大和が帰ってしまうと暇だった。
ぼけっとしながら、外窓にぶつかってくる雨粒を眺めた。
雨は止まない。
雨は、嫌いだった。
耳と鼻がほとんど使えなくなってしまうから。
戦闘でのアドバンテージが減ってしまう。日常生活においても気だるくなる。
やる気がでない。
特になにをするでもなく、昼になった。
メシを食う。
トラック泊地はメシも旨い。
それは既に分かっていたことだけど、まさか営倉入りしてる問題児にまでコーヒーがふるまわれるとは思わなかった。
ずず……と黒い液体を口に含む。
舌のうえに心地よい苦みが浸透する。口内を満たした香りとともに喉へと滑らすと、全身に心地よいカフェインの毒素が染みこんだ。
少しだけ意識が活性化した。
「えいやっ」
逆立ちしてみる。
スカートが盛大にめくれ落ちたけど、見ている奴もいないだろう。
手をぺたりぺたりと動かして、四角い壁沿いに進んでみる。
トレーニングといえばトレーニング。ただなんとなく落ち着いていられなかった。
「……」
ここのところ、大和のことばかり考えている。
そんな自分のことを更に外側から振り返ってみた。
駆逐艦夕立。
かつては自分のことしか考えず、自分のためだけに生きてきた。
今は違う。
「……」
ぺたり、ぺたり。
今は。
ほんの少しだけ、他人の気持ちを考えられるようになった。
その対象はまだ大和だけかもしれないが。
でも、これから先も彼女に導いてもらってその影響をうけていったなら、考え方もじんわりと変わっていくだろう。そうなればより多くの者たちの気持ちを考えられるようになって……未来は少しだけ明るくなるのかもしれない。
未来の自分。
ほとんど想像できないが、それはおそらく頼れるベテラン艦娘というやつに近いのだろう。クソメ……鳥海のような立ち位置なのだろうか?
いつでも周りに誰か居る。声をかけられ、笑顔を向けられ、放っとかれることもない。周りから好かれる存在とかいうやつ。
「……」
ぺたり、ぺたり。
今は、まったく想像できないが。
それのどこがいいのか、経験がないから実感も沸かないけど。
薄雲の瞳を思いだす。
敬意の光。
頼られるということ。
それは、きっと悪くない。
敬遠されているよりはずっといい。
「……」
ぺたり、ぺたり。
今、自分はものすごく順調なのだと思う。
人生の路をまっすぐ進んでいる。
歩けているのだ。
まだ1歩、2歩かもしれないが、ブルネイ時代とは確実に変わっている。
そして、変わったからこそかつての自分の実態がよく見えた。
どうしてあんなに態度が悪かったのか、その理由も。
「ん」
――誰か、来た。
歩幅、長い。
体重、重い。
成人男性。
逆立ちをやめて、小窓の正面に立ってみた。
現れたのは、提督だった。
「……む」
彼も夕立が待ち受けているとは思わなかったのだろう、少し驚いた顔をしていた。
「そうか、耳がいいというのは本当なんだな。俺の足音に気づいたか」
と片眉を上げてみせた。
……どうにも好きになれない奴だけど、今となれば以前とは違う見方もできる。
「どうだ、反省しているか?」
「はい、とっても」
「ふん、そうは見えないがな」
「なら態度で示します。次からはちゃんと命令に従います」
「次、ね。それがあると良いのだが。お前のやったことは重大だ。反省したと言われても、はいそうですかとすぐに元通りにするわけにはいかない。また似たようなことをされれば艦隊全体の歩調が乱れ、誰かが犠牲になるかもしれんからだ。……お前は、信用を失ったんだ。それは分かるな?」
「はい、分かります」
淀みなく答えると、提督は面食らったようだった。
「やけに素直だな?」
「大和……さんに、諭されたので」
提督は首を傾げて、顎をさする。
「それだけで、反省したと?」
「はい。それが、私が態度を変えている理由です」
