SLAYER'S CREED 追憶   作:EGO

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Memory21 月下争乱

 まず先手を打ったのは武闘家だった。

 銀色の髪を尾のように揺らし、放たれた矢のごとく駆け出す。

 常人ではまず目で追えないその速度で間合いを詰め、懐に飛び込み、鎧の胸当てに正拳突き。

 力任せに鐘をついたような、耳障りな甲高い金属音を辺りに響かせるが、悪魔は大して効いた様子もなく、武闘家の脳天を割らんと拳を振り上げ、まっすぐ振り下ろした。

 ごうと空気が唸りをあげ、拳の残像さえも残す鉄槌を、武闘家は頭上で両腕を交差させるのことで受け止める。

 

「っ!?」

 

 その瞬間、凄まじい衝撃が彼女の全身に叩きつけられ、地面には踏ん張った両足を中心にした、蜘蛛の巣状の罅が入った。

 拳自体を直撃したわけでもないのに、その余波で鼻から血が噴き出し、痺れるような鈍痛が両腕を包み込むが、それがどうしたと言わんばかりに交差させた両腕を振り抜く。

 両腕で挟むように止めた悪魔の腕を弾きあげ、無防備に晒される胴に縦拳を一発。

 ガン!と固い物同士がぶつかり合う音を響かせるが、悪魔は相変わらず効いた様子を見せない。

 実際問題、彼は悪魔(デーモン)の爪さえを防ぐ鎧を纏っているのだ。いまだ紅玉等級冒険者止まりの拳打など、避ける理由はない。

 確かに力も、速さもあるが、不意打ちでもなければ致命傷(クリティカル)にはほど遠い。

 真正面から、どこに打ち込まれるかがわかる攻撃なぞ、多少踏ん張れば何の問題もないのだ。

 痺れる拳をそのままに舌打ちを漏らした武闘家は、怯みもしない悪魔を睨みながら跳躍。

「イィィィィヤッ!!」と怪鳥音を発しながら、兜に向けて回し蹴りを放つ。

 脚甲に包まれ、下手な剣撃よりも鋭く、速い一閃は、さながら斬撃のようだ。

 だがまだ遠い。斬撃と呼ぶには、まだ遅すぎるのだ。

 ギャン!と異音を発しながら蹴りを受け止めた兜は、僅かにずれるのみで蹴りの衝撃を大きく緩和し、大きな痛痒(ダメージ)にはならない。

 それでも額からは血が滲むのだが、元から出ていたのだからと気にも止めない。

 

「おぉぉおおおおっ!」

 

 悪魔は獣じみた咆哮をあげながら、空中の武闘家に向けて大剣を振るった。

 迫る凶刃を視界の端に捉えながら、兜に叩き込んだ脚を軸に、両手を振った勢いで身体を回転。

 肉厚の刃を紙一重で受け流し、お返しに踵落としを脳天に叩きつけた。

 結局はそれも意味をなさず、逆に反動で弾き飛ばされるのだが、交代で飛び込んだのはローグハンターだ。

 彼女が交戦している隙に回収した両手剣(ツーハンデッドソード)を肩に担ぎ、突貫。

 空中で体勢を整える武闘家の直下を通過し、突撃の勢いを乗せて大上段から振り下ろす。

 

「シッ!」

 

「おおっ!!」

 

 対する悪魔は横薙ぎに大剣を振るい、振り下ろされた刃を迎撃。

 鋭く甲高い音を鳴らしながら二振りの剣がぶつかり合い、火花を散らす。

 同時に二人は息を合わせたかのように息を吸うと、両目を有らん限りに見開き、ローグハンターは身の丈以上の長さを誇る刃を、悪魔の己の倍近い重さを誇る刃を、手足のように振り回す。

 空気が唸る轟音と、刃がぶつかり合う甲高い金属音。

 絶え間なく放たれる殺意に満ちた剣撃は、お互いに瞬きする隙さえもなく、見開かれた瞳が絶え間なく動き続ける。

 袈裟斬りを防ぎ、突きを受け流され、斬り上げを避け、横一文字に払われた一閃を止められ、柄頭で殴打し、拳を首を傾けて避ける。

 十秒にも満たない間に十数個の攻防が行われ、呼吸を整え、瞳に潤いを取り戻す暇もなく次の十秒に突入。

 二人の攻防は激しさを増し、得物を振るう速度が上がり続ける。

 二人の間に挟まれた空間が悲鳴をあげ、微かに軋んでいるようにさえ見える中、二人は咆哮をあげながら得物を振るった。

 全体重を乗せた、大振りの一閃は寸分の狂いなくお互いの得物とかち合い、金槌で力任せに金床を叩いたような、耳をつんざく異音が夜の闇に響き渡る。

 

