真っ当なものとは言えない。
だがそれが彼らにとっては普通のことで、何よりそれが生き甲斐なのだ。
だがしかし、それを決して許さない者の接近に誰も気付かず、近くの茂みから伸びる
それを構えるローグハンターはゆっくりと吸い込む、止めた。
その狙いは六人いるうちの一人に向けられており、後は
それをよく知るローグハンターは一切の躊躇なく銃爪を引くと、ピュン!と聞き方によってはひどく滑稽に思える音を漏らしながら、赤い飾り羽が取り付けられた──彼の故郷では『バーサークダート』と呼ばれる、相手を異常なまでの興奮状態にする薬品が塗られた
それは寸分の狂いなく野盗の背中に突き刺さり、
「っ!?おおおおおおおおおっ!!!!」
撃たれた野盗はびくんと身体を跳ねさせると突然叫び声をあげ、腰に下げた鉈を取り出し、目についた仲間に飛びかかった。
「お、おい!?どうし──」
飛びかかられた男が驚き、声をあげた瞬間、鉈がその頭蓋に振り下ろされた。
錆び付き、所々欠けた肉厚の刃はまさに叩き斬る用途にしか使えない代物だが、命を奪うにはそれで事足りる。
鉈の一撃は防御の為に差し出された錆びた剣を叩き折り、その勢いのままに頭蓋骨を砕いて脳髄を辺りにぶちまけた。
肉片が焚き火に入ったのか、ただですら強かった肉が焼ける臭いが強まり、下手をすれば辺りの獣たちも寄って来そうな程だ。
理性の欠片のない咆哮をあげ、仲間の死体に鉈を振り下ろしてばらばらに解体していくのを他所に、ローグハンターと武闘家の二人は茂みを掻き分けて位置を変更する。
狂ったように吼えながら死体を解体する野盗と、彼に目を奪われて立ち尽くす他の野盗たちの背後、二人が位置取ったのはその位置だ。
二人は顔を見合わせて頷きあうと、ローグハンターは指を三本立ててそれを一本ずつ曲げていく。
三本だった指が二本になった。
武闘家は深呼吸をして意識を集中した。
二本だった指が一本になった。
武闘家は狙いの一人に目を向け、拳を握りしめた。
一本だった指が零に。
瞬間、ローグハンターが矢のごとく茂みから飛びだし、両手首のアサシンブレードを抜刀。
突撃の勢いのままに、気付かずに立ち尽くしていた二人の野盗の間に滑り込み、そのうなじに極小の刃を叩きつけた。
喉仏から切っ先が飛び出した二人は驚愕に目を見開き、声も出ないのにパクパクと口を開閉させていると、ローグハンターは小指を曲げて絡繰りを動作させ、アサシンブレードを納刀と同時に引き抜いた。
喉を貫かれた二人は白眼を剥きながら崩れ落ちると、その音を合図に他の野盗が振り向いた。
「な、なんだてめぇ!」
仲間の死体を解体する男をそのままに、野盗は慌てて錆の目立つ剣を構えようとするが、
「いぃぃぃぃやっ!!」
それよりも前に武闘家が懐に飛び込み、顔面に拳を叩き込んだ。
ごっと鈍い音を響かせるが、あくまで少女が放った拳だ。安物の籠手に包まれているとはいえ、その威力はたかが知れている。
事実顔面を殴られた野盗は、血を噴き出す鼻を押さえながらたたらを踏むのみで、絶命するには程遠い。
「でぇぇぇりゃぁぁあああ!!!」
ならば何度でも撃ち込むまでと、怪鳥音を放ちながら鳩尾に拳を撃ち込む。
ごっ!と固いものがぶつかり合う音が漏れ、武闘家は拳全体が痺れるような痛みに唸るのと、野盗が鳩尾を殴られたことで一時的に呼吸が止まるのはほぼ同時。
相手の動きが止まった隙を見逃さず、武闘家は肺一杯に空気を吸い込みながら、高々と右足を掲げる。
「こんのぉっ!!!」
気合いの咆哮と共に、無防備に晒された野盗の後頭部に向け、脚半に包まれた踵を撃ち据えた。
野盗の頭はその勢いのままに地面に叩きつけられ、伸びた身体はピクピクと痙攣を繰り返す。
「っ!」
それを視認した瞬間、武闘家はもはや無意識の内に追撃へと意識を向けていた。
膝を曲げたまま足をあげ、全体重を乗せた
ぐちゃりと湿った音が漏れ、足の裏には何か固いものと、柔らかいものを踏み潰した感覚と、安物故か脚半の隙間からは生温かい液体が滲み、足を濡らす。
「っ!!」
