双子の月に照らされる街道。
普段なら虫の鳴き声や、風のそよぐ音に包まれ、静寂が支配する領域であるその場所には、死が撒き散らされていた。
荷車の残骸。
それを引いていた馬の亡骸。
その馬を操っていた御者や商人、護衛の冒険者たちの遺体。
緑の芝生が赤く染まり、風が吹いても充満する鉄の臭いが消えることはない。
そんな常人であればその場に留まることを嫌い、すぐに逃げ出すような惨状の直中を駆け回るのは、二人の男だ。
この景色を産み出した張本人たる、かつて冒険者だった男──人であることを捨てた悪魔──と、彼を止めんとこの場に駆けつけたローグハンター。
相対した二人に、もはや和解の選択肢は残されておらず、あるのは殺し合う
「おおっ!」
悪魔は血に濡れた大剣を振り下ろし、ローグハンターは大袈裟にその場を飛び退くことで避ける。
瞬間、彼がいた場所に鉄塊が叩きつけられ、その衝撃が大気を揺らす。
地面には蜘蛛の巣状の
それが目に入らないようにだけ意識を向けた彼は、着地と同時にその場を駆け出し、
「はっ!」
だが、彼の
ごう!と空気が唸る音を放つそれは、只人の蹴りではあるが只の蹴りではない。
「っ!」
危険を察知したローグハンターは素早く下半身のみを前に出し、
地面が吸いきれない程の血に濡れている為か、その勢いは衰えることを知らず、ローグハンターの予想に反して間合いが開いてしまう。
どうにか踏ん張ろうと両手両足をつくが、誰かの内臓を踏んでしまったのか、ぐちゃりと湿った嫌な感触が脳に届く。
だがそれを振り払い、むしろそれを踏み潰すように両足に力を入れて立ち上がり、血の臭いを肺一杯に吸い込む。
相対する二人にとっては慣れ親しんだ、本来なら決して慣れてはいえないその臭いは、だが肺を満たす分には問題はない。
ならば考えるまでもないと、深呼吸をして呼吸を整えた。
血の臭いを、死の気配を、その全てを呑み込み、ローグハンターは再び駆け出す。
踏み出すごとにびちゃびちゃと湿った音が出るが、どうせ見つかっているのだからどうでもいい。
誰かの骨を踏み砕き、何かの内臓を踏み潰し、それでも転ばないのは鍛えられた体幹故か。
ふっと小さく笑みをこぼした悪魔は、大剣を肩に担いで構え、両足を地面にめり込ませるほどに踏ん張る。
一歩、二歩と互いの間合いが詰まっていく中、悪魔は笑みを浮かべたまま、重心諸ともに大剣を振り抜いた。
対するローグハンターはばしゃり!と湿った音をたてて跳躍し、振り抜かれた刃を飛び越える。
ぶぉん!と空気が唸る重々しい音を飛び越えて、悪魔の兜に剣と短剣を振るい、ばつ字の斬撃を放つ。
悪魔は半歩分すり足で下がり、上体を僅かに後ろに逸らして回避。
同時に振り抜いた大剣を空中でぴたりと停止させ、振り抜いた軌跡をなぞるようにもう一閃。
「っ!」
流石のローグハンターとて、空中で回避運動を取れる訳もなく、剣と短剣を盾代わりに差し出す。
直後、大砲の弾が掠めた時のような、凄まじい衝撃に襲われたローグハンターは、目を剥きながら弾き飛ばされる。
荷車の残骸に頭から突っ込み、乾いた破砕音を響かせながら地面を転がった。
黒い衣装を真っ赤に染め、手にしていた剣と短剣には大きな罅が入っている。
「……」
寝転んだまま両手を挙げてそれを確認したローグハンターは、無言で目を細めた。
愛用──とまでは言わないが、工房長が毎度のように
造られる度にその精度は段違いにあがっていたが、それをまさか一撃で砕かれるとは。
「……」
