黒鉄さんちのラスボス姉ちゃん   作:マゲルヌ

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甘く見てると怪我するぞ

「あと30分ほどですが、他の試合を見て行かれますか、お兄様?」

「いや、もう控室で待機しておくよ。少し集中したいからね」

 

 作戦会議から一夜明け、桐原静矢との試合日当日。応援に来てくれたステラ、珠雫、アリスを伴い、一輝は試合会場を――学園最大規模を誇る大闘技場を訪れていた。

 

「分かりました。では我々は観客席で待っていますね」

「負けるんじゃないわよ、イッキ!」

「しっかり応援するわね」

「ああ、ありがとう、みんな。行って来る」

 

 手を振って皆と別れ、控室へと向かう。観戦に訪れたことはあっても選手としてこの建物に入るのは初めてだ。出場者専用の通路に踏み入った瞬間、感じたことのない独特の重圧が一輝を襲い、否応なく心音が高まっていった。

 誤魔化しようのない確かな緊張に手汗が滲む。

 しかしその感覚がむしろ心地良い。

 この強張りこそが、自分が本当に公式戦に臨めているという確かな証なのだから。

 

「あっ」

「およ?」

 

 廊下の角を曲がった先で見知った顔と遭遇した。着崩した着物に天狗下駄が目を引く長い黒髪の女性。KOKリーグ世界ランキング三位にして『夜叉姫』の異名を持つ、日本屈指の伐刀者――西京寧音(さいきょうねね)であった。

 

「お久しぶりです、西京さん」

「おひさ~。そういや今日は黒坊の試合だったっけ」

 

 トレードマークである萌葱色の扇子をフリフリしつつ傍に寄ってくる。

 ……ちなみに身長は一輝の胸くらいまでしかないし、どことは言わないけれどストンとしているが、歴とした成人女性(アラサー)なので注意しよう。揶揄うと地面のシミになるぞ。

 

「調子の方はどうさね?」

「悪くありません。初の公式戦ということで多少の緊張はありますが……」

「しかも相手があの桐やんだからねぇ? 黒坊のスタイルとはちょっと相性が悪いんでないかい?」

「承知の上です。七星の頂に辿り着くためには、誰が相手だろうと負けるわけにはいきませんから」

「おほー、かっけえじゃん」

 

 かつて憧れた大切な夢だ。もう一つの目標と合わせて、今年は全力で獲りに行く。こんなところで躓いてはいられない。

 

「それに姉との鍛錬に比べれば、どんな試合も楽な部類に入りますし」

「あー……」

 

 年齢一桁のときから変わることなく、毎日毎日おやつ感覚で死線を潜らされて(潜り抜けて)きた。今さら同級生との試合で尻込みするほど柔な精神はしていないつもりだ。

 ……日替わりで骨や内臓を潰されるのを、果たして“鍛錬”と呼んで良いものかは今も疑問だが。

 

「あのガキなぁ……」

「? 先生、どうし――あっ」

 

 寧音のテンションが露骨に下がるのを見て一輝は己の失策に気付いた。この合法ロリ先生は黒鉄刹那の話題となると目に見えて機嫌が悪くなるのだ。理由を考えれば致し方ないことではあるが、その度に魔力と威圧感が周囲へ滲み出るのは困りものだった。

 

「え、えーとですね、西京さん……そのぅ」

 

 言い繕いを遮るように寧音はパシッと扇子を閉じた。

 

「なあ、黒坊? そろそろあの性悪とは距離を置いた方がいいんでないかい? なんならウチの方から()()()()に行ってやっても良いけど?」

「い、いやあ……それをやるとむしろ本人が喜ぶような……、というか連盟からスクランブルがかかって大事件になるかと」

 

 一輝の脳裏にかつての怪獣大決戦の光景がよみがえる。

 ……あれは酷い事件だった。たかが喧嘩で次元の壁に穴を開けてはいけない。

 

「ちっ、あのガキ、いつか合法的に潰す機会はないものか」

「それは姉がA級リーグに行くのを待ってもらえれば……たぶん来年ぐらいには」

「……ほ~ん? そこはナチュラルに信頼してんだね」

「え?」

「んにゃ。なんでもないよ」

 

 数秒前までの不機嫌顔が嘘のよう。

 寧音は楽しそうにカラリと笑うと、通路の向こうへ歩き出した。

 

「あっ、お疲れ様で――」

 

 と思いきや、スッとこちら側を振り向き――

 

「ッ!」

「油断大敵、ってやつだぜ?」

 

 息を呑む――暇もなかった。

 気付けば至近距離に身体を寄せられていた。気を抜いたつもりなど全くなかったのに、50cmのラインを越えられるまで全く反応できなかった。

 

「ッ……相変わらず、見事な“抜き足”ですね。さすがは南郷先生の一番弟子だ」

「フフン♪ だろう? ちょいと意識の間隙を突けば、人間なんて簡単に裏を掻かれちゃうんだぜ」

「はい、御指南ありがとうございます。以後気を付けるよう「だ・け・ど」――に?」

「それは心構えや目標なんかも同じこと」

 

 試合前の後輩へちょっとしたアドバイスだろう。そう思い頭を下げようとしたところを、手にした扇子でクイと顎を持ち上げられる。

 

「目の前のことに集中しなよ、黒坊? あんま先の予定ばっか考えてっと、思わぬとこで躓いちまうかもよ?」

「えっ、と……?」

 

 普段の飄々とした態度は鳴りを潜め、KOKトップランカーとしての矜持を纏った視線が一輝を貫いていた。

 試合前とはまた別の緊張が襲い、真意を尋ねようと口を開く。

 

「あの、どういう……」

「――な~んて♪ らしくもなくシリアスやっちまったね!」

「へ?」

 

 近付いたときと同じく、瞬きの間に彼女はその身を離していた。雰囲気もいつもの退廃的な調子に戻り、扇子を弄びながらヘラリと笑っている。先ほどの態度は目の錯覚だったのかと疑うほどに。

 

「あ~、肩が凝った。やっぱ慣れないことはするもんじゃないね~」

「あ、あの、西京先生……?」

「んじゃま、頑張んなよ、黒坊。いい試合、期待してるよん」

「あっ」

 

 問い返す間もなく、寧音は嵐のように去っていった。追いかけようにもAランク騎士のスピードは尋常でなく、もう廊下の先に背中すら見えない

 

 

 ――『黒鉄選手、試合開始10分前です』

 

「……ッ」

 

 時計の針はすでに一時十五分。間もなく開始時刻だった。

 ――そうだ、今は試合の方へ集中しなければならない。気になることは後でまた聞けばいい。

 パチンと両頬を張り、気合いを入れ直す。

 

「よし……行くぞ!」

 

 拳を握り締め、少年は人生で初めての舞台へ歩を進めた。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

『さあ、間もなく始まります、本日の第四試合! 実況は私、月夜見半月(つくよみはんげつ)。解説は西京寧音先生でお送りします!』

『よろしく~』

 

 ――ワアアアアアーーー!!

