ある夏の日。
バイトで畑の草むしりをしていたら、不思議な子どもが現れた。


思いついたネタを勢いで形にした作品です。
蒼い子が出てくるだけで原作要素はほとんどありません。
続きはありそうでありませんが、良い感じの話が思いつけば書くかもしれません。


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長いこと原作に触れていないまま書いたので、おかしな点があれば教えて下さい。
 



畑で除草をしていたら蒼い子が手伝いに来た

 

 

 

 青い空に白い雲。

 

 

 さんさんと降り注ぐ、梅雨明けの陽光。

 

 

 遠く近く連なる山々の裾に広がる、緑の田畑。

 

 

 日本の原風景をそのまま絵に描いたような、美しい山里。

 

 

 

 

 

──自然豊かな田舎(そんなところ)で、百姓をしながら穏やかに暮らせたら。

 

 

 街中で生まれ育ち、慌ただしい日々を送る大人になった者ならば、誰しも一度は考えた事があるのではないだろうか。

 少なくともオレは考えた。それも一度ならず二度三度、いやそれ以上。

 季節を感じる間もなく、春が過ぎ、夏が過ぎ、秋が過ぎて冬が過ぎる。

 溶けるように流れていく歳月とは対照的に何年も動かない自分の人生(じかん)に対する危機感とかも、多分あったのだと思う。

 

 

 

 

──とまあ、そんなこんなでオレは今まさにその原風景、もとい憧憬のどまん中にいるのだけれども。

 

 

 

 

「・・・死ぬ。」

 

 

 端から端への移動にチャリが欲しくなるようなオクラ畑の真ん中で、オレは遥かな夏空に向かってそう呟いた。

 実に就業初日のタイムカードを切ってから四時間半の事である。

 

 もちろん、オレとて決して畑仕事は楽そうだなどと思っていた訳ではない。それなりに覚悟はしていたつもりだ。しかし、夏の日差しに加えて高い気温と湿度、その中での長時間の立ち、あるいはしゃがみでの作業は、実際に体験してみると想像の真上を行くきつさがあった。

 この酷さは、最近よくある生産者を訪ねる系の番組を見ているだけでは絶対に分からない。これで休みが少ない、儲からないとなれば、家業でも継ぎたくない人もいて当然だろう。この国の農業人口が伸びない訳だ。

 

 ちなみに隣の畑では、地元のシルバー人材センターから派遣されたバアさん達が三人、オレと同じように畝の草抜きをしている。もちろんみんなオレより数倍歳上のレディー達だ。そしてそんな彼女達はオレと同じ労働環境の下、各々がオレの三倍くらいの速さで着々と仕事をこなしていた。

 そう、テレビの中の畑でマイペースに働いているように見えるあのほっかむりのかわいいおばーちゃん達は、実はとんでもない鉄人兵団だったのだ。

 

 さっきの休憩の時、あんた新しい社員さんかねと彼女らに尋ねられたので、夏の間だけのバイトだと自己紹介ついでに、その辺のニュアンスを込めて言ってみた。

 ただ一言、皆さんすごいですね、と。

 

 そんなオレに、バアさん達は笑って言った。

 

「そらあ、私らかてしんどいよ。」

 

 別に、バアさん達のそれが口先だけのものとは思わない。実際、本当にしんどいだろう。が、それでもバアさん達のしんどいとオレのしんどいは明らかに違う。

 バアさん達に対して、『しんどさ』はその鍛え抜かれた老体に敬意と節度を持って接している。しかし、オレにはそれがない。ひたすら敵意を剥き出しにして、肩に膝に腰にと容赦も遠慮もなく襲いかかってくる。まるで、シルバーとアルミは違うんだよとでも言わんばかりに。

 

(ああっづ・・・。)

 

 首に巻いたタオルで、尋常じゃない勢いで吹き出す汗を拭う。

 以前、テレビの健康番組で紹介されていたじいさんやばあさんの多くが現役で農作業に勤しんでいたが、そりゃこんな重労働を何十年とやってりゃ鋼の肉体にもなるわ。食生活云々よりぶっちゃけこれだろ、健康長寿の秘訣は。

 

「ぶぅぇっ」

 

