狂犬夕立は大和の耳を舐めてみたい   作:シャブモルヒネ

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起1:アルティメット夕立がやってきた

「こんにちわ、白露型駆逐艦「夕立」よ。よろしくね!」

 朗らかな声がくすぐったい。

 本日付でやってきた白露型の4番艦。弾けるような笑顔が眩しくて、ついこちらも目尻が緩んでしまう。

「よく来たね。私はパラオ泊地の提督だよ。よろしくね」

「はーい! 提督さん、夕立、いっぱい頑張るっぽい!」

 素直で前向きそうな娘だった。パラオ泊地の提督はほっと一息ついて相好を崩した。

「うん、君についての資料は見ているよ。なんでも同期のなかでも一番優秀だったそうじゃないか。期待しているよ」

「嬉しいっぽーい! ……でもでも、先輩たちにはぜんぜん敵わなかったっぽい。まだまだ鍛えなきゃだめっぽーい」

「うん、その意気だ。けどね、その先輩って教官の神通さんのことでしょ? いきなりあの人と比べちゃいけないよ」

「そうなんですか~? でも、いつかは勝ちたいっぽい!」

「はは、一緒に頑張っていこうね。良い軽巡の子はうちにもいるから、教えを請うといい」

「はーいっ」

 南の島、パラオ泊地は今日も透き通るような陽射しを浴びてめいっぱいに輝いている。

 沖縄を南に下ることおよそ2300km、赤道手前のフィリピン海に浮かぶ小さな島。

 本土から遠く離れた進駐泊地ではあるが、直接的な攻撃を受けることはほとんどない。周りを他の泊地に守られているからだ。

 東ではトラック泊地が太平洋に睨みをきかせ、

 南東ではラバウル基地を筆頭にブイン基地とショートランド泊地が南方海域の楔となり、

 西ではタウイタウイ泊地とブルネイ泊地が南西海域の壁となり踏ん張っている。

 それら最前線泊地らの中間地点に位置するパラオ泊地に課せられた役割は2つ。

 各地の要請に応じて援軍を送ること。

 そして有事に備えて物資を蓄えておくことだ。

 だからというわけでもないが、パラオ泊地の設備はそれなりに充実していた。管理を徹底し、いつでもフル稼働できる態勢を維持できているのはパラオ泊地の提督の密かな自慢の1つだった。

「さぁて、これからパラオの案内をしようと思っていたけど、そろそろお昼の時間だね。一緒にご飯を食べてからにしよっか」

「了解しました~。パラオ泊地はなにがあるっぽい?」

「まあ泊地として必要な施設は一通りあるかな。艦娘の数は少なめだけど、そのぶん賑やかなのは保証するよ。いつでも明るく元気良く! うちのモットーなんだ」

「へぇ~、楽しそうっぽい!」

「他にはなにか質問とか、あるかな?」

 くりくりとした瞳がほんの少しだけ迷いに揺れる。

「う~んと……。パラオ泊地についてじゃなくても、いいっぽい?」

「構わないよ」

「……あのね、私って、誰かに似てるっぽい?」

「え? なんで?」

「だって、夕立と初めて会うひとって、みんな変な顔するっぽい。提督さんも最初ちょっと緊張してたっぽい」

「緊張、してたかな? ……う~ん、言われてみればそうかもしれない」

「呉で訓練してたときもね、みんなそんな感じだったの。自己紹介で「夕立です」って言うとびっくりする。どうしてって聞いても、言いたくなさそう……っぽい?」

「あ~……それはね、ちょっと言いづらいことだからかな」

「どういうことっぽい?」

「みんなね、“夕立”って聞いて、他の夕立くんを連想しちゃったんだと思う」

「他の……夕立?」

「そう。きみじゃなくて、トラック泊地の夕立。彼女はとっても有名人で……ちょっと変わり者らしいから」

「ふ~ん。どんなひとなの?」

「そうだね……。私も直接会ったことがないから噂話でしか知らないんだけど……とんでもない強さだって聞いてたよ」

「強いって、どれぐらいっぽい?」

「そりゃもう、駆逐艦娘のなかでも断トツのナンバーワン! 全艦種を含めても五本の指に入るのは間違いない……なんて言うひともいたっけなぁ」

「へぇーっ、すごいっぽい! 夕立もそれぐらい強くなりたいっぽい!」

「うん、頑張ろうね。……でもね、いちばん大事なのは仲間との連携だよ? 自分だけが活躍しようとしたらだめだからね?」

「はーい!」

「これはね、きみも知っておいたほうがいいと思うから言うけど……その夕立くんは、なんというか、すごく個人主義だったらしいんだ」

「? どういうことっぽい?」

「仲間を、他人を信じていなかった。自分の腕しか頼りにしてなくて、命令無視も日常茶飯事。撤退していく仲間たちをよそに、勝手に居残って、追撃してきた敵の連合艦隊をひとりで全滅させたなんて逸話も残ってる。当時の提督さえも彼女には文句を言えなかったらしい」

「そうだったんですかぁ……。だからみんな変な顔をしてたのね」

「そうだね。だからこそ、覚えておいてほしい。いくら強くても戦いは1人でできるものじゃないってことをね。なぜなら、彼女は――」

 

@@@

 

「どうも。白露型駆逐艦「夕立」です。よろしく」

 自己紹介に意味はない。

 相手はもう自分のことを知っている。

 私は艦娘。駆逐艦。

 艦名は、夕立。

 元ブルネイ泊地所属。

 着任して7年目。

 撃破数は9949匹。

 ……それぐらいの情報、いくら無能と噂のトラック泊地の提督といえど知っているはずだ。転籍のために経歴が書かれた書類が届いているはずだし、なにより呼び寄せたのは彼自身なんだから。

