黒鉄家の広大な土地には、伐刀者を育成するための施設が多数存在している。代々優秀な伐刀者を輩出してきた名家だけあり、道場やトレーニングルーム、医療機関や各種研究設備など、その数と規模は下手な国有施設を上回る。
黒鉄王馬が普段利用しているのも、そんな中の一つであった。
「……ん?」
姉に追い付くべく、今日も今日とて訓練場へ向かっていた王馬は、周囲の雰囲気がいつもと違うことに気付いた。建ち並ぶ施設の内の一つ、ローマのコロッセオにも似た屋外競技場の周りでは、多くの人員が慌ただしく駆け回っていたのだ。
普段の鍛錬でもときおり騒がしくなることはある。骨肉を砕くことも厭わない黒鉄家の鍛錬では、怪我人が出て搬送されることも珍しくはない。
しかし、今日の様子は明らかに常と違っていた。皆どこか浮足立ち、何かに急かされるように動き回っている。……よくよく見れば、黒鉄の関係者ではない顔ぶれも含まれているではないか。
「……何か、大きな催しでもあったか?」
以前の王馬ならさして気にもしなかっただろう。自分には関係のない些事と切り捨て、さっさと鍛錬へ向かったはずだ。
しかし姉に敗れ、弟たちの力を見せ付けられて以降、彼も少しずつ変わり始めていた。
偶には違うことにも目を向けてみるか――と、ストイック少年にしては珍しく気まぐれを起こし、忙しなく動く人の間をぬって競技場内へ入っていったのだ。
そうして王馬の目に飛び込んできたものは……、
――早く片付けろ! 追加機材の搬入だ!
――医療班呼んだか!? まだ来てないぞ!
――もうすぐ到着予定です!
――ハイスピード・カメラは舞台の両脇へ……ッ!
――モニター映ってないぞ! 何やってんのッ!?
「……なんだ、これは……?」
普段の黒鉄家ではまず見られない光景。
家の関係者たち数百人が集まりざわつく観客席と、慌ただしく動くスタッフ(?)たちの姿がそこにあった。
……一応この競技場は、騎士学校やプロリーグでも使われている公式のものを採用している。リング以外の補助設備――カメラやモニター、放送機材等も豊富に揃っており、外部への映像配信も可能だ。
だが、名家とはいえあくまで私家に過ぎない黒鉄家で、それらが実際に使われたことはない。実物と同じものを使用してはいても、それは門弟たちを本番の雰囲気に慣れさせるためであって、外部に公開されたことなど一度もない。
古い家系の例に漏れず、黒鉄にも門外不出の技術や、ちょっとばかり苛烈な訓練風景はあるのだ。まかり間違っても、検閲なしで一般人に見せられるものではなかった。
……つまり、何が言いたいのかというと、
――ドオオオーーーンッ!!
「ッ!!?」
『……これが……一番よく、使う技。……鎖で締め上げて……地面に……叩き付けたり……』
『ほうッ、なんとも器用なものですね! 伐刀者とは皆こんなことができるんですか、赤座さん!』
『い、いやぁ、ハハハ……どうでしょうねぇ? 彼女は、その……かなり特殊な事例でして……』
『……で、……戦車とか、要塞とか……対象が、大きければ……』
――ゴゴゴゴゴッ、…………ズガアアーーーンッ!!
『……こう……魔力砲で……吹き飛ばしたり、する……』
『おおぉ! これはまた凄まじい一撃ですね! さすがは“天才少女騎士”といったところでしょうか、赤座さん!』
『ハ、ハハハ……こんなに強い子が自国にいてくれて、我々は幸運ですなぁ、ハハ……』
『……ムフー』
――ヤッベえよ、なんだよアレ、人間技じゃねえだろ……。
――ガキ連中はあの鎖でやられたらしいぞ。何人かは今も部屋から出て来ないって。
――死んでないだけマシだろ。王馬さんとの模擬戦見たらマジでそう思うわ……。
――一体何考えてんだ、赤座さんは……。死ぬ気か?
つまり……、こんな風にカメラを招き入れ、大衆に技を見せ付けながらインタビューを受けるなど、黒鉄では考えられない奇行なのだ。
しかも気持ち得意げな姉の隣には、なぜか顔中汗だらけの赤座が立っている。黒鉄の関係者の中でも特に反りが合わないであろう二人が、カメラの前で仲良く(?)並び立ってインタビューを受けるなど、一体何があればこうなるのか?
