SLAYER'S CREED 追憶   作:EGO

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Memory14 天灯を見上げて

 ぼぉん、ぼぉんと、気の抜けた破裂音と共に、朝空に色とりどりの煙が弾けて消える。

 雇われの魔術師が花火でも上げているのか、鮮やかな色彩の火花は見る人を魅了する。

 回りの旅行客に混ざりそれを見上げていた武闘家は、感嘆の息を吐くと、視線を落として周囲を見渡した。

 行き交う人々の表情は期待と興奮で笑顔がこぼれており、そんな彼らを捕まえようと出店の店主たちが同じく笑顔で声を張り上げる。

 くぅと鳴く腹の虫の催促に応じ、そのまま駆け出してしまいたくなるが、今はまだ我慢と自制した。

 今日は彼との逢い引き(デート)なのだ──と、肝心の彼は同じ事を思っているのだろうか。 多分あの出来事と、その後の対応への謝罪の代わり、という可能性も高い。

 けれど、そうは思っても、武闘家は笑みを隠せなかった。

 過程や理由はどうであれ、彼から逢い引き(デート)に誘ってくれたのだ。それだけで今日という日が特別なものになるし、特別なハレの日がより特別なものになる。

 くるくると髪を弄りながら「えへへ」とだらしのない笑みをこぼした彼女は、改めて自分の格好に視線を落とした。

 今日に備えて買っておいた服──動きやすさを重視した──は、軽くてしなやかで、多少無理な動きをしても破れはすまい。

 ついでに下着も新調したが、果たして役にたつのだろうかと自問して、すぐに止めた。

 役にたつように、上手いこと立ち回る必要がある。考えるとべきなのはそこなのだ。

 

「うん。今日は頑張らないと」

 

「何を頑張るんだ?」

 

「それは勿論、今日のデートですよ!」

 

 拳を握って気合いを入れ直した途端に投げられた質問に、考える間もなく反射的に答えた武闘家は、その後になってからハッとその相手に目を向けた。

 口元の傷痕を込みにしても整った顔立ちに、夜空を閉じ込めた蒼い瞳。そして纏うはいつもよりは軽装な黒い(臨時の)衣装。

 腰に帯剣し、手首をよく見れば仕込み刀(アサシンブレード)が見えているけれど、いつも身に付けている短筒(ピストル)長筒(エアライフル)はない。

 

「……?」

 

 ローグハンターは彼女の返答に首を傾げると、武闘家の顔がだんだんと赤く染まっていき、ゆっくりと顔を背けた。

 

「頑張るのはいいが、今日くらい気を抜いてもいいと思うが……」

 

 ほんの僅かにだが非難的に目を細めたローグハンターは、そっと彼女の頭を撫でた。

 

「今日の為にこの一週間頑張ったんだ。肩の力を抜け」

 

「……はい。そうします」

 

 彼の優しげな手付きに頬を緩めた武闘家は小さくこくりと頷き、「えへへ」と上機嫌な笑みをこぼす。

 そう、祭りに向けてこの一週間。死ぬほど頑張ったのだ。

 旅行客を狙う野盗を片っ端から蹴散らし、時には祭りに参加する商人の護衛を行い、最後はやはり野盗を蹴散らし──。

 とにかく、今までとは段違いの密度で依頼に出ていたのだ。懐はだいぶ温まったし、これだけやれば野盗たちも大人しくなるだろう。

 頭を撫でるローグハンターと、撫でられて喜ぶ武闘家。

 その姿はどちらかと言えば兄妹のようであり、見る人を和ませる。

 

「──って、駄目です!」

 

 そうしてしばらく撫でられていた武闘家は、不意にそう口に出して頭を振った。

 半ば振り払われる形で手を引っ込めたローグハンターは「どうした」と問うと、武闘家は彼を指差しながら告げた。

 

「今日は頑張らないといけないんです!むしろ、今日こそ頑張る日なんです!」

 

「……?」

 

