【賛美歌13番】もしも悪役令嬢に○○○○○が転生したら【完結】   作:主(ぬし)

9 / 10
感想より抜粋

三芳さん
「読者ももうすっかり頭の片隅に追いやってるけど、第一話を見るにこの世界って乙女ゲームの世界っぽくてエリザベートは悪役令嬢ポジなんだよな…。
主人公からしたらようやく王子を落として悪役令嬢追放イベント終わらせて、このままハッピーエンドかと思いきや死屍累々の地獄みたいなバッドエンドが待ち構えてたわけで。
もうROM叩き割るレベルのクソゲーですわ。」

ありがとう。貴方のこの感想にインスパイアされて、今回の話が出来ました。書いてて楽しかったです。なお、主人公の名前は三芳(みよし)さんの名前の響きを参考にしています。


悪役令嬢(ゴルゴ13)が平民を精鋭兵士に育てて近衛騎士団を圧倒する話 8話

私は今、ゲロを吐きながら、ギリースーツの男(・・・・・・・・)と、目を合わせている。

 

 

 

 

 乙女ゲームの世界に転生した!

 今の私は主人公のミレーヌ。城下町に暮らす、平民のかわいい女の子。だけど実は1000年に一人現れる『聖女』の力を天から与えられていて、真実を見通し、魔物を滅することができるの。

 前世、日本人のOLだった頃の記憶は、散々なものだった。就職したばかりの会社で、冴えない私は奴隷のように朝から晩まで休みもなくこき使われて、過労死寸前だった。あんなに受験に苦労して良い大学を出たのは、こんなところで消耗品みたいに使い潰されるためじゃなかった。頭の中には「どいつもこいつもみんな死ねばいいのに」という呪詛ばかりが渦巻いていた。

 そんな前世の私が絶命するときの記憶は、実は曖昧にしか覚えていない。テンプレみたいにトラックに撥ねられたことでないのは間違いない。覚えているのは、夜の東京のオフィスに一人で残業していたこと、突然そこが激しい一対多数の銃撃戦の応酬に見舞われ、最後には爆撃機が落とした爆弾によってオフィスビルの建つ区画ごと吹っ飛んだことだけ。

 

『つ、ついに奴の伝説も終わる』

 

 ビルの残骸に下半身を下敷きにされた私が意識を失う寸前、いかにも悪役らしい年重(としかさ)の男の声が聞こえ、次の刹那、“ズキューン!”という鋭い銃声にかき消されるのを聞いた。その声の主が崩れ落ちた直後、私の隣にドサリと大きな肉体が倒れてきた。傷ついてなお頑健さを失わない四肢と岩のように険しい顔つきがボンヤリとした視界に映り込む。おびただしい量の血が流れてきて、瓦礫の絵皿(パレット)のうえで私の血と交わる。むせ返るような濃い血の臭いが漂ってくる。獣のような男の血。生まれながらの戦士の血。薄れゆく視界に映るのは、男のゴツゴツとした手が握り締めていた、黒くて大きな銃(ブラックライフル)。私は、物騒な物を握った知らない誰かと添い遂げるような格好で、死んだ。

 

 ちょうどその時、私は胸元にこの乙女ゲームの世界の原作ゲームを忍ばせていた。そのおかげなのか、私はこの世界で、主人公として新しいスタートを切ることが出来たのだ。中世ヨーロッパを模したファンタジー世界を舞台に、主人公の女の子ミレーヌが、身分が異なる貴族や王子様といった容姿端麗な男の子たちと甘酸っぱい恋愛を交わす、大人気の女性向けRPG。私はその主人公、ミレーヌなのだ。そう、主人公(・・・)!消耗品なんかじゃない!私こそこの世界の中心!私がいなくてはなりたたない世界!

