赤原の守護者と禁忌教典   作:石橋航

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禁忌教典

 実力者、ゼーロス=ドラグハートとの互角の斬り合いを演出しながら、エミヤの思考は外界へと向けられていた。

 視界に映る全てを疑い、簡易的な解析を施すが、何も掴む事は無かった。

 つまりは、このフィールドに小細工は無い。

 

「───何が理由だ。貴様とて、ルミア=ティンジェルの正体を知らないはずが無かろう」

「知っているとも。知っているうえで、その命脈を断つのが私に下された勅命」

 

 一度両者は距離をとる。

 鍔競り合いの競合は一旦閉幕。

 

「シロウ=エミヤ。貴様こそ、既に部外者の身でありながらこちらの事情に首を突っ込むのは止せ。軍人時代から、貴様の自由な行動に振り回された人間がどれ程の数居ると思っている?」

「私は私の為すべき事象を為しただけだ。差別が蔓延る不文律を許容出来るほど、私は出来た人間では無くてね」

 

 言い合いを続けながら、その端々に隠されている答えを模索する。

 ゼーロスはルミアの正体を知っている。その上で彼女の命を絶つ理由がある。

 これが今の会話で得られた情報だ。

 

「ハッ、貴様が出来た人間では無いなど、既に認知しているわ───ッ!!」

 

 突貫するゼーロス。

 その行動の裏にはエミヤに余裕を与えないという戦闘倫理が刻まれている。

 紫電の如く迸る二刀細剣を、錬鉄の如き強度を誇る双剣で受け止める。

 

「それは、随分と呆れられてしまったらしいな」

「貴様と言う人間の実力を認めているからこその評価だ。救うことばかりが正義ではない。時として、見捨てることも正義となる」

 

 見捨てること、か。

 では、こちらもルミアの命が狙われている理由を推察しようか。

 現状、王室親衛隊の暴走はゼーロスが主犯と見て間違いない。

 アリシアはルミア殺害の勅命を改めて命じただけであり、暴走を認知している様子では無かった。

 なので、やはり彼女は暴走に巻き込まれただけなのだろう。

 ここで一つの疑問が生じる。主に絶対の忠誠を誓う親衛隊が、どうして独断でルミア=ティンジェル、より詳しく言えばエルミアナを狙う行動を選択したのか。

 一つだけ考えられるとすれば、優先順位の差───。

 

「……余裕そうだな。私との戦いは、それほどまでに退屈か」

「退屈では無いさ。私としても、貴様……いや、君との戦いは何の縛りなしで戦いたい」

「その舐めた口調は一貫して変化することないな。そこまでくれば、いっそ称賛したいものだ」

 

 二刀細剣という特殊な戦闘スタイルだが、何度も視認している以上簡単な癖は理解している。

 常人では考えられないスピードから繰り出される連撃は、なるほど確かに『双紫電』という渾名に相応しい。

 とはいえ、速度勝負でエミヤが負ける道理は無い。

 右下からの一撃を往なし、腹部に蹴りを入れる。

 

「グッ……! 足癖の悪い男め……!」

 

 手を抜いたとはいえ隙を穿った一撃は歴戦の騎士だろうとそれなりのダメージを与える。

 吹き飛ばされたゼーロスは靴底で引き起こされる摩擦を利用し、直立を維持しながらも肺の空気を全て吐き出した。

 

「生憎と、褒められた戦いを好めるほどの余裕は無い人生でね」

「戯言を……!」

 

 それ以上喋る余裕は無いのか、ゼーロスは追撃しないと見るや一度呼吸を落ち着ける。

 エミヤはその状況下の中で、ゼーロスが喜々としてルミアの殺害を実行する理由を逡巡する。

 ルミアの素性を知っているであれば、嫌々なら理解できるが喜々として実行する理由が見当たらない。

 彼はそこまで非道な人間では無いはずだ。そんな人間が、かつて英雄として国を守るために命を懸けたとは思えない。

 ここで、天の智慧研究会という存在を思い出す。

 ───まさか、奴らがアリシアの命を狙っているのか。

 そんな予想が脳裏に過った。

 

