【賛美歌13番】もしも悪役令嬢に○○○○○が転生したら【完結】   作:主(ぬし)

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前話に登場した『いばらの冠を頭につけた白骨の男』の元ネタが、ゴルゴ13コミックスの裏表紙に描かれてるイラストだとちゃんと気づいてくれました?


悪役令嬢(ゴルゴ13)が平民を精鋭兵士に育てて近衛騎士団を圧倒する話 9話(最後)

「王都が、王城が、襲撃───?」

 

 

 にわかには信じがたい、受け入れがたい報告に、さしもの騎士団長も何も言えなかった。頭脳は回転を諦めた独楽のように動いてくれない。他の誰も、何も言えない。王都が襲われることなど、それこそ建国初期である1000年以上前の魔族との戦争でしか経験のないことだった。ましてや、魔王を討伐した勇者の末裔たる国王の居城に弓引く禁忌に手を出す人間がいるとは、誰も予想していなかった。

 ショックのあまり、血液が間欠泉の如く頭に昇り、王子の側近のほとんどが泡を吹いて卒倒した。王子は椅子を蹴飛ばして反射的に立ち上がったものの、真っ白になった頭では衝撃でバラバラになった思考を繋ぎ止められず、直立不動のまま口をパクパクと開け閉めするだけだった。彼の2倍以上の年月を生きて、そのほとんどを戦場で過ごした騎士団長といえども、ひどい目眩を覚えてたたらを踏まずにはいられなかった。

 

(全滅?騎士も、衛兵も、傭兵も、全滅?)

 

 騎士団練兵場には虎の子の騎馬兵を含めて300人は下らない騎士が控えていた。一流の近衛ではないが、精強には違いない丈夫(じょうふ)たちだ。王城には王城専属の衛兵が100人は詰めているし、衛兵と傭兵の詰め所にも100人が待機している。これらは王国の頭脳であり心臓である王都を護るための全戦力であり、国王直轄の兵力全てだ。体格も体力も装備の質も、どこに出しても恥ずかしくない兵士たちだ。それらが、少し目を離した隙に全滅させられたなど、到底信じることは出来ない。常ならば一笑に付していただろう。……眼下の惨状を見せ付けられていなければ。

 

「え、え、え、エリザベート………よもや、まさか、貴様、まさか、父上を………!?」

 

 わなわなと全身を震わせる王子の声もまた酷く震えていた。王城が襲われたなら、襲撃者の目標が“誰”なのかは否応なしに想像がつく。それは王城の頂上部におわす御方以外にありえない。自然と全員の視線がエリザベートに吸い寄せられる。覆すことなど到底不可能に思えた戦力差をいとも簡単にひっくり返してみせた少女がすぐそこにいるからだ。全員の胸中に、「この少女ならやりかねない」という共通の確信と畏怖が芽生えていた。

 瞠目する王子に対し、娘の代わりに毅然と応えたのは公爵だ。

 

「失礼ですが、殿下がなにを仰っているのかわかりかねますな」

「公爵、貴様、俺を(たばか)る気か!?これは王国に対する明確な反乱だぞ!一族郎党、処刑される覚悟はあるのだろうな!?」

「はて、この老骨には一向に話が見えませぬ。それは、我々が何かした(・・・・・・・)という証拠(・・・・・)があっての物言いなのでしょうな?」

「は、はああっ!?これだけの大罪をしでかすのだから、当然、大兵が動いたに違いないのだ!それを誰にも見られていないはずがなかろう!そいつらが誰で、どこから来て、どこへ逃げたのかなど、調べればすぐにわかるのだぞ!」

「ほお。本当にそうですかな(・・・・・・・・・)?」

「は……?」

 

 あくまで強気な姿勢を崩さない公爵の双眼がいよいよ鋭い光を放った。溜め込んでいた怒りを隠すことを止めた、相手を圧倒する男の目だ。次の瞬間には喉笛に喰らいつく覚悟を決めた父親(ちちおや)の迫力に気圧され、王子はそれ以上の語を紡げなくなった。公爵の鋭すぎる眼力は、到底、自らが仕える上位者へ向けていいものではなかった。この娘にしてこの父あり、ということか。いや、彼はよく堪えた。王子に娘をひどく侮辱されてなお国王に敬慕と献身を捧げ続けた宰相がついに愚かな上位者を見限ったとしても、おかしくはない。

 

「君、殿下は下手人の情報を求めていらっしゃる」

 

 息苦しいほどの沈黙が降り満ちるなか、報告を促す騎士団長の視線を察した少年が肩と胸をふいごのように上下させながら息も絶え絶えに続ける。伏せられた目はいかにも気まずそうで、良い報告が彼の内にないことを如実に現していた。

 

「も、申し訳ありません。下手人の姿は、消えました。いえ、そもそもハッキリと目にした者がいないのです。下手人がどこから出現したのか、どこへ消えたのか、どんな者どもだったのか、誰もわかりません」

「わ、わからない?君、それは本当か?下手人が何者だったのか、姿形や規模など、それもわからないのか?」

「誓って真実です、騎士団長閣下!決して我々が眠りこけていたわけではありません!食堂で、13時の鐘が鳴ったと思ったら、どこからともなく激しい光と音の塊が一斉に投げ込まれて、目と耳が役に立たなくなって……そして、き、気がついたら、騎士の方々はもう穴だらけになっていて……。下手人の行方を追おうにも、姿形すら見えませんでした。残されたのは我々のような騎士叙任前の未熟な侍従だけです。ど、どうして我々だけ生き残ったのか……」

