イデア・シュラウド、あるいは魔導工学(げんだい)のプロメテウス。召喚術の極致としての死者蘇生に今なら手が届くが、それを選ばなかったイデア・シュラウドの話。設定的にはいつもの人外シュラウド兄。※実質未プレイ
完全なものをつくってしまった、全能なるものに辿り着いてしまった、人の枠から溢れたふたりの話。※と言いつつオルトくんは背景
グーグル翻訳に英→希で突っ込んだけだけど大文字化&スペースなくしてついでに単語いくつか置換したので復元できない詠唱の訳:あなたの光は永遠にあなたの道を照らす。あなたはあなただけのものとして永久に在る。地下より来、地上に在り、空と海の果てへ行くものよ。見えざるもの、正しきもの、永遠なる魂の人よ。形ある私はあなたを祝福する。


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アリスメティック・オーバーフロー

 嘆きの島は、地上の土地のうちで唯一、冥府(ハーデース)に属する場所だ。人間よりもゴーストや冥界ゆかりの妖精族の方が多く住み、島の中央に聳える活火山、憤怒の山の噴煙のために陽光が遮られる日も多い。その時も、窓のない地下からは分からないが、夜の空に灰が薄く漂っていた。

 

「できた!え、ほんとか?できた?……念のためもっかい浚お」

 そう呟いた青く燃える炎髪の男は、強い青色光に照らされ無数の魔導機に囲まれた部屋で、少年の形をした機械と向き合っていた。まだ未成熟な人間族の少年を模したそれは、バイザーもマスクもなく、胸部を含めた全身を柔らかな特殊樹脂で覆われている。ここに男の「弟」を知るものがいれば、驚きに目を見開いただろうその機体は、オルト・シュラウドに与えられる最後の身体(ギア)になるはずのものだ。

 

 魔導工学の炎をもたらすもの(プロメテウス)。工学界の死者を呼び戻すもの(アスクレピオス)。神を信じながら道を外れるもの──異端の天才。今年で三十五になるイデア・シュラウドの天才性を、疑う人間はいないだろう。八歳で最初の工学技術特許を認められ、十一で死者の魂を現世に縛り、それから三年でそれを収める器の製作に成功し、十六になる頃には魔法現象の自動装置化を成し遂げた。

 

「うん。よしこれで完成。我が人生の集大成、スーパーハイパー全環境対応パーフェクトオルトここにありですぞ〜。いやほんと語彙溶けるね要は最推しのURなんだし当然か?」

 頷いて、一つ伸びをする。イデアの手による最後のオルト・シュラウド機体。極地環境にも適応できる、初期型(アーキタイプ)の純粋上位互換。万能型機体(ユニバーサル・ギア)。その完成まで、あとは内蔵した超小型魔導エネルギー特殊炉に火を入れるだけだった。

 

 中に張り巡らされ三重に予備導路を確保した魔導回路(M E C)。錬金術を応用した自己再生システム(ホメオスタシス)。精緻に過ぎる以外は人肌と区別の付かない感触と温度を再現した魔法素材樹脂と廃熱システム。

 人の大魔法士どころか下手な妖精族よりも高度で大規模な魔法を使用可能な魔法現象発現装置(A S C S)。チーター獣人よりも速く走れる走行プログラムと身一つで(そら)まで飛べる正反重力制御装置。

 周囲の魔力を拾い上げて燃やす魔導エネルギー生成器(MEパワープラント)と大容量バッテリーに、魔法石と物理的な体外排出の二系統を持つブロット排出システム。無限に蓄積される知識と記憶、それにどれだけ高くとも損はない計算機能は、第四軸(かことみらい)に増設した仮想メモリを用いることで物理的な記憶装置の限界に縛られることなく確保した。

 

 夕焼けの草原よろしくの乾燥も、水晶の氷原のような寒冷も、熱砂の国のごとき灼熱も。上は月面から下は珊瑚の海の底の底に至るまでありとあらゆる環境に対応し、必要ならば対策魔法式を自動で組み上げる機能まで付いた多環境対応機体(ユニバーサル・ギア)