「「……」」

 

 悪魔は兜の下で鮫のように獰猛に笑い、ローグハンターは変わらずの無表情。

 だがお互いの額には珠のような汗が浮かび、肩が上下するほどに息も上がっていた。

 たかが一分足らずの、だが命懸けの攻防は、その時間に比例して精神を大きく削る。

 何より素の力で劣るローグハンターにとって、その一分はあまりにも長いものだ。

 現に今もお互いに押し切らんと力を込めあい、剣が悲鳴をあげるほどに競り合っているのだから、休憩している訳でもない。

 二人は再び息を吸い込むと同時に剣を引き、身体を捩りながら振り上げ、再びの攻防に入ろうとした瞬間、ローグハンターが身を翻した。

 衣装の裾が外套(マント)のように舞い上がり、悪魔にほんの一瞬だが多くの死角をつくる。

 

「イィィイイイヤッ!!」

 

 その死角を利用して悪魔の懐に飛び込んだ武闘家は、両手の拳を同時に突き出し、彼の鳩尾と喉仏を狙う。

 

「ちぃ!」

 

 悪魔は舌打ちを漏らしながら喉仏を狙った拳を片手で止め、鳩尾の一撃は鎧の耐久力に任せて受ける。

 ガキャン!と鈍い衝突音を響かせ、衝撃に押された悪魔は半歩後退。

 だが武闘家の手を離さず、万力のような力を込めて彼女の拳を、籠手諸ともに握りつぶす。

 めきめきと骨が軋む音と、籠手に罅が入る異音が鼓膜を揺らし、武闘家の表情が痛みに歪み、拳からは血が滴り落ちる。

 ぴちゃりと血の海に新たな血液が補充された瞬間、武闘家が痛みを無視して半歩右に動いた。

 直後彼女の影からローグハンターが飛び出し、踏み込みの勢いを乗せた刺突を放った。

 彼女の意志に反して揺れる尾のように動く髪が、僅かに回避に遅れたことで髪を数本巻き込むが、武闘家は気にする素振りを見せずに蹴りを放った。

 

「っ!」

 

 悪魔は一歩間違えば彼女ごと貫きかねない一撃を、何の躊躇いもなく放つローグハンターの胆力と、それをさも当然のように受け入れ、追撃に動いた武闘家の反応に、僅かに目を剥いて驚愕を露にした。

 信頼とは違う、もっと濃密で確かな繋がりがなければ出来ない芸当を、こうも容易く目の前でされては、多少なりとも狼狽えるというもの。

 

「シッ!」「でりゃッ!」

 

 二人は鋭く声を漏らしながらそれぞれの攻撃を放ち、ローグハンターの刺突は悪魔の兜の額を捉え、一拍遅れた武闘家の蹴りが悪魔の顔面を打ち付けた。

 

「ごふ!?」

 

 金属に罅が入る異音と共に、兜の隙間から悪魔の呻き声が漏れ、武闘家の手を離した。

 衝撃に押され下がった悪魔は、頭を振ってぼやけた視界を落ち着かせるが、そこにローグハンターと武闘家の追撃が放たれる。

 

「おおっ!!」

 

「ヤッ!!」

 

 ローグハンターは怒号と共に両手剣を大上段から振り下ろし、武闘家は気合い一閃と共に掌底を放つ。

 舌打ち混じりに大剣を掲げてローグハンターの一撃を防ぐが、同時に放たれた掌底は胸に打ち付けられた。

 重く、鈍い音を響かせたそれは、衝撃を鎧の内側にまで届かせ、悪魔の表情が苦悶に満ち、さらに数歩下がる。

 女の細腕から放たれたとは思えない、大岩にぶつかったような凄まじい衝撃に、悪魔は困惑を隠せずに動きが鈍る。

 

「セイッ!」

 

 その隙を見逃さず、武闘家は追撃に再び掌底を放つが、今度は大剣の刃で受け止められ、その衝撃は本人には届かない。

 駄目だったと見るや武闘家は姿勢を低くすると、彼女の頭上をローグハンターが横薙ぎに振るった両手剣の刃が通りすぎ、盾代わりに差し出された大剣を弾く。

 

