くらげの骨:ありえない、あるいは非常に珍しい物事のたとえ。

 BOOTHで販売している短編集「翌/風星群」に収録されています。

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海月の骨

 

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 カンブリア紀の夢がずるりと抜け落ちた。

 全身に張っていた骨の感覚はとうに無い。支えが無くなって水圧で潰れそうなゼラチン質の肉に、(ぬる)く、どろどろしたものが代わりに注がれた。

 はち切れそうなほどに詰まったそれが全身を巡るたび、鈍い指先も、無駄飯喰らいの心臓も、あたしの人生より磨いた瞳すら、言葉を亡くした銀色になっていく。

 不老不死のタネを知って、心が(しろ)く固まって。

 でも、ここに詰まったものの名前は何と言ったか、忘れてしまった。

 

 

 

 

 

 

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 昨晩、なんとなく冷房を消して寝たせいだろうか。ここ数年は深夜でさえ30℃を超えるというのを知らないはずはなかったのに、愚行を犯したあたしは当然の帰結として熱中症を引き起こしていた。目を覚ましたのは夕方で、挙げ句の果てにクーラーは壊れていた。使われないものの方が壊れやすい気がするのは人も機械も一緒だな、なんて思いながら、空っぽのお腹を満たそうと開けた冷蔵庫も空っぽで。なんなら頭の中も空っぽなので、両親がもういないことに思い至るまで若干の時間を要した。花の女子高生にはハードに過ぎる出だしの夏休みだ。

 都内のマンションの9階、物置部屋を作っても持て余していた3LDKの中の、楽器と小さな本棚が置かれた寝室にあたしはいた。物はあまり無い。幼い頃、夜中に水を飲もうと起きたら点けっぱなしのテレビでホラー映画が流れていて、それ以来、家具の隙間や影が怖くなってしまったのだ。

 あの夜。驚いてコップを割ってしまったあたしを、たまたま起きてきた父が抱きしめてくれた。冬に差し掛かる頃だったと思う。心配そうに母もやってきて、ホットミルクを3人分淹れてくれたから。父はあのとき、オバケもこんな高いところには来ないさ、なんて笑っていたっけ。家賃はいくらだと言っていたか。熱帯夜の名残で頭がぼんやりしたままだけれど、とりあえず、ご飯を食べなきゃいけないことだけはわかる。

 

 ああでも、あたし、料理とかわかんないや。

 

 スーパーに行くかどうか悩みながら水を呷って、汗が出たので水をもう一口飲んで、手近にあった塩飴を音を立てながら噛み砕いてもう一口水を飲んで。思ったより体力を消費していたことに気がついたあたしは、外食に出ることにした。節約より欲が勝った。生きていけるかどうかより明日のご飯の方が心配で、明日のご飯より今日のご飯の方が心配だった。死んだら食欲も何も無くなるけれど、生きてる内は食べなくちゃいけない。それに、死ぬのはいつでもできるし、突然やってきたりもするようだけれど、ご飯は用意しなきゃ食べられないから。

 ラーメンを食べに行こう、と思った。一応は夏休みだ。葬式も終えて予定はしばらく無い。未だ余熱の残る頭は、昔に家族で行ったラーメン屋さんに行こうと発案した。場所は千葉。行こうと思えば行ける。

 そういえば去年、見学のために行った大学の文化祭で買った文芸部誌に、傷心の女の子が海を見に行く話があった。あれは千葉から海芝浦駅への電車旅だったか。

 あたしも一応、傷心中ということになる。

 

 ……思い出のご飯を食べて、綺麗なものを見たら、何か、あるだろうか。

 

 両親との別れを済ませてからずっと、あたしの胸の奥に住み着いているイメージ。金属的なもの。水のように形を変えて、心臓のように拍動するもの。

 これの正体は掴めるだろうか。

 そうしたら、あたしは、まともに生きられるだろうか。

 

 

 

 

  

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 かつて観たホラー映画とはあんまり関係がないけれど、あたしは物陰だとか、暗闇だとか、とにかく死角というのが怖い。今この瞬間だって、真後ろを異形の何かが這いずっているかもしれない。かつては携帯電話だって新幹線だって非科学的な夢の産物だったのだ、幽霊だってわからない。元は人間で、しかも往々にして酷い目にあって恨みを持った者がなるという。そうしてどこにも旅立てなくなった挙句、心霊スポットだ肝試しだと見世物にされたら怒って当たり前だと思う。怒り狂った人が怖くないはずもない。まして、そんな風におちょくっておいて怖がるのは失礼だとすら、あたしの道徳は言っている。

