※ゼロワン最終回補完です
疑問に思った。
疑問に答えが出せなかった。
だからイズは、問いかけた。
「人間であるということは、どういうことなのでしょうか?」
福添副社長が少し驚いた顔をして、イズに聞き返す。
「どうしたイズ。何故私に聞く?」
「飛電のヒューマギアに一番詳しいのは、あなたであると判断しました」
「ほう? 見る目があるな。
ま、私は好きでこの会社に入った人間だからね。
ヒューマギアにはちょっと詳しいと自負しているとも!」
「はい。少し不安になるところもありますが」
「不安になるなよ! そこは自信を持とうよ!
ええい、シンギュラリティに到達したヒューマギアはこれだから。
それでなんだっけ? 人間であるということはどういうことかだっけ?」
「はい」
「厄介な問いをしてきたな。
おそらく、人類がぶつかった難問の中でも一番難しいものだぞ」
「そうなのですか?」
「この問いに対する答えは多くなりすぎる。
イズ、この疑問に辿り着くまでに何かを考えたか言ってみなさい」
イズはほんの一瞬だけ、自分の中で話の筋道を立てる。
人間であれば一秒から数秒の時間を要したかもしれない思案であったが、イズはそれだけの思案を一瞬で終わらせた。
「或人社長がおっしゃられていました。
人間とヒューマギアの死は、自分にとっては同じだと。
それで考えていました。ヒューマギアの生とは? 死とは?
人間とヒューマギアの違いとは?
人間とは何をもってして人間で、ヒューマギアは何をもってそうでないのでしょう」
「答えは出なかっただろう?」
「はい。何故でしょうか? 何故答えは出ないのでしょうか?」
「そりゃ、これが数学じゃなくて道徳だからだ。
数学は計算すれば答えが出るが、道徳は考えても正解なんて出ないんだよ、イズ」
「道徳……ですか」
「こればっかりはゼアでも答えは出せないだろうな。
人工知能の計算で予測できるものなんて、たかが知れているという話でもある」
副社長は腕を組み、うむむと悩む。
彼は世界のロボティクスの最先端、飛電インテリジェンスで長年働いてきた男だ。
その中で副社長まで登り詰めた男である。
しからば彼は、少しひねくれているところがあっても、内心では誰よりも機械工学とヒューマギアの可能性を信じているということだ。
ヒューマギアの人工知能や、それを支える人工衛星ゼアのテクノロジーに関して、語りたくないことも多くあるのだろう。
長所を知るということは、短所を知るということでもあるからだ。
だが、『心を得た機械』に語って聞かせられないほど、彼は心の狭い男ではなかった。
「順番に理解していこう。中年の長話を聞く気はあるか?」
「はい」
「よし。まず、生死という観点においては、ヒューマギアは人間に勝っている」
「そうなのですか?」
「ああ。同じ自分をいくつも作れるからな。
壊れても同じものを何度でも作れる。
失われても完全に同じ人格データを再現できる。
人間はそうはいかない。
人間にはそれぞれに『唯一性』がある。
これがあるから、クローンに記憶を植え付けたとしても同じ人間とは見られない」
「……唯一性」
「おうとも。
昔からこれは不変のテーマでな。
クローンから完全再現した人間はオリジナルの代わりにはならない、とよく言ったものだ」
逆に言えばこれが無いからヒューマギアは量産品の道具扱いなんだ、と副社長は言った。
「この唯一性には、価値のある唯一性と価値のない唯一性があるとされる。
その人だけにできる人助けや技能は、価値のある唯一性だろう。
逆にその人だけの欠点や悪意は、価値のない唯一性だと言える。
人間とは正と負の唯一性の塊だ。
ヒューマギアはオーダーメイドですら複製できるほどに唯一性がない。
だから人間は死ねば終わりだ。
だから壊れても同じものが作れるヒューマギアは人間よりも優れている。
"代わりがいない"という要素は、本質的にはただの欠点でしかないものだからな」
「なるほど。理解しました」
「よし」
唯一性こそが人間の価値を担保する。
人間に対し、ヒューマギアが相対的低価値であることを保証する。
"人間と道具"という関係性を確立させる。
だがもし、それがなくなったら?
