午前最後の競技である『精神防御』が幕を閉じ、休憩時間となる。
各々午後の競技に向けて英気を養っている最中だ。
昼食に心躍らす生徒を尻目に、エミヤは一人で歩いていた。
「まあ、私には食事は必要ないからな」
金銭に無頓着な理由が、これだ。
食事や睡眠といった人間であれば本来渇望すべき欲求がこの体には必要ない。
故に、この昼休みを有効活用するために他クラスの偵察にでも行こうかと思索していた。
一人で歩く並木道。その背中に、近づく足音があった。
「───突然、申し訳ございません。シロウ=エミヤ様、で宜しいでしょうか?」
「む? 君は───エレノアか?」
名前を呼ばれて振り返る。
そこには、メイド服を着た女性が丁寧にお辞儀をしていた。
「はい、お久しぶりでございます。以前は色々とお世話になりました」
「止してくれ。私は、当然のことをしただけだ。君にお礼を言われる筋合いは無い」
その女は、エレノア=シャーレット。
女王陛下付きの侍女長でありながら、秘書官も務めている女性だ。
陛下の右腕と言っても過言ではない程の仕事をこなしており、その辣腕には何度も驚かされてきた。
「それで、君はどうして私に話しかけてきたんだ?」
「ええ。実は、エミヤ様の実力を見越して、一つだけお話ししたいことが───」
エミヤとエレノアの間に、こうして休み時間に話をするような関係は無い。
会えば世間話程度はするが、わざわざ時間を作る程でもない。
何かあるのではないかと問うエミヤに、エレノアは心痛な表情をしながら答えを言う。
「───天の智慧研究会が動いております」
「何? どういうことだ?」
衝撃の情報に、エミヤは表情を一変させる。
「詳しい事は私にも……。ですが、その事は本当でございます」
「奴らが動いた……? もしや、先の戦い、その延長線という事か……?」
エミヤは真剣に思考を張り巡らせる。
天の智慧研究会が動いている、というのは最悪だ。
今は魔術競技祭が行われている最中、そんな所で奴らが動き出せば、犠牲者をゼロに抑えるのは難しい。
この会場にいる全てが人質と成る可能性も十分に考えられるだろう。
「エミヤ様、どうかお気をつけください。秘密裏に手に入れた情報によると、奴らが狙っているのはエルミアナ女王殿下───いえ、ルミア=ティンジェル様でございます」
「───やはり、か」
先の戦いも、ルミアを狙ったものであった。
転移法陣に囚われた彼女は、エミヤが駆けつけなければ今頃天の智慧研究会に捕まっていただろう。
「ルミア様を殺害しようと目論む勢力もあると聞きます」
「……なるほど。どうやら、天の智慧研究会も二つに分かれているということか」
以前の戦いは突然、ルミアの殺害を禁じられた結果、エミヤというイレギュラーを真正面から抑えなくてはならなくなり敗北を喫した。
最初から殺害目的で動かれていれば、どうなっていたかは分からない。
エレノアの話が正しければ、ルミアの生殺をめぐって天の智慧研究会が二つに分かれている、ということになるが。
さて、異能者であるという特徴はあるが、そこまでして天の智慧研究会が狙うような人材なのかと問われれば、疑問が残る。
───ルミア=ティンジェル。彼女には、まだ何かあるのか?
