赤原の守護者と禁忌教典   作:石橋航

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推薦の理由

「……さて。思わず引き受けてしまったが、どうしたものか」

 

 エミヤは学院長室から自分の受け持つというクラスへ向かう間、静かに思考を張り巡らせていた。

 必修科目を全て自分が受け持つ、というのは流石に初耳だ。

 全力を尽くすとは言ったが、はたしてどこまで小細工が通用するか。

 

「そして渡されたのは受け持つ授業の教科書と、魔術講師としての正装か」

 

 軽く流し見て、ある程度の内容を理解することは出来たが、教えるのは難しいだろう。

 魔術講師としてのローブに腕を通し、渡された教科書をリュックに全て仕舞う。

 非常勤とはいえ、生徒にその話は関係ない。

 非常勤だろうがなかろうが、彼等が先生を測る指標は授業内容が大部分であり、余計なものはそこにはない。

 人のよさそうな先生だろうが、下手な授業であれば好かれない。

 つまり、完全実力主義の職業なのだ。特務分室という穿った実力主義の世界に在籍はしていたが、教職とはまたベクトルが異なる。

 

「仕方あるまい。授業開始まで、残り三十分。一度余計な教科書を家に置きに戻るとするか」

 

 余計な贅肉を削ぎ落すように。

 エミヤは学院の校門から敷地外へと出ると、周囲に誰もいない事を確認する。

 彼が言う家とは、常人の足であれば片道一時間は余裕で経過するような場所にあったりするのだが。

 踏み出した足。

 深々と刻まれた足跡。

 風すらも置き忘れたその疾駆は、当然人間の領域などとうの昔に凌駕していた───。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 その後、十分で学院に戻ってきたエミヤ。

 ローブを靡かせて駆けていながら、その息は乱れていない。

 何も無かったかのように彼は今後のカリキュラムを確認しつつ、ため息をつく。

 

「いきなり黒魔術の授業と来たか……」

 

 そう。何度も言った通り、エミヤは黒魔術に関しての適性が皆無だ。

 無論考えられる要因は幾つか把握できてはいるが、その悉くがエミヤではどうしようもない不条理な問題だ。

 流れに身を任せようが、流れに逆らおうが関係ない。

 帰結は不動なのだから意味が無い。

 

「さて。ついてしまったな」

 

 エミヤは一つの扉の前に立つ。

 扉の上隣りには『二年次生二組』と刻まれた長方形の板が、存在を以て位置を記す。

 シロウ=エミヤが担当をする、クラスだ。

 授業開始数分前。今までに感じたことの無い、乱動する鼓動を深呼吸で押さえる。

 この果てに、新しい仕事場が待っている。

 

「───。大丈夫だ」

 

 己に訴えかけるように言葉を漏らす。

 もう一度深呼吸をすると、エミヤはその扉を突破した。

 

「すまない、少々遅れたな」

 

 遅れてはいない。

 だが、新任の先生が授業開始数分前に現れるという現状への謝罪を一つ。

 突然開かれた扉に注目が集まったが、エミヤは視線を侍らせながら中央の教卓の前へ。

 

「いえ、遅れてはいませんが……?」

 

 前方に座っている、銀髪の少女がエミヤの疑問に答える。

 良かった。コミュニケーションに関しては心配いらないようだ。

 

「いや、そうもいかない。まずは自己紹介をしないといけないからな」

 

 突然現れた白髪の、大柄の男。

 魔術講師であることは外見から分かるだろうが、互いの身分を明らかにしないままで授業を始める訳にも行かないだろう。

 生徒達を一望すれば、頭に疑問符を浮かべている人間も少なくない。

 コソコソ話を傍聴すれば、見たことの無い人間への疑問がそこらから聞こえてくる。

 

「突然ではあるが、このクラスの担任を任せられた、シロウ=エミヤだ。よろしく頼む」

「……あっ! 貴方がエミヤ先生ですか。よろしくお願いします」

 

