貴方の命はキスの味。   作:夜桜さくら

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貴方の命はキスの味。

 夜の静寂に、足音をつけていた。

 ざり、と。

 靴底とアスファルトが擦れる音がする。

 

 一歩、一歩と足を進めていた。

 

 なのはと空を飛んだ翌日の、夜。彼はすずかに逢うことを決めて、彼女の家へと向かっていた。

 空を見上げると満月がきらめいていて、優しい光を感じさせてくれる。

 家を訪れるのははじめてではないが、やはり門は大きくて、庭も含めるとその全容が視界にはおさまりきらないのだから何度見てもびっくりする。

 そうして、正門の前まで訪れて、彼は門が開いていることに気付いた。

 

「……これ、チャイムとか鳴らさずに入ってこいってことなのかな……」

 

 実は事前に行くということは連絡していた。

 今日の夜行くから待ってて、と。

 その上でわざわざこうなんだから、これは黙って入ってこいということなんだろうか、と彼は考えていた。

 

「……」

 

 考えて、考えて、どうしよう……とひたすら悩んでいた。

 まだ待ち合わせには時間があった。

 待ち合わせ、と言うのにも語弊があるかもしれないが、『午前二時には着く』という連絡をしている。何故こんな深夜なのかと言われれば、昨日なのはと遅くまで空で遊泳していて、帰りが遅くなって、普通に親に怒られたからである。夜に出歩くんじゃない、と。

 普通に夕方や昼という選択肢はあるにはあった、が。

 

 ──彼女と逢うのは夜がいい、と思った。

 

 だから、深夜のこの時間、ひっそりと家を抜け出してきて……こうして、彼女の家までやってきている。

 もうやっていることがただの夜這いだし、色々とアウトラインを越えそうな気はしているのだが、それでも、すぐにでも彼女に逢いたいと思ってしまったのだ。

 この感情を、衝動を、止めることは難しい。いや、止めたくないと思ってしまったから、こうしてここにいる。

 

 まぁ、それはそれとして。

 

 現在時刻は午前一時と十五分。

 一般的に言えばもう寝静まっている頃合いだろう。つまり彼は今更になって、「これすごく迷惑じゃないか?」と怖気づいていた。

 待ち合わせ(仮)の二時にまだゆとりがあるということもあって、少しばかり、立ち往生してしまう。

 すると、

 

 

「……中入ったら? 寒いでしょ?」

 

 

 キィイ、と大きな門が開いて、ひょこりと赤い目をした彼女があらわれた。

 

 

 

 

 

 

「はい。お茶」

「あ、ありがとう……」

 

 暖房の入ったあたたかな自室に通されて、やわらかなソファーに身をしずめて、両手でちんまりとカップを持つ。

 ずず、と一口だけ口にするも、まだ熱すぎて一度に胃にいれるのは難しそうだった。ちびちび、と少しずつ嚥下していく。

 

「今日、寒いね」

「そうだなあ」

「深夜だしね」

「うん」

「あ、別に責めてるわけじゃないよ。うん。ただちょっと、背徳感? うん。どきどきするね」

「いやほんとごめん。家族が寝静まったあとじゃないと、ちょっとね……」

「いいよ」

 

 暖房はあたたかく、だけど、少し冷たい空気があった。

 ぴり、と張り詰めたものがある。柔らかな口調の芯には、硬さがある。でも、拒絶は感じない。

 なんというか、なんとも言えないのだが、すごく普通だなと感じていた。

 もっと劇的なことがあるのではないかと思っていた。けれどやっぱりどこまでも普通の延長線の出来事だと感じていて、それが彼に安心をくれていた。

 

 こんなシチュエーションで、緊張しないほうがおかしい。

 だからいま、心臓が高鳴っているのも、普通だ。

 

「……」

「……」

 