「ですので、どうか───」
「承知した。出来るだけ傍に居ろ、ということだろう?」
「はい」
とはいえ、今はその疑問に対する答えを出す時間は無い。
原因を探るのではなく、護りに尽力するのみ。
無論ルミアだけではない。この場に居る全員の命だ。
それを言うとエレノアは頭を下げた。
「全てエミヤ様に押し付けるようなことになってしまい、申し訳ございません」
「構わないさ。誰かを守るために、私は強くなったのだからな」
その答えを聞いたエレノアは安堵したように息を吐くと、再び一礼して下がっていった。
姿が見えなくなると、エミヤは再び思考の海へ潜る。
天の智慧研究会が動いている、というエレノアからの情報。
信憑性は問題ないだろう。彼女は女王陛下の付き人であり、そこからの情報という事は信頼に値する。
あとは、ルミアの安全を守るにはどうするか。
幸い彼女が出場する競技は既に終わった。
観客席での時間が多くなると思われるので、自分もそこに居れば問題は無いか。
「───あの、エミヤ先生!」
「む?」
突然、隣から声をかけられた。
犯人はシスティーナだ。
「どうした、システィーナ?」
「先生の方こそどうしたんですか? 道の真ん中で立ったままでしたけど……何か考え事とか?」
「もし、疲れているんでしたらしっかりと休んでくださいね?」
「いや、大丈夫だ二人共。考え事と言ってもそこまで大したことではない」
心配そうな二人を安心させる。
この二人に天の智慧研究会の事を言うのは余計な心配事を増やすだけだ。
特にこの後競技を控えているシスティーナには絶対に言えない。
「それで、どうしたんだ?」
「あ、えっと。先生って既にお昼は食べましたか?」
「食べて無いな」
そもそも食べる必要もないからな。
「だったら、丁度良かったわねルミア」
「うん」
するとルミアは手に持っていた籠を目の前で開ける。
その中にはサンドイッチが丁寧に並べられていた。
「一緒にどうですか、お昼? あ。もし、何か他に用があるんでしたら大丈夫ですけど……」
恥ずかしそうに話すルミア。
断られた時の保険をしておくのは、後のダメージへの緩衝材だろう。
弱気に誘うルミアを見て、システィーナはため息をつく。
「何言ってるの。せっかくルミアが朝早くに起きて作ったんだから、食べてもらわなきゃ意味無いでしょ?」
「し、システィ!? 何言って……!」
「何って、事実でしょ?」
「事実だけど……!」
エミヤを置いて盛り上がる二人。
その光景に思わず苦笑いを浮かべてしまう。
嘗ての職場でも、こんな光景を何度も見ていたな、と。
英霊という存在である以上、食事という行為は必要では無いのだが、別に食事が出来ないという訳では無い。
最初は断ろうとしていたが、手作りを無下にするほどエミヤは逼迫した状況ではない。
それに、ルミアの付近に居るのが現状最善手か。
「では、頂こうかな。丁度私も何か食べようと思っていたんだ」
その声にルミアの表情が花開いた。
「わ、分かりました。じゃあ、一緒に」
恥ずかしそうに、それでも嬉しそうに微笑むルミア。
そうして、エミヤは二人と談笑しながらサンドイッチを頂いた。
***
その後、『決闘戦』に集中したいと言ったシスティーナとは別れる。
魔術競技祭の最後を飾る一戦だ。それに対する緊張や戦略の構築などがあるのだろう。
エミヤはルミアと二人で歩いていた。
「早いですね、先生。もう半分が終わちゃったなんて」
「そうだな。だが、このまま終わらせるつもりはない」
「まだ一位じゃない、からですか?」
「当然だ。やるからには勝たなければいけないだろう」
するとルミアはクスクスと笑いながら、何か子供を見るような目でエミヤを見る。
「む。何だ、その視線は?」
「いえいえ。何でもないですよ?」
───そんな、他愛ない話を続ける。
教師と生徒という枠組みを逸脱しない、至って普通の会話である。
裏に潜む真実を今は隠して、この日常を謳歌する。
すると、弛緩した空気が切り裂くような、一陣の突風が巻き起こる。
他に誰も居ない街道。
肩を並べて話すエミヤに、突然声がかけられた。
「そこの貴方は、エミヤですよね? 少し……お話をしてもいいですか?」
