その感情を何と言い表せば良いのか、黒鉄一輝はすぐには言葉にできなかった。
――魔力もなしに伐刀者を倒したことへの“驚愕”か?
――常軌を逸した勝利方法への“恐れ”か?
――軽率に命を賭けたことに対する“怒り”か?
――はたまた、自分より厳しい条件で勝ってしまった姉への“嫉妬”なのか?
様々な感情が綯い交ぜになり、とても一言で表すことはできなかった。
「…………姉、さん」
それでも一輝には今、確かに分かることが一つだけあった。
有り得ない出来事を前に皆が怯える中、ただ一人彼にだけは、姉の声なき叫びが聞こえてきたのだ。
――ほら、頑張ればできたぞ……? だからお前も諦めるな――――と。
Fランクだとか平均以下だとか、そんなレベルの話ではない。
全くの魔力なしの状態で、あの姉はCランクの伐刀者を倒してしまった。魔導騎士の才能などなくても、全てを賭して挑めば勝てるのだと、その身で以って見せられてしまったのだ。
……もちろん、頭の中の冷静な部分では理解していた。
いくら魔力を封じられようと、あの姉を一般人と同列に見ることなどできない。魔力以外のあらゆる才能――剣術、体術、身体能力――全てが飛び抜けた規格外の天才なのだ。他人がアレと同じことを、そっくりそのままできるわけがない。
「ッ……姉さん!」
けれども一輝は――――魅せられてしまった。
理性がいくら『無理』と叫ぼうとも、胸の内に浮かんだ熱はもう止められない。
初めて会ったあの日と同じ、全てを薙ぎ倒し進んで行く背中に、憧れたこの想いはもう止められない。
兎にも角にも黒鉄一輝は今、胸に込み上げてくる熱い気持ちを彼女に伝えたくて堪らなかった。制止の声も振り切って、リング中央へ向かい真っ直ぐに駆けていく。
視線の先、満身創痍の刹那がこちらへ振り返るのが見える。身体中ボロボロで今にも倒れそうだというのに、その瞳は相も変わらず静かな湖面のように凪いでいた。これほどの偉業を成し遂げておきながら、呆れるほどに普段通りな佇まい。思わず一輝は苦笑してしまう。
――ああそうだ、あれが僕たちの姉さんだ。
ぶっきらぼうで無愛想で、何考えてるか分からなくて、いつも弟妹たちを好き勝手に振り回してくれて。……けれども世界一優しくて頼りになる、僕たちの自慢の姉さんなんだ。
世界中があの人を恐れようとも、僕だけはそれを知っている。皆が彼女を遠ざけるというのなら、せめて弟である自分だけは、あの人の傍にずっと寄り添い続けよう。
「姉さんッ!!」
そして一輝はついに、辿り着いた姉の目の前で、天にも届けと思いの丈を叫んだのだ。
「僕に戦う勇気をくれて、本当にありが――ッ
「黙れ!! この愚弟がッ!!!」
「ブへらあッ!!?」
――ドゴオオオオーーンッ!!
そして予定調和のごとく、顔面からリングへめり込んだのであった!
……。
…………。
………………。
――――え?
十秒ほどの静寂の後……。
誰かの呆けた声を皮切りに、恐怖に慄いていた観客たちが今度は別の意味でざわつき始める。
――……え、……え? ……今あの子……、弟のこと……蹴った?
――あ、ああ……。ものすごい踵落としだった……。
――……い、いや、なんでだよ。温かく祝福される流れじゃなかったか、今?
――ねえ、ちょっと? あの子痙攣してない? 大丈夫?
――何あれ怖い……。どういう状況なの、コレ?