その感覚に背筋を震わせると、悲痛な表情を浮かべながらぎゅっと目を閉じた。
相手は
彼らを殺さなければ誰かが犠牲になるし、顔も知らない誰かが涙を流すだろう。
それはわかっている。わかっているのだが、やはり人を殺すというのは──。
「ぅ……っ」
そうして考えていると、鼻を鉄臭い血の臭いが抜けていき、思わず吐き気を覚えて口を押さえた。
まだ戦闘中なのに目に涙が浮かび、足から力が抜けてその場に膝をつきそうになる。
「おおぉぉぉああああっ!!!」
そんな彼女の背後から、先程まで仲間の死体を解体していた野盗が躍りかかった。
仲間の死体はもはや原型を留めておらず、小さな肉片や骨片が血の海に浮いている。
だが武闘家にそれを見る余裕も、背後からの奇襲に反応する余裕もなく、振り返り様に押し倒され、馬乗りになられて身動きを封じられた。
武闘家は鼻先を撫でる血の臭いが混ざった生臭い呼気に、思わず身体を強張らせながら目を見開いた。
振り上げられた鉈は血に濡れ、滴るそれには間もなく彼女のものが上塗りされるだろう。
ぎらつく瞳はまっすぐと彼女の瞳を見下ろしており、そこには一切の慈悲の念はない。
ローグハンターの放ったバーサークダートの効果もあるだろうが、元より相手は敵──
相手からすれば加減する道理はないし、何より今の状態では加減も出来ないだろう。
急速に近づいてくる死の気配。たった一つ、ほんの一瞬の
「おおおおああああああっ!!!」
野盗は獣じみた咆哮をあげながら鉈を振り下ろさんとした瞬間、横合いから飛び付いた何者かによって押し飛ばされた。
飛び付いたのは黒い衣装を返り血で彩ったローグハンターで、彼は暴れ馬のようにじたばたともがく野盗の腹の上に馬乗りになると、短剣で喉を貫いた。
「かっ!ぉ……ぇ……」
その痛みに目を見開いた野盗は口からがぼがぼと血の泡を噴きながら身体を痙攣させると、霞む意識の中でローグハンターの胸ぐらを掴んだ。
その手を掴み返したローグハンターはそれを引き剥がすと、突き刺したままの短剣を振って喉を裂いた。
「おぁ゛……っ」
身体をびくんと跳ねさせながら、断末魔をあげた野盗は白眼を剥き、がくりと首を倒した。
その死体を見下ろしながらホッと息を吐いたローグハンターは、野盗の目を閉じてやると、ゆっくりと立ち上がって短剣を腰帯に吊るした。
片手半剣だけは手に握ったまま、額に空いている手をやりながら天を仰いだ。
いつもなら夜を照らしてくれる双子の月も、鮮やかに煌めく星々も、厚い雲に覆われて見ることは叶わず、黒一色の空が見えるのみ。
雨でも降るだろうかと僅かに思慮をしたローグハンターは、その体勢のまま疲労を吐き出すように息を吐くと、ちらりと振り向いて地面に倒れている武闘家に目を向けた。
相変わらず足音を一切たてずに彼女に近づきながら、血に濡れた手を衣装の裾で適当に拭うと、彼女に向けてそっと差し出した。
武闘家は「ありがとうございます……」と覇気に欠けた声で礼を言いながらその手を取ると、ローグハンターは力強く手を握りしめ、軽く彼女の身体を引き上げた。
どうにか両足を踏ん張って立ってはいるものの、一度覚えてしまった吐き気はなかなか治まるものではなく、何もしていないのに息が切れてしまう。
「大丈夫か」
そんな彼女に水袋を差し出しながら問うと、彼女はそれを受け取りながら「なんとか」と力なく笑ってみせた。
そして「いただきます」と呟いてから一口あおると、けほけほと噎せながら口を離した。
口の端から垂れる水を拭いながら夜営地の端に目を向ければ、あの後も自分が一人倒す間に彼は二人も倒したのか、二つの死体が転がっており、あのタイミングでの救援もなかなかにギリギリだったことは明白だった。
──また、足引っ張っちゃったな……。
武闘家は小さくため息を吐くと、ローグハンターは疑問符混じりに首を傾げ、「どうかしたのか」と問いを投げた。
「あ、いえ。何でも、ないです……」
純粋に心配してくれているのだろう。