 

 混乱する少年をよそに、騎士団長の目が我知らずエリザベートに向けられる。彼女は、この事態がまるで違う次元で起きているかのように我関せずと振る舞っている。いや、事実そうなのだろう。全てが計画通りなのだ。まるで自邸の庭園にいるかの如く完璧にリラックスをして紅茶を嗜んでいる彼女は、たしかに我々とは次元が違う世界を見ているのだ。住んでいる次元が、思考の次元が、戦法の次元が、違うのだ。

 蝶よ花よと手塩にかけて育てられ、ワガママな箱入り娘となるはずだった少女が、裏で稀代の権謀術数を用いて王国のどてっ腹に巨大な風穴を開けたなどとは信じられない。だが、間違いなくそうなのだ。下手人たちの親玉は目の前の座る少女に違いない。このタイミングで、これだけのことを成し遂げられるのは、世界広しといえどこの公爵令嬢と配下の兵士しかいない。しかし、その真実には未来永劫、決して辿り着くことはないだろう。老公爵の言うとおり、この完全無欠の少女は何一つ証拠を残してはいないだろうからだ。

 王子の言うとおり、大軍を動かしていれば必ずその正体は看破されるはずだ。不審な武装集団が王都に近づけば、それだけで騎士団長である自分の耳に必ず情報が入っているはずだ。船着き場にも馬車の停留広場にも衛兵は目を光らせているし、街中も騎士が巡回している。彼らに見つからずに王都の重要拠点に接近するのは不可能だ。特にそれらの近くでは、護身用のショートダガーを帯びているだけでも衛兵からきつい詮議を受ける。

 だが、装備と潜伏場所を先に手配しておき、後から少数精鋭の兵士だけを丸腰で入都させれば話は別だ。

 

 

 

『事前に得た情報ですと、エリザベート様は合戦を申し込まれてすぐに平民たちを集めたそうです』

『平民?そいつらを訓練したというのか?たかが1ヶ月で?』

『いえ。それが、まるでこうなることを予測していたかのように、すでに訓練が終了した様子の屈強な男たちが公爵家に参集する様子が目撃されています。全員が、支給されたらしい大きな緑色の円筒形雑嚢(ダッフルバッグ)を背負っていたと。総数は200名程度だったそうです』

 

 

 

 先ほどの王子と側近の会話が思い出され、現在の事態と糸が繋がる。どうして今の今まで気が付かなかったのか。ここにいる公爵軍の兵士は、多く見繕っても150名程度だ。残りがどこで何をしているのか、なぜ考えを巡らせなかったのか。このエリザベートがむざむざ遊兵を作るわけがないだろうに。

 彼女は準備(・・)していたのだ。こうなることをずっと前から予期していたのだ。だからこそ、周到に、念入りに、徹底的に、備えをしていたに違いない。そうして、王都から近衛騎士が残らず引き抜かれる時を今か今かと待っていたのだ。少人数で、短時間に、徹底的に、完膚無きまでに、立ち直る余力さえ与えない一撃を与えるために。

 最強戦力(このえきし)の投入を待ち望んでいたのは、王子ではなく、他ならぬエリザベートだったのだ。

 

「エリザベート令嬢、貴女は───」

 

 ここまで(・・・・)するのか?どこまで(・・・・)するのか?

 その疑問を言葉にすることは出来なかった。答えを聞いてしまうのが恐ろしかったからだ。

 騎士団長は今さらながらに激しく後悔し、額に手をやって呻いた。なんて恐ろしいことになってしまったのだろう。いつの間にか、我々は自分たちの度重なる失敗のせいで崖っぷちに追い立てられていたのだ。悪辣な手口で彼女を罠に嵌めたはずの王子は、実は彼女の手の平の上で道化のように藻掻いていたに過ぎなかったのだ。いや、王子だけではない。王子に逆らうことなく唯々諾々と従ってしまった周囲の大人(われわれ)もまた、エリザベートにとっては愚者の片棒を担いで自ら死地へ向かう道化でしかなかったのだ。共に地獄の淵に追い詰める愚者の片割れでしかなかったのだ。

 王国は、敵にしてはいけないものを敵にした。獅子身中の虫どころではない。虫身中の獅子(・・・・・・)だ。王国はその体内に、到底抱えきれない強大な獅子を宿していたのだ。

 

「き、騎士団長!なにを黙っておられるのですか!?国王陛下が殺されたかもしれないというのに!」

 

 大きすぎる絶望感に打ち震えるしかない騎士団長の足に突然何かがしがみつく。それは先ほどの少年侍従だった。

 

「お願いします!至急、近衛騎士の方々を王都にお戻し下さい!近衛騎士の方々さえ戻って頂ければ───」

 

 少年特有の甲高い声が語尾に至るにつれて先細っていく。皿のように見開かれた彼の眼球に映り込んでいるのは、緑の草原をマーブル模様に染めて広がる騎士たちの血溜まりだ。刈り込まれた黄緑色の平原に、物言わぬ先鋭芸術品となった男たちの(むくろ)が水玉模様のように点々と散らばっている。誰一人として、動く者はいない。

 

「あ、あの、まさか……もしかして……ぜ、全滅……?」

 

 震える瞳が周囲の大人たちに否定の言葉を求めて彷徨う。けれど、当の大人たちこそがそれを認められず、思考停止をして目を伏せることしか出来なかった。自らの師が、古参たちが、歳の近かった新任騎士が、なんの栄光もない戦いで無残に殺された。現実を受け止めるには少年には荷が重すぎ、彼は氷像のように顔面を蒼白にした。

