【賛美歌13番】もしも悪役令嬢に○○○○○が転生したら【完結】 作:主(ぬし)
そういえば、デューク東郷の“デューク”がそのまま“公爵”を意味するということを感想コメントで教えていただいて初めて知りました。偶然の一致です。運命を感じましたので、そのままコールサインとして使わせてもらいました。感謝。
満月の白光が降り注ぐ藍色の夜。美しいホワイトローズが咲き誇る広大な庭園を背景に、二人の男女がささやかな茶会を催していた。一人は、この栄えある王国の大貴族にして、国王を補佐する公爵を務める壮年の男。そしてもう一人は、その娘、エリザベートであった。
象牙から削り出したような冷ややかな美貌の少女に対し、公爵はげっそりとやつれ、多大な心労に今にも押し潰されかけていることが見て取れる。二人の間に流れる王国随一の専属楽団のきらびやかな音楽も、彼の心労を減じさせるには甚だ無力だった。敬愛する主人の様子を案じた楽団の指揮者はたびたび公爵を振り返り、公爵を幼少期から支えてきた執事長セバスチャンも主人の傍らに寄り添い立って心配そうに血の気の引いた横顔を覗き込んでいる。この場でそのことを気にもとめていないのは、実の娘であるはずの公爵令嬢エリザベートただひとりであった。
「……我が公爵家も、私の代で終わりだ」
地面に向かって吐き落とされた弱音は、50歳のものとは思えなかった。死に追いつかれかけた老人のようなそれに、セバスチャンが「旦那様、滅相もないことを」と窘めて奮い立たせようとするも、主人を奮い立たせられるだけの根拠も経験も己のうちにないことを悟り、次の言を紡ぐことができなかった。
「……“騎兵合戦”とは、あの王子も姑息なことを考えたものだ」
「真に姑息の極みでございます。130年も前のカビの生えた法を利用してお嬢様に意趣返しをしようなどとは。しかも己の実力によってではなく近衛騎士団を持ち出してくるなど、公私を混同した越権にも程があるというものです」
「それだけ、我が娘が恐ろしいのだろうよ」
力のこもらない笑みで正面の愛娘を見やる。エリザベートは常と同じく、お家の危機などどこ吹く風という無関心な態度で、新しい地方から輸入した紅茶の味を試している。己の娘ながら空恐ろしいほどに頼もしい堂々たる態度だが、それだけに、彼女に歴史ある公爵家を相続させられない悔しさが増した。
「しかし!そもそもの発端は婚約者であるエリザベート様を差し置いて別の女生徒と恋仲になった挙げ句に一方的に婚約破棄を言い渡してきた王子殿下であり、恥をかかされた恨みなど逆恨みに過ぎないではありませんか!そんなくだらぬ恨みを晴らすためにこの公爵家をお取り潰しにするなど、もはや正気の沙汰とは言えません!」
珍しく声を荒げた執事長に、楽団の演奏が乱れる。怒れる執事を、公爵はそっと手で制する。
「やめよ、セバスチャン。我が公爵家の最後の家宰が、公然と王家を侮辱したなどと後世の歴史家に書かれたらどうするのだ」
「旦那様……!旦那様はまだ王家に忠義を尽くされようとしているのですか。王子殿下の蛮行を掣肘しようともしない陛下にまだ忠義を尽くされようとしているのですか」
現国王は、王子が物心付く前まではそれこそ名君と讃えられていた。だが、なかなか子どもに恵まれなかったため、60歳を過ぎてようやく生まれた一人息子である王子を溺愛し、それが国王の眼を曇らせていた。公爵もまた、子どもをなかなか授かれないと悩んでいた末に生まれたエリザベートを心から愛していたため、国王の内心を理解できた。国王の悩みを間近で聞いていたからこそ、国王を責めることは憚られた。
「どうしようもないのだ。せめて忠義を厚く尽くし、それによって少しでも寛大な処置を願い出るしか、もはや我が公爵家にとれる選択肢は残されてはいない。“騎兵合戦”を申し渡された時点で、我らの負けは必定だったのだ」
どんな時も毅然としていたセバスチャンの顔貌が、死人のように暗く陰った。
“騎兵合戦”。それは、貴族同士が自らの有する領軍を用いて戦う、いわば決闘の代理戦争だ。その昔、肉体に障害を抱えていた有力貴族が嫉妬の対象である貴族に決闘を挑みたいがために成立させたという。両者は同じ丘の上に陣取り、チェスを指すかのように己の兵士を操作し、どちらかが最後の一兵を殺すまで続けられる。この悪趣味な法律は、長い時を経て忘れ去られていたが、此度、王子によって発掘され、利用されることとなった。
王子は、独力ではエリザベートという個人には絶対に勝てないと理解し、それでも己の非を認めることを拒んだ。そして、それぞれの家が有する独自の兵力を駒として戦わせる方法ならエリザベートに土をつけることが出来ると考えたのだった。そして、エリザベートが敗北した場合には敗者の連帯責任として公爵家を廃嫡するという条件まで突きつけてきたのだ。
「我が公爵家には、領軍らしい領軍がないことなど、王子殿下はご存知のはずなのに……」
「だから、であろう。そのことを知っているからこそだ。殿下はそういう御方だ。しかも騎兵合戦の日までわずか1ヶ月の猶予しか与えられぬとは、慈悲のカケラもない。それほどまで私のエリザベートが怖いのだろう」