 転籍先の提督と、その横に控えている秘書艦の大和の前に立ち、はたしてどんな輩なのかと観察してみたが、予想以上に平凡そうだった。

 佇まいに緊張感がない。

 どうやらトラック泊地はブルネイよりも平和らしい。

 まあ、別に、いいけれど。

 最低限の仕事さえこなしてくれれば問題ない。

 自分の邪魔にならなければ。

 ひとまず新しい上司と同僚に、情報共有を求めることにした。

「今回は、トラック泊地の近海にいるネームド深海棲艦群を撃滅するために呼ばれたと聞きました。“口裂け女”……でしたっけ。口元に大きな傷があるル級flagship。艦隊規模は40前後。深海棲艦のくせに戦術を心得ている。……まあそれがどうしたって話です。しょせんはflagshipが頭の艦隊。すぐに撃滅してやります」

 返事がない。

 どうやら手持ちの情報に間違いはないらしい。

 それなら今度はそちらの情報を寄越す番。目を細めてそう暗に伝えると、トラック泊地の提督は慌てたように咳払いした。

「――い、いや、待て。今回の転籍にはそういう意図も確かにある。あるにはあるが、仕事はそれだけじゃない。深海棲艦は他にもたくさんいるのだ。ここは中部海域の最前線なんだからな。いつどんな敵が押し寄せてくるか分からない。口裂け女とだけ戦えばいいってわけじゃない」

 雑魚の掃除もやれということだろうか。

「別に構わないです。最前線なのはブルネイ泊地もおなじ。忙しいのは慣れてます」

「だったら話は早い。まずはうちの艦娘たちとの完熟訓練に従事しろ。いくら君が華々しい戦歴の持ち主とはいえ1人では活躍できないだろう?」

「別にできますけど」

「なに?」

「いえ、訂正します。できています。着任から今まで、ずぅっと。……私の戦歴を知ってるんでしょ? 1人でも問題ないです」

「そいつは頼もしい……などと言うほど私は甘くないぞ。ブルネイでは随分と活躍していたようだが、トラックでも通じると思ってもらっては困る。中部海域は広い。時には姫級さえ攻めてくるのだ」

「それはブルネイも同じですが? いいえ、むしろ姫級との遭遇率でいえば南西海域の方が高いでしょ。それぐらいは知ってますよね? 西方からたまに戻ってくる“レイテ組の残党”に、“鉄雲”の偵察隊、そして最近になって現れた“雷鳴”……」

「ええい、黙れ!」

 ドン、と机が叩かれる。

 眉間いっぱいに皺を寄せて怒りをアピールしているが、滑稽だった。それで萎縮させようとしているつもりだろうか。だったら認識違いも甚だしい。成人男性がいくら凄もうとイ級ほどの迫力もありはしない。

 どうやらトラック泊地の提督はずいぶんと狭量な性格なようだった。

 なるほど、確かにこんな調子ではflagship程度の群れに苦戦してしまうだろう。

「トラックにはトラックのやり方がある!」

 青筋を立てている男に目を向ける。この種の生き物に軽蔑の眼差しを送っても省みることはないだろう。むしろ意固地になるだけ。ならばやっかみを被るリスクを負う必要もない。

 感情をこめずに見返した。

「う……」

 それだけで、男は異物を見たようにたじろいだ。

 こういう提督がたまにいるとは聞いてはいた。艦娘はすべて従順で、好意を寄せてくるものだと思いこんでいる……そんな、王様気分の提督が。

「……言いたいことは分かりました。ならばそのように編成と訓練課程を組んでください。練度充分と判断したら出撃をお願いします」

 百聞は一見に如かず。実力を見せて一発で納得させてやろう。

 そう思って下手にでてみたが、返ってきたのは意外な言葉だった。

「もちろんそうするつもりだが……口裂け女の艦隊はしばらく現れんぞ」

「どうしてです?」

「知らんのか? 連中は、一度消耗すると数ヶ月は攻めてこない。おそらく今頃は中部海域の奥で補給でもしてるのだろうよ」

「そうなんですか」

 顎をなでながら偉そうにしているが、そんな報告書に書かれていないような情報をたった今転籍してきたばかりの余所者が知れるわけがない。

 まあ、いい。

「……では、目標の連中が現れるまでは、完熟訓練をしながら、野良の深海棲艦とも戦うという方針でいいですか?」

「そうだな。うむ、そういうことになる。そのために連中が退いたのを見計らって貴様を呼んだのだ。いくらエース様と言えどいきなり本番は辛いだろうからな?」

「それはまた、」

――マニュアル的なことで。

「ありがたいお話です」

「ふん。分かればいい。下がって良し」

 ふわりと金色の髪をなびかせて、背を向けた。

 敬礼を忘れたと気付いたが、それこそ意味がないと思いなおして執務室を出た。後ろ手にドアを閉める。リノリウムの廊下を五歩半ほど歩いたところで、声がした。

 

「――なんだ、あいつは。ブルネイでは礼儀も教えていないのか」

 

 聞こえていないと思っているのだろう。

 夕立は、耳がいい。

 たとえ波飛沫と砲撃が飛び交う海の上であろうとも、トリガーを引き絞る音まで察知できる。

 だから、こんな完全防音でもない扉を隔てたぐらいでは、距離七メートルなんてあってないようなものだった。足を止めずに遠ざかりながらでも容易に聞きとれる。

 