真っ直ぐ見つめられながら放たれた問いかけに、武闘家は思わず滲んだ涙を隠すように彼に背を向けながら応じた。
いきなり背を向けられたローグハンターは余計に疑問符を浮かべるが、「なら、いいんだが」ととりあえず納得することにした。
やることはやったのだ。後は帰って報告を済ませるのみ。
なら、帰るかと言おうとした矢先、パチンと何かが弾ける音が肩から発せられた。
だが何かが突き刺さったような鋭く痛みや、殴られたような鈍い痛みはなく、むしろ何も感じないのだから不思議なもの。
「……?」
ローグハンターは一切臆することなく肩に触れると、そこには確かな湿り気を感じた。
「どうかしたんですか?」
とりあえず涙を拭い、振り向いた武闘家は、何やら肩の辺りを探っているローグハンターの姿に目を丸くすると、彼は小さく舌打ちを漏らした。
そしておもむろに雑嚢に手を突っ込むと、大きめの布を引っ張り出した。
同時にごろごろと雷電龍が喉を鳴らし始め、やがて音をたてて雨が降り始めた。
冷たい雨粒が二人と、辺りに転がる死体たちに降り注ぎ、大地を汚す血を、二人を彩る返り血を落としてくれる。
それはありがたいのだが、流石に夜の雨は冷たいもので、慌てて木陰に入ろうとする武闘家を他所に、フードで雨粒を防いでいるローグハンターは、取り出した布を広げ、外套代わりに彼女の身体に被せてやった。
耳元でぱらぱらと音をたてて雨粒が弾け、静かな夜にささやかな騒がしさを与えてくれる。
彼が被せてくれた外套の襟をぎゅっと掴んで押さえながら、「ありがとうございます」と雨音に消されてしまいそうなほどのか細い声で礼を言った。
だがその言葉は確かに届いたようで、ローグハンターは相変わらず無表情なまま「気にするな」と一言で返した。
そして雨が降り注ぐ空を見上げながら、僅かに目を細めた。
見る限り雲も厚く、風もあまりない。今晩中に止む可能性は低いように見える。
「明日になれば止むだろう。どこかで雨宿りをしてから、街に戻る」
彼は経験則からそう提案すると、武闘家はこくりと頷いた。
「はい、わかりました。流石に寒いですからね」
そう言うと「くしゅん!」と可愛いらしいくしゃみを漏らし、ぶるりと一度身震いした。
彼女の反応にローグハンターが「寒いからな」と気を遣ったように肩を竦めると、武闘家は外套を目深く被って赤面した顔を隠しながら、勢いよく背を向けた。
またかとは思いつつも、二度目ともなればもはや気にもとめなくなったローグハンターは、辺りに転がる死体たちを一瞥すると、小さく息を吐き、フードを深く被り直した。
「死は冷たく恐ろしいものなれど、その先にあるは永き平穏なり。眠れ、安らかに」
同時に紡いだのは祈りの言葉。
神官でもない彼の祈りに意味があるかはわからないが、やらずに
何より尊敬する父の教えだ。どんなに憎い相手でも、どんなに憎悪を向けていても、せめて死ぬ瞬間だけは優しくあれと。
──まだまだ、未熟だな……。
だがそれも忘れて呪詛を吐いたことは確かだ。それを未熟と言わずに何と言う。
「さて、近場に洞窟でもあればいいんだが……」
そんな意識を切り替えながら、ローグハンターは踵を返して歩き出した。
夜の森を、雨の中を進まなければならないのだ。気を引き締めなければならない。
「が、頑張って探しましょう……っ!」
そんな彼の苦労を知ってか知らずか、武闘家はぐっと拳を握りながら言うと、ちらりと転がる死体たちに目を向けた。
そして悲痛な表情を浮かべると、謝罪のつもりか、あるいは武闘家としての礼儀か、その場で姿勢を正して一礼した。
それを済ませるとくるりと振り返り、足を止めて待っていてくれたローグハンターの背中を目指して走り出す。
雨足は強まるばかり。二人がそこにいた痕跡と、野盗たちがそこにいた痕跡は、朝になる頃には洗い流され、それでも残された死体は獣たちの餌になるだろう。
そうやって
それがこの世界の在り方であり、万物が必ず通る道だ。
だが盤の外からきたローグハンターが死ねばどうなるかはわからない。
天上から見つめる神々にも、わからないことはあるのだ。