「え、エミヤ先生……その、大丈夫なんですか……?」

「ん? ああ。心配はいらない」

 

 ルミアの声で現実に戻される。

 元は王室の人間として、ゼーロス=ドラグハートの実力は知っているのだろう。

 それを軽くあしらうエミヤに何を思ったのか。

 一方アリシアの方は淡々と、現状を俯瞰していた。

 いや、時折こちらに向けられる視線は嘆願か。

 

「ルミア、少しだけ待っていてほしい。もう少しで、君のお母さんが陥っている状況を理解できるかもしれん」

「え……? でも、私は……」

「大丈夫だ。君は愛されている。今は何らかの状況に囚われて、そう言わざるを得ない状況に陥っているだけにすぎない」

 

 ルミアは心配そうな顔をしていたが、エミヤの言葉に強く頷く。

 先ほどまで崩れ落ちていた姿だったのに、今は少しずつ普段の気丈な雰囲気を取り戻しつつある。

 

「……理解できんな。ルミア=ティンジェル、貴様は根拠のない言葉を真に受けるのか?」

「いいえ、根拠はあります」

「何───?」

 

 二刀細剣を構えるゼーロスへルミアは告げる。

 

「───私は、先生を信じてますから」

 

 それが全て。

 この逆境を乗り越える根拠は、それだけで十分だった。

 それを見たゼーロスは一度、極限に目を見開き、そしてため息をつく。

 

「……やはり理解できん。この男に、その一言を告げるだけの信頼があるというのか……」

「ゼーロス。一つだけ問いたい。私の推察が間違っていないかどうか、その確認をしたくてね」

「……良いだろう。貴様の稚拙な推察を告げるが良い」

「君達が恐れているのは、陛下の命が奪われる事だろう?」

 

 その一言を聞いたゼーロス、アリシア、ルミアは瞠目する。

 セリカは感心したように息を漏らしていた。

 その光景を見てエミヤは悟る。

 

「やはり、か」

 

 王室親衛隊の暴走が引き起こされる原因として一番考えられるのが、主であるアリシアの危機。

 それを狙っているのが天の智慧研究会だとすれば、いくら千秋の修羅場を乗り越えてきた彼らとて最悪の一手を選択する。

 そこに優先順位の差が関係する。

 第一優先であるアリシアの命を貴び、嘗ての娘だろうとその命が必要であれば容赦なく切り捨てるだろう。

 エミヤに情報提供をしたエレノア=シャーレットの言葉にもあったように、天の智慧研究会はルミアの命を狙う勢力も存在する。

 彼女を狙う為にアリシアを人質にされたというのが、妥当なラインか。

 

「……つくづく奇妙な男よ。魔術師としての階位では最下層に甘んじているというのに、その真価は私の老いた体程度であれば容易に突破するか」

 

 観念したかのように呟くゼーロス。

 過去には英雄として名を馳せた存在だが、現在ではエミヤ相手に何も為せない己が不出来を呪っているのだろうか。

 とはいえ、英霊として昇華された存在であるエミヤからすれば、ゼーロスの太刀筋は常人のそれを幾重にも凌駕している。

 老獪さを剣に込め、全盛期の輝きを技術を以て追い越す。

 若造と言われたが、こと戦闘経験ではゼーロスを大きく引き離しているエミヤに人間の身で肉薄する事実は誇っても良いのだろう。

 最も、彼はエミヤを人間として見ているのでその賞賛は叶わないが。

 

「そこへ至ったのは褒めてやる。だが、それを打破する術を貴様は持っていない。結局のところ、貴様もわしも袋小路なのだ」

「はたしてそうだろうか?」

「何───?」

 

 胡乱な瞳を向けるゼーロスをそのままに、エミヤはアリシアを見る。

 この事象と関係があるかどうかは分からないが、一つだけ気になることがあったのだ。

 それを問いただす時間ぐらいは残されているだろう。

 