 毛の生えた風船みたいな実をつけた植物の太い株を抜いた拍子に、唇に土が跳ねた。それも、昨日までの長雨を吸いきれないほど吸ってねっちょりとしたやつだから、土というか泥だ。

 小学生の頃、チャリで近所の公園の池に突っ込んだ奴が池の水ってコーラの味がするんだよとか言っていたが、畑の土は普通に泥臭い。もっとも、顔全体にはさっきから幾度となく跳ねている。後で鏡を見たら、きっとホクロが八個くらい増えていることだろう。

 

「・・・しんっど。」

 

 そんな苛酷な労働環境下ながら、それでもここまでは一部ジャングル化もしつつある雑草共を文字通り根絶してきた。しかし、まだラスト何本とも思えない彼奴(きゃつ)らの繁茂する畝々を見ていると、オレの誠意や責任感の方が刈り取られてしまいそうになる。

 もう根絶やしは諦めて、上の伸びてる分だけテキトーに刈ってしまおうか。

 

 

 と、その時だった。

 

 

「待って。みんな、あなたを待ってるんだ。『私も助けて』って。」

 

「へ?・・・うわっっ!!」

 

 驚きすぎて、あやうく泥水の溜まりに尻もちをつくところだった。

 いつの間にか、すぐ横の畦に子どもが一人立っていた。

 それも、普通の子どもじゃない。欧米圏の貴族の子どもという感じの、なんとも高貴な身なりをした男の子だ。

 深い青色の上衣(ケープ)に、下は黒のニッカーボッカー。艷やかなシルクハットを戴いたアッシュブラウンの髪は、畑を吹き抜ける微風を受けてさらさらと揺れている。

 

 そんな彼は、オレと目が合うとその大きな双眸で笑った。

 まるでルビーとエメラルドを嵌め込んだような、美しすぎるオッドアイだった。

 

(なんだこいつ?迷子か?)

 

 オレは外国の貴族の夏休み事情など、とんと知らない。が、こんなくそ暑い日本のド田舎へバカンスに来ない事だけは知っている。つーかさっき日本語喋ってたな。

 

「・・・あー・・・」

 

 いったん帽子を取り、ゴシゴシと顔をタオルで拭ってから再び前を見る。が、例の子どもはまだ見える。

 これが熱中症から来るせん妄というやつか。いよいよ事務所に早退を申し出に行くタイミングだ。

 

 が、その前にもう少しだけこの夏の幻に付き合おうと思ったのは、この少年があまりにも美しかったからだ。

 それはもう、まるで人形みたいに。

 

 そうしてオレが通報されても文句は言えない程度に見つめていると、少年は突然、畦からこちらに向かって軽やかにジャンプした。

 

「あ、おい!そんなカッコで来たら──」

 

 泥まみれになるぞ。

 しかし、それを言葉にする必要はなかった。何故なら、泥達はその美しい装いにも顔にも、一滴たりとも跳ねたりしなかったからだ。

 

 そうして彼は、地面の一センチほど上を歩いてこちらへと歩いてきた。

 

「・・・・」

 

 絶賛絶句中のオレの隣にしゃがみこむと、今しがた周りの草を抜いたオクラの苗を指して、少年は楽しげに言った。

 

「ほら。ここまでの子達、みんなあなたに『嬉しい、ありがとう』って言ってる。」

 

 彼の指す苗に向かって、オレは耳を澄ませてみた。雑草に成長を阻まれていた上に周りの土をえぐり返したばかりだから、くにゃっとしていて実に頼りない。

 しかし、その葉に触れるほど耳を近づけても、聴こえるのは反対側からのピッキョ、ピッキョというのどかな鳥の鳴き声ばかりである。

 

「ね?『これで私もたくさんお日様を浴びて大きくなれる』って。聞こえるでしょ?」

 

「・・・ん。」

 

 オレは得心した。

 きっと、それは顔と心のきれいな子どもにしか聴こえない声なのだろうと。

 

「だから、ね。今なら僕も少し手伝えるから。」

 

 そう言った彼の手には、彼の背丈の半分ほどもある大きな鋏が携えられていた。繊細な装飾の施された、芸術品のような剪定鋏だ。いつの間に、どこから取り出したというのだろう。

 

「そんなきれいな鋏使うのか?どろっどろになるぞ。ほら、このオレのやつを貸して──」

 

 ツッコむにしてももはやどこから何を指摘すればいいのか分からないので、とりあえず少しでも建設的な事を言ってみる。しかし、そんなオレの健気な努力を、美少年は涼しげな微笑をもってかわした。

 

「大丈夫。これは『庭師の鋏』だから。」

 

 そうだ、こいつは夏がオレに見せている幻だった。

 だから考えても答えが出ないことに悩むのはもう止めよう。

 

 その大きな美しい金色の鋏を、彼はもはや柱に見える雑草群の根本に向かって構えた。ん?こいつ、この中にオクラが植わってるって知ってるよな?