 そんななか、唯一、目の前の現実を認めることを拒めたのは、大人になりきれない王子(ガキ)だった。

 

「おい、侍従!貴様、丸腰で何をしに来た!?」

「は、はいっ!?」

 

 王族に絶対忠誠を誓うよう教育をされている最中の少年侍従が反射的にピンと背中を伸ばして立ち上がる。この事態を収拾する気になってくれたかと一秒だけ期待した騎士団長は、フリードリッヒが血走った眼で通信球を掴み上げるのを見て、それが叶わぬ期待であることを思い知った。口角から泡混じりの唾を飛び散らせながら、フリードリッヒが絶叫とともに通信球を地面に叩きつけて粉々に割る。それは王都の騎士団練兵場に繋がる通信球だった。

 

「見習いとはいえ王国に忠義を尽くすと決めたのなら、武具を手にとってここへ来るのが当然だろう!戦え!生き残った奴らは、侍従だろうと見習いだろうと誰でもいい、全員連れてこい!次期国王である俺が命令する!総攻撃だ!公爵の討伐令を発する!王国に付き従うすべての貴族は兵を挙げよ!証拠など知ったことか!公爵領に攻め込むのだ!命を懸けて撃攘せよ!なにをしている、早く伝えよ!行けッ!行けえ───ッッ!!」

「は、はいッ!承知いたしました!」

「「「な───!?」」」

 

 さしもの公爵もこれには度肝を抜かれたようだった。まさか、フリードリッヒがここまで常軌を逸して錯乱するとは思ってもいなかったのだろう。だが、それ以上にショックを受けたのは騎士団長自身だった。忠誠を捧げた王族の醜態を見せ付けられると同時に、命令の正悪を自分の頭で考えることなく盲目的に従い、愛馬に跨がって破滅の道に馳せ参じようとする若き騎士の背中に失望を覚えたからだ。否、そのように彼に教え込んだのは他ならぬ自分たちだ。まだ14歳の子どもなのだ。善悪の区別がつかない従順な彼に、理不尽な命令に従う以外の選択肢はなかった。失望されるべきは彼ではなく、彼ら若者をむざむざ死地に送り込む最悪の事態に向かって舵を切ってしまった我々大人なのだ。忸怩たる思いを振り払った騎士団長が素早い動作で立ち上がり、見る間に小さくなっていく少年と馬の背中に叫ぶ。

 

「待て!君、待ちなさい!行ってはならん!これは殿下のご乱心だ!戻れ!その命令を撤回する!」

「気でも狂ったか、騎士団長!」

 

 横合いから胸ぐらをつかんできた王子の胸ぐらを逆に掴み返し、騎士団長はギョッと驚く彼に凄まじい剣幕で詰め寄る。

 

「それはこちらの台詞です!陛下の安否も不明のまま統帥権を干犯などして、反乱疑義の誹りも免れませんぞ!そもそも、そんなことをすればどれほどの惨事になるか、殿下はこの合戦の結果を見てもまだおわかりにならないのか!」

 

 力づくでフリードリッヒの頭を丘の下の惨状に向ける。騎士たちの死体が散らばる平原を見せ付けられて、フリードリッヒの首筋が引き攣る。

 

「このまま事態(こと)が発展してしまえば公爵家との正式な戦争になるのですぞ!我が王国の最強兵力で勝てなかった相手にひよっ子たちをぶつけて何の意味があるというのです!殿下はこの国を灰燼と化すおつもりか!?そもそも、事の発端は殿下によるエリザベート令嬢への一方的な無礼侮辱でありましょう!ご自分の尻拭いのためにいったいどれほど犠牲を払えば気が済むというのか!?」

「え、ええい、うるさいッ!うるさいうるさいうるさいッ!!こうなったらもう、全部なかったことにするしかないんだ!それにはもう戦争しか───」

 

 王子が台詞を言い切ることは出来なかった。騎士団長の拳が彼の横っ面を捉えて思い切り殴りつけたからだ。バキッと嫌な音を立てて王子の鼻の骨が折れ、鮮血の飛沫が飛び散る。前代未聞の不敬な行為に、王子専属の衛兵二人が緊張と衝撃に顔面を引き攣らせる。しかし、堪忍袋の緒が切れた騎士団長が王子と鼻っ柱を突き合わせて大火のように激昂しても、彼らの間に入って制止しようとはしなかった。彼らもまたフリードリッヒの傍若無人っぷりには辟易していた。

 

「いい加減にしろ、小僧!そうすれば我が息子の死もなかったことに出来るのか!?ユーリは帰ってくるのか!?貴様一人の横暴に付き合わせて、あといったい何人の若武者たちを無駄死にさせれば気がすむのだ!!」

「う、うるさい……ちくしょう───うるさいんだよ───俺は他にどうすれば───ちくしょう……!」

 

 顔面をくしゃくしゃに歪め、ボロボロと涙を流し始めたフリードリッヒの身体から力が抜けていく。ついに地に膝をついて崩れ落ちた彼には、もう抗弁する気力すら残っていなかった。厳しい現実を突き付けられ、子どものように喉をしゃくり上げて惨めに嗚咽する王子の小さな背中を周囲の大人たちは呆然と見つめている。彼を擁護する者も肩を貸して助け起こそうと駆け寄る者も現れなかった。フリードリッヒの求心力は、今まさに当人もろとも地に落ちたのだ。