 謎の宣言に首を傾げるローグハンターを他所に、武闘家は自分の頬を叩いて緩んだ意識を引き締める。

 このままでは『妹』で終わってしまう。自分が目指すのは『女』として見られることと、あわよくば『恋人』になることだ。

 その為には彼に可愛がられるだけではいけない。たまには彼の事を引っ張っていかなければ。

 

「さあ、行きましょう!時間は有限ですから!」

 

 そして彼の手をとって歩き出そうとした矢先の事だ。

 くぅと、誰かの腹の虫がなった。

 

「「……」」

 

 二人は無言で立ち止まるとくぅと再び腹の虫が鳴き、それが二度三度と続く頃には、武闘家の耳が少しずつ赤く染まっていった。

 

「とりあえず、朝食にしよう」

 

「……はい」

 

 小さく肩を竦めながら告げられた言葉に、武闘家は多少気落ちしながら頷いた。

 確かに時間は有限だ。出来ることは限られているし、やりたいことは数多いのだが、腹が減っていては何も出来まい。

 繋がった手はそのままに、ローグハンターは武闘家を追い越し、近くの出店の方へと足を向けた。

 彼に引かれるがまま歩き出した武闘家は、彼の背後で彼に気付かれないように溜め息を漏らした。

 初手は失敗。だが次があると自分を奮い立たせる。

 今日はハレの日。これからの収穫を祝い、来る秋を祝う、祭りの日。

 それだけでも胸が踊るし、気持ちも高揚する。

 それを利用するわけではないが、今日こそやれるかもしれない。

 

 ──彼にもっと近づいてみせる!!

 

 せめて戦友としてではなく女性として見られるように。

 あわよくば彼と、恋人になれるように──。

 

 

 

 

 

 目の前を歩くローグハンターの背を追いかけながら、屋台で買ったサンドイッチを頬張った。

 厚めのベーコンと、しゃきしゃき食感の野菜、ついでにふわふわのパン生地と、食べれば食べるほど次の一口に行きたくなる。

 勿論食べれば無くなってしまうのだが、切なさよりも幸福感の方が強い。作り手の腕前が違うのだろうか。

 舌を火傷しないように気を付けながら、少し遅めの朝食を平らげる。

 前を歩く彼は既に食べ終えて、甘味欲しさに買ったリンゴを囓っており、しゃりしゃりと咀嚼音が聞こえてくる。

 そう言えば彼の好物は何だったのだろうかと自問して、そこまで入り込んだ話をしたことがあっただろうかと更に問うた。

 

「どうかしたのか」

 

 そうしてじっと後頭部を見つめていた為か、不意にローグハンターは肩越しに振り向いた。

 リンゴの果汁に濡れた唇をそのままに、手には芯だけになったリンゴがある。

 

「いや、何でもないです」

 

 武闘家は慌てて顔を背けて返事を濁すと、その先にあった露店に目を止めた。

 そのまま好奇心に引かれるがまま近づいて、前のめりになって露店を覗く。

 

「おお、いらっしゃい!見ていってくれ!」

 

 露店の店主は気前よく笑いながらそう告げて、商品の方に目を向けた。

 銀細工の指輪や腕輪。何かの羽があしらわれた耳飾りと、いわゆる装飾品が並べられている。

 村にいた頃は見たことはなかったが、こうして冒険者になってからはよく見かけるようになった、女性を着飾る為の物。

 真贋はともかく、子供が欲しがりそうな物から、大人でも買ってしまいそうな物まで、種類は様々だ。

 そんな装飾品を眺めていると、視界の端に蒼い輝きを見つけてそちらを向いた。

「あ……」と漏れた彼女の声に、聞き耳を立てていた店主は素早く反応。

 

「お、これが気になるのか!」

 

 そう言って武闘家に差し出したのは、蒼い宝石があしらわれた首飾りだ。

 陽の光を反射して不思議な輝きを放つそれは、おそらく本物の宝石を使っているのだろう。

 値段も他のに比べれば高く、手にしている店主の表情もどことなく固い。

 

 ──落としたらどうしようとか、考えてそうだな……。

 