「お前のブルネイでの言動と評価は知っている。お前は7年もの間、ろくに周りと協力しなかったそうだな。なのに、トラック泊地にやってきて、たった1回諭されただけであっさり反省したという。そんな話をどうやって信じろというんだ?」
「反省したんです」
「分からんな。ブルネイ泊地ではできなかったことをトラック泊地でできる理由、それはなんだ?」
「大和に嫌われたくないからです」
「……は?」
ぽかんと口を開けた。
わけが分からないということらしい。
まあ無理もない。
でも、どう言ったら伝わるか……。
「彼女は、尊敬できるひとです。私は初めてそういうひとに会いました」
言ってから、失策だったと気づいた。
これでは大和のご機嫌伺いのために態度を変えている、と言っているに等しい。
問題の本質は、命令違反をしたことなのに。
しかし提督は、夕立の的外れな言い分を咎めようとはしなかった。
「そうか。大和に影響された、か……」
心当たりがあるような顔。
やっぱり、と思った。
彼も、大和が周りに与える影響に気づいている。
ここにきて夕立はようやく確信した。
まったく認めがたいことだけど……トラック泊地の提督は、自分によく似ている。
かつて、この提督は鳴り物入りでトラック泊地に着任した。
口裂け女を撃退するために。
しかし蓋を開けてみれば、実に3年間も手こずってしまっている。
その原因は、相手が熟練の精鋭で、トラック泊地の手のうちをよく知っているからなのだけど……総司令部はそんな事情を考慮しないだろう。
たかがflagshipが率いている40匹程度の群体も追い払えない無能者。
そうやって、過小評価する。
「あいつは所詮、実戦ではなんの役にも立たなかった」と。
そして、不当な評価は、ひとを腐らせる。
そのことを夕立は誰よりも分かっている。
ひとは己の成果を認められなかったとき、自身の正当性を守るために排他的になるものだ。
自分は悪くない。
悪いのは誤解するお前らだ。
でも、言ってもどうせ分からない。
だったら初めから期待しない。説明しない。言い訳しない。
そうするうちに、口も態度も悪くなる。
周りの心は離れていって……悪循環になっていく。
その姿は、ブルネイ時代の夕立とほとんど同じなのだ。
彼は一見、小者くさい言動でしかないけれど、これでもまだ踏みとどまっているほうなのかもしれない。
秘書艦である大和にほだされて、最後の良心を失わずに済んでいる。
今は、昼。
提督にとっては貴重な休憩時間。
それを割いてまで命令違反をした者に会いに来た理由はなんだ?
用件があるなら誰かに言伝すればいい。
厄介者を切り捨てたいなら、スパっとブルネイに追い返してしまえばいい。
だが彼はそうしていない。
わざわざ営倉までやってきて、問題児の心算をその目で直接測ろうとしている。
そして暗に、信用を取り戻せ、と忠告しているのだ。
……聞いている分にはまったくそうは思えない言い方だけど。
「提督さん」
「なんだ?」
「提督さんは、口が悪いですよね」
「……なにぃ?」
「私が言うのも変ですけど。そういう言い方してると、誤解が生まれますよ?」
「はぁ? なんだって? 俺の聞き間違いか? 反省してると言ったその口でもう挑発しているように感じるが?」
「挑発なんかじゃないです。アドバイスです」
「ほ、ほーう」
提督はひくひくと口角を震わせる。
「まったくもって腹立たしいが、まあ正論だ。いいだろう、俺からも1つだけ教えてやる。よく聞けよ、正論ってのはな、重要なのは中身じゃない。誰が言ったか、なんだ。つまりな、俺が言いたいのは……」
バン、と強化ガラスに手のひらを押しつけてくる。
「お前にだけは言われたくないんだよ!」
「ふっ、ふふふっ」
面白すぎて、笑った。
いやはや、まったくその通り。
確かに私にだけは言われたくないだろう。
私だって、自分自身に同じことを言われたら頭にくる。