『常識破りの少女の戦いに恐怖していたら、今度は子どもの頭がリングにめり込んでしまった……?』
全くもって意味の分からない展開だった。彼らが呆気に取られて固まってしまったのも無理はない。ほら、赤座を運び出そうとしていた門弟たちでさえドン引きしてるし……。
「ッ~~~~! っっ!! ~~~~ッぷはぁあッ!? げほっ! ぺっ! ぺッ!!」
だが言うまでもなく、今一番驚いているのは被害者本人であったろう。
「い――――いやいやいや! おかしいでしょ、姉さん!? ここでコレはないでしょ!? 今度こそエンディングの流れだったじゃん! 姉に導かれた弟が希望を見つけて、挿入歌とともにエンドロールの流れだったじゃん! なのになんで踵落と――ッ」
「黙れ、このヘタレがッ!!」
「ブフェえッ!!?」
返答は神速の上段回し蹴りだった。口答えすら許されず、一輝はもう一度リングへと沈んだ。恐怖劇から感動のフィナーレかと思いきや、始まったのはまさかのバイオレンス系不条理喜劇。
親愛の情を熨斗付けて叩き返された少年は、現状に若干のデジャヴ感を覚えながら痛みに呻いた。
「……一輝。……まさかとは、思うけど。……お前、……『自分が元気付けてもらえた』とでも……思ったの……?」
「痛つつつ~~ッ――え?」
痛みに震える身体をなんとか起こせば、視線の先には冷然とした姉の無表情。
そのあまりの冷たさに思わず背すじが震えるも、一輝はなんとか恐怖を乗り越え、己の推論を――否、希望的観測を述べていく。
「……えっと…………ね、姉さんは、僕のために……この戦いをしてくれたんだよね……? たとえ魔力が無くても、頑張れば勝てるんだ……報われるんだって。……それを教えてくれるために、傷だらけになってまで戦ってくれたんだよね? ね!? そうだよねッ!?」
「――ハッ! 笑わせないで、くれる……?」
二度目の返答は――――見事なまでの嘲笑だった。
「私が赤座を、ブッ飛ばしたのは……奴が私の物に手を出して、ムカついたから……。魔力を使わず、倒したのも……、ランク至上主義者にとって……一番の屈辱だと、思ったから……。そこにお前への気遣いなんて……微塵も存在、しやしないよ……。勝手な妄想で自惚れないで、この愚弟」
「そッ……そんなぁ……」
お手本のような侮蔑の表情。
“吐き捨てる”というに相応しい語り口調。
突如姉から向けられたそれらに対し、弟が抱いた感情は絶望でも傷心でもなく、ただ一言、
――『そりゃないよ、姉さん……』であった。
さもありなん。
身体を張って仇敵と戦ってくれて、『そこで見ていて』と穏やかな声で諭されて……、そして最後は劇的な逆転勝利と来れば、後は優しい抱擁から大団円一直線――そう思ってしまうのが自然な流れではないか。
なのにそこから、踵落とし&蔑みドSってどういうこと!?
一輝は憤慨した。
甚だ遺憾だった。
……後、一人で勝手に舞い上がっちゃったことに対して、若干の恥ずかしさを覚えて居た堪れなかった。両手で顔を覆ったままプルプルと震える。
「……フン。……どいつも、こいつも……的外れの……阿呆ばかり。……結局赤座の奴も……全くの期待外れ、だったし……」
「……え?」
すでに刹那は一輝のことなど見ていなかった。
彼女が見つめる視線の先には、気絶したまま門弟に運ばれていく赤座の姿。
重傷を負った対戦相手に対し、労いの言葉でもかけようというのだろうか?