 

 破軍学園の代表選抜戦は学内に複数ある闘技場で行われる。これは実際のプロの公式戦と同じ仕様であり、初めて利用する一般出身の生徒はそれだけで平常心を乱してしまうこともある。幸い一輝は黒鉄家での鍛錬で同規模のものを使用したことがあるため、会場そのものに動揺することはないが。

 

『さて今回のカードも注目ですよ! まずは昨年度主席入学者のCランク騎士、桐原静矢選手! 対人戦無敵と言われるステルス能力と正確無比な狙撃のコンボはまさに凶悪! 一度囚われたら抜け出せない狩人の森を引っさげ、今年も白星の山を築くのか! 二年生エース、今、堂々の入場です!』

 

 ――静矢さまーー!

 ――カッコいいーー!

 ――秒殺で決めてねーー!

 

「あっはっは、応援ありがと~!」

 

 実況の紹介と声援を受け、桐原が手を振り返しながら舞台へ上がる。いつも通り薄く浮かんだ笑みは余裕の表れか、それとも敵への嘲笑か……。

 

 

『対する相手も要チェックです! Fランクながら剣術に関しては達人級! あの最強の七星剣王による拷も――失礼、訓練と称してそこかしこでズタボロにされる姿は、すでに学園の名物と化しているとかいないとか!? 黒鉄一輝選手、二年目にして公式戦初登場だああ!』

 

 ――あれが落第騎士(ワーストワン)か。七星剣王に鍛えられてるって噂だけど。

 ――さすがに桐原相手じゃ無理だろ。

 ――ま、一応応援してやろうぜ。盛り上がった方が楽しいし。

 

 

 

(すごいな……。これが、公式戦の舞台か)

 

 申し訳程度に送られる拍手に一輝も手を挙げて応える。360°全てを埋め尽くす観客と、津波のような歓声にはさすがに浮足立ちそうになるが、それも持ち前の精神力でねじ伏せる。

 今注目しなければならないのは、目の前の相手ただ一人だ。

 

「本当に出て来るとはねぇ? 今回もボロ雑巾にして良いんだよな、落第騎士(ワーストワン)?」

 

 いつも通りの憎まれ口。しかし今さらその程度で心乱されることはない。

 

「やれるものなら、やってみると良い」

「ハッ。では狩りの時間だ【朧月(おぼろづき)】」

「来てくれ【隕鉄(いんてつ)】」

 

 解号とともに両者の手に固有霊装(デバイス)が顕現し、今、試合が始まる!

 

 

 ――Let’s Go Ahead !!

 

 

「行くよ、桐原君」

 

 弓を片手に無造作に立つ桐原を刀越しに睨む。

 対するは、Fランクなどに負けるはずがないというどこまでも見下した嘲笑だ。

 その隙を――突く!

 

「おーおー、怖い眼だ。とてもかつてのクラスメイトに向ける視線とは思えぬぁああああいッ!?」

 

 前口上ごとブッタ斬るように一輝は隕鉄を振り下ろしていた。刃を掠めた桐原の前髪が数本、剣圧に押されて宙を舞う。

 

 

『おおっと、黒鉄選手の先制攻撃! 気を抜いていた桐原選手の身体を掠めたあ!』

 

 

 姿を消す相手に長々と時間を与える理由などない。何もさせることなく開幕速攻で決めるのが一番手っ取り早く確実だ。

 

「ななッ、なんて野蛮なヤツだ! 話してる最中に斬りかかってくるなんて……!」

「もう試合は始まってるよッ、桐原君!」

「ぐおぅ!?」

 

 一輝はさらに連撃を繰り返す。音速に迫ろうかという閃光のごときその斬撃を、しかし桐原は身体を捻って避ける、避ける、避ける!

 

「ッ……さすがにそう都合良くは行かないか!」

「……ふッ、ははは! 当たり前だろ、僕は天才なんだぞ! お前ら凡人の攻撃を避けるくらい造作もないんだよ!」

 

 さすがは前年度主席と言うべきか。動揺を鎮めた桐原は一輝の動きを冷静に見極め、その身一つで攻撃を捌いていく。

 

「そらッ、追い付けるモンなら追い付いてみなあ!!」

 

 

『桐原選手飛んだぁ! 連続で空中を蹴って黒鉄選手から大きく距離を開ける! これは速いぞ! 凄まじい跳躍力だーー!』

『んにゃ、ただ跳んでるだけじゃないね。足元をよく見てみ?』

『足元? おや、あれは……何でしょう?』

 

 実況の月夜見が怪訝そうに眼を凝らす。いつの間にか桐原の足元から四方八方へ延びているのは、蒼白い帯のような何かだった。

 

『魔力の線……? いえ……あれは道、でしょうか?』

『その通り。魔力を固めてまるで道のように見立て、そこを滑るように高速移動しているのさ。慣性や重力を活かせるように角度や配置も計算されているからロスも少ない。フフン、意外に芸達者じゃないか、桐やん』

『な、なんと、これはすごいぞ! さすがは前年度主席、見事な魔力制御だ!!』

 

 スナイパーにとって命中精度と並んで重要な要素、それは敵を近付かせないことだ。弓兵に不利な近距離戦でそれを成し得るために、彼はこのオリジナルの移動術を身に付けたのだろう。