んなこたぁーとっくに分かってるんだよ! ってな感じに。
「ぷっ、ふふふ、はは」
「ちっ、なに笑ってんだよ。そういうとこだぞ。お前、態度で示すって言ったばかりだろうが」
「す、すいません。ふふ」
これは悪いことをした。
目尻の涙をぬぐって、頭を軽く下げた。
夕立と、提督。
ガラスを挟んで、愚か者が2人。
どうやら互いに好きにはなれない間柄。自分の嫌なところが見えてしまう。
でも。
そうと分かれば少しだけ心の棘を引っこめることができた。
「――で、提督さん? ここから出たら私はどうなるんです?」
「ふン。いくら強かろうと独断専行する馬鹿ほど迷惑な奴はいない。よっぽどブルネイに追い返してやろうと思ってたんだがな、大和のやつが、ど~してもチャンスを与えてやれってうるさくてかなわんのだ。だから1度。たった1度だけ、大目に見てやることにした」
「ありがとうございまーす」
「おい、勘違いするなよ! こんなのは特別中の特別なんだ! 本来ならお前なんか、」
「提督さん、私のブルネイでの賞罰歴も知ってるんでしょ? 大抵のことじゃ動じません」
「……チッ、これだからブルネイ育ちは! 性根が腐ってやがる!」
「違いますよ、提督さん。そんなのはブルネイじゃあパワハラのうちにも入らない。小馬鹿にしたけりゃこう言うんです……「親譲りの梅毒がとうとう頭にまで回ってきたか?」ってね」
「……」
さすがの提督も呆れたようだった。
「あのババア、どういう教育してやがる」
「ブルネイの提督は悪くないですよ。何もしてないから。悪いのはぜんぶ深海棲艦です」
「意味の分からんことをいうな」
ほんとのことなんだけど。
ブルネイ泊地の艦娘たちの口が悪いらしいのは、おそらく同じように口が悪かった深海棲艦に対抗するためなはず。
……いや待てよ。そう考えれば。
この自分の口と態度が悪いのも、そんな先達たちの悪例に倣ってきたせいじゃないか?
本来の自分はもっと素直で明るくて朗らかなのかもしれない。
そうだ、私は悪くない!
……。
……。
いや、もちろんそれだけじゃないとは分かってるケド。
「――とにかくだ。お前はここから出たら水雷戦隊の下っ端からやり直しだ。旗艦の軽巡洋艦の指示には絶対服従。それができて初めて一人前、そういう扱いをする。文句はないな?」
「ないです」
「ありません、だ」
「ありません」
「ふン。分かればいい」
言い捨てて、提督は背を向けた。
「……ブルネイではまともに教育もしてもらえんようだな。敬語もろくに使えない」
「はぁ」
どうだろう。
他所からお客さんが来たときなんかは鳥海や他のメンツはちゃんと敬語ができてたように思う。
「もしもお前が信用を取り戻せたなら――」
提督は、振り向かないまま手をひらりと振って去っていった。
「ちゃんとした口を利けるようにしてやるよ。トラックのせいにされちゃかなわんからな」
偉いひとは大変だなぁ。
と、しばらくぼけっと見送っていたけれど。
これはもしかしたら親切というやつなのかもしれないと気がついた。
「あ、どうもです」
営倉入りから丸1日経過。懲役、残り24時間ぐらい。
夕方の薄暗くなる頃合。
……晴れているなら、だけど。
今も雨が続いている。
窓の外は真っ暗だ。
そろそろ夕飯の時間。
あんまりお腹は空いてない。
退屈だった。
それが己に課せられた罰なのは知っていたけれど、それでも窓しかない部屋に押しこめられているだけというのは暇すぎた。
耳を澄ませて、周囲の振動を集めてみる。
ほとんど何も聞こえなかった。
雨粒が弾ける音のせい。
これだから雨というやつは。
「執務室のー、様子がー、分からないー」
大和は何をしているだろうか。
ぼけっとしていたら、誰かが廊下を走ってくる音が聞こえた。
「……?」
ばたばたと、勢いよく。
焦っているような足音は、すぐに営倉のドアにぶつかった。
