有名ピアニスト〝
人望も、お金も、望めば望んだ分だけ手に入るのだ。
優菜の人生は順風満帆だった。
一人っ子ということもあり、両親は彼女をとにかく甘やかした。
優菜の我儘を両親は全て叶えてくれた。
自分のピアノが欲しいと言えば、優菜専用のグランドピアノを購入したり、家にプールが欲しいと言えば家の改築が行われたりと、とにかく溺愛されていた。
また彼女は周囲の人間からも愛されていた。
優菜が誕生日パーティを開けば、同級生の誰もが行きたがり、学内では優菜と同じグループになるために争いが絶えなかったほどだ。
一切の挫折を経験せず、望んだものは何でも手に入る。まるで夢に描いたようなバラ色の人生だ。
しかし、あるとき優菜は気が付いた――誰一人として〝手越優菜〟を見ている者などいない、と。
両親が見ているのは〝最愛の人との間に生まれた愛娘〟でしかなく、周囲の人間が見ているのは〝内藤郁江と手越武蔵の娘〟だった。
それを理解したとき、優菜は周囲の景色が色褪せて見えるようになった。
自分を見ようともしない人間達と関わって何になる。
パシリに使ったところで怒ることもしない。むしろ、喜んでいる。
努力して何かを達成したところで言われるのは『やっぱりあの二人の娘だね』という言葉。
手越優菜の人生を誰もが羨む。だが、その実、優菜は自分じゃない誰かに成りたがっていた。
何も知らない癖に……! あんたらに私の何がわかる! 私のことなんて一度も見ようとしたことないじゃないか!
そんな風に常に負の思考ループに囚われていた優菜はあるとき考えることをやめた。
そうだよ。どうせ、周りの人間なんてゲームのNPCと一緒なんだよ。だったら精々私の役に立てるように使ってやればいいんだよ。
それから優菜はとことん我儘にふるまった。
学校の課題は人にやらせ、食べたいものや飲みたいものがあれば友達(と呼んでいる何か)に買いに行かせ、ゲームの面倒な素材集めは全て人にやらせた。
そんな女王様のような人生を送っていた優菜だが、一部の女子から蛇蝎の如く嫌われていた。
あるとき、優菜の鞄が隠されたときがあった。
優菜を嫌う女子の仕業だった。彼女の周囲にはボディーガードのような優菜信者がいたため直接手は下せなかったのだ。
そのとき優菜は、初めて自分に歯向かう人間ができたことに歓喜した。
そして、優菜はそんなささやかな嫌がらせしてきた勇者を全力で潰しにいくことにした。
「まいったなー。あのカバンの中にはママからもらった三十万の財布とかいろいろ入ってるんだけどなー。合計するといくらになるんだろうね?」
望めば何でも手に入る優菜にとって高額なものだろうとゴミに等しかった。なくなればまた買ってもらえばいい。優菜にとって、自分のことなどわかろうともしないでただ肯定だけしてくる両親など、ATMにしか見えていなかった。
「ま、鞄が一人でになくなるわけないし、犯人はいるよねー? 私はいいけど、パパとママ悲しむだろうなー。もし捨てられたんだったら弁償もしてもらわないといけないよね?」
虎の威を借る狐上等。使えるものは使えなくなるまで使い潰す。
優菜にとって自分などないも同然。だったら好き勝手やって全部周りのせいにすればいい。
どうせクソみたいな人生なのだ。大事なのは今が楽しいかどうかだ。
優菜の鞄を捨てた女子生徒は泣きながら許しを請う。そんな彼女に優菜は笑いながら言った。
「ねえ、今どんな気持ち? ムカついた女の鞄を捨てただけのつもりがこんな大事になった上に、私に土下座までしてさぁ……ねえ、どんな気持ちか教えてよ?」
優菜は正真正銘のクズだった。その自覚は優菜自身にも当然あった。
むしろ、優菜はクズと罵ってほしかったのだ。
