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ある日私はふと牛丼を食べたくなって、それも普段コスパの良さからよく行く松屋ではなく、吉野家に入った。
店の前についてから今は父の初盆であることに思い当たった。
年が明けてすぐに母のもとに父が危篤であるという知らせが来た際には我が家はひどく混乱した。
酒に呑まれては暴れ、直接暴力を振るう事こそ殆ど無かったものの、物を壊し、私や母に怒鳴り散らし、最後には働くことすらやめて、殺してやると毒づいた挙句、借金まで作って母に愛想をつかされ最後には離婚したという経緯があったからである。
ここには書けないほどあんまりな事をしでかした父の見舞いには行かせたくない母。
幼かった故か、記憶から父の存在を抹消していたためにまったく興味がない妹。
そして、最期になるなら恨み言なり、あるいは離別してからこれまでの4年間について話すなりしておくべきだという私。
結局母はわたしの意見を尊重してくれてどうせなら、と妹も伴って見舞いに行ったのだが。
病室で父が私に語った話は、自身の占いの話、そしてその占いで私や妹を占った結果についてだった。
一言の悔恨も、懺悔も謝罪もなかった。
元々父に対して期待などしていたつもりなどなかったけれど、心の芯がすうっと冷えて、目の前の死に体の愚者について失望しきっていくのを感じていた。
それが私が父を見た最後だった。
こんな人が父親だったのか。
私は病室を出て涙が零れそうになるのを堪えた。
ヴァレンタインの前日、父の訃報を母伝いで聞いた。
享年なんて最早興味がなかった。
とはいえそれで悲しむようなことは本当になくて、私はむしろすがすがしい気持ちだった。
不謹慎な言い方にはなるが、「やっと死んでくれた。」というのが本心だった。
だからこそオレンジ色の牛丼屋の看板を見て父を思い出し、懐かしんでいるこの状況が不可解だった。
ふと、トラックの助手席に座っている情景を思い出した。
父とて、何も最初から完全に悪人だったわけではない。
私がまだ幼いころ、既に父は酒を飲んで時折暴れてはいたが、私や母に愛情が全くなかったわけではなかった。
父はトラックドライバーだった。
それも、LPガスを運ぶ仕事をしていた。
時折父は、私をこっそり助手席に乗せて配送に出ることがあった。
朝早くで眠い目をこすりながら起き出す私にとって、起きて直ぐにしゃっきりと目覚めている父は幼心に「いいところもあるじゃないか。」と思わせてくれる姿であった。
そして私には到底持ち上げられなさそうなガスボンベを何本も運ぶ父に幾許かの憧れを抱いていた。
その帰路に、昼食として父がよく食べさせてくれたのが、吉野家の牛丼だった。
そこまでを思い出した私は、別の店だというのにどこか懐かしさを感じて入店した。
違う店、違うカウンター、違う背丈。
思っていたよりも小さい丼に入っている、昔父が頼んでいた大盛りを易々と平らげる。
並盛すら完食出来ず、半分かそこらで残して、父に食べてもらっていた。
せっかちな父も、食べるのが遅い私を何も言わずに待っていてくれたことを思い出して、涙ぐみそうになる。
あの時の糞親父はいったい何を考えながら私を見ていたのだろうか。
そうして食べ終わって会計をする。
あの日の父のように、私は長財布を取り出した。