「お゛え゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛……!」
「まあ、こうなるよな……」
泣き疲れて眠りについた夢美の目が覚めたとき、夢美が最初に感じたのは酷い吐き気だった。
背中を擦るレオはため息をついて、ただひたすらに夢美の介抱をしていた。
ちなみに、朝には酔いが覚めた和音から謝罪のRINEメッセージが届いていた。
[お世話になっております。昨日はご迷惑をおかけしてしまい大変申し訳ございませんでした。今後、このようなことがないよう、夢美さんとお酒を飲む際は彼女の飲む量にも気を配り獅子島さんにご迷惑をおかけしないよう努めて参ります]
かっちりした謝罪文からは、おろおろしている和音の様子が容易に目に浮かんだ。
それから夢美の容体が落ち着くと、レオは作っていたシジミのみそ汁を夢美に飲ませていた。
温かい味噌汁を口にした夢美は、一息ついてレオに謝罪する。
「……迷惑ばっかりかけてごめんね」
「そんなの今更だろ。気にするなよ」
「気にするよ……」
夢美は顔を俯かせて呟く。
「あたし、いつもレオに甘えてばっかりで……」
「それはこっちのセリフだ。俺はいつだって夢美に救われてきた。部屋の片づけや飯作ってるだけじゃ返しきれないよ。甘えているのは俺の方だ」
「何言ってんの。あたしのやったことなんてただ感情を暴発させただけで、事務所には迷惑をかけたり、炎上したりして……たまたま全部うまくいってるだけ。あたしがレオを救ったんじゃない。あんたが勝手に救われただけだよ」
「そんなことは――」
「あるの」
語気を強くして、夢美はレオの言葉をただひたすらに否定する。
レオや林檎は夢美がいなければ、こうして明るく元気にライバー活動を行えていなかっただろう。
夢美がレオを巻き込んで歌配信をしなければレオは伸び悩んだままだった。事務所のサポートがあったとしても、今のように伸び伸び配信活動は行えていなかっただろう。
夢美がレオに感情をぶつけれていなければ、卒業した林檎を連れ戻すことはできなかっただろう。
全部、夢美がいたからできたことなのだ。
しかし、夢美はそれらを自分の功績だとは微塵も思っていなかった。
「あたしは辛いときに差し伸べられた手をさんざん振り払ってきたの。自分の世界に引き籠って、自分が世界で一番辛いって思って周りを呪ってた。レオ、あんたは覚えてないだろうけど、あたしはあんたの手だって振り払ったことがあるの」
夢美の心に巣食う闇は根が深かった。
誰かを救えるような人間になりたいと思う反面、自分に誰かを救えるわけがないという感情が夢美の根底にあった。
いつだって大切な人を不幸にしてきたという自覚がある夢美。
彼女の心を救うにはレオの言葉は優しすぎた。
取り付く島もない夢美。
いつもならレオはこれ以上踏み込むべきではないと、足を止めていただろう。
だが、先達のアドバイスを受けたレオは、いつものように李徴ることはなかった。
「ったく、この際だから言わせてもらうぞ」
自分を否定し続ける夢美に、レオは業を煮やしたように告げる。
「夢美が俺の傍にいてくれることがどれだけ救いになってるかも知らないで、自分を卑下するな。俺はな、夢美が傍にいてくれるだけで心が満たされるんだ。何があっても頑張ろうって思えるんだ。お前じゃなきゃダメなんだ。この気持ちは誰にも、夢美にだって否定させない」
「レオ……?」
もはや告白とも言える言葉を耳にした夢美は驚いたように顔を上げた。
困惑する夢美の瞳を真っ直ぐに見据える。
外見も雰囲気も変わったレオだが、その真っ直ぐな瞳には見覚えがあった。
『ほら、やっぱり前髪を上げた方が絶対いいって!』
ボサボサで伸ばしっぱなしだった前髪をかき上げて笑顔を浮かべる少年、司馬拓哉。
今更思い出した懐かしい光景を振り払って夢美は叫ぶ。
「で、でも、あたしのせいでいつも周りは傷ついてきたの! レオだって、このままあたしといたらいつか酷い目に遭う!」
