そこは、元は町はずれにある寂れた洋館の残骸だった。
人はもう何十年もの間住んでおらず、周辺の住民の間では幽霊屋敷とも呼ばれ、寄り付く者すらいない廃墟。
構造は二階建てで二つの棟に分かれており、そのうちの一つには天文台の丸い屋根が飛び出している。
噂によれば、高度経済成長期の中で一人の承認がここに別荘を構えたものの、複雑な事情が重なって維持できなくなり、そのまま放置されたものであるらしい。
しかし、最初は見るも無残な在りさまだったそれは、今では強固な結界に覆われている。
内部は魔力に満ち、しかしその一切を外部へ漏らさないよう注意が凝らされている。
魔術師が自らの拠点として工房を作ったならば、それ自体は当たり前のことである。侵入者を拒む結界も、神秘の秘匿のため、そして工房の内部で行う魔術行使の効率化のために魔力ができるだけ外部に漏れないようにすることも、魔術の世界では初歩の初歩といってもいい。
しかし、その強度と効率性において、その工房は別格であった。
工房の魔力運用はもはや他のものと比較して産業革命の前後の工場の労働効率の差といっていいほどに効率化されている。同じ極東の魔法使いには魔力運用に優れ、ミサイルランチャーにすら例えられたものがいるが、その魔力運用法と比べても見劣りしないほどに、その工房に張り巡らされた魔力の道は完成されたものであった。
通常、ここまで完成された工房はもはや神殿とさえ呼ばれ、その主が神代の魔術師にすら比肩する優れたものであることを示している。
無論、それはもはや現代の魔術師では不可能であり、この神殿を作り上げたことだけで既に偉業であると言っていい。
この事実は、この神殿の作り手がどんな存在であるかを示している。
即ち、そこまでの奇跡を軽々と起こしうる、まさに次元違いの魔術の担い手───
つまり、この神殿の作り手は神代の過ぎ去った時代においてすら魔術を極めた、時計塔の位階においては
まさに、充ちた魔力の全てが見たものへその事実を神殿が声なき声で告げているようであった。
その神殿のある一室、朝日の一切挿し込まない、暗い夜のような書斎に一人の男がいる。
薄い青みがかかった銀髪に、白い礼服の男だ。
男が書斎の棚に並べられた多くの計器の横に置かれた手袋を手に取ると、その手の甲に天球儀を象った様な赤い聖痕───すなわち令呪が刻まれているのが見える。
男は手袋を着けて計器を手に取り、もう片手に取った布でその汚れを拭き取る。
ゆっくりと繊細な動きで作業を行っていると、突如として男の机の上に置かれたクラシックな電話機のベルが鳴り響く。
男は受話器を取り、その向こうにいる自らの
「おはようございます、キャスター。何か御用ですか?」
『用も何もない。ただの事務報告だ、戯け』
受話器から聞こえる声は、男の声だった。聞くだけで声の主が苦虫を噛み潰したような表情をしていることが分かるほどに不快そうな声色をしている。
『手早く用件だけ言ってやる。例の時計塔の封印指定執行者の小娘がこっちに到着したことを観測した』
「ほう」
報告に目を細める男に対し、電話越しのキャスターは厭味ったらしく吐き捨てた。
『まったく、わざわざこの私を呼び出しておいてこんな雑用をやらせるとはな……オーウェンルーク・コンクルクス…いや、我がマスターよ、お前は余程英霊の動かし方を心得ていると見える』
「お褒めにあずかり光栄ですキャスター。なにせ聖杯の状態を確認するのは至難の業。あなたのような人類最高峰の天才の力なくしては成しえぬことでした。
それをあれほど簡単にやってのけるとは……やはり
『ハッ』
オーウェンルークと呼ばれた男からの讃辞に対し、キャスターは然程喜ぶわけでもなく一笑した。
『天才、碩学、そして星の開拓者……ハッ、すべてこの私のためにあるような言葉だな。
もう少し上手い世辞の言い方を覚えておけ、マスター』
「善処しましょう」
『ああ、この私がわざわざ電話機なんぞを使って連絡をよこしているのだ。それくらいは礼儀というものだろう?違うか?』