 銀髪の少女は飛び跳ねるように立ち上がると、エミヤに対して頭を下げる。

 それを見た他の生徒も立ち上がる。

 

「えっと、私達も名前は紹介した方が良いですよね。私は───」

「システィーナ=フィーベル、だろう? 大丈夫だ。君たちの名前は全て記憶した。間違える事は無いだろう」

 

 名乗り上げようとした銀髪の少女───システィーナを制止すると、エミヤは名前を答えてみせる。

 学院長室で渡された写真付きの名簿だが、道中で全て記憶してしまったので家に置いてきた。

 教卓の前から一望できる全員の顔と名前は、完全に一致する。

 なお、システィーナの姿がかつての同僚と瓜二つ、という余計な情報は外界に放り込まない。

 

「そ、そうですけど……いえ、何でもありません。それならば良かったです」

 

 苦笑いを浮かべるシスティーナ。

 その表情の真意は理解できなかったが、システィーナは席に着いた。

 この辺の切り替えは流石と言うべきか。

 その姿を見た他の生徒も一礼をして席に着いていく。

 だが、ただ一人、システィーナの隣にいた少女だけは立ったままだった。

 

「貴方は───」

 

 朧気にもそう聞こえた彼女の独り言。

 もしかしたら、寝ぼけているのだろうか。

 年頃の女性は大変と聞く。もしそうであれば、無理はするなと伝えるべきだろう。

 何か惚けるような表情でエミヤを見つめる金髪の少女に、エミヤは声をかける。

 

「大丈夫か、ルミア=ティンジェル? 体調が悪いのであれば、無理をする必要は無いからな」

「……え? あっ、ごめんなさい……!」

 

 金髪の少女───ルミアはそそくさと席に着く。

 本人が大丈夫と言うのであれば大丈夫だろうが、心配だ。

 一応気を付けておくべきだろう。

 

「っと。少々開始時刻を過ぎてしまったな。すまない、すぐに始めよう」

 

 エミヤの一声に呼応するように、生徒達も教科書を開く。

 紙の摩擦音が響く中、リックから伝えられている中断場所を全員が寸毫違わず示しだした。

 それを確認し、エミヤは己の教科書を開く。

 

「では、黒魔術の授業を始める。挨拶は省略だ」

 

 返答は無いが、全員からの首肯の視線を受け取る。

 

「中断場所の少し前、教科書二十四ページから始めるとしよう」

 

 もしかしたら必要は無いのかもしれないが。

 エミヤは復習の念も込めつつ、指示を飛ばす。

 全員が中断箇所から始めると思ったのだろう。ページを戻す音が聞こえる。

 

「基本構造からおさらいだ───」

 

 そうして、シロウ=エミヤの授業が始まった。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

「───では。ここまでで質問はあるだろうか?」

 

 授業終盤。

 淡々と進めていた授業、特に質問も無かったのでスルーしていたが休憩は必要だろう。

 黒板に白線を刻むチョークを置き、エミヤは振り返った。

 

「えっと……一つ、良いですか?」

「何かな、システィーナ」

 

 おずおずと手をあげたシスティーナ。

 何か不思議そうな顔をしているが、何か説明でもミスがあったか?

 いや、大丈夫なはずだ。

 何せ、エミヤはしっかりと教科書通りに授業をしているのだから。

 

「先生。さっきからずっと教科書を読んでいるだけですけど……それだけですか?」

「それだけとは何かな? 私としては不備のある授業をしたつもりはないが」

「それは、そうですけど……」

 

 不備のある授業はしていない。

 教科書の指示に従って授業を進めているのだから、それは当然だ。

 聞けば彼女はこのクラスで一番の優秀な成績を残している生徒と聞く。

 もしかしたら、何か思う事があったのかもしれない。

 しっかりと話を聞くべきだろう。

 

「……はあ。しっかり言えば良いじゃないか、システィーナ。先生の授業は意味が無いってさ」

「む。君は」

 

 突然後方から割り込む声が聞こえた。

 立ち上がった少年───ギイブル=ウィズダンは、眼鏡をクイッと持ち上げるとエミヤに対して苦言を呈する。

 