ローグハンターは無言で溜め息を吐くと、その二振りを投げ捨てた。
そのまま身体を丸めると、力を溜めて一息に跳ね起きる。
衣装の裾を始め、背中が赤黒く染まり、僅かに重くなってはいるし、気持ちが悪いものの、とりあえずは問題ない。
ふっと短く息を吐き、蒼い双眸で悪魔を睨む。
律儀にも待っていた彼は大剣を肩に担ぎ直すと、挑発するようにくいくいと手招きを数度。
無手のまま身構えたローグハンターは、意識を集中してタカの眼を発動した。
二度三度打ち合った程度では折れず、あの鎧越しにも
僅かに視線を動かして辺りを観察し、僅かに金色に光っている箇所を確認。
被っている血のせいで何の武器かまでは判別出来ないが、武器があるのならそれでいい。
瞬きと共にタカの眼を解除し、深く息を吸い込み、吐き出す。
全身から力を抜き、必要な部分に、必要な瞬間だけ、力を込める。
それが意識せずに出来れば苦労はないのだが、自分はいまだに未熟なのだと僅かに自嘲。
だがそれも一瞬のこと。すぐに表情を引き締めたローグハンターは、僅かに重心を落とした直後、その場から駆け出した。
足元の臓物や骨片を跳ねあげながら、血飛沫をあげながら直進。
途中で転がっていた武器──今回は槍だ──を拾い上げ、走りながら血払いをくれる。
対する悪魔は大剣を大上段に構えると、まだ間合いに入っていないにも関わらず、振り下ろした。
凄まじい爆音を響かせて、彼を中心に血と臓物、骨が混ざった砂煙が舞う。
「……っ!」
ローグハンターは彼の行動に目を剥くが、タカの眼を発動して相手の動きを観察。
振り下ろした体勢で動きを止めている悪魔の死角に入ろうと、足音を殺すと共に砂煙に突入しながら大きく迂回。
くるくると風車のように槍を振るい、柄の部分の血を簡単に飛ばすと、両手で握り直す。
ざっと微かに地面を擦る音を漏らしながら急停止。ふーっと息を吐きながら悪魔の背に狙いを定める。
相手に気付いた様子はないが、振り下ろしたまま動かないのは、こちらを迎え撃たんとしているからか。
──だが、行くしかない。
タカの眼に映る赤い影を睨み付け、殺意を漏らさないように細心の注意を払う。
漏れ出た殺意は囁き声となり、相手に自らの存在を教えてしまうのだ。
せっかく生まれた──相手が生み出した、だが──
深く息を吸い、槍を地面と水平に構えながら重心を落とす。
両足に力を込めると同時にその場を飛び出し、放たれた矢のごとく悪魔に迫る。
本来なら数十歩分の間合いを、十歩足らずで詰めた彼は、加速の勢いのままに砂煙を飛び出し、槍を突き出す。
「シャッ!」
直後、鋭い吐息の声と共に悪魔は身体ごと振り向き、穂先を鎧に掠めさせながら避け、反転の勢いを乗せた裏拳をローグハンターに放った。
攻撃を放った直後。生物が最も反応が遅れる瞬間を、寸分の狂いなく狙うのは、流石は銀等級の冒険者だろう。
だがローグハンターとて、それなりの修羅場を潜ってきたのだ。
槍を突き出したまま身体をうねり、放たれた拳を耳に掠める間一髪で避けた。
普段ならこのまま地面を転がり、一度間合いを離すところだが、今の得物は槍だ。
突き出した槍をくるりと回転させながら引き戻し、石突きで地面を叩く。
地面に弾かれる勢いで体勢を整え、穂先を天を突くように掲げ、しなった勢いをそのままに振り下ろす。
素人の冒険者たちは「槍とは貫くものだ」と口を揃えるが、槍とはそれだけの武器ではない。
突くだけなら槍だが、薙げば剣、殴れば鎚と、用途次第ではいかなる戦況にも対応する武装だ。