「陛下。一つだけ聞きたい事があるのだが、構わないかね?」

「はい。何でしょうか、エミヤ?」

 

 一見冷徹な無表情をしているかに見えるアリシア。

 だが、それが仮面であることをエミヤは知っている。

 

「君が今つけているネックレス───普段のモノとは違うようだが、その理由を聞いても?」

 

 空気が変わる音がした。

 不穏に包まれた雰囲気は一変し、曇天に光が突き刺さる。

 この場に居るエミヤ以外の人物はその表情を大小あれど変化させた。

 その中でアリシアは、まるで願いが叶った娘のような表情を一瞬だけ覗かせる。

 

「私が君に仕えていた時は、もっと別のものをつけていた気がしたのだがね」

「ふふ……そうですね。ですが、時間とは変化を齎すものです。貴方が私の部下から魔術講師になったように、私にも気持ちの変化が起こったのかもしれませんよ?」

「ほう、断言はしないのだな。とはいえ、嘗ての部下からの具申として一つ。貴女には、その呪いに拘泥された翠緑の輝きより、思い出が詰まった質素なロケットペンダントこそ相応しい」

 

 するとエミヤは一歩を踏み出す。

 その行く手にはアリシアが泰然と待っていた。

 

「待て、シロウ=エミヤッ! 貴様は一体、何を為そうとしている……!?」

「言っただろう? そのネックレスを外し、相応しいペンダントをつけてもらおうとおもってね」

「な……!? ま、待てっ!」

 

 エミヤとアリシアの間に、ゼーロスが割り込んだ。

 

「貴様、全てが分かっているのだろう! ならば、余計な事をするな……!」

「余計な事ではないさ。文字通り、その呪いを祓おうと思ってね」

「その言葉を、わしが信じると思ったか!?」

「信じないのであれば、それはそれで構わない。君の全てを包括し、私を止めると言うのなら止めはしない」

 

 エミヤの試すような笑みに、ゼーロスは冷や汗を流す。

 呪いを解呪するには間違いなく魔術が必須となる。

 だが、周知の通りエミヤは解呪術式を行使出来ない。

 嘗ては共に部下として帝国に尽力をしてきた関係だが、彼が齎した功績のみで判断できるほどゼーロスは軟ではない。

 その答えを為すかのように、ゼーロスは握っている二刀細剣を再び構える。

 シロウ=エミヤに全てを託すと言うのは、間違いなく『死神』との契約。

 それに絶対的主の命を託すわけにはいかない。

 

「なるほど。流石は、王室親衛隊総隊長というわけか。とはいえ、時間を費やすつもりは無い」

「ああ。貴様に言われなくとも、そんなことは分かっている───ッ!」

 

 瞬間、二人の姿が世界から消え失せる。

 寸毫の果て。一瞬の攻防。

 数刻遅れた音と共に告げられた決着の鐘。

 両者の立ち位置は逆転し、その歩みは止められた。

 

「───グフッ!」

 

 喀血を吐きだすゼーロス。

 鎧ごと切り裂かれた一撃は、空中に舞う鮮血と共に崩れ去る。

 

「───見事。その一撃が一瞬早ければ、この決着は逆転していた」

 

 そう告げたエミヤの服装には、微かに刃が迸った痕がある。

 糸は解れ、その部分は霧散する。

 文字通り双紫電と呼ばれし男の、乾坤一擲。

 己が限界すらも凌駕して、ただ主の為に立ち塞がった男は、人間の枠組みから一瞬のみ解き放たれ、錬鉄の英雄に一時の所まで肉薄したのだった───。

 

「すまない。浅くとはいえ、結果的に君の部下を傷つける結果となってしまった」

「いえ、貴方が謝ることではありません……」

 

 アリシアに近づくエミヤ。

 その手には、何時の間にか刀身がギザギザに歪んでいるナイフが握られていた。

 

「これは私の失態。彼らに付け入る隙を与えてしまった、私の責任です」

「君だけの責任ではないと思うが……君は、退かないのだろうな」

 