王馬の頭は疑問符で溢れ返った。
「……今度はまた、何をしようとしているんだ、あいつは? ………………む?」
どうリアクションを取るべきか王馬が頭を悩ませていると、人波から離れたところに見知った背中を発見する。
「珠雫……。姉さんは一体……何を考えているんだろう?」
「分かりません……。いつも突拍子もないことばかりする人ですけど、今回のは特に分かりません」
最近はもう、姉とセットになっている感のある二人――一輝と珠雫が、観客席の最後列にポツンと腰かけていたのだ。ここから見える後ろ姿からだけでも、彼らがどんな表情をしているかは容易に想像できる。おそらく今鏡を見れば全く同じ顔が映っていることだろう。
王馬は軽く眉間を揉み解しつつ、弟たちの元へ歩み寄っていった。
「おい、お前たち。これは一体何の騒ぎだ?」
「え……? あ、兄さん」
「大兄さんも来てたんですか? 珍しい……」
「少し気になって見に来ただけだ。そんなことより、あの阿呆はまた何をしようとしている? ……まあどうせ、碌なことではないんだろうが」
「えっと、実は――」
そして王馬は、昨日の出来事について一通り聞かされることになった。
一輝が赤座に襲われた事件に始まり……、父からの命令、姉による粛清、そして、唐突に提案された公開模擬戦。
ときおり相槌を挟みつつ、偶に頭部を押さえながら弟の話を聞くこと数分。やがて王馬は、すっかり慣れきってしまったように大きく溜め息を吐いた。
「…………ハァ。やはり碌なことではなかったな。さしずめ、『野生動物が持ち物に手を出されて怒り狂っている』というところか。奴らは縄張り意識が強いからな。二度と舐めた真似をされないよう、念入りに報復する気なんだろう」
「えぇぇ……。そんな、姉を熊や虎みたいに……」
「どちらかと言うと“野生の竜”じゃないですかね? 気ままに飛び回って、周囲をしっちゃかめっちゃかにしていく暴走系ドラゴン、みたいな?」
「あぁ、確かにその方が近いか。竜は貯め込んだ財宝に執着するものだったな。侵入者に対して苛烈という点も一致している」
「恐怖的にも破壊力的にもピッタリです」
「傍迷惑という点も同じだな」
「……どうしよう。兄と妹がどんどん毒舌になっていく……」
と言いつつも、特に否定はしない一輝。
ここで、『弟を傷付けられて怒ったのでは?』という発想に誰も至らない辺り、弟妹たちからの姉に対する心情がうかがえた。
……いや、実際にはこれまで、『ひょっとしてこの人、優しいのでは……?』と淡い希望が芽生えかけたこともあったのだ。しかしその都度、本人の破天荒ぶりによって全て吹き飛ばされてきた。
今回だってそうだ。
――弟が襲われてイラっとしたので、一般公開で模擬戦を行う?
まったくもって、意味が分からなかった……。
……。
…………。
………………。
『おっと、そろそろ時間ですね。ではお二方、準備の方をお願いできますか?』
『……ン。……じゃ……、お願い』
『はい。それでは――――刹那さんの魔力を、封じますッ』
――ガチャン!