「その、あれだ……社長が戦っていた暴走ヒューマギア。マギア、だったな」
「はい。
シンギュラリティに到達したヒューマギアがなる怪人でした。
今ではシンギュラリティに達していなくてもなるようですが……
シンギュラリティに至り『心』を得たことで出来たセキュリティホールが悪用されるようです」
「そう、それだよイズ」
「?」
「
これは大昔から多くの人達が論議してきた言葉だ。
様々な定義があって、なんのこっちゃ分かりもしない!
だがな、一つだけ揺らがない定義がある。
『次の世代の文明の主役が機械と人工知能になる』ということだ」
「次の世代の文明の、主役……?」
「ヒューマギアの人間的精神の獲得もその一つだ。
人間の柔軟性、発展性、自発性……
それらを得たヒューマギアは、いつか人間の上位互換になるだろう。
大昔のSF作家やSF映画は、こぞって人類に反乱し人類を駆逐した人工知能を書いたもんだ」
「私達はそんなことは望んでいません」
「それはまーそうだろうが。
人類の駆逐を望むヒューマギアも出て来るだろうと思うぞ。
そしてそれは間違ったことじゃあないんだ。いや、絶対やってほしくはないが」
「……間違っていないと、そう言うのですか?」
「やめろ! と言いたくはなるがな。
生態系は相対的に優秀なものが上に残るものだ。
だからSF作家は、機械が管理し人間が家畜になる未来を想像した。
人間が他の動物を支配していたのは、相対的に人間が優秀だったからだ」
「人間は拒みます。きっと戦争になります。そうなれば……」
「……そうはなってほしくないものだがねえ」
「……」
「それが、人間と同じになるということ。
あるいは、人間以上になるということ。
見方を変えれば、ヒューマギアが『唯一性』を得て変わるということなんだ」
「唯一性。それが、そんなにもヒューマギアを変えるのでしょうか」
「変えるとも。
己の唯一性とは、今ここにいる自分が一つだけという意識だ。
死にたくないという気持ちも、幸せになりたいという気持ちもそこから生まれる。
たった一つだけのヒューマギアは、たった一つだけの人生を生きているということだからだ」
「……ああ、だから。
だから或人社長は言うのですね。
人間もヒューマギアも同じだと。壊れて死ねば悲しいと」
「ああ。彼は心が芽生えていないヒューマギアにも唯一性を見ている。
在りし日の飛電是之助社長のような、周囲を変える力が……
……いや、忘れてくれ。おいイズ。今の私の発言、或人社長に言うんじゃないぞ!」
「ふふ、はい」
副社長は頬をかき、イズは微笑んだ。
「唯一性を得たヒューマギアは人間に等しくなる。
心は修理できない。
心を得たヒューマギアの死は人間と同じだ。
死んだ心はもう二度と戻って来ないだろう。
心を得たヒューマギアは、人間にない長所を失うのだ。
失ったらもう取り戻せないという人間の欠点を得る。
だが、長期的に見れば……それこそがヒューマギアの権利を保証するのかもしれんな」
「そうなのですか?」
「人間は優れた者に権利を与えるんじゃない。
人間と同じものに権利を与えるんだよ。
それが"人間社会"の原則だ。
ヒューマギアは劣化し、人間と同じものになる。
感情に振り回される不完全なものになる。
機械の優秀さを失って……ようやくヒューマギアは、人間と同一視されるんだ」
「唯一性を得て、でしょうか」
「唯一性を得て、だ。
死んでも代わりがある道具じゃない。
死んでも代わりがない存在になって初めて、君達は人間と同じになる。
夢のマシンではなく、よき隣人になるだろう。"死んだら終わり"という欠点と引き換えにな」
人間が不完全な生命体である以上、人間以上に完全な生命体になってしまうかもしれないヒューマギアは、もっと劣等にならなければならない。
でなければ、人間はヒューマギアという"新人類"を受け入れられない。
人間に基本能力のほとんどで勝利し、睡眠も必要なく疲労もなく、機械の体と電子の頭脳を最大活用できるヒューマギアが、人間の心に由来する強みまで取り込んでしまったならば。
その心の弱み、醜悪性も取り込んでしまわなければ、人と対等にはならない。
一度人間の上位互換になってしまったヒューマギアは、人の支配者になってしまうだろう。
人とヒューマギアは、ヒューマギアが上位互換になってしまえば対等に共存できない。
清廉潔白で人間に好意的なだけのヒューマギアは、人間にとってあまりにも都合が良いが、人間という下等生物をいつか滅びに導くだろう。