 8歳の誕生日に前世の記憶を思い出した私は、さっそく行動を開始した。このゲームは静止画(スチル)が目に焼き付くまでやり込んだから、攻略対象のことは知り尽くしていた。もちろん、ライバル(・・・・)のことも。もうすでに勝負は始まっていた。

 

 エリザベート公爵令嬢(・・・・・・・・・・)

 ジャケ絵には黒いシルエットでラスボスの如く描かれたキャラクターは、この世界において、主人公ミレーヌの恋路をことごとく邪魔してくる恋のライバルにしてヒール的存在の女の子だ。同い年の王子とは幼い頃からの許嫁という設定だ。国王に次ぐ権力を持った公爵家の権威と、類稀なる魔力を秘めた才能を傘にしてやりたい放題のワガママお嬢様は、見た目は完璧な美少女には違いなく、周囲からは“薔薇姫”と呼ばれている。天真爛漫で正直者の主人公とは正反対の高慢ちきで腹黒なお嬢様で、フリードリッヒ王子の前ではお淑やかな女の子を演じて、その裏では主人公に陰湿な嫌がらせをしてくる。「おーほほほほほ!」という高笑いが聞こえるたびに、プレイヤーたちはムカッとした感情を抱いたものだ。子どもじみた性格だけど、高い教育のおかげで知恵は回るし、取り巻きも多い。嫌な意味で、とっても女らしいキャラクターだ。

 私が前世で一番の推しだったのは他でもないフリードリッヒ王子。そしてこの新しい人生でも、私が狙うのはフリードリッヒ王子一択だ。オレサマ系男子だと、フリードリッヒの友人で騎士団長の息子であるユーリと性格設定がちょっと被っているんだけど、見た目のキラキラ感と、実は寂しがり屋や性格が私のツボにハマったのだ。王子さまと結婚すれば私は自動的に王女さまになり、権力も持てるし、贅沢もできるようになるというわけだ。それに、ユーリは『女嫌い』という設定があって、攻略がちょっと面倒くさかったりする。RPGのキャラとしてはステータスが高くて使い勝手がいいけど、面倒くさいのは願い下げだ。なにより騎士団長の息子と結婚したところで旨味はあんまり無さそうだった。

 ということで、フリードリッヒの許嫁であるエリザベートはまさに私にとってライバルというわけだ。でも、私には原作の知識がある。この世界がこれからどうなっていくのか、世界情勢からキャラクターの生き死に(・・・・)まですべてをイベントとして知り尽くしている。この知識を活かせば、すべては私の思うがままだ。神になったも同然だ。

 私は万能感を胸に秘めながら、そのことを周囲にはおくびにも出さず、あくまで健気な平民の女の子を装って行動した。純粋無垢な女の子を演じるのは疲れると思ったときもあるけれど、王子様にチヤホヤされる日のためだと思えば忘れられた。

 ある時は、お忍びで平民街をお散歩しているフリードリッヒ王子に親切にしてあげて、純粋無垢な表情と仕草で接したり。ある時は、フリードリッヒ王子の馬車が通り掛かるタイミングを見計らって、あらかじめ私が仕掛けていた紐につっかかって転倒した不運なお年寄りに親切にしたり。極めつけに、王子が入学してくる貴族学校に入学するために勉強も頑張った。とはいえ、もともと高学歴だった私にとっては中世世界のレベルの勉学はへそで茶を沸かすような内容でしかなく、この世界独自の歴史と法律と魔法の基礎理論について理解してしまえば、上の下ほどの成績に調整(・・)して合格することなんか苦でもなかった。

 

 

 この世界という盤上で駒を動かしているのは、間違いなく私だった。

 私はプロのチェスプレイヤーになったかのような自負と自信に充溢していた。

 すべての選択に手ごたえがあり、すべてのルートが順調だった。

 そう、あの日(・・・)までは。

 

 

 王都に暮らす子どもたちは、10歳になると『神の加護』が与えられる。ただし、“与えられる”と言っても、それはこの世界の最大宗教である聖教会の権威を保つための方便だ。実際は人間は生まれたときからすでに何かしらの加護が与えられていて、大司祭は古代の秘宝である巨大な水晶球を通じて、その子どもにどの神さまの加護が備わっているのかを見て、それをいかにも自分が付与したかのように仰々しく発表するだけだ。

 

(でも、『聖女』の私にはお見通しなのよね)

 

 心のなかであざ笑う。この世界で唯一、神から『聖女』の加護を与えられた私だけが、肉眼でそれぞれの加護の正体を見破ることができる。姿を隠していようと私にはステータスまで看破できるのだ。こういった、本編とはあんまり関係のないちょっとダークな裏設定だって私は知っている。4冊も発行されたファンブックをすべて熟読したからだ。