「ん? 私に何か用だろうか───」
それが、自然な声音だったから。
まるで友人に話しかけるような、そんな緊張感の無い切欠だったから。
勘違いしてしまった───。
「───女王陛下……?」
「はい。お久しぶりです、エミヤ」
瞠目するエミヤに、悪戯が成功したかのような笑みを浮かべる。
アルザーノ帝国女王アリシア七世。
その姿が、風と共に舞い降りた。
***
「……陛下。今日は、如何なる理由で私の元へ?」
「いえいえ。世間話でも、と思いまして」
警戒心を露わにするエミヤ。
その姿に悲しそうな表情をしたのはアリシアだった。
「友人に話しかけたつもりだったんですが───いえ、私なんかが貴方の友人を名乗る資格はありませんね」
するとエミヤに対して頭を下げるアリシア。
その姿を急いで制止する。
「待ってください、女王陛下。私は貴女に謝られるようなことはされていません。ですのでどうか、顔を上げて下さい」
「……また貴方の優しさに甘えてしまいましたね」
「そんなことはありません。私も、貴女に何度も心配をおかけしてしまいました」
慣れない敬語で話しかけるエミヤ。
これを彼の生徒が見ていたら、何と言っただろうか。
状況が状況でなければ、きっと笑われていたに違いない。
「ですが、やはり私は貴方に謝らなければなりません。これまで帝国の為に尽力してくださった貴方を、無期限の停職処分などという烙印で特務分室を退室してしまうことになったのは私の責任です」
「それに関しては私の責任でもあります。下賤な位である私が、上層部へ盾を突いたのがそもそもの原因」
「かもしれません。ですが、貴方の言葉は帝国の不安定な部分を明確にしたものでした。私達はそれを克服し、今の帝国が成り立っていると言っても過言ではありません。特務分室での功績と合わせても、本当に感謝してもしきれません」
これがアリシアという女王だ。
決して下々の人間を見捨てる事は無く、貴賤関係なしに感謝を述べられる。
己が悪いと思えば謝るし、退けないのであれば絶対に退かない。
女王としても、人間としても、人格者であることは間違いない。
「では、こういうのはどうでしょうか? 私達は友人なんですから、互いに感謝しつつ、頭を下げるのは止めましょう。互いに支え合い助け合うのは友人というものですから」
無礼なのは承知だが、こう言わなければ彼女はこちらが納得するまで頭を下げるだろう。
人払いの結界が周囲に敷かれているのは分かっているが、誰かが見ている可能性もゼロではない。
それに、嘗ての部下として彼女に頭を下げられて良い気がするはずが無い。
「分かりました。では、貴方も敬語は止めてください。以前のような口調でお願いしますね?」
「……了解した」
それを聞いたアリシアは微笑む。
「懐かしいですね。貴方の声を聴いたのも、随分久しぶりな気がします」
「懐かしむものではないだろう。私の方が身分は下なんだぞ? そんな人間からふてぶてしい振る舞いをされて、何も思わないのかね?」
「思いませんよ? だって私達は友人じゃないですか。さっき貴方が言ったことですよ?」
アリシアは人差し指を向ける。
そんなお茶目な行為に苦笑いを浮かべた。
そのまま、エミヤは両手を上げて降参のポーズをとる。
「それで、陛下は如何なる理由でここに? 私と世間話をしにきた、という訳では無いのだろう?」
「それも面白そうですが、そうですね」
するとアリシアの視線が横にずれる。
そこには未だ呆然としているルミアの姿があった。
「……お久しぶりです、エルミアナ。大きくなりましたね?」
「───……」
それを聞いたエミヤは一歩後ろに下がる。
この二人には容易ではない関係の糸が繋がっている。
部外者が口を出すのは野暮というものだろう。
ルミアに向かって、懐かしむように微笑みながら会話を続けるアリシア。
だが、その投球が返球される事は無かった。
「……お言葉ですが、陛下。陛下は人違いをされています」
地面に片膝をついて平伏するルミア。
その行動に嬉しそうに話しかけていたアリシアの表情は硬直した。