――否。
その視線の寒々しさを見れば、そんなはずがないことくらい誰にでも分かる。
「……これだけハンデがあれば……少しは面白くなると、思ったのに……、結局自滅からの、呆気ない終わり……。見せ場を作ってやる、暇もなかったよ。……本人の戦い方と同じ……なんともお粗末で……無様な決着だったね、ククッ」
「! ……ね、姉さん。さすがにそんな言い方は……」
「なぜ? 事実でしょ? ……何を憚る、必要があるの? ……おまけに最後は……情けない泣き言からの、無様なギブアップ。……まだチャンスはあったのに……ちょっと血を流したくらいで……あっさりヘタれて、諦めた。……これが経験豊富な、Cランク騎士……? 黒鉄が誇る、門弟の実力……? ハッ! 戦いよりも……笑いを堪える方が、大変だったよ……。どいつもこいつも……話にならない、雑魚ばかり!」
「ッ! 姉さん! それ以上は――ッ」
まさに死体に鞭を打つ扱き下ろし。
最後は力及ばなかったとはいえ、試合中盤は赤座も騎士として恥ずかしくない戦いぶりを見せていた。それをこうも悪しざまに罵られては、聞く側が眉を顰めてしまうのも無理はない。
……これまで散々虐げられてきた一輝ですらそう感じたのだ。
ならば、曲がりなりにも赤座の仲間である彼らが黙っていられるはずもなかった。
「おいッ!!」
「……ン?」
「さっきから黙って聞いてれば好き放題言いやがって! 何様だ、テメエ!!」
「Aランクだからって調子乗ってんじゃねえぞ!!」
「ッお、おい馬鹿、やめろッ!」
赤座を運んでいた門弟たち。その内の数人が眦を吊り上げて刹那に詰め寄る。
元々がプライドの高い黒鉄の若者たち。中でも彼らは生まれたときからエリートとして扱われてきた、言うなれば選民意識の塊だ。如何な本家の直系とはいえ、八歳の小娘にここまで言われて笑って流せるはずもない。
必然、血の気の多い10人ほどがその後へ続き、次々と霊装を抜き放っていった。
「おい、お前ら! あの傷じゃもうほとんど動けないはずだ! 取り囲んで一斉にやるぞ!」
「おう! 魔導士型は前へ! 遠距離技をありったけ叩き込んでやれ!」
「充分に弱らせたら、後は全員でタコ殴りにすりゃいい!」
身体中から血を流す満身創痍の状態。その上魔力も封じられ、今にも死にそうな幼い少女。
対する相手は完全武装した伐刀者が10人以上。普通ならどう考えても、凄惨な未来しか見えない状況だ。
「……そっかぁ。……あなたたちが……付き合って……くれるんだぁ? フヒヒッ」
「あん? 何笑ってんだ、このガキ。状況が見えてねえのか?」
「大方、引っ込みが付かなくなってパニクってんだろうよ。このまま大勢の前でボコって赤っ恥かかせてやる!」
「そうだねぇ……。さっきは尻切れで、白けちゃったから……改めて、始めよっか……? あれが私の、全力と思われても……面白くないし、ね? キヒヒヒッ!」
そんな空気の中、刹那はどこまでも嬉しそうに嗤う。
門弟の喚きなど軽く聞き流し、両腕を目立つように前方へと掲げる。そこには何ら異常のない魔封じの腕輪が、今も変わらず彼女の両手首を縛っていた。
「じゃあ、皆? ……よく……見てて、ね……?」
「へっ、さっきから何訳の分からないこと――――ヲッ!!?」
――変化は唐突だった。
何か合図があったわけでも、分かりやすい叫び声が上がったわけでもない。刹那は両手を前へ突き出した状態で静かに佇んだままだ。
けれどもその瞬間、この場のナニカが決定的に変わっていた。先ほどまでの、横暴でありながらもどこか笑いを含んだような――言うなればお遊びのようなやり取りから……。重く、冷たく、全身に纏わりつくような、重厚で濃密な空気へと変貌していたのだ。
刹那の両手首に確かに嵌められた二つの腕輪。伐刀者の魔力を分解するはずのそれが、内側から溢れる光により激しく明滅し、ヒビ割れていく。
どんな高ランク伐刀者の魔力も封じ込めてきた特殊な腕輪が、まるで空気を入れ過ぎた風船のように大きくたわみ、膨らみ――
「……さすがに……死なないとは、思うけど……、
――――気を付けて、ね……?
「ッ!! ダ、ダメだ、姉さん! 待っ――!」
――バキンッ!
制止の声が掛かろうとした瞬間、硬質な何かが砕ける音が響き……、そして、
舞台中央に立つ少女の身体から、一個人から発されたとは思えないほどの膨大な魔力が溢れ出す。白く輝くオーラは濁流のようにうねり、猛り狂い、すり鉢状の闘技場を瞬く間に呑み込んでいった。
「がッ……ぐ……おぁがああッ!!?」
「な、なん……何、がぁ゛あ!?」
「あ……ガッ……い、息……が……ッ」
――変化は劇的だった。
それは、Aランクという最上級の枠組みですら測りきれない、圧倒的魔力による暴風だった。至近でそれに曝された門弟たちは、たちまちの内に発狂寸前にまで追い詰められていく。
撒き散らされた魔力に、毒素のような何かが付随していたわけではない。そもそも純粋な魔力に人を害する要素など皆無だ。
ただ彼女の“ソレ”はあまりに強大で、あまりに濃密過ぎた。人間の常識を遥かに超える馬鹿げた魔力の波は、物理的な圧すら伴い、彼らを地面に縫い付けてしまっていた。
(ぐッ……! い、いやこれは……それだけじゃ、ない……!)