 平民も貴族も関係なく、王都に住まう子どもたちが聖教会の大ホールに一堂に会している。ホワイトウッドの鏡板張りの大ホールは、ゲームでも細部まで描き込まれていて見事だったけど、生で見るとさらに荘厳だ。

 ここで、すべての子どもたちの一番最初に水晶球の前に立つ栄誉を浴するのがエリザベート公爵令嬢だ。10歳とは思えない厚化粧をして、無理やり背伸びしたハイヒールを履いて、見るからに高そうな服と装飾品を身に着けて、金長髪をギラギラさせながら子どもたちの列の間を偉そうにな態度で歩いていくエリザベートのスチルが目に浮かぶ。ここでエリザベートは、大司祭に金を握らせて、自分が最高の美の女神の加護を受けていると嘘の発表をさせるという流れが生じるはずだ。そのことを知っている私は内心に怒りを覚えながら、それを顔には出さずに平民たちの集団に紛れていた。私はちょうど大ホールの中央、エリザベートが通るだろう通路に面するところに立っている。ここでライバルの顔を見てやろうという寸法だ。

 

(……なんか、空気がおかしいわね)

 

 ホールの後ろ側におしくらまんじゅう状態にされている平民の私たちは座ることも出来ないが、貴族は親も同伴が許され、贅沢なマホガニーの長椅子が用意されている。だけど、なんだか雰囲気が奇妙だった。あんなに広々とした椅子で柔らかそうなクッションに腰を下ろしているのに、貴族たちはみんな肩をピンと固く強張らせて、いかにも居心地が悪そうだ。なかには首筋まで青ざめている貴族もいる。こんな描写は原作ゲームやファンブックにもなかったはずだ。

 

「え、え、エリザベート公爵令嬢の、お、御成(おなり)でございますっ」

 

 緊張を隠せずに不自然に抑揚する教会関係者の声が大ホールに響いた。ザワリと貴族の子どもや親たちに感情の波が走ったかと思いきや、弾かれたかのようにズバッと音を立てて一斉に立ち上がった。一瞬で空気がピリッと引き締まり、気温までグッと下がったような不安感が足先から這い上がってくる。落ち着かない様子だった平民の子どもたちですら喉を詰まらせたかのように一瞬で押し黙り、大ホールは鼓膜が突っ張るような沈黙に満ちてシンと静まり返った。

 

(こ、これは、いったい)

 

 

───カツン(・・・)

 

 

(ッッッ!!??)

 

 視界の最端で金髪が翻るまで、私は彼女(・・)の接近に気づけなかった。否、誰も気づけていなかった。

 

 いつのまに?いつから?どうやって?

 

 答えのない疑問をあざ笑うかのように、ヒールが大理石を蹴る硬質な音が大ホールの空気を微震させる。空間に金色の尾を引いて、彼女が通路を歩いていく。顔を俯ける私にはそれしか見えない。好きで床を見つめているんじゃない。頭を上げることが出来ないのだ。

 恐怖のあまり目が勝手に潤む。直視してやりたいのに、直視できない。本能がそれを頑として拒んでいる。皮膚の下の神経がザワザワと震える。横隔膜が勝手に上へ上へと迫り上がり、呼吸を圧迫する。荘厳だったはずの空間が、一転して悪夢のような寒々しい空気に取って代わられていた。

 

(これが───エリザベート───!?)

 

 逃げ出したい衝動は耐えず湧き上がってくるのに、身体は根が生えたみたいに動こうとしない。ライオンやクマと目を合わせることを恐怖しているような、原始時代から蘇った被捕食動物の胸騒ぎが私の行動を強制的に縛り付ける。“逃げろ”と叫ぶ肉体と“動くな”と呻く脳みそが相反して板挟みとなった私は硬直することしか出来ない。命の危機を訴える本能がせめぎあい、役に立たない矛盾した指令を狂ったように発するばかりだ。

 違う。こんなストーリーじゃなかったはずだ。こんな流れは原作にはなかった。こんな描写も、設定も、私の記憶にはない。エリザベートは、こんな迫力(・・)を撒き散らすキャラクターじゃなかったはずだ。