 鼻血混じりの鼻水と涙をこぼす情けない姿は見る者の胸を打って思わず観衆の涙を誘うほど悲劇的な哀れさだったが、騎士団長には彼のことなど捨て置いてやらねばならないことがあった。腕を振り乱して少年を指差し、必死に声を張り上げる。伝令役を仰せつかった少年侍従はがむしゃらに前だけを見ていて、後ろの騒ぎに気づいた様子もない。

 

「誰か、誰でもいい、あの伝令を止めろ!早く追躡(ついじょう)するのだ!このままでは戦争になるぞ!魔法でも、弓を射てでも、とにかく止めろ!」

「も、もう間に合いません。声も届きませんし、この距離では弓もファイアボールも届きません。なにより、ここに騎兵はおりません」

「なんだと!?」

 

 首を左右に回して馬を探す騎士団長に、衛兵の一人が苦しげな顔で望まぬ報告をする。それは事実だった。衛兵はあくまで身辺警護専門のプロフェッショナルであり、騎乗能力はそこまで求められない。一方、遠征もする騎士団は騎兵としての高いスキルを求められるが、快速を誇っていた近衛騎兵の戦馬たちは乗り手とともに眼下の合戦場で無惨な挽き肉になってしまった。ここに残っているのは、王族や大臣を乗せた馬車を引っ張るための見映え重視の引馬だけだ。見せ掛けだけの白馬たちは、軛を解いて跨がられたとしても、いつもと違う慣れない動作に戸惑うばかりだろう。しかも、よりによって少年侍従の馬は騎士団最速となることが約束された若い駿馬だった。体格が小さく軽い騎士の卵が手綱を引く駿馬に、大人が跨がる駄馬が追いつける道理はない。

 衛兵や側近たちが大音声を揃えて少年侍従に「止まれ」と身振りしながら呼びかけるも、一途な少年は振り返ることもせずに懸命に王都へと去っていく。拳ほどだった背中はついに親指の爪ほどの大きさにしか見えないほど遠のいてしまった。

 王城にて国王の身が害され、意識不明の状態か、万が一にも亡き者とされていた場合、慣例に基づいて自動的にフリードリッヒが国王もしくは国王代理となる。そうなればフリードリッヒの命令が絶対のものとして効力を発するようになる。先回りして命令を阻止しようにも通信球を破壊されたためそれは叶わない。追いつく手段もないとなれば、王子本人が撤回しないかぎり、王命は覆らずに実行されてしまう。

 

(王子は───使い物にならない!)

 

 フリードリッヒに翻意を促そうと考えたが、地べたにうずくまって滂沱する子どもとなった彼にそれが出来るとは思えなかった。そのまま視線を横に滑らせてフリードリッヒが熱心に懸想する平民の娘に目を向ければ、足元に嘔吐したまま何故か石のように硬直して動こうとしない。事態の打開にはどちらも役に立つとは思えなかった。

 

「ダメだダメだダメだ!あの伝令を王都に行かせてはならん!取り返しのつかないことになるぞ!」

 

 騎士団長の脳裏は恐怖一色に塗り潰されていた。頭頂部から顎先まで滝のような汗がどっと流れ落ちてくる。王都への襲撃がエリザベートによって実行されたという確かな証拠がないまま軍を進めて有力貴族の領地に攻め込んでしまえば、それは王国が先に弓を引いたと同義だ。しかも、よりによって相手は王国最大の貴族であり、名実ともにナンバー2なのだ。歴史に禍根を残す大変な動乱の引き金となることは避けられないうえに、それはエリザベートに正当な防衛の権利を与えることになる。攻め込んできた相手に対して、彼女は遠慮会釈もすることはないだろう。火に油を注ぐことは避けられない。そうなれば、今日の地獄が何百倍、何千倍にもなって王国全土で再現されることになる。

 

(勝てるわけがない!犬死にしに行くようなものだ!)

 

 3倍の戦力差がありながら最強戦力を完膚無きまで滅ぼし尽くした公爵軍はいまだ実力の底が見えない。どんな訓練を施されているのか。どれほどの練度なのか。何ができて、何ができないのか。そもそも、本当に兵力は200人だけしかいないのか。彼らの武器は鉄筒だけなのか。まだなにか隠しているのではないか。こちらは何もわからないのに、向こうはこちらを隅々まで知り尽くしている。そんな相手に、虎の子の近衛騎士団を欠いた王国が矛を交わしても勝てる見込みなど皆無だった。たとえ王国側に与してくれる貴族家が参戦したとしても、結果は変わるまい。万に一つも勝利はなく、無駄死にした死体の山が増えるだけだ。ユーリの後を追って天界の扉をくぐる若者が増えるだけだ。

 

(止めなければ!我々が止められないのなら、止められる人間を探さなければ!)

