1年間の東京生活を終え、地元に帰ってきた来栖は、ふたたび転校という形で別の私立高校に入った。かつて通っていた高校は退学処分になっている。冤罪が発覚したとはいえ、当時のことを思い出すと元の学校に通う気にはなれなかったのである。
とはいえ、全国ニュースで冤罪が発覚し、次期首相とまで呼ばれた男のスキャンダルの目撃者であり、被害者を助けようとした善良な高校生だと周知の事実となっている。いくら未成年を盾に匿名だとしてもかつての退学処分を食らった人間が1年で帰ってくるなど調べればすぐに分かってしまう。
興味本位の視線が多い中、培ったライオンハートで来栖は三年生を迎えることになった。いまさら退学時にやめた部活を行う気はない。アルバイトにでも精を出すかとぼんやり考えながら挨拶を終えた来栖は、窓際の席に移動した。
「君は」
「久しぶりだね、来栖君」
『おー、マジかよ、杏殿の親友、志帆じゃねーか!』
「あはは、こっちでも黒猫つれてるんだね」
「ああ。それより、鈴井はもう大丈夫なのか?」
「うん、って言いたいところなんだけどね」
まだテーピングをしているのは、違和感があるからなのだろうか。懸命の闘病生活も甲斐あって日常生活が送れるまでに回復したと杏が喜んでいたことを来栖は思い出す。バレーがまたやりたいと思えるまではマネージャーをしているんだ、と彼女は近況を教えてくれた。
一瞬、誰かわからなかった。トレードマークだったポニーテールをばっさりと切り、ショートカットになっている少女は、その笑顔でようやく思い出すことができた。鴨志田の度重なる体罰と性的関係の強要に耐えきれなくなり、自殺を試みた鈴井志帆、その人である。
「まだお礼をいえてなかったな、ありがとう」
「ううん、いいの。来栖君が、ううん、来栖君達がやってくれたこと、私、わかってるから」
志帆は笑う。お礼を言うのはこちらの方だと。暴力事件という冤罪を証言できるのは、某政治家に楯突くことができなかった、来栖に助けを求めていながら手のひらを返して罪をなすりつけた女性しかいない。
1年も前の事件の関係者を見つけ出し、名前を調べ、どこに居るのか調べてくれたのはほかならぬ彼女なのだと杏から来栖は聞かされた。実際に裁判の証人としてきてくれるよう仲間達が懸命に説得してくれた。
「でもまさか、同じ学校だとは思わなかったな」
「ほんとだね」
『よく考えたら、あの女性がどこに居るのかわかるってことは、暁の地元にいねーとできねえよな。なんで気づかなかったんだろ』
モルガナのぼやきに来栖はなるほどとこっそり同意した。
「今年一年よろしくね」
「ああ、よろしく」
隣の席なのも何かの縁だろう。
「髪、切ったのか?」
「うん、ここに来るときに思い切ってね。変かな?」
「いや、似合ってる」
「ありがとう」
ふふ、と志帆は笑う。周囲の視線が集まっていることには志帆も気づいているだろうに、戸惑う様子もない。どうやら鴨志田の件について、だいぶ落ち着いて考えることができるようになったようだ。もしくはこの学校だと事情が事情である、伏せているのかもしれない。来栖は志帆との関係を近くの男子に問われたとき、慎重に言葉を選ぶことにしたのである。
志帆に誘われ、中庭にやってきた来栖は近くのベンチに座った。
「あのね、杏に聞いたの。来栖君たちが怪盗団を続けようと思った理由って、バイキングに行ったからってほんと?」
来栖は静かにうなずいた。
「あのとき、ほんとはやめるつもりだったんだ」
「そうだよね、あの人のことは、うん、来栖君も退学かかってたもんね。わかるよ」
「打ち上げで、あのビュッフェ食べに行って、俺は獅童に会った」
「そうなの?!」
「ああ、今思うとすごい偶然だと思う。杏から聞いてるんだってな、メメントスとか、シャドウとか」