 ここ一年と少しで人を見る目が鍛えられた武闘家は、内心で苦笑を漏らしながら小さく唸ると、その宝石に手を触れた。

 陽に当たっている為か仄かに温かいそれは、人肌にも似て心地がよい。

 買ってくれるかと期待を滲ませる店主を他所に、武闘家はそれなりに悩んでいた。

 確かに綺麗ではあるし、お高いが買えなくもないが、

 

「どうかしたのか」

 

 うんうんと唸る武闘家の肩から、ようやく彼女の元にたどり着いたローグハンターの顔が飛び出し、彼女が見つめている首飾りに目を向けた。

 次いでその値段に目を向けて、そのまま蒼い瞳を店主に向ける。

 その迫力に怯む店主だが、同時に瞳と宝石を交互に見て苦笑を漏らす。

 

「ま、お嬢ちゃんの好きにしな」

 

 その一言に、売り込みに来ると読んでいたローグハンターは「む」と不思議そうに唸ると、店主はパンと手を打った。

 ビクンと肩を跳ねさせて驚きを露にした武闘家が店主に目を向けると、彼はニヤリと意味深な笑みを浮かべる。

 

「蒼い宝石は一つじゃないってな。近くにある物を大事にしないと、後で後悔するぜ」

 

「……。っ!?」

 

 その言葉を僅かに時間をかけてから理解した武闘家は、途端に顔を真っ赤にしてローグハンターの方を向いた。

 

「……?」

 

 言葉の意味を理解していないローグハンターは首を傾げているが、相変わらず蒼い瞳は店主の方を向いている。

 その対照的な反応に、武闘家に対して僅かに同情するような視線を向けた店主は、「大変そうだなぁ」と気の抜けた声を漏らす。

 

「~!!」

 

「……?」

 

 見知らぬ人にまで心配させた武闘家は、羞恥心からか頭から煙を噴き始め、ローグハンターはそんな彼女の反応に疑問符を浮かべる。

 

「とりあえず、何か買っていってくれよ!」

 

 と、そこまでのやり取りを見終えた店主は、再び二人に向けてそう告げた。

 言われた二人は顔を見合わせると、律儀にも再び商品へと視線を落とした。

 二人揃って装備品を見合う二人の姿は、さながら恋人同士のようではあるが、現状そんな関係ではない。

 片方はなろうと努力し、もう片方はまず好意について考えている真っ最中なのだ。

 

 

 

 

 

「──って、押しきられるまま買っちゃいましたね」

 

 ちりんと澄んだ音を鳴らす鈴のついた腕輪を見つめた武闘家は、手を振ってその音色を楽しみながら苦笑を漏らした。

 

「まあ、祭りの日くらい良いだろう」

 

 そんな彼女を横目に肩を竦めたローグハンターは、不意に辺りを見渡した。

 どこを見ても笑顔を咲かせる人々が闊歩し、並ぶ露店の店員たちも生き生きとしている。

 あまり人の多い場所は好きではないのだが、ハレの日と思えば我慢は出来る。

 

 ──そもそも狙われる理由もないが……。

 

 故郷ではアサシンの刺客に四六時中狙われていたが、ここにはアサシンが一人としておらず、自分が騎士である事を知る者もいない。

 隣を歩く彼女でさえも、自分の過去を何ひとつとして知りはしないのだ。

 

「綺麗な音ですね」

 

 ちりんちりんと新しい玩具で遊ぶ子供のように鈴を鳴らし続ける武闘家を横目に、ローグハンターは低く唸った。

 胸中で何を今さらな事を考えているのだと自虐的に笑い、目の前のことに集中しろと喝を入れる。

 

「ああ。綺麗な音だ」

 

 耳を澄ませて鈴の音を聞いたローグハンターは微笑みを貼り付けると、指で鈴を小突いてリンと音を鳴らした。

 

「さあさあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい!都で話題の新商品だ!」

 

「焼きたて、焼きたてだよ!ちょいと早い昼食にはぴったりだ!」

 

「一回銀貨五枚!さあ、挑戦者はいないか!」

 

