水中にあるバークスの研究所を目指すエミヤ達。
今は入口となる水面の前で準備を整えている最中だ。
アルベルトとグレンは黒魔【エア・スクリーン】を起動。圧迫空気の膜が二人の周囲を囲い、肺呼吸と背反の位置を取る水中での長時間浮遊が可能となる。
対して絶望的なまでに普遍的な魔術センスが皆無なリィエルと、根源的に黒魔術が行使不可能なエミヤはというと───?
「仕方あるまい。掴まれ、リィエル」
エミヤの英霊故の身体能力に頼る他に無い。
特務分室にてエース級の活躍をしているリィエルとて、水中という人体の構造的弱点は当然適用する。
「ん。分かった」
なので、この流れは当然といえば当然なのだが……。
「……待て、リィエル。どうして背中に飛び移った? 手を握れば済む話だろう?」
「質問の意味がよく分からないけど……ん、エミヤの背中が一番安心するから?」
「疑問符で理由と言われてもだな……」
苦笑いを浮かべながらも、エミヤはリィエルの行動を許容する。
傍から見れば親子みたいだな、などと柄でもない思考を脳裏に連ねながら、エミヤは月光を照らし返す水面に飛び込む。
薄暗い水内部の構造は既にエミヤの魔術から判明している。後ろで両手両足を駆使しガッチリとエミヤをホールドするリィエルの負担を抑える為にも、早急な到着が望まれる。
しかし、唯一の侵入口に細工を仕掛けない程相手も馬鹿ではない。
(やはり、一筋縄ではいかないか)
一足先に飛び込んだエミヤだったが、途端体に叩き付けられるような衝撃に襲われる。
如何なる手管を利用したかは不明だが、水流が操作されているらしい。
感じる流れから推察するに、当たり前と言うべきか目的地から離された場所に流されるよう細工されている。
(隠蔽より妨害を選択したか。以前の奴では考えられない選択肢だな)
とはいえ感心している暇はない。
後方から追うアルベルトとグレンに原因追及と細工の破壊を手話で頼み、呼吸が確保されていないエミヤとリィエルは先にゴールを目指す。
まるで水中に見えない壁があるのではないかと思わせる体捌きで難無く水流を正面から突破する。
理不尽とは彼の事を言うのだろう。障害を無いように扱いながら順調に突き進んでいく。
脳裏に浮かぶ地図を頼りに、不自然に開けた場所へ到着した。
そこには明らかに人為的な石垣が並べてあり、周囲を淡い光が照らしている。
入口を一目で確認するとエミヤは早急に内部へ侵入を成功させた。
「───無事か、リィエル?」
時間にして秒針が時計を一回転する前に到着したが、一目散にリィエルに声をかける。
「……大丈夫。何ともない」
その一言で安心した。
安堵の息を吐くエミヤを尻目に、リィエルは背中から降りると頬を緩ませていた。
「やっぱり、エミヤの背中は安心する」
「ご所望に預かり光栄だ。とはいえ、ただの背中だろう? そこまで良いものとは思えないがね」
「そんな事は無い。エミヤの背中は、いつもわたしを守ってくれた背中だから───」
───だから、安心する。
頬を僅かに紅潮させながら、はにかんだ笑みを見せるリィエル。
「ふむ、そうか。私としてはこの背中にそこまでの魅力は感じないが、君がそう言うのであれば存在意義はあるのだろう」
タオルを投影すると、わしゃわしゃとリィエルの頭を拭きながらこれからの行動を思案する。
ここでアルベルトとグレンを待つか、先に向かうか。
「……ん。くすぐったい……っ」
その言葉に拭くのを止めると、リィエルは一瞬悲しそうな表情をする。
だが、その日常的な風景は突如出現した地面を揺らす衝撃によって吹き飛んだ。
「この揺れは、一体……?」
エミヤは暗澹とした空間に視界を飛ばす。
千里眼、鷹の瞳とも評されるエミヤの双眸であれば、遠距離における先手を握ることも可能だ。
そして、視界に映ったのは一つの影だった。人体を遥かに凌駕した、大きな影。
それが一寸の迷いなくこちらに向かってきていた。
「あれは───蟹、か?」
「かに? それって、あの食べ物の?」
「そうだ。しかし、あれは普遍的な蟹ではないな」
大きさもそうだが、左右の鋏が三対あることも理由の一つ。
白昼訪れた研究所内で
「どうする?」
「無論迎撃だ。先制攻撃は私が担当しよう。それでも接近を許したのであれば、君との連携が必須となる」
「ん。分かったっ……!」
少し嬉しそうなリィエルの返答を聞きながら、エミヤは流れるように洋弓と矢を投影する。
両者を番えて構えるまでに一秒。広がる視界には、屹立する赤き障害が一体。
隣のリィエルも大剣を錬成し、両手に構えている。
「───さて、お手並み拝見といこう」