「うん。来栖君が改心させてくれたの、そのおかげなんだよね」
「あのとき、同じホテルで獅童は賛同者にメメントスやシャドウについて話して、悪用することを提案したらしい。その帰りのエレベーターで俺たちは偶然会ったんだ。正直、あれがなかったら、俺は怪盗団を続ける気にはなれっこなかった」
「そうなんだ・・・・・・なんだか不思議」
「もともとは、杏と一緒にいくはずだったんだろ?」
「うん。私がこんなことになっちゃって、でもキャンセルの日はすぎてて。代わりに来栖君たちと行ってくれたんだね。そっか。そうなんだ」
「そういう意味では、鈴井は俺達の後押しをしてくれたのかもしれないな」
「そう言われるとなんだか照れちゃうな。ありがとう、来栖君。貴方がきてくれて本当によかったよ。できることなら、もっとはや、ううん、ごめん。そんなこと言っちゃだめだよね。忘れて」
「ああ、聞かなかったことにする」
「ありがとう。話、聞いてくれて」
「話くらいならいつでも」
「ありがとう、ほんとに来栖君は優しいね。杏の言ったとおりの人で安心しちゃった」
ふふ、と志帆は笑う。
「今度ね、杏と一緒にご飯食べに行くの。来栖君達と一緒に行くのも楽しいかもしれないね」
「そうだな」
「来栖君て甘いの好きなの?杏と一緒に行ったんだよね、ビュッフェ」
『杏殿ほどスイーツ三昧はワガハイもうゴメンだぞ、暁。ワガハイ、寿司がいい、寿司!』
「どうしたの?」
「モルガナは寿司がいいみたいだ」
「あははっ、その子、モルガナっていうんだね。そっか、お寿司かあ。それならバイキングの方がいいかもしれないね。お金たくさん貯めなきゃ」
たわいもない話をしながら、来栖たちは昼休みを終えた。休み時間、昼休み、志帆の周りには友達が絶えない。来栖との関係を勘ぐるからかいに彼女は違うよと笑いながらやんわりと否定する。来栖君に迷惑だからやめてと言いながら、ごめんねという視線を投げてくる。来栖の中のイメージが少しずつ本来の彼女で上書きされていくのを感じながら、来栖は初めての授業になれるべく教科書に目を通した。
放課後になり、志帆は同じジャージ姿の女子生徒に呼ばれて教室を出て行く。今日はバレー部の交流試合があるらしく、その準備にかり出されるそうだ。じゃあね、また明日、と手を振りながら屈託のない笑顔を浮かべて去って行った志帆を見届けて、来栖はどうすべきか考える。SNSには転校初日の感想を今か今かと待っている元メンバーの面々がいる。来栖は杏にだけメッセージを投げた。
『おどろいた?』
杏の顔文字は笑っている。
『知ってたのか』
『いつ気づくかなーって思ってたけど、全然気づかないんだもん。面白すぎていうタイミング逃すって普通!暁もモルガナも全然気づかないんだもん』
『モルガナに言われて気づいた』
『やった、ジョーカーの裏をかけたね!』
得意げな顔文字が踊っている。
『ほかのやつに言っていいか?』
『うん、いいよ。大丈夫。というかみんな知ってる。あの人説得するのに、一番頑張ってくれたのが志帆だったから』
『そうなのか』
『うん』
『わかった』
とりあえず来栖は今の今まで誰も教えてくれなかったことを嘆く文面を投下する。タイムラインがあっという間に流れていく。みんな、今か今かと心待ちにしていたらしい。どーだ驚いたかと聞いてくるほほえましい言葉達が並ぶ中、来栖はチャイムがゆるやかな下校を促すことに気づく。
担任から呼び出されていたはずだ、そろそろ行かなくては。また後で、と投げる前に、まーた転校初日に遅刻か?と共犯が冷やかすコメントが表示されたので、来栖は無言でこないだ約束したゲームの貸し借りをなしにすると無慈悲に告げることにした。ぎゃーっとスタンプが乱舞する中、来栖はスマホを切る。そして教室を後にした。