「………………んんッ?」
王馬の眼前でさらに意味不明なことが起きる。
インタビュアーの声に反応してリングへ視線を戻した彼は……、何やら見間違えをしてしまったようで、二度、三度と自分の目を擦ってみた。
……いやだって、おかしいんだもの。
伐刀者同士が模擬戦を始めようという緊迫した状況。
魔力が何よりも重要となるこの場面で、姉があり得ない行動をとっているのだから……。
刹那がスッと両腕を差し出すと、インタビュアーが見覚えのある腕輪を取り出し、彼女の両手首にしっかり嵌めたのだ。
王馬の記憶違いでなければ、あれは確か魔力を封じる道具ではなかっただろうか……? 霊装どころか、無意識に纏っている魔力防御や身体強化すら霧散させてしまうという、超強力な捕縛用魔術器具……。
「……お、おい……おい、弟。…………あれは一体……何をやっている?」
視線を逸らさぬまま王馬が問えば、戸惑いとともに信じられない答えが返ってくる。
「えっと、あれが姉さんが出した“模擬戦の条件”で……。その……『私はこの戦いで、魔力も霊装も使わない』って……」
「……は? ………………は?」
豪胆な王馬が言葉を失うのも無理はなかった。
魔力を持たない人間が高ランク伐刀者に挑む……、それはほとんど“自殺”と変わらないからだ。
Fランク騎士を揶揄する言葉として、『拳銃程度で負傷する雑魚』という言い回しがあるが、本来拳銃とは決して弱い武器ではない。創作などでは噛ませ扱いされがちだが、金属の塊を音速で撃ち出す兵器が弱いはずもなく、当たり所が悪ければ手足がちぎれ飛ぶことさえあり得る。
その強力な一撃を、伐刀者の魔力防御はいとも容易く防いでしまうのだ。高ランク騎士ならば言うまでもなく、大部分を占めるEランク騎士――
そして……、魔力で強化された伐刀者の一撃は、そんな堅牢な守りすらも突き破り、致命傷を与えてしまうのだ。
高ランクの伐刀者とは謂わば、常人とは全く別種の生き物と言って良かった。
生身の人間が戦って、ただ負けるだけならば幸運。下手をすれば目を覆わんばかりの大惨事となるだろう。
……そんな相手と魔力も無しに戦おうとするなど、まさしく正気の沙汰ではなかった。
「な、何を考えている、あの馬鹿はッ!? しかもその様子を、テレビを通して一般にも公開するだとッ? 頭がおかしくなったとしか思えんぞ!!」
「あの人の頭がおかしくないときなんてありましたっけ?」
「くっ、そういえばそうだった! ――いやッ、というか、そうだッ! 父は何をやっている!? こんな世間を揺るがすような見世物、あの堅物が許すはずがないぞ!」
「えっと、それが……」
目を血走らせながら迫ってきた兄に対し、一輝は困った様子で答える。
「実は、父さんは昨日から出張中で……」
「なッ!? こんなときにかッ!」
「いえ、逆です、大兄さん。お父様がいない今だからこそ、姉さんはこんな大事をしでかしたんです。居れば確実に止められたでしょうから」
「あのスタッフさんたちも、ネット放送中心のローカル局の人たちらしくて……。『大手のテレビ局は黒鉄と繋がっていて、気付かれたら放送を止められるから』って」
「な、なぜそういう細かいところだけそつがないんだッ、あいつは!?」
「ね? 赤座に対する交渉といい、変なとこだけ気が回るんですよ、あの人。こういうバランス感覚があるのは正直意外でした」
「……でも結局最後の決め手は、『
「そして極め付けは、“赤座だけ実像形態を用いる”という特別ルール……。スプラッタ待ったなしですよ、これは」
「Oh……」
王馬の口からエセ外人みたいな声が出た。
破天荒かと思えば意外と常識的だったり……、だけども最後はやっぱり安定の非常識姉ちゃん。
相変わらずの行動の乱高下ぶりに、王馬の精神力はもはや限界を迎えようとしていた。
そして――
「ねえ、兄さん。…………姉さんは一体、何を考えているんでしょう?」
不安そうに問いかける弟妹たちへ向け、王馬がなんとか絞り出した言葉は、
「――んなモン知るかッ!!!」
奇しくも数分前の彼らと、全く同じであったという。
◇◇◇
(……よし、よし。……いい……感じ……)
会場をグルリと見渡し、刹那は満足気に頷いた。
客席がガラガラでは格好が付かないからと、赤座の伝手で多方面から人を引っ張ってきてもらったが、見ての通り期待以上の人数が集まってくれた。
赤座の部下を始めとして……、黒鉄家所属の門弟たち、非伐刀者の一般職員、加えてその家族や友人たちが200人ほど、観客席でざわつきながらこちらを見ている。
刹那の依頼通り、赤座は『当主の許可は得ている(※嘘)』という情報をきちんと周知してくれたようで、門弟たちが慌ててどこかへ連絡を取る様子もない。さすがは倫理委員会の長、人間性はともかく仕事に関しては有能である。