背後で同じく膝を着いていた一輝は、その現象の違和感を嗅ぎ取る。
これまでにも何度か姉の“威圧”を見たことはあった。しかし今回の“コレ”は今までとは明らかに違っていた。
いつだったかの分家の子どもたち、そして昨日の赤座一派にしても……、強大な力で動きを封じられることはあっても、あんな風に胸や喉を掻き毟って苦しむことなどなかったはずだ。
「……ねえ、……どう?」
「ッ! ……ぁ!」
その答えが――姉自身の口から語られる。
「これが、私の……伐刀者としての、
「……な、なんッ……!? どう、いう……ッ」
「ン? 言葉通り、だよ?」
コテンと首を傾げ、少女は何でもないことのように言い放った。
「私は……知覚範囲の魔力を全て……意のままに、操れるの。……そしてそれを使って……、どんな現象でも……自由に引き起こすことが、できるんだよ?」
「な……ッ!?」
刹那がフワリと右手を振るうと、周囲の魔力が激しく蠢動。空気中の水蒸気が凝集し、掌に水の塊が出現した。
それを軽く放るとさらに腕を一振り。弾かれた魔力が空気を動かし、巻き起こった風が水球を微塵に吹き飛ばす。
もう一度振れば、霧となった水は空中でピタリと静止。纏わりついた魔力により水素と酸素に分解され、生じた火花によって炎を生み出す。
最後に軽く足踏みすれば、リングの石板が砂となって盛り上がり、燃え盛る火球を覆い尽くして鎮火させた。
「ッ!?」
「フフ……器用、でしょ……? ……やろうと、思えば……もっと大規模な、現象も、……複雑な術式だって……創れるよ……?」
「ッ……ばッ! そ、そんな……馬鹿なッ!?」
見せ付けられた一連の光景を前に、門弟たちは絶句する。
『伐刀者の能力は各個人に一種類ずつ』――それがこの世界の常識だ。たとえ同系統の能力があったとしても、100%同じものということは有り得ず、そこには必ず何らかの
それをこれほど手軽に、いくつもの能力を再現できてしまうなどと……。
つまりそれは、ほぼ全ての伐刀者の能力を自由に扱えること――すなわち、全ての伐刀者に対して無条件で優位を取れることを意味していた。
『一体何なんだ、その反則は!』と彼らは声を大にして叫びたかった。
「……だから、ね? ……こんなことも、できるんだ……」
「は? 何――あガあああ゛ッ!!?」
言葉もなく呆然とする門弟たちへ向け、刹那はユラリと腕を伸ばした。その瞬間、いつの間にか呼吸が正常に戻っていた彼らは、再び喉を押さえてのたうち回ることになった。
「伐刀者の、身体は……魔力の塊の、ようなもの……。なら……、体内魔力の動きを……少し、いじってやれば――?」
「あがッ!? ぎああアアあ゛ッ!?」
刹那の腕の動きに合わせ、門弟たちの身体がまるでボロ雑巾のように捩じくれていく。
「こうやって……生命活動を……阻害することも、可能なの」
「ひギュ!? ……や、やめ……あがああッ!?」
「キヒヒヒッ!」
制止の声など全く意に介さない。表情を歪ませて苦しむ門弟たちを見下ろしながら、刹那は見せ付けるように……、真綿で首を締めるように……、さらにその右手を握り込んでいった。
呼吸すらもおぼつかず、まともに返事を返すこともできない門弟たち。先ほどまでの敵愾心など
「ねえ……どう? 『雑魚ばかり』って言った……私の気持ち……、分かって、くれた……?」
「や、やめ……ッ、……もッ……これいじょ、は――ッ!」
「ね? 少し魔力を当てたら……、こんな風に……倒れちゃうん、だよ? ……程々に……手加減しなきゃ……、本気の勝負なんて……全然、できないんだ……。私の悩み……分かって、くれた?」
「……がッ!?」
クイと曲げられた刹那の指の動きに合わせ、宙空から投射された魔力鎖が彼らの首を吊り上げていく。
「どうした、の……? Fランクは、劣等で……、あなたたちは……優等種、なんでしょ……? 『強い奴が正しい』って……黒鉄の不文律に従って……たった一人を……迫害して、きたんでしょ……? 『魔力の低い息子は要らない』って……当主の言葉に従って……寄って集って……、虐めてきたんでしょ? ――ねえどうなの? 答えてよ」
「が、かぶブ……ゴぉああ゛あ!!」
「ッ! 姉さん、ダメだ! それ以上は――!」
「なら今こそ! その信念を見せてよ! 生意気な小娘なんて……ボコボコにして……分からせて、やってよ! ……この程度の魔力、跳ね除けて……半死人の、子どもくらい……嗤いながら、殺してみせてよッ!」
そして刹那は、酸欠と恐怖で蒼くなった顔を覗き込みながら言い放ったのだ。
――命の一つくらい……! 賭けてみせてよ、伐刀者ッッ!!
