使える場所が多くても、何かお金の使用制限くらうみたいでいやなんですよね、電子マネー。
「どうしてこうなった……」
「マジでごめん……」
電車内で表情に影を落とした男女が途方に暮れている。
夢美の忘れ物を届けるため、レオはICカード一つで駅に向かった。
その結果、夢美が乗った終電に駆け込み乗車して降りられなくなってしまっていたのだ。
少し考えれば、その日は忘れものを渡すことを諦めて後日渡しに行けばよいことくらい、レオにも判断できただろう。
しかし、夢美が忘れていったものは、義父との件にケリをつけて一歩踏み出すための大切なプレゼントである。レオの判断力を鈍らせるには充分な代物だった。
まあ、そもそもそんな大切なものを忘れるなという話ではあるが。
「財布もスマホもない。どうすんだこの状況……」
「別に急いで届けに来なくても良かったのに」
「ギリギリ間に合うと思ったんだよ……」
レオは改札か最悪ホームでプレゼントを渡して家に戻るつもりだった。
そのため、彼はICカード以外に何も持っていない状態で終電に載ることになってしまったのだ。
「ちなみに残高は?」
「二百円……」
レオのICカードには、小学生のお小遣いのような残高しか入っていなかった。
「チャージしとけよ!」
「俺は現金主義なんだ。クレカだって出来る限り使いたくないし、チャージだって千円ずつしかしない」
「まあ、降りるときにお金貸してあげるからいいけど」
レオのほぼ一文無し状態は夢美がお金を貸せば解決する話だが、目下一番どうにかしなければいけない問題があった。
「今日の耐久配信どうすんの?」
「それなんだよなぁ……」
スマートフォンがない以上、配信ができなくなった旨の告知すらできない。
そこでレオはふと、あることに気がついた。
俺が呟けないだけで、アカウント管理権限を持っている飯田さんなら代わりに呟けるじゃないか。
レオや夢美のような企業に所属しているライバーは、公式アカウントの管理権限を自分だけでなくマネージャーなども持っていたりする。
マネージャーである飯田に連絡して、トラブルで配信ができなくなった旨をツウィッターに投稿してもらう。それで全て丸く収まるはずだった。
レオはさっそく夢美に〝チームバラレオ〟のグループに、自分がトラブルで配信できなくなった旨を伝えてほしいと頼むことにした。
「由美子、連絡頼めるか?」
「あー、そういうことね。オッケー、任せといて」
[袁傪のみんな! ごめんなさい! この後あるはずだったレオのランクマッチ耐久配信ですが、あたしのせいで出来なくなりました! 今、レオはスマホも財布もない状態であたしと一緒に終電乗ってます……]
レオの意を汲んだ――いや、汲めていなかった夢美は
「こんなんでいい?」
「違う、そうじゃない……!」
「あれ、ダメだった?」
まさか、ツウィッターで全世界に今の状況を発信されるとは思っていなかったレオは息を呑んだ。この状況はまずい、と。
「どこの世界に、配信すっぽかして同期の女性ライバーと一緒に実家に行くライバーがいるんだよ……」
夢美が実家に帰省することは、直前の雑談配信で既に知れ渡っている。
その夢美と一緒にいるということは、夢美の実家に一緒に行っていると言っているようなものなのだ。
「スゥッ――――………………!」
自分のやらかしたミスの重大さに気がついた夢美は顔面蒼白になった。
「や、やばい! ツウィ消ししないと……!」
「おい、やめろ。たぶん、もうスクショ取られてる。ここでツウィ消ししたら余計にガチっぽくなるだろ!」
パニックになりながらも小声でやり取りする二人は、傍から見るとただいちゃついているカップルにしか見えない。ある意味、終電の車内で一番見たくない光景である。
ひとまず、それぞれのマネージャーである飯田と四谷に連絡した夢美は、深々とため息をついた。
「この状況どうしよっか……」