森の外れにあったとある廃屋。
かつては村があったのか、あるいは猟師たちが使っていたものが捨てられたのか、ともかく雨風を凌ぐには丁度いいものがあった。
埃っぽいし、少々かび臭く、窓も割れてはいるが、家としての形は残っているし、壁と天井の作りはしっかりとしている。
割れた窓には布を被せて雨を防ぎながら明かりが漏れないように細工を済ませれば、松明用の棒切れで暖炉に火を入れて暖を取り、冷えてしまった身体を温める。
グショグショに湿った靴は脱ぎ、水を吸って重くなった靴下と合わせて紐で吊るし、暖炉に当てて乾かす。
そんな暖炉の前、一番温かいであろう場所には、ローグハンターと武闘家の姿があった。
ローグハンターの黒い髪と、武闘家の銀色の髪が橙色の炎に照らされてきらきらと輝き、壁に浮かび上がる二人の影がゆらゆらと揺れる。
ローグハンターは雨で濡れて重くなった衣装を脱いでインナー姿になっており、隣の武闘家はあまり濡れなかったからかいつもの格好ではあるが、その顔は赤い。
いつも着込んでいる為よくわからなかったが、インナーという薄着一枚になれば話は違う。
僅かに湿っているのか、彼の筋肉がわかるほどにぴたりと貼り付き、それは年頃の乙女が見るには刺激が強すぎる。
顔を真っ赤にしたまま緊張してぷるぷると震える彼女を他所に、ローグハンターはこきこきと首を鳴らすと、蒼い瞳に揺れる炎を映した。
炎はあまり好きではない。見ているとあの日を、
どんなに力をつけても、どんなにアサシンを殺しても、あの日の戦いを、あの日の敗北を、忘れられない。
「あ、あの……?」
炎を見つめながら思い耽っていたローグハンターの耳に、すぐ隣から声をかけられた。
ローグハンターは無意識に血が滲むほどに握りしめていた拳を開きながら「どうした」と問いかけた。
「大丈夫、ですか……?」
「問題ない」
心配そうに顔を覗き込みながら投げられた質問に、ローグハンターはただの一言で返すと、彼女の顔を見つめ返しながら口を開いた。
「……辛いか」
放たれたのは、たったの一言。
まるで独り言のように紡がれた言葉だが、その一言は確かに武闘家の耳には届いていた。
彼女はその言葉に答えることは出来ず、背筋を冷たいものが走ったのを感じて身体を強張らせていると、ローグハンターは「だよな」と呟いた。
「人が死ぬのを見るのも、人を殺すのも、本当は辛い筈だ。あと何十年もある筈の誰かの一生を、力にものを言わせてそこで終わらせて、その後の人生を何も感じずにのうのうと生きていける奴なんて、いるわけがない」
いたとしてら、そいつは人間として壊れているな。
珍しく悲しげな表情を浮かべながらそう言うと、彼は優しく武闘家の頬に触れ、うっすらと残る涙の跡を指で拭った。
「だから、無理はしなくていい。これは俺の
彼はそう告げながら形だけの笑みを浮かべると、彼女の銀色の髪に手を触れた。
指触りのいい髪だが、やはりと云うべきか多少は解れたり絡まったりと、割かし指が引っ掛かる。
「辛ければ降りていい。あいつらの所に戻れ。ならず者殺し
決して足手まといだとは言わない。
──お前がいない方が、仕事が楽だと言われればそれで済むのに。
決して無理強いはしない。
──辛いなら辞めろと強めに言ってくれれば、それでいいのに。
あくまで相手の意志を尊重し、どうするかを提示するだけで、どうするかは相手に選ばせる。
それが彼の優しさなのだろう。
逃げたいと言えば逃がしてくれるし、帰りたいと言えば帰してくれもする。そこに口を挟むことなく、相手の意志を第一にしてくれるのだから。
同時に、それは彼の怖いところでもあるだろう。
最後の、人生が左右されるほどに大切な部分を相手に選ばせ、その選択が間違っていたとしても何も言わないのだから。
武闘家は両膝を抱えながら小さく呻くと、ローグハンターは濁った蒼い瞳に彼女を映しながら告げた。
「辛いのもわかる。苦しいのもわかる。人を殺して何も思わない異常者になったら、人間として終わりだ。お前は、まだ戻れる」