「イィィィィヤッ!」

 

 武闘家は両手を地面に着き、思い切り自分の身体を押し上げ、同時に両足を揃えながら勢いよく突き出し、悪魔の顎を下から打ち上げる。

 押し上げられるのではなく、頭を凄まじい力で後ろに引かれるような衝撃を受けた悪魔は、兜を弾き飛ばされながら血を吐き、更に後退。

 

「ディィィヤッ!!」

 

 空中で身を翻した武闘家は、悪魔の米神に回し蹴りを放ち、全体重をかけて一歩を踏み込んだローグハンターは、身体を回転させながら両手剣を悪魔の胴に向けて叩きつけた。

 まともな相手なら頭蓋が砕け、上半身と下半身が泣き別れになる状況だが、そうはならなかった。

 武闘家の蹴りが頭蓋を砕くよりも速く彼女の足が止められ、ローグハンターの一閃が悪魔の胴を割くよりも速く、大剣により阻まれる。

 必殺の一撃を止められた二人が、驚愕のままに同時に目を見開いた直後、悪魔は武闘家の身体を剣のように振り回し、ローグハンターに打ち付けた。

「かっ」と肺の空気を吐き出しながらローグハンターは飛ばされ、荷車の残骸に突っ込み、捕まったままの武闘家は子供が木の枝でそうするように地面に叩きつけられた。

 地面が砕ける破砕音を鳴らしながら、武闘家は「がはっ」と血の混ざった呻き声を漏らし、自分の脚を掴む悪魔を腕を蹴りつける。

 だが強烈な痛痒(ダメージ)直後なことに加え、不安定な体勢での攻撃では、拘束を振り払うほどの威力は出ない。

 二度、三度と蹴り続けるが、結果は変わらずに振り上げられ、再び地面に叩きつけられ、それを数度繰り返される。

 繰り返す内に痛みに喘ぐ声が出なくなり、瞳が濁り始めると、悪魔は彼女の脚を離し、地面に倒れる彼女の腹を踏みつけた(ストンプ)

 彼女を中心に蜘蛛の巣状に罅が入り、ごぼりと武闘家の口から血が溢れた。

 

「ぁ……ぅ……っ……」

 

 ピクピクと身体を痙攣させながら、意味のない声を漏らす武闘家を見下ろしながら、悪魔は顔の血を拭い、目と口を三日月に歪める歪な笑みを浮かべた。

 ぐりぐりと脚甲の踵で踏み締めてやれば、彼女の口からは呻き声と共にごぼりと血が溢れる。

 

「いい線までは行った。だが、まだ足りんな」

 

 血が滲む額を押さえながら、闇のように黒い髪をかき上げ、ギラギラと黒い炎が揺れる瞳は好奇の色が見て取れる。

 

「死は誰にでも訪れる。その死に追い付かれる間際、人は何を思うのか、俺はそれが知りたい」

 

「さあ、教えてくれ。何を感じる?怒りか、哀しみか、恨みか、冷たさか、あるいは血の温もりか。まだ口を利くことは出来るだろう?」

 

 さあ!と語気を強めながら脚を振り上げ、再び彼女の腹部を踏みつけた。

 内蔵が潰れる鈍い音が武闘家の身体から漏れ、痛みによって朧気に揺れる瞳に僅かに光が戻る。

 

「あ……ぎ……うぅ……」

 

 彼女は唸りながら悪魔の脚を掴み、どうにか押し退けようと力を入れるが、彼の脚は微動だにしない。

 悪魔は鼻を鳴らすと大剣を振り上げ、彼女の瞳を覗き込む。

 その瞳にあるのは、恐怖か、絶望か、諦観か。

 今まで殺めた奴等の瞳にはだいたいがそれで、時にはまだ諦めないと戦意を燃やす輩もいたが、すぐに諦観の色に染まってしまう。

 あまりにも見慣れたそれを、また見ることになるのかと、悪魔は小さく溜め息を漏らし、じっと彼女の瞳を見下ろした。

 銀色の輝きが宿るその瞳にあるのは、恐怖でも、絶望でも、諦観でもない。

 あるのは期待。この絶対絶命の状況で何に期待するのだと、悪魔は首を傾げた。

 彼女の様子からして死を望んでいるわけでもなければ、死に急いでいる様子でもなかった。

 ならば何をと自問した瞬間、ハッと目を見開いた。

 先程ローグハンターが突っ込んだ荷車の方に目を剥ければ、何かが飛び出したかのように残骸が散乱し、その周辺には足跡と、何かを引きずった跡が残っている。

 

