「あの、イルカさん!」
「どうしましたか?」
「本日はありがとうございました!」
配信終了後、レオはまっさきにイルカの元へと感謝の気持ちを伝えにいった。
頭を下げるレオに対して、イルカは申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「ごめんなさいね。あんな無茶な企画やっちゃって」
「いえ、俺は気にしてませんよ。だって本当にキツくなったら、本気出して100点取るつもりだったんですよね?」
「――――どうして」
レオの指摘にイルカは驚いたように目を見開いた。
「カラオケはただうまいだけじゃ100点を取れない。けど、ポイントを押さえて〝100点〟を取るためだけの練習さえすれば、100点を取ることは歌唱力がある人間なら難しいことじゃない。本当はもののけ姫歌ったときに100点取るつもりだったんじゃないですか?」
「……100点を難しくないと言ってのけるあたり、あの〝シバタク〟ですね」
どこか呆れたように笑うと、イルカは力なく笑った。
「私が世間で何て呼ばれているか知っていますか?」
「バーチャル四天王、ですよね」
「ええ、最弱のという枕言葉が付きますが」
どこか悔しそうに言うと、イルカは自分の気持ちを吐露しだした。
「自分でもトップにいるには実力不足だとわかっているのです。今の私のキャラでは固定ファンこそついても爆発的な伸びはない。正直、タイミングが良かっただけだと自分でも思います」
「そんなこと……」
イルカはVtuberという文化を作り上げた伝説のVtuberの一人だ。その功績は単純な登録者数で測れるものではない。それでも、四天王の中で自分だけが登録者数100万人を越えていないことは彼女自身気にしていたのだ。
「あるんですよ。かろうじて今はまだVtuberの登録者数ランキングで四位を守れていますが、いつ抜かれるかわかったものではありません。キャリアでかろうじて差をつけている状態なんですよ、私は」
そこまで言うと、イルカは短く息を吐いてレオに向き直った。
「それでも、背負った看板を下ろすつもりは毛頭ありません。たとえそれが自分の実力に見合わない看板だとしても」
「イルカさん……」
「トップを走る者が背負う重圧は想像以上に重い。きっと彼女も……」
どこか寂しそうに呟くと、イルカは最初に会ったときのように朗らかな笑みを浮かべた。
「それでは、私はこれで。かぐやちゃんによろしくね」
スタジオを去っていくイルカの背中はその背丈以上に大きなものに見えた。
イルカがスタジオから去ったあと、他の共演者達がレオの元へ寄ってくる。
「し、獅子島さん……今日はありがとうございました!」
「七色さん。こちらこそありがとうございました」
「私、自分に自信がつきました。今度、是非歌でコラボさせてください」
「ええ、こちらからお願いしたいくらいですよ」
人前でも気にせず全力を出して歌えた和音は、きっかけとなったレオに礼を述べてコラボの申し出をした。
「レオ君!!! 今日はありがとね! マージで助かったよ!」
「但野さん、声が……いえ、気にしないでください」
「ライオンのままでもいいから3Dで一緒に踊ってみたとかやろうね!」
「あはは……できれば、今度はきちんとした姿でコラボしたいですけどね」
相変わらずマイペースな友世は、カラオケ企画後だというのに、耳がキーンとなるような大声でレオにコラボの誘いをした。
「獅子島さん! 今日は本当に助かりました!」
「サタンさん、喉は大丈夫ですか?」
「まだ辛いですが、ゆっくり休めば大丈夫だと思います」
「無理だけはしないように気をつけてくださいね」
「ええ、ありがとうございます。今度、一緒にゲームやりましょうね!」
「あはは……きちんとスイッチ買っておきます」
「あれ、持ってなかったんですか?」
「剣盾はそのうちやろうかと思ってて……これでもブラックホワイト時代は世界30位までは行ったんですよ」
「えっ、すご!」
「アイドル辞めて暇でしたからね」
「り、理由が重い……と、とにかく、今度絶対コラボしましょう!」
「ええ、必ず」
こうしてイルカ以外の全員がレオにコラボを申し込んだ。
ここまで共演者が自分に寄ってくるのはいつ以来だっただろうか。
どんなに成果を上げても誰も何も言わなくなったのはレオの傲慢さ故だ。
レオはいかに礼儀が大事だったかを改めて再認識した。
一通り共演者達と挨拶を終えると、今度はマネージャー二人がレオの元へと駆け寄ってきた。
「「獅子島さん、おめでとうございます!」」
二人はまるで自分のことのようにレオの優勝を喜んでいた。