「いや、俺は気にしないけど」
「――――――――あ」
再び、過去の思い出がフラッシュバックする。
『あたしといると変な噂されるよ。それでもいいの?』
『いや、俺は気にしないけど』
いつもウサギにエサをあげる由美子の隣に座ってきた拓哉。
しつこい拓哉にうんざりしていた由美子の言葉に、笑顔を浮かべて返した拓哉の言葉。
奇しくも、そのやり取りは長い年月を経て同じ光景が繰り返されることになるのであった。
「でも、あたしと一緒にいない方がレオのために――」
「それは夢美が決めることじゃないだろ」
「えっ」
それは、いつか夢美が林檎にかけた言葉だった。
巡り巡って自分の元へと返ってきた言葉に、夢美は言葉を失った。
「夢美が俺と一緒にいたくないなら話は別だが、俺はどんなリスクを負ってでも夢美と一緒にいたい。理由としちゃ充分だと思うけど?」
心に巣食う闇が暖かい太陽の光に照らされて晴れていく。
『あたし、お父さんと結婚する!』
『あはは……嬉しいけど、父さんには母さんがいるからなぁ』
『じゃあお父さんと同じくらいカッコいい人と結婚する!』
『そっかそっか。じゃあ、由美子の結婚式を楽しみにしてるよ』
『うん! 約束だよ!』
ふと、父とした約束が頭をよぎる。
父と同じくらい素敵な男性は――目の前にいた。
「レ゛オ゛…………ぐすっ、ひぐっ…………あ゛た゛し゛……あ゛た゛し゛……!」
心の底から溢れ出てきた想いに夢美は、目から大粒の涙を零した。
「おいおい、泣くなよ。俺は夢美の笑顔が好きなんだ」
昔と同じように、レオは夢美の寝起きでボサボサの前髪をかき上げて笑う。
そんなレオに対して、感情が昂っていた夢美は思った。
こ、この後って、キスとかする流れだよね……?
バクバクと高鳴る心臓の音にドキドキしながらも、夢美は覚悟を決めて目を瞑った。
しかし、求めていた感触はいつまで経っても訪れなかった。
「さて、今日はゆっくり休んで明日の白雪の3D配信に備えるぞ。さすがに二日酔いってのはまずいから、体調不良ってことにして今日の配信は休んどけ。じゃ、俺は自分の部屋に戻るから」
レオはやけに早口でそう言うと、夢美の部屋からそそくさと出ていった。
「……………………は?」
一人部屋に残された夢美は一気に冷静になる。
二日酔いで青白くなっていた肌は、一気に血液が流れ込んできたかのように紅潮した。
「あ゛、あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛………………!」
レオが部屋からいなくなったこともあって、躊躇なく夢美は床に頭を打ち付けながら絶叫した。
「その場の空気に流されて何しようとしとんじゃ、あたしはぁぁぁ!? 告白もしてないのに、キス待ちはやばいって! 発情期ですか!? この野郎! もういやぁぁぁぁぁぁ!」
夢美は心が疲れていたこともあり、つい隠していた本音が零れ落ちてしまったのだ。アルコールが抜けきっていなかったことも影響していたのだろう。
冷静になって振り返ったとき、自分の取った行動は夢美にとってあまりにもキツかった。
それからひとしきり思っていることを叫び、冷静さを取り戻した夢美は疲れたように呟く。
「はぁ……どの道今のレオと付き合うわけにはいかないし、これで良かったのかも」
夢美はレオのことが好きだ。その気持ちに変わりはない。
だが、夢美は今のままレオと付き合うわけにはいかない理由があった。
「よし! 明日に向けて今日は休もう!」
レオには悪いけど今はまだ、ね。
夢美は気を確かに保つため、思いっきり自分の両頬を掌で叩いて気合を入れ直した。
一方、レオの方はというと――
『で、そこまでしておいて何もなかったと?』
「……………………はい」
『李徴ってんじゃねぇよ! キスしろよ! 押し倒せよ! ああ、もう、じれったいな! 私ちょっとバラギのとこいってやらしい雰囲気にしてくる!』
結果を報告した林檎に説教をくらっていたのであった。