 

 彼がここまで戦争を回避しようとするのは、もしも開戦となれば真っ先に自分が前線に立たせられるという我が身可愛さからではなかった。その心中には息子を失った悲哀が去来していた。この果てしない永劫の痛みを味わう親を無駄に増やすべきではない。戦争はなんとしても防がなければならない。戦端が開かれる前に、あの伝令を止めることのできる者を探さなければならない。

 慌てふためく騎士団長の視界に、金長髪の輝きが差し込んだ。動転してオロオロとするばかりの周囲の大人たちをよそに、さざ波一つ無い山中の湖面のように落ち着き払って静かに紅茶を嗜んでいる。己を鍛え上げてきた超一流の兵士の風格と、不可能を可能にする絶大な自負心が全身からオーラとなって迸っている。騎士団長は、裏社会における彼女への評価を思い出した。

 

曰く、“依頼成功率99パーセント”

曰く、“不可能を可能にする令嬢”

 

 瞬間、彼は決断した。

 

「エリザベート公爵令嬢!貴女に依頼(・・)する!あの伝令を止めてくれ!」

 

 ギョッと驚く周囲の反応を捨て置いて、騎士団長はいまだ冷徹に黙したまま鷹揚な態度を崩さないエリザベートの傍まで駆け寄る。エリザベートに接近するほどザワリと全身に突き刺さってくる無数の殺気(・・・・・)を無視して彼女の正面に進み出ると、地べたに両膝と両手、そして頭をついて喉を震わせる。

 

「貴女にこのような依頼をすることが筋違いであることは認める。都合のいい話に違いない。だが、これ以上の犠牲はもう誰も望んでいないのだ!報酬は私のあらゆる全てだ!命も、財も、全てくれてやる!だから頼む、止めてくれ!もう、止めてくれ……!」

 

 騎士団長の悲痛な願いが青空に吸い込まれて霧散していく。大の男が───ただの男ではなく、王国有数の地位と権力を有した男が、年端も行かぬ少女に土下座をして頼み事をする。傍から見ると奇っ怪な姿は、しかしながら誰も奇妙だとは思わなかった。エリザベートの影の噂(じっせき)については王子の取り巻きたちも耳にしていたからだ。だが、自分が陥穽に陥れようとした相手に助けを求めて、素直に手を差し伸べてもらえるとは思えなかった。

 

「………そのご依頼、たしかに承りましたわ」

 

 周囲の予想を裏切り、エリザベートはおもむろに立ち上がった。ドレスを颯爽とはためかせ、少年侍従の背中に(たい)を振り向ける。無関心の極致だった双眸がザッと強く引き絞られて険しげに小さな人馬のシルエットを睨む。それはまさに了承の意を示していた。騎士団長の渾身の依頼は聞き入れられたのだ。彼女の内でどういう打算が働いたのか定かではないが、とにかく聞き入れてもらえたのだ。大人たちが息を呑み、草原の丘に沈黙が満ちる。

 

(や、やってくれるか。しかし、)

 

 依頼を受け入れてもらえたことにわずかに安堵すれど、騎士団長の気が楽観することはない。鉄筒を所持したエリザベートの配下の兵たちは依然として丘下の合戦場に展開しているし、彼女自身は当然のように丸腰だ。もはや信じるほかないが、騎士団長の目にはやはり成功の目は少ないように思えた。

 騎士団長がハラハラとして見守るなか、サラマンダーもかくやというエリザベートの鋭い視線がギリギリとキツく引き絞られていく。人間の域を超越した感知能力を備えた目と鼻と耳と肌と経験と直感が、目標との距離と温度と湿度と風速と重力と空気抵抗と自転慣性力(コリオリ)といった射撃諸元を瞬時に計算しているのだ。目標に対して左足の外側面がざっと地を踏みしめ、肩幅ほどの間隔を開けて右足は支柱のようにぐっと踏ん張る。堂に入った所作は、その動きを何千回、何万回と繰り返していることを如実に示している。だが、相変わらずその手に武器はない。

 

「エリザベート令嬢、いったいどうやってあの少年を止め───は?」

 

 すでにその手には(・・・・・・・・)鉄筒が握られていた(・・・・・・・・・)

 騎士団長は自分の眼球の精度を疑った。不意に草むらから鉄筒が生えてきた(・・・・・)ように見えたのだ。なんの魔法を使ったのか、まるで茂みのなかに透明人間がいるように、鉄筒が銃把(グリップ)を手前にして恭しく差し出された。エリザベートは視点を目標に固定したまま、腰の後ろに回した手でそれを受け取る。鉄筒は彼女の手に吸い付くようにして、一瞬後には彼女の懐に収まっていた。

 その鉄筒は、他の公爵軍兵士のものとは形も色も明らかに異なる特別仕様だった。大きく、頑丈で、力強く、なにより洗練されていた。誰も知る由もないことだが、それはエリザベート公爵令嬢が前世で愛用していた『アーマライトM16Gカスタム(G13A3SV)』と瓜二つだった。エリザベートが、ひと刹那、己の胴体ほどもあるその黒い鉄筒(ブラックライフル)に懐かしげな柔らかい表情を垣間見せた束の間───彼女は鉄筒を立射の姿勢に構えて完璧な照準を整えていた。目にも留まらぬ早さで薬室に弾丸が叩き込まれ、ジャキンと金属的かつ攻撃的な音色を奏でる。その場の誰も、彼女が照準を終える動作を判別できる動体視力を備えていなかった。人間が、「目のまばたきはどうやってするのだろう」といちいち考えないのと同じように、彼女は鈍重なはずの鉄筒を軽々と持ち上げ、構え、照準をつけ、弾丸を装填し、引き金に指をかける一連の動作をコンマ単位で完了させたのだ。

 通常、ライフルの最適な重量は体重の5.6パーセントであるとされている。体重49キロのエリザベートにとって3700グラムの鉄筒は最適値より1300グラム以上も重すぎることになる。しかし、並々ならぬ魔力によって身体能力を極大に向上させているエリザベートには、まさに肉体の延長であるかのように心地よく感じられた。肉体の延長であるのだから、脳が意識せずとも脊髄が勝手に射撃姿勢を構えられるのだ。