今回の担任は、なんというか生徒と仲良くなろうとするあまり、距離が近すぎてなめられている先生だった。ちゃん付けだったり、あだ名だったり、その地方特有の方言をよくネタにされるものの、慕われているけれども尊敬はされていないことがよく分かる先生だった。
これが女性ならいうことなかったのに、とモルガナがぼやくのを心の中で大いにうなずきながら、教室を後にする。志帆に続いて、来栖である。訳ありだらけの生徒だから心配性気味の先生はこれからやっていけそうか、なにかあったら相談にのるから、と保健室の先生でも言わないような言葉をかけてくる。今までの待遇を思うとむず痒くなるが、これもそのうちうざくなってくるに違いない。
来栖が校門に出ると、志帆が違和感の残る足を気にしながら歩いているところだった。友達だろうか、マネージャー姿の女子生徒が鞄をもって隣を歩いている。親しげに会話している。さすがに邪魔する気にはなれず、行き交う生徒の中に紛れていこうとした来栖だったが、校門前に止まっていた車をみた志帆が手を振るのが見えた。
ぺこりと頭を下げた友達と志帆が会話をしている。窓が開く。若い男性だ。志帆とどこか似ている。親戚だろうか。突然の転校だ、両親の仕事を考えると親戚の元でお世話になっているのかもしれない。志帆はどこかうれしそうに笑っている。男性恐怖症になっていないか、心配だったが大丈夫そうだ。横切ろうとしたとき、志帆に声をかけられた。
「あ、来栖君。帰り?」
「ああ、そうだけど。鈴井も?」
「うん」
「志帆、友達かい?」
「うん。ほら、前言ってた、学校の友達。来栖君」
「ああ、あの」
そこにいるのは担任くらいの男性だった。
「ああ、君が来栖君か。志帆や杏ちゃんから話は聞いてるよ。学校に通えるようになってよかったね」
「ありがとうございます。えっと?」
「ああ、ごめんごめん。僕は御子柴良紀、志帆の従兄弟なんだ。今、志帆は僕の実家から学校に通っててね。ちょうど近くを通りかかったから。どうする、志帆。乗る?」
「いいの?」
「いいよ、今日はノー残業デーだったからね」
「やった、ありがと」
「来栖君もどうだい?あっちの高校通ってたなら、こっちは結構遠いだろ?」
『こりゃ杏殿志帆の親戚だからって、結構暁やワガハイのことしゃべっちまってるなこれ』
来栖は苦笑いした。
「ありがとうございます」
「ああ、どういたしまして。これも何かの縁だ、志帆と仲良くしてやってくれ」
「はい」
来栖と志帆を乗せた車はゆっくりと走り出したのだった。
来栖が御子柴を見かけたのは、数週間後の帰り道だった。いつもの遠回りな通学路を歩いていると、いつぞやのスーツとはちがい、コンビニ帰りなのかどこかラフな格好をしている。ビニル袋を下げているから、きっと買い物の帰りなのだろう。志帆の住んでいる御子柴の実家と反対方向にあることを除けば、だ。あまりにも遠回りな買い物である。やあ、と笑いかけた御子柴に、お久しぶりです、と来栖は返した。
「君はたしか、来栖君だったかな」
「はい。えっと、御子柴さんでしたっけ」
「ああ、そうだよ」
「どうしてここに?」
「そうだね、散歩かな」
「散歩?」
「散歩」
「こんな時間に?」
「こんな時間だからさ。今日は夜勤明けで休みなんだ」
「そうなんですか。おうち、反対方向なのに?」
「まあね、考え事するには散歩が一番なんだ」
御子柴はすこし苦笑いを浮かべる。しばし言葉を探して沈黙したあと、なにか考えるようなそぶりを見せた。そして、意を決したように、来栖に問いかける。
「ひとつ聞いていいかな、来栖君」
「なんですか?」
「志帆のことなんだが、前の学校でもあんな感じだったか?」
「えっと」