……唯一残念だったのは、時間がなくて外部の観覧者までは呼べなかった点だが……、まあ一番来て欲しかった客層は呼べたことだし、後はできるだけ多くの人が放送を見てくれることを期待しよう。
(……あっ。……一輝たちも、いた。……ヤッ、ホー……)
観客席の後方には
王馬は一輝と珠雫ににこやかに話しかけ、兄妹で仲睦まじく盛り上がっている様子だ。あの王馬が大きなリアクションを交えて楽しげに会話するなど、少し前ならば考えられなかったこと。順調に態度が軟化しているようで何よりである。
……こちらを見ながら、若干目が血走っているように見えるのは気になるところではあるが……。
まあ真面目な王馬のことだ、訓練のやり過ぎでちょっと寝不足なのだろう。身体だけは壊さないよう気を付けてほしいものである。
――なにせこれからは、
「では、刹那さん。改めて条件を確認しますが……」
「ん。……わかっ、た」
まだまだ弟たちを眺めていたい欲求をグッと堪え、刹那はスタッフから差し出された紙面に目を通していく。
その内容は以下の通りである。
――黒鉄刹那VS赤座守、エキシビジョンマッチ特別ルール――
・本模擬戦において、黒鉄刹那は一切の魔力を使用しない。
・その証明として、黒鉄刹那は魔力封じの腕輪(直前に第三者が本物と確認)を両腕に装着する。
・黒鉄刹那の使用武器は、刃引きを施した日本刀。
・赤座守の使用武器は、固有霊装(実像形態)。
・決着は降参、もしくは一方の意識が無くなった場合とする。(レフェリーストップはなし)
・ただし30分経過しても決着が付かない場合、勝敗は判定により下す。
・相手を死に至らしめる攻撃も可とする。
・この模擬戦で被ったあらゆる不利益について、両者は異議申し立てを行わない。
・この模擬戦で赤座守が勝利した場合、黒鉄刹那は彼の部下として以後服従する。(この項目のみ非公開)
――以上の条件を、騎士の誇りにかけて遵守することをここに誓う。
「よ……し」
何度か読み直して内容に誤りがないことを確認し、刹那は誓約欄にしっかりと拇印を押した。滲まないように、上から軽く息を吹きかける。
「フゥ……フゥゥゥ……」
「……本当に、よろしいんですね?」
「ん?」
そこへ、同じく誓約書を持っていた赤座が、緊張した面持ちで問いかけてきた。常に他人を小馬鹿にする笑みを浮かべた男には珍しく、その顔は緊張で硬く強張っている。
「今なら……、まだやめられますよ? いくつか条件を緩くしてもいいし……なんなら模擬戦自体を別の競技に変えたっていい。あなたが能力をフルに使ってデモンストレーションでもしてくれれば、観客も十分満足してくれるでしょうしね。……何もこんな、命を捨てるような真似をしなくても良いのでは?」
「…………」
……。
…………。
………………。
「――怖い、の?」
「は?」
「さっきから……口数、多いし……。ずっと、震えてるし。……そんなに怖い? ……私と、戦うの」
「なッ……なにを……」
狼狽える赤座へ向けて紙面を見せ付けながら、刹那は告げる。
「……こんなに有利な、条件……たくさん、付けてあげて……。勝ったときの餌まで……用意して……。……まだ、足りない、の……? 今の私……ただの八歳児、だよ……?」
「……ッ」
「大人と、子どもで……、伐刀者と、一般人で……。こんなに、ハンデまで付けて……まだ、足りない? ……まだ、怖いの? ……絶対勝てるって……決まった勝負じゃないと……、戦うことさえ……できないの……?」
――あなた……どこまで、怖がりなの?
ビキリ……ッ。
「ッ……いいでしょう。私とて伐刀者の端くれ、そこまで虚仮にされて引き下がるわけにもいきません。……その思い上がり、せいぜい後悔しないことですね!!」
「……ン。頑張って」
「~~~ッ、姉弟揃って可愛げのないッ!」
赤座はそう吐き捨てると、足取りも荒く開始位置まで歩いていった。
その背を見送りながら刹那はグッと両拳を握る。口下手ゆえにうまく
コミュ障の身で交渉事や宣伝などは辛いものがあったが、目的のために刹那も腹を括って頑張ったのだ。
特に、黒鉄の息がかかっていないテレビ局を引っ張って来れたのは大きかった。番組プロデューサーを始めとして、スタッフ全員がかなりのアグレッシブ変人揃い。今も、実像を使用すると聞いて門弟たちがざわつく中、彼らは目を輝かせてガッツポーズをとっている。
数字を取るためならばたとえ火の中水の中、どんな修羅場だろうと迷わず突っ込む変態たち。彼らならこの試合も、最後まで滞りなく放送してくれるだろう。一番大きな問題もこれでクリアである。
――ビーーーーーッ!!