 

 しかし少年はそのままシャキン、という快音を響かせて、雑草の手前の空を切った。そして、オレの方を見てにっこり笑って言った。

 

「さあ。これでもう簡単に引き抜けるはずだよ。」

 

 そうは言われても、もちろん見た目には何ら変わりない。刃が草に一ミリたりとも触れていないのだから当たり前だ。

 しかし彼の天使的な笑顔に逆らえず、オレはそのぴんぴんしている雑草集団を一応引いてみた。当然あまり期待はせずに。

 

 すると。

 

「うおっ!?」

 

 ぐぼっと、握りこぶし大のひげもじゃな塊が程よい力でたやすくひっこ抜けた。しかも驚くことに、途中でひげ根が一切切れない。そしてもちろんオクラの苗は無傷だ。

 それが『庭師の鋏』なのか。

 

「おお!これは気持ちいい。」

 

 そこからオレたちのツーマンセルは破竹の勢いで草を抜き進んだ。おそらく隣の畑のバアさん達の三倍くらいの速度は出ていたと思う。

 そうして、気付けばもう最後の畝の最後の一株に来ていた。

 

「これが最後だね。」

 

「こりゃすげーな。さすがに植わっててももうダメだろ。」

 

 ゲームのラストダンジョンよろしく一際強烈に生い茂る草柱を見上げながら(てっぺんはオレの背丈を越していた)、オレはそんな事を呟いた。

 

 定植の時点でそこを雑草に占拠されていたのか分からないが、たまにオクラの株が植わっていないところがある。また、植わっていても雑草達の生命力に勝てず萎えてしまっていた苗も何本かあった。

 そうして手遅れになってしまった苗達に出くわす度に、少年は死んだ葉を撫でながら悲しそうに侘びた。

「あの娘がいれば『庭師の如雨露』で助けてあげられるのに。ごめんね。」と。

 

 だが、彼曰くはこの敵の最後の砦はそのどちらでもなかった。

 

「ううん。聴こえる。『私はまだ生きてここにいる』って。『だから助けて』って。」

 

 その言葉を受け、半信半疑ながらも注意深く繁茂を掻き分けてその声の主を探す。

 

 すると。

 

「・・・あ。」

 

 確かに、鉄格子の如き無数の細く硬い茎の奥に、辛うじて蕗に似た小さな広い葉が見えた。しかし、実に危うい。今にもタタリ神化した乙事主様に取り込まれそうな、あのシーンのもののけの姫君みたいに見える。

 

「ほんとだ、あった。んじゃ、さくっと──」

 

 振り返ったオレは、その先を続けるのを忘れた。

 今の今まで隣に立っていた少年が、片膝を立てて座り込んでいたからだ。もちろん、地表から一センチくらい上で。

 

「お、おい、大丈夫か?どうした?」

 

「ごめんなさい。ちょっと、最近あまり眠れていなくて・・・」

 

 寝不足か。確かに、どこからかなんとなく調子が悪そうにも見えた。それにこの暑さと湿度となれば、こんな華奢な身体にはさぞ堪えるだろう。

 

「いいよ。こいつはオレが片付けるから、おまえはちょっと休んでろ。それで良くならなかったら事務所に相談しにいってやるから。とりあえずこれ舐めとけ。」

 

 さっきバアさん達にもらった塩飴を少年に与えてから、改めて目の前の苗を取り巻く状況を確認する。

 幼い苗は確かにまだ生きている。しかし、その周囲には無数の強靭な根がクモの巣みたいに張り巡っている。オレのただの借り物の畑鋏では十分気を付けないとオクラまで切ってしまうだろう。