「提督? そんなに怒らないでくださいね? 相手は子どもなんですから」

「だがな、大和よ。あんな調子で好き勝手に振る舞われていては規律が乱れるぞ」

「そうですね……。確かにちょっと慇懃無礼かもしれません」

「ちょっと、じゃないだろう、あれは」

「でも実際に結果を出しているわけですし。天狗になっちゃうのも仕方ないかもしれません」

「……ふん、撃破数9949匹だと? いくらなんでも水増しすぎだ。火力が低い駆逐艦のくせにそんなに倒せるわけないだろう」

「でもブルネイ泊地なら敵もたくさんいるでしょうし……。ありえない話ではないのかもしれません」

「おい、まさか信じているわけじゃないだろうな? あいつの異常な戦果はよその国では笑いの種になってるんだぞ? 日本人は上手な嘘のつき方も知らないらしい、とな」

「……でも、ブルネイの提督も、総司令部の方々も認めているわけですし」

「ふん。戦意高揚のために決まってるだろう。もっとも、こんな見え透いた自己申告にあやかろうとするやつはいないがな」

「だとしても、私たちがすべきなのは嘘つきだと指をさすことではないはずです。彼女だってなりたくもない英雄を演じさせられてるだけかもしれないじゃないですか。もっと彼女に寄り添っていきましょうよ」

「あんな生意気な態度をとられて、か?」

「まあまあ。こちらのほうが大人なんですから。そこは寛大な精神というやつで……」

 

 夕立は、意識的に聞き流すことにした。

 いつだってそうだった。

 どこの誰も、実際に見せてやるまで信じない。

 だったら次の出撃で見せてやろう。ブルネイのときと同じように、戦果の証拠を持ってくるのだ。耳を揃えて、疑いの余地がないように。

 

 

 次の日には訓練をして、その次の日には演習をした。

 それだけでトラック泊地の水雷戦隊たちは分かってくれた。

 これはとんでもないツワモノがやってきてくれたぞと諸手を挙げて歓迎し、女神でも見るかのように目を輝かせながら夕立の周囲にまとわりついた。

 鬱陶しかったが、悪い気もしなかった。

 嘘つきだと陰口を叩かれるよりは何倍もましだった。

「ねえ夕立ちゃん! ブルネイってどんなとこ?」

「暑い、かな」

「トラックだって暑いじゃーん!」

「ブルネイはもっと蒸し蒸しする」

「あっ、もしかして熱帯雨林ってやつのせい?」

「多分そう」

「あのさあのさ、南西海域のことでずっと気になってたことがあるんだけど、聞いていい?」

「なに?」

「南西海域の最西端ってリンガ泊地じゃん? あそこってどうなったの? “雷鳴”に潰されちゃったってほんと?」

「ちょっと! それってきっと機密情報ってヤツよ? 聞いちゃまずいんじゃない?」

「そうかもしれないけどさぁ、気になるじゃん。……で、実際どうなの?」

「本当だよ」

「えっ」

「うっそ、ほんとに?」

「公にはされてないし、証拠もないけど。それまでブルネイを中継してリンガに向かってた輸送船団がいたんだけど、来なくなっちゃったんだ。リンガの連中を救助してから、ずっと」

「えええー、じゃあリンガ泊地は放棄されちゃったのかなぁ……」

「しょーがないよー。あそこは西方海域への入り口だったんだから。もう限界だったんでしょ」

「だから今は、ブルネイ泊地が南西海域の最前線なんだ」

「へぇ~~。なんかやっばい話を聞いちゃった感じ」

「トラック泊地もなー、いつかは押し負けちゃうのかなー」

「そうさせないために、私が来た」

「おっ、かっこいいしー!」

「ねえねえ、夕立ちゃんってすっごく強いよねぇ。なんで? こつとかあるの?」

「こつって言われても。そうだな……」

 駆逐艦寮の談話室。その壁にかけられたダーツの的に向けて、矢を投げた。

 ど真ん中に命中。

 少女たちから感嘆の声が漏れた。

 が、この程度で驚いてもらっては困る。

 続いて第二投。

 一投目の矢のケツに刺さった。連なった矢がびよんびよんと大きく揺れた。

 奇声に等しい歓声があがったが、まだ早い。ここからが夕立の実力の見せ所だった。

 第三投。

 さらに二本目の矢に連なる。

 第四投。

 さらにカマを掘る。

 第五投。

 このあたりになるとさすがに難しい。1秒間だけ集中し、不安定に揺れる4本のロケット鉛筆状態のダーツの最後尾に見事に命中させた。

 そこでダーツの列車が自重に耐えかねて、的から外れた。ばらばらと落ちた。

「……」

 誰も、歓声なんてあげられなかった。

 駆逐艦娘たちは示し合わせたようにあんぐりと口を開けて、たった今起きた奇跡に圧倒されていた。

「……な、なに、今の?」

「別に。ダーツを投げて、当てただけ」

「当てただけ……って」

「だから、砲撃の命中精度の話だよ。自分の目で見た目標に、自分の手を使って命中させる。それができるか、できないか。自分の身体をちゃんと動かすっていう当たり前ができなきゃあ話にならない」

「ブ、ブルネイのひとたちは、みんなこんなことができるの……?」

「いいや? 五本目まで当てられるのは私ぐらいかな。でも、そうだな……最低二本目までなら、みんな確実に当てられる」

「すごいなぁ……。そこまで精度を上げてるんだぁ」

「ん、いや、そんな練習はしてないよ。ブルネイの訓練はもっぱら回避にあてられる」

「え? でもみんな二本目までは当てられるって……」

「最初から当てられるひとたちしか生き残ってないんだ。それぐらいできるひとじゃないと、西方海域からやってくるゴミ虫どもを相手にできない。あいつらは全員、準姫級の性能だから。……ネ級改とかレ級eliteって知ってるでしょ? あれぐらいが敵の最低ラインなんだよ」