『時間になりました。両選手スタンバイをお願いします!!』
「ん」
スタッフのアナウンスを受け、刹那もまた開始線まで移動する。インタビュアーたちが脇へ下がり、観客の注目が舞台へ集まり、ざわついた喧騒が静まっていく。いよいよ戦いのゴングが打ち鳴らされる。
「ククク、余裕ですねぇ、刹那さん?」
「ぅん?」
「ですが、私には分かっていますよぉ? あなたの狙いが……」
「……狙い?」
ゴングを待ちながら深呼吸する刹那へ、赤座の粘っこい声がかけられる。その声音は先ほどまでの強張ったものではなく、常日頃の不快な響きを取り戻していた。右手に顕現させた
緊張が解れたのなら刹那としても喜ばしい限りだが……。
はて? “狙い”とは一体?
「いけ好かない小娘ではありますが、あなたが類を見ない天才であることは事実。たとえ魔力が使えなくとも、積み上げられた経験と技術は他の追随を許しません」
「はぁ……。どう、も……?」
「ンフフぅ。つまりあなたは、その戦闘技術でもって私の攻撃を凌ぎ、時間切れによる判定勝ちを狙っているのでしょうッ? 昨日の一輝くんのようにヒット&アウェイに徹し、アウトボクサーよろしくポイントアウトをしようと! 模擬戦の条件に時間制限を盛り込んだのもそれが狙いですッ!」
「…………?」
ビーーーーーーッ!!
――Let’s Go Ahead !!
「ククク、甘い……、甘いですねえ! その程度の戦略、私が予想できないと思いましたか? これでも現役時代はパワーファイターで鳴らしていましてねぇ? そういう小賢しい連中への対処は、とっくの昔に慣れっこなんですよ! 常人となった今のあなたがいくら頑張ろうが、結局最後には伐刀者の力の前に敗れ去――プベラァアッッ!?」
――ドゴオオオーーーン!!
上機嫌に紡がれていた口上は、轟音によってかき消された。長々とした前フリに暇を持て余した刹那が、とうとう痺れを切らして赤座へ突撃。顔面に右拳を叩き込んだのだ。
――『おぉーっと! 刹那選手の先制右ストレートが炸裂ーーッ!! 赤座選手、まともに食らって吹っ飛ばされたあああッ!!』
「……げ、げほッ、けほッ!? えッ、なん……でッ!?」
「さっきからあなた……何、言ってるの……?」
尻もちを着いたままの赤座を見下ろし、刹那は首を傾げる。
……距離を取ってヒット&アウェイ?
……時間切れを狙ってポイントアウト?
そんなスマートで堅実な戦い方、この脳筋少女にできるわけがないだろう。
何よりも――
「それじゃ、あなたに……苦痛を与えられない、じゃない……?」
「ひぇあッ!? な、なんで痛みが! あ、あなたッ、魔力を使ったのなら失格にッ――――え?」
不正を指摘しようとした赤座の喚きは、途中で立ち消えとなった。
伐刀者を殴り飛ばしたはずの刹那の身体からは、欠片の魔力も漏れていなかったのだ。両手首に嵌めた腕輪が反応していないことからも、彼女が魔力を使っていないのは間違いない。
ならばなぜ、赤座は頭から血を流して倒れているのか――?