公爵家はたしかに貴族のなかでも随一の権力と権威を有している。それは、長年王家に忠誠を誓い、領地領民全てで以って王家を支えてきたからである。当然、そこには軍事力も含まれる。つまり、公爵家はその兵力すらも王国に供出しているということだ。王国が盤石である限り公爵家の守護と権益も約束されている。公爵家は、王国と王家とは一心同体であると信じていた。忠誠心はどこの貴族家よりも厚かった。だが、その王国から反故を突きつけられた今、公爵家はもはや己の身を守る術すら持っていないに等しい。
治安維持を担当する警邏官たちは、戦争が本職である騎士たちとは比べることもおこがましいほど無力だ。せいぜい山賊を追い払うのがやっとの彼らなど、馬に乗って戦場を駆け、剣弓で人間を殺すプロである騎兵たちにとっては単なる獲物でしかない。
しかも、王子は騎士団のなかでも精鋭中の精鋭が集結する近衛騎士団の主力300名を自らの駒とすることを決めていた。単純な剣技に加えて、魔法スキルを有する者も数多く所属し、チャリオットまで保有する精鋭かつ最新鋭の武装集団である。たとえ財産をひっくり返して世界中から傭兵を集めたとしても、到底勝てるわけがない。近衛騎士団とはそれほど強大な存在なのだ。
「エリザベート……」
悲哀に喉をつまらせながら、公爵は己の娘を見つめる。満月の輝きを一身に吸い込んだホワイトローズの化身ともいうべき少女は、今は亡き愛妻にそっくりだった。娘をむざむざ不幸にさせてしまう。妻になんと詫びればいいのだろう。真正面から見ることができなくなり、公爵は重たげに深く俯く。
「エリザベート、お前に、兵を育て、兵を扱う技倆が備わっていればなあ。お前にそれが可能であればなあ」
そう願わずにはいられなかった。公爵とて無能ではない。むしろこの王国でもずば抜けて優秀極まる貴族にして官僚だ。だが、それ故に、天から自らに戦術の才覚が与えられていないことがよくわかった。強兵に対し、寡兵で立ち向かうための知恵も経験も持ち合わせていないことは自分自身がよくわかっていた。だからこそ、思う。もしも、この恐るべき愛娘に、その才覚が備わっていたらなら、と……。
「………お父様」
カップとソーサーがかち合う軽快な音。
「
異論を挟む余地を許さない、剣閃のような声。ハッと顔を上げれば、エリザベートの鋭い眼差しがこちらを真っ直ぐに射抜いていた。こちらを凝視する視線が1ミクロンとてブレないまま、その口元に再びカップが運ばれる。控えめに立ち上る紅茶の湯気のベール越しに、公爵は一瞬の幻覚を見た。
そこには、見目麗しい18歳の公爵令嬢はいなかった。
公爵は、この娘が裏の世界で何をしているのかを朧気にしか知らない。公爵の情報力を以ってしても、エリザベートの裏の顔について見通すことはできない。しかし、
曰く、“依頼成功率99パーセント”
曰く、“不可能を可能にする令嬢”
不可能を可能にできるのならば。それならば、最後に必要となるのは、依頼主の度胸だけだ。
その事実に思い当たった公爵の頭のなかで、プツンと大きな何かが切れる音がした。後生大事にしてきたあらゆるしがらみ全てが千切れ飛んだ。
「……賛美歌13番だ」
「は?」
突如、公爵が椅子を蹴飛ばして立ち上がった。
「セバスチャン!賛美歌13番を流せ!!」
「は、はいッ!」
セバスチャンが慌てて振り返り、その意向を汲み取った指揮者が頷いて己の楽団に大急ぎで指示を飛ばす。打てば響く反応で、庭園に荘厳かつ重厚な音楽が満ち、怒気迫る緊張がビリビリとみなぎる。
「もはや堪忍袋の緒が切れた!!」
押し殺していた感情の手綱を自らかなぐり捨てた公爵が、握りしめた拳をテーブルに激しく叩きつける。公爵は今まで見せたこともないような憤怒の表情を形作り、火山のような勢いでエリザベートに
「エリザベート!あの調子に乗り腐った
天に向かって獣の如く咆哮した実の父を前に、エリザベートの硬質の瞳は何の感情の機微も表さなかった。しかし、公爵には、彼女の眦がほんのわずかに微笑んだように見えた。
「………そのご依頼、たしかに承りましたわ」
それだけ言うと、エリザベートはゆっくりと立ち上がり、優雅な身のこなしで夜の闇へと溶けていった。
安堵感と、その何千倍もの怖気───自分がしてしまったことへの途方も無い恐怖───を味わいながらも、公爵は顎に力を込めて意味ありげに笑った。
矢は放たれた。もはや、王子たちに未来はないのだ。
マーク・グリーニーの『レッドメタル作戦』を読んでてふと思いつきました。「21世紀の総力戦とはこうなる!」というリアルな描写が面白かったです。
しっかし、どうすれば、何十人もの登場人物を一人ひとりちゃんと動かすことが出来るのか、不思議で仕方がないです。『灼眼のシャナ』の高橋弥七郎先生然り、『ウィザーズ・ブレイン』の三枝零一先生然り。同じ作品で動かせる登場人物なんて、僕は片手分で精一杯です。案外、プロと素人の線引基準は、“同時に動かせるキャラクターの数“なのかも。