 長々と喋ってから、夕立はしまった、と胸中で舌を打った。

 おだてられて、つい調子に乗ってしまった。

 トラック泊地の駆逐艦娘たちを見ろ。彼女たちはいまや、夕立のことを人の皮をかぶった宇宙人を見るような目つきをしている。

 やらかした。

 敬遠されても良いことなんて一つもないのに。

 でも、まあいいか、と夕立は思った。どうせ数ヶ月でさよならだ。口裂け女とやらの艦隊を撃滅してお役御免になってブルネイに戻ったら二度と会うことはないだろう。だから別に好かれようと嫌われようと、嘘つき呼ばわりされようと関係ない。

 夕立はこの白けたような空気に対してどんな台詞を言ったらいいか分からずに、ついと立ち上がって、部屋を出た。

「寝る」

 そしてあてがわれた自室に戻って、借り物のパジャマに着替えて、埃くさいベッドに横になって、本当に寝ようと思った。

 見慣れない天井を見上げる。

(あの目。知らない生き物を見る目。いつもの目……)

 ブルネイ泊地でも、そうだった。

 夕立は誰よりも精密で、誰よりも敏感で、誰よりも聡かった。彼女の実力はブルネイの猛者たちに混じってもなお目立ち、口にはされなかったけど明らかに特別扱いされていた。夕立は完璧な戦闘マシーンだ、と。事実、その通りだったから仕方ない。彼女自身でさえも敗北する可能性を想像できなかった。仮にその可能性があるとするならば、それはもう燃料が切れるか、装備が故障するか、敵が超広範囲攻撃ができる核兵器棲姫だったとか――そんな特別なケースでしかないだろう。

 避けられる理屈があるなら全て避けられる。

 当てられる理屈があるなら全て当てられる。

 それがどれだけすごいことなのか夕立には分からない。

 ただ、ひとが持ちえる範疇の性能をフルに発揮できるだけ。

(ここも私の居場所ではなかった……)

 あるいはトラック泊地なら、と密かに期待していたのかもしれない。

 ブルネイの面々は中途半端に夕立と実力が近いものだからかえってその実力差を生々しく実感してしまい、諦めの感情とともに距離をとってしまう。

 けれどトラック泊地のぬるま湯に浸かった連中なら違うかもしれない。もはや測ることさえできずに「きゃーステキ!」「かっこいい!」と能天気に囃したててくれるだろうと思っていた。

 自嘲した。

(あほがノートにしたためる妄想みたいな話だな)

 目を瞑る。

 眠るのは得意だ。

 いついかなる時・場所でも眠るべきときはすぐ眠る――その技能は戦場で必要なものであり、当然、夕立も習得していた。一部の筋肉から意図的に力をぬいて、呼吸を特定のリズムで繰り返す。それは眠るためのルーティン。

 すぐに後頭部に感じていた重みがぬけていき僅かな浮遊感を覚えた。

 ノックの音。

 あるいは夢かとも思ったがどうやら違う。曖昧な意識が数秒前の記憶を掘り起こす。足音が近づいてきて、ドアの前で止まって、ノックした。そういう記憶があった。

(いったいだれだろう……)

 起きるか迷ったが、結局夕立はそのまま寝てしまうことにした。

 急用であればドアをもっと乱暴に叩くだろう。そうしないということは大した用件ではないということ。だったら今は眠らせてほしかった。

(こっちに……はいってくるな……。どうせ……だれも……)

 

 

 次の日は、運がいいことに実戦だった。

 訓練や演習ではない本物の戦闘をこそ夕立は望んでいた。

 自分の戦果を水増し呼ばわりしたトラック泊地の提督をぎゃふんと言わせてやろうと思っていた。いつまでも嘘つき呼ばわりされていたら沽券に関わる。そのままにしておけば不当に低く評価されてしまい、何かしらの権利を後回しにされてしまう。舐められっぱなしは、良くない。

 だから手を抜かず、現れた敵はすべてやっつけた。

 無線で報告する。

「提督さん、こちら夕立。撃滅完了です。数は18。すべて私が沈めました」

『すべて、だって? じゃあ夕立、お前は3艦隊分の深海棲艦を自分1人で沈めたって言いたいのか?』

「はい、そうです」

『……他の連中はなにをしてた? 棒立ちだったのか?』

「いいえ。彼女たちも戦おうとしていましたが、私が撃つほうが速かっただけです」

『あのな、夕立……こういうことは言いたくないんだが。ここでは、そういうのはしなくていい。するな』

「そういうの、とは?」

『戦果は正直に報告しろ、と言っている』

「……まあ、そういう反応をすると思っていました」

『お前がどう教育されたかは知らないが、トラック泊地じゃ戦果の水増しはご法度だ。もしもどうしてもやりたいというのなら、もっと上のお偉方にお願いして圧力でもかけてもらうんだな』

「いいえ、そんなことをする必要はありません」

『分かればいい。終わり』

 そう、分かっていたことである。

 だから対策も立てていた。

 戦果の証拠をとっておいたのだ。ちゃあんと信じてもらえるように。嘘つきだと舐められることがないように。

「……ところで、そんなに珍しい? これって」

 海の上、同じ艦隊のメンバーの顔を見比べる。

 全員が青ざめて、夕立の手の中の“証拠”を嫌悪感たっぷりに凝視していた。

「そんなにおかしな行為でもないと思うんだけど。だって――」

 

 

 

「――だって、昔のサムライも同じことをしてたんだから。戦功の証をとるために」

「お、お前、なんてことを……」

 血の気の引いた提督の顔がおもしろかった。

 場所は執務室。

 提督の机の上に、夕立は“証拠”を並べていた。

 それは耳だった。耳が6つ、串に貫かれて一纏めになっていた。

 わざわざ説明するまでもなく深海棲艦の耳だった。

 夕立が倒してきた敵の数だけそれはある。

 

 では問題です。

 その串が今ここに3本あります。このとき駆逐艦夕立はいったい何匹の深海棲艦を沈めたことになるでしょう?