「私はルミア。ルミア=ティンジェルと申します。恐れ多くも陛下は私を、三年前の御崩御なされたエルミアナ=イェル=ケル=アルザーノ王女殿下と混同されております。日頃の政務でお疲れと存じます。どうかご自愛くださいなされますよう……」
「───」
その言葉は、明確な拒絶だった。
両者の関係を知っているエミヤとしては、その言葉に悲痛な表情をする事しか出来ない。
アリシアもまた、崩れたような表情をして───。
「……そうですね。あの子は三年前に流行病にかかって亡くなったんでしたね……どうして、こんな勘違いをしてしまったんでしょうか……」
「───」
ルミアは何も話さない。
アリシアは何かを話そうと口を開くも───そこから声が聞こえる事は無かった。
重たく圧し掛かる空気が周囲に流れる。
しばらくの間静寂が包み込んだが、未練を振り切るようにアリシアがエミヤを見る。
「……そろそろ時間ですね。エミヤ……ルミアをどうか、よろしくお願いします」
「……承知しました、陛下」
そのままアリシアは去っていく。
終ぞ見えなくなったその背中。
ルミアは最後まで平伏した頭を上げる事は無かった。
***
「……ルミア、本当に良かったのか?」
「はい。これで、良かったんです」
平伏していた体を元に戻す。
ルミアは一瞬、アリシアが消えた方向へと視線を向けたがすぐに切ってしまった。
「私はルミア、エルミアナではありません……」
「とはいえ、陛下は君の母親だろう? 如何なる過去があるとはいえ、その関係は切れないものと思うがな」
「───」
視線は合わせない。
ルミアは深い海に逃げるように俯いた。
その行動に、彼女の本心が見えた。
ならば、深い海に逃げたルミアを引き上げなければならない。
「これは私の推察だが、陛下は今も君を愛している。以前の姿は、歴史に縛られてあのような対応しか出来なかっただけだ」
あの瞳は、本当に娘を愛している親の瞳だった。
アリシアがルミアに拒絶され、痛痒に震えたのもその愛が残っているからだ。
「……はい。ですが───もう互いに関わらない方が、互いの為になると思うんです……歴史なんて背景があるのなら、尚更」
「そうだな。陛下は軽くない身分だ。そこに疑問を感じていたとしても、歴史が相手では何も出来ない。上の立場であればあるほどそれを重視しなければならない。上が勝手にやって、被害を被るのは下というのは避けねばならない事態だからな」
歴史を蔑ろにする行為は、内外に敵を作りやすい。
その椅子を狙っている存在が付け入る隙にもなるだろう。
「まあ、私は歴史に勝ることが出来ると思うがね、親子の関係というものは───」
「え───? ちょ、エミヤ先生!?」
エミヤはその場に片膝をつくと、ルミアのポケットからネックレスを取り出す。
見た事があるネックレスだ。
それはルミアがアリシアを迎える時に一瞬だけ開いたロケットペンダントだ。
また、嘗ての職場で矢面に立つ女性の首に、離されることなく繋がれていたのも何度も見た。
この輝きは、闇夜に置くには惜しい。
「忘れるな。このネックレスは、君達にしか似合わない」
そのネックレスを首にかける。
そうだ。ポケットなんかに仕舞うものではない。
煌びやかな輝きは、日光と共に輝くもの。
その輝きが首にぶら下がり、ルミアの瞳に光が戻る。
「───先生。私、どうしたら良いんでしょうか……?」
「君がしたいことをすればいい。私はそれを手助けるだけだ」
すると、ルミアがエミヤの胸に倒れた。
その体を抱き留める。
「じゃあ……こうして、甘えても良いんでしょうか……?」
「良いに決まっている。親子の関係に、貴賤なんてものはないんだからな」
すすり泣く声がする。
華奢な体を抱きしめ、その頭を撫でる。
「まだ機会はある。近ければ、授与式にでも会えるだろう」
「じゃあ……優勝しなきゃいけませんね」
「勿論。理由が増えたが、目的地は最初から同じだ」
エミヤはその道を繋げる。
その為に動いてきたんだ。この布石は、最初から今まで不動だ。
その果ては、ルミアが解決すべき問題だ。
当人同士が話し合うことで発展する状況であり、部外者であるエミヤにはどうすることもできない。
ただ───こうして、その関係に挑もうとするルミアを、励ますくらいは出来るだろう。