 だからだろうか。暗闇の中に恐ろしいものばかりでなく、神秘的なもの、美しいものも潜んでいる想像が、ふと脳裏をよぎる事がある。

 駅へ向かう道すがら、あたしの3次元マイナスX軸を捉える瞳は海月(くらげ)を映していた。

 車ひとつくらい平気で呑み込んでしまえそうなほど巨大な海月だ。膨らんでは萎むゼラチン質の生命はクリアブルーに朧く光る。海中ならば正しく月のように見えるだろう。どうか抱きしめて欲しい、願わくば無重力の楽園へ攫ってほしい、狂わせてほしい。月にも海にも、そんな祈りを託したくなるイメージがあった。それでいて、美しさに目が眩んで触れたら最期、心を永遠(とわ)に包まれる。お盆の頃になれば潮汐に乗って押し寄せる透明な彼らを、あたしはお月サマが遣わせる夏の死神だと思っていた。

 両親が死んだのは海難事故ではない。交通事故による。家族で海辺の旅館に止まって、横断歩道を渡ろうとして、青信号をなぎ倒す影と轟音があった。後に聞いた話で、あの日の浜辺には海月が無数に漂っていたらしい。

 両親を攫ったのは海月なのだと、あたしは確信していた。

 あたしの中からふたりを絡め取って、代わりにそのトゲで、何かを刺し注いだ。体を支える芯とすげ替えるように詰められたそれは、温く、どろどろしたもの。

 心の穴を埋めるようなそれは、あたしの何もかもを停止した。頭の奥がぼんやりと痺れて、それでいて昨日のことも10年前のことも鮮明に不老不死で。これは何だろうと、あたしは心に問う。

 背後の海月は、ゆらゆら、ふわふわ、笑うだけだ。答えを求めて振り返ったら暗闇と目が合うだろう。それが怖いから、あたしは背後を確かめずに歩く。

 駅の改札を通過した。持ち物は交通系のICカードと、畳んでポケットに突っ込んだ1万円札。それから古いアコースティックギターを入れたギグケース。

 先週までは夢があった。音楽の先生になりたかったんだ。音大行って、ギターとピアノを教えられる先生に。

 今は、もう、いいや。

 思い出のご飯を食べるついでに海へ捨てよう。そう思って背負ったケースだった。

 

 なんで捨てようとしてるんだろう。どうでもいいなら、別に置きっぱなしでもいいんじゃない?

 

 海月が言った気がした。

 あたしはホームに滑り込む電車の足音を聞いていた。だから、多分気のせいだ。

 あたしが大切にしていたのは、お父さんが弾くギターだから。

 

 

 

 

 

 

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 両親は、年頃の娘としてちょっぴりくすぐったいくらいに仲良しだった。仲睦まじい、というよりは、仲良し、という幼い表現が似合いそうな、微笑ましい空気の仲だった。彼らはどちらもひとりっ子で、それでいて60近い高齢。あたしが小さい頃に母方の祖母が亡くなって、もう他の血族はこの家族のみ。いつお前を置いて逝くかわからないなぁと、年寄り臭く、ちょっと不吉なことを常々言っていた。

 その代わりだったのか、よく惚気話を聞かされた。父のギターはそんなエピソードのひとつ。かつてバンドブームというのがあったそうで、その頃にクラシックギターを買ったらしい。でも、その頃には大学を卒業していた父は若者に混ざってロックをやるのが気恥ずかしく、仕事の傍らにジャズを弾いていたのだとか。趣味が高じてジャズバーに通い始め、客同士セッションをする中でちょっと拙く枯葉*1を弾いたら、音楽講師をしていた母の目に止まった。お酒が入っていたから、目の前の女性がヘプバーンに見えたんだ、と言っていた。今は違うのかと母が聞けば、スコーティンに見える、なんて言う。彼の瞳にはただ最愛の妻だけが映っていて、映写機の中で笑う大女優の名前はどれを宛てがっても足らないようだった。あなたはムービースターじゃないでしょ、と母は笑っていた。俳優よりも学校の先生と結婚したい、細やかな幸せを分け合えそうだもの、いつもそう付け加えて。父は高校教師だった。

 父は惚気話をしながら、よくギターを弾いていた。思い出の滲む音はいつも優しくて、温かくて。母のホットミルクと、父の枯葉。穏やかな時間の象徴はどんなときにも我が家にあって、それは先日の旅行でも同じだった。