 

 6×3=18[匹]

 

 しめて18匹分の戦果なり。

 

「これで分かった? 私は戦果の水増しなんてしてないです。ブルネイに着任したときからずうっとです」

 あのときも、そうだった。

 ブルネイの提督も最初は夕立の戦果を疑った。いくらなんでもそんなに倒せないだろう、と信じようとしなかった。だからあのときもこうやって証拠を持ってきてやったのだ。初めは鼻にしようと思っていたけど戦闘中に切るのが大変だったから耳にした。耳なら、特定の角度から引っ張れば素手で簡単に千切ることができる。だから集めるなら耳だった。集めたら数えやすいように串でまとめるのがコツ。これをまとめずに袋とかに入れてしまうと大変で、波を駆るたびに遠心力で袋の中で跳ね回って、身体に余計な負荷がかかってしまう。だからちゃんと固定する。――そんなことを説明しても誰も分かってくれなかったけど。

「……夕立さん。やっていいことと悪いことも分からないんですか」

 低めの声で咎めてきたのは、大和だった。

 日本が誇る大戦艦。その肩書きと2メートル近い長身が相まって、真剣な顔をされるとけっこうな威圧感がある。

 だがそんなものに動じる夕立ではない。

「倫理の講習はとらないことにしてるんで」

 ちょっとめんどくさい系の女だな、と直感した。

 ひらりと身を翻して退室しようとする。

 が、ドアが開かなかった。

 ……なんで?

 鍵を閉めた音はしなかった。なのにどうして開かない?

 夕立は数年ぶりに困惑し、おそらく犯人であろう女を首だけで振り返る。

 大和はにっこりと、血臭漂う机の向こう側で微笑んでいた。

「なにをした? でか女」

 ぴき、と大和のこめかみに筋が走ったが、笑顔は崩れなかった。

「お話しましょう?」

「嫌だね。トーテムポールとしゃべる趣味はない」

「へ、へえぇぇ? おも、面白い子ですねえぇ?」

 がちゃがちゃとドアノブを揺すってみるが、やはり開かなかった。

 カラクリが分からない。

 1つだけ分かるのはドアノブ自体は回るということ。

 となると、やはり鍵がかかったわけじゃない。

 鍵は開いている。

 なのにドアが開かない。

「ということは……単に、建てつけが悪いだけか」

「正解です。ドアの閉め方が悪いと、たまに開かなくなるんです。開けるためには……乙女力が必要なんですよ?」

 それって馬鹿力のことか?……という台詞は出さないことにした。

 女がゆっくりと机を迂回して、夕立の背後で足を止めた。

 こうなれば逃げ場はない。夕立の細腕ではこのドアを開けられそうにないからだ。

 ひとまずホールドアップしてみたが、首の後ろをがしりと掴まれた。

「ぐぇ」

「提督? 私、ちょっとお部屋でお話してきますね?」

「あ、ああ。しっかり性根を叩きなおしてやってくれ」

 そのまま執務室のすぐ隣の部屋に連行された。

 秘書艦専用の部屋だった。

 

 

 

 鉄拳制裁ぐらいは覚悟していた。

 しかし意外にも、大和は本当に言葉だけで説教をするつもりらしかった。

「……なんですか、それ。あなたは殴られるのを覚悟であんなにむごいことをしたってことですか? 猟奇趣味でもあるんですか?」

「そんなのないよ。あれは単に、戦果の証拠を持ってきただけ」

「だけって……証明がそんなに大事なの?」

「大事だよ。給料と待遇が変わる。それに、結果が認められないなら敵を倒す意味もない」

「あなたはなんのために戦ってるんですか?」

「悪いけど平和のためじゃない。私は、自分がどこまでやれたかを数字で残したいだけ。……誰だってそうでしょ? 死ねば消える人生に、なにかを残したいと願ってる。それは子どもだったり、志だったり、芸術だったりするけれど、私の場合は撃破数っていう名の世界記録なだけなんだ」

「だとしても。耳を切り取ってくるなんてひどすぎます」

「ひどいってなに? 誰に対して? 深海棲艦に人権はないでしょ?」

「むごいとは思わないんですか。人の形をして、生きてるんですよ?」

「面白いこと言うね。本能的な忌避感の話? そんな感性の分野まで強制される覚えはないけど?」

「ひとが見たらどう思うかを考えたことはないんですか!」

「ない」

「なんですって……」

「ないんだよ。別になんとも思わない。だって、私の耳じゃない。私は痛くない。なのにこれ以上どうしろって言うんだ?」

「……どうしろ、って、そんな」

「こういうのをキョウカンセイのケツジョって言うんだろ? まあ詳しくは知らないけど、とにかく私はそういう性格なんだ。だから、今さら倫理感がどうとか言われても、困る。さっぱり分からない」

「……」

 ほぅら見ろ。

 黙っちゃった。

「もう耳は持ってこないよ。私が正直者だって分かってもらえたみたいだから。なんなら謝罪したっていい。そうしたらあの提督さんも満足するでしょ」

 もういいか。

 立ち上がろうとした夕立を、静かな声で大和が制した。

「待ちなさい」

「……なに?」

「あなたは間違っています」

「そうらしいね。だから?」

「改めなさいと言ってるんです!」

「そうしたら私になにか得がある? だったら、改めるけど」

「そんな振る舞いをしていては仲間たちの心が離れていってしまいます。孤立してどうするんです? 困るのはあなたでしょう」

「別に困らない。私は1人でも生き延びられる。今までもそうだったし、これからも同じ」

「そんな生き方、良くないでしょう。ただ生きて、ただ戦うなんて、そんな淋しい生き方は……」

「でもしょうがないじゃないか。こういう性格なんだから」

「本当にしょうがない? 私はそうは思いませんけど」

「へえ、あなたに私のなにが分かるって?」

「……昨夜、駆逐艦の子たちから聞きました。「ダーツの神技にびっくりしてたら、逃げるようにいなくなっちゃった。それまで平気な顔してお喋りしてたのに……」って。あなた、ほんとはあの子たちともっとお話したかったんじゃないですか?」