 

「え、え、エリザベート公爵令嬢。よ、よく来てくれた」

 

 大司祭の声も緊張に裏返っている。その司祭の言葉に、エリザベートはにべもなく応えない。差し出された握手を求める手にも応えない。それはとてもとても非礼なことのはずなのに、誰も咎めようとしない。咎められる人間がいない。息をするのも躊躇うような気まずい沈黙が全員の肩にのしかかるなか、誰かがおずおずと大司祭に耳打ちをする気配がした。

 

「あ、ああ。そうか、君は握手をしない主義だったな。いやいや、いいんだ。いいんだよ。さサ、さあ、水晶球の前に立ちなさい」

 

 この世界では十分に高齢とされる60代後半の大司祭が、8歳の少女に対して明らかに恐れおののき、子犬のように怖気づいている。まるでいきなり爆弾を解体することになった素人のように情けない。そのことを貴族の誰も笑うこともせず、不審に思うでもなく、むしろ少女と面と向かい合うことになった大司祭を気の毒そうに遠目に見ている。この大司祭の反応は、貴族社会では当たり前のものなのだ。あの少女に戦慄しない人間は、いないのだ。

 

 違う(・・)。違う、違う、違う。エリザベート一人だけ、世界が違う(・・・・・)

 まるで作風も画風もまったく異なる作品のキャラクターが紛れ込んできたかのような不躾で異質な存在感の塊が少女の皮皮(ひかわ)を被っている。あんな少女がいていいはずがない。あんな目をしていいはずがない。“世界には捕食者(じぶん)被捕食者(じぶんいがい)かしかない”なんて完璧に割り切った目は、たった8歳の女の子のものじゃない。人間の顔を見ているけど、()()()()()()()()()()。ギロチンの刃がそのまま目玉になったようだ。

 

「さ、さあ、エリザベート公爵令嬢。君の守護神を見てしんぜよう」

 

 大司祭の震える声が聖堂に響く。直後、聖なる水晶を覗き込んだ彼がうめき声ともとれない悲鳴をあげてザッとすり足で後ずさった。唇からみるみる血の気が引いて濃い紫色に色落ちしていく。

 

「大司祭様………どうかなさいましたか………?」

「え、あ、う、あ、ああ、ああっ!ああ、そうだとも!ききき君の守護神は、イバラ(・・・)の、い、いや、バラの神だ!そう、バラのように美しい女神だ!そうだとも!」

 

 そう言って賞詞を授ける大司祭の顔はこれ以上ないほどの恐怖に引きつり、青ざめきっていた。エリザベートは今にも気絶しそうな大司祭を念押しをするような一瞥で刺し貫いたあと、コマのようにするりとその場で踵を返して去っていった。エリザベートは周囲に目もくれることもなく、悠然と私の真横を歩いていく。このエリザベートは、公爵家(じっか)の権威を笠に着るなんて考えてもいない。何者にも縛られず、己の流儀と道徳律にのみ従っていることがその決然とした足取りから伝わってくる。

 地面に突き立っているかのように腰のブレない強靭な体幹と、つま先を少し浮かせて踵を強く踏み、足裏を必要最低限しか持ち上げない摺り足のような足運びは、淑女の礼儀作法というより武の達人のそれを連想させる。視界の端をはためくドレススカートの裾が過ぎていく。手を伸ばせば触れることができそうなほどの濃密な殺気が小さな背中から滲み出ていて、現実の冷気となって床を這っている。あてられた(・・・・・)子どもが白目をむいてぐらりと気絶する。

 私はその顔を直視することもできず、目を伏せたまま、全身を汗でぐっしょりと濡らし、一刻も早くこの女が立ち去ってくれることを願っていた。

 大司祭は嘘をついた。いや、言えなかった(・・・・・・)

 たしかに、原作ゲームではエリザベートは“黒バラの美姫”という二つ名で呼ばれていた。エリザベートの守護神は“花の女神”だったし、有り余る魔力で薔薇を操っていたりした。でも、このエリザベートは、違う。聖女の私には、見えた(・・・)のだ。ギシリギシリとむき出しの関節を軋ませながらエリザベートの後ろを歩く神の姿が、私には見えてしまったのだ。

 奥歯がガチガチとかち鳴る。激しく吐きだす息が白い靄となる。ボタボタと恐怖の涙を落としながら、私はエリザベートの背後を聖女の力で透かし見る。

 

 茨の冠を頭に戴く(・・・・・・・・)白骨の男(・・・・)

 アレがエリザベートの守護神。アレがエリザベートの正体(・・)

 

 

(排除しなくては!!)

