「チッ───逃げられたか」
黒煙が去った後。
見渡す限りに広がる視界に、魔術講師姿の男と金髪の少女の姿は見えなかった。
その事実を確認してゼーロスは細剣を鞘に収める。
「……小癪な男め。だが、思い出したぞ。心理戦と情報戦を魔術戦に組み込んでくるのが、貴様の手管であったな……全く、一筋縄ではいかぬ男よ」
「ゼーロス殿」
呼ばれたゼーロスは後ろを振り返る。
「何だ?」
「追わなくても宜しいのでしょうか?」
「無駄だ。奴を真正面から追いかける必要は無い」
「え……?」
疑問符を浮かべる部下に、ゼーロスは事実を述べる。
「そも、奴と身体能力で勝負するのが間違っている。こちらから奴の土俵に上がる事は無い。ここからはプラン通り各地に散らばり、両者の捜索並びに大通りを封鎖せよ」
それだけ言い終えたゼーロスは翻して部下の前から立ち去ろうとする。
彼の話した作戦に疑問を感じる者もいるが、それを言葉にする事は無い。
シロウ=エミヤ。ゼーロスと真正面から対峙しても尚、その精神を泰然と保った男。
驚異的な不意打ちを凌駕し、その剣先を止めるという実力の片鱗も見せられた。
精鋭部隊として鍛錬を積んできた彼らには、その男の異常さは身を以て理解していた。
その名を聞いた事がある者であれば、尚更。
「───了解しました。それで、最後に一つだけお聞きしたいことが」
「何だ?」
「彼の男───『死神』の言葉です。あの、金髪の少女の真実とは一体……?」
当然の疑問か。
いや、奴は王室親衛隊が瓦解することを狙ってこの事を話したのかもしれない。
故に、この状態へ至るのは必然。
とはいえ奴の掌で踊らされる訳にも行かない。
「奴の戯言に過ぎない。耳を傾けるに値しない情報だ」
客観的視点の正義はこちら。
それを信じている彼らもまた、元は名を馳せた軍人だろうとも、その心情を断ち命脈を狙うことが出来るだろう。
「失礼しました」
「うむ。では、何かあればすぐに知らせよ。私は陛下の元へ行く」
ゼーロスの命令を聞き届ける。
そうして、帝国各地に王室親衛隊が解き放たれた。
***
「───厄介な状況に陥ったものだな」
エミヤが懐に仕込んでおり、投擲したナイフ───名を封爆ナイフという───によって逃げ出した二人は現在路地裏に隠れていた。
爆昌石を加工して作られたそのナイフは、衝撃が刀身に迸れば内包する爆炎を外界へ解放するという代物だ。
この世界にある黒魔【クイック・イグニッション】からヒントを得て造り上げたエミヤオリジナルであったりするのだが、その話は今するものではないだろう。
路地裏から見れば、周囲は王室親衛隊によって警邏されており、退路を全て塞がれてしまった。
「……何が起きている? 王室親衛隊の暴走と、天の智慧研究会。この両者が無関係であるとは到底思えないが……」
情報が足りなさすぎる。
エミヤの手元にあるものではこの事態へ陥った原因すら見えてこない。
ルミアがカギなのは分かるが、それ以上の仮定を見出せない。
「先生……」
「大丈夫だ。君は私が守り抜く。それに、この状況には必ず裏がある。陛下が裁判も無しに独断で君を誅殺せよ、だなんて命令を下すはずが無い」
そう考えると、やはり王室親衛隊の暴走が気がかりだ。
陛下の指揮系統を離れ、独断で行動していると見た方が説明がつく。
だが、そこへ至る経路が見つからない。
忠誠の塊である彼らが、絶対主である陛下を裏切るに足る、明確な情報が足りない。
「ともかく、まずは陛下の元へ向かうのが先決だ。現在の王室親衛隊は暴走していると見た方が良さそうだからな」
最悪王室親衛隊を真正面から一蹴する、という行動を選択することも可能だが。
ここでもう一つの障壁である天の智慧研究会が出てくれば、王室親衛隊諸共ルミアの殺害を企てるという非人道的行為をされる可能性が高い。
此度はルミアを殺害することも厭わない派閥かもしれないのだから。
「派手な行動は出来ないな。せめて、陛下の近くにいるセリカとの連絡網が確保されていれば良かったのだが……」
残念ながらそんなヒントはエミヤの手には無い。
現状持ち得る手管のみでこの包囲網を打破しなければならない。
と───、
「───随分と困ってるみてえだな、『死神』」
路地裏の奥から、少年の声が響き渡る。
一瞬警戒態勢を整えたエミヤだったが、その声音を解析し終えた時にはその警戒は解いていた。
「グレン、なのか……?」
薄暗い最奥から見せる影。
黒髪黒目という平凡的な特徴で、髪を後ろで一つに結んでいる、未だ少年の気配が抜け切れていない彼は、口元を歪ませながらエミヤを嗤う。
「嘗ては特務分室最強とも言われたアンタなのに、軍を抜ければその体たらくかよ。全く、笑えねえ冗談だぜ」