 そしてその苗が、本当に助けを求めて呼んでいる気がする。災害時の救助隊員とはこんな気持ちなんだろうか。

 

(まずは周りの奴らからだな。)

 

 細い奴らは無数の茎を株ごとに束ね、根の周りにカマを入れてざくっと大胆に根こそぐ。オクラの苗に近いところは鋏でなるべく土に衝撃を与えないよう、ちまちま切る。教えてもらった訳ではないのでもちろん自己流だ。バアさん達なら、きっともっと上手いやり方を知っているだろう。

 

 しかし、それでも時間をかけて丁寧にそいつらを除き、とうとうラスボスとのタイマンに持ち込んだ。

 例のオレの背丈を越す、謎の毛の生えた実を付けたあいつだ。もしかしたら、これから悪魔の実になるのかもしれない。

 

 ペットボトルのキャップくらいある茎を試しに掴んで引いてみる。もちろんびくともしない。まあ、そうだろう。

 

「へへ・・・悪く思うなよ。」

 

 苗が近いので最初からカマは使えない。

 オレは年季の入った番号入りの鋏を構え、地表から五センチ程度のところでバツン!とやった。

 敵とはいえ、生々しいその感触に生命を刈り取った痛みが走る。しかしここで息の根を止めるのを躊躇えば、奴はまた力を蓄え、脅威の復活を遂げるだろう。やはり、やらねばならない。

 

「っそ・・・!こんの、・・・!!」

 

 真新しい青い切り株を両手で掴んで引っ張る。

 しかし、固い。とにかく固く、そして根深い。

 しぶとい根を地道にハサミとカマで黙らせながら、ひたすら引くのを何度も繰り返す。

 そうして格闘すること数分、とうとう──

 

「おわっっ」

 

 勢い余って、オレは後ろへ思い切り尻もちをついた。

 そんなこともあろうかと先に抜いた屍達を積んでなければ、かなり悲惨なことになっていただろう。そんな悲劇のケツ末は要らない。

 

 体勢を立て直してから、改めてオレは手に掴んでいるラスボスの毛むくじゃらの心臓を見た。

 今にもどくどくと脈動しそうなそれは立派としか言いようがなく、達成感を感じつつも複雑な気持ちになった。

 

 残されるものと除かれるものの違いは、オレ達人間にとって益となるか仇となるか、ただそれだけだ。植物そのものに善悪や貴賤はない。そして動物のように移動できないこいつらは、生まれついたその場所で生きていくしかないのだ。そこに弱者を気遣う余裕などないだろう。こいつもただ、そうやってここで生きていただけなのだ。

 

 

──こーゆー事を考えるから前に進めないんだよな、オレは。

 

 

 目を閉じ、二度深呼吸をしてから、今度はたった一本残ったそいつに目をやる。

 右手の毛むくじゃらの心臓とは対照的に、これまでに『助けた』どれよりもひょろりとして小さい、頼りない苗がひらひらと揺れていた。

 

「ほんと、他の奴らと全然大きさ違うな・・・。」

 

 おそらくは定植した当時のままなのではないか。

 いつのまにか雑草達の方が強固な根を張って丈を伸ばし、存在すら忘れていたこの苗は、それでもまだ青い葉をつけて生きていた。いつか、こうした日が来ると信じていたみたいに。

 何も広く大きくなる事だけが生命力ではないのだ。

 

「後は自分で頑張れよ。」

 

 思わず、そんな言葉が口をついて出た。

 大分遅れは取っただろうが、夏はまだ始まったばかりだ。

 ここまで踏ん張ったこいつなら、すぐに成長した株達と同じように大きくなり、あのべっぴんな花を咲かせて立派な実を結ぶだろう。

 

 

 その姿を想像して、ふと思った。

 残った者は、残れなかった者の分まで。

 本当はそんな事は考えなくいいんじゃないかって。

 だってこいつはきっとそんなこと考えない。

 そんなことは全く考えず、ただ、自分に与えられた生だけを精いっぱい生きるだろう。

 そしてオレはもうそれで良いような気がする。

 でも──。

 

 

「ありがとう。」

 

 背後から久々に声が聞こえた。

 さっきより幾分落ち着いているようだ。

 

「・・・こいつがそう言ってるのか?」

 