 その場の全員に呼吸することも躊躇われる極度の緊張が走った。鼓膜がピリッと張り詰める。静まり返る草原に、場違いなほど爽やかな風の音だけが通り過ぎる。気温は16度。湿度は60パーセント。風速は右から4メートル。視界の限界まで広がる草原が海原のようにザアザアと靡いて、波をかき分けるように少年と馬の背中が小さく遠ざかっていく。目標までの距離は500メートル。すうっと、エリザベートが浅く小さく息を吸い込む音がして、止んだ。その結果、彼女の肉体において振動しているのは巨獣のような胆力でゆっくりと拍動する心臓だけとなった。まるで周りの世界から彼女だけ切り離されてしまったかのように超然としていて、その姿はまさに神のようだった。人間の生殺与奪を決定する死神。

 エリザベートが、先台(フォアグリップ)を支える腕の肘を腰骨にぐっと引きつけ、銃床(ストック)を肩にぴったりと付けて、頭をほんの少しだけ傾げて長大な照準器(スコープ)を覗き込む。その玉虫色の瞳がカッとひときわ大きく見開かれたかと思いきや、引き金(トリガー)に添えられた人差し指にピクリと力がこもる。断頭台の如き輝きを放つ視線はまっすぐに少年侍従の頭部を射抜いている。

 

(これで……これでいいのか……!?あの少年を犠牲にしていいのか……!?)

 

 騎士団長は覚悟を決めきれずにいた。少年侍従はただ王子の命令に従っているだけだ。命まで奪われることはしていない。

 

 

『どうして我々だけ生き残ったのか───』

 

 

 少年の台詞が脳裏に蘇る。思えば、手を下されたのはすべて大人の戦闘員だった。非武装の子どもは含まれていなかった。たしかに容赦はなかったが、情けはあった。生き残ったのではなく、生き残らされた(・・・・・・・)のでないか。そこから先は、直感だった。

 

「彼はまだ14歳だ!」

 

 くんっ、と。鉄筒の先端が、わずかに───ほんのわずかに───右に動いたように見えた。

 引き金が引かれた。撃鉄(ハンマー)と雷管の役目を担うエリザベートの膨大な魔力が弾丸の一点に急衝突し、稲妻のような紫電を発する。ミリ秒以下の刹那、薬室(チェンバー)内で荒れ狂う魔力爆発の速度は毎秒8000メートルの爆速に達していた。銃身(バレル)を震撼させながら初速毎秒995メートルで銃口から解き放たれた重弾丸は、次の瞬間には音の壁を突破(ソニックブーム)して耳をつんざく大音響を空間に爆発させる。

 ズキューン!世界そのものを包み込むような轟音が地平線まで響き渡った。この世に生まれ落ちたばかりの“右回転の死”が大気を切り裂いて500メートル先の目標に向かって一途に飛翔していく。この世界の重力は前世とまったく変わらない。この場合、500メートル先の目標を狙えば、着弾点は目標の1メートル半ほど下に逸れる。また、風速4メートルの横風を受ければ、500メートル先の着弾点では68センチの偏差(ズレ)が生じる。この横風は銃口のすぐ先に吹くものだけ考えればいいものではなく、100メートル先、200メートル先の風速も計算する必要がある。加味しなければならない要素はそれだけではない。気温が高くなれば銃身内の腔圧が上昇して弾速が過剰に早くなり、逆も然りとなる。湿度が高ければ空気の密度が小さくなり、弾道落下率が下がる。逆もまた然りだ。さらに、使用する弾丸は当然、一方向にしか回転しないため、必然的に回転誤差(スピンドリフト)が生じる。ここまで計算したとしても、目標との間に隠れていた小さな沼を見逃していれば、そこから蜃気楼が沸き立って、弾道が歪み、全てが狂う。それほど正確無比な緻密さが求められる狙撃を───エリザベートは、完璧にやってのけた。

 剣や魔法では発生し得ない轟音に、ある者は身を竦めて見窄らしく縮み上がり、ある者は悲鳴を上げてひっくり返る。彼らが無様に尻もちをつく時には、すでに銃弾は目標を貫通してさらに100メートル進んでいた。強烈な衝撃を受け止めきれず、少年侍従の矮躯が馬上から強制的にはたき落とされる。鮮血がパッと花びらのように飛び散ったが、たかが知れる程度のものだった。

 

「………右上腕の三角筋を削ぎ落としました………出血も大したことはない………致命傷ではありませんわ………」

 

 幼子が泣き叫ぶような甲高い悲鳴が地面を転がりまわる。突然、乗り手を失った駿馬が混乱してその場を行ったり来たりする足元で、少年侍従が右肩を押さえてゴロゴロと泣き喚いていた。騎士団長は今度こそ腹の底から安堵の息を吐き出してその場に崩れ落ちた。彼の直感は当たった。エリザベート令嬢は冷徹で無慈悲だが、必要でない殺人はしないのだ。それは情に厚かったり、思いやりがあるわけではなく、彼女自身が定めた原則(ルール)が彼女を厳格に律しているだけなのだ。

 

「……感謝する」

 

