狂犬夕立は大和の耳を舐めてみたい   作:シャブモルヒネ

5 / 12
転2:ガンガンいこうぜ

「……う」

 悪夢を見た。そんな気がする。

 うっすらと瞼を開ける。

「ここは……」

 営倉だった。

 白い床。白い壁。

 やけにきれいな営倉もあったものだ。入居前のアパートの一室のように清潔だ。埃だって見当たらない。

 身を起こし、ぼんやりとした頭を動かした。

 何をやらかしてここに入ったんだっけ?

「……あー、そうだった」

 誰が悪いのか? 思い出してみるまでもなく原因は自分だった。

 命令無視。

 言い訳のしようがない。

 ついはりきってしまった……だけではもちろん済まされなかった。下された処分は、営倉入り2日間。

 ちょっと軽すぎると自分でも思う。

 この程度で済んだのは、やはり、大和のおかげだった。

 総撃破数1万まであと少し――そう煽ってしまった自分にも非はあると、壁向こう、天井向こうの執務室で彼女はかばってくれていた。

 その声を夕立は確かに聞いたのだ。

 耳をすまして、ほんの微細な大気の震えを感知して。

 ……なぜだろう。

 彼女はどうしてそこまでしてくれるんだろう。

 それがどうしても分からない。

 だから、当人に聞いてみることにした。

「入りなよ」

 閉ざされた扉にそう言うと、ガチリと鍵が開けられた。

 扉が開く。

 姿を見せたのは、やはり大和だった。

 そこに居るのは知っていた。

 慣れ親しんだ彼女の香りが漂っていたからだ。

 説教でもしにきたのだろうか。用があるならさっさと入ってくればいいものを。

 見れば、大和は身体の前でもじもじと指を合わせ、肩を縮こまらせていた。

 これではどちらが怒られているのか分からない。

 自分のほうがまだ堂々としていた。

「――あの、」

「説教なら聞く。でもその前に、1つだけ教えてほしいんだ」

 遮って、疑問をぶつけることにした。

「どうして私に構うんだ?」

 言ってしまってから、もう少し柔らかな言葉を選べなかったのかと少し後悔した。

 けどしょうがない。

 こんなのが今の私の精いっぱい。

 彫像のように固まってしまった大和に目を合わせ、聞いてみた。

「秘書艦だから、問題児を更生させる義務がある? ……にしても私は、行き過ぎてると思うけど。愛想がない。協調性がない。倫理観もない。とどめに命令無視までやらかした。こんな奴、見捨てたって誰も文句を言わないよ。なのにあなたは私をかばってさえいる。なんで? どうしても分からない。秘書艦は暇じゃないんでしょ?」

 大和はいよいよ顔を白くして、糾弾されたかのように唾をのむ。

 それは、まさに攻撃された者がとる態度だった。

 そうじゃない。

 傷ついてほしいわけじゃない。

 けれども今は好奇心が勝った。

 彼女が自分をどう見てるかを知らねばならない。

「ただの善意にしちゃあ度が過ぎてると思う。ねえ、どうして? なんで? ……勘違いしないでほしいんだけど、嫌で言ってるんじゃないよ。むしろ逆。感謝、してるんだ。今までそんなふうに構ってくれたひとはいなかった。でもね、ただ嬉しがってるだけじゃ、ダメだと思う。だから聞いてるの。あなたの気持ちを。知らなきゃダメなんだって私は思う」

 たどたどしくも、どもりながら。

 それでも聞きたいことを順番に並べてみた。

 どうだろう?

 こんなことを聞かれたら嫌じゃないだろうか。

 これまで自分の言動で人がどう思うのかなんて考えたことはない。そんな経験は積んでこなかった。だから今もほとんど分からない。

 悪手かもしれない。

 こちらの意図は伝わらないかもしれない。

 しかし、それでも。

 ただ受け身でいるだけじゃあきっとこの手は何も掴めない。ずぅっと足踏みするだけだ。

 だから聞く。

 聞いてみた……。

 大和は――

「……」

 沈黙は、嫌だった。

 それでも待った。

 大和はこわばり、唇を開いたと思ったらすぐ閉じて、俯いて、顔を上げ、それでも喋らなかったけど、夕立はただ待った。

 待ち続けた。

 そして。

「……少し、昔の話をします」

 大和はとうとう喋り始めた。

 自分の気持ちを。押しこめていた過去を。

 