「あ、あなた……一体何をしたのです!? 魔力も無しにこんなこと、できるはずが……!」
「?? ……何って……、魔力防御の上から……普通に、ブッ飛ばした……だけ、だよ?」
「……は? …………は?」
……それは、この上なく単純な話だった。
魔力とは決して、おとぎ話に出てくるような“魔法”の力ではない。何でも叶う奇跡の御業ではなく、現実に存在する“戦いの一手段”でしかないのだ。
――拳銃の弾でも打撲程度しか負わない。
伐刀者の防御力の高さを表す有名な言葉だが、逆に言えばこれは“打撲程度の傷なら負ってしまう”という事実も示していた。いかに強固な守りであろうとも、物理的な壁であることに変わりはなく、それ以上の力をぶつければ競り負けてしまうのは道理……。
つまるところ真相は――
――『な、なんと刹那選手! 赤座選手を素の腕力だけでブッ飛ばした模様です! 魔力使用禁止という圧倒的不利な状況! 当然搦め手で攻めるものと思いきや……ッ、まさかの正面突破ですッ!!』
「あ、あなたッ、本当に人間ですかッ!!?」
「失、礼……。どこから、どう見ても…………普通の、女の子ッ……!」
「ど、どこが普通ッグアアアーッ!?」
失礼なツッコミなど無視し、刹那は再び駆けた。
抜き放った日本刀で赤座の胴を薙ぎ払い、そのまま周囲を素早くサークリング。固められた防御の隙を突いて、目にも止まらぬ連撃を繰り出していく。
「ぐッ! げぶぅッ!?」
相手を軸に周囲を幾重にも旋回。その戦法は昨日の一輝のものと似通っているが、やっていることはまるで違っていた。ヒット&アウェイではなく、言うなればヒット&ヒット。
距離を取るようなことはせず、クロスレンジからひたすらに刃を叩き込む。ときおり返される反撃など避ける素振りすら見せない。柔弱な斧の一撃を軽く打ち払うと、逆に生じた隙へ斬撃の嵐を浴びせかける。
肩口、手首、脇腹、背中、大腿、足首……。
全身のあらゆる箇所へ剣閃が着弾し、発動した魔力防御の光がその都度弾ける。
――『す、凄まじい連撃!! あまりの速さに赤座選手、全く反応できていません! い、いやッ、ていうか速ッ!? ここから見ていても全然目が追い付きません! ってかもう手元が見えないんですがッ!?』
やがてその速度は常人に捉えられる限界を超え、斬撃の壁となって赤座へ襲い掛かっていく。
黒鉄家に代々伝わる奥義――旭日一心流・烈の極《天津風》。
打ち込む剣戟の強さ・角度をあらかじめ決め、それらを幾万回も繰り返して身体へ染み込ませることで、思考を排除した神速の連撃を可能とする。
その斬数、実に108。絶え間なく襲う無数の斬撃を前に、相手は碌な反撃も許されず切り刻まれることとなる。
「このッ、調子に乗――カハあッ!?」
苦し紛れに振られる斧など何の抵抗にもならない。
黒鉄に連なる者の常として、赤座の剣技も分類するなら旭日一心流に含まれる。攻撃に対してどう動くのか、どう反応するのか……。刹那にはその全てが手に取るように分かるのだ。
赤座の動きに合わせて108の斬撃をその都度組み換え、詰め将棋のように一手一手追い込んでいく。その組み換え作業も当然のごとく、反射によるノータイム。
仮に一流の武芸者であれば、決められた型から逆算して躱すことも可能だろうが、デスクワークで鈍りきった男にはそれも不可能。赤座は亀のように丸まってただ苦痛に耐えるしかなかった。
「フンッ!」
「ぐっぶ!?」
そして……数えて107つ目、刹那は左からの斬り上げを赤座の胴体へ叩き込む。
身体がくの字に折れ、続けて放たれる返しの一撃。
狙うは人体の急所、無防備に差し出された首筋。
威力、速さ、角度。全てが完璧な108撃目が、赤座の首に吸い込まれていく。防御も回避も反撃も、決して間に合うタイミングではない。
観衆も、一輝も、そして画面の前の視聴者も、この瞬間試合の終わりを確信していた。
――が、
ガキンッ!!
「ッ!?」
肉を裂く音の代わりに上がったのは、金属どうしをぶつけたような硬質な打撃音だった。
刹那は訝る。
……赤座が手にした斧で、なんとか攻撃を防いだのだろうか?
「……ン…………、ンふふフフ……、温いですねえッ!」
「ッ!」
――否。
首筋を狙ったトドメの一閃は、赤座の肩口から発せられる魔力によって完全に受け止められていた。衝撃によって魔力光が弾けることもなく、逆にジリジリと刹那の刃を押し戻していく。
……そう。魔力は決して奇跡の力ではない。それ以上の力をぶつければ容易に崩せる、物理的な現象でしかない。
ならばその逆も然り。伐刀者が全霊を以って防御を発動すれば、魔力は術者の意気に呼応してどこまでも高まり、全てを弾き返す無敵の鎧となるのだ。
「舐めるんじゃありませんよッ! 小娘があああッ!!」
「ッ!」
必然――裂帛の気合とともに放たれた一撃は、魔力も纏わぬ少女の守りを容易に上回った。
――ドオオオオオンッ!!