電話越しのキャスターの言葉に対し、オーウェンルークはやれやれ、と首を振る。
本来であれば、サーヴァントとマスターの意思疎通に通信機などは必要ない。
魔術師という生き物にとって古来より使い魔というものとは切っても切れない関係であり、長い歴史の中で使い魔の製造はもちろん、その使役や用途についての研究はしきりに行われてきた。魔術師と使い魔の間で念話によって言葉もなく意思疎通を行うことなど、初歩の初歩といっていいだろう。
もちろん、サーヴァントも使い魔である以上は使役者であるマスターと念話を行うことができる。
しかし、キャスターの場合は、感覚共有とともにその念話による意思疎通を断固拒否したのだった。
その理由はオーウェンルークには分からないが、推察はできる。
キャスターは天才と称される多くの魔術師の例にもれず、自尊心と猜疑心が強い。あまり使い魔として扱われたくないのだろう。自己顕示欲の強さから言って真名を喧伝してまわる可能性すらあるのだから、それよりはまだマシというものだ。
無論、念話が通じないからと言って何かが変わるわけでもないこともオーウェンルークは承知していた。
彼は確かに我儘で理不尽だが、彼自身にとって理にかなわないことはしない。念話がなくてもどうとでもなるし、どうとでもできるという確信があることも、オーウェンルークは知っている。
まあ、それと同時に、仮に念話を受け入れていたとしても彼のスキルに昇華されるほどの集中力を考えれば、呼びかけても聞こえておらず、全くもって意味をなさない可能性が大きかったというのもあるのだが。
『それにしても、アニムスフィアにも困ったものだ。
この私を呼び出す聖遺物を蔵から引っ張り出し、召喚後にはあれこれうるさく聞いてきた割に、急に聖杯は要らないとばかりの態度じゃあないか。
まあ、確かにあの聖杯で奴らの望みをかなえるのは不可能ではあるだろうがな』
キャスターの発した言葉にオーウェンルークは苦笑する。
「仕方のない事でしょう。アニムスフィア本家は冬木の聖杯戦争にも目を向けていました。一分家の当主でしかない自分には
『やれやれ、奴らのくだらん悲願が果たされるのは一体いつになることか』
電話越しのキャスターがからからと笑う。
『測りようのない事というならば、魔術師らしく星の巡りが良かったとでも思っておけばいい。アニムスフィアが諦めたおかげで、お前自身が望みを果たす機会を得たのだ、とな!
この国ではそういうのを月が廻ってきた、と言うそうだぞ?ピッタリの言葉じゃないか』
その言葉に、言われるまでもない、とばかりにオーウェンルークの口元が不敵に歪む。
「ええ、コンクルクスの悲願、この一戦で必ずや成就させてみせましょう」
『ハッ、その意気だ』
キャスターの声は愉快そうに弾む。
『喜ぶがいいマスター。お前ごときのその戯言に、この私が力を貸してやる。
全人類の誇るべき至上の天才の頭脳、せいぜい上手く使ってみせるがいい!』
そう言い残し、通信は途切れる。
あとに残るのは静寂と薄い暗闇だけ。
オーウェンルークは受話器を置いて再び器具の調整の作業を始め、
「ええ、必ずや成し遂げてみせましょう」
誰もいない暗闇に、決意を告げた。
古来より人は空を見上げ、星に願いを託してきた生き物だ。
故に、魔術師は星の海へと望みを託す。天体魔術をつかさどる魔術師ならば尚更だ。
彼の聖杯への願いは、彼自身の家に伝わってきた魔術の秘蹟をさらなる高みへ押し上げること。きっとその果てに、根源の渦にすら辿り着くだろう。
オーウェンルークは確信している。彼の呼び出したあの偉大なるキャスターであれば、きっとその望みは叶うだろうと。
「……それはともかく、ツキが回って来る、の月は天体の月ではないのですけどね、キャスター」
第4話です。
遂にサーヴァントが登場しました。
今回このサーヴァントの設定を作るにあたりそれなりに意見を求めたところ、人類史上最高峰の才能にあふれた偏屈家のクズ、という評価だったのでそれをもとに作りました。
その強烈なキャラクターを上手く表現していきたいものです。