「先生の授業、はっきり言って僕たちにとっては意味が無い時間でした。教科書の内容を復唱し、重要事項を板書するだけの授業なんて、僕達は求めていません」

「ちょっと、ギイブル───」

「事実だ。私を庇う必要は無い、システィーナ。……それに関しては私もすまないと思っている。何せ、黒魔術は専門外の術式でね」

「黒魔術が専門外? ますます話になりません。確かにその道に通じている先生とは差があるでしょう。ですが、普遍的な内容の一つでもあるはずです。それを、専門外とはいえこの体たらくですか?」

「ははは。全く、耳が痛い話だな」

 

 苦笑いを浮かべるエミヤと裏腹に、ギイブルは侮蔑の込めた視線で穿つ。

 確かにそれがこのクラスの総意だろう。

 多少言葉の端々に皮肉があったが、授業に対しての意見としては真っ当だ。

 しかし、彼らが想像している専門外という言葉に対しては少々勘違いを正しておく必要があるか。

 

「耳が痛い、ですか。馬鹿にされている覚悟はあるんですよね?」

「無論あるとも。流石に私もそこまで鈍感ではないさ」

 

 侮蔑の言葉を柳に風。

 生憎と魔術に対するプライドという余計な贅肉は元よりない身だ。

 そこを突かれたところで、エミヤに対するダメージは皆無に等しい。

 

「しかしな。こればかりは私自身でもどうしようもない不条理でね。何の因果か、私は『黒魔術』を一つも行使できない体なんだ」

 

 ───途端に、空気が変わったのを感じた。

 

「『黒魔術』を行使できない、ですって? 馬鹿馬鹿しい。言い訳もそこまで行くと、呆れを通り越しますよ」

「事実なのだから仕方が無いだろう。例えば───」

 

 言うとエミヤは魔力を循環させる。

 伸ばした手、その果てに魔力を注ぎ込む。

 

「«雷精よ・紫電の衝撃以て・撃ち倒せ»───」

 

 黒魔【ショック・ボルト】。

 最も基本的な黒魔術の一つであり、アルザーノ帝国魔術学院においては行使できるのが普通と言う次元の魔術。

 魔力を循環、集中。

 指先より迸る雷鳴、微量の紫電が駆けるイメージは完璧だ。

 されど、その幻想が現実として織り結ばれる事は無く───。

 

「うそ、だろ……?」

 

 その言葉を吐いたのは、一体何処の誰なのか。

 それを知る必要は無いし、知ろうとも思わない。

 ただ、こうして彩られる現実は、眼窩を通じて脳裏へとこびりつく。

 

「さて。理解していただいたかね? 聡明な君達だ。魔力感知程度は出来ると確信しているが」

 

 返答は無かった。

 黒魔術、その基本の一角を担う黒魔【ショック・ボルト】。

 ここに通う学生ならば当然のように習得しているその魔術を、行使できない先生。

 そんな有り得ない現実を突きつけられた生徒達は、処理が追い付かずに続く言葉が出てこない。

 冷めた熱の如く静寂が包み込むこの雰囲気の中、シロウ=エミヤ最初の授業は最悪の形で幕を下ろしたのだった───。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

「最悪だったな。オレも人のことを言えないな。感情のコントロールも出来ないとは……」

 

 廊下を鳴らす足跡。

 エミヤは重く感じられるローブを纏いながら、一人の人間を捜していた。

 セリカ=アルフォネア。

 エミヤをこの学院に連れてきた張本人であり、斯様な事態に陥った諸悪の根源だ。

 

「いや。生徒達を絶望させたのは、私だろう……! 他人のせいにするなど言語道断だ」

 

 つい数分前のことながら、未だに眼窩から剥がれない光景。

 写真の如く明瞭に、冴え渡った生徒達の絶望したような表情を、エミヤはきっと永久に後悔するだろう。

 

「やはり、向かない職業だったな。……まあ、投げ出すわけにはいかないな。とはいえ、必修科目全てを受け持つのはどうにかできないだろうか」

 