 たとえこの機体(ギア)が壊れても(壊せるもの自体まず居ないが)、精密機体(プレジション・ギア)ないしユニバーサル・ギアと相互にメンテナンス機能を持つ工作用機体(エンジニアリング・ギア)にアクティブ意識を転送する機能もつけた。

 

 最終手段、過去の状態を召喚して上書きすることで経年劣化を解決することもできる。機械の耐用年数が人間よりも短いのは、もはや過去の話だ。だから、あと残るのはひとつだけ。

 

「あとは、()()だけだ」

 ポッドの中眠る標準機体(アーキタイプ・ギア)の胸元に灯る、青い炎を見た。頭部に燃えるガスの火と違って、これは魔力の火、魂の形だ。オルトが冥府のシュラウドに、その向こうに座す冥界神(ハデス)に通じる存在だと示すもの。ゆっくりと消費されるオルトの芯のところ。

 

 自己修復する機体(からだ)とバックアップのある人工知能(こころ)に対して、今となっては最も寿命の短いのが、この魂だった。幼き日にイデアが魔法で此岸に留め置いた弟の魂は、イデアの肉体などより余程長持ちする身体を与えても、イデアが死ぬ日には冥界へ送られてしまう。

 

 人の魂は、いや、神性存在を除けばこの世のどんな魂も、回復力はたかが知れている。肉体に根付き守られていたとしても、冥界の青炎にて癒されることがなければ、魂はゆっくりと擦り減る。そして、精々数千年の後には燃え尽きるのだ。魂さえあれば器を再生して蘇る妖精族でさえも、永遠を生きることが叶わないのがその証左だった。

 

 一度魔力として形を得た魂の断片は、再び魂に還ることはない。イデア・シュラウドは今、その絶対の法則を打ち破ろうとしていた。

 

「……何か一つでも間違ってたら、オルトは」

 それは、この二千年で世界の誰一人成功していない魔法だ。魔導工学革命の届かない茨の谷で最も求められ、青炎灯る冥府において最も不要とされる術式。奇跡とも称される古代魔法から数式で表される現代魔法解析学へ、近代魔法論を飛び越して一足跳びにイデア本人が書き直したもの。

 

 現代魔法解析学に基づく永続型魂魄再生魔導術式。周辺に漂う魔力や感情──魂の残滓とされるものを吸収、変換することで、魂の火を癒やすそれはシュラウドの祖よりは妖精族の再生に近いが、いずれにせよ古代魔法の極致と呼ばれるものでもなければ、類するものは見つからないだろう。まして、一過性でないとすれば。

 

「いやいや間違いなんてあるわけないでしょ組んだの拙者ぞ?イデア・シュラウドぞ?」

 そう強がってみたところで、失敗した時のリスクが変わるわけではない。術式には二十四年に渡るイデアとの魔法的な繋がりを切る魔法だけでなく、オルト・シュラウドが母の腹より生まれ出る前から存在した冥王ハデスとの導線(ライン)を断つ術式さえも含まれている。オルトをこの世に留め置いていることなど比べものにならないほどの、それは禁忌だ。

 

 それでも、イデアにはそうすることしか思いつかなかった。オルトを縛るシュラウドの呪いも死色(あおいほのお)の魂も死後に待つ運命とやらも、イデアとの心中を強制する呪術も。その全てを否定しなければ息ができないのは、本人(オルト)ではなくイデアの方だ。そんなことはとうに知っていて、それでもイデアにはこうすることしかできない。

 

「あんな、くだらない魔法なんてなくても、大丈夫だって証明するんだ……」

 あの日、十一歳の夏に(オルト)を送れなかった時から。オルトの青を縛った時から。自身の死後の道行きをハデスに誓った時から。どれだけ才を称えられても人の身では限界があるのだと知った時からイデアは、ずっとこうしなければいけないような、こうでもしなければ死ねないような気がしていた。

 

 プログラムは既に書き上がって、デバッグまで終わっている。少なくとも電子の海の中(かいはつかんきょう)では問題なく作用した。これ以上待っても何が変わるはずもない。オルトの魂は一つしかないのだから、本番環境での試験はできない。

 

