『皆さん! 皆さんは間違っています! 平沢画伯は潔白が証明されたのがわからないのですか!』
弁護士が声を
パッカードは平沢と弁護士達を降ろした後で群衆に蹴飛ばされたり棒で殴られてボコボコにされたりしながら逃げ去っていた。棒を持つ者が平沢を本気で殴り殺す気でいたならば平沢は殴り殺されていただろう。あるいは首に縄かけられて木の枝に吊るされてるか、簀巻きで川に流されているかだ。幸いにしてそこまでのことにならなかった。平沢は家に駆け込み、窓に石を投げられているだけで済んでいる。
これまでのところ。『構うこたーねえ、火ぃ点けて全部燃やしちゃおうぜ!』なんて声も聞こえてくるが、
『平沢画伯は日本画壇に確固たる地位を築いておられるそれは立派なお方なのです! そんなお人が悪いことなどするはずあると思いますか!』
弁護士がまた叫んだ。途端に石がまたガンガンと投げつけられる音がして、
『見ろ! こいつも同罪だ! まとめて焼き殺すしかねえ!』『おう! そうだそうだ!』
などと声が聞こえる。しかし口だけで、ほんとに火を放つ度胸を持つ人間もなさそうだった。
これまでのところ。しかし、
「どーすんのよ」
とマサが言った。平沢の妻だ。7ヶ月ぶりに亭主が帰ってきたというのに、
「あなた、どうしてこの家に来んの。こういうことになるっていうのがわかんなかったの。まったくもう」
「ここはおれの家だ」
「へーえ」と言った。「そうだったの?
「あのな」
「それとも、下宿人かしら。お金入れない人を置く余裕なんかないんだけど」
「カネは入れたろう」
「いつのことよ。7ヶ月前。帝銀事件の2日後のこと。確かにもらいましたわねえ。八萬。それで全部かと思えばもう八萬圓、偽名で預金してたんですって? 他に何人か借金返した人がいたりー、伊豆にご旅行あそばせてたりー、
「そのお金は……」
言ったところで、
『先生は
「そうなの?」
とマサ。『あの野郎』と思いながらに平沢は、
「そんなわけないだろう。春画なんか千圓にもなるもんか。あいつら何もわかっとらんのだ」
「そうよねえ。ってゆーか、あなたが描いたんじゃ、百圓にもならないんじゃない?」
グサッときた。もちろん、それが事実だった。さらにマサは続けて言う。
「あなたの絵を買う人は、
「うるさい。だから春画など描いてないって言ってるだろう」
『わたしは先生のその絵を見ました!』と弁護士の声。『まさにウタマロ、いや、至高の芸術作品そのものでした! しかし現代の日本では、男と女がまぐわう絵というものはただ
『だったらオレにもその絵を見せろーっ!』
『いえ、ですからそれはですね、弁護士には守秘義務というものがありまして……』
「嘘をつくから突かれた時に答えることができなくなるのよ」マサは言った。「いつもあなたに言ってきたよね。あの弁護士はあなたと同じね。自分で自分をまずい立場に追い込んでる」
「なんだよ」と言った。「ああ? お前も、おれが事件の犯人だと思ってるのか」
「どうかしら。違うと言えるの?」
「違うと言えるよ。やってない。天に誓っておれは事件の犯人じゃない。完全に潔白だとお釈迦様に向かって言える」
「ふうん。とにかく、出てってくんない? ここをあなたの家と思わないでほしいんだけど」