道中、不自然にゴーレムが跋扈する街道を踏破し、現在転送塔内部を駆け上がる。
螺旋階段故に常人であれば額に汗を浮かばせるのだろうが、エミヤは息一つ切らすことなく登り切った。
「無事か、ルミア!」
「……せ、先生……? その声は、エミヤ先生ですか!?」
「良かった。無事みたいだな」
塔の最上階、薄暗い内部からルミアの声が聞こえた。
「……驚いた。随分と早いご到着なんですね?」
「貴様が今回の黒幕か?」
その薄暗い中から登場したのは、柔らかい金髪を靡かせ、人の良さそうな顔をしている男だった。
第一印象ではあるが、到底斯様な事件を起こすような人柄には感じられない。
だが、纏うコートが天の智慧研究会所属であることを示す以上、その印象は無意味だ。
エミヤの誰何に男は答えた。
「ええ、はい」
「そうか。では、早々にルミアを引き渡してもらおう」
「それは出来ない相談です。なにせ、貴方が幾ら高尚な実績を残していた所で、この結末は不動なのですから。ええ、『黒魔術』が使えない貴方ではね」
「───なるほど。黒魔術が使えない、つまりは解呪術式が行使できないが故にという訳か」
エミヤはルミアを見る。
ルミアの下には何らかの魔術が敷かれており、その先には男も繋がっていた。
「白魔儀【サクリファイス】───換魂の儀式だな」
「流石は歴戦の戦場を踏破した貴方ですね。一目で看破されてしまうとは」
「……貴様、その術式が起動したらどうなるのか、理解しているのか?」
エミヤは鋭い視線で問う。
ルミアと男の間に敷設されているのは、白魔儀【サクリファイス】。
前者にのみ仕込まれたのは、特定の時間が経過したら魔法陣上の存在を指定された座標に送ることが出来る術式だ。法陣を迸るルーンの数が制限時間を記している。
だが、後者に仕込まれたのはとても人道的とは思えない術式であった。
「はい。ルミアさんを組織へ送り、それを切欠として、僕の魂と直結したこの法陣も効力を発揮し、僕の魂を食いつぶして莫大な魔力を得ることになるでしょう。───そして、この学院を爆破するに足る力を得ることになる」
「理解できないな。それを為して、貴様は何を得ることが出来る?」
「それが僕の存在意義なので。その果てを望む権利はなく、ただ為す事のみを命じられた傀儡なんですよ」
「……それが、貴様にとっての幸福なのか?」
「幸福……だったと思うんですけどね。どうしてか、僕はアルザーノ帝国魔術学院の教師として、人の温かさに触れすぎてしまったのかもしれませんね」
自嘲気味に微笑む男。
その姿は、どこか痛々しく感じられた。
「もう止めてください、ヒューイ先生!!」
悲痛に叫ぶルミアに目を向ける。
「どうして、こんなことをするんですか……!? 貴方は、こんなことをするような先生じゃなかったのに……!」
「……すみません、ルミアさん。僕は元々、こういう事を生業とする人間だったんですよ……」
目を伏せるヒューイ。
「王族、もしくは政府要人の身内。そんな方がこの学院に入学された時、その人物を自爆テロで殺害するために、十年以上も前からこの学院に在籍させられていた、人間爆弾。それが僕なんです」
「いずれ起こるか分からない事象の為に、貴様はこの学院に組み込まれたのか?」
「ええ。とはいえ、とても得難い日々でした。願わくば、この日々が永遠に続けばいいのに、と。そう思っていたんですが」
目を上げたヒューイは、眩しいものを見るかのような目でルミアを見る。
「ルミアさんがいなければ、僕は今まで通り平和な日常を過ごすことが出来たんですけどね」
「なるほど。つまりは、ルミアは何らかの賓客であり、それを感じ取った貴様らは突然失踪という形で姿を晦ましたわけだな」
「そして図らずも、僕の後任として貴方が来てしまった」
疲れたような表情をするヒューイ。
まるで白旗を振り、この場から逃げ出したいと願う兵士のようだった。
己の意志と関係なしに、この場に立たされている運命を呪っている。
「シロウ=エミヤ。貴方ほどの戦力が介入するのであれば、もう少し戦力を投入すべきだったのでしょうが。生憎とルミアさんを殺害する訳にはいかなくなり、直前で作戦が変更されたわけです。全く、上層部であれば貴方の危険性も理解しているはずなのに」
「なるほど。そちらの裏側も何となく掴めた」
エミヤは申し訳なさそうに顔を伏せるルミアに視線を向ける。
