始まりの会談
───それは、赤原を駆ける守護者。
数多の壊滅回避を為してきた、奇跡の具現。
人理に蔓延る病巣を速やかに摘出する、形而上の存在が雇いし掃除屋。
機械の如く速やかに。
危機を引き起こす癌を穿ち。
何事もなかったかのように去ってゆく───。
全てが終わったその果てで、我々人類はまた、連綿と歴史を紡ぐのだろう。
その発展を陰から見守る奇跡の具現は、果たして何を思うのか。
安堵か、絶望か。
そんなことは人の器で収まっている常人には理解できない。
理解できるとすれば、それは───。
『───答えは得た』
荒野を目指す錬鉄の足跡。
収斂した剣の丘が刻む果て。
天に眠る歯車が示す意図は、この身に刻まれし呪い。
永劫に続く絶望の淵で、為せない己を憎み幾星霜。
流れ星の如く刹那で輝く人生も、色褪せた絶望を穿つ理想の道も。
きっと───、
『それでも、オレは間違えてなどいなかった───』
***
それは、とある街角の喫茶店。
静寂な空気が周囲を支配し、レトロな音楽が静謐に耳朶を打つ。
この店のオーナーと思いし眼鏡をかけた老人は、いつのまにやら店の裏へと姿を消していた。
まるで時間の流れに置いていかれたかのような空間で、不釣り合いな女性が鷹揚にカップを傾けている。
派手な金髪を垂れ流し、肩を開けた豪奢な漆黒のドレスを纏う姿は、清楚とはまた違う魅力を感じられるだろう。
時折窓の先へ視線を流し、空の果てを覗く姿は空虚に感じられる。
時計の針が指し示すのはお昼時。
また、何度目か分からないカップの液体を喉に注ぐ。
「───すまない。待たせただろうか」
「いーや、全然。むしろ指定時間の五分前だ。上出来だよ」
金髪の女性が座っているテーブルに、一人のガタイの良い男性が話しかけた。
豪奢な見た目をしている女性とは裏腹に、その男は謙虚な佇まいだった。
色の抜けた白髪に、飾り気のない無地のコートを纏っている。
「そうもいかないさ。指定された時間を遵守しようと、君を待たせた事実は変わらないだろう?」
「ハハハッ!! そこまで私を悪女にしたいのか、お前。つい数日前まで辺境の地に赴いてたんだろ? 目的は知らないが、何かを探してるって意味じゃお前と私は似た者同士だからな。配慮はするさ」
「……そう言ってもらえると、こちらも助かる」
「さあさあ。今日はお前に重要な話をしたいと思ったんだ。いいから座れ」
女は男に座るように指示をする。
確かに男の格好は、普段着というよりかは旅の格好だ。
辺境の地、と呼ばれるところにまで飛んでいたのだから、その指示には彼女なりの優しさも含まれているのだろう。
「では、前を失礼する」
男はそのご厚意に、素直に甘える事にする。
まあ、片方が立ち、もう片方が座ったまま話すというのも変な話だと思ったからでもあるのだが。
「それで、私に何の話かな? 君とは知らない関係ではないが、わざわざ手紙を寄こしてまでの周到なお誘いだ。よっぽどの理由があると思うが?」
「勿論。ただ単にお前と話すだけだったら、手紙なんて書かないさ。息子の旅じゃあるまいし」
「息子……そういえば、グレンは元気か?」
「……そんなの、私が知りたいぐらいさ。あの子、最近は仕事が忙しい様で、碌に連絡も寄こさないし」
陰鬱に微笑む女。
金髪を静かに揺らしながら遠くを見る。
「それは残念だ。私としても、グレンの様子は気になっていたからな」
「師匠として、か? 全く。ここしばらく姿を見ないと思ったら、帝国から出ているなんてな。グレンも心配してたぜ? あの子、お前の前じゃ強がってると思うけど、誰よりもお前の事を尊敬しているからさ」
「───そうか」
残光の如く儚い笑みを見せる男。
表情には複雑な思考が絡み合っており、表情筋が縛られる。
自分に憧れている。その一言に込められた意味を、他でもない本人だからこそ男は分かる。
───正義の味方。
グレンと言われる青年は、男の背中にその理想を見たのだろう。
だからこそその背を追うし、誰よりも負けたくない目標、指標として立ちはだかる。
……まあ。青年が感情を発露させるのが得意ではない、という線もあるか。
「すまない。話を脱線させてしまったな。改めて聞こう、セリカ=アルフォネア。君の依頼と言うものは、どういうものかな?」
男は女───セリカ=アルフォネアに向かって問い直す。
「……何。お前が今まで乗り越えてきた命令に比べれば造作も無いことさ。だから肩の力を抜け、帝国宮廷魔導士団特務分室所属、執行官ナンバー13《死神》のシロウ=エミヤ。別に人を殺してほしいみたいな、お前が嫌う仕事じゃない」
セリカは男───シロウ=エミヤの目を見ながら、そう答えた。
彼女はエミヤが緊張感を見せているのに気づいていたのだろう。
なにせ、わざわざ手紙を寄こし、早急に帰還せよという旨が一言書かれただけの紙を手に、久方ぶりに帝国に戻ってきた背景がある。
ただならぬ気配、というのをエミヤはこの会談に感じていたのだろう。