ローグハンターは出来るだけ声音を優しく──それこそ妹に言い聞かせるようにそう言うと、武闘家はぼそりと囁いた。
「あな、たは……?」
「──」
無意識の内に放たれたその一言は、無意識故かローグハンターの心の隙を突き、彼から言葉を奪い去った。
彼は驚いたように僅かに目を見開きながら身動き一つせずにいると、武闘家は「あの……?」と声を漏らしながら小首を傾げた。
彼は「お前は──」と呟いてからたっぷり数呼吸分の間を開けると、フッと僅かに口の端を歪めて笑みをこぼした。
「優しい奴だな。俺が知る、誰よりも」
「あ、ありがとうございます」
彼からの賞賛の声と、貼り付けたものとはいえ微笑を浮かべた姿に思わず赤面した武闘家は、とりあえず礼を口にすると、ローグハンターはいきなり真剣な面持ちになりながら彼女に告げた。
「だから、もう一度言う。無理はするな」
彼は淡々とした口調でそう言うと、話は終わりだと言わんばかりに「俺が見張る。もう寝ろ」と続けて話題を断ち切った。
「え……?あ、あの……?」
突撃の終了に狼狽える武闘家を横目に、ローグハンターは気を張って辺りを警戒しながら告げる。
「考えるのは帰ってからにしろ。今は仕事中だ」
「あ、はい……」
彼の言葉にとりあえず頷いた武闘家は、暖炉の火に当たりながら毛布にくるまった。
安物のそれは解れたり、破けていたりするが、まあ暖を取れるのなら構いはすまい。
そうして武闘家が目を閉じれば、ローグハンターがその場から離れて割れた窓に被せた布を退かし、外の様子に目を向けた。
雨足はまだ強く、夜の内に止むかすらも定かではない。
「朝までに止むといいが」
誰に言う訳でもなくそう呟くと、ローグハンターはため息を吐いて布を被せ直すと、使えそうな椅子に腰掛けた。
自分の背中を、薄く目を開けて見つめている武闘家にも気付かずに。
翌朝。雨はあがったものの、変わらず厚い雲に覆われた森の中は暗い。
それでも夜に比べて僅かに明るい為、街を目指すには問題はないだろう。
「行けるか」
暖炉の火で乾かした装備類を回収し、いつもの格好になったローグハンターはそう告げると、さっさと廃屋から出てしまう。
急いで装備を着込んでいた武闘家は、それを終えると慌てて彼の後ろを追いかけ、廃屋から飛び出す。
「今から行けば、夜になるまでには街に帰れるだろう。途中で休憩を挟んだらわからないが、とりあえず進めるだけ進むぞ」
そう言いながら振り向いたローグハンターは目を細め、「お前、ちゃんと寝たのか」と少々責めるような声音で問いかけた。
言われた彼女は目の下の隈を指で触れながら、「全然寝れませんでした」と素直に返した。
「……寝込みは俺に任せられないか」
「違います」
「……ベッドがなければ眠れないか」
「違います」
「……じゃあ、何をしていた」
ローグハンターがどんどんと不機嫌になりながら問うと、武闘家は一度深呼吸をして、朝一番の冷たい空気を肺一杯に吸い込むと、口を開いた。
「考えていました。一晩中、これからのことを」
「それは帰ってからにしろと──」
「そして、決めました」
彼の非難の言葉を遮り、武闘家は凛とした瞳に彼を映しながら告げた。
「私はあなたと一緒に行きますっ!」
朝一番の森に響く少女の宣言。
近くで羽を休めていた鳥たちは慌てて飛び上がり、木々が揺れる音があちこちから聞こえてくる。
彼女の宣言にローグハンターは僅かに驚いたように目を剥くと、今度は身体ごと彼女の方に振り向き、問いかけた。
「俺が冒険に出ることはないと思う」
「わかってます」
「あの村よりも、もっと惨い場所に飛び込むことになる」
「わかってます」
「大勢の人を、殺すことになる」
「それでも、たくさんの人を助けられますよね?」
彼女の覚悟を確かめるように言葉を続けていたローグハンターに、不意打ちで問いを投げ掛けた。
「これからたくさんの人を傷つけて、たくさんの血を流すと思います。それでも、きっと、たくさんの人を助けられると思います」