 大和が自室からもってきたのは1枚の古ぼけた写真だった。

 艦娘たちの集合写真。

 今のメンバーとはまったく違った。知らない顔ばかりが整列している。

 どうやらこれは8年も昔に撮られた写真らしい。

「……当時は、ここ中部海域こそが最も重要視されていました。ここトラック泊地に精強な艦娘たちが集められたんです。これは、そのときの写真です」

「ふぅん……」

 8年前。

 まだ夕立が訓練生だった時代。

 その写真のなかの艦娘たちは、なるほど確かにどこか野暮ったかった。装いもなんだか古くさく、髪もみんなボサボサで、いかにも「そんな余裕はありません」という当時の切迫した様子が見てとれた。

 しかし誰もがしっかり立っていた。堂々と、重心が安定している。撮影のために並んでいるのに臨戦態勢のようで、力強さを感じた。

「これ、私です」

 細長い指が示した先に、今より少しだけ若い大和が立っていた。

 どことなく緊張した表情。

 初心な時代……などとは思えなかった。

 なんだろう。

 他の周りの艦娘たちも一様にひきつった顔だった。

 原因は、すぐに分かった。

 その写真の端のほうにいた。

「こいつら……なに?」

 3人。……いや、4人か。

 明らかに浮いている一団がいた。

 腕組みし、仁王立ちして撮影者を睨みつける彼女たちの眼つきは、尋常ではなかった。これからお前を殺しに行くからな――そんな気迫を隠そうともしていない。

「当時の主力です。……そして、1番の問題児たちでした」

 多分、何人か殺してる。

 夕立はそう感じた。

 南米のマフィアだってもう少し優しさがあると思う。少なくともこんな眼つきをする奴は深海棲艦のなかにもいなかった。

「神通さんぐらいだね。こんな眼ができるのは」

「……神通さん? 呉の?」

「うん。訓練生時代にね、つい……ついだよ? 呉の提督をこう呼んじゃったんだ。『ヤリチンもやし野郎』ってね。そしたらこんな感じの眼になっちゃってさ」

「……あなた、よく無事でいられましたね」

「呉の提督がとりなしてくれて、なんとか。もう呉の敷居はまたげないけど」

「そうですか……」

 大和は1つ、溜め息をついて、

「でも、手はだされなかったのでしょう?」

「今、言ったじゃん。呉の提督が止めてくれたって」

「ええ、そうです。でもね、それでも止まらなかったのが、彼女たちです」

 写真のなかの異分子、4人。

 見たことのない制服だが、同系統。艤装の形をみるに……戦艦だろうか?

 大和の顔が苦虫を噛み潰したようになる。

「彼女たちは、提督の言うことを聞かなかった。……いえ、正確には違いますね。表向きは従っていました。けど、こうと決めた事柄に関しては譲らなかった」

「どういうこと?」

「例えば、命令が気に食わないと「了解」と言いつつ従わないんです。「撤退」といわれたのに、反転・交戦。帰ってきてからこう言い訳するんです。「艤装の調子が悪くて追いつかれました。敵は全滅させたから問題ないですよね?」……って」

「……それさぁ、まんま私のやったことじゃん」

「ええ。だから怒ったんです」

「ご、ごめん」

「いいです、分かってくれたなら。……話を戻します」

 大和はゆっくりと語りだす。

 

 曰く、その4人組は誰に対してもそんな調子で、いつでも周囲に突っかかっていたという。

 特に仲が悪かったのが、空母勢。

 ともに出撃することの多い間柄、そっちの手際が悪かったと帰投するたびに罵倒を浴びせていたのだ。ここまでは良い。問題なのは、空母勢のほうも同じぐらい肝が据わっていたことだ。空母娘も空母娘で、「てめえらが無能なのが悪いんだ」と憚らずに言い返した。最悪だった。どちらも一歩も譲らなかった。犬猿の仲とはまさにこのことで、いつ殺し合いに発展してもおかしくなかったと大和は言った。

「比喩ではありません。いいですか、繰り返しますが、比喩ではないんです。あのときに居た者にしか分からないでしょうけど、当時のトラック泊地では本物の殺気が飛び交っていたんです」