「っ!」

 

 直後、鋭い殺気を感じとった悪魔は、その方向に向けて大剣を振るった。

 直後感じた手応えは、固いものを砕いた感触と、木材が砕ける乾いた音だった。

 事実、悪魔の視界を支配したのは破壊した木材の破片で、肝心のローグハンターが見当たらない。

 ざっ!と、微かに地面と靴が擦れる音がしたのは、悪魔の背後。

 彼は裏拳を放ちながら反転するが、拳は空を打った。

 確かに彼の読みは正しい。木材を囮に回り込んだローグハンターは悪魔の背後にいたし、放った拳も本来なら彼の頭を捉える位置だ。

 だが、ローグハンターは地面を這うように姿勢を低くしており、拳銃嚢(ホルスター)からは短筒(ピストル)が抜かれている。

 ローグハンターは銃口を悪魔の腹部に押し当てると、引き鉄を引いた。

 バン!と火の秘薬(火薬)が炸裂する音が木霊し、悪魔の身体が弾き飛ばされる。

 同時にローグハンターは懐から煙幕を取り出し、地面に叩きつけた。

 白い煙が撒き散らされ、ローグハンターと武闘家の身体を包み込む。

 地面を転がり受け身をとった悪魔は煙幕を睨み付け、大きく踏み込むと同時に大剣を振り下ろした。

 放たれた剣圧が煙幕を切り裂き、そこにいる二人の姿をさらけ出す筈だったが、そうはならなかった。

 

「……なに」

 

 二人の姿はどこにもなく、あるのは地面に残された罅程度。

 悪魔が舌打ち混じりに周囲を見渡している中で、ローグハンターと武闘家は近くの岩影にいた。

 ローグハンターは雑嚢から水薬(ポーション)を引っ張りだし、武闘家に飲ませてやる。

 

「大丈夫か」

 

「ごめん、ちょっと、しんどい……」

 

 腹部を押さえながらはあはあと息を乱す彼女は、ゆっくりと首を振ってそう言うと、ローグハンターは雑嚢に手を突っ込み、二本の瓶を差し出した。

 

「ここに水薬(ポーション)をもう一本と、強壮の水薬(スタミナ・ポーション)を置いておく。動けるようになれば、来い」

 

「……わかった」

 

 いつも通りの淡々とした口調でそう告げたローグハンターに、武闘家は差し出された二本の瓶を見つめながら頷いた。

 先程の攻防で、二人でなければ勝ち目がないことを痛感した。何がなんでも立たなければ、二人ともここで終わりだろう。

 

 ──もっと、頑張らないと……っ!

 

 神妙な面持ちで気合いを入れ、その瓶に手を伸ばす武闘家だが、不意にローグハンターが彼女の顔に手を伸ばした。

 伸ばされた手は口許に残った血を拭い、優しく頬を撫でてくる。

 

「……?」

 

 訳もわからずに疑問符を浮かべる彼女を他所に、ローグハンターは彼女と自分の額を合わせた。

 彼女の無事に安堵するように息を吐き、彼女の体温を感じるように目を閉じる。

 

「必ず来い。それまでは耐える」

 

「……!」

 

 彼から向けられる期待。

 それは怪我人に鞭を打つような言葉でもあるが、同時に自分の命を彼女に預けることと意味する言葉。

 武闘家が無言で頷くとローグハンターは立ち上がり、悪魔の死角をつくように岩から岩へと移動。

 途中で鞘と重なるように落ちていた曲剣(サーベル)を拾いあげる。

 鞘を投げ捨て、その音を囮に悪魔の注意を自分へと向けた。

 

「そこにいたか、ローグハンター……!」

 

 歓喜にうち震え、興奮に目を見開く悪魔を睨みながら、血に濡れた刃を曲げた肘の内側で拭い、構える。

 

「あの娘はどうした、死んだか?死んだのなら、どんな顔で逝った」

 

「……」

 

 悪魔の言葉に、ローグハンターは答えない。

 じっと悪魔を睨んだまま動かず、冷たい殺意を滲ませるのみだ。

「答えないのなら、いい」と肩を竦めた悪魔は、大剣を両手で握り直す。

 ローグハンターは深く吸い込み、ゆっくりと吐き出す。

 彼女の賦活(ふかつ)までの数分か、数時間、一人で凌がなければならない。

 身体のあちこちが酷く痛むし、瞼も重い。

 