 魔力を足元に集中させ、空中の道を滑走しての三次元高速機動。その勢いはもはや“飛行”と言って差し支えない。得意顔で天才を自称するのもあながちハッタリばかりではなかったようだ。

 

「なるほど、姉さんの洗礼を受けて奇襲に対処する術を身に付けたんだね。見事な動きだよ、桐原君!」

「ハッ、何を大物ぶって寸評してんだ、落ちこぼれが! これからもっともっと絶望させてやるからよぉ!」

「! 来るか!」

 

 空中を滑りながら桐原は朧月を高く掲げた。全身から魔力が噴き出し、いよいよ彼の真骨頂が発動する。

 

「満たせ、【朧月】ッ!!」

 

 叫びに合わせて足元から木々が生い茂り、リングの上に幻想の密林が形成されていく。

 観客の視界が枝葉で遮られ、やがて戦域全てがその魔力で満ちたとき、桐原の姿が衆目の前から掻き消えた。

 

 

『おおーっと、ついに出ましたああ! 桐原選手の代名詞! 狩人が誇る最強能力、【狩人の森(エリアインビジブル)】がここで出たあああッ!! マジで何にも見えないぞーー!?』

 

 

 ――ははは! どうだい、僕の力は! ビビッて声も出ないかなッ!

 

 

「これが完全ステルス。……なるほど、確かに厄介な能力だ」

 

 どこからか見下ろしながら嘲笑する桐原の声は、一輝の頭に直接響くように聞こえてくる。音を魔力に乗せて周囲に反響させ、あらゆる方向から同時に聞こえるように錯覚させているのだ。これでは聞こえて来る角度から居場所を探ることもできない。

 加えて――

 

「ッと!」

 

 前触れもなく、右手側から飛んできた矢を隕鉄で打ち払う。

 

 

 ――フン、うまく防いだじゃないか。だがいつまでもつかな!

 

 

 先ほどまで確かに聞こえていた息遣いや足音、衣擦れの音に至るまで完全に消え去っている。一流の剣客たる一輝であれば、鍛えた五感でわずかな気配すら辿れるのだが、今は痕跡すら全く掴めない。なるほど、確かにこれは剣士の天敵と言われるのも頷ける。

 

「納得したよ。試合前からあれだけ自信満々なわけだ。――だけどッ!!」

 

 

 ――なにッ!?

 

 

 再び背中から襲ってきた矢を、一輝は身を翻し斬り払った。

 

「矢が見える以上、だいたいの位置は逆算できるよ!」

 

 さらに迷いなくその場を駆け出す。相手の居場所が分かっているかのように一輝は一直線に走り抜け、間髪入れず隕鉄を一閃した。

 

 

 ――ぐぅッ!?

 

 

 振り切った刀身に微かな手応え。人体ではない硬質な感触……おそらく朧月の弓幹(ゆがら)で防いだか。

 しかし居場所は分かった。攻撃を受けた際の魔力迷彩の微かな揺らぎも。

 

「なら後は逃がさないように攻め続けるだけだ!」

 

 

 ――く……っ! 姉弟揃って小賢しい真似を!

 

 

 再び桐原が跳躍する。凄まじい速度で後退しながら引き撃ちで光の矢を連射する。

 ――が、矢そのものが見えているなら躱すのも容易だ。桐原の身体から離れて視認可能になった矢を、あるいは躱し、あるいは打ち払い、牽制のものは無視しながらみるみる距離を詰めていく。

 

(思い出せ、姉さんとの戦いで彼が見せた攻撃パターンを……!)

 

 この男はいきなり急所は狙って来ない。

 まずは表面を掠めるように傷を負わせ、少しずつ相手の精神を甚振る。

 追撃の際には、斜め後方から攪乱するように。

 相手を倒すためではなく見下すため、そして恐怖を煽るための戦い方だ。

 

(矢の狙いは極めて正確。だがそれゆえに避け易い。最小限の動きで躱して一気に距離を詰める――

 

「と思わせて……ここだッ!」

 

 ――なッ!?

 

 直後、一輝は腕を狙って飛んできた()()()()()を斬り払った。隕鉄に砕かれた瞬間に隠蔽の魔力も霧散したのか、粉々になった光の破片が溶けるように空中へ舞い散っていく。

 

「やっぱり。君の性格ならそろそろ来ると思っていたよ」

 

 

『ぬおおおっとぉ!? これはどうしたことだ! 突如黒鉄選手が刀を振ったと思ったら、バラバラになった矢の残骸が現れたぞおお!! これは一体!?』

『ほえぇ、こりゃ驚いたね』

『さ、西京先生ッ、これは何が起こったんでしょうかッ?』

『簡単なことさね。桐やんは去年と違って、放った矢までステルス化できるようになっていた。だけども黒坊はそれすら予測して攻め手を読み切り、初見で完璧に対応してみせたってわけさ。いやー、お互い魅せた試合するじゃんか』

『で、ですが先生ッ……対応すると言っても、気配も何もない矢をどうやって……? 黒鉄選手にはそういった感知系の特殊能力はなかったはずですが?』

 

 

 ――そ、そうだ! なんで防げるんだよ!? 今のは矢自体にもステルスを施していたんだぞ!! 見えるはずがないだろうッ!?

 

 

「ああ、影も形も見えなかった。けれど今なら分かるんだ、君という人間が……、桐原静矢という男がどこをどう狙ってくるのかが!」

 

 

 ――なッ!? 嘘だ……ッ!

 

 

 会話の最中も抜け目なく狙ってきた矢を、再び見もせずに斬り払う。

 さらに連続で撃ち放たれた三連射。眼には映らないはずのそれらを、鋭い斬撃がことごとく打ち払う。

 

「君が進化した姿を見せたように、僕も同じ場所で足踏みしていないことを示そう!」

 

 過去の映像を思い起こす。

 桐原が矢を射かける順序を。

 そのときの表情を、言葉を、声を。

 感情を把握し、思考を重ね、心理を読み解く。

 彼が次に選ぶであろう選択肢。

 技の起こり、狙う場所、移動する先、その一挙手一投足までを詳らかに!