取り回しが悪いという弱点はあるが、ここは狭い洞窟ではないのだ。全力で振り回して何が悪い。
「フッ!」
ぶん!と空気を切り裂く音と共に、遠心力が乗った穂先が悪魔の頭蓋を砕かんと振り下ろされた。
「おおっ!!」
同時に振られるのは、悪魔が横凪ぎに振るった大剣だ。
片腕で、己の体重を優に超える鉄塊を振るえるのは、鎧に包まれた筋骨隆々の肉体と、常人離れした体幹によるものか。
迫る刃を視界の端に捉えたローグハンターは、攻撃は当たらないと判断。柄を盾代わりに刃と自身の間に挟み込んだ。
直後来たのは、凄まじいまでの衝撃だ。
両腕の骨まで響く衝撃を受けながら、歯を食い縛って声を漏らすことはない。
それでも耐えるという選択肢は取れず、弾かれるがまま飛ばされた。
空中で柄の中間から見事に折れた槍を一瞥し、それぞれの折れた断面を地面に突き立てて急停止。
穂先側を逆手に握り、投擲した。
下手や弓兵が放った矢よりも速く、低い弾道を描くそれは、悪魔の命を奪うよりも足を止めることを狙った牽制だ。
「はっ!」
それをすぐに察知した悪魔は、機嫌良さそうに嗤いながら、蹴りの一撃でもって槍を迎撃。
弾かれた穂先は弾丸となってローグハンターに迫るが、彼は石突きでそれを弾くと同時に、再び間合いを詰めにかかった。
荷車の残骸に突き刺さった剣を、刃を折りながら無理やり引き抜き、右手に折れた剣、左手に戦鎚代わりの折れた槍を握り、走る。
悪魔は嗤いながら大剣を正面に構え、血走った黒い瞳にローグハンターを映す。
ジグザグに走りながら左右にフェイントを入れるローグハンターと、どっしりと両足をついて構える悪魔。
視界の端から端に駆け回り、時には消える彼の姿を、身体の軸を合わせることで追従し、どこから来ようと迎撃が出来るように警戒を高める。
高まったそれは決して下がることはなく、隙を探ろうと動き続けるローグハンターの額には汗が浮かぶ。
このまま
ローグハンターは微かに目を細めた事を合図に、横に動く線の動きから、一直線に動く点の動きに切り替える。
悪魔は「むっ」と声を漏らして微かな驚きを露にするが、すぐにニヤリと嗤って彼の挙動に意識を向けた。
馬鹿正直に突っ込んでくるのか、あえて横に逸れるのか、どう動いたとしても叩き潰すと瞳の奥に炎を灯す。
一歩、二歩と踏み込み、大剣の間合いに入った瞬間、悪魔は無造作に大剣を振るった。
相手を斬るよりも叩くことに特化させた、腕力に物を言わせた一閃。
放たれたそれは、懐に飛び込まんとしたしたローグハンターの米神を強かに打ち付けるかと思いきや、空を斬るに留まった。
「っ!」
寸分の狂いなく、我ながら完璧な
その疑問にほんの一瞬意識が向いた瞬間、鈍い衝撃が悪魔の頭を揺らした。
低い呻き声と共にぎょろりと目玉を動かした彼は、折れた槍の石突きを振り抜いたローグハンターを睨み付けた。
まず間違いなく、あの石突きで殴打されたことによる衝撃だろう。だが、どうやって避けたのだ。
彼の脳裏にはその疑問が再び沸き上がるが、今はどうでもいいとローグハンターの顔面に蹴りを放つ。
ローグハンターは折れた剣と石突きを交差させてそれを防ぐものの、勢いは殺せずに再び弾き飛ばされる。
着地と同時に砕け散った石突きを放棄し、折れた剣を両手で構える。
突きはともかく、かろうじて斬ることはできるそれは、まだ武器としての性能は十分だ。
深く息を吸い込み、吐き出し、突撃。
今度はフェイントも何もなく、真正面から悪魔へと挑んだ。