胸の前で握りしめた自分の拳を見つめながら、武闘家は笑みを浮かべた。
「流した血と同じ分だけ泣くと思います。悲鳴の代わりに弱音も吐くと思います。それに足を引っ張ると思います。それでも私は、あなたと一緒に行きたいんです」
子供が強がるように、涙を堪えて声を震わせながら紡がれた言葉に、理解が追い付かないローグハンターは首を振りながら「何故だ」と問いかけた。
人を殺す辛さも知った筈。
死が間近に迫る怖さも知った筈。
これは自分の
なのに、彼女はなおも自分についてこようとしている。
もはや驚愕を通り越して困惑しているローグハンターに向けて、武闘家はにこりと笑いながら彼に告げた。
「だって、放っておけないですから、あなた」
一人だけで、どこまでも行ってしまいそうで。
一人だけで、どことも知れない場所で死んでしまいそうで。
一人だけで、壊れても進み続けてしまいそうで。
「だから、私も一緒に行きます」
そしたらいつか、あなたの、心からの笑顔が見られると思うから。
武闘家はその言葉を口には出さず、代わりに満面の笑みを浮かべると、ローグハンターは小さくため息を漏らし、肩を竦めた。
人生は何が起こるのかはわからない。
人間である自分自身はともかくとして、天上から見守る神々にさえ、明日のことはわからないのだ。
「あ、見えてきたよ!」
優しげな昼の日差しを一身に受け止めながら、とある丘の上に登った銀髪武闘家は、そこから見下ろせる村を指差しながら元気溌剌な声をあげた。
遅れて丘を登り終えたローグハンターは、彼女が示した村をじっと見つめ、「あれが、そうなのか」と感慨深そうに頷きながら声を漏らした。
「うん!あそこが私の故郷なの!」
久しぶりだなーと気の抜けた声を漏らしてはいるが、村を指差す手は震えており、今の元気な様子は無理やり自分を鼓舞する空元気なのは明白だった。
冒険者になるため、半ば喧嘩別れの形で家を飛び出して来たのだ。そこに今から帰ろうと言うのだから、不安になったって仕方がない。
ローグハンターは肩を竦めながらため息を漏らすと、震える彼女の手を優しく握りしめた。
「俺も一緒だ。それでも不安か?」
「っ!ううん。大丈夫」
その問いかけに一瞬驚きながら、すぐにいつもの笑みを浮かべて彼の手を優しく握り返した。
そうだ。何も一人で帰って来たわけではない。ちょっと喧嘩した両親に、ちょっとした報告をしに来ただけだ。恋人という爆弾を引き連れて。
──大丈夫。きっと、多分、大丈夫……。
深呼吸を繰り返す彼女が覚悟を決めるまで待ちながら、ローグハンターは目を細めてタカの眼を発動して村を見下ろした。
見えるのはどれも青い人影で、赤い敵影が見えないのは重畳だ。
「よしっ!覚悟出来た!」
そうやって安堵の表情を浮かべているローグハンターの手を引いて、銀髪武闘家は歩き出した。
引かれるがまま歩き出したローグハンターはフッと笑みをこぼし、尾のように揺れる銀色の髪を視界に納めた。
優しい陽の煌めきを反射し、きらきらと輝く銀色の髪は見ていて飽きるものではなく、むしろ落ち着きを取り戻すには丁度よい。
そう、彼とて緊張しているのだ。恋人の両親に会うなど、二十年以上生きておいて初めてのことだ。
そんな緊張で内心ガチガチの二人を見下ろしながら、一羽の鷲が悠々と空を飛んでいった。
そのまま二人が目指す村のとある家屋に停まると、キィ!と鋭く一声。
その鳴き声につられるように、洗濯物を干していた妙齢の女性が、銀色の髪を風に揺らしながら憎たらしいまでの青空を見上げ、優しく微笑んだ。
「今日もいい天気ね」
どこかで生きているであろうあの娘も、同じ事を思っているだろうかと思いながら余計に笑みをこぼし、すぐに洗濯物に意識を戻す。
遠くから聞こえる夫と、その弟子たちが放つ怪鳥音を聞きながら、洗濯物を干し終えた女性はせっせと家の中へと戻っていく。
──この直後、愛する娘が帰ってくることを知るよしもなく。
SLAYER'S CREED 追憶
Episode3 比翼連理
感想等ありましたら、よろしくお願いします。