 

 私は唇に血を滲ませて決意した。原作のあつかましくて小賢しいエリザベートとはまったく違う。もっと悪質なものだ。あれはバグ(・・)だ。脅威だ。なんとしても打倒しなくてはならない。私の盤上から排除しなければならない。そうしなければ私の希求する幸せは手に入らない。

 でも、現時点ではただの平民に過ぎない私にはそんな力はない。私はたしかに未来の『聖女』だし、原作でもその力で暴走したエリザベートを返り討ちにしているけれど、そうなることを悠長に待っていようとは到底思えなかった。ヤラなければヤラれる、という危機感と焦燥感が全身を駆けずり回っていた。

 この日この瞬間から、私の新たな人生にもう一つの明確で困難な目標が生まれた。不気味で強大なエリザベートを速やかに私の世界から掃滅するという目標が。そのために私は持てる全てを投入した。私にはこの世界(ゲーム)の知識がある。チェスの駒を握っているのは、私なのだ。

 

 幸運なことに、このあとの世界の流れは原作ゲームのとおりに進んだ。学園でイベントの起こる時期も内容も同じだった。目には見えないけれど、フリードリッヒからの好感度が日に日に上がっているという手応えを感じていた。私は頭のなかの攻略本に従ってストーリーを誘導してやるだけでいい。エリザベートの婚約破棄と追放シナリオさえ実現させれば、あの女は実家の公爵家ごと没落し、私の目の前から消えてくれる。

 

 

 

「え、え、え、エリザベート!おおおおおおおおお、お前はいったい、なんなんだ!?」

 

 

 

 いなくならなかった(・・・・・・・・・)

 あの女は規格外だった。文字通りの無敵だった。シナリオに沿って学園から追放されるイベントを起こした。戦闘ステータスがもっとも強いユーリをけしかけた。それでも、何の痛手を負わすことも出来なかった。フリードリッヒ王子は小便を漏らして気を失うという大醜態を晒して、役立たずのユーリは死にかける羽目になった。エリザベートは、原作では持て余していたはずの魔力を自分の肉体に全投入することで超人的な膂力を身に着け、それを十全に使いこなしている。ユーリが歯が立たないのも当然だった。

 あの女の底の知れない不気味さが私の選択肢を狭めた。絶対の優位にいるはずなのに、エリザベートを相手にすると私の行動は制約を課せられた。あの女がどこまで見通しているのかわからない以上、下手な策略を練って貶めようとすれば、それを逆手に取って私にまで辿り着く恐れがあった。あの化け物に追い詰められてしまえば、いくら『聖女』でもひと捻りに違いない。想像するだけで血が凍りつく。

 今のままじゃ駄目だ。もっと強力な手段をとらないといけない。乙女ゲームのやわな対処では勝てない。

 

 

「フリードリッヒ様ぁ。こんな法律があったって、ご存知でしたぁ?」

「ん?どうした、我が愛しのミレーヌ」

 

 もはや身体に馴染んだ猫なで声で、私は古い法律書を大きく広げて王子の前に差し出す。

 

「これは……『騎兵合戦』……?」

「偶然この本を読んでたら偶然この法律を見つけたんです。“領兵を用いた代理決闘”だなんて、なんだかすごい法律ですね~」

 

 嘘だ。現代知識の化粧技術で目の下のクマを巧みに誤魔化しているだけで、本当は三日三晩、図書館で徹夜して見つけ出したのだ。はっきり言って、単騎でエリザベートに勝てる人間はいない。水牛のような体格の木強漢をぶつけても勝てるイメージが湧いてこない。たしかに、原作でのエリザベートの魔力量は最高クラスという描写があった。けれど、ユーリを一撃のもとに叩きのめしたあの戦闘力は、紛れもない純粋な技術(・・)によるものに違いなかった。どれほど激しい修練を積み重ねればあの粋に達せるのか想像もつかない。あの死神の鎌のような体術に魔力のブーストがかけられたなら、もはや鬼に金棒どころの話じゃない。