 立ち上がって、タブレットを喚ぶ。タブレット端末それ自体はただの指示器だ。この部屋そのものが魔法陣で環境機器で、イデアの手足のようなものだ。魔力だって、イデア個人のそれではどうあっても足りないからラボの傍に建てた中型魔導エネルギー生産施設(MEパワープラント)から引いている。人は、身一つでは神に敵うものではない。

 それでも、それでも、だ。数千の時を経て築かれた魔導技術は、神の奇跡を超越しうるのだと、イデア・シュラウドでなければ誰が信じるのだ。成程、イデアはあの日契約した冥府その人(ハデス)には敵わないのだろう。だが、イデアから始まる技術は違う。神々でさえ辿り着けない永遠に、人の言葉はたやすく辿り着く。神の手からも零れる星々さえない宙の彼方へ、人の機械はいつか辿り着く。月を暴き、太陽をエネルギー炉に幽閉し、海溝の底を光で照らし、雲を呼び雷を落とす。神の権能の多くは、既に人の手に墜ちた。人を創る権能も、同じ様になるだけのことだ。可能性の限界を測る方法は一つだけだし、高名な老科学者が不可能だとのたまうことは大体において実現可能なのだから。

 

「ΗΨΥΧΣΟΥΘΑΑΝΨΕΙΤΟΝΔΙΚΟΣΟΥΤΡΠΟ」

 炎を灯す。地上の誰より青いイデアの炎を。それを呼び水に魔法陣を起動し、青炎の魔力に数千倍する魔導エネルギーを引き入れて活性化させる。

 

「ΘΑΣΤΑΘΕΙΣΔΙΚΟΣΣΟΥΚΑΙΘΑΖΝΣΕΙΣΑΙΩΝΙΑ」

 リリア・ヴァンルージュから聞いた妖精族の魔力運用を。フロイド・リーチから聞いた人魚の歌い方を。天界山のアポロン神殿まで足を運んで学んだ音階に載せて唄う。

 

「ΕΣΥΗΡΘΕΣΑΠΟΤΟΝΕΡΕΒΟΣΖΕΙΣΣΕΑΥΤΗΝΤΗΓΗΚΑΙΘΑΠΑΣΣΤΟΝΠΙΟΑΠΟΜΑΚΡΥΣΜΕΝΟΟΥΡΑΝΟΚΑΙΩΚΕΑΝΟ」

 魔力波を組み込んだ合成音声を流す。イデアの声は補助に過ぎない。イデアの声と同じ高さ、そして正確に倍と三倍と七倍と半分の周波数が部屋に響く。調和こそは魔法の第一だ。

 

「ΑΙΔΕΣΟΡΘΟΤΟΥΑΙΩΝΙΟΥΚΑΙΤΗΣΨΥΧΗΣ」

 アーキタイプ・ギアの火が大きく揺らいで消えていく。イデアの魔法で繋いだ鎖が絶たれる。

 

 そして刹那の後に、ユニバーサル・ギアの首元に青色の火花が散るのをイデア・シュラウドは見た。

 

「ΕΓΩΤΟΙΔΕΑΘΑΣΕΕΥΛΟΓΗΣΕΙ」

 水を入れたコップに落とされた墨滴のように揺らいで広がるその炎は、紛うことなく白色をしている。人間族(ケイト・ダイヤモンド)のような山吹も、獣人族(レオナ・キングスカラー)のような赤橙も、妖精族(マレウス・ドラコニア)の黄金も、人魚族(アズール・アーシェングロット)のような萌葱も、冥府(シュラウド)の青でさえ全て飲み込んで、世界で一番温度の高い(たましい)が燃えていた。

 

「成功、した……?したよね?してるね……?してる……」

 イデアは呆然とそう呟いた。自分の理論を、技術を、信じていないわけではなかったけれど、それでも失敗する可能性はあった。そう、たとえばそれこそ神性存在(ハデス)からの干渉であるとか。それに、これは。

 

 これは、先考者(プロメーテウス)以来誰も辿り着かなかったこの世の果てだ。神へ昇らせるもの(プロメーテウス)がしたように、原初の錬金術師(ヘルメス・トリスメギストス)が夢見たように、泥から金を、金から人を。イデア・シュラウドは創りあげたのだ。