 

「君の手順が、攻撃の強さが、声音に宿る感情が、君の全てを教えてくれる。なら僕はそれを辿ればいい。その果てに――必ず君はいるのだから!」

 

 

 ――ふ、ふざけるな! そんな馬鹿な真似が……!

 

 

「それも知っている(見えている)ッ!」

 

 苦し紛れの一撃を叩き斬る。もはや計算違いなど起こり得ない。

 

「【完全掌握(パーフェクトビジョン)】! 君の器は見切った!」

 

 

 ――い、イカサマだあああーーーッ!!!

 

 

 恐怖を誤魔化すように桐原は矢を乱れ撃つ。

 その驟雨の中を一輝は駆け出した。

 闇雲に撃っているように感じられる乱射の一つ一つ、それら全てに感情が乗っている。

 ならば躱せる、打ち払える。

 そして軌跡から居場所を逆算する。

 単に矢が見えなくなっただけで、やることは先ほどの繰り返しだ。

 

 ――ひぃいいい!? 来るな、来るなぁ!! 何なんだよ、この姉弟はああ!?

 

 恐怖が臨界点を越える。

 木の幹を伝って逃げるように走り出す。

 枝がしなり、幹がたわむ。

 移動先が手に取るように分かる。

 

 ――ッま、待て待て! 止まれ! 止まれ! やめてくれええッ!!!

 

 叫びながら放つ矢。

 魔力の制御が乱れている。

 そのズレも含めて再計算。

 身を躱し、さらに距離を詰める。

 木から転がり落ちるように桐原が飛び降りる。

 置き土産のように残された爆弾型の伐刀絶技。

 追い詰められても技を繰り出せるそのセンスは見事。

 しかし、身体から離れて視えるようになったものに脅威などない!

 回り込むだけで全て回避し、目標はもはや目の前!

 

 ――うわあああ!? それ刃物、刃物ッ! 死んじゃう! 死んじゃうよおおッ!!

 

 恐怖に腰を抜かし、後ずさっている桐原へ肉薄する。

 

「終わりだ、桐原君!」

 

 確信する。

 公式戦の舞台でも、自分は問題なくやっていける!

 

「そして必ず、姉さんに追い付いてみせる!!」

 

 

 ――う゛わあああーーーッ!?

 

 

 誓いを剣に込め、一輝は最後の一閃を振り抜いた。

 

 研ぎ澄まされた無銘の刃がついに狩人を捉え、

 

 今ここに、新たなる英雄【無冠の剣王(アナザーワン)】が誕生――

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――するわけねえだろ、バァアアカ!!!

 

 

「――がッ!?」

 

「「「なッ!?」」」

 

 渾身の一閃が桐原の身を切り裂くことはなかった。振り下ろした隕鉄に手応えは微塵もなく、困惑の一瞬の後、背後から一輝の身が貫かれたのだ。

 

 

『ぬあああーーっと!? またもやどんでん返しだ! 決着かと思われた次の瞬間、攻勢に出ていたはずの黒鉄選手が逆に出血しているぞぉお!? 桐原選手の姿が見えないからこっちは何が起こっているのか分からない! マジでどうなってんだ!?』

 

 

「!? ど、どうして……! なんで、後ろから……!?」

 

 

 ――あっははははッ!! 殺気を感じ取ってギリギリで身を捻るとはやるじゃないか! せっかく心臓をブチ抜いてやるつもりだったのによぉッ!!

 

 

 決して小さな傷ではない。

 本来なら痛みに喘いで膝を着いていただろう。

 しかしそれ以上に混乱した思考が苦痛を忘れさせていた。

【完全掌握】によるトレースは完璧だった。実際途中までは完全に桐原の行動を予測できていた。

 そこからどうやって逆転された?

 先ほどまで浮かべていた彼の恐怖はどこへ行ったッ?

 

 

 ――ひゃはははは! 分かんないのか、能無し! 偉そうに講釈垂れてくれたその完全掌握(チンケな技)が、僕には全く通用しなかったってだけの話だよオッ!!

 

 

「ッ!? そ、そんな」

 

 ありえない――一輝の頭の中に浮かんだのはその一言だ。

 いくら身体を鍛えても魔力量だけはどうしようもない。ならば得意とする観察眼を磨き上げ、先読みを極限まで研ぎ澄まそう――と。その想いのもと秘密裏に完成させた一輝の切り札、それが【完全掌握(パーフェクトビジョン)】だ。

 当然他人には一度も見せたことなどない秘密兵器。

 それがなぜ破られたのか?

 

 

 ――おいおい、一丁前に動揺している暇なんてあるのかい? ほら、逃げろ逃げろぉ!

 

 

「くッ!」

 

 再び襲ってくる魔力矢の乱れ撃ち。

 一輝は先ほどと同じように回避しようとする。

 

「もう一度先読みをッ――ぐぁあ!?」

 

 が、避けきれない。

 見切ったと確信したはずの光の矢が、軌道を変えて再び襲い掛かり一輝の背中を穿った。

 

 

 ――あっははは、気持ち良いねぇ!! 自信満々に披露された新技を初見で攻略してやるのはさ! あぁ、さっきの君はこんな気分だったのか、ならあのイキり具合も納得だよ!

 

 

 分からない。

 一体何が起こっているのか理解できない。

 桐原静矢という人間の器が一輝には全く測れなかった。

 

 

 ――ククク、こうまでうまく行くとはねぇ? もっと厄介な技かと警戒していたんだけど、どうやら過大評価だったみたいだ。

 

 

「え?」

 

 痛みに思考が乱れていても、その言葉ははっきりと意識に浸透してきた。

 今、彼は確かに言った。

 もっと厄介な技かと思っていた――と。

 

「どういう……ことだ?」

 

 彼はこの技を知っていたのか?

 強敵に対する切り札として使うため、これまで誰にも見せたことはなかったのに。

 

 それに対策とは何だ?