 騎士団長の呟きにエリザベートからの返答はなかった。チャッ!と小気味よい金属音を鳴らして愛用の鉄筒の構えを解くと、肩に担いだそれの重さを感じさせない素早い身のこなしで踵を返す。「感謝される謂われはない」ということだろう。彼女は依頼に応じただけだ。彼女にとってはただのビジネスに過ぎないのだ。平野に吹く風が彼女の長髪とドレスの裾を豊かに膨らませ、昼の陽光に煌めかせる光景は、まるで一流の絵画のようだった。麗しい美少女と鉄筒の凶悪な輝きとの対比に頭がクラクラしそうだった。

 

「騎士団長、これでいいと思っているのか」

 

 掠れた声が低く小さくボソボソと囁かれた。そちらに首を回せば、項垂れたままのフリードリッヒ王子が地面を見つめながら呪詛のように言葉を紡ぐ。

 

「父上を、国王殺しを画策した張本人なんだぞ。王都を襲撃した大罪人なんだぞ。そいつのせいで何もかもが狂ったんだ。その女を野放しにしていいと思ってるのか。お前は自他ともに認める王家の忠臣だろう。忠臣なら、今すぐにでもその腰の剣でエリザベートに斬り掛かるべきだ、違うか……!」

 

 この愚かな王子は、自分たちを刺すような無数の殺気(・・・・・)にまだ気がついていないらしい。鼻から深くため息を落とし、騎士団長は頭を二度ほど左右させる。そして腰に帯びていた立派な拵えの剣を鞘ごと放り投げた。同じことをするように衛兵二人にも視線で促し、彼らもそれに倣って武装を解く。ガシャンと槍と剣が乱暴に重なる音が虚しく響く。

 

「それは出来ません」

「臆病風に吹かれたか、貴様ら!」

「それもあります。私は恐怖を感じている。同時に、己の鍛錬不足を痛感している。私は殿下の身をお守りしなければならないのに、囲まれていた(・・・・・・)ことについ先ほどまで気がつけなかった」

「は、囲まれ……?お前、何を言って、」

「ご令嬢、もういいだろう。我々にはもう貴女に抵抗する(すべ)も意思もない。部下をお引き願いたい」

 

 エリザベートが父親の顔を一瞥する。公爵が「もう十分だ」と頷く。それを確認したエリザベートが右手を少し持ち上げ、パチリと指を鳴らした。

 

 平原が立ち上がった(・・・・・・・・・)

 エリザベートと王子たちを取り囲むようにして、人間大の野草の塊がザッと一斉に姿を現した。魔物か森の妖精かと思われたそれらは、よくよく見れば人間の男だった。その数はおよそ12人。肩幅の広い頑健な肉体を濃淡のある緑色で縞模様に染められた戦闘服で包んでいる。服の表面は無数の布の輪っかに覆われ、そこに本物の雑草と見紛うほど精巧に作られた帯布の束が結ばれて、全身を海藻のように覆っている。今すぐにでも撃てるように腰だめに構えられた鉄筒は、塗装の隅から隅まで艶消し加工が施され、さらに濃紺の粗布に包まれていた。たとえ朝日を浴びても光を跳ねないだろうそれは、明らかに白兵戦ではなく暗殺のための処置だった。

 突如現れた兵士たちに、その場にいるほとんど全員が度肝を抜かれて唖然とするなか、騎士団長だけは吹っ切れたように冷静だった。歴戦の騎士である彼だけは、完全迷彩(ギリースーツ)の兵士たちの存在に気が付いた。彼らはエリザベートたちを護り、同時に敵対勢力をいつでも排除できるようにずっと監視していたのだ。誰にも勘付かれること無く、エリザベートが武器を欲したらすぐに手渡せるほど近くで。

 

「我々はとっくの前から囲まれていたのです、殿下。おそらくは合戦が始まる時からすでに。エリザベート令嬢は、殺そうと思えば我々をいつでも殺せた。指先の合図一つで、私たちを一人残らず、瞬きする間もなく殺すことが出来た。そうしなかったのは、依頼(・・)が王族の殺害ではなかったから。おそらく、国王陛下も殺されてはいない。我々に痛い目(・・・)を見せることが目的だった……そうだろう?」

 

 予想通り、エリザベートは応えない。依頼人であろう公爵も黙して応えない。それは肯定の意だった。沈黙は時に言葉より雄弁なのだ。要は、手加減されていた(・・・・・・・・)ということだ。殺そうと思えば出来たが、あえて死なない程度に殴りつけただけに過ぎないのだ。どこまでも忠義厚い公爵らしい依頼だ。

 騎士団長である自分にすら察知できない凄腕の兵士をこれほど多く配下に持っていれば、何が起きようと表情が動揺に崩れることなどないだろう。そして、おそらく、エリザベート一人だけでも、この場にいる全員を殺すことなど造作も無いのだろう。これほどまで力の差がありすぎると、不思議と悔しいという感情も浮かんでこなかった。苦笑をひとつこぼし、騎士団長は歯に衣着せぬ物言いで、フリードリッヒに現実を突きつける。

 

「殿下、完敗です。何をしても勝てなかった。殿下は、いえ、我らが誉れ高い王国は、エリザベート令嬢に、負けたのです。これまでも、これから先も」

 

 もはや、フリードリッヒには反応する精神力は残されていなかった。砂城が崩れ落ちるように四肢を投げ出して呆然と仰臥するしかなかった。突き抜けるように澄んだ青空を眼球に映してただただ放心する彼の心は完膚無きまで砕け散っていた。彼が溺愛していた平民の少女は、落とした肩を小さく震わせるだけの気力はかろうじて有していたが、その場から動くことは出来なかった。絶望的な力の差を見せつけられて精神的に叩きのめされたからだ。