 ──あいつよりはましか。

 

 先程まで殴られ続けた武闘家の痛痒(ダメージ)に比べれば、自分の状態は遥かに良いものだ。

 腕は上がるし、脚も動く。ならば、やれる。

 嘲笑う悪魔に向け、音もなく走り出す。

 確実に痛痒(ダメージ)は入っているのだ。ならば、殺せない道理はない。

 

「おおおおおおおっ!!!」

 

 ローグハンターは雄叫びをあげながら、待ち構える悪魔へと飛びかかった。

 

 

 

 

 

 身体が重い。身体中が痛い。もう動きたくない。

 頭を支配する怠さと後ろ暗い思考は、もはや気合いだけではどうにもならず、彼女は溜め息を吐いた。

 踏みつけられた腹部の痛みは止まず、呼吸するだけでも身体が痛む。

 彼が置いていった水薬(ポーション)の瓶を見下ろし、鉄塊を巻き付けられたかのように重くなった手を伸ばす。

 耳には彼の怒号と剣撃の音が届いており、彼がまだ戦っているのを教えてくれた。

 

『必ず来い。それまでは耐える』

 

 彼はそう言ったのだ。彼が言ったからには、それは確定事項であり、それに報いなければ冒険者として、彼の相棒としても名折れだ。

 ふぅ、ふぅ、と痛みを堪えながら呼吸を繰り返し、まず水薬(ポーション)を手に取った。

 蓋を外してそれを呷り、一息で飲み干す。

 

「けほっ!けほっ!……つ、次……!」

 

 身体の痛みがすぐに消えるわけではないが、ほんの僅かだが痛みが鈍る。

 水薬(ポーション)独特の味に数度噎せ、そこに僅かに血が混ざっていることは無視。

 痛みがぶり返す前に強壮の水薬(スタミナ・ポーション)を呷り、身体の芯から温まる感覚に心地よさそうに目を細めた。

 その温まりが消える前に数度深呼吸をして呼吸を整え、身を隠していた岩に手をついて立ち上がる。

 

「はぁ……はぁ……。すぅー、ふぅー……」

 

 肩幅に開いた足でしっかりと大地を踏み締めて、豊かな胸を上下させながら再びの深呼吸。

 先の攻撃で切れてしまった集中を研ぎ澄ます為、ゆっくりと目を閉じて深呼吸をもう一度。

 一人では立てなかっただろう。

 他の誰かとなら、きっと諦めていただろう。

 彼と出会わなければ、もっと早死にしていただろう。

 閉じた瞼の裏に映るのは、この三年で常に目で追っていた彼の姿だ。

 背中ばかりを見つめていたけれど、いつの間にか隣を歩くようになり、ついには頼られるようにもなったのだ。

 

 ──何のために立ち上がるのか。何のために戦うのか。

 

 昔なら強くなるためだとか、名前を売るためだとか、そんな普通の冒険者らしい(・・・・・・・・・)事を言ったかもしれないが、今は違う。

 自分はとっくに普通の冒険者(・・・・・・)からは逸脱し、異端の冒険者(・・・・・・)になっているのだから。

 痛みを堪えながら、胸の前で腕を交差させ、腹の方に下げながら息を吐く。

 

 ──なら、何のために立つのか。

 

 そんなものは簡単だ。

 他の冒険者から嗤われようと、蔑まれようと、戦う理由はただひとつ。

 

「……彼を守りたい……」

 

 無意識の内にぼそりと呟かれた言葉は、彼女の身体に力を取り戻させた。

 カチリと頭の中から彼女にだけ聞こえる音がして、鉛のように重い身体が僅かに軽くなる。

 普段通りの身体が戦闘態勢に入った感覚を感じた武闘家は、僅かに眉を寄せて表情を引き締めた。

 

 ──まだ、足りない……っ!