「ヒぃ……ッ!!」
「……む……む、り……! も……やめッ」
「あやまり、ます……から……ッ。……ゆ、ゆるッ」
「……た、たす……け……。おね、ガ――――はっ」
血濡れの少女からの苛烈過ぎるお誘い。その声に門弟たちは、ついぞ応えることができなかった。
血気盛んだった若者たちはあまりの苦痛に耐えきれず、血の気を引かせて次々に気絶していった。
「…………あーぁ。……やっぱり……この程度、かぁ……――――フンッ」
その無様な姿にも大した落胆を見せることなく、刹那は『予想通りだ』と言わんばかりに、気を失った連中をリングの外へ放り投げた。彼らを見る少女の瞳には、もはや何の興味の色も浮かんではいなかった。
「ね? ……言った通り……だったでしょ?」
「……え?」
「エリートだ何だと……自称するくせに……、どいつも、こいつも……役立たずの、根性なしばかり……。ねえ一輝? これでもまだ……、私の言ったことに……文句、ある?」
「ッそ、れは……」
反論などできようはずもない。
Fランクの一輝より遥かに優れた才能を持つ伐刀者たち。今の彼では到底敵わない強者たちを、姉は満身創痍のまま倒してしまった。
……いや、『倒した』などという次元ではない。本来の彼女からすればあの程度、羽虫を掃うのと何ら変わらない、勝負以前の些事でしかなかったのだ。
人の身を超越した膨大な魔力と、それを意のままに操る技術と、そして、素のままに伐刀者を打ち倒してしまう強靭な肉体。それら全てを合わせ持つこの怪物を前に、一体どんな諫言を投げかければ良いというのか……?
先ほどの発言は慢心でもなんでもない。
当たり前に存在する事実を、ただ正直に述べたに過ぎないのだ。
「フフ……そもそも、私から見れば……、どいつもこいつも……似たようなもの、なのにねぇ?」
「……え?」
いつの間にかこちらを振り返っていた刹那は、跪く一輝の顔を至近から覗き込んでいた。
「そうでしょ? 肉体は、脆弱で……、技術もろくに、磨けてない……。魔力量に至っては……全員私の……百分の一以下だ……。――Aランク? Fランク? ハッ、笑わせないで。そんなものただの誤差、皆等しく劣等だ。……おまけに相手が格上となれば、噛み付く度胸さえない、ヘタレども。……これが天下の、黒鉄の精鋭? ――冗談! 解放軍のチンピラの方が、まだマシだったよ!」
「……ッ」
徐々に熱を持っていく姉の言葉。一見すると普段と何ら変わりない無表情のまま……。
しかし、これまで共に過ごしてきた一輝にはソレが理解できた。何の感情も浮かばないように見える瞳の奥には、抑えることのできない激情が潜んでいたのだ。
「その上! 昨日に至ってはッ!!」
「え?――あぐう゛ッ!!?」
「一度戦いに負けたくらいで! 強くなるのを諦めた、ヘタレがいたなあッ!!」
そしてその激情は、ついに弟の身にも牙を剥いた。
姉が叫ぶと同時、一輝の身体は激しく地面へと叩き付けられていた。重力が倍になったかと錯覚するほどの強大な魔力圧。先ほどまで門弟たちを痛めつけていたその凶器が、今度は一輝の身体に容赦なく襲い掛かる。
「私が、貴重な時間を割いて……鍛えてやったのに……! 奴らにリンチされてッ……負けたくらいで! その程度でッ、諦めやがって!」
「がッ、ぐぅうッ!?」