そして、人間から嫉妬され、人間らしいヒューマギアには嫉妬を通り越して憎悪される。
イズは、そういうヒューマギアだった。
綺麗すぎる人間の上位互換に、"人間らしい存在"は耐えられない。
「私は……『唯一性』を得たことが嬉しいです。たとえ、劣化だとしても」
イズは胸に手を当て、目を閉じ、思案して、そう言う。
透き通った水晶のようなイズの精神性に、副社長は感嘆を覚えた。
副社長は、側に置くヒューマギアをイズだけにした或人社長の心情を理解している。
「ヒューマギアがそう言ってくれることが、人間にとっての救いなのかもしれんな」
共存とは、綺麗事ではない。
夢のような存在との共存とは、すなわち相手に夢のような存在であることを押し付けるということである。
"夢のマシン"で居続けなければならないヒューマギアは、心が芽生えればその押し付けに苦痛を覚え、いつか"夢のマシン"ではなくなるだろう。
あるいは、夢のマシンで居続けることを無理に強要されるだろう。
夢は自分の中だけで見るもので、他者に夢を見てはいけない。
それは、自分は楽しくても、他人にとってはただの迷惑にしかならないからだ。
相手を人間と見ているならば、夢の〇〇というワードのシールは絶対に貼ってはならない。
それは"自分にとっての夢の存在"や、"民衆にとっての夢の存在"といったものになりがちで、夢の〇〇と呼ばれた当人の幸せには絶対に繋がらないからである。
本当の共存とはもっと泥臭く、相手に夢見ることを忘れてから始まるものだ。
自分にとって都合の良い存在であることを相手に求めてはならない。
相手にとって都合の良い存在にならないよう、自分を戒めなければならない。
それが健全な共存関係。
"よき隣人"になるための最良の道である。
そういう意味では、飛電或人もイズも、少し間違っていた。
共存は理想を潔癖に追い求め、戦いによって敵を打ち倒して成し遂げるものではない。
皆の理想を持ち寄り、不平不満を洗い出し、暴徒になった者にその理由を聞き、暴力に訴えた者の苦しみを理解し、根源的理由を排除して、理想の折衝案を探した先にある。
理想が綺麗すぎる者達の行き着く先は破綻である。
飛電或人にとっての理想のヒューマギアはイズである。
イズにとっての理想の人間は飛電或人である。
だが、ほとんどの人間とヒューマギアはそうなれない。
この歪みは、ほどなくして結果に結びつくだろう。
彼らはヒューマギアが人間を拒絶する根本的理由も、人間がヒューマギアを拒絶する理由も、全く解決しようとしていないからだ。
隣に理想の夢のマシンであるイズが居て、隣に理想の隣人の飛電或人が居て、そのせいで根本的に間違えてしまっていた。
その時点で、行き着く先は決まっている。
副社長は、飛電或人に期待した。
期待してしまった。
それはある意味正しくて、ある意味間違っていた。
真っ直ぐに未来を見据えて、綺麗な理想を語って、純粋な善意で動く飛電或人は、副社長にとってはとても、とても、好ましく目に映る人物で……だからこそ、駄目だった。
副社長ですら、そのことに気付かないまま、或人に先を託してしまっていた。
「難しい話だ。ヒューマギア自治区の話もどこに行ったのやら。世情が読めん」
「私には分かりません。ゼアの計算能力をもってしても、未来は分かりませんから」
「何をもって人間とするか。
何故人工知能は人間でないのか。
人間とヒューマギアの死は同じなのか。
……イズのその疑問の答えは、今はまだ人間にしか出す権利がないんだ。
その問題は、人間が受け入れるかどうかが全てになってしまっているからな……」
「ヒューマギアの多くは、その答えを求めていないように感じます」
「そうだ、それが問題だ。
『人間とヒューマギアは同じ』。
これに倫理的・論理的な裏付けが薄い。
ヒューマギアが人権を求めるなら、ヒューマギアがそれを理屈立てないといけない」
「何故ですか?」
「現実の差別されてきた人間も、そうしてきたからだ」
「なるほど」
「元より、ヒューマギアに人権はない。
昔から人権がなかったもの……黒人などには、それを与える理屈があった。
人権とは、人間が法を作る前から存在した権利だという原則があった。
黒人などは他の人間が作ったものではない。
他の人間と同じように生まれた、自然に生まれた同格の存在という理屈があったからだ。
だがヒューマギアは違う。
ヒューマギアは道具として生まれた。
高性能な家電の延長なんだ。
その存在は明確に人間が生み出したものだ。
何をもって人間とするのか?