 

 父が言っていたのはこれではない。

 限界の限界を越えるそれは、こんなちっぽけなものではないと、彼女の直感がそう告げているのだ。

 武闘家は彼の姿を想い描き、彼を屠らんとする悪魔の姿を映し出し、それを打ち倒す自分を描く。

 倒すべき敵を定め、守りたい人を定め、自分がやるべき事を定める。

 

「すぅー、ふぅー……」

 

 目を閉じたまま、最後の深呼吸。

 不意に身体の奥の、そのまた奥から、ガチャリとまるで錠が外れるような音が聞こえた。

 身体中を支配していた痛みが消え、重かった身体が途端に軽くなった。

 ゆっくりと開いた瞳には凛とした銀色の輝きが宿り、歴然の戦士のように視線が鋭くなる。

 武闘家はこの感覚を忘れないように身体に刻み、岩を飛び越えた。

 着地と同時に戦場に目を向け、一人で戦い続けているローグハンターの元へと走り出した。

 

 

 

 

 

 

 空気が唸り、殺意に満ちた血塗れの刃が振るわれる。

 曲剣の刃でその一閃を受け流したローグハンターは、柄頭で悪魔の手を殴打。

 悪魔は僅かに唸るが、大剣を落とすことはなく力任せに振り回す。

 上から、右から、左から、下から、フェイントもブラフもない、全てに絶殺の念が込められたそれを、ローグハンターは紙一重で避け、時には受け流しながら、反撃の機会を伺う。

 

「おう!」

 

 その状況に業を煮やした悪魔は、奇っ怪な怒号と共に大剣の柄頭を突き出し、ローグハンターの腹部を殴打。

 刃にばかり気を向けていたローグハンターはそれを避けられず、拳のように形作られた柄頭が鳩尾を捉えた。

 

「……お゛っ!?」

 

 凄まじい衝撃に汚い悲鳴を漏らしたローグハンターは、息が出来なくなる感覚に表情を険しくさせ、振り下ろされる大剣を横に転がることで避ける。

 息が出来ず、酸素を求めた口は意味もなく開かれ、乾燥に耐えきれず溢れた唾液が地面に落ちる。

 

「……っ!」

 

 歯を食い縛り痛みを堪え、肺を締め付けられるような痛みを無視し、さらに横へ。

 彼がいた場所に肉厚の刃が振り下ろされ、その一閃が大地を砕く。

 嗤う悪魔を睨みながら、ローグハンターはゆっくりと深呼吸をして落ち着きを取り戻し、曲剣を構える。

 やはり決定打に欠けると舌打ちを漏らし、曲剣を握る手に力を入れた。

 一撃で鎧を砕くような一撃など、自分の腕力では無理だ。

 鎧の隙間、あるいは兜の外れた頭を狙うしか方法はないが、それを許してくれるほど甘くはあるまい。

 

 ──だが、やるしかない……。

 

 ローグハンターは目を細め、胸の痛みを無視して走り出す。

 血の海は大地に吸われ、足元にある感触は湿った地面のそれだ。

 多少足を取られるが、戦闘に関しては何の問題にもならない。

 

「フッ!」

 

 愚直に、真正面から挑んだローグハンターは、切っ先が地面に擦れる程の低さから刃を振るう。

 悪魔は大剣を盾代わりに差し出し、縦横無尽に振るわれる連撃の全てを防ぐ。

 大地に根を張る大樹の如く、悪魔は微動だにすることなく、甲高い金属音が続くばかり。

 

「ちっ!」

 

 ローグハンターはやはり無理かと舌打ちを漏らし、大剣に向けて両足蹴り(ドロップキック)を放った。

 勿論それで悪魔が体勢を崩すわけがなく、むしろローグハンターが飛ばされるのだが、間合いを開くと言う意味ではどちらでも同じだ。

 背中から着地したと同時に脚を振り上げ、勢いのままに後転。

 刃に罅が入り、歪に歪み始めた曲剣を投げ捨てると同時に、視界の端で動く銀色の影を見つけ、足元の斧と剣を手に取る。

 剣を右手、斧を左手に握り、走り出す。

 ニヤリと不気味に嗤った悪魔も走り出し、互いの間合いに入った瞬間、悪魔は大剣を振った。

 横薙ぎに振るわれた一閃に、ローグハンターは斧と剣を交差させてそれを防ぐが、その勢いは殺せずに弾き飛ばされる。

 地面を転がり受け身を取ると、即座に駆け出して再び接近。

 迎撃せんと大剣を振り上げた瞬間、凄まじい衝撃が悪魔の脇腹を殴った。

 

「かはっ!?」

 

 殴られた勢いのままに身体をくの字に曲げて弾き飛ばされた悪魔は、地面に両手両足をついて踏ん張り、新手を睨む。

 同時に驚愕に目を剥き、すぐに獰猛な笑みを浮かべた。

 

「小娘、生きていたか!ははっ!面白くなってきたな!」

 