対する悪魔は、額から口許まで垂れてきた血を舐めとり、目を細めて辺りを観察。
先の一撃をまたされても困る。対策は完璧ではなくとも即時に見つめ、行動せねば命が足りぬ。
そして、彼は足元に残るローグハンターの足跡を見つけ、微かに笑んだ。
一歩二歩とこちらに迫ってくる足跡は、三歩目だけが歩幅がほんの僅かにだが小さい。
途中で減速することで、相手の空振りを誘う技術なのだろうと目星をつけ、ならばと迫るローグハンターを睨む。
一歩目、二歩目と踏み込んだ瞬間、今度はこちらから大きく一歩踏み出した。
ローグハンターは僅かに目を見開くが、すぐに両足を揃えて跳躍。
一拍遅れて振るわれた横薙ぎの一閃を、間一髪で飛び越えた。
空中で身体を捻り、首を刈らんと折れた剣を一閃。
だがそれを読んでいた悪魔は、大剣を振るった勢いで回転。
遠心力を乗せた裏拳で剣を粉砕し、驚愕に染まるローグハンターの顔を尻目に大剣を地面に突き立て、それを軸に跳躍。彼の腹に両足蹴りを放った。
「ごっ……!」
ローグハンターは僅かに血の混ざった呻き声を漏らしながら吹き飛ばされ、荷車の残骸に突っ込んだ。
燃えていたそれは倒壊すると共に、血を被って鎮火され、焦げた臭いと鉄臭さが辺りに振り撒かせる。
「立て、ローグハンター。こんなものじゃあ、ないだろう」
ごきごきと首を鳴らし、大剣を肩に担いだ悪魔は、倒壊した荷車に目をやりながらそう告げて、「ほら、どうした」と挑発的に笑みながら更に煽った。
がらがらと音をたて、残骸を退かしながら立ち上がったローグハンターは、血が滲み出る額を押さえながら数度頭を振り、血の混ざった唾を吐いた。
物理的に頭が割れる程の衝撃を受けながらも無事なのは、一重に運が良かっただけなのか。
あるいは背中の
ふっと嗤って身構える悪魔を他所に、ローグハンターは
放たれた拳で弾丸は大剣に阻まれるが、すぐさま
「む……」
悪魔は見たこともない装備に僅かに興味を示すが、危険を察して大剣を地面に突き立て、大盾に見立てて構えた。
直後、ローグハンターが引き金をひくと同時にポン!と間の抜けた音が発され、放たれた
中に仕込まれた爆薬が炸裂し、大量の鉄片が辺りに飛び散った。
兜越しにそれを見ていた悪魔は、無言で目を剥いて驚愕を露にするが、今さら回避が間に合う筈もなく、爆発の衝撃と大量の鉄片に襲われた。
熱を持ち、
爆発が止むと同時に悪魔が「ぐぅ……」と呻きながら膝をつくと、ローグハンターは走り出す。
端から見れば武器もない、素手で何をするつもりだと笑われそうなものだが、ローグハンターには常に身に付けている武器がある。
彼の接近に気付いた悪魔は、痛む身体に鞭を打って立ち上がり、鎧や兜に食い込む鉄片をそのままに、地面に突き立てた大剣を引き抜く。
同時に右足を下げて半身になると、両足を踏ん張って大剣を地面と水平に。
「おおっ!!」
気合い一閃と共に刃を突き出せば、並大抵の相手ならば胴を穿つ
だが相手はその並大抵の一言で片付けられる男ではない。
彼の行動を読んでいたローグハンターは、持ち前の反射神経で跳躍すると、足元を通過した大剣の刃を踏み台に前方に
空中で身体をよじり、左腕を振り上げながら左手の小指を僅かに動かし、
天高くから獲物を襲う鷹の如く悪魔を地面に押し倒し、抜刀したアサシンブレードで彼の眼窩を貫こうと振り下ろした。
もう五年近く繰り返してきた、相手を短時間で苦しませることなく殺める技は、今日この日も遺憾無く発揮された。
問題があるとすれば、相手と自分の