 

「嘘よ、嘘よ、嘘よ、嘘よ……」

 

 枯れ枝垂(しだ)れのようにガックリと首を項垂れさせた彼女は、もうエリザベートに楯突くことはないだろう。仮に彼女が再戦を望んだとしても、待ち受ける結果は芳しくはないだろう。王子の側近たちにもそれを予想できるだけの知性は残っていた。ドレススカートを典雅にはためかせて去りゆくエリザベートを、彼らはうやうやしく(かしず)いて見送った。誰が格上なのかを身に沁みて理解したからだった。畏怖と畏敬の眼差しを一身に受けながら勝利を片手に歩んでいくその堂々たる背中は、全員の記憶に鮮烈に刻まれた。

 

 

 

 

 こうして、王家と公爵家との第二次騎兵合戦は幕を下ろした。結果は、大勢の予測を裏切って、あろうことか公爵家の圧勝であった。王国を構成する領土の一つに過ぎない公爵家が、王国そのものを相手取り、これに完勝したのだ。

 第一次騎兵合戦と比べて半分以下の時間で終わったこの合戦で、敗北者となった王家は尋常ならざる犠牲を背負うことになった。王国虎の子である近衛騎士団が、文字通り壊滅させられたのだ。重要施設の護りを担い、有事には精鋭部隊として活動する歴史ある王国近衛騎士団は、この日をもって組織ごと抹消となった。息子が騎士団に所属していた貴族家から王家への怒りの突き上げは怒涛の勢いであり、小規模な紛争まで発生しかねないほどだった。これらの賠償総額はまさに国家予算規模となった。さらに、この合戦と同時刻に謎の勢力(・・・・)が王都を襲撃し、王都の防衛戦力のほとんどが失われたことも王家の衰退に拍車をかけた。下手人が判明すれば、まだ王家への信頼も微回復しただろうが、どんなに捜索しても襲撃者の服の切れ端一つ発見できなかった。彼らは、いつの間にか、どこからかやってきて、どこかへ消えてしまったのだ。

 さて、失墜する臣民からの支持と兵力再建の目処を立てることが現国王には求められたが、そんなことは誰が考えても土台不可能だった。終わりの見えない賠償によって財政は一時的に破綻寸前まで追い込まれ、この弱みにつけ込もうと隣国が侵略の兆しを見せるなど、国民の不満と不安は爆発寸前まで高まった。そして、国王はついに腹をくくった。

 

「余は、すべての臣民に、謝罪する」

 

 一連の経緯の責任は自身と息子にあることを正式に認め、謝罪し、速やかに退位する流れとなったのだ。これは(てい)の良い逃走であったが、精神的に追い込まれつつあった国王に心を病んだまま玉座に居座られても何も解決しないことは誰の目にも明らかだった。

 

「我が王位を継ぐのは、フリードリッヒではない。我が一族の誰でもない。……王国を頼んだぞ、宰相(・・)

「承知致しました」

 

 そう言って王冠を手渡されたのは、果たして、王家を打ち破った公爵その人であった。

 この決定には誰も異論を唱えなかった。異論を挟む度胸がある人間などいなかった。なぜなら、この時、近衛騎士団に成り代わって王都の防衛任務一切を任せられていたのは、公爵軍───エリザベートが鍛え上げた世界最強の軍隊だったからだ。

 公爵家は、騎兵合戦によって発生するはずだった王家からの多額の賠償金について、その請求権を放棄し、むしろ積極的な財政支援を約束した。その代わりとして、王都及び王城を含む重要施設すべての警護任務を公爵家が取り仕切ることを王家に同意させたのだ。公爵軍は、怒りに燃える貴族家と王家のあいだに勃発しかけた紛争を事前に鎮圧したり、侵略行為に及びそうになった隣国に睨みを効かせるなどの実績と信頼をすでにいくつも積み重ねていた。王都を護る兵士を根こそぎ失った王国にとっては渡りに船な申し出だった。公爵軍の兵士は、無愛想だが実直で、極めて仕事熱心で、なにより練度が極めて高かった。また、手にしている武装や、戦闘への理解度もずば抜けて優秀だった。こうして、王国の臣民が公爵に対して好感情を抱くことになるのは既定路線だったと言える。公爵が新しい国王として先王から任ぜられたことにも、誰も反対しなかった。先王は廃人となった息子を連れて地方へと隠居し、新王による新しい春の時代が王国に訪れようとしていた。

 そこにエリザベートの姿はなかった。

 

 光があれば、影もまた必ず生じる。人間が人間である限り、誰かが誰かの死を望む限り、影は必要とされ続ける。孤高(フリー)の暗殺者は、どんな時代でも、どんな場所でも、人知れず必要とされ続けるのだ。

 今日もまた、世界の街のどこかで、賛美歌13番の旋律が妖しく揺蕩う。




これで終わりです。書きたいことを勢いに乗せて書きまくったので、詰め込みすぎた感じがあります。でも僕は満足してます。書いてて楽しかったです。最後の最後に、ゴルゴらしい狙撃シーンを入れてみました。ゴルゴと言えば狙撃ですが、部下の見せ場ばっかりでしたから、最後にいいところを見せつけられたのではないかと思ってます。ただ、僕はミリオタではないので、ライフルの構造などなどでいろいろ不備があるかもしれません。ダメなところは教えて頂けるとありがたいです。それでは。
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