 大剣を振ってぶぉんと空気を唸らせ、その勢いのまま肉厚な刃を肩に担いだ悪魔は、新手──纏う雰囲気が違う武闘家を手招きする。

 当の彼女は陽動に撤してくれたローグハンターに目を向けて、「遅れてごめん」と凛とした声音で謝った。

「あ、ああ」と困惑しながらも頷いたローグハンターは、改めて斧と剣を構える。

 

「攻撃を頼む。防御は任せろ」

 

「わかった。お願い」

 

 彼の言葉に武闘家は小さく頷くと、拳を構えた。

 そして二人は呼吸を合わせると同時に、悪魔に向けて突撃した。

 歩幅も、速度も完璧に同調(リンク)させた並走に、悪魔は獰猛な笑みをそのままに迎撃の体勢を取る。

 二人纏めて叩き斬らんと、真一文字に大剣を振るうが、すかさずローグハンターがその刃に向けて飛び込んだ。

 振り抜かれる直前、勢いが乗り切る前に大剣にぶち当たった彼は、両足が地面にめり込むほどに踏ん張り、その一撃を受け止めた。

 

「デリャ!!」

 

 その隙に武闘家の正拳突きが悪魔の胴を捉え、鐘を鳴らしたような音を夜に響かせる。

 先程と違う点をあげるなら、その一撃の重さと速さだ。

 ローグハンターですら残像でしか見えないそれは、悪魔の反応速度さえも越え、正面からの攻撃の筈なのに、さながら不意討ちのようだ。

 悪魔は「ごは!?」と血の混ざった唾液を吐き出し、満面の笑みを浮かべた。

 武闘家の頭蓋を砕かんと大剣を振り下ろす。

 ローグハンターが腕をもがれる覚悟で剣を滑り込ませ、肉厚の刃を巧みな技巧でもって受け流す。

 獲物を失った大剣は地面に叩きつけられ、そのまま地面にめり込んだ。

 

「セイッ!!」

 

 直後、武闘家の正拳突きが再び胴を捉え、悪魔は血の塊を吐き出す。

 べしゃりとそれを額で受けた武闘家は、それを拭うことなく更に一撃。

 ぴしりと今までとは違う音が、武闘家の籠手と悪魔の鎧から漏れ、目を凝らせば両者ともに罅が入っているのが見て取れた。

 様々な攻撃に耐え、自分を守り続けた鎧が、小娘の拳に砕かれんとしている事実に悪魔は目を剥き、彼女に目を向けた。

 

「ウリャ!」

 

 そんな物お構いなしに武闘家は拳を振るい、再び悪魔の胴を穿つ。

 鐘を鳴らしたような快音に、肉が潰れ、骨が割れる音が混じり始め、武闘家の籠手の罅からは血が滴り始める。

 それがなんだと、愚直に拳を叩きつけ、拳を撃ち込み続けた。

 合間に振るわれる大剣への対処はローグハンターに一任し、全ての力を拳に込める。

 振るう拳に既に痛みはなく、迫る死への恐怖もない。むしろ胸の内を支配しているのは多幸感だ。

 ここで終わったとしても満足だ。彼を守れるのなら、ついでに故郷も守れるのなら、それでいいではないか。

 踵をめり込ませて地面に踏ん張り、限界まで腰を捻って力を溜める。

 骨が折れ、肉が切れ、握るだけでも激痛が走る筈なのに、武闘家はそれを無視して拳を形作る。

 

「イィィィィィヤァァァァァァアアアアアア!!!!」

 

 今日一番の怪鳥音を発しながら、拳を放った。

 爆発の音にさえも聞こえる衝突音を夜空へと響かせ、武闘家の籠手と悪魔の鎧が同時に弾け飛ぶ。

 

「ごは……っ!!」

 

 骨が砕け、内臓が弾ける激痛に血を吐いた悪魔は、彼女の影から飛び出したローグハンターの姿を捉えるが、反応するのは不可能だった。

 

「おおおおおおおっ!!」

 

 獣のように吼えながら、肘に剣を突き立てた。

 籠手の隙間を縫う一刺し(スティング)は、悪魔の肘の正確に捉え、間接の隙間さえを貫く。

 肉穿ち、間接を砕く確かな手応えに好機を見出だしたローグハンターは目を見開き、斧を振り上げた。

 

「────!!!」

 