 当時、寮を艦種毎に分けるという決まりはなかった。戦艦も空母も同じ建物に住んでいた。そしてトラック泊地では同じ階にその両艦種の部屋があったというから救いがたい。

 火と爆弾が、同じ場所。

 爆発しないわけがない。

 誰もが分かっていたけれど、その戦艦娘たちと空母娘たちがあまりにも怖すぎて介入することができなかった。

 「そして、事件は起こるべくして起きました」

 当人たちも分かっていたのだろう。

 Xデイに備えてこっそり懐に忍ばせていたらしい。

 凶悪な、軍用ナイフを。

 きっかけは当人たちにしか分からない。

 真相は闇の中。

 どちらもけして口を割らなかったから。

 その日の夜。始めはガラスが割れる音がしたという。金切り声があがったと思うとすぐにドスンバタンと重いなにかが壁と床に叩きつけられる音が何度も寮中に響いた。

 誰もがすぐに悟った。

 とうとうXデイがやってきた。

 巡洋艦娘も潜水艦娘も、布団をかぶってやり過ごすしかなかった。大和でさえ最初はそうしようと怖気づいた。

 相手が深海棲艦ならまだよかった。

 本当に恐ろしいのは、生きた人間のナマの憎悪なのだ。

 当時の戦艦娘と空母娘は、どちらも「吐いた唾をのむぐらいなら死んだ方がマシ」と信奉している狂信者。退くことがありえない以上、行き着くところまで行ってしまう可能性は十分にあった。

 当時の大和は決めた。

 自分にしか止められない。

 ドアノブに手をかけ、廊下に飛びだす――その直前、遠くで笛が鳴った。

 憲兵隊の呼び笛。

 そう気づき、ハッとした。

 憲兵隊がやってくる。

 すぐに抗争を止めなくては大事件になってしまう!

 今度こそドアを開いて廊下にでると――現場は凄惨だった。

 窓ガラスが何枚も割れている。

 壁に、床に、血飛沫が飛び散っている。

 そして、何よりも異様だったのは……戦艦娘たちと空母娘たちが、全員、自身の部屋の前で整列していることだった。手を後ろにして、顎を真っ直ぐあげていた。まるで何事もなかったかのような態度で。

 どうして……?

 ――憲兵隊がやってくるから。

 醜態を晒さないように抗争を中断した。

 その可能性に思いあたるまでずいぶんと時間がかかった。

 しかし、あまりにも無理がある誤魔化しかただった。

 当時の大和は震えた。

 服が破れているのは当たり前。

 顔が腫れあがってる者はまだ可愛い。

 ぽたりぽたりと血を垂らしてる者、腕が明らかにおかしな角度に曲がっている者もいる。そして、極めつけは、戦艦娘・空母娘それぞれのリーダーの有様だった。

 大和は声もでなかった。

 それは、後から駆けつけてきた憲兵隊も同じだったのだろう。

 修羅場を覚悟していたであろう彼らも2名の顔を見て、しばし絶句していた。

 戦艦娘のリーダーは、顔が幾重にも切り裂かれていた。

 空母娘のリーダーは、片目が半分飛びだしていた。

 それでも、どちらも何食わぬ顔で整列しているのだ。

「ちょっと転んじゃいましてね。お騒がせしてすいません」

 空母娘はそう言った。

 目玉をぐいと元の位置に押しこみながら。

 そして戦艦娘は、顔中からドクドクと血を垂らしながら、大きく裂けた口でにぃぃと笑ってみせた。

「こっちはね、一発芸の練習をしてまして。ナイフでお手玉。そうしたら、手が滑って、顔がちょっと斬れちゃいました。ええ、たいしたことはありません。なんでもないですから。そうだろ、なぁ?」

 誰も理解できなかった。

 その後、治療とともに事情聴取が行われたけれど、戦艦娘も空母娘も、誰一人として口を割らなかった。あれは事故ですらないと言い張った。

 そして、信じがたいことにそれが通ってしまったのだ。

 目撃者がいないことにはしょうがない。

 他には、不祥事をもみ消したいお偉方の意向もあったのだろうけど、とにかくありえない事態だった。

 ――その騒動以降、寮は艦種ごとに分けられることとなり、どこの鎮守府・泊地にも監視カメラが設置されるようになった。

 

「最悪でしたよ」

 大和ははっきりと言いきった。

「私たち艦娘は戦うことが仕事です。皆で仲良くしなければいけないわけではありません。けれど、それを差し引いても当時のトラック泊地はひどかった。あんな空気は、もう二度と体験したくありません」