 二人は手を伸ばせば届く距離にまで近づいた。

 するとエミヤは、手に持ったナイフを振りかぶる。

 

「───待て、シロウ=エミヤッ!!」

 

 立ち直ったゼーロスの制止。

 だが、時すでに遅し。

 振りかぶったナイフ。

 その剣先で翠緑のネックレスを貫いた───。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 エミヤが投影した武具、破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)の剣先が突き刺さったネックレスは内包していた呪的効果が霧散し、アリシアの首元から離れる結果となった。

 その剣が担う能力は対魔術、対象に剣先を突き立てるだけで魔力を霧散させるというものだ。

 『愚者』が行使する愚者の世界と並んでこの世界においては反則じみた能力として存在を確立させ、『死神』の名を知る者であれば真っ先に警戒する一手。

 周囲に魔術封殺の結界を展開する前者は、同時に担い手も魔力を封殺されるというデメリットを被る。

 だがエミヤが担うそれは、効果範囲が剣先と限られたものである代わりに、上記のデメリットが無い。

 ───と、簡単にこの魔術が蔓延る世界にて文字通りジョーカーという切り札を持つ二例を挙げたが、詳しくは後の話。

 今は現実へ戻る時間だろう。

 その後、負傷したゼーロス等どう考えても取り繕う隙が見えない現状であったが、アリシアの言葉巧みな誘導により無事に『魔術競技祭』を閉幕させた。

 この辺りは流石と言うべき技術だった。

 

「悪かったな。何の説明も無しに、お前に全て任せる結果になって」

「なに、君の立場は理解している。親衛隊が君を一番に警戒するのも当たり前の話だ」

 

 式典の終わり、エミヤとセリカは互いに正面を向きながら会話を交わしていた。

 談笑しているような雰囲気には見えないが、それでも二人にとっては日常の会話である。

 

「まあ正直な話、然程心配はしていなかったってのが本音だな」

「ほう? それはまた、随分と高い評価を頂いているものだ」

「当たり前だろ? なにせ、お前とは絶対に正面から戦いたくないからな。それ相応の評価を下しているつもりだ」

 

 苦笑いをしながらセリカは告げる。

 

「自己評価は低くないつもりだ。それでも、お前に勝つビジョンはどう考えても見つからない。もし私が勝ったとしても、それはお前が何らかの原因で全力を出せていない場合に限られるだろうな」

「何を言うかと思えば。君ほどの高尚な魔術師に認められるのは光栄な事だが、私が全力であれば勝てないと断言するのはどうかと思うがな。君は、この世界で最強の魔術師だろう?」

「最強なんてただの飾りさ───それは、真実を取り返せない現状とお前を見てれば痛感する」

 

 エミヤの言葉に陰鬱そうに微笑むと、セリカは話題を切り替えた。

 

「陛下がお前とルミア=ティンジェルをお呼びだ。すぐに参上しろとさ」

 

 それがエミヤに話しかけた要件だったのか、セリカは背中越しに手を振って去っていく。

 彼女を引き留めることも無く、エミヤは式典の片付けで働いているルミアの元へ向かっていった。

 その最中、

 

「───セリカ=アルフォネア。君が、何を求めているかを私は知らない。とはいえ、力になれる事があれば力になろう」

 

 少しずつ去っていく背中に、同じく背中越しに伝える。

 

「ああ───もし、そんなときが来れば、容赦なくお前をこき使ってやるよ」

「ではその時が来るのを、楽しみに待っているとしよう」

 

 その約束が果たされるのは、きっとそう遠くない未来───。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 その後、アリシアに呼ばれたエミヤとルミアは様々な事情聴取を受けた。

 当然だろう。なにせ、魔術競技祭という大規模イベントの裏側で、陛下の命が狙われていたのだ。

 今後はイベントを控える、なんて最悪の事態に陥る可能性も十分見えているだろう。

 事情聴取一つ一つを克明に答え、出来るだけルミアへの負担を軽減させたエミヤ。

 二人は最後にアリシアと共に話し合う時間を作ることが出来た。

 だが、その場からは離れた。今は親子水入らずの時間が必要だろう。

 