「答えにくい質問ですまない。実は、その、なんていったらいいんだろうな。志帆があんな風に元気になったのは、なんというか突然なんだ」
「突然?」
御子柴はこくりとうなずく。
「突然人が変わったように明るくなってしまってな、正直僕は無理してるんじゃないかって心配してるんだ」
「でも御子柴さんにはうれしそうに笑ってましたけど」
「だからなおさら心配してるんだ」
「というと?」
「昨日まであの男と同じくらいの背丈の男が近づくたびに、体が拒否反応を示してた女の子が、次の日には普通に挨拶してきて、学校まで送ってくれ、なんて笑いかけてきたらどう思う?」
「それは」
「これでも親戚づきあいは長い方なんだ。ごめんねって青ざめた志帆を見て、実家を出ないといけなくなったって僕は困らないさ。それが突然あんな感じなんだ。正直、志帆の精神状態が心配でならない」
御子柴はためいきをついた。やはり鴨志田が残したトラウマは深刻なようだ。志帆を気遣い、実家をでようという話でまとまりかけた次の日から、突然志帆は人が変わったかのように明るくなったという。大丈夫だというアピールもかねて、かつての年の離れたお兄ちゃんのように無邪気にじゃれついてきたりもしたという。
年頃になり、照れることを覚えて、距離が離れていたというのにだ。さすがに御子柴の実家は志帆の家に連絡を入れ、すぐにカウンセリングの先生のところに通ったり、話をきいたりしたのだ。だが、驚くほどの速度でトラウマとおぼしき症状を克服し、自身に起きていたことを明確に客観視して受け入れてすらいる。
忘却などの防衛本能が働いている兆候もない。いったいどうしたんだ、と聞いても、もう大丈夫だからとしかいわないらしい。
来栖は脳裏に浮かぶ志帆の笑顔を思い出す。どう見ても演技にはみえなかった。それを伝えると、僕もそう思う、と御子柴はうなずいた。
「だからなおさら混乱してるんだ、みんな」
「そうなんですか」
「いきなり重い話をしてごめん。ただ、杏ちゃんが君をずいぶんと頼っているようだからついね。志帆のこと、気にかけてやってくれないか?よかったら」
「俺にできることなら」
「ありがとう、すまない」
御子柴と別れた帰り道、来栖はあたりに人影がないことを確認して、公園に寄った。突然、スマホのブザーが鳴ったのだ。開けてみると、あの夜以来アイコンをタッチしても反応しなくなってしまった、異世界ナビが反応しているではないか。ぎょっとした来栖はあたりを見渡す。世界はまるで夜のように暗くなっている。ずっと向こうの空に月が傾いているのが見えた。
「なんだこりゃっ!?」
メメントス消失と同時に存在理由を失い、ただの猫に転生したモルガナだが、この異世界はメメントスと似たようなエリアらしい。久しぶりに二足歩行になっていることに気づいたモルガナは、首元がスースーするとわらった。
「モルガナ、これやるよ」
差し出されたのは、怪盗団ブームの時に流行ったロゴ入りのスカーフだ。
「えええっ、ここは返してくれる流れだろー?」
「これはモルガナが俺にくれたんだろ、返すのはなしだ」
「えー。じゃあつけろよ、ジョーカー」
「これをか?」
「そーだよ。ワガハイだけじゃ不公平だろ」
「わかったよ。小さいから腕にでもつけとく」
「にゃはは、忘れるなよ?さーて、どう思う、ジョーカー」
「さすがにおかしい」
「だよな。でも、こんな空間があるってことは、作ったやつがどっかにいるはずだ。探してみようぜ」
ああ、と来栖はうなずいた。
それはあまりにも現実に存在する学校と似すぎていた。モルガナが二足歩行になっていなければ、きっと来栖は初めて来たシュージンと同じように通学路がいつの間にかパレスやメメントスに呑まれていたことに気づかないまま、シャドウに襲われる羽目になったはずだ。