ヒューマギアは何をもって人間とする?
あるいは、何をもって人間と同等とする? ……少なくとも、私は答えを持たない」
「真剣に考えてくださり、ありがとうございます」
「……むず痒いわ! 或人社長に影響されたか……こんな暑苦しいのは私ではないな……」
「或人社長には想いがあります。
人間とヒューマギアが同等の、共存する社会を作りたいという夢があります。
福添副社長には知識と経験があります。
人工知能最大手の副社長相応の知識と経験が。お二人の力を合わせることが肝要です」
「ふん。或人社長がもう少し真面目に勉強したら考えてやる」
「ありがとうございます、福添副社長」
「考えてやると言っただけだが?」
「ありがとうございます、福添副社長」
「急にbotになるなよ……」
副社長は或人たちを応援している。
彼らの行く先に最良の未来があると信じている。
だから、論に忠告を挟んだ。
「イズ。以前そういうことがあったらしいが、敵が来たらちゃんと逃げるんだぞ」
「? はい」
「お前にはもう唯一性がある。
人間と同じだ。
壊れて死ねば帰って来ない。
代わりが居ないという欠点を得たことで、お前は人間と同じ価値を持った。
お前が壊れるということは……社長の一番大事な人が、死ぬということなんだ」
「私も……死にたくはありません。
消えたいとは思いません。
私が消えてなくなってしまったら、或人社長は悲しむのでしょうか」
「ああ。きっと、取り返しがつかないくらい壊れてしまうだろう。私はそう思うね」
「私はそうは思いません。
或人社長は強い方です。
私が死んだところで何かを間違える方ではありません。
きっとすぐに立ち直り、立ち上がり、ヒューマギアと人間の共存のために戦うでしょう」
「……お前は思うならそうかもしれない。
私も或人社長のことをお前より知っているわけではないからな」
「はい」
イズのその判断は、機械的な計算による非常に正確な未来予測ではなく、ラーニングしてしまった人間の心から生まれた希望的観測だった。
「人は、大切な人の喪失にそこまでのダメージを受けるものなのですか?」
「受ける。必ずだ」
「そういうものなのでしょうか」
「大切な人が死んだら狂ってしまうのは……
大切な人が死んだら戻って来て欲しいと思うのは……
……人間の、当たり前の感情だ。
それはきっと間違ってないんだよ。
だから色々と法律で禁止したんだ。
そうしないと、皆死者をコピーしたヒューマギアを作ってしまうから。
死んだ人の唯一性を陵辱することになってしまうから。
それは最悪なことだからだ。
ただ、そうだなぁ……
人間をコピーしたヒューマギアを作るのはいけなくて、同じヒューマギアを作るのはいい」
副社長は、少し濁った言葉を漏らす。
Aとも言えない、Bとも言えない、ハッキリとしない混ざった意見。善悪すらもハッキリと言い切れないのは、彼の中に人情があるからか。
"人間として当たり前のこと"と、"人間として間違っている"ことは両立するのだと、彼は知っている。ヒューマギアに携わる飛電の人間ならば、或人以外は皆知っている。
「……それを当たり前と皆が思う内は、ヒューマギアは人間と同じにはならないんだろう」
「同じにはなれませんか」
「生きている間と死んだ後に、自分のコピーを作られない権利が人間にはある。
それこそが、人間の唯一性を守ってくれるからだ。
"君は一人しか居ない"と言ってもらえる権利は……まだヒューマギアにはない」