「───その辺りの気は利くのだな」

 

 アリシアとルミアを部屋に残し廊下に出たエミヤは、同じく廊下の壁に寄りかかっていたゼーロスと出会う。

 

「君は私を空気が読めない何かと勘違いしていないだろうか?」

「事実だろう? 貴様の人助けの精神は立派なものと理解しているが、それが理由で一々上層部と争っていたんじゃ空気が読めないと思われても仕方が無かろう」

「人の命を同調圧力で軽視することは、どうも出来なくてね。とはいえ、そこまで迷惑をかけていたのなら謝ろう。もう遅いのかもしれないがね」

「遅すぎるわ。全く、貴様とイグナイト卿の衝突で、わしや陛下がどれほど振り回されたか」

 

 頭を抱えてエミヤに苦言を呈するゼーロス。

 その言葉の中にあった一つのキーワードに、エミヤは食らいつく。

 

「イグナイト卿……一つだけ確認したいのだが、彼は今健在か?」

「己が意見全てに反対する部下が居なくなり、卿の影響力は今や陛下を覆いつくそうとしている程にまで広がっている」

「……それは少々、不味い展開だな」

「そうだ。貴様に抑止されていたが故に、その縛りから解き放たれて自由勝手にやっていると言った方が正しいのかもしれん。現状表向きは陛下に敵対する行為を見せてはいないが、奴と陛下の理想は相容れない。いずれ衝突するはずだ」

 

 するとゼーロスは壁から背中を離し、エミヤを直視する。

 

「貴様に問う。───もう一度、こちらへ戻ってくるつもりは無いのか?」

「それは、私をイグナイト卿へのカウンターとするためだろうか?」

「そうだ」

 

 ここまで言いきられたら清々しい。

 イグナイト卿───アゼル=ル=イグナイトという存在があるために、それを排除するためだけにエミヤへの救助要請を為した。

 とはいえ、それを受け入れることは出来ない。

 

「有難い申し出だが、それは実現できない」

「理由は?」

「私が戻ったところで、アゼル=ル=イグナイトに対抗できるとは思えない。むしろ私が逆に排除される結果となるかもしれん。そして、今は魔術講師という仕事もあるのでね」

「そうか、そうだな。すまなかった。だが、無期限の停職処分が下っているだけということは忘れるなよ」

「無論忘れはしないさ」

 

 今のエミヤは魔術講師だが、軍人の肩書きも忘却していない。

 それを確認したゼーロスは再び壁に背をつけ黙り込む。

 そして、これ以上二人がしゃべることは無かった。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

「ようやく解放されたな。とはいえ、出来事の重大さを考慮すれば当然の結果か」

「そうですね……今回は私達も中心人物ですから」

「ああ。それにしてもルミア、君は疲れている様子では無いな」

 

 夜分遅く。

 既に太陽の煌めきを失った夜天が覆いつくす中。

 二人は街灯が照らす道を歩いていた。

 

「はい。あの人───いいえ、お母さんと話せて、少し気が楽になったからかもしれません」

「そうか。その様子では、有意義な時間になったようでなによりだ」

 

 数年にもわたって繰り広げられてきた親子の確執は、少しずつではあるが溶かされつつあるらしい。

 それだけでも今回、修羅場を潜り抜けた甲斐はあったというものだ。

 残る懸念は後日再び召喚されることだ。

 エミヤの立ち位置は軍内でも特殊、有体に言えば結構ネガティブな場所に居る。

 なにせ上官に幾度となく異論をぶつけてきた結果、無期限の停職処分を下されたのがシロウ=エミヤという存在だからだ。

 よって今回勲章級の活躍をしたにもかかわらず、眼に見える形での労いがないのはこの為。

 アリシア本人はそれを悲しそうに伝えてくれたが、過去の結末を振り返れば妥当だ。

 

「さて、皆が打ち上げをしている店はここだな」

 

 ルミアと会話を交わしているうちに、二人は一つの店の前で立ち止まる。

 

