「迷える魂たちを、安息の地へお導きください──」
各々の持つ武器が振るわれ、最後の敵が倒れた。
この辺りのレユニオンは一通り掃討しただろうか、
「戦闘終了だ、皆お疲れ様」
その言葉と共にドクターが姿を現す。慌てたのはその場にいたオペレーターたちだ。まだ敵が残っている可能性があるだのもしもこちらに向かってくる途中で転落したりしたらどうするだの、とにかく異口同音に無茶をするなと説教をする。
しかしドクターは困ったように笑いながら、
「すまない、多少の危険を押してでも君たちを労いたかったんだ。ほら、私は後方で君たちを指揮するだけだろう? なんというか、自分だけ安全地帯で楽をしているみたいで、どうにもね」
そう言って、怪我をしているオペレーターたちに駆け寄っては打撲に湿布を貼ったり擦り傷に包帯を巻いたり、体調を気遣ったりする。その後ろでは、緊急時の後詰め要員として待機していたガヴィルが「ったく、心配性だなドクターは」と呆れていた。
と、そんなドクターの視界に一人の女性が映り込んだ。
彼女はオペレーターたちから少し離れた場所で、武器を近くの瓦礫に立てかけてぼんやり空を眺めていた。その様子は、一見して何かに祈りを捧げているようにも見える。
「スペクター、君は大丈夫だったか?」
そう声をかけると、彼女はドクターの方を向いて、
「あら……ドクターではありませんか……」
と微妙に抜けた反応を返してきた。
ドクターはいつもと変わらないリアクションに苦笑いを零しながら、
「君は大丈夫か? 矢面に立ってもらったからな、ハイビスカス達に治療してもらったとはいえまだ怪我が残ってるだろう」
「私は大丈夫ですよ、ドクター……ええ、これこのように……」
バサッ、と上着を翻すスペクター。先ほどの戦闘の余波でボロボロになった修道服が露わになり、それに従って眩い肌色が外気に晒される。だが、彼女の言う通り先程まで激戦の真っただ中にいたというのに彼女の体には傷跡の一つも残ってはいなかった。
それを見たドクターは苦々し気に呟く。
「……自己治癒能力、か」
スペクターの持つ唯一無二の特性にして、彼女がロドスで距離を置かれているもっともたる原因。
彼女はこれを深淵の蘇生力、と呼んでいた。曰く、深淵に座する我々の想像を絶する何かが彼女を生かそうとするのだとか。
原理や仕組みなど、この再生力に関する一切合切が不明。ドクターの要請で調査に協力してくれた医療オペレーター達が総じて首を横に振った事も、彼女の不気味さを助長した。
さらに、最近では意図的にその再生力をブーストすることで一時的な暴走状態を引き起こす──火事場のバカ力の応用的な認識で大体あっているそうだ──という荒業まで修得し、実力と引き換えに明らかに人として大事な物を失い続けている。
「ええ……ですからドクター、私を気に掛ける必要などないのです……」
そう告げるスペクターだったが、しかしドクターは退かなかった。
彼女の両肩を手でホールドし、仮面で覆われた顔をずいっと近づける。何とも言い難い圧に、スペクターは表情こそ変えなかったが視線を静かに明後日の方向へと逸らした。
「……あの、ドクター」
「撤回してくれ」
「はい?」
「君を気に掛ける必要はない、というのをだ」
「いえ、ですが……」
当惑するスペクターだが、真剣な調子でドクターは続ける。
「私にとっては君も含めて皆が仲間なんだ。それを放って置けというのは……私には、出来ない」
それを聞いたスペクターは、何かに気付いたようにドクターを見た。
そして、何かを口にしようとして──
「オイいつまでいちゃついてんだそこ二人! 早くしねぇと置いてくぞ!」
「アイテッ!?」
──ぼこん、とドクターの頭部に杖の頭が直撃したことで、その言葉は紡がれることなく立ち消えた。
二人が声の方を見ると、そこでは見るからに不機嫌そうな表情を浮かべたガヴィルが仁王立ちしている。
ドクターはそんな彼女に謝罪しながらその場を後にするが、スペクターはしばらくその場でフリーズしたまま動かず、再起動には実に30分もの時間を要したという。
そしてその晩、ロドスの自室にて。
スペクターは一人、言いようのない感情に苛まれていた。
(何なのですかこの気持ちは……?)