 辺りは祭りの喧騒に包まれて、そんな小さな音は聞こえない筈なのに、不思議とその鈴の音はローグハンターと武闘家の耳に届いた。

 武闘家は楽しげに笑い、ローグハンターは釣られて苦笑。

 

「そこのお二人さん。何か買っていっておくれよって、あら、あなたたちは」

 

 そんな二人に声をかけた女商人は、件の一週間で護衛をした人物だ。

「お久しぶりです」と笑いかけた武闘家に、女商人は「あの時はありがとうね」と笑みを返す。

 

「あんたも助かったよ。最近は物騒だからね」

 

 その笑みを浮かべたままローグハンターに目を向けると、当の彼は困惑したように首を傾げた。

 依頼として彼女を護衛し、道中で出くわした盗賊たちは一人残さず塵殺(スレイ)したが、それに特別なことなどあっただろうか。

 

「なんだい、私は『ありがとう』って言ってるだけだよ?」

 

「……ああ、そうか」

 

 女商人の言葉にローグハンターはようやく納得したように頷くと、ばつが悪そうに頬を掻いた。

 

 ──仲間でも何でもない第三者に感謝されるのは、いつぶりだろうな……。

 

 故郷ではどんなに頑張っても、無辜の人々からは侮蔑と非難の声が飛び、時には石を投げられることもあった。

 あの頃は何とも思わず、本来味方の衛兵から逃げ回る日々だった。

 けれど、あの頃とほとんど同じ事をしている筈なのに、目の前の人は感謝をしてくれている。

 

「まるで褒められ慣れてないって顔だね、まったく」

 

 ローグハンターの曖昧な表情に女商人は歯を見せて笑い、ばんばんと肩を叩いた。

 見た目のわりに存外力強いその腕力に低く唸ると、蒼い瞳を女商人に向けた。

 非難している訳でも、批判しているわけでもなく、なんと言えばいいのかと悩んでいるのだろう。

 僅かに開いた口から漏れるのは微かな吐息のみで、肝心の言葉が何ひとつして出てこない。

 

「──ありがとう」

 

 ようやく出てきた言葉は、その一言だった。

「おうとも!」と女商人は快活な笑みを浮かべ、隣の武闘家も嬉しそうに笑った。

 

「で、まけてあげるから、何か買っていってよ」

 

「「……え」」

 

 彼女の言葉にローグハンターと武闘家の二人は揃って声を漏らし、慌てて商品へと視線を落とす。

 

 ──この二人、大丈夫かしら……。

 

 仕事に対して誠実で、関係も良好そうではあるが。

 

 ──二人して真面目すぎるね。

 

 女商人は腕を組んで嘆息し、商品を吟味している二人をじっと見つめる。

 商人として、粗悪な商品を並べてはいないが、その分お値段は高めだ。

 勢いに乗った冒険者は、駆け出し商人並に金を持っているのだ、買えなくはないだろう。

 

「ま、じっくり選んどくれよ」

 

 店を見せつけるように両腕を広げると、冒険者(お客)二人は低く唸って前のめりになっていく。

 ふとした拍子に指や肩が触れる度に武闘家が声もなく悲鳴をあげ、顔がどんどんと赤くなる。

 見ていて飽きないねぇと内心で呟いた女商人は、頭の中で算盤を弾いていく。

 お礼と応援(・・)の意味も込めて、多少余計に割り引いてやろうと思えば、どの程度まで行けるかを考えるのが商人の仕事。

 やりすぎず、やらなさすぎず、こっちも黒字を取らねばならない。

 

 ──まあ、何を買うかにもよるけどね。

 

 商品を睨む二人に気付かれないように、女商人は小さく鼻を鳴らした。

 お互いに玄人(ベテラン)、手加減はなしだ。

 

 

 

 

 

 その後も護衛した商人に絡まれたり、様々な出店を見たり、時には顔馴染みの冒険者と談笑したりと、普段の生活とは程遠い、何とも気の抜けた一日を過ごした結果、早くも辺りが暗くなり始めていた。

