レオは深呼吸をして精神を整えると、夢美の部屋のドアをノックして中に入った。
「夢美、風呂ありがとな」
「どーいたしまして。それじゃ、あたしも風呂入るかな」
「その前に話がある」
レオは真剣な表情で夢美に告げる。
凛とした表情のレオを見て、夢美は緊張した様子で声を震わせながら答えた。
「は、話って?」
「俺達のこれからのことだ」
「これから、ね……」
レオが何を言わんとしているのか理解した夢美は表情に影を落とした。
「俺達、さ。デビューのときからずっと幼馴染としてやってきたよな。最初は何でこんな猫かぶり女とセット売りされなきゃいけないんだよって思った。デビューしてみれば、俺はくだらないプライドを捨てられずに燻ってて、夢美はどんどん伸びていって、焦ったし寂しかった。きっとこのままコラボなんてすることなく、俺は中途半端なままライバーとしてやっていくんだと思ってた。でも、立ち止まる俺の背中を夢美が蹴っ飛ばして前へ進ませてくれた」
レオはこれまでのことを思い出して楽しそうに笑った。
「元アイドルなんて肩書ぶら下げてた癖に、自分の歌に自信が持てなかった。人前で歌うことが楽しいことだって思い出させてくれたのは夢美、お前なんだ。夢美がいなかったら白雪とも仲良くなれなかっただろうし、カラオケ組のみんなとも繋がりを持てなかった」
にじライブでライバーとして過ごしてきた日々。それはレオが当初思い描いていたものよりも大変で、トラブル続きで――これ以上ないほどに心が躍るものだった。
「いつだって夢美は俺の臆病な自尊心も尊大な羞恥心も蹴っ飛ばしてくれた。白雪の卒業騒ぎのときだってそうだ。まさかタケさんに怒鳴るとは思わなかったけど」
レオは一旦話をそこで切ると、夢美の目を真っ直ぐに見据えて告げる。
「正直、この関係も悪くないって思ってる。でも、俺は前に進みたいんだ」
「レオ……」
レオの言葉の真意は夢美に伝わっていた。
夢美もレオと同じ気持ちだったからだ。
夢美はレオが次の言葉を告げる前に、辛そうな表情を浮かべて口を開いた。
「もし仮にあたし達が付き合い始めたらどうなると思う?」
「はえ?」
予想外の夢美の言葉にレオの思考が止まる。
先程までの勢いは完全に削がれ、困惑したようにレオは自分の考えを口にした。
「……みんなが喜ぶ?」
「そうだろうね。〝あたし達のリスナーのみんな〟はね」
「夢美?」
不穏な空気を纏い始めた夢美に気圧されるように、レオはたじろぐ。
「あたし達ってデビューしてどのくらい?」
「四ヶ月ちょっとだけど……」
「そうだよね。たったの四ヶ月。登録者数こそもうすぐ二十万人だけど、まだ碌に案件もこなしてない登録者数の勢いが凄いだけのVなんだよ」
四月にデビューしてから破竹の勢いで伸びている三期生。
良くも悪くもレオ、夢美、林檎の三人はいつだって注目の的だった。
それ故にくだらないことで炎上する上に、事務所やライバー自身の対処能力が高くなかったら収まらなかった場面も多数あっただろう。
これまでの炎上は大したダメージがないものがほとんどだった。だが、炎上は炎上だ。
林檎は実害としてカリューとのコラボが延期になった。
このVtuber界隈というのは、想像以上に危ういバランスで成り立っているのだ。
「あたしが思うに幼馴染ってさ。恋人じゃないけど、恋人っぽく振舞える関係だからこそ歓迎されるんだよ。みんな口では『とっとと付き合え!』『早く結婚しろ!』なんて言ってるけど、それってカプ厨の人達だけだよね?」
古来より、幼馴染は創作でもよく使われている関係性だ。
何故、幼少期共に遊んだだけの関係性がここまで使い古されているのか。
理由は簡単だ。
創作の世界において付き合うということはある種のゴールだからだ。
男女が恋愛関係になるまでの様子を描くのが恋愛漫画ないしは恋愛小説のゴールならば、そこから先への発展性が望めないため、話が終わってしまう。
そこで、恋愛関係でないのに恋愛関係のように振舞える〝幼馴染〟という関係性は非常に使いやすいのだ。
「でも、あいつらなら俺達が実際に付き合ったところで――」
「Vのリスナーの中でカプ厨が大多数だなんて思ったら大間違いだよ」
夢美は淡々とした口調で自分の考えを述べる。
「それに、カプ厨の人達が〝Vtuber初のカップル〟なんて存在を認識したら、他の〝ただ単に仲が良い組み合わせ〟にも鬼の首をとったように『とっとと付き合え!』『早く結婚しろ!』なんて言うのは目に見えてるでしょ。桃タロスや林檎ちゃんだけじゃない。もっと不特定多数のVtuber達がコラボしづらくなるだろうね」
「だったら公表しなきゃいいだけの話だろうが!」