「あの……エミヤ先生……」
「別に話そうとしなくて良い。今の会話で大体の事情は掴めたからな」
安心させるように声をかけ、再びヒューイと相対する。
「さて、決着といこうか、ヒューイ=ルイセン。そのような腫瘍があるのであれば、すぐに摘出しなければならないからな」
「……何をするつもりですか? 貴方は、黒魔術が使えない三流以下の魔術師であるはず」
胡乱な瞳をするヒューイを尻目に、エミヤはいつの間にか握られていた、刀身が歪な形をしているナイフを手にルミアの元へ歩む。
「構造から察するに、ルミアの転移術式を解呪すれば君の爆弾も効果を発揮出来なくなるのだろう?」
「ええ、そうですが───」
近くに来たエミヤを心配そうに見つめるルミア。
彼女とて黒魔術が使えない事は知っている。
解呪術式全般がそのカテゴリーに在籍している以上、シロウ=エミヤには行使できない術式のはずだが。
「心配しなくても良い。すぐに終わらせる」
そう言うと、エミヤは握っていたナイフを一直線に振り下ろす。
剣先は魔法陣の一端を掴み、その効力を発揮する。
曰く───対魔術宝具、
あらゆる魔術効果の無効化を可能とする、奇跡の一振り。
「え……?」
「馬鹿な……」
寸毫の先に、崩れ落ちる術式。
ヒューイに科せられた偽りの存在意義は、その刹那で砕け散った。
「別に驚く事ではない。私のかつての同僚には、一定領域内の魔術起動を封殺とする代物を担う者が居たのでね。対象範囲は狭いが、斯様な裏技を担っていても不思議ではない」
「……ははは。やはり底知れない何かがありますね、貴方には」
その場に崩れるヒューイ。
何か肩の荷が下りたかのように、突然軽くなった体はバランスを崩す。
「……それは、任務を遂行できなかった事への悔いか?」
「いえ。どうやら僕は、生徒が無事で安心しているみたいです」
空虚な笑み。
口から零れたのは、そんな感情だった。
「僕は、どうすれば良かったんでしょうか?」
「さあな。生憎と、他人の人生にとやかく言う資格は持っていなくてね。だが、本当に君が、生徒が無事な事に対して安堵していると言うのなら、残りの人生は真っ当に生きるべきだろうな」
「そう、ですね……」
裏にどんな事情があるとはいえ、事件を起こした黒幕であるのなら、その罪は償うべきだ。
エミヤは投影したロープをその体に巻き付ける。
「僕は真っ当に生きることが出来るのでしょうか……?」
「出来るさ。君がそれを望むのなら」
その答えを聞いたヒューイは、安心したように意識を手放す。
エミヤに許された数少ない魔術の一つ、白魔【スリープ・サウンド】を三節の詠唱と共に起動した。
「───では、戻ろうかルミア」
「あの……先生。本当に、私に何も聞かないんですか?」
促す声音を制止するルミアの不安。
「ああ。確かに君には何かあるのかもしれないが、それを聞く必要は無い」
「どうしてですか……っ? 今回の事件は、私が原因で起きたのに……」
彼女は優しい人間だ。
故に、自分が原因でクラスの仲間を巻き込んだこと、エミヤを巻き込んだこと、ヒューイが本来の仕事に戻らなければならなくなったこと。
その全てを己が原因としているのだろう。
「別に、ルミアが原因だろうがなかろうが、私にとっては関係ないからな」
「関係ない、ですか……?」
「そうだ」
その優しさは美徳だ。
ルミア=ティンジェルという少女に芽吹く花であり、枯らしてはならないものだ。
だが、そのせいでルミアが背負うことになる重責も大きくなるだろう。
「今、私は君達の先生だからな。何があろうと、君が助けを求めるのならば、すぐにでも駆けつけよう」
「……そのせいで、私は先生に迷惑をかけてしまうかもしれないんですよ?」
「構わない。そもそも君は私の生徒だ。ならば、最後まで見捨てるなんてことはしない。例え、世界中が敵になろうとも、私は君の味方だ。ああ、安心したまえ。私に先生としての立場が無くとも、それも約束する」
ならば、その花を支える存在となる。
いずれ一人で、その重責を処理できるようになるまで導くのが、エミヤの仕事だ。
この身に残された時間は知れないが、先生という役割を任されたのであれば、それは道理だ。
真実を語れば、この学院に居れる期間は一週間も無いのだが。
それでも、この言葉が彼女に何らかの影響を齎すと信じて。