さいわい頼れる相棒は自らの役割を思い出して、本来あるべき能力を最大限発揮することができるようになっている。違和感があればすぐに気づくのだ。そして故郷、あるいは創造主の居場所をすぐに知覚することができるようになっている。モルガナはしっぽを揺らす。そしてこっちだ、と来栖を急かした。青い扉の前に、メイド姿の少女が立っている。
「お久しぶりです、暁さん、モルガナ」
「そっちも元気そうでよかった」
「にゃはは、あっというまの別れだったな」
「ええ、そうですね。お二人ならきっと来てくれると思っていました。どうぞ、お進みください。主がお待ちです」
恭しく礼をする少女は、来栖の仕事を担うことができてうれしいのだろう、見るからに足取りが軽い。
「ようこそ、ベルベットルームへ」
イゴールは久しぶりのお客人にうれしそうに笑った。
イゴールがいうには、メメントスやパレスとよく似た事象が観測されたため、転移したという。そしたら、来栖の存在が知覚できた。モルガナは今でこそ猫に転生したが、もとをたどれば隣の少女と同じ人形であり、ベルベットルームの住人だ。かつての仲間がいるのだ、手助けするのは当然の流れである。
まして、イゴールは長らく封印状態にあり、本来の役目を全く果たすことができなかったという事実が横たわっている。いつになく積極的なのがうかがえる。ここはパレスによく似た事象だという。つまり誰かの精神世界というわけだ。鴨志田たちのように強烈な感情に支配された、だれかの精神世界。来栖の脳裏に、御子柴の言葉がよぎった。
ペルソナを新調し、身体強化をはかる。お気をつけて、という言葉を背に、二人は夕暮れにうかぶ学校に向かって歩き出した。
誰も居ない学校を徘徊するのはシャドウだ。この精神世界の主がよほど屈折したものがあるのか、やたらと強化されているのが分かる。これまでの困難で培ってきたペルソナですら気を抜いたら持って行かれてしまいそうになるほどの強さだった。
セーフルームで休みながら、ゆっくりと先を進んだ来栖たちは、その奥にある部活棟に向かった。部活を退部させられ、一年以上足を踏み入れたことのない来栖には縁遠い場所だ。それでもだいたいの構造が分かるのは志穂に頼まれて荷物持ちなどを行った結果である。やはりというべきか、バレー部の練習場である、すぐ近くの体育館が一番最奥のエリアだった。
体育館のドアを開ける。
おどろくことに、そこには来栖たちの予想に反して、シャドウはいなかった。拍子抜けするのも無理はない。そこには黙々と自主練習をしていたらしい志帆が、ボールを抱えたまま動きを止めたからだ。がらら、という音を聞いたのかと思ったが、どうにも反応がおかしい。びくっと大げさに肩をふるわせた志帆は、おびえたまなざしを来栖に向けたからだ。しかし、それが来栖だと気づいたと同時に、今度は困惑に変わる。
「え、あ、あれ?」
おそるおそる近づいてくる志穂に、来栖とモルガナは顔を見合わせた。
「え、えっと、君、たしか来栖くん、だっけ?」
「ああ」
「どうしてここに?あれ、シュージンじゃ?」
「なに言ってるんだ、鈴井。俺は4月から転校してきただろ。隣の席じゃないか」
「えっ」
志帆はいよいよ凍り付いてしまう。なにがなんだかわからない、という顔をしている志帆に、来栖はとりあえず一緒に帰ろうと提案した。
「あれ、どうしたの?来栖君」
不思議そうに志帆は首をかしげる。ここでは話しにくいから、放課後にちょっと屋上に来てほしいといわれ、志帆は疑問符を飛ばしながらうなずいた。相談したいことでもあるの?私で良かったら相談に乗るよ?来栖君にはお世話になったし、とにこにこ笑顔を浮かべる志帆の言葉を遮るようにチャイムが鳴り響く。同時に担任の先生が入ってくる。ホームルームが始まる。日直を当てられているクラスメイトが起立を促し、来栖たちの会話はそこで途切れた。