故に、セリカは先に、お前が嫌う仕事じゃないと断っておく。
「……一つ訂正を。私は既に特務分室に入室していない。既に処分を下された身なのでね」
「無期限の停職処分だろ? 未だに席は残ってるじゃないか」
「そんなもの、事実上の解雇に決まっているだろう? 伊達に命令違反を繰り返してはいないからな」
「……なるほど、そういう事。お前がいつまでも軍に戻らない理由がようやく分かった。お前、自分が解雇を喰らったと思ってたのか」
頭を抱え、大仰に背を反らせるセリカ。
その姿にエミヤは鼻を鳴らす。
「何が言いたいんだ、セリカ。君は私を軍に戻したいと思ってここに呼んだのか? ならば、この話は無かったことにしてくれ」
「ふーん。お前、特務分室の仕事は嫌いか?」
「……好まれる内容ではないが、その意義には理解できる。特務分室という集団が無ければ、既にこの街はこの世から姿を消している、と言っても過言ではないだろうからな」
「中々な高評価、なんだよな……? お前、遠回りに言う癖があるからいまいち分からないんだよな」
不機嫌な顔になったエミヤに、頬を掻き苦笑いを浮かべるセリカ。
その姿はまるで、エミヤの機嫌取りをしているみたいだ。
「今私が戻ったところで、事態が回復する訳でもない。むしろ後退するだろう。軍の上層部には酷く嫌われてしまったからな。故に、直近に控える出来事が過ぎ去り、安静の日々が戻ったら考え直すさ。どうやら、私は未だに特務分室の末端にしがみついているらしいからな」
不機嫌そうに、しかし国家が迎える喫緊の課題を思慮しての判断だった。
その答えにセリカは感心したかのように首肯した。
「じゃあ、暫くは暇って訳か」
「暇という訳では無い。一週間帝国に滞在してから、再び旅に出るつもりだ」
「……旅に出るって、随分と急ぎ足だな。もう少し自分の体を労わっても良いんじゃないかと思うけどな?」
「自分の体を労わって、一週間の休みを挟んでいるだろう? 君らしくないミスだな」
「数ヶ月の旅から帰ってきて、休みが一週間という方に疑問を持とうな? 特務分室時代からそうだが、お前はタフ過ぎる。そのお陰でグレンも……はあ……」
深くため息をつく。
セリカは息子であるグレンの名前を出しながら、エミヤに苦言を呈した。
「じゃあ何だ? 君はどれだけ私がどれ程休んだら、休んだという計算に入ると思うのかね?」
「そうだな……ああ、一ヶ月。それだけ休めば、私も心配ない」
「……一ヶ月、だと? 話にならんな。……だが、君の助言は心に留めておこう。では、私への用件を聞こうか。それをこなした後、休む期間を考える事にする」
エミヤは後ろの背もたれに、深く重力を落とす。
二度目の質問だ。
数分前に捻じ曲げられた話の展開を、再びスタートラインに引き戻す。
「別に今までの話が私の要件に関係ないとは言ってないだろ? シロウ=エミヤ。お前には、一ヶ月間、アルザーノ帝国魔術学院の教師をやってもらいたいと思うんだ」
「……それが、私への要求か?」
「? 何か変な事言ったか、私?」
心底呆れたように問うエミヤに、どうしてそんな顔をされるか分からないという風に聞き返すセリカ。
彼女が話した、アルザーノ帝国魔術学院の教師になるという話。
それが、どれほどエミヤに適正の無い職業なのか。少しでも彼のことを知っている人間ならば理解できるだろうに。
「何を言っているのか、分かっているのか? アルザーノ帝国魔術学院の教師、だと? 碌に魔術も使えない私に、帝国内最優の魔術学院の教師が務まるとでも?」
「まあまあ。そんなに怒るなよ。何だ、金か? それなら安心しろ。特別に私の配慮で正規雇用の教師共と同額にしてやるからさ」
「そこではない。私には、生徒を導く資格が無いと言っているんだ」
そう言い、悲痛な表情を見せるエミヤ。
その表情には彼の過酷な人生を物語る皺が、深々と刻まれている。
セリカはその表情を見て───、
「───何言ってんだよ、お前。私としちゃ、グレンの信念に一本筋金を通したお前以上に教師が向いていると思った奴は居ない。……まあ、親だからこそそう思うのかもしれないけどさ」
真正面からの言葉に、エミヤは思わず拍子抜けした。
セリカ=アルフォネア。彼女からそんな言葉を聞くとは思わなかったからだ。
───しかし、それでもエミヤは自分が魔術講師に向いているとは思わない。
「その言葉は有難い。だが、私はこの世界で普遍的な『黒魔術』を、何一つ使えないという体たらくだぞ? そんな人間が教師で、アルザーノ帝国魔術学院の生徒達が納得する訳ないだろう」
「まあ、確かにな。お前が他の教師共と同じような授業をするのであれば、お前には魔術講師だなんて職業は無理だろうな。だがな、私はそんな授業をしてほしくて、お前を勧誘したわけじゃないぜ?」
据えた瞳で、エミヤを正面から覗き込む。
セリカが求めるのは、エミヤが思っているような普遍的な代物では無いらしい。
では、何だ。彼女はこの身に何を求めている?