あんたらが見ていた〝お利口で誰からも愛される手越優菜〟なんていない。いるのは正真正銘ただの人間の底辺にいるゴミクズだと。
その一件以来、優菜に歯向かうものはいなくなった。
退屈で刺激のない日々に逆戻りした優菜は反省した――借りた虎の威が強すぎたと。
そこで次に優菜が目を付けたのはゲーム実況という世界だった。
ちょうどニヤニヤ動画界隈が賑わっていたこともあり、優菜は実況者の世界に飛び込んだ。
マスクで軽く顔を隠して実況すれば、彼女の可愛さにたくさんの人間が寄ってくると考えたのだ。
だが、最初に出したゲームの実況動画はまったくと言っていいほど、伸びなかった。
それが何もかも上手くいっていた優菜にとって、初めて上手くいかなかったことだった。
優菜は人生で初めて何がいけなかったのかを振り返った。
試行錯誤を繰り返して動画を面白くすれば、今度はアンチが沸いてきた。
コメント欄に流れる[つまらない][可愛いことくらいしか取り柄がない]などと書かれれば、優菜はさらに試行錯誤を繰り返し、動画編集技術、トーク力、ゲームの腕前などを向上させ、どの時間帯に投稿するのが一番良いか、どういった動画が伸びやすいのかを研究して〝実況者ゆなっしー〟は実況者界隈でも上位に成り上がった。
この世界では手越優菜を知っている人間などいない。誰もが平気で自分を叩きに来るし、返り討ちにするには、実況者としての自分自身の実力を磨かなければいけない。
自分自身の努力が評価される世界は優菜を魅了した。
それと同時に優菜の悪癖である〝煽り癖〟は一種のキャラとして好評だったことも大きかっただろう。
信者も付けばアンチも付く。
優菜にとってアンチは〝貴重な人生の時間を自分に歯向かうために使ってくれる聖人〟という認識だったため、叩かれることは大歓迎だった。彼女からしたらアンチの戯言など小型犬が吠えているようにしか見えなかったのだ。
何度も炎上しても優菜は笑顔を絶やすことはなかった。
そんな優菜だが、自分の動画を見ている視聴者のことは――優菜基準ではあるが、大切に思っていた。
動画投稿が予告よりも遅れたりするし、視聴者達を煽ったりもする。
それでも、優菜は動画の内容自体には一度たりとも手を抜いたことはなかった。
それを視聴者も理解していたからこそ彼女を好きでいたのだ。
実況者として成功した優菜は、初めて自分が生きていると実感できた。
動画を楽しんでくれる視聴者がいる。
自分を叩きにくるアンチがいる。
それだけで、優菜は幸せを感じられた。
そんな楽しい実況者としての日々を送っていたある日。
優菜の実況者としての仕事用に用意したメールアドレスにあるメールが届いた。
『ゆなっしー様
はじめまして。突然のご連絡失礼致します。
にじライブ株式会社の採用担当の内海と申します。
弊社は多くのバーチャルライバーのプロデュースを行っている会社です。現在弊社では、バーチャルライバー三期生のメンバーを募集しております。
ゆなっしー様の実況者としてのご活躍ぶりは大変興味深く、マーケティング能力やトーク力、動画編集技術など、弊社のバーチャルライバーとして必要なものを兼ね備えていると感じております。
いかがでしょうか。
興味がございましたら、是非ご連絡ください。
何卒宜しくお願い致します。』
高校二年生の頃から始めた実況者ゆなっしーとしての四年の人生。
それを捨てることには抵抗があったが、Vtuber業界には興味があったうえに、最近は生放送を主体とするバーチャルライバーが主流になっていることは優菜も理解していた。それに加えて、にじライブといえば最近勢いがあるVtuber事務所だ。
半日ほど迷った結果、優菜はにじライブからのスカウトを受けることにした。