「……だから、私に構ったの?」

 夕立は、ぼそぼそと。

「私が、トラック泊地の穏やかな空気を壊しそうだったから」

 大和はゆっくりと首をふった。

「いいえ。少し、違います」

 大和は目を細め、遠い過去へと再び思いを馳せる。

「あの騒動があった次の日、その空母のリーダーが死んだんです」

 さすがの夕立もぎょっとした。

「……轟沈でした」

 相手は深海棲艦。

 けして手ごわい相手ではなかったと大和は語った。

 しかしその空母娘はあっけなく攻撃をもらって大破して、二の矢も受けて轟沈した。

 一瞬の出来事だった。

 あんな単調な攻撃を避けられないわけがないと誰もが思っていた。

 しかしその空母娘は素人のように被弾した。

 おそらく、片目が見えていなかったのではないか、と大和は思っている。

「……今でも覚えています。帰投したときの皆の目を。その艦隊のなかには昨夜大立ち回りをやらかしたばかりの戦艦娘たちもいましたからね、皆、疑っていましたよ。後ろから撃ったんじゃないかって」

「……」

「その艦隊には私もいました。誓って言いますが、そのような行為は一切なかった。彼女たちは戦闘行為にだけは実直だったんです。どれだけ仲が悪くても味方の邪魔をするようなことはしなかった。まして後ろから撃つなんて……。けど、周りはそうは見ない。あの女たちならやりかねない、そう思ってしまうんです」

 その日を境に、完全に亀裂が入ったと大和は言った。

 戦艦娘たちはいっさい弁明しなかった。

 そう思いたいなら勝手に思え――そうやって溝を深めるばかりだったという。

 大和だけは違うと叫んだが、誰も信じようとしなかった。

 誰も近寄ろうとしなくなった。随伴艦になることさえ嫌がった。それも当たり前だろう、気に食わなければ撃ち殺してしまう相手にどうして背中を預けようとする?

 戦艦娘たちはそれでも態度を変えず、プライドを優先し――

「そして、最期には戦艦4人だけで勝手に継戦。敵の潜水艦に囲まれて轟沈しました」

 救いようのない話。

 大和はどうしてこんな話をするのだろう。

 ひとの機微に疎い夕立にもなんとなく読めてきた。

 4人の異端者たち。

 自分勝手を貫いて、孤立して死んでいった女たち。

 それを夕立と重ねているのだ。

 今度は救ってやりたいと、そんなふうに今でも嘆いている。

「彼女たちは孤立した。孤立した末に、轟沈してしまった。直接的な原因は、誤解ですけど……でも、じゃあ彼女たちは悪くなかったのかといわれれば、まったくそんなことはないと思うんです。いいですか――」

 大和は目を合わせてこう言った。

「誤解されるようなひとも悪いんです」

 その台詞は、夕立にとって、あまりにも心当たりがありすぎて。

 まるで心臓をアイスピックで一突きされたような痛みが走った。

「彼女たちは、普段の行いが悪すぎました。そして、それを省みようともしなかった。だったらもう、誤解されて不利益を被るのも仕方ないことなんです。……もちろん、誤解や差別のような扱いを肯定するわけではありません。けど……ひとは完璧じゃないんです。いつでも公平に判断できるわけじゃない。……すいません、上手く言えなくて」

「いや、……うん」

 大和の言いたいことはよく分かる。

 夕立は、ブルネイ泊地では孤立していた。

 同僚たちが距離をおいていた。……そういう面も、確かにあるだろう。でも、じゃあ自分のほうに非がなかったかと問われれば、まったくそんなことはないと思う。

 いいや、それどころか。

 自分から距離をとっていた割合のほうがはるかに多かったと、今なら分かる。

 否定されるのが怖かったから。

 他者との違いを見せつけられるのが嫌だったから。

 別にいい、関係ないと、見ないふりを続けていた。

 自分は何も間違っていないって。

「私は、自分自身のこともよく分かっていなかった気がするよ……」

 愛想をふりまくのが馬鹿らしい。

 下手くそに合わせなきゃいけない意味が分からない。

 仕事に気持ちの問題を持ちこまないでほしいし、無能の命令に従う必要なんてないはずだ。

 ――そういった自意識が、確かにある。

 間違っていないと理屈を並べることもできるし、現にずっとそうしてきた。

 でも。

 正しかったら、何なのか?

 それで満足か?

 楽しいか?

 他の全てを失っても後悔しないのか?