「あたしもレオも、事務所だって最大限気をつけてたよね? それなのにこの頻度でトラブルが起きるんだよ? 特にあたしなんてどんなに気をつけても抜けちゃう人間だから、きっとすぐにボロが出る」
夢美は自分の失敗が引き金となって何度もトラブルを起こしてきた。
自分の気持ちを自覚してレオを避ける理由はなくなったが、これ以上近づけない理由もできてしまっていたのだ。
レオのライバーとしてのこれからだけでなく、自分自身のこれからも考えるようになったからこそ出た結論だった。
「じゃあ、どうしろって言うんだよ……」
「まだ時期じゃないってだけの話だよ。一年くらい経てば公式の仕事ももっと増えてあたし達も安定すると思う。そうすれば〝後方腕組みおじさん〟も増えるだろうし、燃やしにかかる連中なんて何もしなくても余裕で押し潰せるようになる」
だからさ、と夢美はレオに言い聞かせるように言った。
「まだ幼馴染でいてよ、拓哉」
「由美子……」
それは夢美が、由美子が自分の気持ちを押し殺してまで出した言葉だった。
「……とりあえず、今日は出直す」
今、告白したところで夢美は受け入れてくれない。
そのことを理解したレオは作戦を練り直すために出直すことにした――当然、この程度で諦めるほど、レオの心に灯った炎は小さくなかった。
「おやすみ」
「ああ、おやすみ」
夢美の部屋を出ると、レオは悔しそうに唇を噛みながら用意された空き部屋へと向かうのだった。
次の日。
最悪な気分で目覚めたレオは軽く身なりを整えるとリビングへと向かった。
「おはようございます」
「あら、おはよう拓哉君」
リビングに顔を出すと、台所の方で由里子がエプロンをつけて朝食の準備をしていた。
「何かお手伝いできることはありますか?」
「えー、悪いわよ」
「さすがに、ここまでお世話になって何もしないのは居心地が悪いですよ」
「じゃあ、お願いしちゃおうかしら」
こうしてレオは由里子と共に朝食の準備に取り掛かった。
それから正紀、由紀、夢美も起きてきたことで、中居家の朝食の時間が始まる。
「お義兄ちゃん、今日帰っちゃうの?」
「まあ、さすがにスマホや財布がないのはキツイからな」
レオは寂しそうな表情を浮かべる由紀に苦笑しながら告げる。
「またそっちに遊びにいっていい?」
「ちゃんとお父さんとお母さんに許可をもらったらな」
「やったー! お義兄ちゃん大好き!」
レオと由紀は楽し気に会話をする。その様子を由里子は微笑ましく、夢美と正紀は複雑そうな心境で眺めていた。
そんな複雑な空気の中、夢美は思い切って用意していたプレゼントを取り出した。
「あの、正紀さん――ううん、お父さん……これ、プレゼント」
「これを俺に……? いや、それより、今お父さんって……!」
初めて夢美からプレゼントをもらい〝お父さん〟と呼ばれたことで正紀は激しく動揺した。
「今まで意地張ってごめんなさい。これからはもっと帰省するようにするからさ」
「うん……う゛ん゛……! ……開けても、いいかな?」
「もちろん!」
涙を流しながら大事に夢美から受け取ったプレゼントを胸に抱える正紀。小奇麗な包装を解くと、そこには箱に入った万年筆が入っていた。
「万年筆だ……」
「あー、よくわからなかったから、とりあえず受け取っても困らないもの選んだんだけど……」
「これ一生大事にするよ」
「や、ちゃんと使ってよ」
オーバーな正紀の反応に苦笑すると、夢美はレオの方を向いて礼を述べた。
「拓哉もプレゼント選び手伝ってくれてありがとね」
「喜んでもらえたのなら何よりだ。良かったですね、正紀さん」
「拓哉君、ありがとう……! これからも
「はい、
「ちょっ!?」
笑顔で答えるレオに、夢美は焦ったような表情を浮かべる。
そんな夢美にレオは不敵な笑みを浮かべて言った。
「由美子。俺、実家帰ろうと思う」
「お、おう……ついに李徴は卒業か」
昨日遠回しに振ったようなものなのに、レオの雰囲気に夢美はただならぬものを感じていた。
「それでな、由美子にも付いてきてほしい」
「ホア?」
唐突なレオの提案に、夢美は素っ頓狂な声をあげる。
「自分の家族との問題に決着をつけるっていうのもあるけど、もう一度……一緒に地元を巡りたいんだ」
「いってらっしゃい由美子」
「ああ、行ってくるといいよ」
「由紀も行きたいけど、我慢するよ」
にこやかな家族の反応に、夢美は全てを理解して心の中で叫んだ。
――こいつ、外堀を全力で埋めに来やがった!? と。
まだまだこの二人はくっつかんよ。
あと、今のうちに言っておきますが、この二人がくっついたところでこの小説は終わらないのでご安心ください。