狂犬夕立は大和の耳を舐めてみたい   作:シャブモルヒネ

11 / 12
Bルート
結B-1:狂犬夕立、蹂躙す


 何百、何千もの雨粒が降り注ぐ、さらに向こう側で、

 波が幾重にも伸びては、落ちていく。

 限界まで拡大した視覚映像のなかで、夕立は見た。

 戦場に辿りついたとき、大和はまだ生きていた。

 

 

 

 こんな話を思いだす。

 ある母親と、娘の話。

 娘の歳のころは、15か、16。

 誰からも好かれた、愛らしさと美しさを備えた娘だったという。

 ある日、車に轢かれた。

 鼻から上がばっくり割れて、脳みそが周りに飛び散って、生き物ではなくなった。

 母親が、叫ぶ。

「誰か! 誰か、救急車を、お、お医者様を、ああ!」

 そうして半狂乱になりながらピンク色の肉片をかき集め、元々収まっていた場所へ何度も何度も戻そうとしていたらしい。

 身体の外にあるよりも、内側にあったほうが助かるような気がするから。

 

 どう考えても助かるはずがないのに。

 親子の情愛は、正気を失くすほどに深いということなのだろうか。

 他人事のように感じたのを覚えている。

 だって仕方ないじゃないか。

 そのときはまさか自分がその気持ちを味わうことになるなんて

「ゆ、」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――ゆるさねえ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 灼熱が、湧いた。

 実体をともなわないイメージ上の黒い液体が、全身の血管を押し広げて、あっという間に心臓を染めあげた。

 見境のない殺意と入り混じり、細胞を焼きながら、喉元へとせまってくる。

 

 

 まずい。

 あふれてしまう。

 

 反射的に、思考をカットした。

 頭まで侵食されてしまう。

 考えてはいけない。

 膨れあがって、浸透されて、真っ黒に染まってしまう。

 そうなってしまったら、その狂気という名の液体は、きっと際限なく増え続ける。

 圧はどんどん高まって、眼と鼻と口から漏れてしまう。

 噴きだして、こぼれ落ちる。黒い狂気が、どろどろと、全身を真っ黒に染めあげる。

 そうなったらおしまいだ。

 私は変質してしまう。

 危なかった。

 思考のカットは、ぎりぎり間に合った。

 これで膨張は止まるはず。

 なのに、

 どうして、止まらない。

 考えるのを止めたのに。

 何も考えなければ、これ以上膨れあがるはずがないのに。

 これだけじゃ足りない。

 考えるのを止めただけじゃあ、足りないか。もっと抑えこまないと間に合わない。

 情緒に蓋をした。

 『大和』という名前と、彼女に関するすべての連想に蓋をする。

 感じてはいけない。

 増殖して、塗りつぶされてしまう。

 どうにか理性を誤魔化して、“こんなにひどいことが起きるわけないじゃん?”と半笑いで呆けていたい意識に乗っかって、先延ばしにする。

 そうすれば、どうにか、これで少しは、大丈夫、

 大丈夫……?

 あ、

 あっ、あっ、ああ、だめだ、止まらない、

 どんどん頭を満たしてく。

 あふれる。こぼれる。戻れない。

 止められない。

 自己保全本能だけじゃあ、止まらない。

 なにか、違う手は、違う処置は、……、…………、

 無い、か。

 強靭な意志なんて、何一つ培ってこなかった。

 10何年も生きてきて、せいぜいが、獣のような生き汚さぐらいしか。生き残ること、そのためならなんでもすること、それしかない。

 だから、それにすがるしかない。

 戦闘マシーンと呼ばれる所以。

 うすっぺらで、

 残酷で、

 機械的で、

 効率的で、

 自分のことしか考えず、

 何があろうと最優先事項を間違えない、

 そんな、本能レベルにまで刷りこまれている私のルーティン。

 いつだって薄情でいてくれた私なら、この緊急事態を正しく治めてくれるはず。

 助けてくれ。

 この激情の奔流を、止めてくれ。

 

 返答は、明快だった。

 

 

――もう、いい。

――正気を保っていても意味がない。

――消すんだよ。

――全員だ。

――あいつらはもちろん、役立たずの自分自身をも。

 

 

 あふれた。

 黒い液体が。

 他の全てを塗りつぶす、狂気という名の奔流が。

 それでもなお増殖し、どろどろとこぼれ落ち、全身を真っ黒に染めあげた。

 もはや抗う自分はいなかった。

 理性も、唯一頼れるはずのルーティンも、そして自己保全本能までもが、全会一致で親指を下に向けていた。

 

――ぶっ殺せ。

 

 

 