「ミソッカスのお前でも! 武芸の才だけは……多少マシだったから! いつか私の相手になれるかもと……期待して拾ってやったのにッ……あっさり折れて、諦めた! ここまでの苦労が……全て水の泡だ、軟弱者ッ!」
訓練のときとはまるで違う。厳しさの中にも僅かな気遣いが感じられたような、柔らかい圧ではない。
『お前が気に入らない』という――否、『この世の全てが気に入らない』とでも言うような激しい感情の波が、一輝の心身を重々しく圧し潰していた。
「もう一度、言ってやる……! 連中とお前の違いなんて……ただの誤差だ! 皆まとめて、取るに足らない劣等だ……! 0.01が0.02を羨んで……一丁前に挫折だと? 烏滸がましいにも、程がある! そんな暇があるのなら……筋トレの一つでもしていろ、この未熟者めッ!!」
あまりに酷薄で一方的な姉の言い分。
浴びせられる容赦ない罵倒に、一輝は反論するべく顔を上げようとした。
「ッ~~! う……ぐぅううッ!!」
けれども、それは叶わない。
叩き付けられる重圧を前に、一輝は少ない魔力を掻き集め、身体が潰れないよう維持するので精一杯だった。
――姉の片手間の威圧に対してすら、全力を賭して抵抗しなければ意識を保つこともできない。
その事実に改めて己の無才ぶりを突き付けられ、一輝は地面を睨んだまま、ただ唇を噛み締めることしかできなかった。
「ハッ……! お前は戦いなんぞ諦めて……、違う道にでも進むといいよ! ヘタレがいつまでも、しがみ付いたところで……いずれ無様に死ぬのが、関の山! さっさと尻尾巻いて逃げ出す方が、身のためってモノだ! ――――この程度のハンデで諦める奴が……他の分野で大成できるとも、思えないけどね?」
「ッ!」
「どうぞ? 適当なぬるま湯の中で……、そこそこ満足な……惰性の人生を、送るといいよ。『自分は精一杯やったんだ』と……半端な達成感を後生大事に……一生自分を慰め続けるがいいよ。情けない落伍者には……それが一番、お似合いな未来だ! ――アハハハハ! アーーッハッハッハッハッ!!」
「~~~~ッ」
激しく渦巻く魔力と、圧倒的暴威によって支配された会場。
誰もが恐怖に震える静寂の中で、少女の狂ったような嗤い声だけが、いつまでもその場に響いていた。
……。
…………。
………………。
……………………。
ところで、話は変わるが……。
皆さんはこれまでの人生において、親や教師などに怒られ、説教されたことは多々あると思う……。
そんな中でふと、こう感じたことはないだろうか?
――いや、なんでアンタにそこまで言われんといかんの?――と。
「まったく……とんだ時間の、無駄だった……。これまでの労力を……返してほしい、くらいだ……」
「…………ッ」
そりゃあ確かに、こちらにも悪い点や落ち度はあった。
注意されるのも叱責されるのも当然のこととは思う。
――だがしかし、そこまで悪し様に罵られるほどのことなのか?
「フ……、こんなんじゃ……将来の成長にも、期待できないね……? あの連中よりは……見所あるかと、思ったけど……、結局は同類の、ヘタレだった……!」
「…………ッ」
今回のことだってそうだ。
盛大に負けたのは事実だし、改めて才能の無さを嘆いたのも情けなかったし、それで妹に当たり散らしてしまったのも大いに反省すべき点だった。
……だがしかし、この姉にここまで偉そうに扱き下ろされなきゃならん筋合いがあるのだろうか?