 教職に就くのは良い。だが、膨大な量の科目を受け持つのは抗議したい。

 判定は覆らないだろうが、まあ、意志表明は大切だろう。

 もしかしたら、何かアドバイスを頂けるかもしれない。

 彼らは未来ある、この国の希望だ。

 学生でいられる時間は年老いた将来に於いても、煌びやかに輝く記憶となる。

 だが、たった一人の先生のせいで彼らの宝物を汚すのは申し訳が無い。

 

「失礼。一つ尋ねたいことがあるのだが───」

 

 エミヤは道中ですれ違う、見知らぬ同僚達に話しかけ、セリカの居場所を問う。

 悉く胡乱な瞳を向けられたが、羽織るコートと身分証明を為せば途端に謝ってくる。

 続く魔術師としての位の質問に対しては真実を伝え、一変する瞳の色。

 魔術を全てと勘違いし、崇高な代物と刷り込まれた素人。

 指標から間違っているにもかかわらず、その間違いを誰も指摘しないこの現状。

 薄々、勘づいてはいたが───。

 

 

 ───ああ、認めよう。

 どうもこの空気は、下級者を蔑むこの不文律は、とても心地が悪い。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

「失礼する。セリカはここに居るだろうか?」

 

 教えられた学院長室の扉を、今日二度目のノックで迎える。

 

『シロウ君じゃな。丁度良い、入ってきなさい』

 

 丁度良い、という言葉に引っかかりを覚えるも、エミヤは素直に扉を開く。

 その先に待っていたのは、数時間前と変わらず執務机に座っているリック。

 その前に二人、金髪の髪を揺らすセリカと───もう一人の男は誰だ?

 扉から入ってきたエミヤに注目が集まる。

 すると、知らない男が声をかけてきた。

 

「貴様が、三流魔術師のシロウ=エミヤだな?」

「如何にも、そうだが」

 

 エミヤの質問に男は不愉快そうに鼻を鳴らすと、睨みつけてくる。

 

「……なんだ、その言葉遣いは? 貴様、先輩に対する礼儀も知らないのか?」

「生憎と。知らない男にまで気を遣う程、私はお人好しではないのでね」

 

 その言葉に口を押えて笑いを堪えるセリカ。

 彼女には少々言いたいことがあるが、まずは目の前の男が先だろう。

 

「良いだろう。私は、二年次生一組の担当講師、ハーレイ=アストレイだ」

「私の自己紹介は……不要そうだな」

「無論だ。貴様のような下賤と同じ空気を吸っているというだけでも浅ましいというのに、余計な話まで持ってこないでもらいたい」

「随分な嫌われようだな。まあ良い。セリカ、君に一つ話をしに来たんだが」

 

 まるで獣を見るかのような瞳を向けるハーレイから視線を外し、セリカに向き直る。

 最初は笑っていたセリカだったが、突然話を向けられ咳払いをした。

 

「悪い悪い。で、どうした? お前が私を頼るなんて珍しいからな。この私が聞いてやろうじゃないか」

「……まあ、要件と言うのは一つだけだ。せっかく推薦してもらって心苦しいが、やはりこの職業は私には向いていないようだ。辞退したいとは言わないが、せめて科目を減らすのは出来ないだろうか? 無理であれば、構わないが」

 

 胸元を拳で叩いたセリカに対して、エミヤは直球勝負と行くことにした。

 下手に遠回りな話をしても効果は無い。

 ここは単刀直入に、話を斬り込むべきだろう。

 

「ほう。三流は三流らしく、己の限界を悟るか。セリカ=アルフォネア、本人もこう言っている。どうせなら、辞めさせてやるのが本当の優しさじゃないか?」

 

 どうやらハーレイは、エミヤに対しての直訴をしにきたらしい。

 それも当然だろう。

 魔術の指標が絶対となるこの空間で、学生以下の地位に甘んずる事になるエミヤを、プライドの塊である他の講師陣が許すはずも無い。

 