「……」

 違う。

 正しさなんかより、その場しのぎの納得なんかより、もっと欲しいものがある。

 上手く言語化できない何か。その何かは、たった今、ひとの形になって目の前に存在している。そんな気がする。その者の名は、

「……どうして、あんたなんだ?」

「え……?」

 言って、少しだけ目を瞑る。

 心音が聞こえる。

 自分と大和、2人の鼓動が。

「あんたは1つ、間違ってるよ」

 鼓動のリズムは変わらない。

 安らぎのある世界に浸る。

「私は、その写真の4人とは違う。私のほうがずっとずっと強い。多人数に囲まれたぐらいじゃあ死なないよ。相手が戦艦だろうが、空母だろうが、10人だろうが、20人だろうが、全員返り討ちにできる。これはもう事実なんだ。だから、あんたの心配は的外れ。私を心配する必要はない」

 また空気の読めないことを言っている気がする。それぐらいは分かる。

「……けどね、」

 ちゃんと全部、言っておこう。

 こういう、変なのが、私なんだ。

「もっと心配してほしい」

 瞼を開ける。

 ほんの少しだけ困惑した顔が映った。

 うっすらとした汗の臭いに、控えめな香水の香りが混じっている。

 確かめたくなる。もっと深く。

「大和。あんたはきっと色々考えてるんだと思う。昔のこと、今のこと、トラック泊地のみんなのこと、自分のこと、私のこと……。でもね、そんなにいっぱい、私にはよく分かんない。今までずっと自分のことしか考えてこなかったからね。それでつまんない生き方をしてきたし、これからも同じように生きてくんだと思う。つまんねー、つまんねーって思いながらさ。でもね、それを変えられるとしたら、多分あんただけなんだと思う。ねえ、変えていいからさ。変えて、ほしいんだけど……」

 この香り……。

 自然と、目線が吸い寄せられる。

 首筋、耳の裏。

「あんたの好きなように変えてくれ。優等生にしてもいいし、戦闘マシーンにしてもいい。あんたが教えるように頑張るよ。だから私をどうにかしてくれないか」

「ど、どうして……急に……そんなことを、言うんです?」

 大和は、困惑して。

 いつの間にか壁際に追いつめられていた。

 追いつめたのは自分だ。

 ぐいぐいとにじり寄っていた。

「だって、教えている間はずっと見ていてくれるでしょ?」

 鼓動が速まっている。自分はきっと熱情を発しているのだろう。見ていて丸分かりなほどに。大和もそれを察知して、とまどって、鼓動を速めている。

 ここだ。

 ここしかない。

 今この瞬間こそが最大の好機だ。

 夕立の狩猟本能が告げていた。今この獲物は油断している。抑えこんでかぶりつけばきっと捕まえられるだろう。しかし、一度逃がしてしまえば二度目はない。常識とか立場とか、夕立が飛びこめない秘密の草むらに隠れてしまう。

 だから絶対、逃がさない。

「ちょ、ちょっと、あの、近いんですけど、」

 首筋、耳の裏。

 匂いの源泉。

 鼻先を押しつけて思いっきり嗅いでみたい。そして舌を這わせて味を覚えたい。己のあるじの情報を知ってみたい。

「あの、あ、あの!?」

「いいから。返事」

「え、えーと、なな、なんなんですか? わ、私なにかし、しました?」

「した。していい。しろ」

「こ、こここ、」

 困ります、とは言わせない。

「あんたが悪い」

「わ、私っ!?」

「そうだ、あんたが悪い。あんたは野良犬に餌でもやってるぐらいのつもりだったのかもしれないが、そうやって味を覚えさせられた犬はどうすりゃいい? 一度きりの幸運だって忘れろっていうのか? そんなことできるか。また味わいたくなるんだよ、一生ね。だったらちゃんと責任とれよ。次の餌と、ちゃんとした寝床を用意して、1日1回散歩しろ。もうそれしか道はないんだよ」

「……んんん???」

「返事、しないなら……私はまた野良犬に戻るぞ。誰も信用できないってことなんだからな。もう言うことなんか聞かないし、嘘つき呼ばわりされないためにまた耳をたくさん狩ってくる。それでもいいって言うんだな」

「だめだめ! だめです!」

「じゃあ……分かるでしょ? 返事だよ。『はい』って言うだけでいい。それだけであんたは私を変えられる。どうしたい? 厄介者にはしたくないんでしょ? ちゃんと教えなよ。何をやったらだめなのか、何をしなきゃいけないのか。深く考えなくていい。今までと同じ。それだけ。ただし毎日世話をする、それを誓うだけ」

「なんか、言い方が! 尋常じゃない気がします! これは一体、なんの返事になるんですかっ!?」

「うるさいなぁ」

 風向きがよくない。このやり方では反発の芽を育ててしまう気がする。

「分かった、言い方が悪かった。……私はただ、見捨てないでくれって言いたかっただけ。だって、ほら、命令無視しちゃったし……」

 しょげてみる。

 俯いて、人差し指の先をつんつんと合わせる。

「そ、そんな、見捨てるだなんて」

 お。

 悪くない反応かも。

「あなたを見捨てたりなんかしませんよ。絶対に」

「ほんと……?」

 いいぞ。

 この方向性なら、いける?