 少年の方を振り向いて尋ねると、彼は首を横に振った。

 

「いいえ。今のは僕が貴方に言ったこと。」

 

 ゆっくりと立ち上がりながら、彼は続けた。

 

「この幼い苗達のために頑張るあなたを見ていたら、なんだか元気が出ました。こんな温かい気持ちになったのは、とても久しぶり。」

 

 そう言って彼は微笑んだ。

 とても柔らかく、少女のように可愛らしく。

 そして──

 

 

 

 

 ぴたりと、その大きな鋏の刃先をオレの首根っこに向けた。

 

 

 

 

「!!?」

 

 いやいやちょっと待て、この流れでそれはどう考えてもないだろう。しかしそんなオレの混乱というか混沌に構わず、彼は鋏を開いた。

 くそう、最近のシザーマンはこんなに美形だったとは──。

 

 

 

 金色の刃に煌めく夏の陽光と、ジャキン、という背筋の凍るような音。

 それが、オレのこの世での最後の記憶だった。

 

 

 

 

 

 

 

──なんてことはなかった。

 

 

 

 

 

 

「・・・?」

 

 

 おそるおそる構えた腕を解き、全身を見回す。が、痛みはおろか、かすり傷ひとつない。というかそもそも、あの鋏が身体に触れた感触自体がない。

 

 だけど。

 

「あれ・・・」

 

 なんだろう。

 この、すうっと心が軽くなったような、長い間縛られていた縄から解き放たれたような感覚は。

 

「お礼に、あなたの心の樹に絡みついていた草の根を断ち切りました。後はもう、貴方自身がその手でそれを取り除く事ができるはず。」

 

 そう言った彼の手から、巨大な鋏がすうっと薄らいで消えた。

 

「確かに、その草もひとつの命だから。取り除くには勇気が要るし、痛みも伴う。でも、そのままにしていたら、あなたの樹は花を咲かせる事も実をつけることもできないまま枯れてしまう。そうなると、僕はとても悲しい。」

 

 そう話しながら、彼自身もまた少しずつ身体が透けていた。まるでホログラムだ。

 

「お、おい!おまえ、身体──!」

 

 答える代わりに彼は首を横に振り、寂しそうに微笑んだ。今や、彼よりも向こう側の方がはっきりと見える。

 

「僕は主人(マスター)の為に必ずあの人を見つけなくてはいけない。だから、もう行かなきゃ。」

 

 そしてシルクハットを取り、紳士的な礼をした。

 

「今日、こうして貴方に会えて良かった。さようなら。」

 

「あ、・・・」

 

 今さら待てよと言ったところで、こいつは止まらないだろう。

 だから、もう目を凝らさないと分からないほど薄まったその背中に向かって、早口に叫んだ。

 

「オレの方こそありがとな!あんま無理すんなよ!夜はちゃんと寝ろよ──」

 

 

 

 そうしてオレの美しい夏の幻は、削りたてのかき氷みたいな入道雲を登るように空へ消えていった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 その夜。

 バイト用の寮で、オレはリュックの内ポケットから久々に『それ』を取り出し、掌に乗せた。

 

 

 

──これはね、ラピスラズリって言って。幸せを呼ぶ石なんだよ。すっごく綺麗でしょ?

 

 

 

 彼女の無邪気な声が、今も鮮やかに胸に響く。

 その声に思わず目を瞑る。

 

 この石が何か幸運をもたらしてくれたかと言われれば、オレには何とも言えない。

 ただ、四角い宇宙のような、どこかの遠い星のようなこの蒼い石を見ているだけで、いつも幸せな気持ちになれた。

 

 

 幸運を呼ぶ、蒼い星のような石。

 手放すことの出来ない、大切な、呪いのペンダント。

 

 

──きっと、もう前に進める。

 

 

 目を開き、元通りリュックにしまう。

 それからフローリングに敷いた布団に寝転がり、目を閉じて彼に話しかけてみた。もちろん心の声で。

 

 

 

──おまえの『樹』はさ。

 

 

 

 きっと、すごく立派で美しいんだろうな。

 だっておまえがあんなに綺麗なんだから。

 もう二度と会うことはないだろうけど、それでもオレは見てみたいって、そう思ってしまうんだよ──。

 

 

 

 



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