 死はやってくる。唐突に。どんなに素敵な映画も、映写機を壊せば止まってしまうように。フィルムを引き裂けば見えなくなってしまうように。

 ムービースターと結婚したら、劇的な終わりが待っている。それが喜劇なら構わないけれど、悲劇なんて望んでいない。誰だってそうだ。些細な幸せがあれば良い。明日を生きていたいと思えるだけでいい。母の望んだ恋はそんなものだったはずなのだ。

 それでも、人生は映画のようなものだから、私たちはみんなムービースターだ。

 些細な幸せなんて、絶対に望めない。望めなかった。もう無くなってしまった。

 

 お腹が空いた。体の中が空っぽで、電車の音が無性に響く。その空洞に海月がいる気がした。ぽっかり空いた場所に銀色を注いで揺蕩っている。あたしの瞳は映写機だ。空想のフィルムばかりを見ている。

 

 小さい頃にラーメンを食べたとき、あたしはお腹が空いていたっけ?

 

 お母さんは少食だったな。お父さんのチャーシュー麺からひと切れ貰って、それと半ラーメンで満足してたっけ。

 あたしは何を食べてたかな。

 覚えてないや。

 

 

 

 

 

 

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 電車に乗って夜を行く。窓の外を海月が泳いでいる。真っ白で有色透明のゼラチン質。目なんて無いのに度々視線が合うのはどうしてだろう。小さい頃は死神だと思っていた。線路は千葉の海を走る。誘われるがままに向かう。向かう。向かう。

 

 千葉は母の故郷だ。海の近い学校に通っていたそうで、台風一過した翌朝に一番乗りした教室で見る青空が綺麗だったと、懐かしそうに話していたっけ。あたしは結局都内の高校に進んだけれど、羨ましくなかったと言えば嘘になる。美しいものは好きだ。大好きな母の思い出にある景色なら尚更。

 ふと思い立って、あたしは海岸の近い駅で下りた。父の愛したギターを持って、母の愛した景色を見たかった。ふたりの思い出を還したくなった。

 だって、ふたりとも、海の目の前で死んだんだよ。

 トラックのスリップ事故。整備は不思議なくらい万全で、ドライバーの意識も鮮明だったらしい。突然ハンドルが利かなくなって混乱する様子と、あたし達とは完全に逆の方向へ切ったはずのハンドルが実際に効いていなかったことが、レコーダーによってわかっている。その人は自責の念に駆られて自殺を図り、今は助かったものの意識不明のままらしい。あたしは両親の教育を恨んだ。憎めなかった。事前の対策が万全だったことをあたしは理解できてしまったし、思い詰めた様子を見て罪悪感さえ湧いてしまった。そんなときでさえ海月があたしを見ていた。あたしは背後を向けない。死角が恐ろしいから。空想の海月がいないことを確かめたくないから。優しい両親を失って悲しめないことを、まともに生きていくことができないことを、確かめたくないから。

 

 ギターを手放そうと思った。命は消えてしまう。思い出は忘れてしまう。その残り香と隙間の寂寞が切に痛むなら、全て手放してしまえば良い。無いものは無くならない。

 駅舎を出て海へ歩く。もう随分進んで、やがて、砂浜へ出た。波の音は案外うるさく、夜の暗い水はさほど綺麗なものではない。少し濁った灰色で、母の語った思い出とは似ても似つかないと思った。

 

 忘れるにはちょうどいい。

 

 海月があたしの背後にいる。じっと見ている。後ろ髪を引かれるような思いがあったけれど、それでも足を踏み出した。

 波の中へ、一歩一歩。

 膝まで浸かれば流石に冷たい。肩まで浸かれば重く寒い。でも、なんだか他人事で、あたしは空想の奥底へ沈もうとした。

 父の思い出を背負って、母の思い出に包まれて消える。些細な幸せと言うなら、あたしはそれだけで良かった。

 懐かしいご飯を確かめないままなのは、ちょっとだけ惜しいけれど。

 小さい頃、両親と共に川の字で寝ていた。ありふれた記憶が揺らめいた。潮騒が子守唄みたいで、なんだか、眠たい。

 

 

 

 

 

 

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 夢を見る。

 真っ暗な夢だった。誰もいなくて、何も感じない。体の端から白く崩れて塵になっていく。マリンスノーになるのだろうか。

 父も母も、言葉は違えど同じことを言っていた。綺麗なものをそうと知るには教養がいると。音楽だろうとなんだろうと、知らないものはよく見えない、ピントが合わないのだと。

 美しい宝石も、流麗な音楽も、美文も名画も、その価値を見定める瞳があってこそだと。父は音楽に触れ、映画をよく見ていた。母もそれに応えられる教養があった。些細な幸せを見出だせる瞳が。

