夢を見る。あぁ、今自分は夢を見ているんだとわかる時がある。
空はまるで血のように紅い。
そして住宅街を闊歩するエヴァシリーズ。しかしその大きさは人と同じくらい。
その中で自分は息を潜めて物陰に隠れている。辺りには誰も居ない。なにか動くものを見つければヤツらが群がって平らげてしまうから。眼なんてないのにヤツらは物を見つけるのが上手い。ひとつでも物音を立てればまるで血に餓えたケモノの様に群がってくる。
此処から逃げないと。でも逃げられない。何故なら脚が鎖で繋がれているから。
鎖の物音ひとつ立てれば死ぬ。
息を潜めていても煩いくらいに早鐘を打つ心臓の音が外に漏れないように必死で身体を抱き締める。
場面が切り替わる。
田舎道。左右には畑や田んぼが広がる。そんな道をひた走る。ヤツらに見つかった。
背後から犬の様に、あるいは覚醒した初号機の様に、這うように、しかし人が走る速さで追い掛けてくるエヴァシリーズ。
目の前に空から降ってくるエヴァシリーズを身体を捩ってその腕から逃れる。
必死に走る。けれども脚は鉛のように重くて段々と追いつかれ、そして地面に押し倒される。
振り返ればあのニヤケ面が幾つもあり、そしてその口が開かれ──。
◇◇◇◇◇
「ッハ──!! ……はぁっ、…………はぁぁ……」
久し振りに見た悪夢。幼稚園の頃に劇場で見た旧劇は無事にトラウマとなって、こうして時折悪夢を見せる。この夢を見る時は大概自分に余裕がない時だ。
隣を見れば寝ているミサトさんが居る。
──一瞬過った思考を振り払って起き上がる。まだ自分とミサトさんの間に、そんな信頼関係はない。無論、リツコさんとも。
結局自分はまだ、友達どころか気心を許せる他人すら居ないのだ。
夢見の悪い気持ち悪さを抱えてベッドから起きる。そのまま気分を晴らすためにシャワーを浴びに行く。
余裕がない。当たり前だ。もういつシャムシエルが来ても不思議じゃない。トウジに殴られた日に来ると思っていたけれども、そうじゃなかった。それでも今の自分にはどうにも出来ない。最後の希望は凍結解除された零号機との起動実験。同化される危険があるエヴァとのシンクロ。それを乗り越えられるか。
思ったよりも窮している事態に自分でも気づかない所で精神的に追い詰められているんだろうか。
追い詰められて居ないはずもない、か。
この先どうなるのかある程度知っていて。そしてその事態に自分は最悪他人任せにするしかない。他人任せに出来るのなら気が楽になると思えない。エヴァに乗って当事者でいなければ最後は何も出来ずにサードインパクトを見送るだけか。或いは戦自の隊員に撃たれて死ぬかだろう。
だったらエヴァに乗ってエヴァシリーズと戦える方がまだ気が楽だと思えてくる。それだって想像でしかない楽観的な物の見方をしているのかもしれないけれど、それでもやっぱり戦えないよりはマシなんだろうか。
シャワーを浴びても沈み込んだメンタルは上がってこない。こんな事じゃダメだと自分を鼓舞しても、一度転げ落ちるメンタルを上げるのはそう簡単にはいかない。少なくとも自分はそうだ。
悪夢を見た所為だろう。自分が碇シンジだなんていう夢見心地を急激に現実に叩き戻された気分だった。
そして渦巻く破滅願望。どうにもならない現実から眼を背けて逃げ出した自分の唯一の救い。
ダメだ。今はどうにも思考がデストルドーに侵食されてマトモな考えが思い浮かばない。
バスルームから出て一瞬、ベッドで眠っているミサトさんを見るが、変な気を起こす前に部屋から出る。
通路を歩いていても誰とも擦れ違わない。休憩スペースの自販機でコーヒーを買って、ジオフロントに出る。
常夏なのに寒いと思えるのはこのジオフロントが地下にあるからか。
ジオフロントは薄暗い。まだ太陽は出ていないらしい。
適当な原っぱに腰を落ち着けて、買ったコーヒーを一気に呷る。
ブラックであるから強烈な苦味と、ホットだから喉を焼くような熱さが駆け抜けていく。
「ふぅ……けぷっ……」
それでようやく目が覚めるものの、ネガティブ思考は落ち着かない。こんな時に相談できそうな相手が居ないことが寂しくもある。
加持さんとか居てくれれば、少しは気分も違ったのだろうか。