「……グレン、その口調は何だ? 君らしくない」
「何を言っている。これはエミヤ、お前の教育の賜物だろう?」
困惑を隠しきれていないエミヤに苦言を呈したのは、グレンより後に見えた影。
長い青髪を靡かせて、その鋭い視線がエミヤを穿つ。
「アルベルト……少し待て。君はこれが、私の教育の賜物と言ったか? 冗談は止してくれ。こんな背伸びした口調を私が教える理由が無い」
「お前にその気が無くとも、師匠に憧れた弟子は全てを盗もうとするものだ。それが、如何に無駄なものであってもな」
「ってオイ、アルベルトっ!? それじゃお前、俺がエミヤに憧れているみたいに聞こえるじゃねえか!?」
「事実だろう? 慣れもしない剣や弓に手を出し、俺達に迷惑をかけた身でよくバレていないと思えたな」
「あ、あれは……」
視線を泳がすグレン。
何か思い当たる点があるのだろうか。
というか、彼が剣だけに収まらず、弓にも手を出していたのは初めて知った。
グレンが剣を目指しているのは、現在彼が腰に剣を佩いていることから理解できるが。
半年の間に色々な意味で変わっていた同僚達に追いつけないまま、エミヤは困惑していると、二人を制す言葉がした。
「ん。二人共私みたいに落ち着くべき。エミヤの前ではしたない」
「って、どさくさに紛れて平然を装ってんじゃねえよ!? お前が一番落ち着いてなかっただろうが!? リィエル、さっきまでの狼狽えはどうしたんだよ!? 柄にもなく外見を気にしてたお前はどこ行ったんだよ!?」
「グレンが何言ってるか分からない。わたしが狼狽える? 外見を気にする? 多分グレンは久しぶりに会ったエミヤの前で緊張してる。しんこきゅうするべき」
「がー!! ……ったく、その切り替えスピードもエミヤ譲りの技術だったな。こうも数分前と切り替えられちゃ俺達の方が困るっての」
ガシガシと乱暴に頭を掻くグレン。
そして大きく息を吐くと、一人呆然としていたエミヤに視線を向ける。
「エミヤ。お前、どうして俺達の前から何も言わずに居なくなったんだよ?」
グレンもエミヤから教わった切り替えで先ほどまでの弛緩した空気を一変させた。
「ん。エミヤが居なくなってグレンやアルベルトは寂しがってた。何も言わずに単独行動するのはダメだってエミヤが言ってたのに、それをエミヤが破った」
「俺を巻き込むな、リィエル。エミヤが居なくなって寂しがってたのはお前達二人だ」
「そう言うお前も何だかんだ寂しそうにしてたじゃねーか。遠距離攻撃を一から叩き込んでもらった師匠が居なくなったのはお前だろ?」
いつの間にか喧嘩を始めた三人。
エミヤはそれを制止させる。
「待て待て。私が居なくなった事については今は良いだろう。とにかく、今は暴走している王室親衛隊を警邏をどうするかを考えるのが先決だ。その話は後でも出来る」
冷静に告げるエミヤ。
他の三人もそれを聞いて考えを改め───るはずがなく、エミヤが蔑ろにした部分へ追求してきた。
「何が『私が居なくなった事については今は良い』だよ? 俺達に無断で軍を抜けたことは、そんなに重要じゃねえって言うのかよ?」
「そんなことは言っていない。ただ、王室親衛隊が暴走している現状で、それ以外を考える暇は無いという意味だ」
「……わたしは少し怒ってた。それは今もそう。仲間を信じろって言ってたエミヤが、一番わたし達を信用してなかった。そんな状態のまま話し合っても、多分意味が無いと思う……」
「……リィエル」
感情の起伏が乏しいリィエルだが、それでも今は怒っているというのは分かる。
……流石に軽薄過ぎたか。
そして彼女の話に思う事がある部分が多々ある。
一番仲間を信用していなかったのは───自分だという言葉に。
「……君達を信用していない訳では無いさ。ただ、私が無期限の停職処分を下されたのは、全て私の自己責任であり、君達には何の関係も無いものだった」
「だからと言って、話さないのは間違ってると思う。わたしは、難しい事は分からないけど。……でも、エミヤの行動が間違ってたのは分かる」
「それは……すまなかった」
素直に謝罪した。
確かに自己責任であったからと言って、嘗て仲間の存在を信じろと口を酸っぱくして言っていた身としては有り得ない行動だった。
頭を下げたエミヤを見て、アルベルトはため息をついた。
「全くだ。お前が抜けて、俺達がどれ程苦労したと思っている? 当然お前に停職処分を下した上層部への不信感は募るし、お前が受け持つはずであった仕事も全てこちらに回された」
それに、とアルベルトは続ける。
「特にグレン、リィエル、イヴの混乱は酷かった。処分緩和に携わっていたイヴはまだしも、二人はお前の背中を追っていたんだ。そんな人間が自分達に何も話さずに居なくなれば困惑するのも当然だ」