「そういえば、今日は先生の奢りでしたね」

「まあ、ここまで頑張ってくれたからな。それに対するささやかな労いだ。ルミアも、遠慮する必要は無い」

「ふふっ。では、私も先生のご相伴にあずかりますね」

 

 そうしてエミヤは店の扉を開ける。

 瞬間、鼻を劈くアルコール飲料の匂い。

 外界との変貌に、思わずエミヤは顔を顰める。

 

「あ! 先生にルミア、遅いですよ!」

 

 入ってきたエミヤとルミアを見て声をかけてきたのはカッシュ。

 頬を上気させながら近づいてきた彼に、エミヤは苦言を呈する。

 

「すまない。とはいえ、この惨劇は何だ? 私の目が曇っていなければ、そこらのテーブルに積み上げられているのはアルコール飲料に見えるが? それも悉く高級な代物にな」

「え? ……あはは、すみません。皆先生が奢ってくれるから、どうせなら色々頼んじゃおうぜって感じで。酒は、成り行きって感じで……」

「……まあ、特別に今日だけは咎めはしない。とはいえ、限度は守るように」

 

 はーいっ! と元気な声を聴く。

 その後カッシュに続いて皆、酒で上気させながらもエミヤに対してお礼の言葉を述べてきた。

 お礼を言われる事に対しては有難いのだが、皆酒が入っているのを見ると心配になってくる。

 羽目を外す事に対してとやかく言うつもりは無いのだが、やはり咎めた方が良いのだろうか。

 逡巡していた所に、一人の女生徒が近づいてきた。

 

「……すみません、エミヤ先生」

 

 システィーナは惨劇に対して苦笑いを浮かべていたエミヤとルミアの前に来ると、謝罪をしてきた。

 

「私が居ながら、こんな感じになってしまって」

「まあ、今まで緊張していたからな。それが一気に解き放たれて、こうなってしまったのだろう」

「えっと……怒らないんですか?」

「言いたいことはあるがね。皆の頑張りを見ていた手前、厳しい事は言えなくてね」

 

 するとシスティーナは驚いたように瞠目し、笑みを浮かべた。

 

「どうした?」

「いえ、最初は先生って厳しい人なのかなって思ってたんですけど。こうして関わりを持っていくと、印象と全然違うなって」

「そこまで堅物ではないぞ、私は。君も疲れただろう? 皆と共に楽しんできなさい。今回は私の奢りだ。ルミアも、遠慮せずに行くといい」

「ありがとうございます。じゃあ、システィいこっか?」

「そうね……あ、ごめん。ちょっと、先に行っててもらっても良い? 少し先生と話したい事があるから」

 

 その言葉の意図を理解したのか、ルミアは微笑んで先に行ってるね、と告げた。

 そしてシスティーナがエミヤに向き直った。

 

「ありがとうございました。先生のご指導が無ければ、私達は優勝できなかったかもしれません」

「そんな事は無い。この優勝は君達の努力の賜物だ。私の指導を受けたところで、本人にやる気がなければ実力は伸びないからな」

 

 最後まで謙遜を続けるシスティーナに対してエミヤは言う。

 優勝は君達の成果であり、私個人の影響は少ない、と。

 

「───それでも、ありがとうございました。私達を優勝まで導いてくれて」

 

 頭を下げ、顔を上げたシスティーナは笑っていた。

 その表情を見ることが出来ただけでも、エミヤの努力は報われた。

 そのままシスティーナは先に行ったルミアの背中を追っていく。

 

「───こういう日常も、悪くないな」

 

 その中で一人、エミヤもこの陽だまりの日常を羨ましそうに見つめる。

 全てを取りこぼしてしまった人生で、

 理想を追い続けた果てには何も無くて、

 悟った時には遅すぎて、

 絶好の機会で答えを得て、

 今はこうして忘却の彼方へと置き忘れてしまった日常に触れることが出来ている。

 その輝きが、如何に尊いものなのか。

 ───それを、オレは知っている。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 しばらくして、打ち上げは時間の経過と共に静けさを迎えていた。