「しかし、結局また獅子島さんに任せっきりになってしまいましたね……」
「何言ってるんですか。今日俺は改めてマネージャーが飯田さんで良かったと思いました――これは俺達で掴み取った優勝です」
「――っ! はい!」
飯田はレオの言葉に胸が熱くなるものを感じていた。
少なくとも、アイドル時代のレオならばマネージャーに対してこのような言葉は出てこなかっただろう。
笑顔を浮かべたレオは今度は亀戸の方へと向き直って礼を述べた。
「亀戸さんもありがとうございました。あなたの準備のおかげでサタンさんのフォローができました」
「いえ、そんな……」
謙遜する亀戸にレオは彼女を激励するように言う。
「白雪のサポート、頑張ってくださいね」
「はい! 絶対白雪さんの担当に戻ってみせます!」
全員の気分が高揚していることもあり、レオはマネージャー二人に向かって提案する。
「せっかくですし、このあと打ち上げ行きませんか?」
「ありがとうございます……でも、これから私会社に戻らなければならないので!」
だが、亀戸はレオの誘いを断った。自分の意志が弱く流されやすい亀戸がこうもはっきりと飲みの誘いを断るのは珍しいため、飯田は驚いていた。
「今日は直帰の予定じゃなかったの?」
「じっとしていられないんです!」
ふんす、と鼻息荒く亀戸は両手で握りこぶしを作る。
「あんまり残業すると諸星部長に怒られるよ」
「大丈夫です。資料を軽く纏めたら続きは自宅でやりますから!」
亀戸に断られてしまったため、レオは苦笑しながら飯田へと話しかける。
「じゃあ、飯田さん。二人で行きます?」
「いやぁ……申し訳ないのですが、僕もちょっと用事がありまして……」
「はえ……?」
さっきまでの興奮はどこへやら、マネージャー二人に打ち上げの誘いを断られたレオはしょんぼりとしていた。現実の彼に耳と尻尾があるなら垂れ下がっていたことだろう。
そんなレオに飯田は笑顔で告げる。
「獅子島さん。むしろ今日は早く帰った方がいいことがあると思います」
どこか含みのある笑顔を浮かべる飯田にレオは首を傾げた。
「本日はご一緒することはできませんが、最高のプレゼントになるかと!」
「は、はぁ……まあ、飯田さんがそう言うなら」
違和感はあるものの飯田なりの祝い方で祝ってくれるのだろう。
レオは飯田を信じておとなしく帰ることにした。
長時間にわたる配信だったため、空はすっかり暗くなっている。
自分の部屋の鍵を取り出し、ドアを開けると何故か電気がついていた。
そのうえ、キッチンの方からは食欲を刺激する良い香りが漂ってきている。
レオがドアを開ける音が聞こえたからか、キッチンの方からとたとたと――夢美が出てきた。
「あっ、レオ。おかえりー」
「はえ……?」
そこには髪をポニーテールにしてエプロンを身に着けた夢美の姿があった。
理解不能な状況にレオはしばらくフリーズしていたが、やっとのことで声を振り絞った。
「……何で俺の部屋に?」
「や、合鍵持ってるから」
「違う、そうじゃない」
合鍵を持っているから部屋に入れるのはわかる。だが、レオが聞きたいのはどうしてわざわざ部屋で料理を作って待っていたかだ。
「いや、今日はレオが配信で遅くなるだろうから労ってやろうと思ってさ」
「別に今日くらいカップ焼きそばでも良かったんだぞ」
「……何であたしがカップ焼きそばが食いたくてしょうがない人みたいになってんの。てか、素直に女の子が料理を作って出迎えたことを喜べんのかお前は! あと登録者数10万人おめでとう!」
「お前もな」
「ほぼあんたのおかげだけどな!」
レオのリアクションが薄いことが不満だったのか、夢美はヤケクソ気味に叫ぶ。ここまで半ギレでおめでとうと叫ぶ人間もなかなかいないだろう。
一通りいつものようなやり取りをした後、レオは夢美の格好について突っ込んだ。
「それにしても、何でポニーテールとエプロン?」
「あー、これね。何かよっちんからカレーなら料理全然しないあたしでも失敗しないだろうから、って言われてカレー作ることにしたんだけど、カレーを作るなら髪や服が汚れないようにポニーテールとエプロンは必須だって言われてさー」
絶対に汚れることが理由ではないことをレオは即座に察した。
今の夢美はボリュームのある髪をポニーテールにしており、飾り気のないカエルの刺繍がされたエプロンを身に着けていた。
そんな生活感溢れる夢美の姿は、誠に遺憾ではあるがレオ好みの姿をしていた。
ふと、スマホが鳴る。RINEのメッセージが届いた音だ。
送り主は飯田でメッセージ内容は『バッチリ仕込んでおきました!』という簡素なものだった。
飯田ァ!