 脳みそをフル回転。ぎゅぃーんと記憶をひっくり返す。

 ……あった。

 ちょうどいいサンプルケース。

「いなづ……夕立といっしょに居てくれるのです?」

「? ええ、あなたを孤立させたりなんかさせません」

「だったら、またお話してくれる?」

「もちろんです」

「今まで通りじゃ嫌なのです。私の知らないことを色々教えてほしいのです。……いいですか?」

「あの、どうしていきなり敬語に……」

「あ、う、それはほら、大和が上司って自覚が芽生えたから……」

「そうですか……?」

「うん。あ、はい」

 ぷっ、と大和はふきだした。

「変なひと。無理しなくてもいいですよ。少しずつ慣れていけばいいんです」

「ほんと? じゃあそうする」

 ふー、と息を吐きだした。

 人の真似は疲れる。

「ふふ。さっき言ってたこと、その、色々理解できませんでしたが……あなたも色々分からないんですよね? だから理解するために教えてほしいと、そういう話なんですよね?」

「そうだよ。そうそう」

「だったら私も歓迎です。色々教えてください。私も色々教えますから。話をしましょう。お互いのことを知って、理解していけば、きっとより良い道が見つかるはずですから……」

「うん。そうしよう」

 ようやく着地した。

 ほんとはもっとがっちりと捕まえてほしかったけど、まあいいか。今はこれで良しとしよう。それに、大和の性格からいって、自分の口から承諾させたことには大きな意味がある。時間をかけてじわじわぐいぐい押していけばきっとなし崩しで寄りきれる。

 私のすべてを、彼女のものにする。

 その未来にはきっと完璧な安心と幸福があるだろう。

 わくわくする。

 こんな気持ちは初めてだ。

 心踊るとはこういう気持ちをいうのか。

「あっ」

 ふいに大和が声をあげた。

「笑った……」

「え?」

 大和の手のひらがこちらに伸びてきて、頭のうえにポンと置かれた。

「初めて見ました。あなた、笑うとかわいいんですね」

 5本の指が、ゆったりと後ろへ流れていく。

 手櫛は髪の隙間に入りこむ。前髪から側面へ。右耳の上のあたりを撫でつける。

 あっ?

 あっああっ?

 あっあっあああっ??

 なにこれ、なにこれなにこれなにこれ?

 髪の生え際に触れられるたびに鳥肌がたった。

 指先のわずかな熱を頭皮で感じると全身の毛穴が開くようだった。

「ちょっといたんでますね。ちゃんとていれしてないでしょう? もったいないですよ――」

 わーー!?

 わーーー! わーーーーー!

 すごい。やばい。すごい。……すごい!

 もっと。もっと。もっとして。もっとしてもっとしてもっとして。

「あうあ」

 天上の至福。

 恍惚にひたった。

 生まれてきてからこれまでの記憶がすべて染めあげられた。

「あの、わたしはもうもどりますからね? きいてます?」

 わかんない。

 しばらく降りてこれなかった。




残弾が尽きました。
次話の完成までお待ちくださーい。


アンケート、やってくれた皆様、ありがとうございます。
改行多すぎかなーと思ってたんですがむしろ少ないようですね。思いこみがありました。
エグいのも大丈夫そうですね。耳狩りとか、わりと危ないかなって思ったんですけど。
それとも苦手なひとはブラウザバックしているだけでしょうか。
今回はいろいろと書き方を変えてるつもりなのでフィードバックがすごくほしいです。
率直・直感的に「ここらへん読みにくいなあ」とか「悪ノリしすぎでは」「キャラの中身変えるならオリジナルでやれよって思った」って書いちゃってくれると嬉しいです。では。

感想みたいなの。あてはまるものにチェックしてくれると作者が喜びます。

  • 改行が多すぎない?
  • 改行、これぐらいでいいんじゃない
  • もっと改行するといいかなぁ
  • エグいのは苦手
  • こんぐらいなら平気
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。