 そしてカップを傾けながら、ひっそりとうかがうように、君尋はすずかのことを見ていた。

 足は綺麗に揃えられていて、背筋はぴんとしていて、座り姿が美しい。

 細く長い足を覆うタイツは光沢をまとっていて、ちょっと丈の短いモノトーンチェックのスカート、体のラインが出るワインレッドのハイゲージセーター。……つまりは外着用の、ちゃんとした服を着ていて、「待っていてくれたんだ」ということが容易に想像できる。それが彼の表情に、喜色を与えてくれる。

 

「……──」

 

 そうして、視線が交わる。

 すずかの赤と、君尋の黒がまじわる。

 

「そういえば」

 

 沈黙をやぶったのは、君尋だった。

 

「今日、満月らしいね」

「……そうなんだ」

「そうなんだよ。もうバスもないからさぁ、この家着くまで結構傾斜もあるし、途中からずっと自転車じゃなくて歩いて来てたんだけど……いや、空見上げたら、きれいでさ。雲一つない月の空だよ。見た?」

「ううん」

 

 カチャ、とカップを置いて、窓際へ。

 軽く手招きをしながら、群青色のカーテンを開ける。大きな窓の向こうに、雲一つない空。満ちた月。

 しずしずと彼女はそばまでやってきていて、小さく「開けていい?」と聞くと首肯で返ってきて、鍵をかちゃん。

 

「さっむ」

「……」

 

 ほんのつい先ほどまでこんな寒い場所にいたなんて信じられないくらい、外は寒かった。

 暖かな空気と冷たい空気が混ざって……肺に、冬の夜の、冷たい清廉な空気が流れていく。

 

「ほら。見て、空」

「……うん」

 

 淡い光を帯びた、月。

 熱を持たない優しい光。どこまでも静かなで、きれいなお月さま。

 

「……」

「……?」

 

 心臓が痛い。ばくばくする。つい先ほどのどを潤していたのにカラカラで、つばを呑むのも一苦労。

 

 

「今夜は、月がきれいですね」

 

 

 赤い瞳をしっかりと見据えて、負けないくらい赤い顔で、告白する。

 時間が停まったかのように、刹那を永遠に感じていた。

 ぽかん、と空のお月さまのように口をまあるく開けて、君は驚いていて、

 

「ふふっ」

 

 堰を切ったように、破顔した。

 くすくす、くすくす──……口もとに手を当てて、こんなときにも上品で、やわらかい笑顔で。

 

 

「私、死んでもいいわ」

 

 

 とっても華やかに、君は応えた。

 アイラブユーを夏目漱石は『月が綺麗ですね』と訳し、二葉亭四迷は『死んでもいいわ』と訳したという。

 これは、そういう受け答え。

 

「……顔ちょうあっつい……」

「私もちょっと、心臓、だめかも」

「あぁ、おんなじだね」

「そっか」

 

 手を伸ばす。

 すずかの頬にふれると、彼女はくすぐったそうに目をほそめて、直後にぎゅーっと抱き着いてきた。

 火照りを夜風で鎮めながら、ぎゅうう、としばらく抱きしめ合う。

 どく、どく、どく。

 心臓が爆発しそうなほど、速くて、熱くて。

 

 唇を重ねる。

 

 髪の香り。身体のやわらかさ。そういうもので、君尋の思考はとろけていた。

 すずかもすずかで、しびれるものを、頭の奥に感じていた。

 ここがどこでいまがいつなのか、思考にもやがかかって、曖昧になる。

 

 ちゅ、ちゅる。

 

 いつしか自然と、口中の粘膜を味わい合っていた。花のつぼみを慈しむように、月の雫を飲み干すように。

 

「……っ」

 

 音を立てずに唇を離して、すずかは赤い目をとろけさせたまま、首筋をちろちろと舐める。

 

「ん。いいよ」

 

 つぷり、と針を刺したような痛みがした。

 奇妙な脱力感、酩酊感。血の流れがより早くなる感覚。

 愛しい君に、血を吸われる感覚。

 

「愛されてるって思いたいから、もっと痛くしてほしいな」

 