「そんなこと……」

「あなたは、確かに変ですね。共感性の欠如? それもあるかもしれません。でも独りでいたいとも思っていない……私はそう思います」

「……昨夜、私の部屋をノックしたのはあんただったのか」

「そうですよ。あなたとお話したかったんです」

「話をしてどうすんの」

「互いに理解しあうんです。仲間ってそういうものでしょう」

「仲間ぁ?」

 はっ、と鼻で笑った。

「私に仲間なんていやしないよ。あんた、ダーツを5本直列に当てられる? 戦果のために耳をちぎってきた私の気持ちが少しでも分かるの? あんたは、普通だ。私は、変なやつ。それでこの話はお終いなんだ」

 言い切って、喉が渇いたと感じた。こんなに喋ったのはいつ以来だろう。

 大和は、ぴっと背筋を伸ばした姿勢のまま、透き通った瞳で夕立を見つめていた。

 それは諦めの瞳ではなかった。

「……なんだよ」

「感性が違うから、なんなんです?」

「なんだって?」

「あなたと私。仲間にはなれないんですか?」

「……」

「なれますよ。なんなら、友達にだって」

 それは思いもよらない言葉だった。

 宇宙人と、地球人が、仲間になる?

 あまつさえ友達に?

「そんなこと、」

 できるわけがない、と言おうとした。

 しかし不可能な理屈もまた存在しないことに夕立は気がついた。

 互いに理解しあえない存在が手をとりあう。その響きは想像以上に甘く、鼓動が少しだけ早まった。

 新鮮な感覚だった。

 どうしたらいいか分からない。

 ただ、立ち去ろうとは思えなかった。

 仲間。

 友達。

 なれるのだろうか?

 なれないのだろうか?

 リスクとリターンの方程式ではとうてい算出できそうにない。

 夕立の内面は揺らめいて、唇をわずかに開いたままどうすることもできなかった。

 そんな少女を大和は急かさずに、ゆっくりと立ち上がり、和室の隅に設置された小型冷蔵庫の中身を取りだした。ちゃぶ台のうえにガラスのコップが並べられ、ペットボトルのお茶が注がれる。その隣にはなんと小さなショートケーキが添えられた。

「く、くれるのか?」

「友好の証に、進呈します」

 甘味を、タダで分け与えられる。

 ブルネイではとうていありえない光景だった。

 ごくり、と唾を飲みこんだ。

「……ブルネイ泊地では」

「はい」

「いつ輸送船団が潰されて孤立するか分からないからって、必需品しか送られてこないんだ」

「はい」

「甘味なんてほとんどない。こんな1/8カットのショートケーキなんて見たこともないやつも多いだろう。というか、私だって6年間もいたけど、見たことない」

「そうですか。トラックではそこそこ手に入ります。そして私は、秘書艦特権というやつで毎回安定して確保できるんです」

「それは、羨ましい」

 卓上のケーキから目を離せない。

「夕立さん、明日もまたこの部屋でお話しましょう。そしたらまたお菓子をあげます」

「ほ、ほんとか?」

「どうです? これなら仮に私とウマが合わなかったとしても損はないでしょう? 時間の無駄にはならないはずです」

「……大人はずるい」

「で、返答は?」

「――乗ろうじゃないか」

「んふ」

 大和は目を線のように細めて微笑んだ。

「では、私たちの友情の始まりを祝して。いただきます」

「いただきます」

 

 

次の日。

「ファッキンくそでかトーテムポール女」

「口が悪すぎます!」

 両手を伸ばしても大和の顔までしか届かない。だというのにこのでか女は、こともあろうに約束のモンブランを渡すまいと万歳までしやがった。絶望的な高さに手が出ない。ぴょんぴょんと飛んでみてもかすりもしなかった。