 夏が終わり、秋も過ぎ去ろうとするこの頃は、夜となるとやはり寒くなってくる。

 両手に抱えてる程になった荷物を眠る狐亭に置き、代わりに外套を回収した二人がいるのは、無人の冒険者ギルドの前だった。

 祭りの中心である街の中央から遠く離れたその場所には誰も居らず、ハレの日ということで鍵もかかっている。

 

「あ、あの、ここに何の用があるんです……?」

 

 言われるがまま着いてきた武闘家が、無言でギルドを見上げているローグハンターの背に問うと、彼は小さく振り向いた。

 

「登る」

 

「……はい?」

 

「これを登る」

 

「──」

 

 突然彼が変なことを言い出すのは稀にあることだが、まさか今日という日に出てくるとは思わなかった武闘家は、ギルドを見上げながら目を見開いた。

 

 ──の、登る?この、見るからに高そうな建物を……?

 

 一階は冒険者ギルド待合室。二階は応接室などの施設。三階以上は宿屋。

 五、六階はあるであろうその建物を、彼は登るというのか。

 

「登攀の練習はしていただろう」

 

「あ、いや、まあ、そうですけど」

 

 怯えている事を見透かしたのか、ローグハンターは励ましとも、ただ事務的な確認とも取れる声音で問うと、武闘家は曖昧に頷いた。

 彼を真似て登攀や走り方(スプリント)の練習はしているが、彼のものに比べればまだまだお粗末だ。

 

「でも、何で──」

 

 その前にと、肝心の理由を聞こうと顔をあげると、そこにローグハンターの姿がなかった。

「あれ?」と声を漏らして辺りを見渡してみても、彼の姿はない。

 

 ──まさか……。

 

 嫌な予感がした武闘家が、額に汗を滲ませながらゆっくりと上を見ると、ギルドの外壁に張り付いている人影があった。

 

「そこにいた?!」

 

「っ!?」

 

 反射的に彼を指差して声を張り上げると、それに驚いたのか、ローグハンターが足を踏み外して体勢が崩れる。

 ぎょっと目を見開く武闘家だが、ローグハンターの方は努めて冷静に窓枠に足を引っかけ、体勢を整えた。

 武闘家はホッと安堵の息を吐くと、「だ、大丈夫ですかー?」と彼に向けて声をかけた。

「問題ない」と返されれば他に言うことはなく、彼は黙々と外壁を登っていった。

 窓枠に手をかけ、足をかけ、時には思い切り飛び上がりながら、どんどんと上に向かっていく。

 

 ──お、追いかけないと、駄目だよね……。

 

 見ているだけでは駄目だと、自分を奮い立たせた武闘家は、彼を真似て窓枠に掴まり、そこを起点に登り始めた。

 武闘家として鍛えているから、身体を引き上げたり支えたりに関しては何の問題もない。

 彼よりも何倍も時間をかけて、彼の半分の距離を登り、さらに倍の時間をかけて、さらにもう半分の距離を登る。

 少しずつ、少しずつ、けれど確実に。落ちれば怪我では済まないのだ。

 十分か、二十分か、あるいはたったの五分か。

 時間の感覚が曖昧になるほどに壁と向かい合った武闘家の視界に、不意に誰かの手が差し出された。

 

「ふぇ?」

 

 気の抜けた声と共に手を掴んでみれば、ぐいと引き上げられてギルドの屋根の上にたどり着いた。

 最後の最後でローグハンターが助けてくれたようで、彼は「大丈夫か」と手を握ったまま問いかけた。

 

「は、はい。何とか、大丈夫でした」

 

 何となく身を乗り出して下を覗き込んで、想像以上の高さに思わず目眩を起こしてしまう。

 ふらついた身体はしっかりとローグハンターが抱き止めてくれから、落ちる心配はないのだが、登ったからには降りなければならないのが心配だ。

 

「とりあえず、ここなら問題ないだろう」

 

「な、何がですか……?」

 