 エミヤはそれを察し、極力一人で帰らないように数人組を作ってその背中を見送った。

 

「すみません……あの後、システィお酒を飲んじゃって」

「君が気にする必要は無いさ」

 

 現在再びルミアと肩を並べて歩いている。

 打ち上げ以前と違う点があるとすれば、それはエミヤの背中で寝息を立てているシスティーナの存在だろう。

 

「今日は本当にありがとうございました」

「何度も言っているだろう? 今回の優勝は君達の成果であって、私個人としては特に何もしていないとな」

「いえ……今のは、お母さんに出合わせてくれたことへの言葉です」

 

 するとルミアは慎重な声音で言葉を続けた。

 

「私は先生に、何度も助けられてばっかりですね」

「そうだろうか? 私は君達の先生として当然のことをしているに過ぎないが」

「では、昔私を助けてくれたことは、どうなんでしょうか?」

「昔───それは、彼の森での出来事だろうか」

「はい」

 

 以前は誤魔化していたが、既に誤魔化せはしないだろう。

 真剣な瞳を向けたルミアに、エミヤはその出来事を知っていることを認めた。

 

「───あれは、君のお母さんに頼まれたことでね。私が助けたという事にはならないだろう」

「でも、お母さん言ってましたよ? そのことを伝えたら、真剣な表情で場所を伝えろって先生が言ったって。その決断は先生がしたものですよね」

 

 どこまでアリシアに聞いたのだろうか、とエミヤは苦笑いを浮かべた。

 確かに自分の話を使っても構わないと言ったのはエミヤなのだが。

 いや、丁度良いか。彼女の浮かべる幻想も、ただの馬鹿な男が行ったことだと知ってもらうには都合が良い。

 

「───君が言う程、私は素晴らしい人間では無いさ。……とある理想を追っていてね。それが叶わぬと既に知りながら、未だに諦めずにいるような中途半端な男が私だ」

「その理想って……?」

「誰にも泣いてほしくない。そんな、荒唐無稽な理想だよ。どうだ? 馬鹿馬鹿しいだろう?」

「───いえ、私はそんなことないと思いますよ?」

 

 自嘲気に述べたエミヤを、ルミアは反対する。

 

「確かに実現は難しいかもしれません。とはいえ、それに救われた人も居たはずです。私も、その一人ですから」

「ルミア……」

 

 肩を並べて歩いていてルミアは、エミヤの前に立つ。

 

「あの時言えなかったことを今言います。───ありがとうございました。何も分からない、未熟だった私を助けてくれて」

 

 そう言って頭を下げる彼女は、以前の森で見た泣きじゃくっていた少女とは見違えていた。

 この成長を見ることが出来たのも、エミヤが助けたからだ。

 夜天の中に、煌めく無数の星々。

 太陽には及ばない輝きでも、力強く煌めく星々に照らされる。

 ああ、思えば助けた時も斯様に星がきれいだったか───。

 

「───なに、私は当然のことをしたまでだ」

「それは正義の味方として、でしょうか?」

「ああ。そうだな」

 

 時間は流れていく。

 変わるものもあれば、変わらないものもある。

 君を守ると言った約束は───きっと、変わらないものなのだろう。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 そのままシスティーナとルミアの家に到着した。

 一瞬だけだが家に上がったエミヤはベッドにシスティーナを寝かせ、そのまま別れた。

 今日は大変な一日だった。ルミアもこの後はゆっくりとしたいだろう。

 

「───お疲れ様でした、エミヤ様。流石というべき活躍でございました」

「エレノア=シャーレット。夜分遅くに何の用だ?」

 

 一人で歩いていた帰り道。

 その背中に接触してきたのは、エミヤに天の智慧研究会の存在を示唆したエレノアだった。

 

「警戒されているご様子ですね」

「当たり前だ。こちらは貴様の正体を知っているのでね」

 