【完全掌握】という仰々しい名を付けはしたが、言ってしまえばこの技は『ただ相手を見て解析する』というだけのものだ。対策と言っても特にやれることなどないはず。

 そもそも彼の言動はいつも通りだった。

 一年前と同じく、相手を見下し、侮り、低ランクが相手だとあからさまに油断する。

 そんな男が、落ちこぼれの落第騎士相手にわざわざ対策を打つことなど――

 

 

 …………。

 

 

 ………………。

 

 

(いや……待て)

 

 一輝の脳裏を何かが過った。

 

 ……何かがおかしい、と。

 

 そう、無視できない違和感があった。

 どうしても辻褄が合わないことがあった。

 

「そうだ。……おかしいんだ、それは」

 

 桐原静也は一年前のあの日、黒鉄刹那の手によって完膚なきまでに叩き潰された。おそらく彼の人生において最大の屈辱であり衝撃だったはずだ。

 同じくあの姉に何度も打ちのめされてきた一輝だからこそ分かる。黒鉄刹那の力を正面から食らって何の変化も起きないなどありえない。一輝自身は言うまでもなく、珠雫や王馬もこれまで多大な影響を受けてきた。

 そもそもの話、当の桐原本人の戦闘スタイルが以前とは大きく変わっているのだ。矢までステルス化できるようになったこともそうだが、あんな三次元機動は去年まで全く見せていなかった。

 あれはおそらく、刹那に負けてからの一年で彼が新たに修得したもの。弓兵とは関係ない技能を一から身に付けるにはかなりの苦労があったはずだ。相応の努力と根気を要したに違いない。

 

「それなのに……【完全掌握】で読み取った彼の内心は、一年前と何の変化もなかった?」

 

 努力などする気のない、才能に胡坐をかく怠け者。

 追い詰められれば情けなく逃げ出す、根性無しの小心者。

 一年前に読み取った半端者そのままだった。

 

「……そうだ。それはおかしいんだ」

 

 あれほどの技術を身に付け、一輝を容易く追い詰めるまで強くなっておきながら、その精神状態に何の変化もないなど、それこそありえない。良しにつけ悪しきにつけ、何らかの変化がなければおかしい。

 それが全くないということはつまり、本人がそう見えるようにあえて振る舞っているとしか考えられない。

 

「――ッ! まさか、君は……!」

 

 そこへ思い至った瞬間、一輝の全身が総毛立ち――

 

 

 

 

 

 ――クヒ……ッ!

 

 

 そして……狩人が嗤った。

 

 

 ――アッハハハ!! そういうことだよ、黒鉄君! 君が不毛な特訓をやっているところを前にたまたま見かけてね! ちょっと厄介そうな技だったんで、僕なりに対策を打ってみたのさ!

 

 

 ここに至ってはもはや隠す意味などないと、桐原はどこまでも楽しそうに種明かしを始めた。

 

 

 ――これまでの行動ももちろん君を騙すための演技だよ! なかなか苦労したんだぜ、一年近くかけて風評を流すのはさ! 授業をサボり過ぎると学校からの評価が下がっちゃうし、雑魚どもを煽り過ぎると思わぬやっかみを受けるからねぇ!

 

 

 ようやく内心と言動が一致したかのように、聞いてもいないことまでペラペラと語り出す。

 

「ッ……まさか、ショッピングモールのときのあれも!?」

 

 

 ――“同級生を背中から撃つ小悪党”。キャラ付けとしては分かり易かっただろう? まあ、君の妹の暴走はちょっと予想外だったけど、おかげでより印象深くなってくれたから結果オーライってやつさ!

 

 

「……ッ!」

 

 喜悦の感情とともに突き付けられた事実。ここに来て明かされた敵の策略に一輝はただただ驚愕し、言いようのない悔しさに歯噛みするしかなかった。

 何のことはない。試合前のあのときから今まで、彼は桐原静矢の掌の上で踊らされていたのだ。

 

 “相変わらず人を小馬鹿にする軽薄な男だ”

 

 一輝から静矢へのそんな評価は、相手の手管で誘導されたものに過ぎなかった。自分は物事を冷静に見極められるなどと過信し、その実、上から目線で他人を的外れに寸評していただけだったのだ。

 真に見下ろされていたのはこちらの方だというのに……!

 

 

 ――ねえ、黒鉄君? もしかして自分は強くなったとか思ってた? 努力すれば才能の差を越えられるなんて馬鹿真面目に信じちゃった? 落ちこぼれでも諦めなければ報われるんだって、そんな儚い妄想を叶えようと必死で頑張っちゃってたの?

 

 

「……ッ」

 

 そうだ。

 そのために今日まで必死に鍛えてきた。

 いつの日かあそこに……あの人の立っている場所まで辿り着きたいと思って努力してきた。

 それなのに、こんなところで折れるわけには……!

 

 

 ――あははははッ、自惚れるなよ、無能が! 最強の姉に鍛えられて分不相応な夢でも見たのかッ? Aランクの後ろ盾がいるからFランクの僕ちゃんでも強くなれたってかッ? サンドバッグの分際でよくもそこまで調子に乗れたもんだねえッ?

 

 

「……ッ」

 

 知っていたはずの言葉。

 もう何度も聞かされてきたはずのその言葉が、今は酷く芯に響く。

 

 

 ――ああ、姉と言えば……君、目標があるんだっけ? 何だっけ、『黒鉄刹那に勝って七星剣武祭で優勝する』だっけ? そうすれば君を見放した父親にまた目を向けてもらえるんだっけ? ハハッ、そりゃご立派な夢だね、感動的だ! ならこんなところで落ち込んでる場合じゃないぞ! ほら、さっさと立たないと!