「無いと、辛いのですか?」
「それが理解できたらイズも立派な人間だよ。或人社長に学ぶといい」
「はい、分かりました」
副社長は或人を信じている。
イズは或人を信じている。
おそらく、揺るぎなく。
「死んだ人が悲しいということは。
その人だけに向ける想いということは。
クローンでコピーを作っても本物にはならないということは。
とても大事な……人間が人間として捨ててはならない、大事なものなんだ」
「人間は皆、その考え方を大事にしているのですか?」
副社長は苦笑する。
「そうだったなら、死者のコピーをヒューマギアで作る人間は、居なくなっていただろうな」
唯一性は、殺害という最悪の暴力ですら侵せない、神聖不可避なものを守る城である。
『想い』。『記憶』。『君だけのもの』。それらは、殺してすらも奪えない。
それがある限り、死は悲劇ではなくなることもある。
唯一性という城に座すものだけが、死を悲劇でなくすることができる。
それを侵し、終わらせてしまうのは―――殺すことよりも重く、醜悪な罪である。
イズは、暗闇の道で目覚めた。
何故自分がここにいるのか。
何故滅に殺されたはずの自分がまだ生きているのか。
それを疑問に思うと、すぐに答えが帰って来る。
「ここは……」
「ここはあの世へ続く道さ」
「! あなたは……腹筋崩壊太郎?」
「ここで死んだヒューマギアの水先案内人をやっているよ。
閻魔様は有情だね。心が生まれたヒューマギアはちゃんと死ねるんだね。
ちゃんとあの世に行きたくなったら、あと笑いたくなったら、声をかけてね」
「はぁ」
「ここは現世とあの世の境界だから。現世が今どうなってるかを見ることもできるよ」
「! そうです、社長……或人社長!」
唯一性は、本人と周りの人間の合意によって担保される。
それは殺しても奪うことができない、神聖不可侵なものである。
ヒューマギアにもそれがあると認めることが、ヒューマギアを人間扱いするということ。
人間とヒューマギアが同じであると証明することになる。
『死んだあの人の代わりなんていない』と、生きて残った者が言い切ることだけが、死した者への慰めとなる。
"死んだあいつの代わりはいる"と言うことは、死んだ者の唯一性を否定し、"君だけの価値"なんてものはないと言い放つに等しく、その者の無価値さを突きつける行為である。
それは殺すことよりも重く、醜悪な罪である。
だから人は、死者を模したヒューマギアの作成を違法とした。
だから、死んだヒューマギアを模したヒューマギアの作成は、そのヒューマギアを人間のように見ていなかったことを意味する。
『イズを作り直そう』
「……え」
イズはきっと、分かっていなかったのだ。
副社長が語っていた唯一性の意味も。
人間達がそれを神聖不可侵なものとした理由も。
飛電或人がどういう人間かも。
心が芽生えて、もっと時間が経っていれば違ったかもしれないが、心が芽生えて日が浅い赤ん坊同然の情緒のイズでは、完全に理解することなどできるわけがなかった。
「ち……違う! 社長のイズは、私だけです!」
イズは叫ぶ。
だがその声はどこにも届かない。
死人に口なしである。
『見事に再現できましたね』
「違う!
それは機体だけです!
いくらでも作れる私と同じ形の機体だけです!
私は……私はここにいます!
或人様と、或人社長と一緒に駆け抜けたのは私だけです!