「───ふふっ」
「む? 待て、何か笑われるような事を言っただろうか?」
「いえ、やっぱり先生って───正義の味方みたいだなって思って」
そう言って笑うルミアは、一輪の花のようだった───。
「……正義の味方、か」
静かに微笑む。
その理想に少しでも近づけたのであれば、この道程は間違ってはいないのだろう。
「帰ろうか、ルミア」
「はいっ!」
立ち去る。
螺旋階段へ向かい、この一幕は終焉を迎える。
一人の異分子によって撹拌されたこの序章から紡がれる物語は、果てに大きな影響を与えることになることを、今はまだ誰も知らない。
***
アルザーノ帝国魔術学院自爆テロ未遂事件。
とある非常勤講師によって、奇跡的に、眼に見える形での被害が無いという結果で終結した一幕。
関わった組織の影響もあり、社会的不安を考慮して内密に処理された。
一つの教室にのみ不自然な痕が残されていたが、それも帝国宮廷魔導士団が総力を挙げて事後処理を行った。
それが功を奏して、事の顛末を知っている人間はごく限られた者のみとなった。
その後、精神的に不安定な状態へ陥った生徒へのメンタルケアも、とある非常勤講師が全力を尽くして為したという。
元々魔術の醜悪さを語るという、不可思議な授業内容を行っていたという事もあり、それを聞いていた生徒達も多少の耐性があったことが一抹の救いか。
今では誰も欠けることなく、全員が日常を謳歌していた。
そして、その裏側では、例の非常勤講師であるエミヤと、ルミア=ティンジェルの関係者という事でシスティーナが帝国政府の上層部に呼ばれていた。
「───と、言う事だ。突然の話で申し訳ないが、これから君達にはルミア=ティンジェルに隠された秘密を守るために協力して頂きたい」
見知った顔である人間から、ルミア=ティンジェルの正体に聞かされた。
曰く、彼女が異能者であること。
三年前に病死されたと思われていたエルミアナ王女が、本当の素性だということ───これについては、既に知っていたりするのだが。
「なるほどな。それで私達に協力を要請したという事か」
「そう言う訳だ、シロウ=エミヤ。停職処分のはずの貴様が何故講師としてアルザーノ帝国魔術学院に務めているのかについては色々と質問したいところだが、今は控えよう」
「ああ、そこに関しては安心してくれて構わない。私は契約期間は三週間なのでね。今日でその契約は終了する」
訝しげに睨む帝国幹部を尻目に、エミヤは己の立場を明白にする。
「それは看過できんな。貴様には協力者として、この話を告げたのだ。今更逃げるなど通じる訳が無い」
「逃げはしないさ。ルミア=ティンジェルからの要請があれば、私は彼女を守ると約束しよう。では、これで終わりで良いかな?」
「……シロウ=エミヤ。此度の話は、貴様だからこそ頼める内容なのだぞ? それを分かっているのか?」
「評価は有難く頂戴する。だが、契約は契約なのでね」
帝国幹部の睨みを柳に風、エミヤはシスティーナを連れて外へ出る。
「エミヤ。貴様が、アルザーノ帝国魔術学院に残ることを期待しよう」
その言葉を最後に、両者の関係を断つように扉が閉じた。
***
「せ、先生。さっきの話はどういうことなんですか!?」
未だ帝国の内部にて、システィーナはエミヤに問う。
「話通りの展開だ。私は正式な教師ではないのでね。故に、ヒューイの後任を務める者が現れるまでの三週間、臨時の繋ぎとして招集されたんだ」
「そんな話、聞いてません!」
「聞かす必要は無かったからな。君達にも嬉しい話だろう? これからは本物の魔術師が君達の為に教鞭をとることになる。私のような三流以下ではない、本物だ」
「エミヤ先生だって、本物の魔術師です! それに、魔術師の評価は行使できる魔術には縛られないって、先生が教えてくれたじゃないですか……!」
俯くシスティーナ。
彼女には色々と怖い思いをさせてしまった。
故に良い感情を抱かれているとは思っていなかったのだが、別れに涙を流してくれる位には信頼してくれていたらしい。
「ありがとう。それが伝わっているのなら、私は満足だ」
「そんな、満足だなんて言わないでくださいよ……。まだ、教えてもらってない事が沢山あるのに……」
「それは、すまないな」
廊下に反響する声音。
システィーナの嘆願を聞くが、それでもこの契約は覆らない。