「夕立ッ!」
提督の声。
まるで悲鳴のようだった。
「口裂け女だ! やつら、ここに来て攻め方を変えてきた! 輸送艦を囮にして……水上部隊が釣られて、囲まれた!」
ガチャガチャとカギが回されて、すぐにドアが開けられた。
提督の顔は真っ青だった。
そのこめかみに汗がうっすらと滲んでいるのがよく見えた。
「敵は18! こっちは6人! 大和を中心に時間稼ぎに徹しているがもうもたん!」
大和。
その単語に、夕立は雷鳴もかくやという速度で立ち上がる。
「――どこッ!?」
提督の胸ぐらを掴んで座標を聞き出すと、弾丸よりも速く飛びだした。
「行けっ、夕立! みんなを――」
そこから先は聞こえなかった。
階段を4段飛ばしで駆け上がり、用意された艤装をひったくる勢いで装着し、固定と同時に着水する。
母港には、今まさに出撃せんとする救助部隊が待っていた。
「置いていくっ!」
速度いっぱいで追い抜いた。
1秒が惜しい。
まさかこんなことになるなんて――とは思わなかった。奇襲・待ち伏せなんて当たり前。いつだって死の影は揺らめいている。
しかし、それが大和に……私の大和に!
喉がきゅうと絞めつけらて息が通らなくなるような錯覚。
まだだ。
まだ、分からない。
駆ける。
雨風が横殴りに浴びせられ、すぐにずぶ濡れになる。
波は荒れ狂う。
風が、波が、行く手を阻んでいた。
障害をかきわける。
夕立の技能が十全に活かされた。体重移動、波を蹴るタイミング、風を受ける身体の角度。放たれた矢のように直進した。
(くっ!)
だが、これでも間に合うのか。
確信はまるでない。
迷いが、生じた。
本当は……もう1つだけできることがあった。
たった1つの選択肢。
夕立にだけ選択できる蛮行が。
夕立は、ひとが持ちえる範疇の性能をフルに発揮できる。
それは文字通りの“フル”だった。
夕立は、人体のリミッターを任意で外すことができた。
火事場の馬鹿力。
脳内麻薬の分泌。
時間認識の加速――タキサイキア現象の実現。
それらを解放すれば、この荒れ狂う海原をほんのコンマ数秒ずつ速く乗り越えていくことができる。
しかし。
リミッターとは、自身の身命を守るために設定されている。
外してしまえば骨肉は損傷し、毛細血管は破裂して、なにより重大な疲労を背負いこむことになる。
そうなれば、着いたところで勝てやしない。
大和を守るどころではない。
この雨風に耳と鼻と肌感覚をふさがれた状態で、さらに巨大なリスクを負って18人の熟練者と対峙する?
それは無謀と呼ばれる行為だ。
――止めとけよ。
裡から、声が。
湧きあがってきた。
――リミッターを外して走れば、疲弊してろくに戦えなくなっちまう。
そう、それが現実。
生存と撃滅に特化した夕立だけが知る真理。
――仮にやったところで、いったいどれだけ速くなる? 時速何秒ぶん? その差で間に合うなんてことがあるか? 焦るんじゃない。ここは冷静に、最も確実な方法を選ぶんだ。
……でも。
それでも。
走りたいという気持ちを抑えられない。
どうする?
どうしたらいい?
何が正しいか夕立には分からない。
……正しさ?
正しさなら、知っている。
戦闘マシーンとして培った経験が知っている。
“無理ならやってはいけない”という大原則。
“できるか分からないならやってはいけない”という安全則。
それらに従うことで生き延びてきた。
総撃破数9999匹という偉業へと至ることができた。
でも、そんなもの。大和の命に比べればクソだ。
だけど着いても守れなかったら意味はない……。
どうする?
判断を誤れば、全てを喪う。
自分の気持ちを優先して、走るべきか?
自分の原則を優先して、抑えるべきか?
夕立は、決めた。
次話の展開を選んでください。多いほうにします。
-
走る。(ハッピーエンド好き推奨)
-
抑える。(曇らせ隊推奨)