人間と云う仕事を貰ってどのくらい経っただろうか。
休日も無く、職務に見合う給料も貰えない。
職務とは人生だ。
放棄した瞬間に首は飛び、その生の価値は零になる。
人生とは夢だ。
将来を見据え、職務を見据え、その生に価値を作る。
夢とは呪いだ。
道を一本に定め、その道以外を進む事は許されない。
最寄駅から電車に乗り、大体二時間で終点に着く。
そこには綺麗な海が広がっていた。
『まもなく原点~原点~。終点でございます』
終点、終着点、終わる点、零の点。
僕は今から退職届を出しに行く。
~~
昔の話だ。
何も知らない無邪気な子供の頃、僕は山に囲まれた田舎に住んでいた。綺麗な花畑が有名な村だった。何と云う花だったかは覚えていない。
住民も少なかったから、同年代の子供達は皆友達だった。その中でも一人の少女に僕は恋をしていた。いや、したと言う方が正しいだろう。
僕が15歳の時、彼女が遠くに引っ越すことになった。
僕はその時どう思っただろうか。もう記憶には残っていない。
君を後ろに乗せた自転車を必死に漕ぐ。錆びた車輪はきぃきぃと唄っている。早朝5時の事だ。
あの時の君は笑っていたね。僕は目を腫らしていたというのに。
駅についても僕は君の目を見れなかった。君からの無言の要求に、僕は答えられなかった。
君が改札口に引っかけた鞄は、無情にも僕の手が外してしまった。もう戻れないのだと、そう諭すように。
何千歩よりも遠いその一歩を踏み出した君は僕に言う。
『また一緒に花を見よう。約束だよ?』
その約束に僕は頷けなかったけれど、その約束は僕の夢になった。
だって、君の声が震えていたから。
ベルが鳴る。君の扉が閉まる。顔を上げる。
『約束だ!絶対に会いに行く!』
君の笑顔は、もう僕の記憶には無いけれど、虹のようだった事は覚えている。
それから数年経ち、少年から青年になり背も高くなった僕は、とある事故に巻き込まれ、記憶が死んでしまった。
とある少女と交わした、たった1つの『約束』を残して。
~~
波が迫る。抵抗はしない。
真冬の海は僕を責めるように針を刺すけれど、僕の罪を考えれば当然のことで、その罰を受け入れ足を洗う。
結局僕はその約束は果たせなかった。長い人生の中で、その『約束』を頼りに探し続けた。
顔も知らない君を。姿も分からない花を。
毎日花に雨を降らしては、出来た虹に手を伸ばす。その虹はすぐに消えてしまうけれど、花は気にするなと強く
波が迫る。体が押されて少し抵抗した。
僕の腰に波が鞭を打つ。速く進めと云う事だろう。
自分の事も、家族の事も殆ど忘れてしまっていた僕は夢の為だけに生きて来た。夢に生きて、夢に溺れて、夢に死ぬ。
昔からの決まりだ。僕は弁えていなかった。夢とは、覚めて消える物だと。
突然、泡が弾けたのだ。何故だか、『約束』を果たせなかったと感じた。感じてしまった。
道が無くては人は歩けない。道が無くては生きていけない。
己が零の者が自分で道を作ることなど出来るはずもなく、あっけなく僕は職務を放棄したのだ。
波が迫る。そろそろ息が苦しくなってきた。
この刑罰は何と言うのだろうか。追想の罪は何と言う罰を受けるのだろうか。
海水が口の中に入りそうになった所で足を滑らした。いや、違う。潮の流れが変わったのだ。
海流は僕を底に誘う。抗う事はしない。むしろ好都合だった。
海流に揉まれ、遊ばれ、数秒経っただろうか、数分だっただろうか。
気付いた時には、僕は浜辺に打ち上げられていた。
「......まだ、探せって言うのか。君は意地が悪いな」
そう呟いて目を開けると、目の前には一輪の紫苑の花が咲いていた。
(あぁ、そうか。此処に来る前に鉢植えの花を摘んできたんだった)
その花は、強く咲いていた。忘れられたように咲いていた。当り前のように咲いていた。
紫苑の花。背の高い花。
(そうか、僕は君にこの花を魅せたかったんだ......)
夢とは呪いだ。
道を一本に定め、その道以外を進む事は許されない。
呪いとは祝福だ。
道を引き返そうとした時に、その呪いは僕に勇気をくれる。
祝福の
(君の
僕は体を起こす。さて、
「どうやって帰ろうかな」
海面に映る僕の顔は、虹のようだった。