薙ぎ払いを刀で受け流し、刹那は五メートルほどの距離を後退する。
体重を感じさせない軽やかな着地。一見するとダメージなど皆無である。
「ッ!? ――コ、フッ」
「…………クフッ、……くフフ……! ようやく、届きましたねぇッ!」
赤座が嗤い、観衆がざわめき、そして、刹那はその足元をフラつかせた。完璧な防御を見せたはずの少女の口からは、少なくない量の血が溢れ出ていた。
――『ッ! ああーっと、これはああ!! 刹那選手、どうやらダメージを受けた模様です! バックステップでうまく捌いたように見えましたが、一体何が起きたのでしょうかッ!?』
彼女に痛撃を与えたものの正体は、赤座が力任せに振り下ろした一撃――――その余波であった。
素早い少女に直接攻撃を当てることが難しいと判断した赤座は、斧の先に大量の魔力を充填し、着弾と同時に前方へ放射状に解放した。回避のために空中にいた刹那にはそれを避ける術はなく、結果、指向性を持った魔力の波によって、内臓を激しく揺さぶられたのだ。
先ほどまでの赤座であれば到底不可能な高等技術。この短時間の内に明らかに実力がアップしていた。
……いや、正確には“取り戻した”と言うべきか。
長らく実戦から遠のいて鈍っていた戦闘の勘が、命の危機に瀕することにより急速に呼び起こされたのだ。
「フッハハハハーーッ! 感謝しますよぉ、刹那さん! 錆び付いていた魔力の使い方をようやく思い出せました!」
「ッ!」
「今度は、こちらから行きますよおおおッ!!」
チャンスと見て赤座が飛び出す。この試合で初めて見せる積極的な攻勢に会場がざわめく。
何より観衆を驚かせたのはその速度だ。鈍重な動きで攻撃を耐えるだけだった男が、目を見張るような動きで相手に襲い掛かったのだから……。
振り下ろされた斧を刹那はギリギリで躱す。
狙いを外れた一撃がリングを粉砕し、撒き散らされた破片が両者の身体を叩く。
刹那がこれまでに披露してきた神業とは全くの逆。
伐刀者という生き物が持つ“力”を、これ以上ないほど分かり易く伝える、圧倒的なまでの暴威の塊だった。
「そらそらそらアアッ!! どうしましたか、その程度ですかあ! さっきまでの勢いはどこへ行ったんですッ!?」
「ケ、ホ……ッ!」
接近する赤座から距離を取るべく、刹那は全力で足を使う。
――が、振り切れない。先ほどまでは見失っていた刹那の動きを、今の赤座は目で見て確実に捉えていた。
「ハアアアッ!!」
「ッ!」
大量の魔力を込めた上段からの打ち下ろし。今までとは比べものにならない速度。
回避――は不可。
戦斧の側面に刃を添え、流れに逆らわないよう僅かに軌道を逸らす。ガラスを引っ掻くような不快音を響かせながら、刀身を滑った斧は少女に当たることなく、派手に石床を叩き割った。
「オッホホホ、器用なものですねえ! 思わず拍手を送りたくなるほどです!」
「い……
それでも……、打ち合った刹那の両腕は酷く痺れ、衝撃を流した足首は折れる寸前まで軋んでいた。いくら技量で上回ってはいても、ただの人間と伐刀者では、身体能力に絶望的なまでの差があるのだ。
車をひっくり返す程度なら今の刹那にもできる。
数メートル跳び上がることも不可能ではない。
鉄球を握り潰すことだって、やってやれないことはないだろう。
……だがそこが、人間という生き物の限界だ。
戦車を蹴り上げることはできないし、
天高く舞い上がることもできないし、
戦艦の主砲を受け止めることもできない。
そして、唯一それができるのが、高ランク伐刀者という選ばれた特異存在である。
その化け物が勘を取り戻し、全力で魔力を展開できるようになった以上、肉体のぶつかり合いで
――必然。
……。
…………。
………………。
時間が経てば
「ホッホッホ、お加減はどうですかぁ、刹那さん? 随分と辛そうに見えますがぁ?」
「フゥ……フゥ…………、ケホッ」