 要領を得ない彼の言葉に首を傾げると、「すぐにわかる」と肩を竦められた。

 そのままくるりと回って踵を返すと、屋根の中央辺りまで歩を進めて腰を降ろし、脇に置いた雑嚢に手を突っ込み始めた。

 

「……?」

 

 訳もわからず話が進んでいる気がしてならない武闘家は、とりあえず流れに身を任せて彼の隣に腰を降ろした。

「ほら」と差し出されたのは、非常食用の干し肉だ。

 それを受け取った武闘家は「ありがとう、ございます……」と頭を下げるが、相変わらず要領を得ずにうんうんと唸った。

 とりあえずそれを頬張り、冷たいが肉厚な食感を堪能する。

 

「……話を聞いただけなんだが」

 

 隣で同じく干し肉を囓っていたローグハンターが不意にそう呟くと、武闘家は首を傾げて「何ですか?」と続きを催促。

 

「これから、街中で天灯(てんとう)をあげるらしい」

 

「てんとう?」

 

「ああ、天灯だ」

 

 細くしなやかな竹ひごに、色とりどり薄手の紙に、油紙。

 竹で籠を作り、その上に紙で作った傘をかぶせるだけという、構造としては単純なものだ。

 後は油紙に火を着けて、手を離せば──。

 

「浮くんです?」

 

「らしい。俺も見たことはない」

 

 どこか自慢げに天灯について語っていたローグハンターは、武闘家の問いかけに曖昧な言葉で返し、蒼い瞳に騒がしい街並みを映した。

 昼間は喧しく思うほどだった街も、少しずつだが静かになってきく。

 

「あ、あの……!」

 

 だんだんと暗くなっていく視界に不安になってか、武闘家は彼の肩を叩いた。

「どうした」と問いながら顔を向けると、彼女は迷うように視線を泳がせ、どうにか笑みを浮かべた。

 

「その、続きを聞かせてください。てんとうって、何なんですか?」

 

「ああ、そうだな。だが、見た方が早い」

 

 彼の言葉を合図にして、太陽が山の陰へと落ちていった。

 陽が沈めば多少なりとも騒ぎが落ち着き、街の明かりも消えていく。

 代わりに夜空には星々が輝き始め、双子の月が空を昇り始めた。

 それだけでも感動に値する光景。彼はこれが見せたかったのかと、表情を耀かせながらローグハンターの方を向くが、彼は無言で街を見下ろすのみ。

 

「……?」

 

 釣られて街に目を向けて見れば、闇に沈んだ街の中に灯火がひとつ灯った。

 ひとつがふたつに。ふたつがみっつに。みっつがよっつに。

 どうにかその灯りを数えていた武闘家だが、ついには諦めてその光景に食い入った。

 暗く沈んだ街の中、あちら、こちら、灯がつき、揺らめき、煌めいて。

 やがて赤く暖かな光が、蛍のように宙へと浮かび上がった。

 それは空への昇っていく雪のようでいて、けれど雪とは違って暖かなそれは、見るものを魅了してやまない。

 

「あ、あれが天灯、ですか……?」

 

「ああ。あれが天灯だ」

 

 武闘家が興奮を押し込めながら確かめるように問うと、ローグハンターは間髪入れずに頷いた。

 理屈は簡単だ。熱せられたくうきが軽くなるから、あれは浮かんでいくだけなのだと。

 魔法だとか奇跡だとかは関係なく、やろうと思えば誰でも出来る、とても簡単なことだと、ローグハンターはよく知っている。

 騎士団の資料でとあるアサシン(エツィオ)がそれを利用して防衛網を突破したという話を、垣間見た記憶がある。

 

「わわ!すごい、すごい綺麗ですね!!」

 

 だがそんなつまらない話を、我慢できずに楽しそうに笑い始めた彼女にするのは、酷なものだろう。

 

「善き魂を導き、悪しき魂を放逐し、死した者たちの魂が迷わずに天上に至れるようにと願う。らしい」

 

「へぇ。何だか、とっても優しい始まり方ですね」

 

「優しい、か……」

 