「一つ聞きたい。それは、本当にお前の本心なのか?」

「本心に決まっているだろう、セリカ=アルフォネア。蛙には蛙の、魔術師には魔術師の生きる世界がある。黒魔術も使えない三流以下が、末端だろうとしがみついて良い世界ではない。そもそも───」

「────ほう?」

 

 静謐に問うセリカに水を差す、ハーレイの一声。

 彼はそこまでしてエミヤを辞めさせたいのだろう。

 ここぞとばかりに言葉を矢継ぎ早に紡ごうとするも、嫌悪感を孕ませたセリカの視線に畏怖してしまう。

 

「止める必要は無い。ハーレイ、君の意見が一番正しい。私のような三流以下に務まる職業ではない」

「……言葉遣いには言いたいことがあるが、その通りだ三流。貴様も一度経験し、荷が重すぎる聖職ということを悟ったようだな」

 

 エミヤと言う援軍を得たが故か、皮肉に口を歪ませるハーレイ。

 中央で鎮座しているリックは困ったように頭をなでるが、ここは退けない。

 何故か退職の所にまで話が広がっているが、そう命じられたのならすぐにここを出ていく覚悟はある。

 自分をここまで連れてきてくれたセリカ、自分を先生と認めてくれたリックには感謝している。

 だが、ハーレイの意見が、一般的な、魔術師という立場から客観視したこの問題に対する答えだ。

 セリカの続く言葉を待っていると、彼女はエミヤにではなくハーレイに向き直った。

 

「そうか。じゃあ、ハーレイ。そんな高尚なお前に一つだけ意見を貰いたいことがある。どうも私じゃ発想力が足りないらしくてな。いまいちその魔術構造を理解できないんだ」

「……それは、今この状況でするべき質問なのか?」

「勿論。実はその魔術を行使する人間が、ここに居てな」

 

 疑問符を浮かべるハーレイを尻目に、セリカはエミヤに視線を送る。

 その視線に流されるままにハーレイもエミヤを見る。

 

「エミヤ。お前の特技をもう一度だけ見せてくれないか? 勿論、お前が容易に展開することを嫌っているのは知ってるが」

「何……? この三流が、だと?」

 

 特技と聞いて一瞬ピンと来なかったが、その後に続く言葉を聞いて理解した。

 セリカは今ここで、エミヤにこの世界では固有魔術(オリジナル)と呼ばれる代物を展開しろと要求してきたのだ。

 確かにそれを見せば、ハーレイからの評価は逆転するかもしれない。この逆境を乗り越えられる一手となり得るかもしれない。

 だが、ここでエミヤがセリカの肩を持つ理由は存在しないだろう。

 

「……私に、それを使うメリットは無い気がするがな?」

「後生だ、エミヤ。お前は絶対に理論を教えてくれないからな。こうして若いもんならば発想力も豊かだろうし、私には見えない答えに至るかもしれないだろ?」

「君に理解できなかったんだ。誰がやろうと同じ結果になると思うがな」

 

 この世界最高峰の魔術師であるセリカ=アルフォネア。

 彼女に理解できなかった魔術が、他の誰かに解き明かされるとも思わない。

 そもそも、これはこの輪廻から外れた論理から成る魔術だ。

 前提条件を崩さなければ答えに辿り着けないが、前提条件が成り立たねば魔術ではない。

 単純ながら複雑な構造に守られた固有魔術だ。

 ハーレイという男は見るからに優秀な魔術師だというのは理解できるが、魔術師であれば魔術師であるほど前提条件を崩すなんて愚行は犯さない。

 故にその果てには何も無いと思うが。

 

「……良いだろう。セリカ=アルフォネア、貴様がそこまで言うんだ。私自らが解析して見せよう。だが、三流の曲芸だったら承知しないからな」

「まあ見てろって、今に驚く結果になると思うけどな?」

「……君達だけで話を進めないでもらえるか? 私はまだ一度もやるとは言っていないだろう?」

「えー良いじゃんか。私もあの魔術の構造を知りたいんだよ。そのヒントになるかもしれないと思えばさ」

 