数十合に及ぶ剣戟の末、刹那の身体には大小様々な傷が生まれ、全身余すところなく血濡れとなっていた。
特に酷いのは左腕だ。強力な斬撃を受け流すため幾度も掲げられた細腕は、先の一撃によってついにひしゃげ、有り得ない方向へ曲がっていた。動かそうとしてもすでに痛み以外の感覚はなく、この試合中はもはや使い物にならないだろう。
対して、赤座の方はほとんど無傷。
刹那が振るった攻撃は皮膚にすら届かず弾き返され、開始直後に負わせた傷もすでに魔力で塞がりかけている。
両者の姿を見比べれば、この試合の行く末など明らかだ。会場の空気もすでに緊張から解き放たれ、そこかしこから好き放題に声が上がっている。
――あーあ……、いくらなんでも無謀だったんだよ。
――魔力無しだなんて戦いを舐めるからだ。
――もういいだろ。早く治療してあげた方が良い。
――天才と持て囃されて調子に乗り過ぎたな。
――これで少しは大人しくなるだろう。
――あんなにすごい子でも勝てないなんて……。
黒鉄の主流派からは、嘲笑と喝采が……。
末端の弟子や非伐刀者からは、落胆と憐憫が……。
意図するところは真逆ではあるが、彼らの心の内に浮かんだ想いは皆一致していた。
――やはりただの人間では、どうやっても伐刀者には勝てないのだ――と。
「ハァ……、ハァ……、ハァ……」
「ンフフフフッ、苦しそうですねぇ、刹那さん? ですが、これもルールでしてね。あなたが負けを認めるまで、私は何度でもこの斧を振るいましょう。早めに降参した方が身のためなんじゃないですかぁ? オっホホホホホッ!」
――『な、なんとも凄惨な展開となって参りましたッ。……こ、これ、このまま放送して大丈夫なんでしょうか? 幼女の流血とか、さすがに切り上げた方が良いんじゃ……』
体力は削り取られ、全身は血塗れ。
骨折の影響で絶えず痛覚が意識を苛み、今にも倒れ込んでしまいそうな満身創痍。
そんな、どこからどう見ても詰みの状態で少女は……、
会場の空気と、対戦者の嗤いと、
そして、死に体となった自分自身を見下ろし……、
「――――クヒッ」
この上なく愉しそうに、小さく嗤ったのだ。
赤座さん大活躍の回でした。
原作ではステラに一瞬で“アッカリ~ン”された赤座さんですが、『勘を取り戻せばこのくらいはやれるのでは?』と考えた結果、本作では大暴れしてもらうことに。
全国の赤座ファンの皆様、楽しんで頂けましたらば幸いです。
……そして非常に残念なお知らせですが、彼の活躍は今回で終了です。
【以下、本作での捏造設定について補足】
Q、魔力を封じられるとどのくらい不利になるの?
A、原作やアニメでの描写を参考に、本作では伐刀者の魔力事情を次のように解釈しました。
・伐刀者は普段から魔力を纏っており、体表面の防御や身体強化を無意識に行っている。
・霊装を展開すると一段能力が底上げされる。ゆえに、素手の状態より霊装を出していた方が身体能力は高くなる。
・そこから強化魔術や伐刀絶技を使うと、さらに化け物級に力が跳ね上がる。
・しかし魔力がなくなると、体力が余っていても疲労困憊になる。
これらを元に伐刀者の状態を段階分けすると、こんな感じ。
①魔力を封じられた状態(かなり弱る) < ②素の状態 < ③固有霊装展開 < ④強化魔術使用or伐刀絶技発動
右へ行くほど全体の能力が上がっていきます。
(H○NTER×H○NTER的に言えば、①絶<②纏<③練<④発 って感じでしょうか)
そして今回、刹那は①の状態で③~④の赤座に挑んだわけですが……。
…………どう考えても無謀過ぎますね、これ。
全くの魔力ゼロ状態なので、相手の魔力を貫く霊装も、最低限の魔力防御も強化もありません。Fランクの一輝が戦うよりもさらに不利です。
こんな状態でもしCランクに勝っちゃったら、果たして世間の反応はどうなってしまうのでしょうか……?
――お父さんのリアクションがとても愉しみです。