自分の憧れの男性像はなんだと訊かれたら、先ず思い浮かべるのは加持さんだろう。それはエヴァの世界に居るからという理由ではなく、自分が自分であった頃。あんな風な渋いお兄さんになりたいだなんて憧れだったんだと思う。まぁ、現実には程遠い大人に育ってしまったわけだけれども。
なんというか。大人の男の人の包容力みたいな所に憧れていたりしたのかもしれない。子供ながらの憧れだから上手く説明は出来ないのだけれども。
甘えられる相手が居ないのは、結構しんどい。
「おや? こんなところで何をしているのかね?」
「え?」
耳に届いたナイスシルバーな声を聞いて起き上がり、辺りを見回せばそこには冬月先生が立っていた。
「あ、いや、えっと…」
「ああ、自己紹介がまだだったね。私は冬月コウゾウ、ネルフの副司令をしている。まぁ、碇の雑用係に近いがね」
「は、はぁ…。碇シンジです。父がお世話になっています」
何をやっていたと訊かれて、特に何もせずにぼーっとしてただけなので返答に困っていると、自己紹介もしていない間柄なのを察して名乗ってくれた冬月先生。名乗られたなら名乗り返すのが礼儀である。立ち上がって名を名乗って会釈した。
「君は礼儀正しいな。ヤツにその爪を煎じて飲ませてやりたいよ」
「はは。そうでしょうか?」
年上の人には礼儀を払うのが普通だと思っているから、礼儀正しいと言われても今一ピンと来なかった。父──ゲンドウに関しては自分からすれば赤の他人なので余計にだ。
「副司令は何故こちらに?」
「いやなに。出勤前の軽い散歩だ。司令職というのは運動不足になっていかんのだよ」
「そうなんですか」
「ああ。…最初の問いに戻るが、君は何故ここに?」
そう言われてどう答えたものか。シナリオを進める上で、冬月先生はシンジ君に対して何かしら関わる必要はない。だからこんな風に世間話をする様な事もなかっただろう。新劇のQではそれが少し変わってシンジ君に真実の幾ばくかを話したが。或いはエヴァ2では冬月先生と関係を深めるとちょっとヤバい人である事も露呈するのだが。
「ちょっと夢見が悪くて、気分転換に」
そんなこっちの事をまるで知らん人だから明かせる心の内という物があるだろう。
「ほう。それは…、いや。そうだろうな。あの様な体験をしては無理もない」
サキエル戦では初号機が頭部を貫かれるまでシンジ君と初号機のフィードバックは繋がっていた。
腕を折られて頭を貫かれ。そんな体験をしていれば普通に心を病んでもおかしくはない。
確か冬月先生はセカンドインパクト後に一時期難民相手にモグリの医者紛いの事をやっていた時期があって、京都大学でも教授をしていて、エヴァ2ではユイさんの論文から人類補完計画の儀式理論を読み取って初号機の前でひとり悟りを開いてパシャるくらいの、頭の良い人だ。
自分が精神に不調を来しているくらい見抜くのは簡単だろう。
「だが今は君達に頼らなければ人類は滅びる。苦しいとは思うが、頑張って欲しい」
そう冬月先生は言うが、その言葉も上面だけの物だと思ってしまうのは、冬月先生の目的を知っているからだ。
もう一度ユイさんに会う為に全人類を巻き込む破滅への道を進む人。
「初号機に乗れない僕に、どうしろって言うんですか……」
「そうだな。だが、自暴自棄になるのはまだ早いのではないかな?」
そう諭す様に冬月先生は言った。
「零号機と君との起動実験が上手く行けば、君は再びパイロットとして戦う立場になる。今は焦らず、座して待つ時ではないかな?」
焦り……確かに焦っている。何故ならもう何時シャムシエルがやって来てもおかしくはない。今日か明日か明後日か。トウジに殴られた日に来なかったのならば何時になるかなんてわからない。新劇だと確かトウジに殴られて数日後かくらいに第五の使徒はやって来た。ただシャムシエルなら旧劇でも貞本エヴァでもトウジに殴られた日にやって来た。その辺のスケジュールがわからないからこうも焦るのかもしれない。そりゃ焦るよ。
「……もし今使徒が来たら、戦えるのは綾波だけです。あんな怪我を負ってる彼女を戦わせられるわけないでしょう」
「立派な正義感だな。それとも、男として、怪我を負っている彼女を戦わせる事になるのを負い目に思っているのかな?」
その言葉に僅かに眼を見開く。確かにそうは思ってもいる。ただそれを言い当てられるとは思わなかった。
「なに。昔取った杵柄というものだ。これでも大学で教鞭を振るっていた身でね」