先制。エミヤの両手より放たれた一矢は、されど英霊として膂力を込められた砲撃の如く一撃として飛来する。
蟹は咄嗟に三対の鋏で体を守った。耳を劈く金属の衝突音が周囲一帯を蹂躙する。
やはりと言うべきか、その鋏は敵対者を震え上がらせる暴力の具現としてだけでなく、堅牢な防衛としての役割も果たす。
「並の相手であれば、この一撃で終わっていたのだがね」
久方振りの頑丈な相手だ。矢継ぎ早に放たれる矢の雨に遍く膂力を加えながら、遠距離では崩しきれない事を悟る。
壊れた幻想を使用すれば崩せるかもしれないが、余計な魔力は使用しない方が良いだろう。
しかし、ただの一矢では堅牢な鋏を穿つ断片を見せることなくその役目を果たしてしまう。
「すまない。どうやら、君の力が必要みたいだ」
「ううん、気にしなくていい。むしろ、エミヤと戦えるのを待ってた!」
「そうか。であれば遠慮はいらない。頼りにしてるぞ、リィエル」
激励の言葉としてエミヤは信頼を口にする。
故になんてことは無い一言のつもりだったのだが、リィエルは瞠目していた。
「む? どうした、リィエル。私の顔に何かついているだろうか?」
「そんな事はない……けど。さっきの言葉、もう一体言って」
「さっきの言葉? 遠慮はいらない、の事か?」
「……むぅ。もしかしてエミヤ、わざとやってる?」
頬を膨らませる彼女に、エミヤは正真正銘意図が掴み切れなかったと両手を上げながら答える。
しかし、それではないとすると……。
「頼りにしているぞ、か?」
「ん、そう! エミヤがわたしの事を、信頼してるって言ってくれた……!」
瞳を輝かせて嬉しそうにしているリィエルだが、エミヤとしては疑問が付き纏う。
「別に可笑しな話では無かろう? 君は自他共に認める特務分室のエースだ。私も同じ仲間として、君の実力は昔から評価している」
「ううん。そういう事じゃなくて───エミヤが仲間と言ってくれたことが、嬉しかった」
───ドガンッ!!
周囲を制圧する巨大蟹。赫々の堡塁との距離が時間と共に消え去った。
衝撃音と共に登場した守護者に、されど焦りの感情は無い。
寧ろ好都合。エミヤは両手に携えていた黒い洋弓を通じて最後の一矢を放つと、洋弓を霧散させる。
幾度目かの金属音。
体格差故の無機質な上から目線が、エミヤの攻撃を嘲笑っているかに感じた。
「随分と舐められたものだな。いや、慢心してくれた方がこちらとしても好都合か」
寂寞の荒野から取り出すは白黒の双剣。
柄に握り跡が刻まれているのではないかと錯覚してしまう程の長い付き合いである相棒を、今宵も具現化させる。
「リィエル。私が奴の鋏を弾く」
「ん。じゃあわたしは、真っ二つにする」
短くコンビネーションの確認を完了させた瞬間、エミヤの姿が消える。
次に現れた座標は巨大蟹の目の前。双剣を構えた死神が領域に侵入した。
生物の生存本能と言うべきか、一目で脅威を感じ取った蟹は鋏を駆使し跳躍するエミヤを叩き落そうと重力を身に纏う。
地べたに両足をくっつけた存在と、その恩恵を失った存在。飛行の術を有しないのであれば、優位なのは圧倒的前者だ。
天蓋を覆いつくす鋏の影。膂力と重力を以てエミヤをハエ叩きの要領で振り下ろされる鋏。
「残念ながら、その攻撃は予見済みだ」
白黒の双剣───干将・莫那を軸にして流麗に受け流す。
対象を失った鋏は纏ったエネルギーをそのままに地面と衝突した。
地面に迸るひび割れと、亀裂が走る鋏。一瞬一目でその威力を再確認させられた。
だが痛痒に揺れる理性すら持たないのか、矢継ぎ早に今度はエミヤを左右からの挟み込むために一対の鋏を駆動させる。
「ほう、考えるだけの脳はあるようだな。だが───ッ!」
左右一対の巨大鋏による挟み込み攻撃。
それを正面から干将・莫那で受け止める。
「……流石に、本気を出さねばならないか。しかし一瞬でも貴様の動きを止めれば、私の仕事は完了なのでね」
額に冷や汗を流しながらニヒルな笑みを浮かべたエミヤ。
これが人間としての体であったのなら、左右から猛追する重圧に臓器諸共命脈は霧散していただろう。
エミヤは耐えるだけ。本命は背中から、蒼き閃光が上空に向かって駆けあがる。
「ぃいいいいいいいいやあああああああああ───ッ!!」
両手に担う大剣を体全体をバネの如く駆使し投擲。
高速旋回させながら重力と共に飛来する大剣は、雷光を凌駕する一撃として堅牢な鋏を失った体へ直撃する。
柔な体では無いだろう。しかし、リィエルの一撃は蟹の体を一刀両断。
血潮を斬撃の如く振り撒きながら巨大蟹は糸を失った操り人形のように倒れていった。
「……流石だな。ただの投擲で、これほどの威力とは」
「! エミヤが褒めてくれた……!」
素直に感心する。