 

 

《はあ? 七星剣武祭で優勝する? 黒鉄刹那に勝つだぁ?》

《ハハッ、馬っ鹿じゃねえの? Fランクで優勝とかできるわけねえじゃん!》

 

 凄まじい試合展開に呆けていた観客たちが、意外な事実が語られたことでいつもの調子を取り戻す。

 ……口さがない、傍観者としてのいつも通りを。

 

《そもそも出場自体が無理だろ、落ちこぼれの無能のくせにさ》

《周りに強いヤツがいて勘違いしたんじゃね? 姉と兄がAランクで妹もBランクだろ?》

《うわ~、コンプレックス拗らせてそう~》

 

 刺さる。

 言葉の刃が、嘲笑の打棒が、心の深い部分に突き刺さる。

 

《ステラ殿下とも同室らしいよ。噂じゃいっしょに模擬戦もやったらしいけど》

《あ、それ知ってる! あの黒鉄刹那に二人で組んで挑んだんだって》

《なんかそれ、あのワーストワンが足引っ張って負けたらしいよ? ステラさん一人ならもっと善戦できただろうって》

《うーわっ、雑魚が出しゃばって足引っ張ったのか。邪魔以外の何者でもねえじゃん》

《それでよく七星剣武祭とか恥ずかしげもなく言えたよねぇ?》

《やっぱFランはFランだわ。頭まで悪りぃとかマジで救えねえ》

 

 幼い頃から何度も浴びせられた嘲笑。

 もうとっくに慣れたはずだった。

 目標を見つけ、努力を重ね、あの頃より強くなった今なら耐えられるはずだった。

 

 

 ――みんなぁ! 可哀想な黒鉄君を応援してやってくれないか! 無意味な努力を重ねちゃってる哀れな勘違い君を、みんなで元気付けてやってくれえ! ほら、落第騎士(ワーストワン)! 落第騎士(ワーストワン)

 

《あはははは! そうだな、応援してやろうぜ!》

《見てて哀れ過ぎるもんな!》

《無駄な努力頑張れよー、落第騎士(ワーストワン)!》

 

 たとえ取るに足らない悪意でも、今の追い詰められた彼には覿面に効く毒となってしまう。

 現実を突き付けられた今の一輝には、彼らの言こそが正しいように感じられてしまう。

 

 

 ――落第騎士(ワーストワン)! 落第騎士(ワーストワン)

 

 

「……ッ」

 

 負けたくない。

 諦めたくない。

 理不尽に決め付けてくる声を撥ね返してやりたい。

 けれど、どうすれば勝てるのか分からない。

 心に火を灯したくても、嘲笑の雨に冷たく掻き消されてしまう。

 

 

 ――落第騎士(ワーストワン)! 落第騎士(ワーストワン)! あ、そーれ、落第騎士(ワーストワン)

 

 

「……僕は…………僕はッ」

 

 

 右手に握り締めた()が、いつもよりずっと重たく感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

落第騎士(ワーストワン)! 落第騎士(ワーストワン)!》

 

 

 桐原静矢の煽りと、無責任な傍観者たちの歓声が木霊する。

 醜悪な叫びが幾度も繰り返され、闘技場全体が歪んだ熱に包まれていく。

 それを受けて観客席の最前列の一画でも、新たな激情が生まれようとしていた。

 

「ねえ……シズク?」

「なんですか……ステラさん?」

「アタシ、ちょっと抑えが効かなくなるかもしれないから、もしものときは消火をお願いしてもいいかしら?」

「あぁ、大丈夫ですよ。そのときは私も自重できないと思いますから、延焼の心配はありません。逆に溺死の危険は生じますが」

 

 正反対の属性を持つ少女たちだが、今この瞬間、両者の瞳に宿るモノは一致していた。

 

 ――何も知らない愚かな連中を、今すぐこの手で斬り捨ててやりたい!

 ――無価値な囀りばかり垂れ流す喉を、今すぐ引き裂いて潰してやりたい!

 

「二人とも」

「ッ……ええ、分かってるわ」

「私たちが今暴れたところで……自己満足にしかなりませんから」

 

 けれどそれをやっては一輝の試合にケチが付いてしまう。

 何年も待ってようやく回ってきた彼のチャンスを潰してしまう。

 

 

落第騎士(ワーストワン)! 落第騎士(ワーストワン)!》

 

 

「「ッ……!」」

 

 だから耐える。

 口の端を噛み切り、震えるほど拳を握り締め、衝動的に動こうとする身体を強引に抑え付ける。

 そうでなければ今すぐあの連中に襲いかかってしまいそうだから。

 

「ッ……とっくに自分を諦めてる奴らが、勝手なことばかり言ってんじゃないわよッ」

 

 それでも、何もできない無力感が心を苛む。

 

「人目に付く場所でなければ、今すぐ首を圧し折っているところですッ」

 

 握り締めた拳が軋み、掌から血が滲む。愚かな連中への憤りが抑えきれずに。何より、追い詰められた一輝の助けになれない自分たちの不甲斐なさに。

 

 最も戦術眼に長けた一輝が上を行かれた以上、ステラたちが助言したところで大した策は思い付かなかっただろう。

 しかし、それでも何かできたのではないか?

 彼の心の微かな支えになるくらいはできたのではないか?

 そんな益体もない後悔が浮かんでは消えていき、少女たちの身体を震わせていた。

 

 

落第騎士(ワーストワン)! 落第騎士(ワーストワン)!》

 

 

 ――まだ降参しないのかい、黒鉄くーん? あまりみんなの貴重な時間を奪うなよ~!

 

 

《そうだ、そうだ! お前のゴミみたいな時間とは違うんだよ!》

《さっさと諦めろよ! 無駄な努力見るのも飽きたんだよ!》

《雑魚が騎士なんか目指してんじゃねえ!》

《Fランはとっとと退学しろ!》

 

 

 ――あっはっは! かわいそうだからもっと応援してあげるよ、黒鉄君! ほら、落第騎士(ワーストワン)

 

 

落第騎士(ワーストワン)!》

 

 

 ――落第騎士(ワーストワン)! 落第騎士(ワーストワン)! あ、そーれ、落第騎士(ワーストワン)

 

 

      《落第騎士(ワーストワン)!》

 

 

                        《落第騎士(ワーストワン)!!》

 

 

 

  《落第騎士(ワーストワン)!!》

 

 

 

 

               《落第騎士(ワーストワン)ッ!!》

 

 

 

 

「ッ……ごめん、シズク。やっぱりアタシ……そろそろ限界かも」

「すみません。私ももう、我慢できなくなってきました……!」

 

 感情を抑えると言ってもまだ若い二人、限度があった。

 繰り返される中傷に、やがて激情が理性を上回り始める。

 仄暗い感情が心の内を支配し、少女らの手に魔力が集束し始める。

 

「! ダメよ、二人とも抑えなさい!」

「ごめん、アリス。今すぐここから離れてくれる?」

「そうね。巻き込んじゃうから、できるだけ遠くに……」

 

 アリスが必死に説得するも、もうその先は聞こえない。

 怒りと衝動に突き動かされるまま、二人の手が宙に掲げられる。

 

 

落第騎士(ワーストワン)! 落第騎士(ワーストワン)!》

 

 

「傅きなさい、【妃竜の罪剣(レーヴァテイン)】!」

「しぶけ、【宵時雨(よいしぐれ)】!」

 

 ブチのめしてやる、この愚か者たちを。

 不快な歓声が消え去るくらいの渾身の一撃を、その腐った脳髄に叩き込んでやる!