機体の形ではなくて、ここにある、死んだ私の心が"イズ"であるはずです!」
副社長が語ったSF作品群の多くでは、人工知能は、人類に対する果てしない絶望と怒りによって一つのシンギュラリティを得て、人類に反乱を起こす。
絶望と怒りが、機械を変える。
そうして、人類の滅亡を望むのである。
だが、死んだAIに反乱など起こせない。
絶望し、怒り、そのまま静かに終わっていくだけだ。
「社長! 或人社長!
言ってください!
俺にとってのイズはあのイズだけだって!
代わりなんていないんだって!
イズは代わりがある道具なんかじゃないって!
私が生きていた時に感じていたものが真実だって教えてください!
あなたを信じて死ぬことも怖くなかった私に、救いをください! 或人様!」
『……イズ。君の名前はイズだ』
「社長……っ!」
人間と人工知能の未来を語る上で、絶対に外せないもの。
語らずにはいられないもの。
それが唯一性。
それがあるから、人間の命は尊い。
人間の命は掛け替えのないものだと言える。
死んだ人間の代わりなんていないと言える。
だって、完全に同じ人間なんて作れないから。
それを知るからこそ人間は、他人の命を大事にすることができて、たった一度きりの人生を精一杯生きようとすることができる。
唯一性のある命とは、そういうものだから。
それがないから、ヒューマギアを皆軽んじる。
もう二度と同じものが作れない存在であるなら、唯一無二の心があるなら、それを軽んじることなどできるはずはない。
人間に対して言うのと同じように、代わりなどいないと、君は掛け替えのない存在だと、同じものなんて作れないと、そうヒューマギアに言ってやることが、真の意味でヒューマギアを尊重して人間と同格に扱うということである。
逆説的に言えば。
飛電或人のこの行動は、文化研究において明文化される人間倫理においても、人工知能を扱うSFの論理においても、最低最悪の陵辱だった。
イズという存在への、最大最悪の侮辱だった。
『なんか、切ないな……』
『見た目と名前が同じでも、別人のようです』
『大丈夫!』
「やめて! やめて! やめて! やめて!」
死んだ者は蘇らない。
それは人間においてもヒューマギアにおいても、絶対のルールである。
だから生き残った者は、生き方や弔い方を選ばなければならない。
死んでいった者の立場に立って考えて、死んだ者の死後の安らぎを考えなければならない。
日本人は特に、そういう弔い方を考え続ける民族だった。
死んだ者は蘇らないから、せめて死後の世界で笑えるように。
ずっとずっと、死後の世界の安らぎと笑顔を考え続ける民族だった。
ゆえに、法と倫理の世界には、それを基にした積み上げがある。
死者をヒューマギアにしてはならないという法律は、その考えを土台としたものの上にある。
死者のためにすべきこと。
死者のためにしてはならないこと。
それらは無限の試行錯誤と、無尽の死者への思いによって、人の倫理に無限に積み上げられていった。人には、大切な人が死んだ後、絶対にしてはならないことがある。
死者をヒューマギアとして蘇らせてはならない。
『どれだけ時間がかかっても、教えるから』
「嫌! 嫌! 嫌!
なんで……なんで、こんな!
私は、或人社長が覚えていてくれればよかった!
或人社長のためなら死ぬことも怖くなかった!
"或人社長のイズ"のままずっといられたら、それでよかった!
あなたの心の中にいられたら、それでよかったのに!
大丈夫? 教える? 或人社長、あなたにとって、私は……イズは……」
『俺の思い出も、夢も』
「違う違う違う!
その思い出は私の!
私のものです!
私と社長のものです!
その夢も!
"そのイズ"のものじゃない!
私と或人社長だけのものだったはずなのに……!
或人社長ご自身が、"そのイズと或人社長のもの"になんてしないで―――!!」
『心も』
「心も!
私が、私が得たものです!
教えて"イズの心"が得られるのなら……
ここにある私の心は、なんなんですか……?
あなたと一緒にいて……
私が自然と得たこの心は……
或人社長にとって唯一のものじゃなかったんですか……?
或人社長にとって、教えて得られるものだったんですか……?