 控えめなのがわかった。

 この前、手首を掴まれて痛がったからだろうなぁというのは想像できた。

 だからもっと、強く、痛みを。

 そういう気持ちを込めて、彼女の頭を愛おしく包み込む。

 

 みしり、と骨がきしむほど強く、彼女はすがるように愛を返してくれて、君尋はそれが嬉しくて頬をほころばせる。

 

「俺はさ、君のことが好きなんだよね」

 

 命の雫を流しながら、彼は語る。

 

「正直今日もめちゃくちゃ緊張して来たし、どうなるんだろうって不安がすごくてさ。でも、門のところで、めちゃくちゃ普通に『中入ったら?』って。……あぁいう普通なところが好きなんだよな。すっごい安心した」

「……」

「……あぁ、そうそう。結婚も視野にいれて考えてほしいってやつだけど。……あー、俺と結婚してください。て、まだ結婚できる年齢ではないんだけど、一緒になれたら、嬉しい、な」

 

 ちろ、と唇を外して、超近距離で彼女は彼を見上げながら「ほんとに?」とつぶやく。

 いつの間にか瞳の色は、赤から藍色へと変わっていた。

 

「三か月ぶん……ってほどバイトもしてないんだけど、指輪も用意しました。受け取ってもらえると、嬉しいです……」

「なんで敬語なの」

 

 くすり、とすずかが笑う。

 少し体を離して、手だけは離さず握って、壁にかけていたコートのほうへと向かった。

 手を引かれるままに彼女はついてきて、コートのポケットから一つの包みを取り出すと……わぁ、と声をあげる。

 

「……嬉しい」

「ほんとは一緒に選べればいいなとか思ってたんだけど……指のサイズわかんなかったから、うん。えっと、指出して」

「……うん」

「指、綺麗だね」

「ありがとう……」

 

 アルファベットのCのような、片側が開いているようなタイプのシンプルなリング。

 それを、うやうやしく、左手の薬指へ。

 

「サイズがちょっとわかんなくて、オープンリング? フォークリング? って言うらしいんだけど。これなら多少の誤差は無視できるって……あぁうん。ぴったりだね」

「だね。うん。嬉しいな」

「保険かけなくてもよかったかも」

「サイズ、どうしてわかったの?」

「手つないでるときの感覚とか。自分の指と比べた感じとか。……まぁなんとなくかな」

「そっかぁ」

 

 すずかは、照明に手をかざして、可愛く目尻を下げて喜んでいた。

 

「すーっごい嬉しい!」

「……それはよかった」

 

 君尋は照れたように頭を掻いて、すずかは手をくるくるさせて色んな角度で指輪を見ていた。

 

「さっきね。普通な感じがすごい安心するって言ってたでしょ。あれ、私もすごくわかる。すごく、等身大に、私のこと見てくれてるんだなっていつも思えて……だからあなたが好き」

「……ありがとう」

「ちょっと恥ずかしいね?」

「めちゃくちゃ恥ずかしい」

「ふふ」

 

 顔をつき合わせて無邪気に笑って、そのまま、再び唇を交わした。

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「あ。そうだ。聞いたわよ。いやー、純朴そうな顔して、臭い台詞言うわね」

「えっ。何。怖い。何聞いたの」

「色々。のろけとか」

「えぇ……何聞いたの。めちゃくちゃ恥ずかしいんだけど」

「『今夜は月が──』」

「助けてください」

「……あぁ、ほんとに言ったんだ。若干カマかけだったんだけど……へぇ……やるわね……」

「?! コワ……」

「ふふ。まぁとりあえず、私の親友、よろしくね」

 

 

 

 

 

 

「おめでとう! なんかいい感じに話まとまったってすずかちゃんに聞いた──っていうか婚約したんだって?」

「いやほんと……この年で婚約までいったのは我ながらびっくりだな……」

「だね。……あー、せっかく面白いところなのに、間近で見れないのが残念だな~」

「人の恋路を面白がらないでほしい……。て、なんで?」

「私、空に行くから」

 