 口の端が釣りあがって犬歯が覗いた。

 全身に酸素を送りこむために呼吸を細く深く繰り返す。

 喉から獣の唸り声のような低い音がなんども鳴った。

 18匹のゴミ虫どもの輪のなかで、1番外側に居たル級だけが気づいた。

 手を伸ばせば届くようなすぐ傍に艦娘が居る、と。

 驚いた顔。

 「こいつ、いつから居たんだ」と唾を呑みこんで、しかし単艦であることに胸を撫で下ろした。

 取り繕って、

 にやりと笑った。

 救助するはずだった仲間を救えなかった愚か者――固まってしまった無様な艦娘を見下ろして、揶揄するようにこう言った。

「コレハコレハ可愛イラシイ御嬢チャン。迷子センターニ案内シテアゲマショウカ?」

 その声に、周りの深海棲艦たちも気がついた。

 誰1人として私の接近を察知できなかったことに緊張が走る。

 敵意が、湧いた。

 殺意へと、変わった。

 そんなもの、

 ゴミ虫が、

 ゴミ虫、ごときが、一丁前に。

……ル級は、目の前でいやらしく笑っている。

 油断はないようだ。万が一にも致命傷を負ってしまう箇所――眼や口といった皮膚のない箇所への攻撃を警戒している。

 その上で、煽っている。

 役立たずめ、と。

 お前は最も大切なひとも守れなかったどうしようもない負け犬だ、と。

 大きく息を吐きだして、脳内スイッチをONにした。

 すべてのリミッターを解除する。

 気がつけば、1発、撃っていた。

 弾は、装甲の継ぎ目から潜りこむ。

 敵の体内で鉄骨に跳弾し、急所を破壊した。

 ゴミ虫は、立ったまま絶命した。

……こんなとき、どんな顔をすればいいんだっけ?

 もうあのひとはいないんだから遠慮なんか1つもいらない。

 ブルネイ流のステキなやり方――敵を最も効率よく撃滅するための作法を思いだす。

 全身の細胞が歓びに震えた。

――てめらの親は

「…てめらの親はよっぽどの出来損ないなんだなァ」

 酷薄な笑みを浮かべて、

 三日月の形に、唇を歪ませる。

――どうやったらこんな

「…どうやったらこんなゴミ虫になるんだよ? 産みも育ても悪すぎンだろ」

 舌をれろんと垂らしながら、

 両手の中指を立てて見せつけた。

――生きてるだけで

「…生きてるだけでカワイソー。慈悲深い私が息の根止めてやんよ。アーメン」

 雨粒が、宙で静止した。

 荒波が、弧の形で、動きを止めた。

 タキサイキア現象の発現。

 私だけの別世界。

 クソうるさい雨粒の着水音がビープ音のように引き延ばされて、硝煙のにおいが鼻の奥に充満して離れない。

 戦場が、

 押し寄せてくる。

 それだけでめんどくさい俗世から切り離された気分になれた。

 もう礼儀なんていらない。

 挨拶もいらない。

 口の悪さをなおすとか、互いの趣味がなんだとか、そういう馴れ合いをしなくてもいい。

 必要なのは勝利だけ。

 手元には実弾があった。敵と戦うための100発の弾。

 戦う相手は決まっていた。

 武器はもう握っている。

 愛想笑いなんて一つも要らない。

 嫌われようと構わない。

 勝った分だけ気持ちよくなれるんだ。

 ここが自分の居場所なんだっていう安心と生き甲斐を感じられた。

 連れ戻したのはてめえらだ。

 絶対に、

 絶対に、

 絶対に許さない。

 虐殺が始まる。

 背後から、大波が、落ちてくる。

 その巨大な遮蔽物と、できたての死体に身を隠すことで、すべてのゴミ虫から視線を遮った。

 瞬間、横に跳ぶ。

 水の壁を突き抜けて、ゴミ虫どもの背後に回る。

 誰も気づいていなかった。

 ゴミ虫どもは、大波が落ちきるのを悠長に観察し、雫が飛び散るまで待ってから、艦娘の姿が消えていることに気がついた。

 狼狽えている、そのコンマ1秒に、

 

 バンバンバンバン。

 

 4匹、撃破。

 砲声を聞いたゴミ虫どもが反応する。私がどこにいるかを探しながら乱数軌道、

 その先に4発、置いておく。

 

 バンバンバンバン。

 

 時を引き延ばし、敵の体内の肉と骨と鉄と管の位置と動きを把握しておけば、どこからだろうと撃ち抜ける。

 もう、すでに、

 視線を巡らせるまでもなく、

 私の聴覚と触覚は、鋭く正確に、すべてを探知し終えていた。

 4匹、撃破。

 大波の盛り上がりに隠れながら、更なる獲物を選定する。

 どういう順番で落とせば効率的か、計算しながら、思いだす。

――そういえば。

 これで9匹撃破したから、総撃破数1万匹を超えたじゃないか。

 

――殿堂記録作ッテ、ダカラ何ダッテ話ダヨ。

――テメーハ、一体、何ガ楽シインダ?