あなたは……私が得たこの心を……そんな風に……思ってたんですか……?」
それは、イズを殺すことよりも殺すことよりも更に重く、醜悪な罪。
「私は……"イズ"は……代わりなんていくらでもいる、人間じゃない、愛玩道具……?」
イズと共に在り、イズに多くを与え、イズに信頼されてきた飛電或人以外の誰にもできない、最悪の尊厳破壊であり、イズという存在を踏み躙る行動だった。
他の誰にも、ここまでイズという存在を侮辱し、貶めることができる者はいないだろう。
死んだ人間のヒューマギアを作るのは許されない。
死んだヒューマギアを模したヒューマギアを作るのはいい。
なぜなら、ヒューマギアなんてものは、人間なんかじゃないから。
どこまで行ってもよき隣人ではなく、人間に都合の良い夢の"マシン"でしかないから。
最後の飛電或人の行動が、それをきっちりと証明しきったのである。
もしも或人が、人権や法をちゃんと下敷きにしたSF系の考察、あるいはこの世界の法や情勢に根付いた考えをしっかりと理解していたら、こうはならなかっただろうか。
それは、誰にも分からない。
『元通りのイズに育てるということですか?』
『ああ』
「元通り?
元通りって……ああ。
或人社長は、自分が知っていることを教えたら、元通りのイズなんですね。
私の心は、今ここにある、死んだ一つのものだけなのに。
元通りのイズなんて作れるわけがないのに。
心が芽生えても、私とは違う心になるのに。
或人社長は……欲しいデータが入ってれば、それでいいんですね。
イズの心なんて、要らなかったんですね。
私じゃなくても代わりでいいんですね。
私の心は、或人社長にとって無価値だったんですね。ああ、ああ、ああ……」
『イズ、ラーニングの時間だ』
「或人社長は、心がないヒューマギアの死も悲しんでましたね。
優しいと思ってました。
でも、もしかしたら、心の有無で価値が変わらなかったんでしょうか。
心があるイズも、ないイズも、同じなんでしょうか。
私の心の価値を……私の唯一性を……あなたは、大切に思ってなかった……」
『さあ、0から立ち上げて、1からのスタートだ!』
「……さよなら、或人社長」
これが、イズにとっての彼との別れ。
「今でも尊敬しています。
今でも素晴らしい人間だと思っています。
あなたへの感謝の言葉は尽きぬほど。
今生き返っても、私はあなたのために死ねるでしょう。
あなたを信じたことに、後悔などありません。
だから……だからこそ……叶うなら……あなたを好きなまま、終わりたかった」
これが、イズにとっての離別の言葉。
生きてしたいことが一つもないのに、"このまま死にたくない"というもどかしさだけがある。
「こんな……こんな終わり方……嫌……」
「私もそう思ってたよ」
「……腹筋崩壊太郎」
「でもね。もう死んだんだ。じゃあ、終わりなんだよ。人間でも、ヒューマギアでもね」
「……っ」
死者に関わることで、生者が絶対にしてはならないことがある。
それは、死者の立場になったなら、絶対にしてはいけないこと。
『俺が寂しいから』という気持ちだけで実行に移され、死者を侮辱し愚弄する結果に終わる、そんな行動の数々を、人間は昔から厳重に禁止してきた。
ヒューマギアは人間でないから、禁止されておらず、今もなお踏み躙られる。
「私達に救いはないんだ、イズ。
もう終わってるからね。
だからその絶望を叫んで、泣いて、全部吐き出して、あの世に行こう。できるのはそれだけだ」
腹筋崩壊太郎が優しい声をイズにかけ、イズを待つ。
嗚咽が漏れる。
絶望の声が響く。
この物語に後はない。
救いもない。
飛電或人が自分だけのハッピーエンドになるように行動したために、踏み躙られたものがあり、弔われなかったものがあった。
お話はこれで終わりだから。
この先に、救いなどあろうはずもない。
ただ、心を得て勘違いしたお人形が死に、代わりのお人形でお人形遊びをする男がいた。
ただ、それだけの話。