「……これが本家の直系だなんて……、黒鉄の未来には、不安しかないね? クククッ!」
「…………い」
「……ン? どうした? ヘタレが行き過ぎて……ついには返事すら、できなくなったの……?」
だいたいこの姉にしたって、周囲に迷惑かけまくって好き勝手生きている、超絶問題児ではなかっただろうか?
しかもさっきの会話をよくよく思い返してみれば、自分を鍛えてくれた理由も別に親切心とかではなく、“愉しい戦いをしたいがため”という身勝手極まりないものだったという。
なぜにそんな傍若無人な奴に、偉そうに人生の先輩面して怒られなきゃならないのか!?
「…………さい」
「なに? 聞こえないよッ。……肉体が脆弱なんだから……せめて口先だけでも、役に立ってみせたら?」
「…………、さいッ」
「ほら! 言いたいことがあるならはっきり! それともやっぱり、お前も奴らと同じ臆病者なの!? なんとか言ってみろ、このヘタレ伐刀者めッ!! ハーッハッハッハッ!!」
「~~~~~~ッ」
まあつまりは結論として、何が言いたいのかというと……。
――――プチッ。
「さっきからうっさいんじゃ、このボケええええーーーッッ!!!」
「ッ!?」
――ビリビリビリッッ!!
「グダグダグダグダと勝手なことばかりッ! お前は一体何様だああああーーーッッ!!」
気付けば少年は全てを振り払い、咆哮していた。
魔力による重圧も、敗北による悔しさも、一度折れてしまった負い目も……、今は全てがどうでもいい。
痛みも屈辱も恥ずかしさも、この瞬間だけは全て頭から消え去っていた。
真っ白な思考の中、一輝が思うことはただ一つ、
――『この理不尽で暴虐な姉をブッ飛ばしたい!!』という、純粋で原始的な反骨心だけだった。
確かにこれまで世話にはなった。鍛えてくれたことも感謝はしている。
だがそれはそれ、これはこれ。いくら恩があるとはいえムカつくものはムカつくのだ。
そうだ、以前珠雫に対してもカッコつけて説明したではないか。
曾祖父に憧れて抱いた夢とはまた別の夢。地獄のデスマーチに放り込まれたあの日以来、新たに志したもう一つの目標!
まさに妹に語った初心の通り。今は恩義や後先など考えず、ただただこの姉の顔面に特大の一発をカマしてやりたい気分だった!
「こん……ちくしょうがぁあッ!!」
――そのためにはどうすれば良い?
決まっている。この鬱陶しい魔力の
根性見せろ、黒鉄一輝! こんなのいつもの理不尽特訓に比べればなんてことないだろうッ!?
――魔力が足りない?
なら身体中から掻き集めろ!!
手足の先、髪の毛一本、血の一滴に至るまで振り絞れ!
身体中の骨が圧し折れてもいい! 終わった後もうどうなったって構わない!
今このとき、この瞬間だけ!
ただ一振りに全てを賭けて、何もかも斬り伏せる修羅となれッ!!
「いくぞ、隕鉄ッ!!
――――一刀修羅あああああーーーーーッ!!!
轟ッッ!!
裂帛の気合に呼応し、少年の身体から夥しいほどの光が立ち昇っていく。
普段の彼が纏うか細いオーラとは明らかに違う。Fランク騎士には到底生み出せない魔力の奔流が、効率など度外視して際限なく溢れ出す。
一日で使える魔力全てを一瞬に凝縮した、文字通り捨て身の特攻技。
瞬間の出力ならば、おそらく
「第七秘剣、《雷光》ーーッッ!!」
――気合一閃。
目にも止まらぬ速度で振られた黒刀は、大地を切り裂き、大気を引き裂き、そして
人外の怪物によって為された呪縛。黒鉄の精鋭が何もできずに倒された魔力の檻を、落ちこぼれの少年が正面から打ち破ったのだ。
まさしく偉業と言うしかない戦果だった。自分たちが見下してきた少年がそれを成したという事実に、重圧から解放された観客たちはただ瞠目した。
「――ゴフッ! あ……ぐッ……!」
「「ッ!?」」
だが当然――代償もまた大きい。
刀を振り切ったままの一輝の身体は、一目見て分かるほどの満身創痍となっていた。身体中の至るところ、手足や胴体だけでなく目鼻からも大量の血が噴き出し……。おそらくは内臓も痛めているのだろう、荒く呼吸を繰り返す口からは大きな血の塊を吐き出した。
身の丈に合わない力を振るった代償――限界以上の魔力を引き出した余波を受け、少年の体内は死の一歩手前まで損傷していたのだ。
「……は……ははッ…………はははははッ……。あはははははッ! ――――どうだい、姉さんッ? 見てくれたッ!?」
――な……ッ。
――あ、あの子……、笑っ……てる?