「約束が違う。部屋に来たら菓子をくれるんじゃなかったのか」

「どの口が言うんですか。昨日はあげたらすぐに帰っちゃったじゃないですか」

「昨日は眠かったんだ」

「そんな言い訳は通じません。今日は話が終わるまであげませんからね」

「なんだと。ずるい、詐欺だ、詐欺女。壷売り。宗教勧誘。美人局」

「く……」

「だいたい何を食ったらそんなにでかくなるんだ。燃費最悪のベンチウォーマー。戦艦娘の恥さらし。資材調達部に申し訳ないとは思わないのか。もっと身長低くなれ」

「い、いい加減、怒りますよ」

「だって話してる途中に緊急出撃命令がきたらどうするんだ。菓子を食えずに話し損になる」

「話し損!? 私とお話しするのは損なんですか!?」

「だって面白くないんだもん。報酬は先に払うべき」

「お、面白くないぃ!?」

 声が裏返って、大和の目が三角になった。両手を更に高く掲げてしまう。

「あぁ……なんてことを」

 ひどすぎる。

 そういうことをするならこっちにも考えがある。

「ふひぇっ」

 無防備な脇腹をくすぐった。

「ふ、ふくくっ」

 顔、真っ赤。

 だが大和はぷるぷると震えながらもなかなか腕を降ろそうとしなかった。

 だったら追撃をするまでだ。

 むんず、と無駄にでかい乳を鷲づかみ。

「んふっ!?」

 その稜線に指先を這わせて、くるくると円を描きながらその頂へ。

「ちょっとぉーっ!!」

「あ」

 モンブランが落ちた。

 すかさず飛び上がってキャッチする。着地と同時、奪い返される前に口の中へねじこんだ。

「あーっ!?」

「もがもが」

「ケーキを! 素手で! 食べないで!」

「うまうま。ぺろり」

「指を舐めるんじゃありません!」

「……ふーっ、旨かった。じゃ、帰るわ」

「こらあぁっ」

「冗談、冗談」

「ぐ、ぐ、ぐ……。初めてですよ、ここまで私をコケにしたおバカさんは……」

「じゃあ寝ていいよ。明日にはスッキリする」

 濡れた指をどうしよう。この手で畳やちゃぶ台に触ったら嫌がると思う。

 服の裾で拭いてみた。

 大和はますます苦い顔になった。

「なんだよ」

「もう、どこに怒ったらいいのか分かりません」

「怒らなきゃいいんじゃないか」

「じゃあ怒りません」

「ほー」

「あなたの言動がエキセントリックすぎて逆に冷静になってきました。いったいなんなんですか。野生児なんですか?」

「どのへんが? 自分ではよく分からない」

「例えば、その口の悪さとか」

「そう? 自分ではかなりお上品なほうだと思うけど」

「どのあたりが!?」

「……全体的に?」

「あなた、さっき私のことをなんて呼んだか覚えてます?」

「電柱女」

「……」

「あれ? 違ったかな……」

 大和は、それはそれは本当に嫌そうな顔をして、答えを教えてくれた。

「ふぁ、ふぁっきん、くそでか、ト、ト、トーテムポール女……」

「ああ、そうだった」

 えらくご立腹な様子だった。

 そりゃそうか。

 “ファッキン”はきっとお上品ではないだろう。

「ファッキンはよくない。改めよう」

「トーテムポールもやめてください」

「そっちは下品じゃなくない?」

「罵倒でしょう! 完全に!」

「そうかな。特徴を捉えたいい仇名だと思うんだけど……いや、分かった。やめよう」

「そういうの、どこで覚えてくるんですか……」

「どこでって……」

 ずっとこんな感じに生きてきた。

 けど生まれたときから喋れたわけじゃない。

 じゃあ、いつからだ?

 どこの誰から教わったんだっけ?

「……ブルネイ泊地」

 そうだ、あそこで覚えたんだった。

 艦娘ってみんなこんな感じだと思ってた。

 でもどうやら違うらしい。

「いったい誰がそんな喋り方をしてるんです?」

「みんなだよ」

「みんなっ?」

「そう。ブルネイじゃあ、みんなこんなふうに喋るんだ」

「いったい向こうはどうなってるんですか。スラム街でもあるまいし」

「驚いたのはこっちも同じだ。トラック泊地に来てからもう5日は経つけど……未だに「ファック!」という単語を聞いてない。これは驚くべきことだと思う」

 大和は頭痛をこらえるように額に手をあてた。

 そんなに変なのだろうか。

 むしろトラック泊地のほうがお上品に取り繕っていて変だと思っていたけれど。

「……ファックは金輪際、禁止です」

「え」

「え、じゃないですよ。なにが不満なんですか」

「それじゃ戦闘に支障がでる」

「は? どうして?」

「だって敵を挑発できなくなるじゃないか」

「しなくていいです!」

「えー……口はけっこう大事だよ。挑発目的じゃなくても、艦隊の士気があがる」

「下品である必要はありませんよね?」

「それは……分かんないけど」

「じゃあ止めましょう。お上品に口を使ってください」

 なんだと。

 なんて難しいことを言うんだ。

「どうすればいい……」

「じゃあ練習です。私に良い仇名をつけてみてください」

「ふぁ……」

 ファッキンという単語が自然に出てきた。

 危ない。

 どうやら前置詞のようにつけてしまう癖があるらしい。これは早急にファッキンに変わる単語を探しだす必要がありそうだ。

「うーん」

 そもそもファッキンとはどんな意味だったか。

 “クソ野郎”だった気がする。

 それをお上品にするとどうなる?

「おクソ……野郎さま……?」

「なんでぇ!?」

 声を裏返して叫ぶ大和に同意しかない。さすがに今のはおかしいと自分でも分かる。

「じゃあ……う○ち? 排泄物……?」

「そこから離れてくれませんか!?」

「ぬぬ、ぬ」

 どうしよう?

 クソ野郎から離れるって?

 あ、そうだ。

 反対語にすればいいんじゃないか?