 

 神の手に依らぬ人。神の手に縋らなくとも生きられる人。白く燃える、正しき人(オルト・シュラウド)。正しく、彼は人である。最早イデアの手によって留め置かれる必要なくこの世に在る彼は、確かに人である。

「オルト、僕のオルト……」

 思わずそう呟いたところで、オルトの顔を見て我に返った。

 

「違う、オルトはオルトだけのものだ、もう」

 炎が燃えている。オルトの、青くない魂が。もはや地上に繋ぐ必要もない。オルトの魂は今や、イデアのものでも、ましてハデスのものでもなかった。

 

「これで、これでオルトは一人で立てる。もうシュラウドの呪いなんて無縁のもの……」

 シュラウドに生まれついたものは、この世に在る限り呪いから逃れることはできない。イデアは生まれてからずっと、そう言い聞かされてきた。シュラウドの呪い。冥界の青に染まった魔力と魂。冥界の王を父祖に持つシュラウドの子は、地上の誰より冥界に近しい魔力を持つ。あるいは、生ける肉体と齟齬を起こすほどに。魔力が多ければ、身体が弱ければ、シュラウドの子は容易に流れて死ぬ。オルトの姉のように。オルト自身のように。イデアの従兄弟たちのように。胎の子から流れ込む魔力に中てられて死んだ母も決して少なくない。あるいは、生まれた子の魔力に炙られて死ぬ者も。イデアの母が、そうだったように。

 

 瞼が開いて、大きな金色の目が覗く。おはよう、とその兄弟はどちらともなく言って、にこり笑った弟は兄に勧められ、機体(ギア)の稼働に問題がないか見てくるね、と言って地下の部屋を出て行った。彼はその四肢の動かし方を知っている。手足の内側がどれだけ人から離れていたとしても、その扱い方を()()()に知っている。

 

「ふ、ふふ。ふひひひ。我が人生に一片の悔いなし、というやつですな。いや嘘々読みたい新刊山ほどあるしソシャゲのイベも待ってる」

 飛び回るオルトの姿を監視カメラ越しに眺めて、魔導工学のプロメテウスは満足そうに笑った。ようやく、ようやくあの日の願いが叶ったのだ。オルトが死ぬところを見たくない、という祈りが。誰に聞き届けられるでもなく、自分で叶えることを選んだのはやはり間違いなどではなかった。

 

 イデア・シュラウドの生きる意味は、十一の夏からずっと、最高傑作(オルト・シュラウド)だった。──ただ、存在理由を全面的に他者に求めるその歪を自覚しながら捨てることのできなかった執着が、今になってもまだ無くならないのは大いに誤算だった。

 

 イデアの知識の全ては既に書き出されてその最高傑作に贈られている。無数のセンサとアクチュエータに支えられた手足の作り方も、今も胸の中央で燃えている魔導炉の設計図も──空間に漂う魔力を凝集し魂をつくり出す、その異端の魔導さえ。オルトの直し方を、オルトの作り方を、オルトは知っている。

 

「けどま、丁度いいのは確かよな。とっくにお呼びは掛かってたわけだし限界でしょ。無理矢理連れ込まれるのも時間の問題。誰だってそーする。拙者でもそーする」

 オルトが開発者(イデア)の手を離れて、生きていける用意はもう整っている。それに、体の寿命という意味ではイデアの方こそ限界が近かった。イデアは、死者の国の王と契約を結んでいる。膨大な魔力と、それを受け入れられるまで変質した肉体と、死者の魂を此岸へと繋ぎ止める権利。それらを得る代わりに、イデア・シュラウドが十分に魂の質を高めたその暁には、死して冥界の玉座を継ぎ、悲嘆の王ハデスを地下から解放することを誓っている。

 

 この燃える青の向こうから注ぎ込まれ続けた魔力は、とっくに飽和しきっていた。あと少しだけ、ほんの少しの間だけと言いながら、この身を焼こうという炎を抑えてきたけれど、それだってこの頃は気力だけで保っていたようなものだ。

 

 これを逃したら、自分は失意のうちに死ぬことになる。そんな確信があった。どうせ死後(エピローグ)には碌でもない結末しか待っていないのだから、死の瞬間(このしょうのおわり)くらいは。