『ほかにいいとこ無かったのかよ』
モルガナが苦い顔をするが、来栖は仕方ないだろとぼやく。放課後、購買で適当にかったものを広げながら、モルガナがほしがったものを差し出した。さすがに猫と会話しているところを見られでもしたら、今度こそ来栖は実家にまで話が行ってしまうだろう。この学校には小中が同じだった知り合いやセンパイ、コウハイがわりといるのだ。恐ろしきは地元の私立高校である。東京に居たころとはいろいろと事情が違ってくるのだ。
『まーワガハイもずっと放課後まで昼飯抜きはきついけどな。で、だ。御子柴はなんて?』
「いつものように帰ってきたって」
『どういうことだ?あのとき会ったのは、志帆だろ?』
「ああ、間違いない。あっちのほうが、たぶん、俺の知ってる鈴井に近い」
来栖がやっているラインに、ぽんと上がってきた鈴井の従兄弟。鈴井に確認してみれば間違いないというのでなんとなく登録したフレンド要員。まさかさっそく役に立つとは思わなかった。一度近くまで送ってもらい、鈴井について気にかけてやってくれ、といわれてしまっている。
杏と鈴井経由で怪盗団についてずいぶんとくわしく聞いているらしい御子柴は、来栖をずいぶんとかっているようだ。ありがたくはある。来栖は鴨志田の嫌がらせにより疲弊しきった彼女しかしらず、明るかった頃の彼女を知らないから、今の彼女が本来の姿なのだと勘違いしてしまうくらいには何も知らない。
『で、あっちの鈴井は?』
「御子柴さんの家に泊まってるって」
『それがいいと思うぜ、ワガハイも。下手に会わせちゃいけねえ。なにがあるかわかったもんじゃない』
昨日、来栖は放課後一人で練習している鈴井と会った。トラウマを克服し、友達もたくさんできて、みんなと一緒に遊んだり、笑ったり、順調な回復を見せている鈴井とはかなり違っていた。あのとき会った鈴井は、来栖の知らない鈴井だった。
彼女の中ではまだこの学校にやってきたばかりであり、突然の転校や環境の急変、仲良しだった従兄弟を後遺症のせいで追い出すような形になってしまうかもしれないことへの焦り、いろんなものに必死であがいている高校2年生の鈴井だった。
半年ほど彼女は時間が止まってしまっている。それなのに、なんの疑問も抱かず、学校に通い、家に帰り、同じことを延々と繰り返している。突然現れた、本来居るはずのない来栖の出現は、彼女に大パニックをもたらした。彼女はなにも知らないまま、延々と繰り返す時間の中に閉じ込められていたのだ。それも半年もの長い間。
彼女の異変は、すぐに分かった。鴨志田のような身長差のあるガタイのいいシャドウに襲われたとき。来栖が鈴井をかばってアルセーヌを召喚したとき。体格のある男性が至近距離に近づいたとき、体が自分の言うことを聞かなくなり、過呼吸にもにた症状に襲われてうずくまってしまったのだ。
理由はわかっているとはいえ、なぜ我がと拗ねてしまったアルセーヌをなだめながら、来栖はなんとかパレスと化している学校から逃げ出したのだ。恐るべきことに、鈴井のいたパレスは、来栖の生まれ育った街を忠実に再現していた。いや、それどころではない。
鈴井はパレスの中で、杏と連絡を取り、励まし合い、SNSでやりとりをし、そういった現実での出来事をリアルタイムでこなしきっていた。それだけの人間をパレスは内包していた。おそるべき再現率だ。下手をしたら鈴井がしっているすべての人間が再現されているのかもしれなかった。
妙だ、とモルガナはいう。来栖も同感だ。