 

「二人とも落ち着いてッ」

「大丈夫、イッキの試合を壊すようなことはしないわ」

「ただ、そう……気付かない内に一部の観客が医務室送りになるかもしれませんが……」

「問題ないでしょ。今日は気温も高いし、熱中症で誰かが倒れてもおかしくないわ」

「ですね。遠慮せずに行きましょう」

 

 

落第騎士(ワーストワン)! 落第騎士(ワーストワン)!》

 

 

「今すぐその口を黙らせてやるわよ、ダニども……!」

「命までは取られないことを感謝なさい……!」

「二人とも……!」

 

 少女らの手に大剣と小太刀が握り締められる。

 暴発寸前の魔力が宿り、炎と水の奔流が大気を震わせる。

 

 そして数瞬後、狂乱渦巻く会場に破壊の嵐が吹き荒れようと――――

 

 

 

 

 

 

 

 ――黙れ……騒々しい。

 

 

 ズ……ンッッ!!

 

 

「「「ッ……!?」」」

 

 瞬間、ステラと珠雫は強制的に膝を着かされていた。激発寸前だった魔力もそれを上回る巨大な波濤に押し流され、形を成さぬまま空中へ霧散していく。

 

(な……に……これッ!?)

(この……重圧、は……!)

 

《ぐ……ぁあッ》

《……い……息がッ!?》

 

 地に伏せているのは彼女らだけではない。

 

 ――重力が倍になった。

 

 そう錯覚するほどの圧がこの場にいる全ての者を襲っていた。

 あれほど騒がしかった悪意も熱気も、全てが立ち消えている。

 聞き苦しかった罵声も。

 少女らの激情も。

 鳥の囀りや風の音さえも。

 たった一言、小さな呟きだけで、あらゆるものがその動きを停止していた。

 

「ま……さか……」

 

 ステラには覚えがあった。

 まるで心臓を鷲掴みにされたような、身体の奥底から震え上がる恐怖。

 

「なん、で……ここに……ッ」

 

 珠雫には覚えがあった。

 まるで全身を鎖で締め上げられたような、息一つ満足に吸えない圧迫感。

 

 

 

「私……試合会場と……動物園の猿山、間違えた?」

 

 会場全てを敵に回すようなセリフを言い放ちながら、その人物は一人歩を進める。

 

 ――カツン、カツン、カツン、と。

 

 静まり返った会場に靴音だけが響く。

 強く踏みしめているわけでも、声を荒げているわけでもない。

 けれどその音は全ての人間の鼓膜を捉えて離さない。

 不用意に動けばその瞬間自分は死ぬのだと――そんな荒唐無稽な錯覚さえ引き起こすほどに場を支配し。

 そしてそれすらどうでもいいと言わんばかりに捨て置き、彼女は最前列の手すりに手をかけた。

 

 

「で……? 試合はいつ……再開するの?」

 

 

 遥か高みから人間たちを見下ろし、理外の化物(黒鉄刹那)はそう呟いた。

 

 

 

 

 

 

――――

 

 

 

 

 

 

「な、んで……ここに……」

 

 それはどちらの呟きだったのだろうか……。

 混乱しているのは観客ばかりではなかった。

 リング上にいる二人もまた、突如現れた闖入者の姿に驚きを隠せないでいた。

 

 というのも、破軍に入学してからこれまでの二年間、黒鉄刹那が校内の公式戦に姿を見せたことはなかったからだ。対戦者発表の十秒後には即相手が棄権していたため、彼女は学園内の選抜戦を戦った経験がなかった。加えて、自分以外の全てに興味がないのか、他者の試合を観戦したことすら一度もない。

 つまり、今日この場に彼女が現れたことは入学以来初めてのこと、完全なるイレギュラーであった。

 

「ッ……これはこれは、黒鉄先輩じゃあないですか! 名高き七星剣王様が我々ごとき凡人の試合を観てくださるとは、光栄の至りですよ!」

 

 強いて理由を挙げるとすれば、『弟の試合だから』ということぐらいしか考えられないが……。

 

「けれど申し訳ない! 生憎一輝君の方は戦意喪失してしまったみたいでね。残念ながら、お姉さんに勇姿をお見せすることはできないようで――「愚弟」……ッ」

 

 淡々と、詰まらなそうに、しかし明らかな怒りを言の葉に乗せ、最強の七星剣王はただ一人を見下ろしていた。

 傍らにいる対戦相手のことなど、まるで目に入っていないかのように……。

 

「ねえ、愚弟? 私、試合を観に来たはずなんだけど……このつまらない光景は……何?」

「あ……えっ、と」

 

 呆気に取られているのは一輝も同様だった。罵声に心を軋ませていたことさえ今は忘れ、状況を理解しようと精一杯思考を回転させていた。

 

 どうして姉がここに?

 試合を観に来た?

 何のために?

 応援に来てくれた?