 

 うるさい。お前はなんにも分かってない。

 私はな、1万匹を達成したから、これからステキなパーティをするんだよ。

 

――そうですね。素敵なドーナッツパーティにしましょう。

 

 約束、したんだ。

 なんでも作ってくれるって。

 だから私は、ドーナツを希望して、あのひとは作ってくれるって言ったから、言ったんだから、あのひとは約束を破らないから、私を裏切ったりしないから、

 でも、

 でも、

 彼女はもう動かない。

 だったら、

「……そうだ」

 隠れるのを、やめた。

 波の影から、姿を見せた。

 ゴミ虫どもが察知して、鉄の弾を何発も放った。

 ぜんぶ後ろに抜けていく。

 当たるもんか、そんなもの。

「いいこと、思いついた」

 一撃。

 リ級の鳩尾に命中し、内部の機関の外殻に滑って、竜骨へ突き刺さった。

 これで、10匹撃破。

「――私が、手伝えばいいんだ」

 あのひとが動けないなら、私があのひとの手になって、一緒に作ればいい。

 2人でドーナツを作るんだ。

「ドーナツはてめえらだ」

 穴を、開けてやる。

 二度と塞がることのない穴を、深々と。

 残り8匹、ぜぇーんぶドーナツにしてやろう。

 神経を、更に加速する。

 筋肉を、引き絞る。

 もう避けない。

 避ける必要なんてない。

 これは戦闘じゃないんだから。

 お料理教室の始まりだ。

 ゴミ虫どもの動きは、スローモー。

 各々が最速のつもりで撃ってくる。

 てんでばらばら。

 コマ送りの砲口が、こちらを向いた。

 トリガーを引かれる前に、こちらの弾が入るようにした。

 腔中爆発の花が咲く。

 幾重にも連なって、全員の主砲を破壊した。

「やーった、やっととっと、で・き・た」

 これでもう、

 連中は、

 まな板のうえの鯉も同然だ。

「やーった、やっととっと、で・き・た」

 弾は、残り82発。

 ぜぇーんぶ使おう。

 上手にドーナツ、できるかな?

「やあ・やあ・やあ・やあ、」

 撃った、

「でーきた、できた、」

 撃った、撃った、撃った、

「できた・できた、」

 撃った、撃った、撃った、撃った、撃った、

「ハイっ、ハイっ、ハイっ♪」

 撃ち抜いた。

 穴を広げて、きれいに整えた。まんまるに。

「……よぉーし」

 きれいで、おいしそうになったと思う。

 ドーナツどもは、断末魔さえあげられず、ぼちゃぼちゃと波に揉まれて消えていく。

「うん」

 赤い海に、ただ独り。

 他には誰もいなかった。

 ぐるりと辺りを見回した。

 あのひともとっくに海の底に沈んでしまったようだった。

 眼下の闇を、じぃっと覗きこむ。

「どうかな、初めてのお菓子作り……。上手にできてたら……褒めてくれてもいいんだよ?」

 返事はない。

 やっぱり、だめか。

 もっと腕を磨かなきゃ。

 決めた。

 これからはドーナツをたくさん作ろう。

 そして海の底にいるあのひとに届けるんだ。

 上手にできたらきっと褒めてくれるだろう。いっぱい作って、ポイントを貯めるんだ。名付けて“上手にできましたポイント”。そうすればいつか私が彼女のもとに行ったときにたくさん褒めてもらえるから。

 頭を撫でてもらうんだ。

 何回も、何十回も、髪を梳いてもらって、たまには逆に私がやって、指先についた彼女の匂いを嗅いでみる。ぺろりと舐めて、そしたら彼女はきっと恥ずかしがるから、からかって、そして、

「――ひぃっ」

 砲口を突きつけた、その先に、

 怯えた顔があった。

「ああ……?」

 誰だっけ。

 知ってる顔。

 幸薄そうな駆逐艦。

 名前を思い出すのも、かったるい……。

「ゆ、夕立さん……? 無事、みたいですね。良かった。……敵は?」

「てき?」

「あの、口裂け女の艦隊は……?」

「ドーナツにした」

「え? ど、ドーナツ?」

「うん。大和にあげたんだ」

「大和さん……?」

「そこにいる」

「そこ、って?」

 少女はきょとんとしている。

 人差し指を、ゆっくりと下へ向けた。

 赤い、赤い海の底へ。

「大和は、そこにいる」

 少女の顔がひきつった。

 後ろに居並ぶ、艦娘たちも同様に。

 いちいち大げさな。

「そんなにおかしい? よくあることでしょ」

 帰ろう。

 帰って、飯を食って寝て、弾と油を補充して、それからまた来ればいい。

 そうすれば何度だって会えるから。

 トラック泊地の艦娘たちは誰もついてこなかった。

 別にいい。

 どーでもいい。

 そこで勝手に打ちひしがれてればいい。

 私は、私の道を行く。

 どうしてこんな簡単なことに気づかなかったんだろう?

 仲間とか、

 信頼とか、

 絆とか、

 そんなもんはハナっから必要なかったんだ。




『比叡と霧島の夜』を延々と聞きながら書きました。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。