それ故に、相手の反応速度を超えられなかったことだ。
「う゛ぅぅうう゛う゛う゛っ!!」
獣のような唸り声をあげながら、悪魔は大剣を離して左手を差し出した。
直後、アサシンブレードの極細の刃が悪魔の籠手の継ぎ目を貫き、手の甲から刃が飛び出す。
だが、そこまでだ。肝心の眼窩には届かず、致命傷にはほど遠い。
「っ!おおおおおおっ!!」
止められた自身の左腕を掴み、力任せに押し込まんとするが、悪魔は嗤うだけで力を入れた様子もないのにアサシンブレードはピクリとも動かない。
小さく舌打ちを漏らしたローグハンターは、距離を取ろうとアサシンブレードの納刀させるが、その判断を下すには数瞬遅かった。
「っあ!」
悪魔は一瞬の迷いもなく拳を振るい、ローグハンターの顔面を打ち据えたのだ。
凄まじい快音と共にローグハンターの身体は弾き飛ばされ、無様に地面を転がった。
「が……っ……そが……っ!」
彼らしくもなく感情に任せて悪態をつき、抉じ開けられた口許の傷跡と、鼻からから垂れる血をそのままに跳ね起きる。
「っ……!」
直後、既に間合いを詰めていた悪魔の蹴りが放たれた。
咄嗟に腕を交差させて防御の体勢に入るが、そんなものお構いなしに悪魔の蹴りが振り抜かれる。
再びの快音と共にローグハンターは吹き飛ばされ、両足を地面に擦りながら歯を食い縛る。
「うぅぅぅ……っ!」
両腕の骨が軋み、脳まで響く衝撃に唸りながら、痺れる両腕を見つめて細く息を吐く。
──重い。今までくらったどの攻撃よりも、重い!
もはや遠い過去のように思える、雪山の砦での戦いで出くわした巨漢も凄まじいものだったが、彼はそれ以上だ。
あの時もかなり苦労したが、やはりこういった手合いは苦手かと自分の弱点を分析。
だがそれは負ける言い訳にはならないと、拳を握って構えを取った。
もっとも相手は既に大剣を回収し、身構えているのだから、とりあえず武器が必要だなと辺りを見渡す。
だが悪魔は大剣で地面を抉りながら、ローグハンターが装備を整える暇を与えんと走り出した。
誰かの臓物を踏み締め、何かの骨を踏み砕き、血の海を進む水音をたてながら、一気に肉薄。
下段から大剣を振り上げ、抉り出した地面を弾丸よろしくローグハンターに放つ。
「っ!」
ローグハンターは反射的に地面に這いつくばり、左右に転がりながら放たれた岩石を潜り抜ける。
岩石に紛れて前進した悪魔は、どうにか立ち上がったローグハンターに向けて大剣を振るった。
左右上下に、縦横無尽に振るわれる暴力を、紙一重で避けていくが、額には異様なまでの汗が浮かぶ。
一撃でも当たれば死が見えてくるのだから、それを避け続けることでの精神的な疲労は計り知れない。
ぶぉん!ぶぉん!と空気が唸る音を間近で聞きながら、ローグハンターはひたすらに回避に徹する。
あの鎧を拳や蹴りでは突破は不可能だ。武器が手に入るまでは、防戦一方になるほかない。
「そらそら、どうしたローグハンター!避けるだけでは勝てんぞ!」
「っ……!」
そんな彼を悪魔は煽り、ローグハンターは僅かに表情を歪めた。
言ってしまえば余裕がない。あと数分もすれば頭をかち割られると、逆の意味で謎の自信があるほどだ。
「おおっ!」
僅かに焦りながら額に脂汗を浮かべるローグハンターを他所に、悪魔の攻勢は更に強まっていく。
空を斬れば空気が唸り、地面を叩けば衝撃波が発せられ、舞い散る砂塵がローグハンターの視界を妨げる。
タカの眼を発動し、煙越しでも相手の動きを把握出来るようにはしているが、それでも限界はあるのだ。
