〈ダイイチビル〉の六階にまで上がると窓に夜の皇居が一望できた。一望できてしまうことに愕然とした。自分がそれを見ていることに恐怖すら覚える。
皇居だ。それが広がっている。正面に皇居外苑があり、その向こうに石橋と二重橋があってその先に
そんなものが現代のこの東京の真ん中にあること自体異様だが、その左に少し離れてあるのが
それも上から見下ろすかたちで。ふたつの棟の奥の方を中まで覗ける距離と角度で。だからこの場に狙撃兵を連れてくれば、そのお方をいつでも狙い撃てるだろう。
その向こうに
つまり、皇居全体が。そして右手に国会議事堂。
これが一度に見渡せる。見渡してしまえることに愕然とする。愕然を通り越して慄然とし、蒼然とする思いだった。
嘘だろ、という言葉しか頭に思い浮かばない。古橋が立ちすくんでいると、
「眺めは気に入りましたか?」
と声がした。たどたどしいが日本語だ。部屋に置かれたひとつきりのデスクに向かっていた男が発したものだった。
「ちょっとしたものでしょう。こちらへどうぞ。そこへお掛け願えますか」
デスクの向かいに置かれている椅子を示した。だが古橋は動かなかった。窓辺に立ったまま、
「イヤだと言ったら?」
「強制はできない」
男は言った。着ているのは米軍の軍服らしいが古橋にはどういう種類のものなのかはわからない。その頭上で天井から吊り下げられた大きなファンが回っている。
竹とんぼのお化けのような代物だ。元からそこにあるものか、彼らが取り付けたものなのか、古橋にはそれもわかるわけなかったが、自分が椅子に座ったらそいつがギューンと回転を増して落ちてきて、鋭い刃で千枚斬りにされるのじゃないかと思えて怖かった。けれどもそれは言わずに立ったままいると、
「ですがあなたを見込んでお呼びしたんですよ。名刺くらい受け取ってほしいな」
デスクの上のペンなどまとめてある場所から男は何か取り上げて、手を伸ばして古橋に勧めた椅子の前に置いた。小さな四角い紙だ。
「わたしの名刺です」
古橋が黙っていると、
「あなたは名刺一枚から、平沢貞通を捕まえた」
「おれじゃない。
「かもしれないが、あなたはその名刺班に
古橋は応えなかった。すると男は一本の瓶を取り出してデスクに置いた。
「年代物のバーボンがある。一杯どうです」
「酒は
と言った。さっき三杯目の酒を飲もうとした人間のセリフじゃないと自分で思うが、本当のことだ。普段は飲まない。しかし男は気にしたふうもなく二個のグラスに酒を注ぎ、ひとつを名刺の横に置いた。もう一杯を自分で取る。
「コーヒーがいいなら持ってこさせますが」
日本語式に『こーひー』と言った。『カウヒイ』と聞こえる英語の発音でなく。
「ミスター・フルハシ」酒を飲んで、「シチベイ・フルハシ――それとも〈
グラスを置いて古橋を見た。『なんだい』と古橋が言うまで今度は自分が黙っている気らしかった。古橋は言った。
「なんだい」
「野球は好きですか? アメリカでは、みんなが選手のサインを欲しがる。ベーブルースのサインボールなんかは子供の羨望の的です。それにクラーク・ゲーブルのサインや、ウィリアム・アイリッシュのサイン入りの『幻の女』」
「知らないな」
「そうですか。わたしがあなたにあげたいのは、わたしのボスのサインですが。今の日本でたぶん誰もが欲しがるものと思いますよ。マッカーサー