「そう…だな。すまなかった、私の配慮が足りなかった」
「そうだ。───お前はもう少し自己評価を改善した方が良い。恐らく、お前が思っている以上に、お前を慕っている人間は多いのだからな」
「それは……善処しよう」
アルベルトの苦言を受けて、エミヤも己の軽率な行動が齎した影響を知った。
右も左も分からない、特務分室に入室したての頃から面倒を見ていた、師匠的な存在が突然消えることへの恐怖。
己の責任ばかりを見て、巻き込まないようにとわざと話さず退室したのは、空回りだったようだ。
するとアルベルトは後ろにいたグレンとリィエルに問いかける。
「これで良いだろう?」
「……何だよ、アルベルト。お前、俺達が言いたいこと全部言いやがって」
「言いたい事があるのならお前の口から言えば良い、グレン。本質が似ていようと、俺の言葉とお前の言葉ではまた違うものになるからな」
「いや、止めとく。流石にこれ以上時間を無駄にする行為は無しだな」
グレンはそう言うともう一度エミヤを見る。
「ま、これで互いに仲直りって感じで良いか? 俺もまだまだ言いてえことはあるが、一先ずはこれで終わりにしたい」
「そう言ってもらえると助かる。全く私も、まだまだだな」
仮初の形ではあるが、許しを得た。
リィエルは二人の会話を聞いてうんうん、と頷いた。
「ん。じゃあ、これからどうする? 突っ込む?」
「独断で突っ込まなくなったのは有難いが、いい加減その思考回路から離れろよ、お前。流石に王室親衛隊相手に問題を起こすのは色々と面倒だろ?」
「そうだな。聞くに、この場には天の智慧研究会が介入している可能性も浮上した。下手に動くのは私達の首を絞めることに繋がるだろう」
そう話すと、エミヤは再び思考を張り巡らせる。
一人なら出来なかったが、三人が加わってくれれば戦略の幅が広がる。
と、ふと三人の反応が鈍い事を悟った。
「……どうした?」
「お前、今なんて言った……? 天の智慧研究会がここに居るって言ったのか!?」
「そうだ。故にルミアの元を離れるなと、エレノア=シャーレットに言われてね。それがどうかしたか?」
「……それは俺達が知らない情報だ。いや、語弊があるな。知らないというより、あくまで可能性の話として聞いてはいたが、確信するような話では無かった。が───」
アルベルトは鋭い眼光のまま逡巡する。
「エレノア=シャーレット、か。思いがけない人間が登場したな……」
「何かあったのか?」
「いや、可能性の話が確信へと移行しただけだ。だが、そうするとお前をルミア嬢の元から離れさせない方が良いな」
今まで空気を読んで黙っていたルミアだったが、突然名前を呼ばれ顔を上げた。
「私、ですか……?」
「ああ。二勢力が狙っているルミア嬢の周囲は強固でなければならない。故に、一番の適任はお前だろう」
「そうか? 私でなくとも大丈夫とは思うが?」
「新参者な俺達より、お前の方が良いだろ。少なくともこの中じゃ一番お前が強いし、それにきな臭い話も聞くからな……」
「きな臭い話?」
「……なんか、裏切者が居る? かもしれないっていう話」
「何だと……? もしや、その中の候補に、エレノア=シャーレットが居るのか」
「そうだ。お前は知らないだろうが、このところこちらの動きがおかしい具合に読まれていてな。あちらに卓越した軍師が居るという可能性もゼロではないが、内通者が居ると考えた方が合点がいくレベルでの情報漏洩だ」
それは知らなかった。
確かに特務分室の活躍を聞かないとは思っていたが、そんな事があったのか。
「えっと……突然すみません。皆さんって、どちら様でしょうか……? 先生の友人、というのは分かるのですが……」
一人、会話の中心に据えられたのに状況が理解できないルミアが問う。
「そう言えばそうだったな。紹介しよう。彼らは───嘗ての、私の同僚だ」
簡単にではあるが、名前を紹介した。
「先生の、お仲間さんなんですか?」
「そうだ。全員が卓越した個を確立している実力者だ。君を陛下の元へ連れていくのに心強い仲間となってくれる」
困惑していたルミアへ微笑む。
大丈夫だ。これで必ず君を陛下の元へ連れていける、と。
「む。何かエミヤが違う。わたしにはあんな笑顔は見せてくれなかった」
「それはお前が問題行動しかしてなかったからじゃねえのか?」
「そんなことは……無いと思う……」
「そこまでだ。手短に、俺が考えた作戦を伝えたいと思う」
四人の弛緩した空気を断ち切るようにアルベルトは現実へ連れ戻す。
戻ってきた四人は、アルベルトの立案した作戦の耳を傾けた。