 エミヤはルミアと共に受けた事情聴取の最中、エレノアについての真実を知らされた。

 彼女が陛下を奸計に陥らせた諸悪の根源であり、その正体は天の智慧研究会所属の外道魔術師。

 故に、過去の関係がどうであれ接触してきたのなら排除するのがエミヤが為すべき未来だ。

 

「───投影、開始(トレース・オン)

「な───ッ!?」

 

 姿が消える。

 ゼーロスと互角の戦いを演出していた時とは訳が違う。

 今回が正真正銘、英霊エミヤの真骨頂。

 流麗に紡がれた一太刀は、寸毫の狭間にて掻き消えた距離と共に肉薄され、その体に傷を負う。

 防衛無しに袈裟斬りを受けたエレノアは対処の間も無く命脈を途切れさせる結果となる。

 

「私としては君個人に恨みはないが、許せ」

 

 投影した普遍的な剣を霧散させ、道端に転がる先ほどまで人間だった残骸を見る。

 その視線は、酷く冷徹な瞳であるだろう。

 すると、エレノアは口元を歪ませた。

 

「なるほど、これが彼の御方を殺した『死神』の力と言う訳でございますか」

「───貴様」

 

 まるで映像を逆再生しているようなモーションで立ち上がったエレノア。

 エミヤによって与えられた傷はみるみるうちに回復していった。

 

「流石でございます、エミヤ様。その実力の片鱗、しかと目に焼き付けさせて頂きました。これは今宵の内に排除するのは不可能でございましょう。それでは、これにて」

「少し待て。一つだけ問いたい事がある」

「───はて、何でございましょうか?」

 

 立ち去ろうとするエレノアに声をかける。

 彼女の行動に一つだけ、理解できないものがあるのだ。

 

「貴様は何故、私に天の智慧研究会が動いているという発言をした? それがなければ、私は王室親衛隊への対応に追われていただろうに」

「それは、エミヤ様の行動を制限するためでございます。貴方に好き勝手動かれてしまえば、こちらには不都合でしたので」

「なるほどな。とはいえ、結果的に私の動きを天の智慧研究会にのみ集中させることになってしまったということか」

 

 そのことを告げるとエレノアは少々自嘲気味に話す。

 

「貴方様を完全に封じ込める事は不可能でございますから。致し方無い結果でございましょう」

 

 するとエレノアは一度だけエミヤを見る。

 

「───『禁忌教典(アカシックレコード)』。これが我々の目的でございます」

「それを私に告げる意味は?」

「意味等ございません。ただ、今回の勝者へのささやかなご褒美程度に思っていただければ」

「───ほう。それを伝えたところで、貴様を逃がす理由にはならんがな」

 

 今度は使い慣れた双剣を投影するエミヤ。

 だが、その狭間で。

 

「───これは、一体」

 

 エレノアの周囲から浮かび上がってくる死屍累々。

 腐敗した肉体を行使し、その悉くがエレノアを守るようにして立ち塞がる。

 

「エミヤ様相手には時間稼ぎ程度にしかならないでしょうが、私にとってはそれで十分。再び相まみえることを楽しみにしています」

 

 そのまま姿を晦ませるエレノア。

 浮かび上がった死体を対処しながら、エミヤは逡巡する。 

 

禁忌教典(アカシックレコード)。久方振りに聞く単語だな」

 

 少しずつ、少しずつではあるが、エミヤは悟る。

 この世界に自らのようなイレギュラーが召喚された理由に、近づいているという事を。

 




 いよいよ終わりを迎えた第二巻。個人的には色々と楽しく出来た一巻となりました。で、これからバカンスの第三・四巻ですか。リゾートは、確か海。なんか、漠然とエミヤさんがウキウキする予感が……。
 さて、話は変わりますが、これからこうして後書きを書くのを巻の最後とさせていただきます。何か書きたいこと、書かなければいけないことがない限りは今までのような感じになります。
 また、感想への返信も時間が余った時に纏めてという感じにさせていただきます。
 まだまだ終わりの見えない作品ではありますが、完結を目標にこれからも頑張ってまいりますので、よろしくお願いいたします。
 
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