真剣さを高めるエミヤを見たセリカは、一度考え直すような仕草をして。
「……まあ、それに関しては自分で見つけられるさ。解析はお前の得意分野だろう?」
「それとこれとは、また話が違う気がするのだが……」
気が抜けた表情で返答するエミヤ。
確かに解析は数少ない得意分野ではあるが、その解析とはベクトルが似て非なる代物だろう。
と、話をずらすわけにはいかない。
アルザーノ帝国魔術学院の教師をする、という話だったな。
……正直な話、到底自分に務まる職業であるとは思えない。
確かに以前に魔術の手ほどきをしたことは幾度かある。だが、それは全て実践に通ずるものであり、学問としての魔術には触れたことが無いのだ。
そう。普通であれば、断るべき依頼だ。承諾するメリットがどこにも感じられない。
だが。目の前で儚い微笑みを見せるセリカに、それを真正面から突きつける勇気は、エミヤには無かった。
「……一ヶ月、と言ったな。悪いが、それは少々長すぎる。───三週間だ。その間に後任をしっかりと見つけるというのであれば、その仕事を引き受けよう。あくまで繋ぎの、短期契約だ」
「……仕方ない。それで承諾しよう。じゃあ、赴任は一週間後な。学院長には話を通しておくから、一週間後の朝に学院長室で赴任するクラス等の詳しい話をする」
「承知した。では、私はこれで失礼する」
案外あっさりと話が決まった。
すると、要件は終えたとばかりに、エミヤは席を立ちあがった。
その姿に、セリカは声をかける。
「ん? もう少し、ゆっくりしていけばいいじゃないか」
「帝国に滞在する期間が延びてしまったからな。今から住む物件を探さなければいけなくなったんだ」
エミヤは呆れたようにため息をつく。
だが、その表情に陰は射し込んでいなかった。
巻き込まれつつも、どこかそれを楽しんでいるような感じがして───。
「───ん。そうか。じゃあ、今度何処にしたか教えてくれよ?」
「考えておこう」
そう言って背中を向けたエミヤは、普段と変わらぬ足取りで扉の向こうへと消えていった。
セリカは背中に対して何も話すことはなく、これからの学院に思いを馳せる。
「───さて。頑固な正義の味方様は、うちの学院にどんな風を巻き起こしてくれるんだか」
既に液体の入っていないカップをテーブルに置く。
セリカは指をパチンッと鳴らすと、店の奥に消えていたオーナーが姿を見せる。
人払いの結界。その効力を片手一つで消滅させた。
「面白い結果になれば、良いんだがな」
悪戯を思い浮かべる子供のような顔を見せる。
だが、彼女の願いは間違いではない。
魔術が全てを支配する学院で、魔術の素養を持たない人間が教鞭をとる。
前代未聞の事態だ。軽くパニックが起こってもおかしくはないのではないだろうか。
だが、その不合理さが巻き起こすであろう展開が、どうか面白いものであり、自分を取り巻く環境を一変させてくれることを、世界最高の魔術師は心から願っていた。
***
───これより、退廃の学院に赤原の風が舞い降りる。
今生最高峰の魔術師であるセリカ=アルフォネアが仕掛けた悪戯。
それは、この世界をも揺るがる事態に巻き込まれる、ほんの序章であることを、今はまだ、誰も知らない───。
いよいよ始まりました。新しい視点から紡がれる世界を、今度は途中で止まることなく進んでいきたいと思います。
今作はいきなり立場が入れ替わりました。主人公の席に、彼を座らせることにしました。勿論、原作の主人公であるグレン=レーダスと、今作の主人公であるシロウ=エミヤでは性格や人間関係が全然違うので、こんな感じに進む展開もあるんだな、程度で楽しんで頂ければ幸いです。
基本は原作沿いで進めつつ、度々でグレン=レーダスとは違う側面で進んでいくという展開になると思いますので、どうか宜しくお願い致します。