 彼女の返事に力なく笑うと、ローグハンターは不意に立ち上がった。

 その内、地母神の神官による祈祷が行われ、この祭りも終わりを告げるだろう。

 天灯に照らされる街並みを見下ろしながら、ローグハンターはゆっくりと目を閉じ、そして開いた。

 タカの眼に映るのは、無害を示す白い輝きと、協力者を示す青い輝きばかり。

 

 ──この街に、どれだけの人がいるのだろうか。

 

 数えるのも馬鹿に思えるほどに人がいるのは確かだ。

 そのほとんどを知らないし、今後知ることにもならないだろう。

 

 ──その人たちの中に、幸せに生きている人はどれほどいるのだろうか。

 

 恩人(モンロー大佐)は雨風凌げる家に住み、真っ当な仕事をしていれば、人は幸せになれると言っていたが。

 

 ──この中に、その幸せを奪う輩がどれほどいるのだろうか。

 

 人とは、さらに上を求める生き物だ。

 その過程で誰かから大切なものを奪うことも(いと)わず、自分だけが幸せになろうと足掻き続ける。

 そんな輩から、無辜の人たちを守るのが自分の役目(ロール)だ。

 今日というハレの日を、一人でも多くの人がまた迎えられるように、歯を食い縛るのが自分の役割(ロール)だ。

 優しげな輝きが灯っていた瞳に、少しずつ冷たい炎が灯り始め、無意識に骨が軋むほどに拳を握り締める。

 だが、その拳を、誰かの手がやさしく包み込んだ。

 

「……?」

 

 ちらりと目を向けてみれば、武闘家が両手で自分の拳を包み込み、豊かな胸を腕に押し付ける形で寄り添ってくる。

 

「ね、ねぇ。ひとつ、いい?」

 

「……どうした」

 

 いつもとは違う砕けた口調の問いかけに、僅かに面食らいながら問い返すと、武闘家は深呼吸をしてから告げた。

 

「これからは、こんな感じで話してもいい、かな?」

 

「それは構わないが、どう──」

 

「それと!」

 

 彼の言葉を遮る形で身を乗り出すと、彼の瞳を真正面から見据え、照れたように赤面しながらも言う。

 

「あんまり一人で背負わないで。私も一緒に背負うから」

 

 銀色の瞳に固い決意を滲ませながらの言葉に、ローグハンターは小さく笑みをこぼした。

 この道に引きずり込んだのは自分だが、ここまで正面から言われると流石に照れるというもの。

 

「一党なんだから、これからも一緒に頑張ろ?」

 

 にこりと微笑んで告げられた言葉に、ローグハンターは頷いた。

 だが武闘家はむず痒そうに身体を捩ると、「あはは」と誤魔化すように笑みをこぼしながら頬を掻いた。

 

「な、何だか慣れないね……」

 

「そう……だな……」

 

 対するローグハンターも困惑気味に苦笑を漏らすと、再び天灯に目を向けた。

 双子の月を目指してゆっくりと昇っていく暖かな光は、いまだに増え続けている。

 

「どうかその御霊が、天上の神々まで届かんことを」

 

 ささやかな祈りの言葉と共に武闘家の手を握り返すと、彼女もまたぎゅっと彼の拳を握った。

 その祈りは果たして誰の為のものなのか考えて、脳裏に過った人数があまりにも多過ぎて堪らず目を閉じた。

 そんな彼らの事も、救えなかった人たちの事を、そして殺めた人たちの事を彼と共に背負い、生きていかねばならないと、先程の言葉の重みを痛感する。

 けど彼と一緒ならと覚悟を改めた武闘家は、けれどゆっくりと顔を伏せて、ぽつりと呟く。

 

「でも、一党として、なんだよね……」

 

 自分で言い出したことではあるのだが、どこか残念そうに呟かれた言葉は、時機(タイミング)悪く吹き抜けた風に拐われ、ローグハンターの耳には届かない。

 彼は自身の拳を包む温もりを感じながら、双子の月と天灯を見上げていた。

 

 

 

 

 




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