 

(だから、軍隊(・・)をぶつけてやる)

 

 バカ正直に一対一で戦う必要なんかない。個人では敵わないとしても、数の力で押しつぶせばいい。こっちは王子様の権力があるんだ。エリザベート個人をどうにもできないのなら、実家の公爵家ごと完膚無きまで失墜させればいい。強引な手を使ってでも、二度と私の理想世界の舞台に上がってこられないところまで蹴落としてやる。そのためには多少の血が流れようと知ったことじゃない。私以外(モブキャラ)の血がいくら流れたって、どうでもいいことだ。

 

「なるほど……この手があったか!さすがは我が天使ミレーヌだ!よくぞ見つけてくれた!では、さっそく俺の直属の私兵たちに参集をかけよう。公爵家の兵士どもと十分戦えるくらいには精鋭だし、数も同じくらいは揃えられる」

 

 何を甘いことを言ってるんだ、このお坊ちゃんは。思わず怒鳴り散らしたくなる衝動を、奥歯を噛み締めてぐっと抑え込み、いかにも無知で思慮の浅そうな女の子の笑顔をむりやり顔面上に再現する。

 

「でもでも、この法律をずっと読んでみても、取り決め(・・・・)には言及されていないみたいなんです」

「取り決め?」

「はい。“両者が同じ兵力でなければならない”って取り決めです」

 

 フリードリッヒの表情がハッと緊張を帯びる。

 

「ということは……」

「えーっと、私は難しいことはよくわからないんですけれど、圧倒的な戦力差(・・・・・・・)を用意したとしても、法律上はなんら非難される謂われはない、ってことかもしれませんね~」

 

 頬に人差し指を当てて斜め上を見つめながらそう言った私の前で、ようやく私が言外に言わんとしていることを察した王子の顔がさっと青ざめ、一瞬の後に鋭い笑みに取って代わられた。狂気すら滲んだ笑顔が顔いっぱいに広がっていく。これでいい。これでエリザベートを叩き潰せる。あの女を相手に、出し惜しみなんて無用だ。私のチェス盤からさっさと排除してやる。

 数日後、顔を合わせたフリードリッヒは、少しやつれていたものの、それに倍する強い意志を漲らせていた。ただしそれは、覚悟を決めた男の顔というより、あとには引けないところまで追い詰められて開き直ったガキの顔だった。

 

「父上───国王陛下に、近衛師団をかき集めて貸してもらうようお願いをした。言われたよ、“これが最後だ”と」

 

 一人息子に甘かった国王がついに最後通牒を突きつけたわけだ。そしてフリードリッヒも、それが最後通牒だということを理解したということだ。国王からすれば、“ここまでやるのならもう終わらせろ”と言いたかったのだろう。エリザベートの底知れない脅威は国王も理解しているはずだ。敵に回すことがどれほど恐ろしいことか、知らないはずがない。そんなエリザベートと明確に敵対するというのなら、長引かせず、完璧な勝利でもって決着をつけなければならない。中途半端な勝利ではダメだ。相手はあのエリザベートなのだから。

 後世の歴史家たちは、たった18歳の少女にそこまでするかと過剰に思うだろう。あの女をじかに目にしたことがない、無責任な立場だから言えるのだ。

 

「フリードリッヒ様、お可哀そうに!エリザベート様のせいで大変な思いばかりさせられて、フリードリッヒ様はなにも悪くないのに……!」

 

 私はさっとフリードリッヒの胸に飛び込んで彼を抱きしめた。私は、私のために恥を忍んで行動したこのキャラクターに隠しきれない愛着を感じていた。私の手のひらの上でくるくると踊る美少年の苦悶に、私は胸に押し付けた顔をにんまりと笑みの形に歪ませた。腰がゾクゾクと震え、下半身が疼く。なんて愛おしい、馬鹿な男の子なんだろう。

