今作は作者がムーンライト/ロストルームをやってて自作である『願いを込めて』の主人公とヒロインで書きたくなったものを形にしたものです。故に、『願いを込めて』を多少は読んでおく事をオススメします。
これはあったかもしれない束の間の夢の話。
どうか、気を楽に。これはたった一夜限りの逢瀬。
辛い記憶も、苦しい記憶も、悲しい記憶もこの一時はお忘れを。
ーーさぁ、目を開けて。大切な相手との良き時間を、お過ごしになさって下さい。
「…んっ……此処は一体」
目を開けて飛び込んだ光景はまるでパーティ会場の様な場所。煌びやかな装飾に優しげな音を奏でるピアノ。
観客も演者もいないが、それ以外の全てが整った不思議な場所。暫く歩き見渡し触れてみればこれらが全てシュミレーションだと分かる。しかし、それならそれでシュミレーターを起動させた記憶がないのが可笑しい。だが、何故か不思議と危険だという感覚が生まれない。
「霊基が変わった気はしてないが、なぜ正装なんだろうか」
白を基調としたスーツに身を包んでいる。着替えようとしても着替えられない。恐らくこれがシュミレーターの設定なのだろう。
カルデアである事に間違いはないだろう。しかし、こんな部屋は知らない。下手に動く訳にもいかないどうしたものか。
適当な椅子に腰掛け、思考を巡らせていると今いる場所からちょうど反対側の扉が開く。反射的にそちらを見て言葉を失った。
「色々と飲み込めてないんだけど、とりあえず待たせてしまったわね。セイヴァー」
赤を基調としたドレス。髪型も普段とは違い、後ろに伸ばしていた部分まで纏め、頭部にはオレンジの花が彩りを添えている。
気品を感じる美しい姿。俺はその姿に見惚れて言葉を失っていた。反応がない俺を不思議に思ったのかゆっくりと近づいてくるマスター。彼女が一歩近づいてくる度に心臓が高鳴りを告げる。まるで、思春期の子供に戻った様だ。
「セイヴァー?顔、赤いけど大丈夫?」
やがて距離が近くなる。完全に固まってしまった俺の目の前で手を振りながら彼女は首を傾げる。
「だ、だ、大丈夫デス。マスターそのお姿は?」
口の中の水分が全部飛んだかの様に動きの悪い滑舌でなんとか言葉を紡ぐ。
「それはセイヴァーもでしょ?気がついたら此処にいたのよ。
このドレスは私の私物なんだけど着替えたつもりはないし、そもそも目を覚ます前に確か夢がどうとか」
マスターが考察を始めた辺りで機械音声が流れる。その声に聞き覚えはない。
『ようこそ。此処は、ムーンライト。一夜限りのダンス会場です』
「…ムーンライト?そこって霊障が起きるとかで封鎖されてた場所よね?」
『はい。ですが、詳しい説明は致しません。何故なら、此処は一夜限りですので。
時間がありませんからね。オルガマリー所長』
機械音声は優しく揶揄うように言葉を紡ぐ。俺もマスターも顔を顰めながら話を聞いていたが、いつの間にかまぁ良いかなんて気になってきた。後になって考えればおかしな事だが、この時は本当にそう思っていた。そして、事実それは正しかった。
「まぁ良いでしょう……それで、なんでわざわざ私達を招いたの?」
『ダンスを踊って頂こうかと思いまして。お二人はいつも気を張っていますから。今宵ぐらいは大切な相手とゆっくり過ごしても良いと思いまして。もしかして、余計なお世話だったでしょうか?』
「たっ、大切な……そりゃ、セイヴァーは私のサーヴァントだし大切に思ってないって言えば嘘になるけど。
で、でもそうはっきり言われると恥ずかしいというか…なんというか…」
顔を真っ赤にしながらモゴモゴしだすマスター。その、全部聞こえてるのでそういう反応はずるいですよ。
漸く落ち着きを取り戻しかけていた心臓が再び煩くなる。しまったな…今はちょっとマスターの顔を見れない。
『うふふ。では、私は適宜音楽を流す裏方になりますので。どうぞ、お楽しみくださいませ』
きっと顔があればニヤニヤしているであろうと分かる声で話し沈黙する。お互いがお互いを見ようとしない気恥ずかしい空気が流れる。
この状況でどうしろと言うんだ……
ー♪ー♪♪ーー
急に音楽が流れ始める合図すら無しか!?