 ここは真っ暗だ。誰もいなくて、何も感じない。瞳が潰れている。そう気付くと同時に直感した。

 

 胸の奥を満たしていた銀色の痺れに、この暗闇は似ていた。いつか注がれたもの。海月の毒。その持ち主が真っ暗な背後から、部屋のものを減らすほど疎んだ死角から、ゆったりと身を乗り出した。

 

 車ひとつくらい平気で呑み込んでしまえそうなほど巨大な海月だ。膨らんでは萎むゼラチン質の生命はクリアブルーに朧く光る。海中ならば正しく月のように見えるだろう。どうか抱きしめて欲しい、願わくば無重力の楽園へ攫ってほしい、狂わせてほしい。月にも海にも、そんな祈りを託したくなるイメージがあった。それでいて、美しさに目が眩んで触れたら最期、心を永遠(とわ)に包まれる。お盆の頃になれば潮汐に乗って押し寄せる透明な彼らを、あたしはお月サマが遣わせる夏の死神だと思っていた。

 でも、違う。

 こいつらは漂っているだけだ。逃げ出したい現実と、心地の良い空想の間を。生と死の間を、ゆったりと。

 海月が拍動した。水も空気も感じないのに言葉がわかった。

 

 眠ろう。もういいよ。

 やめようよ。

 

 海月の光がぼんやりと伸びる。滲むような色だ。心臓のように動くたび、神秘的な色がオーロラめいて変わる。しかしどの色も、お日様をプリズムで分けたように暖かかった。

 

 ……ねえ、海月。

 あたしはそっちにいけない。

 だって、お父さんも、お母さんも、そんなこと言わないから。死神のとこにはまだいけない。

 海月、ごめんね。

 もうちょっと待ってよ。

 死ぬのはいつでもできるし、突然やってきたりもするみたいだけれど、ご飯は作らなきゃ食べられないしさ。

 小さい頃、夜中にみんなで旅館を出て、ひっそり食べたラーメンくらい。些細な思い出くらい、食べさせてくれないかな。

 お願い。あたしの一生のお願いだ。

 

 海月はあたしを抱きしめた。細い腕がくるくると絡みついて、その先っぽが子供を撫でるみたいに顔に触れて。そしてふんわりと解けていく。胸がちくりと痛んだ。傷口から銀色の液体がどろどろ、するする抜けて、透明な彼の体に還っていく。それがゼラチンの中で骨格のような形を作るにつれて、あたしの痺れも消えていく。曖昧だったこと全てを思い出していく。両親の今際の言葉、海上の高速道路で観た景色、晴れた空の白い月。唐突な終わりまでは確かに笑っていた、あたしのこと。

 床にあるものは落とせない。失くしたものは手放せない。幽霊は死ねない。あたしの心に注がれた毒は水銀だった。心を止めて時間を止めた、死によって齎される不老不死。

 毒を吸い出した海月は、満足そうにふんわりした。拍動するたびに上昇して、どこかへ消えていく。

 あたしは沈んでいく。

 何も感じなかった指先が冷たくなっていく。

 水圧に体が引き締まる。

 足の裏に、ふと、くすぐったい泥の感触がした。柔らかくて、一層冷たくて、微熱のあった頭は嘘みたいに冴える。

 海底はあたしを送り出した。浮力はあたしを抱き抱えた。

 

 

 

 

 

 

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 真夜中の海に沈み込んで、無事に浮かんだなら星が見える。月も、夜も。あたしの瞳は美しいものを見ている。両親のいない世界を、美しく捉えている。

 何かを言おうとして咳き込んだ。幸いほとんど水を飲み込んではいないみたいだけど、ちょっぴり苦しくて塩辛い。喉の痛みと微かな不安が愛おしいのは、死にたくないからだろうか。やりたいことはまだある。それを惜しめる。世界で一番些細な幸せだ。

 積み重ねて大きくしよう。幸せに生きよう。親が子供に託す願いは、それしかない。

 星を仰ぎながら背泳ぎで浜辺に向かう。ゆらゆら、ふわふわ、髪が揺らぐ。

 海月はどこにもいないけど、いたら多分、笑っていると思う。

 

 

 

 

*1
フランス語題名「Les Feuilles mortes」。シャンソンの曲だが、1949年にアメリカに持ち込まれてからポピュラー音楽としての支持を得始め、50年代からは独特のコード進行がアドリブの素材として好まれたことからジャズのスタンダード曲となっていった。



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