誤算だったのは、実況者時代からの知り合いである〝まっちゃ〟がいたことだが、あとは何の問題もなかった。
三期生の打ち合わせや初配信の時間には遅刻したが、無事に優菜は〝白雪林檎〟という新たな自分を手に入れた。
今度はバーチャルライバーでのし上がってやる。そんな林檎の考えは、同期二人が爆発的に伸びたことで頓挫する。
しかし、林檎は別に二人が先を行くことに対して何とも思っていなかった。
むしろ、道ができたと感謝していたくらいだ。
「レオのチャンネルのアナリティクスは男七割で女三割、バラギが半々。どっちもチャンネル登録者数は九万人ねー……たぁー、バケモンかよ、あいつら。まだデビュー一ヶ月でしょうが」
自分だってデビュー一ヶ月で登録者数五万人越えのバケモノだというのに、林檎は呆れたようにため息をついた。
「レオの強みはネタで釣って自慢の歌唱力でリスナーを魅了すること。むしろ、最初の一週間伸び悩んでからの覚醒っていうストーリー性も良い方に転がったはず。バラギは元々じっとしてられない体質のおかげで常に動いてて可愛いし、リアクションも面白い。あとはあんな性格で誤解されがちだけど、同期を心配して事務所の方針に逆らうっていう仲間想いなところも好感度高かったな。それに二人共動画タイトルのつけ方もうまい……何より二人が絡むだけでカプ厨が大はしゃぎする。ガチ恋勢を炎上騒動で追い出したのも大きいかな」
レオ、夢美の登録者数が伸びている理由を冷静に分析した林檎は、自分の今後の方針を決めた。
「いきなりこの二人の間に割って入るのはよくないなー。てぇてぇ空間には私だって割って入りたくないし、一歩離れた位置から眺めるポジションがベストかなー」
私もあの二人のやり取りは好きだし、と呟くと林檎は自分の目指すべき立ち位置を再認識した。
「まずはバラギと仲良くならなきゃね。少女漫画で言えば恋を応援する友人ポジションって奴?」
画面の前でほくそ笑むと、林檎は自分がアップロードした切り抜き動画【イライラ爆発】茨木夢美「ゴミカス――――!! 〇ねぇぇぇ!!!」の再生数を見ていた。
動画の概要欄には――
『あ……ありのまま今起こった事を話すぜ!
「私は同期の配信を見ていたと思ったら、いつの間にか切り抜き動画を上げていた」
な……何を言っているのか、わからねーと思うが、私も何をされたのかわからなかった……』
というネタ満載の文章と共に夢美の配信やチャンネルへのリンクが貼ってあった。
「自分の配信は切り抜かないけど、バラギの配信だけは切り抜くよー……だって友達だもんねー……くくっ……あー残念だったね、切り抜き職人さん? 私に動画編集技術で勝てると思うなよ?」
夢美が「ゴミカス死ね」と叫んだ部分を切り抜いた動画はU-tube上に点在していたが、にじライブの同期ライバーということもあり、林檎の切り抜き動画が一番伸びていた。編集に凝ったのも大きかったのだろう。
「さーて、今度の月一にじライブの準備しなきゃ――ほ?」
たった一晩で20万再生を達成した切り抜き動画により夢美の知名度は上がり、林檎の動画編集技術の高さも見せられた。
諸星のすすめもあり、今度は竹取かぐやと白鳥まひるのにじライブ二大巨頭の番組に出演することになっている。
改めて予定を確認しようとしたところで、マネージャーである亀戸からメールが届いたことに気が付く。
メールの開く前から〝ごめんなさい〟という文字が見えたことで、林檎のテンションは一気に冷めていった。
「ま、企業Vだししょうがないよねー」
大して気にした様子もなく林檎は亀戸からのメールをゴミ箱へ移動した。
林檎の過去は自分で書いてても作中トップクラスにヤバイ気がする……。