確かに彼女も常人の体ではないが、英霊としての体を有するエミヤには及ばない。
なのにもかかわらず、投擲の威力は彼女の方が上なのではないだろうか。
小動物のようにてくてくと近寄ってきたリィエルを褒めるようにして頭を撫でる。この小柄な体に内包される膂力は味方であれば頼もしい限りだ。
「……ん」
「さて、後は彼らを待つだけだが───」
「待つ必要は無い。今到着した」
エミヤの言葉に待ち人の一人、アルベルトが返答する。
振り返ればグレンも辟易とした表情でこちらに歩み寄っていた。
「……大丈夫か? 随分と疲弊しているな、グレン」
「そりゃあ疲れもするっての。俺はお前らみたいな化け物じゃないんだよ……」
「そう言いながらもしっかりとついてきている辺り、君も凄いと思うがね」
へいへい、と軽く手を振るグレン。
見た目以上に疲れているようだ。確かに荒れ狂う水流の中、それを突破するだけでなく原因を突き止めるのは骨が折れるだろう。
呼吸するのも一苦労の様子に、エミヤは会話の対象をアルベルトに変更する。
「それで、君が付与したというマーキングは無事なのかね?」
「ああ。座標は依然として変化は無い」
「了解した。グレン、動けるか?」
「……まあ、大丈夫だ。ただでさえ俺の責任でルミア=ティンジェルを誘拐されたんだ。こんな所まで足を引っ張る訳にはいかねぇ……!」
「無理のないようにな。君が動けなければ、我々の戦力低下は甚大となる」
そうして四人、再び最果ての地を目指す。
***
「ふ、はははははは───ッ!!」
ああ、心底から湧き出る汚泥の笑みが隠せない。
何とも無様ではないか。最高傑作では無いものの、自信作の一つを踏破されて笑ってしまうとは。
「如何されましたか、バークス様?」
「何てこそは無い、エレノア殿。ただ、私の
「侵入者……? それは一体?」
「私の
バークスの笑みは、されどエレノアには理解されなかった。
何か汚物を見るかのような鋭利な視線に晒されるが、なんてことは無い。
全ては想定の範囲内なのだから、何を焦る必要がある?
寧ろ、あの程度の
「……! 先生と、リィエルが来てくれた……!」
「そうとも、貴様が渇望していた存在がここへ到達した。喜ぶが良い、ルミア=ティンジェル。だが、次に奴の姿を見るときは首から上だけになっているだろうがな?」
何もシロウ=エミヤの到着を歓迎しているのはルミア=ティンジェルだけではない。
バークスはその身に暗澹たる心火を灯すと、地獄の釜から沸騰された高揚感にこの身を浸らせる。
「楽しみだな、その希望に満ちた表情が地獄に叩き落されるその瞬間が!」
「先生とリィエルが、貴方に負けるとは思えません」
「当たり前だ。リィエル=レイフォードには興味無いが、シロウ=エミヤが私一人の前で倒れ伏すような男では無いことなど理解している。故に、我が最高傑作と共にその歩みを仲間諸共殺してやるさ」
「最高、傑作……?」
ルミアの困惑に満ちた疑問に、バークスは答えを返さなかった。
「それでは引き続き術式防御を貴公に任せる。だが、あまり意識を奪いすぎるなよ? ルミア=ティンジェルの希望である『先生』が私の前で失墜した様を、その眼に見せつけたいからな」
「……了解しました。貴方もご武運を。身に染みて理解しているとは存じますが、彼の男は天の智慧研究会最高階位に通ずる力を有します。過去に一度、倒したことも考えるにそれ以上の可能性も───」
「理解している。余計な言葉は不要だ」
バークスは出る。それは往年の復讐を果たす為。
過去の惨めな自分自身を踏破する為。
そして、死神に刈り取られなかった魂は、時として復讐を糧にここまで成長するのだと、思い知らせてやろうではないか───。
初めに、投稿が遅れてしまい申し訳ございません。多忙な日々が続き、作品を投稿する時間が確保できませんでした。今週が終わればその日々からも解放されるので、投稿スピードを上げていきたいと思います。
そして作品の方にも触れていくと、今回から遂に戦闘が始まりました。全体的に見れば中盤に突入って感じですかね。今回の戦闘は然程重要ではないので簡単に終わらせましたが、次の戦闘からはしっかりと描写していきますよ!
最後になりますが、ようやく短編集の七巻を完読致しました。話の内容に頬を緩ませる一方、この『赤原の守護者』の終わりについて考える切欠となりました。
終わらせるプランとしては複数用意しているのですが、決めきれていないんですよね。彼らしく終わらせるか、はたまた別の道を選ぶか。何年後になるかは分かりませんが、その答え合わせが出来るよう日々投稿を頑張っていきますので、これからもよろしくお願いします。