長時間の使用は瞳への負担も大きく、集中力を異常に消耗する。
それ故に、神が転がした骰の目に様々な
避けようと一歩足を下げた場所に、運悪く誰かの内蔵が転がっていたのだ。
普段ならそのまま踏み潰し、問題もなく回避を続けるのだが、ずるりと音をたてて内蔵が地面を滑り、ローグハンターの足を取った。
「っ!」
ローグハンターは驚愕に目を剥き、踏ん張る事も出来ずに片膝をつき、悪魔は彼を見下ろしながら嘲笑う。
大剣を振り上げ、「さらばだ!」と告げて振り下ろす。
当たれば頭蓋どころか身体が四散するのは確実。
目の前に迫る死の気配を前に、ローグハンターは微かに笑みをこぼした。
それが彼の最期の表情。何かに安堵し、いっそ勝ち誇っているようにさえ見えるそれは、死を受け入れる男がする表情ではない。
悪魔は死に際にそんな表情をする者を知らず、多少狼狽えながらも大剣を振り抜かんとした直後。
凄まじい快音が辺りに響き、悪魔の巨体が宙を舞った。
ガチャガチャと金音をたてながら地面を転がった彼は、鈍い痛みに包まれる脇腹を押さえ、舌打ち混じりに立ち上がった。
「ちぃ……!誰だ!」
ここ三年で楽しみにしていたローグハンターとの決闘を邪魔され、あまつさえそれがトドメの瞬間とあれば、余計に腹が立つというもの。
彼の咆哮に合わせたように吹き抜けた夜風が砂塵を拐い、介入者の正体を露にする。
月明かりに照らされて輝く銀色の髪。
籠手と脚絆に包まれた四肢は、柔らかそうではあるが筋肉質で、呼吸の度に揺れる豊かな胸はおおよそ戦いに向いたものではない。
だが、事実自分を殴り飛ばしたのは
ふーっと深く息を吐きながら構えを解いた彼女は、拳の痺れを無視し、膝をついているローグハンターに手を伸ばす。
「大丈夫?立てそう?」
真剣な面持ちでそう問いかけた武闘家に、ローグハンターはふっと笑みを浮かべ、「大丈夫だ」と返しながら一人で立ち上がった。
「何者……。いや、あの時の小娘か」
悪魔はいつぞやの面接の際、ローグハンターの隣にいた女冒険者の姿を思い出し、合点がいったように頷く。
単純な
「ね、ねえ、あの人って……」
「いつかに俺たちの面接に立ち会った冒険者だ。何があってああなったかは知らん」
「そっか。とりあえず、さっきの二人は馬に乗せて、街に向けて走らせたから、たぶん大丈夫だと思う」
「了解。なら、やることは一つだ」
悪魔に視線を向けたままやり取りを終えた二人は、同時に構えを取った。
「……あいつを殺す。これ以上、被害を広げるわけにはいかない」
ローグハンターは絶殺の意志を蒼い瞳に込め、顔から表情が消える。
身体から余計な力が抜け、口許から垂れる血は止めどなく溢れているにも関わらず、それを感じさせぬ殺意に満ちる。
「絶対に倒す。この先には、行かせない……っ!」
武闘家はそう宣言し、銀色の瞳に強靭な意志を込めて叫ぶ。
同時に彼女の頭の奥から、カチリと何かが填まる音が聞こえ、不思議と身体が軽くなった。
二人から放たれる殺意と闘気に当てられた悪魔は、兜の下で想像を絶するほどに表情を歪め、目と口を歪に歪ませながら笑みをこぼした。
「ああ良いぞ。純粋な殺意も、使命感から来るその覚悟も、お前たちは何もかもが美しい。だからこそ、見てみたい」
──お前たちが死ぬ時、どんな
悪魔は静かに呟くと、双子の月に向かって吼え、ローグハンターと武闘家は静かに構えを取った。
天上の神々は、骰を片手に三人を見守るのみだ。
感想等ありましたら、よろしくお願いします。