「───全く。私もまだまだだな」
未来は誰にも分からない。
その真実を、今ばかりは恨みたくなった。
***
「これで、全部か」
エミヤは己の荷物をリュックにしまう。
それほどの物量で無いのが残念だが、三週間なのだ。こればかりは仕方ない。
願わくば彼ら彼女らの成長を見届けたいところだが、この運命に従うだけ。
「短かったが、得難い時間だった」
その歩みは止まらない。
常人と同じスピードで景色が変わっていくのに、既に校門の前に至ってしまった。
後は此処を通り抜ければ、全てが終わる。
「───待ってください、エミヤ先生!!」
不意にかけられた言葉に、思わず後ろを向く。
「な……っ!? どうして、君達がここに……?」
見れば、エミヤが担当していた二年次生二組の生徒が全員校門の前で待っていた。
その表情が明るくないことは、一目見て分かった。
「待ってください……本当に、行っちゃうんですか?」
「システィーナ……君達との時間は、本当に楽しいものだった。残酷な光景を見せてしまった事もあったが、それでも君達に為になると信じて授業をするのは、楽しかったよ」
「じゃあ───っ」
その声を片手で制止する。
「だが、私は三週間のみ在籍を許された教師だ。その先に居る資格はない。君達の将来を見届ける者は、私の後任が為すだろう」
「エミヤ先生は、見てくれないんですか?」
「───」
沈黙で返答する。
ここでエミヤの本心を伝えることは出来ない。
両者の関係は、ここで完全に途切れることになるだろう。
故に、別れを長引かせる訳にはいかない。その分、感情が蓄積されてしまう。
「───全く。お前、真面目な部分は良いけどさ。もう少し周囲の事を考えた方が良いんじゃないのか?」
「セリカ」
ため息と苦笑いで登場したセリカ。
その後ろには学院長のリックと、短い期間だったが何度かお世話になったハーレイが居た。
「そうじゃよ。見てみなさい、ここには君との別れを悲しむ者がこんなにも居るんじゃ。それを無視してしまうのは、悲しい話じゃよ」
「……貴様には色々と言いたい事があるが、ここで逃げることは許さないからな」
「学院長に、ハーレイ……。すまないが、それでも私は契約の身だ。後任が決まっている現状で、それを払拭することは出来ないだろう」
思わぬ人物からの声もあったが、それでも駄目だ。
自分一人の都合で他人の人生を振り回すわけにはいかない。
その光景を見ていたセリカは突然微笑んでエミヤに問う。
「つまりは、後任が居なければお前は辞めないってことで良いのか?」
「───待て、セリカ。まさか」
「そのまさかだよ、エミヤ。最初は後任をしっかりと用意しようとは思ったんだけどな。お前が思いの外真剣に生徒達と向き合っているのを見て改めたんだ。とはいえ、お前にも色々と事情があるからな。辞めたきゃ、すぐに辞めても良いっていう特別な内容をお前に提示したいんだが、どうだ?」
「そんな、都合の良い事出来る訳が無いだろう?」
「大丈夫じゃよ、エミヤ君。その契約内容は保証する」
後任を用意していないというセリカの発言に乗っかるように、リックが笑みを浮かべて親指を立てる。
見れば生徒達の表情にも少しの安堵が見えている。
これは、セリカの策略に嵌ってしまったということか。
「……そうか。なら、私も本音で話すとしようか」
ここまでお膳立てされたのであれば、それを壊す訳にも行かない。
エミヤは生徒達に向き直ると、頭を下げる。
「すまない。こんな形ではあるが、もう一度君達の先生をやっても大丈夫だろうか───?」
「勿論です、先生。これからもう一度、よろしくお願いします!」
その声を皮切りに、喜びを爆発させる生徒達。
ここは外だというのに、それを忘れさせてしまう程の効力だったのか。
「嬉しいもんだろ、こうやって慕われるのはさ?」
「ああ。そうだな───」
セリカの問いに、エミヤは静かに、されど眩しいものを見つめるかのような表情で首肯した。
夕焼けの空が天上から見守る中、満面の笑みを浮かべる生徒達をもう二度と裏切らないように、ここに誓う。
一巻部分が終了となりました。残りの道のりは長いですが、無理のない範囲で完成を目指していきます。
次は二巻ですね。ここではエミヤの語る『かつての同僚』についても少々触れることになると思いますので、楽しみにして頂ければ幸いです。