思い返してみれば彼女を取り巻く環境は、常に偏見と拒絶に満ちていた。
最初は優しかった人も、自分の事を少しつまびらかにしてみれば一転してバケモノ、や近寄るな、などと拒絶する。
そして、気付けば彼女は周りからすっかり奇異と恐怖の目で見られるようになっていた。まあ、彼女がそれを気にしていたかと聞かれれば答えはNOなのだが。それほどまでに、彼女を取り込んだ深淵は恐ろしい存在だったのだ。
さて、となればスペクターが悩んでいる原因は単純にして明快。
彼女は、今までない距離感で接してきたドクターに困っているのだ。
「お困りの様だね」
「あら?」
気が付くと、ベッドに座って考え込んでいた彼女を誰かが横から覗き込んでいた。
スペクターはそんな彼の顔を見て、
「貴方は……ええと」
「ミッドナイトって呼んでくれ。この前の作戦の時は世話になったね」
「ああ、あの時の……」
「たまたま悩んでいるのが半開きのドアから見えたからね、微力ながらお手伝いさせてもらおうと思ったのさ。隣いいかな?」
どうぞ、とスペクターが答えると、彼──ミッドナイトは言葉通りスペクターの隣に座った。ギシリ、とベッドが軋む。
そして、彼女は事情を説明した。今日の昼にこんな事があって、それからずっとドクターの事を考えるたびに違和感を覚えるのだと。
そして、それを聞いたミッドナイトは端的に答えた。
「ああ、それはきっと──恋、だね」
「こい……?」
「ああ、恋さ。魚じゃないほうの、恋」
「恋……これが……」
……実際のところを言うとスペクターの感情は別に恋ではない。いや、なかった。その正体は、本人でさえそうと判別できないレベルの微弱な苦悩だったのだ。深淵に魅入られる前の彼女の残滓が発する、こんな自分が受け入れられてもいいのかという苦悩。
だが、そうとは知らずミッドナイトがそのもやもやに『恋』という方向性を提示した。してしまった。
よって、彼女がこの結論に到達するのは必然だったといえる。
「……ウフフフ……アハハハ……ハハハハハハ……」
静かに不気味に笑い始めるスペクター。それを見たミッドナイトは表面上は笑顔のままだったが、内心やってしまったのではないかとにわかに焦り始めていた。
そして、次の瞬間にはその焦りが正しかったと後悔することになる。
「……ありがとうございました、ミッドナイトさん……。私……少しやる事が出来ましたので、ここで失礼します……」
「あ、ああ……」
ゆらりと立ち上がる。
いつにもまして得体のしれない気配を纏ったその姿に冷や汗をかきながら、ミッドナイトは静かにドクターの冥福を祈った。
そして、翌朝、執務室。
チュンチュンと鳥の鳴く音で、ドクターは目を覚ました。
「やれやれ、もう朝か……うん?」
寝ぼけ眼で体を起こそうとして、ふと違和感に気付く。
身体が妙に重い……というか、何かが腰のあたりに抱き着いているような感触を覚えたのだ。
さてはアーミヤがベッドにもぐりこんだか、それともクルースかドゥリンあたりが寝床を求めて這入り込んできたか? そんなぼーっとした思考を働かせて、ドクターは掛け布団をはがした。どれ、下手人の正体を拝んでやろうかと。
「おはようございます、ドクター……ウフフ……」
「……what?」
まさかのスペクターだった。
一瞬で眠気が吹っ飛んだドクターをよそに、スペクターはいつも通りの感情の読みにくい笑顔を浮かべながらシャツがめくれて露わになったドクターの引き締まった腹に頬ずりする。
未だかつてないほどのフルスピードで回転するドクターの思考が、本人のフリーズした意識とは無関係に言葉を紡ぐ。
「あ、あの、すぺくたーサン?」
「はい……あなたのスペクターでございますわ……」
「いろいろと言いたいことはあるんだけど、とりあえず何してんの君」
「……、」
その質問に、スペクターは無言でぽっと頬を赤らめた。
数瞬のラグを置いて、ドクターの絶叫がロドスを席巻する。
その後のロドスは大波乱だった。
何事かと部屋に飛び込んだアーミヤがほぼ半裸のドクターの腰に抱き着いたスペクターを目撃し、条件反射のアーツでドクターをタコ殴りにしたり。
次いで、当直で寝不足状態だったチェンとスワイヤーがキレ気味に執務室へ乗り込んで龍門スラングを連呼しながらドクターをどつき回したり。
盛大な安眠妨害によって気分を害したオペレーター達がクルースとドゥリンを筆頭にそれぞれクレームとグーパンを入れたり。
最終的に、正座した状態でアーミヤ、ドーベルマン、ケルシーの三人がかりで説教されるドクターとスペクターの二人。
訳も分からず途方に暮れるドクターとは対照的に、スペクターは楽しそうに微笑むのだった。
──そこは暗闇に閉ざされた深淵。遥か天に輝く星以外に一切の光なき海の底。
私はそのような場所で孤独に浸っていました。
ええ、ですが。貴方という光が、私を掬い上げてくださったのですよ、ドクター。
ほら、空をご覧になって。一つ、星が見えるでしょう?
あそこで一つだけ光っていた星こそが私なのです。ですが……今はもう、私は一人きりではありません。ああ、寄り添うように星がもう一つ。なんという望外の幸福でございましょうか。
……願わくば。
あなたと一緒に、かの深き海の如き空、全天の星辰に座する御方の元へと向かえますように……。