 軽く懇願を続けるセリカ。

 だが、彼女とは対照的に、ハーレイの眼は据わっていた。

 

「貴様。本当にセリカ=アルフォネアが解析できない魔術を行使できるのだな?」

「……彼女には一度で看破されなかったという事実は認める」

 

 瞬間、ハーレイの眼の色が一変する。

 

「……貴様がセリカ=アルフォネアに解き明かせない、何らかの固有魔術(オリジナル)を担えるという点は認めてやろう。そして、それを今まで誰一人として解き明かさせなかったこともな」

 

 見ればハーレイはエミヤに両肩に手を乗せた。

 正面から写される瞳には、ギラギラとした渇望が宿っていた。

 

「今まで屈辱の日々を過ごしていたが、これで終わりだ。私はここで、この魔女を超える───! さあ、早く見せろ!!」

 

 ……そう言う事か。

 確かにこのハーレイという男が、プライドの塊であることは今までの言動から容易に想像できる。

 恐らく、自分が一番でなければ我慢ならない、そんな心理を抱えているのだろう。

 だが、常人にとって世界最高峰の魔術師であるセリカ=アルフォネアへの道は果てなく険しい。

 そんなところに、セリカが解けなかった謎が出現した。

 つまるところ、自分がそれを解き明かせば、疑似的にもセリカに勝利したという事になる。

 ハーレイがやる気になっている理由は、恐らくこれだろう。

 

「……もう一度言うが、私はセリカが解けなかった魔術を見せびらかすつもりはない。盛り上がるのは別に構わないが、私は何一つ干渉しないからな」

「な……!! き、貴様っ! 逃げるのか……!?」

「逃げるも何も、私には何一つメリットの無い話だ。逆にそれを為すと私的には望んでいない展開になるときた。ハーレイ、君の期待を裏切るようで悪いが、ここは譲れないラインでね」

 

 淡々と拒絶の念を伝える。

 それを聞いたハーレイは膝から崩れ落ちた。

 その姿には哀愁を感じられる。それに同情したのか、リックが口を開く。

 

「……エミヤ君。部外者である人間から言うのも申し訳ないが、どうじゃろう? ハーレイ君もここまで見たがっているんじゃ。簡単にで構わないから、見せてやってくれないかの? 正直に言えば、ちょっと見てみたいという願望もあるんじゃがな……」

「学院長……!!」

 

 それを聞いたハーレイは四つん這いの状態のまま、リックに向かって顔をあげた。

 セリカも腕を組みながら首肯している。

 リックは柔らかい表情をしながら、エミヤに答えに耳を傾けている。

 どうも、断るに断れない状況に陥ってしまったようだ。

 エミヤは深いため息をつく。

 

「……仕方ない。一度だけだ。それ以上の要求は呑まないからな」

 

 瞬間に雰囲気が心地の良いものへと変化したのを肌で感じた。

 リックとセリカは静かに喜び、ハーレイもまた姿勢を整えて解析の構えを取っていた。 

 仕方あるまい。エミヤは己が心に問いかける。

 錬鉄の丘。

 収斂する無限の剣。

 墓標の如く冷徹に輝くその丘で、輝く一振りをここで展開する。

 

「───投影、開始(トレース・オン)

 

 たった一節の詠唱。

 だが、この身と世界とを繋げる鍵としては最適の詠唱だった。

 握られる陰陽の双剣。

 手形が刻まれているのではないかと錯覚してしまう程の、懐かしい感触。

 二対一刀。

 生涯をかけて磨き上げた双剣が、現世に結ばれた。

 それを見た三人は瞠目し、吸い込まれるかのようにエミヤが握る双剣に近づいてきた。

 だが、三人が近くで双剣を観察しようとする前に、その存在を現実から消滅させる。

 

「これで終わりだ。納得していただいたかね?」

「……ああ。やっぱり、分からないな。ハーレイはどうだ?」

「……馬鹿な。今のが、本当に魔術なのか……? しかし……有り得ん。その道理が通じてしまえば、魔術全体を敵に回すことになりかねんぞ……!」

 

