Fate/Midrash   作:ウーティス/Outis

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prologue/魔術使い

 二か月後、灯雁市。

 

 灯雁市は、近隣のとある大都市のベッドタウンである。

 名産や名所などの目立つものがあるわけではないが、多くの人々が集まり、多くの工場が立ち並ぶ工業地帯があり、駅前ともなればそれなりの人影がある。

 駅前のロータリーに並び立つ木々はもうすっかりその葉を落としきって裸になっており、その反面行きかう人々はマフラーやコートにその身を包み着込んでいる。

 人々の表情に浮かぶものは様々だ。

 ほほ笑み、涙、苛立ち、幸福、どれも平穏でささやかなもの。

 無論、彼らはこの街で近く聖杯戦争なる大儀式が執り行われるなど知りようもない。

 いつ終わるかわからぬ平穏を、ずっと続くものだと思い込んで、いつものような日常を謳歌する。

 

 九曜(くよう)柳岐(りゅうき)は、それを今のこの町の住民だけの話だとは思っていない。

 彼は各地を転々としてきた魔術使いの傭兵である。平穏だった都市が一夜にして大惨事を引き起こす───そんな光景はこれまで幾度となく見てきたし、これからも目にすることになるだろう。

 喫煙スペースの壁にもたれかかって煙草に火をつける。

 冷え込み始めた空気は、彼にとっては辛いものだった。落ち着いた場所で気を緩ませるとついうとうとと目を閉じてしまいそうになる。

 しかし、今はそんなことを言っている場合ではない。

 九曜は手袋におおわれた自らの左手甲を意識する。

 土色の手袋の下にはやはり赤い痣があった。

 聖杯、あらゆる願いを叶える万能の願望器。それを何があろうと手にするという強い意志。それを以て彼は聖杯に選ばれたのだろう。

 確かに、聖杯が真に万能だというのならば彼のひそやかな、しかし誰よりも切実な願いは確かに果たされるだろう。彼自身もその多面この地へ赴いたのだ。

 もちろん、それが本当である確証はない。むしろそうでない確率の方がはるかに高いだろう。

 しかし、結局彼は聖杯に縋るしかなかった。どんな葛藤も、理性による判断も、その誘惑に対しては無力だった。

 勝ち残れるかなど分からない───時計塔の君主ですらあっけなく敗死した。

 聖杯が自身の望むものなのかどうかもわからない───最高峰の同業者ともいえる魔術師殺しですら最後には聖杯を破壊した。

 それでも、進む以外の選択肢を、九曜は自分に許せなかった。

 

「……ああ」

 煙を吐き、火を消し、灰袋に煙草を棄てて喫煙スペースを後にする。

 向かうのはある安いホテルの一室。今回の聖杯戦争のために用意した拠点だ。

 鍵を開けてドアを開くと、後方から入る淡い光が部屋の内部を見せる。

 薄暗く、狭い部屋の真ん中には大きなスーツケースが置かれていた。

 九曜が魔術的、物理的の両方の鍵のかけられたケースを開く。そこには、いくつもの魔術礼装や呪術用の触媒のほかに、そのどれとも違う魔力を放つ、しかしやや場違いなものが布にくるまれて収められていた。

 厳重に納められたそれを包む布を剥がす。もちろんこの布自体にも厳重な魔術による鍵がかかっている。

 そこにあったのは、三つの脚の付いた鉄の輪だった。

 九曜はその隣に、呪術の触媒である特殊な加工の施された蝋燭を三つ置く。

「……これで、召喚の用意は整ったな」

 英霊の召喚にはその英霊とマスターである召喚者を繋ぐ縁となる触媒が不可欠である。縁を繋ぐことによって、聖杯戦争に勝ち抜くために必要な能力を持った英霊を選ぶことができるのである。

 どれだけ強力で、かつ召喚者と相性のいい英霊を引き当てることができるのか、その全ての鍵を聖遺物は握っているといっても過言ではない。

この選択ですでに、聖杯戦争は始まっているといっても過言ではない。

 触媒となりうるものは例えば英雄がかつて身に着けた衣の一片や、英雄が用いた武具の残骸。神話に記される古き英雄であれば、彼らを祀る祭壇や祭具が触媒となるだろう。無論、精神性や起源、血筋といった物品以外のものも触媒となりうるものである。

 その好例こそ、九曜が召喚しようと画策している英霊である。

 その英霊を確実に召喚し、九曜がその支配権を得るためには、彼自身の手によって行うとある儀式を召喚の術式に取り込まなければいけなかった。

 先程九曜が取り出した鉄の輪は触媒ではなく、その儀式を行うための古い呪具である。これらを用いて行われた呪術そのものがその英霊を呼び出す確かな縁となり、同時に彼がその英霊の手綱を握るための仕込みの役を果たすだろう。

 呪具を再び厳重に保管し、次はベッドの下に隠していたもう一つのスーツケースを開く。

 中に入っていたのは、一般的に狙撃銃と呼ばれるものであった。

 手に取って隅々まで磨かれて整備がなされていることを確認してからまたスーツケースへしまう。

 その後に九曜が手にしたのは、机の上に置かれた一つの封筒だった。

 封筒の中からファイルを取り出し、ベッドに腰掛けて読む。

「時計塔は封印指定の執行者を派遣したか。天体科からコンクルクス家の当主が派遣されていたっていうのは聞いていたが……それとは別口ってわけか」

 ファイルに入っていたリストをぺらぺらとめくる。そこに記されていたのは、協会や各所に送り込んでいた密偵や情報屋達から送られてきた、聖杯戦争の参加者とみられる魔術師たちのリストである。

「このフリーの女は今一つ正体がつかめないな……あいつらでも過去らしい過去をつかめていないとはな」

 一つ一つを慎重に吟味していきながら、それぞれの相手への対抗手段を練っていく。慎重に伏して策を練り、機を逃さず食らいつく。それが傭兵として九曜が築きあげた戦闘の論理であった。

 そして、その手が新たなページをめくろうとしたその時、ベッドの下で何かが蠢いた。

 土台と床の間の闇から這い出てきたそれは、一匹の蛇であった。

 鱗におおわれた細長い体をベッドにつたわせ、じっと自らの主を見つめる。

 九曜はその蛇を見、忌々しげな表情を浮かべながらも労う様にその頭を撫でる。その周りには、部屋のあらゆる隙間から這い出てきたと思しき無数の蛇たちが群がっていた。

「……いよいよ始まるな、聖杯戦争が」

 無数の影が満ちた部屋の中、九曜がそう独り言ちる。

 

 この戦いを勝ち抜けば、彼の願いは叶うだろう。

 それは一族の祈りであり、身に覚えのない呪からの解放。この願いが果たされる時を、その糸口を、九曜柳岐は一族の誰よりも待ち望んできたのだ。

 そのために、あらゆるものを費やし、棄ててきた。

 人としての尊厳なぞとうに捨てた。

 矜持も、美醜も、その願いの為にはちり芥にすら及ばない。

 そこまでして積み上げてきた祈りが果たされるか否か。

 すべては、この一戦にかかっている。

 




3話目です。
九曜の召喚する英霊はかなり特殊なものとなっています。
ほどほどにご期待ください。
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