「そうだったんですか……」
リツコさんもそうだし、ミサトさんもそうだけれど、冬月先生もまた物語の人物ではなく、実際に歳を重ねた生きている人なのだと思わされる。
「見た目はユイ君に似ているが、君は立派な男だということか」
「古いですかね、こんな考え」
「そうとは思わんよ。何より守るべきものがあるのなら、君は
守るべきもの、か。
そう言われて過るのは、いつもコーヒーを淹れてくれるリツコさんや、学校で見たレイの後ろ姿──アンビリカルブリッジの上で抱き抱えた軽くて弱々しく、手に付いた血。
成る程、男の子だなシンジ君は。
エヴァに乗る決意をする時、どんなに傷ついてボロボロな心でも決心をする彼は、根底からして強い男の子だ。伊達にスパロボで「シンジさん」なんて呼ばれていない。
周りの大人がちゃんとしていれば、シンカリオンのシンジさんみたいに頼れるお兄さんになれるんだからなぁ。
やっぱりエヴァ世界の大人はクソやん。人類補完計画滅びねぇかなマジで。
「副司令。折り入ってお頼みしたい事があります──!」
「親子揃って無茶を言うのは似なくても良い所だがね」
それでも自分の頼みを聞いてくれた冬月先生はそれを了承してくれた。その時、どういうわけか笑っていたけれど、その意図を汲み取る事は出来なかった。
◇◇◇◇◇
碇の息子とこんな早朝に出会うとは思わなかった。
初号機に乗れない事に苦悩している様子だった。
そして彼が抱える思いに触れ、その真っ直ぐな青臭さに羨ましさを覚えた。
聞いてやる義理はないが、その想いに免じて彼の願いを聞き入れた。
我々の敵は使徒やゼーレよりも、寧ろ碇の息子が最大にして最後の敵となるやもしれん。
そう思える、危うくも、しかし剛い熱を、幼気な瞳に感じた。
その瞳を持つ少年は、大きな1つ目の巨人との接触を控えていた。
零号機の起動実験スケジュールの引き上げ。
午前に初号機とレイの起動実験、午後に彼と零号機の起動実験を控えていた物を入れ換えるだけであるため、然して労力は使わないものだったが、その為に責任者の赤木君を説得するのは私の役目だ。理由は彼の想いを言葉にしただけだ。重症人のパイロットよりも健康であるパイロットを使い物にするために、零号機の起動実験を繰り上げるというものだった。赤木君も異論はなかった。シナリオとしては初号機を優先するべきだが、それは彼の乗った初号機でなければ優先する意味が薄れる。
即戦力が用意出来ていない現状、それを求める意味でも、彼と零号機の起動実験を先にする意義はあった。
そうして、零号機の起動実験が始まった。
「リスト150までクリア」
「シナプス接続、シンクログラフ正常」
「第二次接続問題なし」
「動力伝達問題なし」
ここまでは前回のレイでも出来ていた所であるが、しかし零号機がレイ以外に動かせるか否か。
「絶対境界線まであと1.0…、0.8…、0.6…、0.4…、0.3…、0.2…、0.1……」
パイロットとエヴァが完全シンクロする瞬間、警報が実験棟制御室に響いた。
「パルス消失!!」
「プラグ深度マイナス! エヴァ側に引き込まれています!!」
「シンクロ率急激上昇! 60…、70…、80…、90…、120…、240!? 380!!」
制御室は大騒ぎだというのに、以前の様に零号機は全く暴れていない。
「何をした……。いや、何をしているんだ……」
「シンクロ率、400%突破!!」
かつて同じ様に、エヴァとの接触で消えて行った彼女の姿と光景が重なった。
「実験中止! 電源を落とせ!!」
気づけばそう発していた。彼が何をしようというのかはわからん。そしてそう想定していたとも思えない。
魂のない零号機に人間を乗せる事は即ちこうなることだと予想出来ていたのは、この場に居る人間では私と赤木君だけだろう。息子が零号機に乗るというのにヤツはこの場に顔すら見せん。そうした意味での別の真っ直ぐさはやはり親子なのだろう。
過去の通りならば、彼はエヴァに取り込まれた。エヴァに乗れないのなら、自分がエヴァになろうとでもいうのか。
そうした発想をしていたかどうかはわからないが、彼はヤツの息子でもあると同時に彼女の息子でもあるのだと痛感させられた。
サルベージは試みるが、果たしてどうなることやら──。
つづく。