パレスは本来、持ち主が無意識のうちにつくりあげる精神世界である。そこに本人が侵入すれば、待っているのはパレスの崩壊だと、双葉の件でいやと言うほど思い知った。それなのにここのパレスによく似た空間はまるで違う。むしろ鈴井を閉じ込め、現実に戻さないという強烈な執着を感じる。本来の主であるシャドウがいない時点で、なにもかもがおかしい。異世界ナビがない時点で鈴井は来栖と会わなければ脱出など事実上不可能だったのだ。
異世界ナビを終了したとき、鈴井はようやく現実に戻ってこれたのだ。もう彼女は大パニックである。彼女を必死でなだめて、一番信用できる大人は誰だと聞いたとき、彼女が真っ先にあげたのが御子柴良紀、彼女の従兄弟だった。
鈴井の違和感に気づいていて、初対面にもかかわらず来栖に相談できるほど想っている親戚。全然大丈夫だと笑う鈴井を気遣って、自分から家を出て一人暮らしを始めた人。たしかに事情を説明するにはぴったりの人選だった。あとは来栖たちの仕事だ。
ぎい、とさび付いた鉄扉が開く。来栖は顔を上げた。
「あ、もう来てる。ごめんね、来栖君。待たせちゃったかな」
「大丈夫だ」
重々しい扉が閉じられる。
「よかった。でも急にどうしたの、来栖君。なにかあった?」
不思議そうに聞いてくる鈴井である。来栖はまっすぐ前を見つめたまま、口を開いた。
「昨日、鈴井に会った」
「え?なにいってるの、来栖君。昨日もなにも、学校で会ったでしょ?隣の席なんだから当たり前だよね?」
「違う。昨日の放課後、パレスで、俺は鈴井に会ったんだ。ずっと同じ1週間を過ごしてた。転校初日から最初の1週間を。この半年間、代わりにこっちで鈴井志帆をやってたお前は何者なんだ」
すっと鈴井の表情が消える。鴨志田のところに行くと行っていたときよりも、さらに感情が抜け落ちたマネキンのような顔だ。まっすぐ見つめる来栖を見据えた鈴井の瞳の奥に、揺らめくものを感じた瞬間、来栖とモルガナの姿が怪盗の姿に様変わりする。世界は夕焼けに染まる放課後となる。モルガナの姿だけがパレスによく似た世界に塗り替えられたと知らせてくれた。
「こうやって鈴井を閉じ込めたのか」
鈴井の姿をした何かは何も言わない。ただずっと来栖を見つめている。
そして、ふ、と口元がつりあがった。
「さすがは偽神を打ち破っただけはあるな、トリックスター。我の邪魔立てまで行うか」
「あんたはいったい」
「気をつけろ、ジョーカー。こいつは大衆意識から生まれた神とちがって、たった一人のシャドウのためにこんな馬鹿でかいパレス作るようなやつだ。ただ者じゃない」
「さすがは時と精神の狭間の住人だ、看破はたやすいか」
鈴井はスキップするように体を翻す。追いかけようとした来栖だったが、彼女は忽然とすがたを消してしまった。
『汝のおかげで人々はこの世界は偽りの神の認知により想像されたものだと気づいてくれた。感謝する』
「なんのことだ」
『この世界は偽りの神により創造されたのだ、ゆがめられた認知により産み落とされた世界は偽りで当然。我のような至高者が創造すればこのような悲劇はなかったものを。だが汝はそんな世界において、我に由来する確固たる自己の光を見事体現してくれた。そして人々は事故の光を認知し、汝を救世主として認知したことをたしかに我は見届けた。ここに我の目的は達成された。あとは、我が皆々を至高の存在に昇華せしめよう、汝の活躍は賞賛に値するぞトリックスター』
木霊する声は鈴井のものではない。もっと、もっと、透き通った、それでいて形容しがたい音だった。
『偽神の創造した現実世界(この世界)は、偽の世界であるという認知を、人々に促してくれたことを感謝する。我こそは至高者『アイオーン』認知により物質世界という堕落した世界から人々を救済する目的を達成すべく降臨する者。人々はあるべき姿に戻るのだ。すべて、もとにもどる。我が一部として』
「くるぞ、ジョーカー!」
「ああ!」
空が落ちてくる。
来栖は仮面を引きはがした。戦闘の幕開けである。