 そんな馬鹿な……。

 しかし他に理由は……。

 次から次へと脳内に疑問が渦巻き、刹那からの問いに対してまともな返答も思い付かない。

 

 

 だが、それ以上に一輝に困惑をもたらしていたのは――

 

 

「ははは、無視ですか? 寂しいですねぇ、かつてあんなに激しく戦った仲なのに」

「桐原……くん?」

「あなたの嫌う弱者をこうして地に叩き伏せているんですよ? もっと愉しそうな顔をしてみてくださいよ」

 

 数分ぶりに()()()()()()()に表面上の変化はない。いつも通り薄ら笑いを浮かべた挑発的な表情だ。

 しかし――その声音に常の軽薄さは一切感じられなかった。余裕や軽侮の色は消え去り、何か強い感情を秘めた視線は黒鉄刹那ただ一人へ注がれている。

 

「あなたも好きでしょ、弱い者いじめ? あぁ、すみません、さすがに血の繋がった弟の無様な姿には思うところがありましたか? ククク、あなたにも人の心があったとは意外ですねえ?」

 

 何よりおかしいのが、【狩人の森】の効果が解けてその姿が視認できていることだ。制御ミスや何かのアクシデントではない。明らかに自分の意思で隠形を解いていた。

 

(これも演技の一環……? それとも、何かの作戦の布石?)

 

 いや、わざわざ【狩人の森】を解く理由などどこにもない。一輝が気力を取り戻して反撃に出る可能性はまだ残っている。迷彩を解いて姿を晒すなどリスクでしかない。

 そんな中でこの場に出てきた理由は何だ?

 殊更に刹那を煽るような発言を繰り返す意図は何だ?

 

「ま、そこでゆっくり観戦していてくださいよ。天才のこの僕が、弟さんをボロ雑巾のように蹂躙する様をね!」

 

 ――言葉を交わすのが目的だった?

 かつて酷いトラウマを植え付けられ、今も多大な恐怖を抱いているはずの相手に対して?

 

(いや……それは僕の思い込みだったんだ。一旦忘れろ)

 

 彼は今、黒鉄刹那に対して恐怖など感じていない。むしろ正面から堂々と睨み据えて罵声を叩き付けている。一年前と比べて、これほどまでに彼が変わっていた理由は何だ?

 

 ――分かり易く、黒鉄刹那への復讐心?

 

 確かにそれもあるだろう。

 しかし……そんな後ろ暗い気持ちだけでこれほど強くなれるものだろうか? 弱者を甚振るだけで満足する去年までの彼なら、こうまで自分を高めることはなかったはずだ。

 そもそも、Fランクである一輝との戦いにここまで本腰を入れる理由がない。いくら弟を痛めつけたところで、あの冷徹な姉が気にしないのは周知の事実なのだから。

 

 では何だ?

 答えに辿り着くには後何が足りない?

 わざわざ一輝と全力で戦ったところで、得られるものなど何も――

 

 

 

 

 

 

 

「チッ……完全に無視か。こっちは眼中にないってことかよ」

 

 

「…………あ」

 

 

 薄ら笑いが消え去り、苛立ちと共に吐き捨てられた言葉。

 その横顔に、最後のピースが嵌まり込む音がした。

 朧気だった輪郭がはっきりと像を刻み、新たな答えが形成されていく。

 一輝の頭の中に、これまで見た彼の様子が浮かんでは消えていく。

 

「…………そうか」

 

 この一年で大きく向上した強さ。

 嘘の風評を流して攪乱する周到さ。

 敵の攻撃をあえて食らってみせる大胆さ。

 情けない演技を厭わない度量の大きさ。

 そして、それら全てをFランク一人に注ぎ込む執念深さ。

 

「……そうか」

 

 複雑な計算も裏読みも必要ない。

 少し過去を思い出すだけで事足りる。

 なぜならそれは、一輝自身もかつて抱いていた――否、今も変わらず胸に秘めている、誰より見知った感情なのだから。

 

「桐原君……キミは――」

 

「あ?」

 

 

 

 

 ――黒鉄刹那に、認められたかったのか……。

 

 

 

 

 

 

 

 





 おや? 桐原君の様子が……。




登場人物紹介

西京寧音(さいきょうねね)
 破軍学園臨時講師。伐刀者ランクA。
 KOKリーグ第三位の実力者にして、夜叉姫の異名を持つ合法ロリ。原作一巻にて友人である黒乃の要請を受けて臨時講師として赴任する。当然一輝ともこのときが初対面――――のはずなのだが、本作では何やら面識がある様子。
 原因は言わずもがな、あの姉(アレ)である。
 無類の戦闘好き&強い者好きである刹那が、日本のトップ――黒鉄龍馬(自分の曾祖父)南郷寅次郎(そのライバル)に粉をかけないはずもなく、幼少期からちょくちょく訪ねては手合わせ的に絡んでいた。それが今からだいたい10年前――すなわち、寧音が割と尖りまくっていた時期と重なる。

 Q、すると何が始まるのか?

 A、Aランクどうしの殺し合い(第三次大戦である)

 内心で師匠を尊敬する寧音が、闘神を気安く戦いに誘うガキを許容するはずもなく、ある日ついに勃発したのがリアルロリVS合法ロリのガチバトル。あらゆる魔力を支配下に置く刹那と、重力を操る寧音が本気でぶつかった結果、太平洋上にて次元の穴が開きかけ、危うく世界崩壊の危機だった。
 最終的に龍馬や寅次郎が出張って来てなんとかその場を収め、連盟支部長の厳が政府や諸外国に知られないようにギリギリ誤魔化したが、『久しぶりに寿命が縮んだ』とは本人たちの談。
 尊敬する師匠たちに苦労をかけた寧音はしばらく落ち込んだ。
 Aランク騎士と戦えた刹那は大変ご満悦だった。反省しろ、バカ。

 以来、西京寧音は黒鉄刹那を蛇蝎のごとく嫌うようになり、その下で虐げられている(?)一輝のことをちょいちょい気に掛けるようになった。
 試合中の刹那の威圧を見逃したのは、『まあ観客の言動も酷かったし……』というギリギリのお目こぼし。直接誰かに手を出していたら問答無用で粛清に動いていた。後に知らされた厳の胃はまた痛んだ。


黒鉄刹那:
 おこ。
「お前ら黙って試合見ろ」(#^ω^)


ステラ&珠雫:
「なんか出遅れた……。メインヒロイン(のはず)なのに」
「アレに活躍を奪われた……。セカンドヒロイン(のはず)なのに」

 涙ながらの声援じゃなくて暴れようとするから……。








 三か月もかかってまだ終わってなくてすみません!
 次こそは……次こそはキリの良いところまで書き切りますので……!



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