しかしそれも、当人にとっては些細なことだった。後僅かで死ぬかもしれないこの状況で、一輝は心の底から笑みを浮かべる。
他人の称賛や罵倒なんてもうどうでもいい。
先ほどまでの怒りも嘘のように消え去った。
風前の灯火の命でさえ、今は意識の外だ。
失血の影響で霞む視界の中、彼はただただその光景だけを食い入るように見つめていた。
「………………ヘタレの分際で、……生意気な……」
彼が一心に見つめる先。隕鉄の斬撃が通り過ぎた姉の頬からは、僅かに
「は……ははははッ、どんなもんだい、姉さん! 僕のナマクラが……確かにあなたの身に、届いたんだ!」
誰もが諦め、膝を折った埒外の怪物に、落ちこぼれの自分の力が通用した。
遥か遠い頂に立つ姉の背に、この落第騎士の刃だけが唯一届いた。
こんなに痛快なことがあるだろうか? これに勝る栄誉が他に存在するだろうか?
もはや刹那の真意が何であろうと構わない。
たとえ暇潰しだったとしても、体のいいサンドバッグ扱いだったとしても文句はない。
――今はただ、自身の胸の内に浮かんだこの
「ハハ……、ハハハハッ……。覚悟しておいてね、姉さん?」
「……フン。……何の、覚悟?」
「決まってる、でしょ……? いつか僕が……あなたを超えたとき……。この手で姉さんを倒せると……確信したとき……ッ。そのときこそあなたを……正面からブッ飛ばしに……行くから……! せいぜい……その日までに……、落ちこぼれの弟に、負ける覚悟を……、決めておいて……、くだ……さい…………ねッ!」
その言葉を最後に、力を振り絞った少年の身体は、糸が切れた人形のようにゆっくりと倒れていった。
地面に落ちる直前、何かに受け止められたような気もするが、もはや相手が誰かも分からない。意識も視界もグチャグチャで、何を言われているかも判然としない。
――お、おに……さ……!? いやあ! ……ないでッ、…………さまッ!!
――落ち……愚妹がッ……っさと治癒…………けろ! ……おい……担架…………急い……ッ!
けれども一輝の見間違いでなければ……、最後にこちらを見た彼女の表情は、あの日と同じ、穏やかな微笑みだったようにも思えて――
――……フン、愚弟め。……精々期待せずに……待ってて……あげるよ……。
(ッ……あぁ、良かった……。僕の刃は……確かにあなたに……届い、て……)
達成感と満足感と、そして、よく分からない安堵感に包まれたまま、一輝の意識はぷっつりと途切れたのだった。
――優しかった姉の突然の暴挙! 次回、その驚愕の理由とは――!?
なんて、真面目にアオリを入れるほどの真相でもないんですが(笑)
皆さん、だいたい予想は付いてらっしゃるかと思いますが、なんとかその期待値を超えていけるよう頑張りたいと思います。
そして、感想欄でもちょくちょく疑問に思われていたオリ主の能力が、ついに判明です。
答えは――『だいたいなんでもできる能力』――でした。
鎖や盾を具現化したり(3話)、会話や気配を探ったり(7話)、軍の通信を傍受したり(5話)、翼を出して長距離を飛行したり(5話)、小技として水を出したり(2話)……。これらは全て固有の伐刀絶技ではなく、器用過ぎる魔力操作によって即興で行ったものでした。
さすがに概念干渉系は(まだ)無理ですが、自然現象や体術系の能力なら一度見たものはだいたい再現できます。紛うことなきチートです。……正直、ちょっと盛り過ぎたかな?という感もありますが、そもそも原作からしてとんでもチート能力の宝庫なので、これくらいは可愛いモンですよね……?