「とりあえず、飯田さん経由で事情はそれとなく説明してもらう予定だから、俺達が動くのはそのあとだな」
「あ! そうだ!」
夢美は思い出したように、自分の鞄の中身を漁った。
「実家でも配信できるように、ノートパソコン持ってきてたんだ。これ使えば拓哉も呟けるんじゃない!?」
「おお、マジか! ……で、お前時間戻せるの?」
「神は言っている、ここで死ねと……」
「一番いいのを頼みたかったなぁ……」
一時期流行ったゲームのPVのネタで気を紛らわそうとするも、二人の表情は晴れなかった。
それから二人は気を紛らわせるため、部屋にいるときのように談笑して駅への到着を待った。
夢美の実家の最寄り駅へ到着すると、夢美は周囲に人がいなくなってからレオにスマートフォンを渡した。
「とりあえず、飯田さんが状況を説明してくれたけど、レオの口からも説明した方がいいでしょ? あたしのアカウントで音声ツウィートしていいからさ」
「ありがとな。借りるわ」
レオは軽く咳ばらいをして声を整えると、耐久配信を待っていた袁傪への謝罪の言葉を述べた。
「えー、袁傪のみなさん。こんばん山月……獅子島レオです。この度は予定していた配信ができなくなってしまい大変申し訳ございません。夢美の忘れ物を届けて帰るはずだったのですが、電車のドアが閉まるギリギリで慌てて乗り込んだ結果このような事態になってしまいました。現在は夢美の実家の最寄り駅にいますが、これからどうするかは夢美と相談して決めたいと思います。本当に申し訳ございませんでした」
夢美のツウィッターアイコンから発せられるレオの声。
そのシュールさに妖精や袁傪達が大爆笑したのは言うまでもないことだろう。
ひとまず、全ての説明を終えたレオは安堵のため息をついた。
「はぁ……これで大丈夫だな」
「そだね。……あれ? 何か引っかかるような」
夢美は何か重要なことを見落としているような気がしたが、今はそれ以上に気になっていることがあったため、考えるのをやめた。
「ま、いっか。拓哉、今って残高いくらだったっけ?」
「八十円だぞ」
さっき聞いたときは、そんなに少なくなかったような……。
怪訝な表情を浮かべた夢美は、レオの右手に空になった紅茶の缶が握られていることに気がついた。
「紅茶飲んでんじゃねーよ!」
「悪い悪い、部屋から駅までずっとダッシュしてたから喉乾いちゃって」
「あっ、うん、ごめん。あたしが悪かったわ」
結局のところ、全ての元凶は自分だったため、夢美は素直に謝罪した。
「レオはこっから実家までどのくらいあるの?」
「結構離れてるな。路線も違うし……ていうか、由美子。お前、引っ越したのか?」
「中学に入ったときにお母さんが再婚して、そのタイミングで引っ越したんだ。小学校のときは公園近くのボロアパートに住んでたし」
夢美の実家の最寄り駅は、レオの実家からそれなりに離れていた。
レオの体力ならば歩いていけないこともない距離ではあるが、深夜にスマートフォンも財布も持たずに歩いて帰るのはリスクが高かった。
そもそもレオは実家に帰るための心の準備すら出来ていないのだ。
実家に帰るという選択肢は彼の中に存在していなかった。
「ボロアパートって、公園の近くにあったアレか?」
「おー、よく覚えてるじゃん。そこそこ」
夢美に自分の記憶を肯定されたことで、レオは怪訝な表情を浮かべた。
「ん? あそこに住んでたのって……」
「てか、昔話してる場合じゃないでしょ」
「そうだった。この後どうするか決めないとな」
レオが何か思い出しかけたとき、夢美はレオの思考を遮ってこの後のことを決めるように促した。
「とりあえず、適当なネットカフェに入って始発まで時間潰すのが無難だろうが……」
「それなんだけど、さ」
夢美は緊張した様子で、レオにある提案をした。
「良かったら、家に来ない?」
「はえ?」
予想外の言葉に、レオが今日一番の間抜けな声を出したのは言うまでないことだろう。
レオはまだ夢美が森由美子だと気づいてないんですよねぇ。