 セリカは早くから白旗をあげる。

 彼女としてはそれが目的ではないだろうし、当然の結果だ。

 だが、ハーレイは一目で真相に大きく近づいたらしい。

 これに関しては素直に驚きだ。

 しかし、本人はそれを誇る訳ではない。

 ハーレイは、セリカもそこまでは至っているだろう、ということは薄々感じているのだろう。

 つまりは、同じく二人共、正当な魔術師として当然にして最大の壁にぶち当たったという訳だ。

 

「ハーレイ。今の一瞬で分かったか? どうも私は、とある魔術法則が引っかかって前に進めないんだが」

「……同じだ。故にそれがありえないのは重々承知だが……。それ以外の小細工の形跡は、無い様子だな……」

 

 セリカは同じく挑戦者であるハーレイに問いかける。

 彼らは目的が一致している存在だ。互いに情報交換を為そうとしているのだろうが、結末は変わらない。

 

「私も、まだまだ勉強不足ということだな。どうだ? 今度、今の現象についての討論会でもやらないか?」

「……良いだろう。私も、このままにしておくのは気が引ける」

 

 すると、ハーレイは扉へと歩みを進めた。

 右手を顎に沿えながら、幾重にも重なる魔術理論の検証を為しているらしい。

 

「ハーレイ。お前、どうした?」

「……少々先に片づけねばならない問題が見つかった。ついでに、そこの三流───シロウ=エミヤにも用が出来た。再検討の要求は引き下げる」

 

 ハーレイは淡々と言葉を紡ぐと、そのまま扉の向こうへと消えていった。

 どうやら、彼を本気にさせてしまう程、この固有魔術(オリジナル)は強力な代物らしい。

 確かに彼らの言っていた魔術理論『等価交換』に真っ向から対立するものだからな、これは。

 

「ふむ。若き秀才でも駄目だったか……。まあ、アイツと一対一で話すのも面白そうだし、これはこれで良いとしよう」

 

 セリカは一瞬だけ考えるような仕草としたが、すぐにエミヤを視界に映した。

 

「これは君が仕組んだ状況だな?」

「まあな。ハーレイは真面目な人間だ。自分の手に負えない難問だろうと、アイツは真っ直ぐに答えを目指す。そう言う人間だからな。私としてはその側面は嫌いじゃないんだが、今回は悪い事をしたな」

 

 人として羨望されるべき信念を利用することになってしまったこと。

 セリカはその点に関しては悪いと感じていたようだ。

 それを聞けただけでも十分。

 

「そうか。まあ、私としても君とはもう一度、一対一で話したかったところだ。好都合と考えよう」

「エミヤ……」

「間違ったことは言っていないだろう。それに、時間は有限だ。悠長にしている暇もない」

「ふむ。では、こちらは傍観者に徹するとするかの。君達二人で存分に話なさい」

 

 リックはセリカの言葉を呑んで、自分は退くことを決める。

 だが、エミヤとしてもセリカとは、今の状況を知った状態で話したくて捜していたのだから問題ない。

 睨みあうような状態が一瞬だけ過ぎ去り、先に動き出したのはセリカだった。

 

「じゃあ、その言葉に甘えるとしよう。エミヤ、お前にもう一度質問だ。教師を辞めたいというのは、本当にお前の本心か?」

「本心ではないが、生徒達の困る顔は見たくないな。というか、そこまで話を広げたつもりはないのだがね?」

「残念だが、エミヤ。科目を減らすなんてことは出来ないんだ。担任は自分のクラスの必修科目を受け持つ。これは既に決まっていることだからな」

「……そうか。では、私は教師を辞めることを望んでいるのかもしれないな」

 

 真剣な表情で伝えるエミヤに、セリカは儚い笑みをこぼす。

 

「そっか。お前には、向いている職業だと思ったんだけどな」

「すまないな───なんて、冗談だ。契約通り、三週間はしっかりとやり遂げて見せるさ」

 