 クソ野郎の反対語……。

「偉大なる……淑女さま……?」

 これが限界だった。

「なんか逆に馬鹿にされてる気がするんですけど」

 注文が厳しい。

 だが方向性は合ってる気がする。

 染みついた罵倒語をすべて反対語に変えてしまえばいいのだ。

 与えられた課題を改めて脳裏に浮かべてみた。

 ファッキンくそでかトーテムポール女。

 これは変換していけばいい。

「偉大なる淑女、偉大なる長身の、トーテム……じゃなくて、ええと、ヴィーナス像、ウーマン! ……どうだ!?」

「……前途多難ですね」

「なんでだめなんだ!?」

「だって、もう、全部だめ」

「ええー」

 なんてやつだ。

 こいつはアレだな、欠点をあげつらうことが仕事だと思ってるクソ上司。

「偉大なる女王様……」

「なんて言いたいか、ちょっと分かるんですけど」

 溜め息をつきたいのはこっちだ。

 疲れた。

 いっそ答えを言ってくれ。

「そもそも長すぎて仇名として成立していませんし」

「じゃあ偉大女でいいじゃないか、もう」

「その“偉大”にこめられた意味が、もう分かっちゃってて嫌な感じしかしません」

「そう? 仇名ってそういうものだろ。ちょっと馬鹿にされてるぐらいなほうが親しみがあるって聞く」

「まあ間違ってはいませんが」

「それに“偉大”にはでかいという意味もある。ぴったりだろう」

「身長のことは言ってほしくない……」

「試しに呼んでみる。……ちょっと待て。親しげに……え~と、確か……」

 ブルネイ泊地をまとめていた先輩の口調を思い出す。

「おい、偉大女! しけたツラしてんなぁ、マスでもかき忘れたかぁ? がっはっは!」

「ちょっと!!!」

 大和がちゃぶ台をバシンッ! と叩いた。ヒビが一本、びしりと走る。

「なんてこと言うんですか!!?」

「だって、うちのクソメガネが」

「誰です、それを言ったメガネって! ……いえ、いいです。言わないで。知りたくない……」

「あっそう」 

 怒ったと思ったら、すぐ消沈。忙しい女だ。

 一応、酔っ払ったときの発言なんだけど。

 いったい誰を想像したのかは分からないが、誰だか知りたくないと言うなら補足しなくてもいいか。

 のんびりとお茶を啜った。

 後味の渋さを味わっていると、再起動した大和が“今日のまとめ”に入った。

「とにかくあなたは口が悪すぎます。それではあなたのためになりません。これからは丁寧に喋るように心がけてください」

「ええー? そうして何の得がある?」

「敬遠される理由が1つ減りますよ」

「別に、嫌われてもいいんだけど」

「じゃあ、私。私は、下品なひとは嫌いです」

「うーん」

「まだお話し始めてから2日目ですよ? もうちょっと頑張りましょうよ」

「分かった……」

「ではまた明日……の前に。あなたの悪評をどうにかにしなければいけません」

「悪評って?」

「耳狩りの駆逐艦」

「ああ、確かに変な目で見られてる」

「それをちょっとでも薄めるために策を考えてきました」

「ふぅん? どんな?」

 

 

 

「――というわけで、あれはブルネイ泊地の風習だったんだ。私も嫌だったけど6年間もやらされていたせいで麻痺しちゃってた。ほんとほんと、信じてください」

 夕立は、トラック泊地の艦娘たちの前でこう説明した。

 ブルネイ泊地では、敵の耳を持ち帰るのが当たり前。

 集めた耳は焚火に投げこんで供養するもので、ブルネイの勇敢なる戦士たちが炎を囲んで「うっほほ、うっほほ」と躍りながら明日の勝利を祈願する。

 顔には化粧の代わりに泥の紋様を塗りたくり、服はほとんど用を成さない葉っぱが一枚だけ。

 文明の機器は悪魔の道具だから使ってはならない。

 明日の天気を知りたいときは亀の甲羅をもっていき祈祷師様に占ってもらうもの。

 そんなのがブルネイ泊地の常識だったせいでつい野蛮な行為をしてしまったけど、もう目が醒めました。

 偉大なる大和様がひとの心を思いださせてくれたんです。

 これからは二度とあんなことはいたしません。

 誠心誠意、心を入れ替えて頑張りまーす。

――そんな言いわけを聞かされて、集められた艦娘たちは唖然としていた。

 唯一の例外は、夕立の隣に立つ大和だ。

 彼女だけは神妙に、「この子はなにも悪くないんです」という顔で何度も頷いていた。

 いやいや、それはないだろう。

 いくらなんでもこんな言いわけは通じない。

 と、夕立は思っていた。

 けれど、思っていた以上にトラック泊地の艦娘たちはピュアらしい。

「そっかぁ、そんな事情があったんだね……」

 ええ……?

「私もおかしいと思ってたんだぁ」

 おいおい。

「夕立ちゃん、かわいそう」

 嘘だろ。

「もう大丈夫だよ! これからはちゃんとした文明人になれるように頑張ろうね!」

 なんでやねん。

 思わず目と耳を疑いたくなった。

 しかしまぎれもない現実である。

「ね、上手くいったでしょう?」

 大和だけがこっそりドヤ顔で。

 いいのかな、こんなんで?

 悪評が消えるならいいか、と思った。

 励ましてくる軽巡洋艦。

 涙ぐむ駆逐艦。

 なんだか、正直、うっとうしい。

 こういうのは苦手だ。

 さっさと自室にもどりたかったが、大和が許してくれなかった。身の潔白を印象づけるためにも、もう少しこの茶番に付き合わなくてはならないらしい。

 どっと疲れが押し寄せてくる。

「……それはそれとしても」

 群衆は、口々に夕立の境遇を憐れんでいたが、その話題が尽きてくると少しずつ原因を追求するようになっていった。

 すなわち、ブルネイ泊地の在り方について是非を問うようになったのだ。

「ブルネイ泊地ってなんなの? やばすぎない?」

「あそこの提督はなにしてんの?」

「やばい思想なんじゃあ……」

「これは司令部に問いたださないと!」

 正義感がうずまいて、変な方向へとシフトしていった。

「あ、あれ? 皆さん、ちょっと……」

 大和がいまさら焦っていた。もう遅い。

 嘘の代償は誰かが支払わなければならないのだ。

「知ーらない」

 ブルネイ泊地の提督に冤罪が着せられようと、大和が後で怒られようと、巡り巡って自分が問いただされようと。

 今の夕立には知ったこっちゃない。

 他人の評価なんてどうでもいい。

 けれど。

 冷たい目で遠巻きに見られるよりは、うっとうしい生暖かさでまとわりつかれているほうがましなのかもしれない。

 そんなふうに初めて感じた。




短編にするつもりが、長くなってしまったので連載形式です。
最後まで書けてませんが、残弾が残ってるうちは毎日投稿します。

習作なので色んな意見・感想を聞きたいです。
とはいっても感想って書くのハードル高いと思うので、挨拶と〆の言葉はなくていいですよ。

感想みたいなの。あてはまるものにチェックしてくれると作者が喜びます。

  • 改行が多すぎない?
  • 改行、これぐらいでいいんじゃない
  • もっと改行するといいかなぁ
  • エグいのは苦手
  • こんぐらいなら平気
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