チラッとマスターを見る。どうやら同じタイミングで俺を見ていた様だ。視線がバッチリ合う。お互いに驚く。あぁ、ダンスをしろと言うのならするしかないのだろう。流れてる曲がずっと最初の部分はリピートしているし。
息を短く吐いた後、マスターの方を向く。
「……経験はありませんが。マスター、お手を」
「…ふふ、こう言う時はレディと言うのよセイヴァー」
「うぐっ…」
差し出した手をマスターが優しく包む。
「今夜は私が主導ね。ふふっ、いつも先を行くセイヴァーを主導出来るなんて。これだけで得した気分です」
マスターが嬉しげに微笑む。あぁ、これだけでも此処に来た意味があるというもの。
ゆっくりと音楽が流れ出す。マスターのリードに合わせ、身体を動かす。分かりやすくして貰っているが、慣れない事に身体が追いつかない。緊張もあるだろうけれど、余りダンスの才能は無さそうだ。
「焦らなくて良いわ…誰に見せるものじゃないもの」
「そうですけどっ……これは余りに不甲斐ないので…!」
簡単なステップに必死になる俺を見ながらマスターは楽しそうに笑みを浮かべる。本当に情けない…もう少しちゃんと動けないものか。
「ほら、そろそろ曲が終わるわよ。最後は、私の腰に手を添えて」
「こうですか?」
繊細な割れ物を扱う様に、マスターの細く綺麗な腰にゆっくりと手を添える。マスターが手を上に上げるのに合わせ、同じく手を上げる。
曲が終わると同時にぐっと俺の手に重心がかかり、マスターが上半身を上に向ける。余韻を味わうようにそのままの体勢の俺たちを月が優しく照らす。
手が引っ張られたのを感じてマスターを元の体勢に戻す。しかし、緊張で力んだ身体は力を加減を間違える。
「きゃっ!?」
「とっとと…すみません…マス……ター…」
お互いに抱き合う形で見つめ合う。
空気を読んだかのように照明の明るさが僅かに落ちる。周囲は見辛いが、月明かりに照らされ、マスターの顔がよく見える。
ドクン、ドクン
どちらの心音か分からないが心臓が激しく鼓動する。背に回ったマスターの手に力が篭り更に距離が近くなる。
ほとんどゼロ距離でマスターに見上げられる。
「……ねぇ、セイヴァー。貴方も私を抱きしめて」
言われるがまま抱きしめる。もはや心臓の音すらも聞こえない。
ただ感じるがままマスターを熱を求めた。どれくらい抱き合っていただろうかどちらからともなく離れた。
「ねぇ、セイヴァー」
「なんでしょうか?」
「…もう一曲踊りましょう?」
「マスターが望むのなら」
しっとりとした静かな曲が流れ始める。
きっと、マスターは何かを言おうとしていた。だけど、それを口にする事はしなかった。なら、俺がそれを聞く理由はない。
何故なら今は夢。夢とはいずれ覚め、忘れていくもの。此処でどんなことを体験しても、どんな言葉を紡いでも起きた時に覚えているとは限らない。
でも、これだけは伝えておこう。夢ならこの一時、一瞬だけはオレとして言葉を伝えておきたい。
「…オレも貴女が大切です。オルガマリー所長」
これは夢の物語。本編では語る事のできない記録。
実際に起きたのかもしれないし、起きなかったのかもしれない。
ーーでも、夢を見るぐらいは許してほしい。