 もはや意味を持たぬ咆哮と共に振り下ろし、皮一枚で辛うじて繋がっていた悪魔の腕を両断。

 痛みに絶叫する悪魔を横目に、両手の武器を捨てると共に、断ち切った腕ごと地面に落ちた大剣を回収し、歯を食い縛って持ち上げる。

 そして渾身の力を込めて、がら空きになった悪魔の胴に向け、大剣を突き立てた。

 

 

 

 

 

 まず感じたのは、想像を絶する痛みだった。

 内臓を潰された挙げ句に、腕を落とされ、腹を貫かれたのだ。

 過去に例がない痛みが、()の身体を支配した。

 

 次に感じたのは、温もりだった。

 内臓から溢れた血が腹を満たし、腕を包み、それが与える温もりは、まるで母に抱かれているようで、笑みが溢れるほどに心地がよかった。

 

 次に感じたのは、冷たさだった。

 血が流れ出ているのだ。先程までの温もりが消え、身体の芯まで凍え、ピクリとも動かなくなる感覚は、恐怖なく受け入れることが出来た。

 

 次に感じた……、感じたのは無だった。

 いや、感じたのはではない。不意に何も感じなくなったのだ。

 手足の感覚もなく、視界も狭くなっていき、音も聞こえない。

 

 ──ああ、これが、死か……。

 

 消えかける心を支配したのは、幸福だった。

 今まで殺した者たちは、これを感じながら逝ったのか。

 あの表情の裏に、こんな多幸感を隠しながら逝ったのか。

 

 ──『死が、汝に祝福をもたらさんことを』

 

 最後に、聞こえない筈の耳に、誰かの祈りが届いた。

 祝福なら十分に受けた。もう、後悔はない。

 

 ──『安らかに眠れ、強き者よ』

 

 ああ、そうするとしよう。もう酷く眠い。

 ()は眠りにつく時のように穏やかに、目を閉じた。

 幸福に満ち、祈りまで捧げられるとは、中々にいい死に様ではないか。

 

 ──またどこかで会いたいものだ……。

 

 ()満たした(殺した)あの二人に、今度は敵ではなく友として、肩を並べたい。

 

 ──ああ、しまった……。

 

 死ぬ直前に後悔が産まれるとは。

 

 ──さい、あく……だ……。

 

 

 

 

 

「……」

 

 今この瞬間に息を引き取った悪魔の、何とも奇妙な死に顔を見下ろしたローグハンターは、小さく首を傾げた。

 満足げに逝ったかと思えば、途端に不機嫌そうになるとは、死ぬ瞬間に大切なものでも思い出したのだろうかと眉を寄せる。

 まあ思い出した所で全てが遅い。彼はもう死んでしまった。

 ローグハンターが溜め息混じりに立ち上がると、背後で咳き込む武闘家の声が耳に届いた。

 

「おい、大丈──」

 

「がは……!」

 

 声をかけながら振り向いた瞬間、武闘家は盛大に吐血しながら膝をつき、ひゅーひゅーと口から空気が抜ける音が漏れる。

 

「おい!大丈夫か、しっかりしろ!」

 

 ローグハンターは慌てて彼女に駆け寄り、肩を支えてやるが、口からだけでなく鼻からも血が垂れ始めていた。

 

「ごめ……ちょっと……むり……かも……」

 

 ぜえぜえと息を絶え絶えにしながら紡いだ言葉は、ローグハンターとしては聞きたくなかったものに他ならない。

 

「気をしっかり持て!寝るんじゃないぞ!」

 

 ぺちぺちと頬を叩きながら告げたローグハンターは、急いで武闘家を背負い、近くにいる筈の馬を目指して走り出す。

 頑張れ!頑張ってくれ!と、絶えず投げられる励ましの声を聞きながら、武闘家は小さく唸る。

 ようやく父が言っていた領域に手をかけたのに。

 ようやく彼を守れるだけの力が出せたのに。

 後悔は多く、今死んでしまえば間違いなく化けて出る自信があると、変に余裕のある冗談を思いながら、必死に走る彼の横顔を見つめる。

 

 ──こんなことなら、彼に……。

 

 残された力を振り絞り、僅かに口を動かし、舌を回す。

 

「大好きだよ……」

 

 酷く掠れ、虫の羽音のように微かな声は、不運にもローグハンターの耳には届かない。

「なんだ、何か言ったか!?」と慌てる彼に体重を預けて、襲いかかる眠気に任せて目を閉じた。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、どうかこの者の傷に、御手をお触れください》!!!」

 

 聞き慣れない女性の声で、優しき地母神への祈りが聞こえたのは、その瞬間だった。

 

 

 

 




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