レオは心の中でカプ厨マネージャーの片割れの策略に絶叫していた。
飯田はレオを全力でサポートするために、常日頃から彼のことをよく理解するように努めていた。カラオケ企画の際には、レオが歌いやすいキーを把握していたことで、100点を取ることができた。しかし、しかしだ。
誰がここまでやれと言った。
レオは完全に嵌められたことを理解して項垂れていた。
「どったの?」
「何でもない。何でもないんだ……」
夢美のことを素直に可愛いと思うことに対して、レオはどこか敗北感を覚えていた。
「それより早く食べなよ。あんだけ暴れ回ったんだからお腹空いてるでしょ?」
「ああ、腹ペコだったからちょうど良かったよ。ありがとな」
「どういたしまして」
料理を作ってもらったため、皿などの準備はレオがやろうとしたのだが、疲れているだろうからと夢美が全てやっていた。
改めて夢美に感謝しながらも、レオは久しぶりに食べる家族以外の女性の手料理に胸が躍っていた。
ちなみに彼が最後に食べた家族以外の女性の料理は、料理番組で女子アナや女性アイドルが作った料理のことである。
「ほれ、召し上がれ」
「おー、うまそうな匂い」
「そりゃカレーだからうまそうな匂いになるでしょ」
「それもそうか。それじゃ、いただきます!」
カラオケで100点を取るまで終われない、という地獄の企画を終えたレオはとても空腹だった。勢いよくカレーを口に放り込んだレオは、こりゅ! という固い感触を覚えて咀嚼をやめた。
「……夢美、具に何を入れたんだ」
「普通の野菜と肉だけど?」
「そうか……ちなみにどうやって作ったんだ?」
「普通に沸騰したお湯に、ルーと肉と野菜ぶち込んでルーが溶けるまで煮込んだよ」
口の中に残る固いものの正体はほとんど煮えていないほぼ生のにんじんだった。
カレーを作るときはまず野菜を煮込んでから作るものなのだが、夢美にその知識はなくカレーなら簡単だろ、となめてかかり、レシピを見なかったことがアダとなっていた。
「ふー……野菜スティックカレーと思えばワンチャン……」
「えっ、何かダメだった!?」
「いや、気持ちは嬉しいぞ、うん」
「一番ダメなときのフォローすな!」
何とか褒めようとするレオに夢美は申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「何かごめん……」
「いいっていいって。嬉しいのは本当だし、米とルーだけ食えば普通にうまいから」
「それ市販のルーがおいしいだけだよね!?」
「ま、野菜の煮込み時間が足りないなら煮込み直せばいいだけだ。明日にはおいしくなってるだろ」
「カレーは一晩置けばおいしくなるってそういうことか」
「違う、そうじゃない」
レオとしては、普段全く料理をしない夢美が、自分のために料理を作ってくれたことだけで十分嬉しかった。野菜だって生でも食べられないわけではない。
「本当、わざわざありがとうな」
「いつものお礼だっての。気にしないで」
レオと夢美は笑顔を浮かべ、米とルーだけをよそったカレーを食べだした。
そんなとき、唐突にインターホンが鳴った。それはロビーにあるものではなく、ドアの横に設置されている方のインターホンだった。
「こんな時間に誰だ?」
「同じマンションの人じゃない? ロビーにはセキュリティあるし」
「ちょっと出てくる」
「いてらー」
怪訝な表情を浮かべながらもレオはドアを開ける。
するとそこには――
「よっ、拓哉! 久しぶりー」
「ね、姉さん!?」
獅子島レオ――いや、司馬拓哉の姉である司馬静香が笑顔を浮かべて立っていた。
マネージャー陣のあだ名
四谷 よっちん
亀戸 亀ちゃん
飯田 飯田ァ! ←New