 

 

 

 

 

「よぉ君尋。お前まじ? 婚約とかマ?」

「マ」

「はえ~。ヤリチンじゃん~」

「ぶっ飛ばすぞ」

「月村すずかを射止めた今の心境をあらためて、どうぞ」

「……?! え、急にハードル高いこと言ってくるなお前……」

「……」

「……」

「……明けない夜はないとか、そういう言葉あんまり好きじゃないんだよね」

「草」

「キレそう」

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 闇の帳が下り、昼頃と比べ静けさが増した夜の中、二人はベランダで空を見上げていた。まんまるなお月さまが、今日も空に輝いている。

 それだけでもうどうしようもなく嬉しくて、胸の中に幸せが満ち溢れている。彼女も、同じように思っていてくれればいいのにな、なんて馬鹿みたいな幻想を抱いてしまう。

 

「ん……」

 

 ネクタイをぎゅっと引っ張られ、身体が前に傾いた。それと同時に、吐息が首筋にかかって、心臓が跳ねる。必死に声を堪えようとするが、這わされた舌に思わず反応してしまう。

 

「──っ」

「……可愛い」

 

 息に、声に、匂いに、温もりに、その瞳に。

 すべてにどきどきして、ぞくぞくしてしまう。

 

「いただきます」

「……んぁ」

 

 そしてそのまま、牙が突き立てられる。

 甘噛みとは違う、皮膚を突き破る感触。瞬間走る痛みは、苦痛であるはずなのに、何故だか心地よくて身体から力が抜けていく。いや、抜けているのは血液か。どくり、どくりと首筋が脈動していることがわかって、それと同時に彼女の体内に、自分の血液が入っていることを想うと愛おしくて。垂れ下がっていた腕を彼女の背に回して、ぎゅっと抱きしめる。

 ぼぅっと、焦点の合わない目のまま、髪を梳く。彼女の甘い香りと相まって、天国みたいで。

 

「……俺、ここで死んでもいいわ」

 

 そこで、首筋からふっと口が離れる。

 

「だぁめ」

 

 そう囁かれて、二、三度傷穴を舐められる。湿った首筋にはその声がくすぐったくて、愛おしくて、腰に回した手をぐっと引き寄せる。

 

「あなたは、私と一緒に死ぬんだから」

 

 あと、六百年は生きてくれないと。

 そんなことを言うもんだから、彼女の顔が見たくなって、力を緩め少し距離を空ける。それでも、傍目には十分密着しているだろうけど、表情がよくわかるようになった。予想通り──いや、予想以上に綺麗な笑みを浮かべていて、思わず、

 

「──んっ」

 

 無言で唇を奪っていた。

 抱き寄せた肩に力が入ったのがわかって、そしてその力がすぐに抜けていったのもわかって、より深く、唇を重ね合わせる。

 

「ん、ちゅ……ん……ふ……んん……」

 

 頬を撫でて、薄らと開いた瞳をじっと見つめる。

 

「ちゅ……んん、ちゅ……」

 

 舌を絡めて、吸って、彼女の唇を味わう。

 どうしてこんなに美味しいんだろう。甘味のわかりやすい甘さとは違う、女の子の、甘さ。そして仄かな血の臭い。

 

「……ぷはぁ」

 

 透明な橋が唇と唇にかかって、不意に千切れる。

 

「ねぇ」

「んー?」

「今夜は、月が綺麗だね」

 

 頭上で輝いている月を見上げて、そうだね、と笑う。

 そして唇の端に、小さく赤がついているのに気づいて、ふと、思ったことがあった。

 

「あのさ」

「うん?」

「血って、どんな味がするの?」

「あぁ」

 

 そんなことかぁ、とすずかは頬をほころばせて────もう一度、そっと、触れるだけの口付けを交わして。

 

 

 

 

 

 ────貴方の命はキスの味。

 

 

 

 

 なんてね、と君は優しい月のような笑みを浮かべた。

 

 

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