 やってみて分かる真実もある。

 人間、夢を追う時が一番輝いていると言われるが、まさしくそれだろう。

 一度裏切られ、絶望してしまった過去を持つ存在として、同じ間違いは繰り返さない。

 セリカは自嘲気に微笑むエミヤを見て、一つの疑問を投げかけてきた。

 

「最後に一つだけ良いか? お前は教科書を手に授業をやったと思うんだが……その内容、どう思った?」

「教科書の内容? そんなものを聞いて、一体何になる?」

「良いから良いから。ほら、今後に繋がるかもしれないだろ?」

 

 最後だから、と必死に手を合わせるセリカ。

 エミヤとしても意図は掴み取れないが、話せない理由がある訳でもない。

 もう一度教科書の内容を思い出して、素直に思ったことを吐露する。

 

「───まず、質の良い教科書であるのは間違いないだろう。少々齧ったばかりの知識しか持たぬ身で評するのも上から目線のようで気が引けるが、内容に関しては言う事は無い。抑えるべきポイントを明確に記し、発動までの流れは事細かに凝縮されている」

 

 だが、と言ってエミヤは続けた。

 

「それはあくまで表側の情報だ。確かに発動までの流れを読者に刻み込めば、流れに沿っただけで読者は魔術を発動できるようになるだろう。しかし、私はその行動に対しては疑問を抱く。ブラックボックスのような状態で、本当に魔術を掌握したというのであれば、それは完全な勘違いだ」

「ほう───」

「そもそも、あの教科書は魔術を発動させることに特化しすぎだ。本当に伝えるべきものをあえて無視し、ベールに覆われた偽りの理想を見せているだけに過ぎない」

「───じゃあ質問だ。お前は、魔術をこれから学ぶ者に教えるべきことは何だと思う?」

 

 静かに問うセリカに、エミヤは答えを現実に記す。

 

「───魔術を担う者としての責任だ。発動するだけで終わりではない。魔術と言う、一歩間違えれば人さえも殺害できてしまう危険な力に呑まれないように。私は、その責任感こそ魔術師たる象徴だと思っているからな」

 

 それが答え。

 大志を胸に抱く少年少女らにとって、一番の懸念はその力に呑まれる事。

 この世界において剣や銃よりも人の命脈を断ってきた、その強大な力に対する責任感。

 本当の意味で、魔術を扱える人間を育てることこそ、魔術教育に必要な事象では無いのだろうか?

 

「それが、お前の答えか?」

「そうだ」

 

 短く答える。

 伝えるべきことは伝えた。

 その意志表明を受け取ったのか、セリカは静かに息を漏らすと───。

 

「それだよ、シロウ=エミヤ。私がお前を推薦したのは、それをあの子たちに教えて欲しかったからだよ───」

 

 そう言って笑うセリカの顔は、短くない時間で積み上げた記憶を一瞬で凌駕してしまっていた。

 心の底からの笑顔。

 自分の眼は間違っていなかったという、誇らしさ。

 己の力でそこに辿り着いたことへの、安心感。

 万感の思いを込めての顔は、かつて魔女と呼ばれた女が他人であるエミヤに見せた見せた唯一の笑顔だった。

 

「ああ、そうか。そうだった、のか───」

 

 声にならない息を吐く。

 歯車が噛み合ったような、答えを得たような。

 そんな安堵感に包まれる。

 無論、これで全てを得られたわけではない。

 未だスタートラインに、ようやく立ったばかりだ。

 しかし、この一歩は、エミヤにとっては計り知れない程大きな一歩だったのは言うまでもないだろう。

 




 少しずつ本格的な話に入っていけることが出来ているので、安心しています。
 現在は第一巻部分を執筆していますが、この部分については早いスピードで完成させたいと思っています。勿論、第二巻以降は手を抜く、という訳ではございませんのでご安心ください。ただ、話の土台は早めに完成させるべきという経験談から、第一巻は頑張っていきますよ~!
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