 そんな私の真の感情など知る由もないフリードリッヒが、私のうなじの髪の毛を口元に持ち上げて熱っぽく囁く。

 

「我が愛しのミレーヌ。合戦当日は君も来て欲しい。普通、こういう場合に平民が随従することは許されないが、俺の傍付きの侍女としてなら君の観戦も問題ないはずだ」

「わ……わかりました。もちろんですわ、フリードリッヒ様。ご勇姿をしかと目に焼き付けさせていただきます」

 

 本心では行きたくなんかなかった。自分が水を向けたとはいえ、男たちの野蛮な殺し合いを鑑賞する趣味なんて無い。勝手にやっていればいい。でも、エリザベートの屈辱と絶望に沈む姿を眺められるのなら、行ってやってもいい。この時、私は自分の勝利を疑ってなどいなかった。自らのチェックメイトを信じていた。美しく刈り揃えられた平原の戦場を舞台に、私とエリザベートの対決は終わりを告げるのだ。

 

 

 

「ユーリ───」

 

 

 

 騎士団長の呆然とした呟きが耳にこびりついていた。力なく大地に四肢をついた彼が見つめる先に、ユーリはもういない。きっともう、原形なんて留めていない。

 チェス盤はひっくり返っていた。私がそそのかして組織させた史上最強の騎士軍団は、惨敗を喫していた。惨敗なんて次元じゃない。ボロ負けだった。ズタボロだった。地獄だった。文字通り、一兵も残らず全滅だった。

 血の臭いが漂ってくる。木々が焼ける臭いに混じって、生き物の肉が焼ける焦げくさい臭気がつむじ風に乗って鼻腔を突き上げてくる。このなかに、顔を知っているユーリの肉片から発せられたものがあると想像してしまった瞬間、不快が頂点を越えた。内臓が狂ったポンプのように誤作動を起こして胃液が勢いよく逆流し、私は足元の草むらにゲロを盛大にぶちまけながら膝をついた。

 

「酷すぎる………え?」

 

 ゲロを浴びて異臭を放つ雑草に何気なく目をやり、そしてギクリと総身が硬直した。

 

 目が合った(・・・・・)

 

 草の形をした人間(・・・・・・・・)の一対の目が、私を凄まじい眼力で睨み付けていた。限りなく訓練された獣の目つき。人間より人間らしい獣の目つき。

 目と鼻の先から明確な殺意を突きつけられ、全身の毛穴から汗が噴き出る。こんなに近くにいたのに、どうして気が付かなったのか。幻覚だと思いたかったのに、兵士が構える鉄筒(ライフル)の銃口はこれが紛れもない現実だと私を威嚇している。緑のまだら模様に塗られた唇が声のない言葉を発する。

 “動くな、喋るな、さもないと殺す”。

 殺気が目に見えるなんて、知りたくもなかった。実像のない手が私の喉輪を締め付ける。これほど“死”を身近に感じたことはなかった。

 その時、生存本能に刺激された私の聖女の力が発動した。私の頭のなかでレーダーのような画面が展開し、周囲一帯を自動で索敵する。そして、ようやく理解し(わかっ)た。一見すると何者もいないはずの草原に、何人、何十人もの姿の見えない男たちが潜んで、私たちを一分の隙もなく取り囲んでいた。何の変哲もない草むらにしか見えない景色に、姿と殺気を巧妙に隠した兵士(・・)たちが完璧に溶け込んでいる。前世でもたどたどしくしか知らない知識だけど、男たちが身を包んでいるのは───完全迷彩服(ギリースーツ)に違いなかった。

 なんということだ。私たちは、この戦いが始まる前からすでに負けていたのだ。自らがチェスプレイヤーだと思いこんでいた私こそ、ただの盤上の駒に過ぎなかったのだ。

 私は身を潰すような後悔に絶望しながら、永遠とも思える時間、目の前のギリースーツの男に射抜かれ続けるしかなかった。




他作の宣伝になってしまいますが、ビッグ・オーのロジャー・スミスが悪役令嬢に転生した『悪役令嬢に転生した交渉人(ネゴシエーター)のお話』という小説を先々週に投稿しました。そちらも読んで頂けると嬉しいです。それでは、2021年もよろしくおねがいします。

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