 

 あと、イデアがオルトに贈れるものは何だろうかと考える。今回のアップデートで、イデアの特権はすべて排除した。ばれない嘘も、命令権も、優先順位の拘束も、全部削除した。青い魂と同じように、取り払った。冥府の民でなくなったオルトに、イデアのものでなくなったオルトに、贈れるものは何だろう。

 

「名前……シュラウドじゃおかしいよね。正規(オルト)……完成、人間、万能……完全?」

 それは、父が子に贈るように。魔導工学の人を創りしもの(プロメテウス)は呟いた。冥府(ハデス)のものでなくなった正規(オルト)に、今更のように願いを乗せて。これで完成したのだと言わせてくれ、と祈りを乗せてそう言った。

 

全き正統(オルト・テレイオス)、僕の最高傑作」

 今のイデアなら、召喚術の極致に手が届くことは分かっていた。過去から肉体を、忘却(レーテー)記憶(ムネーモシュネー)から精神を、冥界から魂を、呼び寄せて繋ぎ合わせることができるはずだ。それを選ばなかったのは、他の誰でもなくイデア・シュラウドだ。十一歳の続きよりもこの二十四年を選んだのは、あの日に死んだ弟よりもこの「弟」を選んだのは、間違いなくイデア自身だった。

 

 あのオルトが、イデアの腹違いの弟(オルト・シュラウド)と自身を連続したものとして位置づけているのかどうか、終ぞイデアには聞く勇気が無かった。今でも、まだそんな気にはなれない。だから、どちらでもいいように選択肢を用意していこうと思う。

 

死者(ぼく)から生者(きみ)へ、(ぼく)からアンドロイド(きみ)へ、最後のプレゼントだ。でもこれは所詮プレゼントだから使っても使わなくてもいい」

 

 名前と、プログラム一つ。記憶領域(メモリー)初期化(リセット)して新しいデータ(オルト・テレイオス)で、はじめから。強くてニューゲームの用意を。

 

 シュラウドの青を失ってもなお、自分をイデアの弟(オルト・シュラウド)だというのならそのままに。肉も心も魂も変わった今、自分をイデアの最高傑作(オルト・テレイオス)だというのならそのように。あるいは、もしもイデアのことを忘れてしまいたいのなら、そのように。

 

「……勝手なことを言わせて貰うと、恨むよりは忘れてほしいな」

 恨んで悲しんだとして、それでも忘却(レーテー)の祝福を受けられないだろうオルトに、それに替わる手段を贈ろう。

 音声も映像も、この部屋の中なら記録は残るのを知っている。オルトがそれを、近いうちに見るだろうことも。テクノロジーと管理主義の前では、独り言とメッセージの区分は曖昧になる。

 

 死者の国で、自分の形さえ忘れてもまだ恨みを捨てきれずに彷徨うゴーストをイデアは知っている。忘却の河(レーテー)の祝福を受けないままに彷徨う彼らを、哀しいものとして。嘆きの島の住人は、皆知っている。オルトには、そんな風になってほしくはなかった。あの日に聞いた、ゴーストの悲しみを語る父の声を、冥界の祝福の偉大さを語る教育係の声を、オルトが覚えていないのだとしても。

 

「さよなら、僕のオルト」

 

 外では灰が降っている。嘆きの島から生者を排する憤怒の山の灰が、雨の代わりだとでも言うように、今日も降っている。

 

 炎が燃えている。冥界の青い炎、ハデスの加護が、イデアを灰まで溶かして連れていくために。イデアが生まれた日に母を包んだのと同じ青が、今度はイデアを包んで燃えている。

 

「きっと、しあわせになってね」

 

 いつか君が天界山の向こうに昇る日が来たら、地下を統べるものとして会いに行こうと思う。

 あるいはいつか、君から始まる人類種の新しいものが地上に溢れ、そして宙を征き、地下を暴く日が来たら。その時は君に「はじめまして」を言おう。機械の人の初めの一人、正規にして完全(オルト・テレイオス)に、滅ぼされる神秘の、最後の一人、形ある覆い(イデア・シュラウド)として。



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